【実質魔法少女】金髪褐色TSサキュバスの淫紋解消研究 作:ハーメルンに性嗜好を歪められた被害者
用語解説
・魔法的生物
体内で魔素を合成する動植物の総称。大気中あるいは他生物の体内に格納された魔素を利用する生物はこれに該当しない。
また、魔術やそれに準じる何らかの超常的な現象を操る生物も、魔素を合成しない種は魔法的生物には含まれない。
地球由来の動植物は全てこれに含まれない。ただし、人間は例外として魔法的生物に属する。
第5研究室助手の朝は早い。
「室長ー、入りますよー」
第一の仕事。お寝坊上司を引っ叩いて起こす。
今日も眠そうに目を擦っているか、あるいはまだあの背中に悪そうなチャーチベンチを寝台代わりにして寝ているのだろう。
「おーう、はよー。シキンちゃん」
「あれ、室長、朝早いですね」
いつもはパジャマか無防備な薄着しか着ない室長が、よくアイロンがけされたブラウスに、小綺麗なスラックスを履いている。
珍しいこともあるものだ。ハイヒールなんて。普段なら「こんな歩きにくいもん好んで履いてるヤツはバカ」くらいは言うのに。
「ちょっと用事があってさ、出てくるわ。昼までには帰ってくるから、それまで自由にしてて!」
「え、あ、はい。お気を付けて」
「来客とかアポとか来ても、局長以外全部無視していいから! それじゃ!」
室長はハンガーにかけていた背広を引っ掴むと、魔術で自動的に開く扉をわざわざ蹴飛ばして開き、走って行った。
「あれ、今何か落としましたよ。あ、待ってください室長! イロ室長ってば!」
酷く慌てているようで、私の声が聞こえなかったのか、室長は落とし物に気付かないまま走り去ってしまった。
全く。室長ってば。そそっかしいんだから。
「ホントに私がいないとダメですね〜、室長は……」
室長が懐から落としたのは、葉書大の多少年季の感じられる光沢紙だった。現存された日の日付印刷があることからして、写真であることは間違いない。
この大魔術時代に、魔素焼き付け方式の一枚アルバムではなく、何ならデジタルデータでもない紙の写真か。
「室長も案外、アナログな人なんですね……」
今時、劣化する現物のカラー紙をありがたがるのはマニアだけだ。室長もこだわり強いし、そういうのが好きなのだろうか。
「机に置いておきましょうか……」
光沢のあるほうに傷が付かないように、私はその写真を裏返した。
「え…………」
そこには、照れくさそうに赤くなった少年に腕を絡ませ、
蘇生魔術。
文字通り、蘇りの魔術。心肺停止、および死亡した動物を蘇生する超高度の魔術にして、魔術師としては一つの極致。
「…………あなたでもダメですか、イロ」
頭から大量の血を流して、目も口も半開きにした少年の前で、オレはただ立ち尽くしていた。
「これは……」
土で薄汚れたTシャツに、擦り切れたジーンズ、この時期にはまだ少し寒そうな格好の、整備区画の外の人間にありがちな出立ちだった。
特に何らかの超常あるいは神秘的な第三者の助けを得ることもできず、何に祈るでもなく死んだのだろうか。死後硬直を終え、弛緩した表情には、薄い辛苦の色だけが膜を張っていた。
「やはり、死亡時刻が原因ですか。24時間以上前では、あなたでも……」
「違うんだ。そうじゃない。ドール」
ドールは……修道服を着て、何かが焦げた匂いをさせる女性は、少年の遺体から片時も目を逸らそうとはしなかった。
修道服には全く似つかわしくない白鞘の日本刀を腰に差し、その柄頭に片腕を預け、氷のように冷たい目でオレの顔を覗いた。
「保存状態はいい。腐ってる部分ないしな」
「では、何が原因なのですか」
「脳が足りないんだよ」
蘇生魔術によって回復できない唯一のもの。臓器すら再現できる魔術でも修復できないただ一つの臓器。それが脳。
脳幹より全ての神経機能は、喩え完璧な新品を作り上げたとしても、記憶は補完されない。シナプスの可塑性は全く新しいものが代替されるだけで、原子レベルまで再現することはできない。
「ですが、心肺機能を取り戻すことはできるのではないですか?」
「頭から下の臓器は動くようになるけど……」
しかし果たして、記憶まで再現して生まれ直した人間を、元の人間と言っていいものかについては、まだ議論は浅いが……。
「損傷してる場所が軽微なら、あるいは失明や失聴はするかもしれないけど、生き返らせることはできた」
少年の後頭部は激しく陥没しており、解析魔術によると、開いた傷口から脳組織が相当量脱落していることも発覚した。
特に後頭葉、前頭葉の欠損が激しい。この様子では、蘇生に成功したとして、元の彼のような自意識や思考能力は期待できない。
魂などというものがあるとすれば、もうこの少年の中にはない。
新しい脳細胞を詰め、新しい人格に己の体を支配されることを、少年の魂が喜ぶだろうか。
「これだけ頭部が損傷していると、オレにも、他の誰かにも、どうすることも……」
できることは何もない。
ただ、哀れにも大人になることも許されなかった少年のために、今生に救いをもたさらないどこぞの神に祈るしかできなかった。
「そうですか」
ドールは特に表情を変えることなく、じっと少年の遺体を見下ろすばかりだった。
「悪い……」
「あなたに非はありません」
彼女は信じてもいない神の道理に従って、顔の前で十字を切った。
「全ては〝真人党〟の咎です」
渋谷宇田川町。かつてスペイン坂なる呼ばれ方をしていた短い勾配は、今や単なる廃テナントの集まりと化していた。
その一つには取ってつけたような十字架が掲げられており、またその隣には、単に「孤児院」とだけ書かれた看板が吊られ、雨風に薄汚れていた。
「中へどうぞ。子供達が眠っているので、声は小さくお願いします」
中は埃が舞う古ぼけた喫茶店だ。大胆にも厨房とカウンターが丸々撤去され、その分だけ部屋を確保している。
オレはドールに連れられ、さらに奥の元喫煙者席である半面ガラス張りの部屋に通された。
「この子か?」
「ええ」
壁添いのソファを流用したベッドには、眠るように静まり返った少女の遺体が寝かされていた。
「死因は?」
「窒息です。布で顔を塞がれていました。不届者がこの子を略取しようとして、誤って殺してしまったと言っていました」
「ああ、表にあった凍死体は……」
ドールの逆鱗に触れた男達が、氷の彫像となって表に並べられていた。一様に逃げ惑うように手を前に伸ばした体勢で。
死因が窒息だったのは不幸中の幸いだろう。頭部へのダメージが少なく、出血も少ない。脳含め全身のダメージが少なければ、それほど蘇生がうまくいきやすい。
「この子の遺体は魔術で冷却し、損壊しないように保管していました。時流操作が使えればよかったのですが……」
「オレでも無理だよそんなん」
確かに時流を停止できれば、遺体の保管に冷却や人払いをかける必要もない。
しかし、時間に干渉する魔術を実用レベルで使えるのは、魔術局でもたった一人しかいない。そのたった一人すら、他の魔術の才能を全て擲って手に入れた秘奥だ。
「完全冷凍じゃないよな?」
「ええ。あなたに言われた通り、深部体温まで完全に操作しています」
「見事に全身が均一な温度に保たれてる。流石の技量だな……」
これなら、まだ希望はある。ドールによればこの少女は死後7時間が経過しているらしいが、神経発火を抑制できているならば、社会復帰が見込めるレベルまで回復できるかもしれない。
「それで、この子は……」
「見込みはある。絶対とは言えないけど……」
蘇生魔術はゲームの復活魔法やアイテムとは違うものだ。
死者蘇生。長年の人類の夢だった訳だが、オレはこの魔術に対して好意一辺倒の気分ではいられない。
「心肺機能を回復させたとしても、生前と同じように行くかは……」
「十分です」
ドールは全く表情に微差を作らず、出会った時からずっと同じ顔のままで言い切った。
「じゃあ、少し待ってくれ」
まずは身体の回復だ。五体満足であるほど蘇生の確率は高まる。
「右腕の分節骨折……」
まずは骨の位置を直し、三分された腕の骨を接合するところからだ。
そして、対象を骨のみに絞って一時的に活性化させ、骨芽細胞のはたらきによって自己治癒を促進し、接合する。
「よし……」
我ながら惚れ惚れする手際だ。骨はうまく接合した。歪んでいた腕の形が整っている。
「次は……」
次は内出血の回復だ。折れていた腕と、拉致犯に殴られたらしい腹部の打撲痕。
「あの、早く蘇生をかけないのですか」
「いいから、待ってろ」
「ですが……」
「適当に蘇生して社会復帰できるようなら、オレもそうしてる。頼むから今は……」
「……すみません」
出血や炎症の治療は、完全寛解に大きく貢献する要素だ。少しでも不自然な血流や血液循環の不順があると、心肺が再開した瞬間にかかる神経への負担が増大する。
ここを疎かにはできない。
「まずは……」
「止血ですか」
「いや、術式を敷く」
「術式?」
オレは予め術式を書いておいた魔法円を、少女の背中の下に敷いた。
「これでいい。服をめくってくれ」
「分かりました」
患部に手を当て、オレの魔力を流す。内部で破れている毛細血管を魔素流で無理やり動かし、押さえ付けて閉塞させる。
「今だ……!」
その間に、術式が血小板のみを選択し、
オナリモンのケージの下に敷いているものと同じ術式だ。これによって、血小板だけを効率的に集められる。
「イロ、汗がすごいですよ」
「悪いな……見苦しいと思うけど」
「拭きます」
「助かるよ」
目に入っては、魔力操作が難しくなる。ここは正念場だ。
「いいぞ……」
神経にも筋肉にも影響せず、かつ蘇生中の血流を阻害しない止血方法。オレに思い付くのはこの程度だ。
だが、自己治癒に任せることが、蘇生後の状態をどれだけよくするか。これは経験した者にしか分からない。
ただ心肺を生き返らせるだけの蘇生魔術に意味はない。神経を再開させるだけの蘇生魔術に意味はない。
自然に固着させられるのならば、魔術で止血するよりも、その後の血流に影響がない。だからこそのこの方法だ。
「ふう……」
解析をかけ、いい具合に患部が止血できていることを確認してから、オレは額の汗を白衣で拭こうとして、横から伸びてきたドールのハンカチに拭かれた。
「ドール、全身の体温を1度、いや2度上げてくれないか」
「直ちに」
「いや、ゆっくりだ。1度毎に30秒かけて、徐々に上げてくれ」
「分かりました」
蘇生後、血流の再開によって、体温の急激な変化が起きる。急激であればあるほど、神経系への負担が大きい。
だから、まずは2度まで下がった体温を少しだけ上昇させ、ゆっくりと生き返るための準備をするのだ。冷えて粘るようになった血液を溶かし、流れやすくする。
「次はどうするのですか」
「血を動かす」
「動かす……? 血流のことですか」
「いや……もっと微弱に」
通常の血流が始まると、細胞への酸素供給が過剰になる。呼吸は止まっているとはいえ、微量の酸素ですら、今はまだ通したくない。
「まだ、まだ早い……もう少し……」
解析にかけると、老廃物が少しずつ、1秒に小指の白い部分の幅ほどしか動かない緩慢な速度で。ゆっくりと流れ出したのが分かった。
細胞の〝均し〟はこれで十分だ。
「はぁ……はぁ……」
心臓の圧力に頼らない血流の操作、それも、全身の毛細血管に至るまでの速度を操作するには、集中力だけでは説明が付かない。
人間には絶対に到達できないほどのオレの魔力量でも、この段階操作は至難の業だ。
「イロ……平気ですか」
「汗拭いてくれ……目に入りそうなやつ」
「はい」
解析の魔術が既に高度かつ多量に魔力を消費する上に、まだこれは蘇生段階ではない。
前準備があと一つ残っている。呼吸を呼び戻し、心肺が自力で動くようにするまで、まだあと一つ。
だから蘇生魔術は、限られた一握りの魔術師にのみ許される奥義なのだ。
常人を遥かに凌駕する魔力量、蘇生後の神経負担までを考慮した適切な知識、そして、完全蘇生を可能とするだけの状態のよさ。
全て揃って、ようやく土俵に立てる。
「ここからだ……体温を少し上げてくれ。9度くらいのところまで」
「これもゆっくりですか」
「そう。少しずつ。次の工程が終わるまでの時間を使って、少しずつだ」
ドールの手が少女にかかり、その真白の肌から僅かに霜っぽい固さが薄れていく。
「よし、次は……心臓を震わせる」
「動かすのではなく、震わせるのですか」
「拍動を起こすとどっちみち不整脈になる。血管にもダメージが大きい。冷えてるからな」
心臓の細かな震えによって、やはり血液を動かすのだ。血流ではなく。
準備運動をしない急激なスプリントが、筋肉を過度に緊縮させ、こむら返りを起こすように、全身の機能は全て、徐々に慣らさなければならない。
「はぁっ……くそ……集中を切らすな……」
複温……つまり体温の回復は慎重にしなければならない。本来ならば血流などによって自然に任せたかったが、魔術で均一にしている以上、それも不可能だ。
「少しずつ、そう……少しずつ」
泡の立つような微弱な振動から、軽微な痙攣のように、少しずつ心臓が動き出す。心筋が感覚を取り戻すまで、根気強く、静かに……。
「ふぅ…………」
ここまではうまくいっている。人の命が、今完全にオレの手中にあり、その去就をも好きにできるのだ。
何と、重い……。
「イロ、次はどうするのですか」
「血流と呼吸を再開させる」
いよいよだ。ここからが本当に〝蘇生〟と呼べる段階に入る。
つまり現代医療に到達できないレベルの、完全な蘇生が始まる。活性酸素も、遊離基もない。電気的興奮の暴走も、運動麻痺もない。
本当の意味での〝蘇り〟。
「いくぞ……」
オレは少女の鼻から魔素を侵入させ、気道を介して肺まで到達させた。
「あ……」
少女の胸が膨らんだのを見て、ドールが思わず声を漏らした。
「……く」
そして収縮。一度膨れた胸がまた萎む。
「い、息を、息をしているのですか」
「違、う……まだだ。
魔素操作に使う集中力が並外れて大きいために、オレの額を流れる汗が実感できるほどに増えていく。
魔素の膨張による肺の膨張、そして収縮。内部で無理やり圧力を操作することで、横隔膜を停止させたまま、擬似的に呼吸を再現する。
「拍動も……ゆっくり……」
魔力で周辺の筋肉を圧迫し、本人の自然な鼓動を呼び覚ましていく。
「はっ、はぁっ……ふぅっ……!」
「イロ、これは……」
「気を、抜くなっ……! ゆっくり体温を上げろ……! 今度は、20度まで……!」
死戦期的な肺の微動が徐々に、電気刺激的な心臓の振動が拍動に変わっていく。
「こ、今度こそ息が……! あぁ……!」
「まだだっ! まだ……体温を、一定に……!」
ここで気を抜けば、中途半端に呼び戻した少女の肉体は、突然の起動に爆発的かつ不規則的な神経発火を繰り返し、最悪脳死する。
ここまでの煩雑な工程は全て、神経、ひいては脳のダメージをいかに抑えるかの話だった。
そして、それは最後までそうだ。
「いいか……! 突然神経が、動くと……目を覚まして、発作が起きたり、すぐ、また意識を、失う……!」
絶対に、何も、疎かにはできない。
「ですが、ここから何を……?」
「見てろ……」
ドールに体温の恒常を指示したまま、オレは少女の全身に染み渡らせた魔素を順番に退散させていった。
ここからが最も魔力を消費する。丸一日は魔素が枯渇し、それに伴って淫紋が暴走するだろう。
激しく性欲が増大し、明日は仕事にならないかもしれない。男性の体液から魔力を生成するために、しばらくフェロモンが異常に分泌され、まともに外に出れなくなるかもしれない。
それが何だというのか?
「いいか……今から、彼女を呼び、覚ます……!」
サキュバスは精神を操る魔族だ。
精神とは、乱暴に言えば膨大なニューロン接続のパターンと位相であり、神経発火の集まりだ。
究極まで魔術を極めたサキュバスの精神操作は、単に神経物質の増減を操る程度には留まらない。
「ふぅ…………」
つまり、神経同期を完璧に制御し、精神の連続性を、本人の自我を保つことも、オレにならできる。
「なんと……」
変換効率の悪い魔素から脱走し、分子が振動する様を再現しながら、互いにぶつかりあって励起する。
励起光のサイケデリックな緑は、魔術のイメージにそのままあてはまる。ここには人の身に起きる最大容積を遥かに超過した〝神秘〟があった。
「はぁっ……はぁっ……」
1度に多量の魔力を失った虚脱感で、オレの足が笑い始めた。
「つら……」
なけなしの魔力を奮って、少女の体に解析の魔術をかける。
正常だ。脈拍、血圧、中枢神経の動作、それ以外の臓器や末端神経のはたらきにも問題ない。
この少女は、数週間のリハビリで、普通の生活を取り戻せるはずだ。
「ぐっ……」
「イロッ……!」
過度の緊張から解き放たれた体は、今更直立という気分にもならないようで、オレは情けなくその場に崩れた。
「無事ですかッ」
「ああ……それより、その子……」
「あ…………」
今の声はドールのものではなかった。
声と呼ぶべきも怪しい小さな掠れ声が、少女の口から溢れ、その目がゆっくりと見開かれていく。
「こ、こ…………」
長時間の低体温、筋肉と血流の完全な活動停止によって、少女は呂律も回らない様子だった。
しかし、その目には確かに理性の光が宿り、また正常な自意識があった。
「ど、ぉ…………う」
ドールは、オレを支え起こそうとする体だけをこちらに向け、視線は少女のほうに釘付けになっていた。
「分かるのですか……私のことが」
「ど、うぅ……」
朝の低い陽射しが、丁度ガラス窓を斜めに刺す位置まで昇っていた。
そこにある光は特に抒情的でもポエティックでもなく、ただ見慣れただけの鬱陶しい目覚めの陽光でしかなかった。
「う、な……」
「ああっ…………」
それが誰の目に反射するかによることは、いくらオレにでも分かることだ。
ドールの目には、あの日オレが見た光と同じ色が映っていた。
「美しい……」
ドールは涙した。
彼女はオレの知らない何かに圧倒され、感動していた。
「ありがとうございました」
昼時前、見慣れた無表情に戻ってしまったドールが、やはり無表情のままオレの見送りに出てきていた。
「オレもドールには世話になってる」
彼女が腰に差すその刀、そこから発せられる極めて精密な低温操作が、遺体や被検体の状態をよく保ってくれるのだ。
遺体を暴くような行為でも、オレはやらなければならない。どんなことをしてでも〝彼〟を悪夢から救うために。
「あなたが羨ましい」
「え?」
「あなたはこの世に唯一か分からない、生死の因果に背く人です」
ドールは突然オレの両手を優しく包むと、その冷たい手で甲をさすり始めた。
「私には人を殺すしか能がありません。あなたには私にできないことができる」
「そんなこと……ドールがいなかったら、あの子は死んでた」
実際、その温度制御によって、あの孤児の少女を救うことができたのだ。ただ全身を冷却するだけでは、温度にムラが出る。
特に脳。神経の通う部分は発熱が大きく、それだけに腐敗も早い。しかも、腐敗しやすい位置こそが蘇生において最も欠損してはならないものであったりする。
「命を吹き返す。それは、自然の理法に反した大業です。時には自然よりも美しいものがこの世にはあると思いませんか」
「急になんだよ」
「例えば、最初の自然と言えるのは植物ではなく、むしろ嫌気性生物でしょう。植物を自然と見るならば、地表の代謝によって入れ替わる覇者の、すなわち人間こそが自然です」
「だから、急に何の話を……」
ドールはおもむろに、その腰に差した刀を引き抜いた。
〝浄剣〟
かつてその刀に、魔王と呼ばれ畏れられた一人の魔族さえ、一太刀に斬り殺された。
この世に6本ある、魔王を討ち滅ぼした聖なる刀のうちの一振りにして、未だ彼女以外を持ち主と認めない至高の剣。
「な、何のつもりだよ」
いくら天才のオレでも、あの〝浄剣〟を前にしてできることは少ない。あれに対抗できる力があるとすれば、同じく聖なる刀のいずれかだけだ。
突然心変わりを起こしたのか、刀を光らせ始めたドールから一歩距離を取りつつ、オレは白衣の内側に隠しておいた術式に手を伸ばした。
「いずれは、魔族が〝自然〟にとって代わることは分かっています。だからこそ、あなたは美しいのです。イロ」
「な、お前ッ――――!」
咄嗟に防御膜を張った瞬間、その防御の遥か頭上を飛び越えた斬撃が、白い吐息を漏らすようにして周囲を凍て付かせ、オレと孤児院を除くその場の全てを氷にした。
「え、あ…………」
直後、頭上からいくつかの人影が……氷の彫像が降ってきて、地面に激突するなり粉々に砕けていった。
黒い布袋で顔を隠した独特の黒装束。こいつらは間違いなく〝真人党〟の警らだ。
「あなたに歯向かうものは全て、これが末路です」
その刀に付着した血液すらも凍り、刀身から滑り落ちていく。
ドールはその血が地面に落ちて、冷たい粉と化すのを最後まで見届けてから、ようやく刀を納めた。
「あなたが〝自然〟の悉くを打ち負かすその日まで、あなたに降りかかる露は全て、私が
今日一番の冷たい笑顔で、ドールはとっくの昔に失った普通の温度を確かめるように、オレの頬をさすった。
「紛らわしいことすんなよ……」
怖いよ。あとちょっと重いよ。その心意気は嬉しいけどさ……。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
評価、感想、お気に入り、ここすき、誤字報告などしていただいた方もありがとうございました。みんなありがとね。
引き続き、本作を楽しんでいただけるように努めてまいります。