三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。   作:斉藤悠

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アダムの肋骨

 僕は息を深く吸うと、集中し始めた。正吾とやり合った時に編み出した、インプットとアウトプット全てにリソースを割く技。集中力が切れたら、もう一人のライに叩き斬られるだろうけど、使わないわけにはいかない。なにせ、僕が設定を盛りに盛って書いた剣士が目の前に実体化しているんだ。使ってやっと、五分五分だろう。

 

「何かやってるみたいだけど……やっぱ俺とお嬢さんの方が強いと思うぜ。先手やろうか?」

『——ありがたく、貰うことにするよ』

 

 電光石火、ライはもう一人のライに斬りかかった。連撃は正確にもう一人のライに繰り出される。もう一人のライは全て捌きながらも、口角を上げた。

 

「なんだよ、最初からそれを見せてくれよ」

 

 もう一人のライは身体を沈みこませると大きく跳躍し、宙返りをしながら僕に斬りかかる。ガギン! と鈍い金属の音とともに火花が飛び散り、もう一人のライは弾き返された。僕が指示するまでもなく、ライは相手の着地を狙って雷光斬を叩き込む。駐車場を転がって、右腿の辺りから血を流しながらもう一人のライはゆらりと立ち上がった。駐車場のライトが真上からもう一人のライを照らし下ろしていて、演劇のスポットライトみたいに見えた。

 

「足、狙ったんだろ? くそ、やるじゃねえかよ俺」

 

 血をアスファルトにぷっと吐き出して、もう一人のライは不敵に笑って剣を構え直し、駆け出した。スピードは落ちている。

 

『情報伝達に多少遅れはあるけど……向こうさんと違って一発も貰わずに継戦できるのは、デカいぜ』

『……その分、僕が貰ってるけどね』

 

 間一髪、袈裟斬りを躱しながらノートに軽口を叩いた。もう一人のライと、ノートの中のライが派手にエフェクトを飛ばしながら剣を交わす。

 

「すごいっ……すごいすごいっ……!」

 

 三島さんは瞳にライトブルーとレモンイエローをキラキラと映しながら、手を動かしている。こんなに楽しそうにしている三島さんを見るのは初めてだった。彼女が好きだった——溌剌とした冒険譚が、派手なバトルが、読まずとも目の前で繰り広げられているんだ。興奮だってするだろうな。

 

『おい、向こうさん……一撃一撃がっ、重くなってるっ、気がするんだけどっ』

「これっ……ヒュドラと戦ってたシーンの! 実際見ると迫力あって……どんどんいろんなこと、書きたくなる……っ」

 

 三島さんが嬉しそうに書き倒していくにつれ、もう一人のライの剣は輝いてスピードを増す。

 

『三島さん、この戦いを見て創作意欲が上がってるんだ。それに、図書室の本を読み尽くしてるような人だから……たくさんインプットしてる分、書く文章だって上手いんだと思う』

『書き手としてはミシマの方が一枚上、ってことか。ミシマをやるか?』

『それはしない。しちゃ、だめだ』

 

 輝く笑顔で書き倒している三島さん。彼女を狙えば、もう一人のライは力を大きく失うだろう。でも、生きたいと願った彼女と向き合わずに、肋骨として還せるだろうか。

 

『だったら頼むぜ。お前が書かなきゃ暴れらんない』

 

 そうは言っても、斬撃を払うのに精一杯なライと共にじりじりと後退する。鋭い痛みが脳に走る。そろそろ、限界が近い。

 三島さんは作中で一回しか使っていない技すらも拾ってもう一人のライに使わせている。こんなに読んでくれてたんだ。肩を剣が掠める。戦況はヤバいのに、嬉しくて頬が緩む。僕が書いたことを、僕が書けるよりも豊富な語彙と描写力で、あんなに楽しそうに書いてくれるなんて。

 僕も書かなきゃ。三島さんに……読んでもらわなきゃ。

 

「は、おい! 逃げんなよ!」

 

 僕は駐車場の中を走り出し、おばちゃんの血が残る軽トラに乗り込んだ。殴り書きのノートが視界に滑り込んでくる。

 

『何してんだよ! 集中切らしやがってこのクソ作者! ここまで来たのにまた逃げるなんて! 今までの戦いはなんだったんだよ!』

『書くんだ! ()()! 終わらせる!』

 

 挿しっぱなしのカギを回してエンジンを掛ける。どっちがアクセルだかブレーキだかわかんない。まごついているうちにもう一人のライが荷台に飛び乗ろうとしている。あ、えっと、サイドブレーキ掛かってた!

 急発進する軽トラは縁石にぶち当たりながら斎場を出る。ミラー越しに、もう一人のライが三島さんを抱えながら人とは思えない速度で走って追いかけてきているのを確認してハンドルを切った。トラックのラジオのツマミの横にある時計表示は、22:25になっている。まだ間に合う。海岸通りを突っ切って、南堤防の前で軽トラを斜めに停める。来い、来い、早く……トラックから降りながら、僕は海岸通りの方を睨んだ。すぐに猛スピードで走ってくる影が見える。僕は身を乗り出して叫んだ。

 

「こっちこっち!」

『バカ! 何してんだよ!』

 

 もう一人のライは声に気づいて、すぐに突進してきた。

 

「何考えてるんだ? 逃げたかと思ったら、場所をわざわざ知らせて……」

 

 柔らかな潮風が吹き抜ける、広大な太平洋。肋骨越しには満天の星空。もう一人のライはゆっくりと三島さんを下ろすと、南堤防を真っ直ぐに進んだ。

 

「なんだ、これ、全部……水?」

「海だよ」

 

 もう一人のライは辺りを何度も見渡して、堤防から身を乗り出して海面を見つめている。

 

「僕が書いてる小説は……君が、冒険の果てに海に行く話にしようと思ってたんだ」

 

 海を覗き込んでいたライは、ゆっくりと振り返った。

 

「俺は——雷に撃たれて、死ぬんじゃないのか」

 

 僕は自分のノートを取り出して、ページを捲って見せた。

 

「約束したんだ。もう一人の、このノートの中にいる君と」

「これが……俺の物語か」

 

 ライは目を細めて顔をノートにしばらく近づけてから、「何書いてるかは、分かんねえな」とつぶやいた。後ろから、パチパチと拍手の音が聞こえる。振り返ると三島さんが——ノートを投げ捨てて両手を千切れんばかりに叩き合わせていた。

 

「続き……考えてくれてたんだ……!」

 

 頷いてから、僕は三島さんにそっとノートを差し出した。

 

「もう、読めないって……思ってた、思ってたのに!」

 

 三島さんは両手で受け取ると、ぱらぱらと捲り始めた。塔の中で雷に撃たれて、ライと出会って。霧の間での死闘、塔からの脱出。そして、十二本の肋骨たち。

 

「斉藤くん、こんな……こんな思いまでして、わたしを……」

 

 長いまつ毛が縁取る両目は潤み、やがて大粒の涙をぼろぼろと溢れ出させた。もう一人のライはノートを後ろからじっと見ている。

 

「お嬢さん——俺は、この中で、どうなってるんだ」

 

 ノートにかじりつくようにして読んでいた三島さんは素早く振り返ると、息を軽く吸い込んでから早口で捲し立てる。

 

「斉藤くんの声だけを頼りに戦ってて、うまくコミュニケーションが取れたり取れなかったり、機転を効かせたり……すごく、すごくかっこよくて面白いよ!」

 

 あんなに待ち焦がれていた三島さんからの「かっこいい」より、三島さんがとても嬉しそうにページをめくってくれていることの方が嬉しかった。三島さんから僕に視線を移したライは、穏やかな表情をしていた。

 

「俺が生まれたのは……彼女を喜ばせる、ためだったのか」

 

 僕がそうだよ、と返事をすると、ライは揺れる海に映る月を見つめた。

 

「俺は何のために生まれて、どこに行くべきなのか……まさか、こんな形でネタバラシされるなんてな」

「ごめん」

「でも、結構悪くないぜ」

 

 ライはニカっと笑ってから、滑走路のように太平洋に伸びる南堤防を一瞬で駆けた。バシャン、と大きな水しぶきが上がって、浮かんできた金髪頭がぴゅ、と海水を吹いた。

 

「なんだよこれ! 塩っぱくて、ちょっと生臭い!」

 

 僕と三島さんは、予想外のライのリアクションに顔を見合わせて爆笑した。僕たちを見て笑っていたライは、堤防に掛けていた片手を離して、僕のノートを指さした。

 

「お前……書き切れよ。絶対に、その中の俺も、海に連れてけ」

「約束する」

 

 僕の回答にライは頷くと、静かに沖の方へと泳いでいった。轟音。遠く、点のようになったライに、レモンイエローとライトブルーの雷が落ちた。大きな一本の肋骨が空へ浮かんでいく。

 

「わたしもそろそろ還らないと」

 

 三島さんはノートを名残惜しそうに閉じて、僕に差し出した。

 

「斉藤くん。ありがとう……続き、書いてくれて、読ませてくれて」

 

 微笑む三島さんは、僕の手を握って自分の首に添わせた。三島さんの体温が、鼓動が手から伝わる。三島さんの脈はばくばくと早まっている。黒く透き通った瞳は、きらきらと星空と僕を映していた。僕は受け取ったノートを浮かせると、もう片方の手を三島さんの首に添えて絞めた。赤くなる顔、苦しそうに震える華奢な身体。気づいたら僕は動かなくなった三島さんを、抱きしめていた。するり、と僕の腕を抜けて、最後の肋骨が七番目の位置に収まっていく。防災無線から、いつもは朝に流れる『東浜津町 町歌』が流れはじめ、真昼みたいに辺りが明るくなる。

 それは天頂の肋骨が眩く輝いているからだと気づいた時には、僕は灰色の砂の上の大きな肋骨の下に戻っていた。トンネル状になっている肋骨の狭い方の出口は、そこだけ切り取って貼り付けたみたいに風に揺れる草原が見える。あれが、『涯て』なんだろうか。僕は三島さんの感触を思い出しながら、砂漠の上に横たわった。今になって頭が痛い。色んな人の死が……全部、僕が、殺した。細長く息を吐く。しばらく、動けそうになかった。

 

『しっかりしろよ! あんな思いまでして、全部還したんだろ!』

 

 視界を遮るように広げられたノートにライからの激励が書きこまれていた。僕は、大して怪我をしているわけでもないのに、最後の絆創膏のフィルムをはがした。三島さんの声が聞きたかった。そっと手の甲に貼る。

 

 ——斉藤くん、だめ……!

 ——『涯て』に来ちゃ、だめ……!

 

 僕は驚いてすぐに起き上がった。肋骨の向こうの草原は、穏やかに揺れている。ライに慌てて書き伝える。

 

 『だったら、どこに行くってんだよ。このままこの砂漠で寝っ転がってんのか?』

 

 行くしか、ない。僕は意を決して、草原に足を踏み入れた。

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