三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。 作:斉藤悠
ウィズが作った砂嚢から投げ出された僕は、宇宙に包まれていた。
帳簿。図鑑。教科書。巻物。メモ帳。ルーズリーフ。絵本。ファイル。和綴じの本。
暗闇の中に無数に浮かぶ、冊子。冊子。圧巻だった。一つ一つの星が物語でできている、天の川。そしておそらく、この一つ一つが、レオンに食われた、人生なんだ。僕は近くに流れてきた絵本を捕まえる。何度も開かれたのか、背表紙には筋が入っているものの、状態がよく、大切に読まれてきた本なんだろうと思った。かすれて溶けた文字は読めないけど、十匹のテディベアが女の子と冒険をする話であることが絵だけでなんとなく分かった。そっと閉じる。続きは書けそうになかった。
三島さんや正吾の本が見つかれば、二人を助け出せるかもしれない。あてもなく僕は本の中を泳いだ。前も後ろも右も左も上も下も、分からなくなりそうだった。深海とか宇宙とか、行ったらこんな感じなんだろうなって思った。ライに伝えたかった。ノートを開いたまま、やめる。ノートの中ではライがまだ自分に雷を落としていた。レオンの高笑いが降ってくる。
「——『穿て』『隠せ』——『縛れ』『運べ』」
「アハハ! どんなにやってもムダムダ♡ この絆創膏何枚もあるんですから♡」
ライの雷やウィズの攻撃で与えた傷が、三島さんの絆創膏で全部回復されていく。ほのかに、右奥の方で金色の光が瞬く。
「……これでお前が茶番を見せたかった観衆はもういない。お前は英雄にはなれない」
攻撃しながら——たぶん『運べ』や『隠せ』で、ウィズが街の人を避難させてくれたみたいだ。
「『涯て』に災厄を持ち込んだ原因はワタクシが倒しましたし、ちゃあんと皆さん見てましたから♡」
「へえ、英雄ってのはこんなにしつこく暴れるモンなのかよ」
交通事故でもあったのか、というくらい激しい衝撃音が響く。ウィズの笑い声が聞こえる。
「穴の開いた器にいくら注いでも無駄だって、自分でも分かってんじゃないのか?」
「——
隣を浮いていた雪の結晶図鑑が金色に輝いた。ウィズの声どころか、一切の音が消える。レオンの楽しそうな笑い声だけが聞こえる。
「あらら~何もできませんねぇ♡ 斉藤クンにも同じ手使われたの覚えてないんですね♡ せっかく悪役をあげようと思ったのに、あ~んな雑魚にやられちゃって☆ 所詮『魔法使い』は声だけの雑魚♡ はい、
さっき開いて見ていた絵本が輝いた。今ので、分かった。多分、レオンがスーベニアを使うと、持ち主の魂の形代である本が反応して輝くんだ。だとしたら、さっきレオンが回復した時に遠くで輝いたのは……僕はまっすぐ泳ぎ始めた。並走するように着いてくる自分のノートに、見覚えのある筆跡が浮かんだ。
『雷の! 貴様、気でも触れたか!?』
罫線をはみ出すような筆跡。フェニックスだ。一瞬ライにとどめを刺しに来たのかと気が気ではなかったけど、ライのことをすっかり気に入ったらしい聖獣は、襲うでもなくただ心配していた。胸をなでおろしながらノートの中の文字を見守る。
『見て、分かんねえかよ。こうするしかない』
血の塊を吐き出すライは、もはやほとんど動けない身体で笑った。痛々しくて見てられないけど、目を逸らしたくなかった。
『馬鹿者! 霊薬なんかいくらでもくれてやる、だから——』
慌てた様子の聖獣を、噎せながらライは遮った。
『霊薬は、ダメだ』
『何を言っている!?』
取り乱すフェニックスに、ライは懇願した。
『俺は今、霊薬なんかより、お前の炎がほしい』
『貴様やはり狂ったか!? 狂った者などに興味などないわ!』
『俺と傷を共有している敵と戦っているんだ。俺の雷だけじゃ、あいつを倒すには多分足りない。だから、力を貸してくれ』
「ライサン、限界そうですね~……無駄なことしてないでレオンちゃんに操られてくれたらいいのに♡ あ、書かないと聞こえないんでした☆」
レオンは知らないんだろうけど、フェニックスの炎は触れたものをすべて灰にして、霊薬でしかその傷を癒せない設定の炎だ。ライは多分、それを分かっていてフェニックスに頼んでるんだ。僕は思わず叫びそうになって、レオンの腹の中であることを思い出してこらえた。泳いでいた身体が硬直する。意識が遠くなりかけて、自分の手の甲を思い切りつねった。今ここで、絶望して、溶けたら、ライがしてくれてることは無駄になる。ウィズが力を捨ててまで匿ってくれたことが無駄になる。歯を食いしばりながら、僕はバタ足を早くする。
『彼奴か!? 余と貴様の戦闘に水を差した小僧か!?』
『違う。あいつは敵に食われた。だから俺自身に攻撃する必要がある』
ライはどこまでも冷静だった。僕が、僕がかっこいいと思って書いた主人公そのものだった。ああ、あんな小賢しい、あんな賭けにでなければ。しくじらなければ。でも、もう遅い。だから、今できることを……できるだけ早く、やらなくちゃ。
『貴様、真っ直ぐな目で、頓智気なことを言いおって……余がやっと、やっと見つけた猛者なのに……』
『聖獣サマ、早くしてくれよ。そんなだから、俺なんかに、負けるんだろ』
『黙れ! こんな人間くらい、焼いたとて……ああ、そうとも、一向に構わんのだ! 望み通り灰にしてやる!』
フェニックスは悔しそうに炎を吐いた。
「きゃー熱い熱い☆ でもこんなの、絆創膏で……」
さっきよりも近い位置で金色の光が瞬く。きっと三島さんの本だ。
「な、これ、貼る位置とかあるんですかねぇ、あれ、あれ……」
何回も何回も同じ場所で金色に輝く。SOSの信号みたいだった。どうも、慌てて何枚も絆創膏を貼りまくっているらしい。絆創膏でも治せない傷をようやく、レオンに与えることができた。でも、その傷はライにも刻まれているはずで。
『雷の。もう、よいか』
『ねえライ! 僕、助かったよ! 今ので倒したんだ! 早く霊薬を使って!』
フェニックスの癖のある字は罫線の中に収まるほど、小さくなっていた。その次の行には、僕の筆跡を真似たレオンの字が書きこまれている。今のは効いたんだろう。ライを騙して霊薬を使わせようとしている。
『……もっとだ。もっと』
『人間の言うことなど聞くか!』
『下手くそ! お前の炎、足りてねえっつってんだろ!』
丸焦げになりながら叫ぶライが地の文で描写される。
「主人公サマ、ほんっと~にムカつく♡ レオンちゃんの見せ場なのになんで奪いに来るんですか? せっかく使ってあげようと思ったのに、アドリブばっかやめてもらえますか? そういう見苦しいの、求めてないんですケド」
レオンの声色がどんどん曇っていく。
「レオンちゃん気づいちゃったんですけど、『小説』って面白い『嘘』じゃないですか」
金色の光が左の方で瞬いた。何かのスーベニアを使うつもりだ。
「『嘘』って悪いコト……ですよねえ! アハハ! 寺田クン! サイッコ~♡」
ズシャ、と鈍い音と、レオンの笑い声が響く。正吾の竹刀? 何に使ったんだ、まさか……
ノートに目をやると、罫線だけが広がっていた。捲る。捲る。ない、ない。どこにも、なにも、書かれていない、白紙。ない。
「完璧です♡ レオンちゃんかしこ~い♡」
意識が遠くなりかける。だめだ。でも。呼吸が浅くなる。全身から汗が噴き出す。ライが、ライが……作中で死ぬどころか、消されてしまうなんて。ライがいなかったら僕は、肋骨どころか、塔の中でさっさと砂になっていただろう。レオンにバレてでも書けばよかったのか? もう何が正解なのかわからない。それも、よりによって正吾のスーベニアで……。気分は最悪だった。肋骨の正吾と戦ったときも、ノートを斬られたけどあの時は何もなかったじゃないか。くそ、くそ。でも、もしかしたら、あれは、正吾が僕の小説を『嘘』なんかじゃなくて、それなりのリスペクトを持って読んでくれていたからだったんだろうか。
僕は進路を左に変えて、泳ぎ始めた。やがて青いノートが近づいてくる。見覚えしかない、テスト前に正吾から借りた、数Bのノートだった。正吾の角ばった几帳面な字で、びっちり書き込まれている。僕は羽根ペンを動かした。ウィズと比べて、正吾は書けることが多すぎた。どこから書くか迷って、結局全部書くことにした。剣道をやっていること、生真面目で嘘が下手くそなこと。口数は少ないけど面倒見がいいこと……少し迷ってから、それでも逃げちゃだめだと思って、僕を助けようとして離岸流に流されたこと、三島さんのことが好きなことを書いた。あいつならきっと、事実なんだから書け、そういうような気がしたから。青い数Bのノートはみるみるうちに激しく輝いて、消滅した。
「グエッ!?」
レオンの間抜けな声が響いた。
「ハア!? 寺田クンなんで!?」
「『固まれ』!『沈め』!」
ウィズの声が響く。音を消すスーベニアを正吾が破壊したんだろうか。
「ねえ、どうやって出てきたんです? 教えてくれれば、三島さんは返しますよ?」
「聞くな! こいつは——」
「大丈夫だ。俺の剣はもう迷わない」
白紙になったノートを固く脇に抱えて、僕はまた泳ぎ出した。