三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。 作:斉藤悠
頭がガンガンする。
何だっけ、これ。暗闇。
何かを考えようとして、溶ける。
「アハハ! あっけな〜い♡」
知らない景色、知らない人、廻る廻る。
これ、走馬灯なんだっけ。
「メンタル弱ぁ〜、溶けかけちゃって♡ もう絶望しかけぇ?」
なんだっけ?
なんなんだっけ。
——『来い』……クソッ……『溶けるな』……
こんなに綺麗なのに、なんでこんなにざわめくんだろう。
なにか忘れてるけど、それがなんなのか分からない。
ぼやけていく。霞んで。
——……きろ……
——起きろ!
「っ!」
むせる。カビっぽい臭い。
「……起きたか、サイトウユウ」
ざらついた声に顔を上げると、大きな壁画の中からフードを被った男が僕を見下ろしていた。オレンジ色の光源が揺らめく。ロウソクだ。黒い檻のような窓枠。僕はこの場所に見覚えがあった。たしか、レオンが僕にスーベニアを手渡した場所だ。
「ウィズ? ここは……」
「あえて魂を意志のある状態に固定し絶望させ消化するための場所だ。フクロウとかでいう、
「……詳しいね」
僕は絵の中で話すウィズが、レオンの支配下なのか判断しかねていた。訝しむ僕に特に反応せず、絵の中のウィズは続けた。
「胃袋の中に、砂嚢を模倣して作ってやった。手持ちのわずかな砂でな。これで俺とお前の意志をなんとか固定してるって寸法だ」
「正吾は?」
「お前の友達か」
壁画の中のウィズは少しの間俯いてから、すまない、と呟いた。
「匿う前に、本物のやつの砂嚢に送り込まれた。間に合わなかった」
ピシリ、と音がして、ウィズの壁画に小さな亀裂が入った。
「ここも、長くない。あいつに使われないように、声の力を相当捨てた。あの女を止めるどころか食われて、利用されて……申し訳ない」
「僕が選んだ結果だ。ウィズがあんなに止めてたのに。むしろ、ウィズを巻き込んだのは僕なんだ」
ノートを呼び出す。
「待て! 書くな!」
ウィズが慌てた様子で制止する。くるりと回って開いたページの上で、書いた覚えのない僕の字がライとやりとりを始めていた。
『ライ!』
『ユウか!?』
「なにこれ、僕書いてない……」
たじろぐ僕に、ウィズは少し躊躇ってから口を開いた。
「お前の土産モン、あの女が使おうとしてる。たぶん、俺が匿ったことでお前の反応が消えて、あの女はお前を消化できたと判断したんだろう」
レオンが僕の筆跡を真似てライを自分の支配下に置こうとしている、ということか。
「だから、書くな。今お前が土産モンを使えることがバレたら、レオンはここの存在に気づくだろう」
僕は書き込もうとしていた金色の羽根ペンを、付箋に戻した。へたりと座り込む。くそ。じゃあ、どうすればいいんだ。このままじゃ、ライは何も知らないままレオンに……。ライだけになにか無事を知らせる方法はないだろうか。僕はノートを見つめながら頭を振り絞った。
『今やばいんだって! 助けてよ!』
レオンは僕の筆跡を実に上手に真似ていた。悔しいけど、器用な奴だ。一拍置いてから、ライのセリフが書きこまれる。
『助けてよ? って?』
『そうだよ!』と慌てたような僕の筆跡に、すぐさまライはノートの中で天に向かって叫んだ。
『下手くそ!』
『待ってよ! レオンに食われたんだ、僕! 今、ライしか頼れないんだってば!』
取り繕う僕の筆跡に、ところどころ下線が引かれる。ライが訝しんでいるようだった。
『お前、レオンだろ?』
『何言ってんの!?』
ライはニヤリと笑ってから一言、吐き捨てた。
『ユウは助けてなんて、言わない』
じわりと胸の中が熱くなる。溢れてきた涙がノートに落ちないように拭いながら、僕は文字を追う。
『どうしてもお前がユウだってんなら、こういうのはどうだ?』
ノートの中で天に剣を突き立てたライは、深く息を吸い込むと、雷を呼んだ。轟音。牢獄のような黒い窓枠の外に、稲妻が光る。ライの装備は焦げ、ところどころ燃えている。
『ユウは我慢比べが得意なんだ。なあ、お前はどうなんだ?』
『や、やめてよ! 痛いって! 全身燃えてる!』
『なんでだ? レオンの腹ン中だったら、レオンにこの雷が当たってるだろ。やっぱり、お前はユウじゃない』
ライは頷いて、何度も何度も雷を呼んだ。繰り返し繰り返し。窓枠の外が何度も点滅する。みるみるうちにライは弱っていった。
「ライ、そんな! いくらなんでも……」
「ノートの所持者に攻撃するには、そうするしかないだろうな。お前の土産モンの性質として……」
何度も石畳を拳で打った。冷たくて、硬くて、ヒビすら入らない。何も出来ない自分が悔しくて情けなかった。
「サイトウユウ、頼む」
ウィズの声が降りかかる。
「正直、お前だけが、頼みの綱なんだ。俺はここをあと少しの間維持するので精一杯だ」
「でも、どうしろってんだよ……ライもいないのに、僕は……」
顔を上げると、ウィズが深く頭を下げていた。短く息を吐いて、僕は腹を括った。
「なんとかする。だから、ウィズ、ここをちょっとでも持たせて。考える時間が欲しい」
僕はノートからうさぎの付箋を剥がして、ろうそくの灯りに透かす。三島さんの少し丸い文字で「続き待ってるね」と書かれている。書けるもんならいくらでも書いたのに。付箋は僕の悔しい気持ちに反応したのか、金色の羽根ペンに変わる。どこにも書けないのに。そうか、紙の代わりになるものがあったら、もしかしたらできることがあるかもしれない。僕は羽根ペンを掴むと、あたりを歩き回った。さすがに、紙のようなものはない。ふと、ウィズの壁画が目に付く。落書きするのは気が引けるけど、書けるとしたらあそこしかないだろう。
羽根ペンを持って近づくと、羊皮紙の巻物が僕の目の前に現れた。
「うわ!?」
中はアルファベットのようなギリシャ文字のような、読めない文字がインクでぎっしり書かれていた。
「お前、それ、なんで……」
見上げると、壁画の中のウィズが地面に手をついてうろたえていた。
「これはウィズのなの?」
「——俺がまだ生きてたころの日記だ。なんで、持ってる、どこから……」
右手の中で、金色の羽根ペンが応えるように輝いた。
「もしかして、スーベニアはノートじゃなくて
どういうことだ、とまだ理解が追い付かないウィズを見上げて、僕は問いかける。
「ねえ、ウィズ、ここに書き込んでいい?」
「好きにしろ。でも、何を書くつもりだ」
「いろいろ試すしかない。ごめん、実験する」
好きにしろ、とウィズの返事を聞いて、僕は羽根ペンを動かした。
ライの物語の続き。ダメだった。書いた端から文字が薄くなって消える。
「俺の日記はお前の小説じゃないぞ」
半分呆れたようにウィズがぼやく。そりゃそうだ。でも、読めない日記の続きって、どう書いたらいいんだ。読んだこともない小説の続きを書かされるみたいなもんじゃないか。とりあえず本人に聞いてみるしかなさそうだ。
「ウィズって、生前どうだったの?」
「悪いが、覚えてない。就くときに記憶を捨てるんだ、この職務は。そうじゃないと、雑念が入って弔えやしない」
僕は羊皮紙の前に座り込んだ。書く場所はあるのに、書けるものがない。砂がパラパラと降ってくる。ウィズの壁画の端の方がほどけ始めていた。羊皮紙の巻物も、呼応するかのように端が破れてぼろぼろになり始める。
「ウィズ!」
「構うな。なんでもいい、書いてみろ。多分それは、俺の魂の形代みたいなもんなんだろう」
僕の知っているウィズは。
声で砂を操って塔を建てる。
罪を償う魂を試すんだ。
導くか、弔うか、見定める、『魔法使い』。
すらすらと金色の羽根ペンは動く。僕は目を閉じて、あの歌を思い出していた。
民族音楽のような、聴いたことのない独特な旋律。
何語かは分からないけど、ロックバンドのボーカルみたいな荒々しさの奥に、悲しみと祈りが垣間見えるような、不思議な歌。踊るように、羽ばたくように、幾何学模様を宙に描きながら、風に逆らって流れていく砂。キラキラと砂粒に乱反射する太陽の光。息を呑むほど、綺麗な『葬列』——
——聴こえる。
僕は驚いて目を開けた。暗闇。身体の周りをキラキラした砂粒が舞っている。
「随分と世話になったな」
ウィズの声がどこからか聞こえる。左右を見渡しても、なにも見えない。
「なんで!? レオンちゃんごっくんしましたよねえ!?」
「借りは返させてもらう……『襲え』」
振動。ウィズがレオンと戦っている? 手に掴んだままの金色の羽根ペンを見つめる。
なにが起こったのかは、分からない。でもやるべきことは分かってる。
羽根ペンを握りしめて、ただ、書きたいと願った。