三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。 作:斉藤悠
欠ける月ワンダーランド
さらさらと月明かりの草原が揺れる。草いきれの匂いを深く吸い込む。エアコンをつけずに扇風機で寝られるかな、くらいの気温だった。踏みしめた足の指に、くすぐったい細い葉の感触がする。正吾からもらったボロいスニーカーは、いつの間にか片側十二本の肋骨を左右六本ずつに分けて足の甲を覆うサンダルになっていた。
「斉藤くん!」
振り返ると、くぐってきたはずの肋骨のトンネルはなく、小高い丘の上で手を振る影があった。
「三島さん!?」
僕はまっすぐに駆けだした。草の奥の土は程よく柔らかくて一歩一歩が心地よかった。満月の下で、あの日のセーラー服のままで、笑いながらこちらに手を振る三島さんが、はっきりと見えて、すぐに涙でにじんだ。
「三島さん、ごめん、遅くなって!」
「ううん。斉藤くんが元気そうでよかった」
長い絹のような髪を揺らして微笑む三島さんの、白い腕や頬、首筋——身体中に何枚もの花柄の絆創膏が貼られていた。
「僕の代わりに、受けてた罰は……」
「おしまい。斉藤くんが、すぐ、終わらせてくれたから、平気」
三島さんの絆創膏は、貼れば、胴体から腕が外れてようが回復させてしまうようなスーベニアだ。それが何枚も……何度も身体が八つ裂きにでもされるような厳しい罰だったんだろう。三島さんは僕に気を遣ってくれているのか、罰については微笑むだけでこれ以上教えてくれなかった。三島さんは丘の向こうを指さした。大きな川が横たわっていて、対岸にはきらきらと暖かい町明かりが見える。
「斉藤くんも行こう! 『涯て』を案内してあげる!」
僕は三島さんが差し出したしなやかな手を取ることは出来なかった。手の甲に貼ったばかりの花柄の絆創膏を撫でる。三島さんの声で、はっきりと聞こえたあの警告を無視していいのだろうか。
「斉藤くん?」
僕の顔を覗き込む三島さんの瞳は月明かりを映して、綺麗だった。僕たちに割り込むようにしてノートが滑り込む。
『絆創膏のこと……ご本人に聞かなくていいのかよ』
「わぁ! これ、斉藤くんの小説ノート……!」
三島さんはノートを掴むと、一番新しいページをすぐに読んだ。少し、意外だなと思った。三島さん、本は絶対に順番に読むから。
「絆創膏? 案内人さんに渡したやつかな」
「三枚とも、すごく助かったよ。ありがとう」
役に立ったみたいでよかった、とにこにこ笑う三島さんに僕は切り出した。
「貼ったときに、三島さんの声聞こえたんだ。『涯て』に来るなって」
三島さんは数秒間きょとんとしてから、「斉藤くん、疲れで幻覚でも見えてたんじゃないかな」と苦笑いした。
『『涯て』に……行くしかないけど、なんか変だぜ。ちょっと様子を見「すごーい! 文字が浮かび上がってくる!」
三島さんの手から飛び出したノートは僕の目の前から取り上げられて、再び目をキラキラさせた三島さんの手の中に収まった。勝手に続きが書かれ続ける魔法のノートだ。三島さんとしては大興奮だろう。
「ねえ、『涯て』に行くまでの道で読んじゃっていい?」
あまりにも嬉しそうな三島さんに、僕は頷くしかなかった。僕たちは緩やかな丘を下って、ゆっくりと流れる川の前に来た。
「この川を越えると、『涯て』だよ!」
川岸に転がる石は角が取れていて丸く、月光を浴びて白く輝いていた。ガラスのように透き通る川の流れに、円い月が浮かんでいる。ジャージの裾を引っ張る三島さんの足元は透けていた。
「三島さん、足……」
「斉藤くんの罰を受けてる時に……持ってかれちゃった。絆創膏でも戻せなくて」
三島さんはにこにこと笑っているけれど、どんな酷い目にあったんだろうかと思うと僕はやりきれなかった。
「だから、わたしを背負ってほしいの。この足じゃ……川を渡れないから」
川を渡ったら、『涯て』だ。三島さんを連れて行ってあげたい。でも、三島さんの声は『涯て』に来るなって言ってた。ライと相談したいけど……三島さんは嬉しそうにノートを捲っている。三島さんの身体に貼られた絆創膏や、透けてもう戻らないという足が僕の胸を締めつける。
「三島さん」
僕はしゃがんで三島さんに背中を差し出した。幻聴に惑わされて三島さんを疑う自分が嫌だったんだ。
「斉藤くん、ありがとう……!」
三島さんは僕の肩に腕を掛ける。少し甘い匂いと柔らかな感触が背中から伝わってくる。
「ご、ごめん、あの、脚に、手、掛ける、けど……」
「気にしなくていいのに」
たぶん耳まで真っ赤になっている僕は、三島さんに促されるまま太ももに手をかけた。恥ずかしさを流したくて、透明な河に足をつける。肋骨のサンダルは着水すると金色に輝いた。反射して浮かぶ満月を蹴散らしながら膝ほどの深さの河を渡る。柔らかな水の流れは足の指をくすぐって、僕を確かめてるみたいだと思った。しばらく歩くと水面は足首を下回り、水滴がぽたぽたと足の甲に落ちた。渡りきった僕は、そっと三島さんを下ろした。
「斉藤くん、ありがとう」
見上げる三島さんは微笑んでから、街明かりに向かって走り出した。
「行こ!」
僕は三島さんを追いかけるように走った。どこか知らない国の祭りのような何拍子か分からないのに何故かノレる音楽が聴こえてくる。暖色の灯りに彩られた白い街は、来たことがないはずなのになぜか懐かしい感じがした。麻のような質感の白く長い布を纏った人々が行き交う街角は、屋台が出ている。三島さんと僕が近づくと、屋台の中から八十代くらいの日本人らしき見た目のおばあさんが笑顔で何かを串にさして焼いたものを差し出した。
「すみません、僕たちお代を持っていないので……」
断ろうとすると、おばあさんはウインクした。
「ここではお代なんかないよ。私は焼いて振る舞いたいからそうしてるだけ!」
お礼を言って串をかじる。カリッといい音がして、噛み締めると中から、何かの魚だろうか、旨味のある汁が出てきて、何かは分からないけど美味しかった。
バン! と爆発音が空から聴こえる。花火だった。そっと三島さんが僕の手をとる。街を真っ直ぐ抜けると白い砂浜があって、何人かの先客が座ったり寝転んだりしながら花火を見上げている。僕たちもそれに習って白い砂に身体を預けた。塔の周りにあった灰色の砂とは違う、丸くて透き通った砂粒だった。星空には花火が咲いていて、潮の香りが心地よくて、三島さんの体温があって……僕はようやく肩の力を抜くことができた。さざ波の音に揺られながら、三島さんとしばらく花火を眺めていた。
「——『喰らえ』」
聞き覚えのある、掠れているのによく通るあの声が砂浜に響く。海水と混じり流動する砂は、白いワニの口のようになって、横で寝転んでいた三島さんを食った。
「三島さんッ!」
白い砂は、周りで寝転んでいた人々を次々と飲み込んでいく。花火の音を悲鳴が覆う。僕は半分ヤケクソになりながら走り出した。まただ。いつもこうだ。なんで目の前に三島さんがいるのに……また、目の前で、三島さんを……。砂からノートが抜け出して僕を追ってくる。凹んでる場合じゃないんだ。僕は自分を奮い立たせてすぐに羽根ペンを呼び出して状況を書かせながら振り返った。
「……っはは、ずいぶん久しぶりじゃないか」
「ウィズ……? なんで……」
海上に海と砂が混じったものが盛り上がり、満月を半分隠すように、ウィズがいた。ウィズの長いローブは海と砂と一体化していて、海面まで続いているように見えた。
「なんでって、お前が連れてきてくれたんじゃないか」
「どういうこと!? ウィズは『淵』に行けって言ったのに、僕は肋骨を選んだ……でも、それでも背中を押してくれたんじゃないの!?」
ウィズは口を横に広げ歯を見せるように笑った。
「バカだな、お前。『涯て』に入れりゃ何でもいいんだよ。お前みたいな弱いやつでも確実に『涯て』に辿り着ける方法をオススメしてたってだけ」
「でもウィズは! 砂の粒を弔ってたんだ、あんなに丁寧に……」
おかしくてたまらないと言わんばかりに大口を開けて笑い始めるウィズは、僕を軽蔑の目で見下ろしていた。
「あんなのただのパフォーマンスだよ——『喰らえ』」
僕が肋骨を選んだときの、あの哀しげな表情も、嘘だったんだろうか。危険な最短ルートを選んだ僕を、悩み迷いながら最後は後押ししてくれたウィズが、嘘だったんだろうか。ワニの口のようになった白い砂は真っ直ぐに僕を狙ってきた。僕は集中してすぐさま羽根ペンに書き込ませる。
『——雷光斬!』
『ダメだ、効いてない!』
斬った跡は瞬く間に砂で復元されてしまう。全速力で走ってるけど、何度も踵が捕まりかけている。なんとかしなきゃと考えながら走っていると、急に世界が反転した。ああくそ、転んだ。こんな時に。
迫る砂は大口を開いて、僕を飲み込みかけて……崩れた。
「チッ、気色悪ぃ……」
ウィズの大きな舌打ちとともに、ステッキを構えたツギハギの燕尾服が見える。
「お久しぶりです♡ レオンちゃん参上〜っ☆」
ぬおー8万字!!!!!!尺内で全部回収できるか不安だけどやるしかない!!!!!がんばります!!!!!!!