三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。   作:斉藤悠

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NUMBER SEVEN

 

 放送室のドアを勢いよく開ける。マイクの前に腰掛け、振り返る人影は……

 

「……伊勢先生」

「そんな……命を賭して、校舎に残ったのに……」

 

 伊勢先生は僕の顔を見るなり、肩を震わせた。涙を溜めたままキッと僕を睨むと、伊勢先生は低い声で言った。

 

「体育館に集まっていた全員……殺したのね」

「いえ……みんな、僕が探している人じゃなかったんです」

 

 そう、と伊勢先生は吐き出して、両手を膝の上でギュッと握った。担任の伊勢先生は二年目の古文の先生で、綺麗だし授業も面白いしで男女問わず人気があった。僕が三島さんのことを学校に連絡した時も、優しく声を掛けてくれたし……通夜で三島さんのお母さんから強い言葉を浴びせられた時も、間に入ろうとしてくれたような先生だ。

 僕だって、このまま先生を信じたかったのに。でも、それじゃ、いけないんだ。僕は伊勢先生を真っ直ぐ見つめて、口を開いた。

 

「全校生徒を体育館へ集める非常時の放送……この学校の先生生徒は、全員、どういう意味なのか知っています――僕も、含めて」

 

 伊勢先生は長い髪を振り乱し僕に縋り付いた。背もたれ付きの椅子がカラカラ……と転がっていく。

 

「あれは! 全校生徒を守ろうとして!」

「伊勢先生……あなたは、僕からみんなを守るためにここまで行動されたんですよね?」

 

 そうよ、と涙声で伊勢先生は叫んだ。

 

「僕が皆を殺そうとしていると思ったなら、あんな放送をしたらまるで……獲物を集めて誘ってるのと同じだ」

 

 伊勢先生は泣き顔を歪めて、俯いた。しばらく重たい沈黙が、放送室に満ちていた。エアコンの音だけが聞こえる。

 少し経って、やっと、伊勢先生は噛み締めていた唇を開いた。

 

「私たち肋骨はね、ついさっきまで……本物の私たちとして生きてきた認識があるの。それが、貴方の顔を見て、自らの役割を思い出させられた。どういうことか分かる?」

 

 僕はゆっくりと首を横に振った。もし、突然今まで生きてきた人生が作りものだと突きつけられたら。想像してみて、ゾッとする。でも僕の限られた想像よりも遥かに、絶望だろうな。分かるなんて言えるわけなかった。

 

「自分の人生を生きて来たはずだったのに、他人の贖罪に命を使われる――だったら、せめて! 死ぬ前に、少しくらいこの世界に仕返ししたいじゃない!」

 

 バン! と机を叩いたのは、もはや二年三組の担任ではなく、人生を踏みにじられた一人の女性だった。僕は目を閉じ軽く息を吸って、覚悟を決めた。

 

「体育館の鍵。外から閉めたのも……先生なんですね」

「だったら……何なのよ」

 

 先生は僕に詰め寄ると、僕の喉に手を掛けた。細い指が食い込む。絞められてる。

 

「皆に好かれる先生でいたかった! 結婚して、家庭を持って……!」

 

 自分も被弾する覚悟で弱電撃を撃つか迷って、やめた。ノートに、『合図もなしに僕からの書き込みが止まったら、弱電撃を撃ってくれ』と書き込んでから、遠くなりかける意識のまま描写を続ける。

 

「斉藤君。あなたの人生の中では、私は脇役だったんでしょうね」

 

 苦しいけど、伊勢先生と目を合わせようとした。でも、大粒の涙がこぼれる瞳に、僕は映らない。

 声に必死に耳を傾けようと試みた。

 

「こんな、まるで、パズルのピースみたいに、扱われて……」

 

 先生は、はっとした様子で驚いて手を離した。

 床の上でむせる僕に、先生はごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返した。しばらくして落ち着いた僕は、ノートに『もう大丈夫』とだけ書き込むと、床に伏して泣いている先生の背中をさすった。ブラウスは体温で暖かかった。

 

「自分の番を、少しでも遠ざけたかったの。今までの人生が、自分が、まがい物だと分かっていても……死にたくなかった」

 

 何も言わない僕を振り返って、伊勢先生はぎこちなく笑った。

 

「全校生徒を身代わりにして、教え子を手に掛けようとして……こんなの、教師失格、だよね」

 

 大粒の涙が、先生の目じりから零れる。先生の背中が震えているのが手のひらから伝わってくる。僕は目を伏して、答えた。

 

「……先生のやったことを裁く権利は、僕にはありません」

 

 少しの間、伊勢先生はきょとんとしてから、はつらつとよく通る声で笑った。

 

「斉藤君。あなたのおかげで、いろいろ……後悔とか、なくなっちゃった」

 

 するり、と薄ピンクのネイルの短い爪でたくし上げられた背中には、赤黒い肋骨が浮かんでいた。

 

「ありがとう。今度は……ちゃんと、役目。果たすから」

 

 コードをドアノブに掛けようとする先生を制する。

 

「せめて、僕にやらせてください。伊勢先生とちゃんと向き合いたいんです」

 

 「じゃあ、頼むわね」と微笑むと、先生は放送室のイスに腰掛けた。僕は、羽根ペンを動かそうとして止めた。

 

「すみません。最後に……三島さんがどこにいるか知ってますか。体育館に、いなくて」

「たぶん……図書室ね。最後なんだから好きなだけ読んできなさいって、伝えたから」

 

 そう言ってニコニコしている様子は、いつもの伊勢先生だった。「ありがとうございます」、と短く頭を下げる。

 

『人間って……難しいな』

 

 やり取りを書き伝えられていたライは、やり切れなさそうに剣を振るった。伊勢先生の身体は真っ二つになって、放送室は真っ赤に染まった。生暖かい血が、さっきまでさすっていた背中と同じ温度をしていた。目を閉じて、しばらく手を合わせる。やがて一本の肋骨が宙に浮かび消えていった。

 

『行こう。ユウ。最後の……一人だ』

 

 放送室をあとにした僕たちは、図書室に向かった。

 

 図書室は体育館とは正反対の、北側の離れにある。靴箱の横を通りながら、僕は宙に浮いたノートに書かれた文字を見返していた。

 

『ミシマは、俺がやる』

 

 ライは僕に気を遣ってくれてるみたいだった。でも、三島さんこそ、僕が一番向き合わなくちゃいけない相手なのに……そうは思いつつも、向き合える自信なんてなかった。しかもこんな血塗れのジャージで……なんならもう六人もこの手で、殺してる。どんな顔をして三島さんに会いに行けばいいのか、分からなかった。

 

 図書室のドアには、OPENと書かれた札が提がっている。

 

『いよいよだな』

『……大丈夫』

 

 自分に言い聞かせるようにノートに書き込んで、ドアを開けた。

 

 入口から対角の位置にある、一番奥の机。本で組まれた要塞の中に……彼女はいた。ページを手繰る白く細い指が、止まる。

 

 透き通るような白い肌。艶やかな黒い髪。

 三島さんは、僕を見て寂しそうに微笑んだ。

 

「斉藤くん」

 

 僕は図書館の入り口に立ち尽くした。

 近づけなかった。近づきたくなかった。

 のに、ゆっくりと、三島さんが近付いてくる。

 

「もう……わたしの番、なんだ」

「違う……」

 

 口が勝手に動いているような気がした。頭では、三島さんと向き合わなくちゃ、って分かってるのに。校内に、六本。不良三人と、正吾と、伊勢先生と……。体育館で、三島さん以外の全校生徒は肋骨じゃないって、分かってるんだ。だから。なのに。

 

「……違わないよ。わたしも、肋骨。ほら」

 

 セーラー服をたくし上げる三島さんの肋骨は、一本赤黒かった。僕は認めたくなくて目を逸らした。

 

「もう、困っちゃうな」

 

 三島さんは、眉尻をさげながらくすくす笑う。

 

「斉藤くん、進まなくちゃ」

「三島さんは!」

 

 思ってたより大きい声が出てしまって、手で口を抑える。もう一回空気を吸い込んで、口を開く。

 

「……三島さんは。怖くないの? 僕が何をしようとしているのか、知ってるの?」

 

 微笑んで頷く三島さんに、生暖かくぬかるんだジャージを引っ張って見せつける。

 

「見て……これ、血! 血なんだよ……!」

「斉藤くん、頑張ったんだね」

 

 僕は膝から崩れ落ちた。肋骨を殺して、戦って、疑って……ずっと精一杯僕なりにやってきた努力を、認めてもらえて嬉しかった。

 

「ほら、わたしも……頑張るから。ね、連れてって」

 

 三島さんはしゃがんで、僕と目線を合わせた。薄く微笑んだまま、僕の手を握って……細い三島さんの首に添わせる。三島さんの体温が、鼓動が手から伝わる。三島さんの脈は全く速くなく、むしろ不気味なほど落ち着いていた。黒く透き通った瞳は、僕を見ているようで見ていないような気すらしてきた。

 怖くなって、僕は三島さんの手を思い切り振り払ってしまった。ビタン! と床に手を打ちつけて、三島さんは驚いた表情をする。あ、あ、やってしまった。

 

「ごめん、僕、三島さんはずっと……好きな本、読んでて欲しいから……」

 

 僕は立ち上がって三島さんに手を差し出した。

 

「それで……! また、あの小説の続き、読んで欲しいから……!」

 

 三島さんは笑顔を綻ばせて僕の手を取った。

 はずだった。

 図書室に雷光が巡る。撃ち抜かれた三島さんは仰向けに倒れた。こんなの、あの日と、同じじゃないか。僕は吐きそうになりながら、ノートを手繰った。

 

『約束は果たしたぞ、ユウ』

 

 ライの書き込みに、僕はノートを引っ掴んで地面に叩きつけた。

 

『なんで! 頼んでない!』

『ミシマを殺すことが、今分かってる、確実な道なんだろ』

 

 ノートに拳を何度も叩きつけた。ライに届くわけ、ないのに。分かってる。

 

『三島さんを殺さない方法だって、あったかもしれないだろ!』

『お前はこのままじゃ進めない。お前だけじゃ、な。俺を恨め。呪え。それでいい』

 

 ライが僕のために悪役になろうとしてるのだって、分かってた。

 

『僕だって! これまでたくさん向き合って来たんだ! 出来ないって、決めつけるなよ! そんなの優しさでもなんでもないだろ!』

 

 僕の前で微笑んでいた三島さんが、まがい物だって、ニセモノだって、分かってた。

 

『そうだ。優しさとかじゃない。事実と、判断だ。トショシツに入ってから、お前からの情報共有が一切なかった』

 

 なにも、言い返せなかった。書き込もうとしていた手が止まる。

  

『お前がミシマに懐柔されてると考えた。一刻も早く、倒さないとお前が飲まれる……俺が、そう判断した。だから俺のせいだ。それだけだ』

 

 声にならない咆哮を上げながら、僕は頭を激しく床に叩きつけた。

 

『早く切り替えろ。殺さなきゃいけない肋骨は——あと五本だろ』

 

 防災無線の『七つの子』が聴こえてくる。外はいつの間にか夕暮れだった。長く射し込んでくる夕陽に、何人もの人影が映ったことに気がついて、驚いて顔をあげる。

 図書室の入り口で、この町の駐在さんが僕を見下ろしていた。機動隊がぞろぞろと小走りで図書室に駆け込み、いくつもの銃口が僕を取り囲む。

 

「え、あ……」

「17時07分。殺人の罪により、逮捕する」

 

 突然のことに呆気にとられているうちに、ガシャン、と手錠が掛けられる。何とかしなきゃ、と羽根ペンを動かす。

 

 ――何も起こらない。

 

 いつもは周りを浮いているはずのノートが、羽根ペンが、見当たらない。ガラスに映る僕の手首は、金色に輝いていた。この手錠もスーベニアみたいなものなんだろうか?

 

 ライの助けは、ない。

 雷光斬も、電撃も、使えない。

 

「ほら、早く来い」

 

 銃を突きつけられたまま、警棒で殴られて呻く。スーベニアのない僕は、ただの無力な子供だった。

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