【毎週日曜0時2分更新】三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。 作:斉藤悠
衝撃。鋭い痛みが背中を何度も貫く。ピンヒールで蹴られているみたいだ。
「早くあたしのために死ねよ! あたしの子供だろ!?」
母さんに抵抗する気すら起きない。頬から血がぽとりと滴る。死ねよ、という母さんの声が意識の中にずっと反響する。
『おい、返事しろよ! 何が起こってるんだよ!』
ノートが視界に入ってくる。目を逸らした。ライに返事をしても無駄なんだ。全部無駄。金色の羽根ペンは輝きを失ってほどけて消えた。もう僕は何かノートに書こうなんて思っていなかった。何も考えずに、背中を突き刺す痛みにひたすら耐え続ける。スカイブルーとレモンイエローの電撃がバチバチと周囲に展開される。
「ぎゃあっ!」
僕を蹴り続けていた母さんは尻もちをついた。たぶん、ライだ。僕が何も書き込まなくなったから、警戒しているんだろうと思った。全然、ありがたくもなんともなかった。なんでそんな余計なことをするんだろうとすら思った。
「誰に手上げてんのよ!? 最悪!」
悪態を吐く母さんを僕はぼんやりと見た。やっぱりだ。逆効果なんだ。小さい頃からこの人はそうだった。僕が少しでも逆らうような素振りを見せたら、この金切り声でまくし立てるんだ。僕は耳を塞いでうずくまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、」
悲しいとか辛いとかじゃなく、勝手に涙がこぼれる。ああこれも逆効果なのに。
「そればっかり……! あんたなんか、産みたくなかったの! やっぱり金取って堕ろしとけばよかったわ! いらないのに!」
いらないのに、というフレーズがまた僕の頭を埋めつくす。僕はいらないんだ。思考が固定された気がした。僕は羽根ペンを生み出してひっつかむ。
「なによそれ、気持ち悪い! まだ書いてたの?!」
ごめんなさい、ごめんなさい、と自動的に口が繰り返す。主人公が雷に撃たれる展開を書き込む。気持ち悪くてもダサくても、僕にはこの死に方しか思いつかないから。
『……信じるからな』
ノートに浮かぶ文字列が目に入る。
次の瞬間、光と鮮烈な痛みが僕を貫いた。声も出せなくなった母さんが床に伏せていた。
『生きてるか!?』
『おかげさまで……目が覚めたよ』
僕は痺れる身体を起こす。母さんの手の中で、僕を突き刺したピアスは焼け落ちていた。たぶん、さっきまで不自然なくらいの希死念慮に襲われていたのは、あのピアスが——心を犯すような作用をするスーベニアだったから、じゃないだろうか。この推理を羽根ペンに書かせると、『どうりでらしくねえなと思ってたんだ』とライからの返事が書き足された。母さんにも、向き合わなくちゃ。いつもと違って、一人じゃないんだ。
「そのピアス、母さんにとって人生で大切なものなんだね。毎日つけてたもんね。あー……父さんに貰ったんだっけ?」
母さんは僕を睨みつけ何かを言おうとしてむせた。
「でも、このノートも……母さんにとっては気持ち悪いかもしれないけど、そのピアスくらい、僕にとって大事なものなんだ」
僕は、四つん這いの姿勢からなんとか立ち上がると言った。
「謝ってよ」
「はあ!? 何であんたなんかに……」
僕は少しの間、口ごもる母さんを待った。母さんは目を逸らしたまま、ずっと何も言わなかった。まあ、そうだろうなと思った。この十七年間、ずっと僕を罵倒してきた母親に今更機会を与えたところで、謝罪なんかするわけないだろう。分かってたのに、どこか期待していたのかもしれない。少しくらいは謝ってくれるって心のどこかで思っていたのかもしれない。息を軽く吸って、僕は問いを投げかける。
「母さんはさ、なんで僕のこと育ててくれたの?」
予想外の質問に何も言えなくなっている母さんに、僕は説明した。
「母さんって僕に散々酷いこと言ってきたけど、暮らしてくうえで最低限のお金は入れてくれてたよね。一応、高校にも行かせてくれたし」
母さんは鼻で笑うと、吐き捨てた。
「あたしが殺したことになったら生きてけないじゃない」
母さんの言葉を書き伝えると、ノートの中で『クソ女にも程があるだろ』とライが舌打ちしていた。僕は次の言葉を待った。
「勝手に死んでくれたら楽なのに、ジメジメするだけでちっとも死にやしない。さっさと死になさいよ!」
母さんは僕が勝手に死んでくれたらラッキー、くらいの感じで今まで暴言を吐いてたんだ。僕がこの町から逃げ出したくなるのをずっとずっと、待ってたんだ。母さんも大変なのかな、とか薄ぼんやりと思っていた部分は完全にぶっ壊された。ここまで言われると、逆に笑えてきた。僕はこの人の望み通りに、まんまと死んだわけだ。三島さんを利用して、逃げたんだ。顔が真っ赤になる。悔しくて恥ずかしくて情けなかった。
「もう僕は死んでるよ」
「頭おかしいこと言わないでよ! ……触らないでよ!」
ヒステリックな声を上げる母さんの服を捲る。体表に赤黒い、肋骨が浮き上がっていた。母さんもスーベニアを持っていたから、たぶんそうだとは思っていたけど。
「気持ち悪い! 何するのよ!」
「母さん、多分わかってると思うけど……僕が天国に行くためには母さんが死なないといけないんだ」
母さんは大声で喚き叫び、動けない身体を出来る限りで動かして暴れた。
「なんで私が死ぬのよ! あんたが死になさいよ! 天国なんか行かせない、絶対に死んで」
「嫌だよ」
僕はべっと舌を出した。
「誰の息子だと思ってんのさ!」
母さんはふらつきながら立ち上がると、僕に殴りかかってきた。僕はかわしもせずに、受ける。口の中に広がる血の味を味わってから、殴り返した。中年女性と小柄とはいえ男子高校生の力の差は歴然で、母さんはすぐに床に尻もちをついた。
「調子乗ってんじゃないわよクソガキ!」
母さんは吠えると今度はピアスを復活させて、指に挟んだまま殴りかかってきた。死にかけても喉を狙ってくる毒蛇みたいだった。金色に輝くピアスに当たらないように身をかわしながら、殴り返す。
「こっちは素手なのに武器使ってんじゃねえよクソババア!」
僕が暴言を吐き返したことに驚いた母さんの顔に、モロに拳が入った。母さんは1メートルくらい吹っ飛ばされて、尻もちをついた。
「あんた、いつの間に、そんな……」
「母さんの英才教育のおかげだよ」
僕は羽根ペンに書き込ませる。
「嫌! 嫌! 悠がどんどん知らない人間になってく……私の、私の……」
「悪いけど! 母さんの都合のいい子供はもう卒業なんだ!」
『クソ、親子喧嘩に巻き込みやがって——!』
雷光斬。母さんの身体は二つに裂けた。生ぬるい返り血を被りながらも、僕は清々しい気分だった。浮かんで消えていく肋骨に、短く手を合わせてからあっかんべーをした。
『お前の母さん、凄まじかったな』
『小さい時からああなんだ。でも……スッキリした。言いたいこと、全部、初めて……言えたんだ……』
涙が勝手に溢れてくる。でも泣いてる場合じゃない。受付の机の上に置かれた腕時計は十時を指していた。残り一本……行かなきゃ。
受付を抜けて、三島さんの通夜の会場へと足を踏み入れた。