三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。 作:斉藤悠
レオンは膝から崩れ落ちて、震えながら縮こまった。
「……なんで……置いていくの……」
かくかくと震える口から零れたのは、合成音声のような声ではなく、見知らぬ少女の声だった。ぐ、とレオンはカエルのような声を出して膝立ちで天を仰ぎ、両手で喉を押さえた。かっぴらいた目の色は緑や黒や青に変わっていた。
「申し訳ございません、どうか、どうか来週まで待っていただけませんか!?……グぁ……アイツらは死んだんだ、俺のせいで……」
汗なのか涙なのか分からない液体を全身から流しながら、レオンは老人の声、男の声を捻り出した。
「知ラない……シらない……! なんでレオンちゃんが! こんなエきストラ共の……うぐッ……娘だけは……娘だけは勘弁してちょうだい……」
レオンは地面を激しく叩いたあと、女性の声ですすり泣いた。
「知らないわけ、ないだろ」
僕はピアスを片手に、色んな声で泣き叫ぶレオンを見下ろした。
「お前が食った魂全部のトラウマだ。食われた人の想い、叶えられなかったこと……」
僕はレオンの胃の中に羽根ペンで呼び出した本でできた、宇宙を思い起こしていた。あの一冊一冊が、トラウマを掘り起こされて、きっとつらい思いをしているはずだ。僕は俯いた。出来ることなら、この倒し方はしたくなかったけど……絆創膏が切れて痛ましい落雷痕が残る三島さん、声が枯れたウィズ、ノートが使えない僕、竹刀では相性が悪く手錠では後手に回ってしまう正吾——
『今の俺たちの中じゃ、最善手だ』
ライが返事したらきっと、こう書き込んだだろう。でも必ず、落とし前はつける。地面に散らばったスーベニアに僕は心の中で誓った。震えながら、うわ言をぶつぶつと呟いていたレオンは、やがて動かなくなった。
「勝った……のか?」
竹刀を構えたまま、正吾が呟いた。レオンだったものは、サラサラと砂になって解けかけている。
「結局、向き合いきれずに砂になったか。こいつには償わせるさ。俺の全てをもって——『保て』」
ウィズの一声で、レオンだったものは解けるのをやめた。レオンが意思を捨てたことで、声の力が回復したらしい。
「あとは、『涯て』の意思が決めるだろう。こいつの処遇も、お前達の扱いも……レオンが『涯て』に侵入するために、現世に干渉した結果、死んだ魂は生き返るはずだ」
振り返ると、広場に面した博物館のように見える建物が、ほのかに光を放っていた。そこから、いくつかの光が分かれて翡翠色に輝くと、三島さんと正吾、溶けかけたレオンの身体に吸い込まれた。
「ミシマアカリと、テラダショウゴ。そして、レオンの運命操作によって死んだ、運び屋になり切れなかったいくつかの魂、か……」
ウィズは顎に手を当てて呟いた。
「わたしは……直接レオンが運命を操作して、雷に撃たれたのが死因だからわかる。でも……」
横たわったままの三島さんは、正吾と僕の顔を交互にみて、口をつぐんだ。俯いていた正吾は、顔を上げて建物に向かって吠えた。
「こんなの間違ってるだろ!」
でも、右手に携えた竹刀はひとつも光っていなかった。
「だって、あの夜、たまたま海に入ってる悠が見えて……それで俺は海に入ったんだ! 悠を止めるために!」
「落ち着け、テラダショウゴ。『涯て』の意思は全ての魂の死に至るまでの経緯を把握している」
ウィズに宥められながらも、正吾は必死に言葉を吐きだした。
「俺の死がレオンの干渉の結果だってんなら、悠が死んだのだって、そうだろ!?」
珍しく声を荒げる正吾を、僕は黙って制した。竹刀が、ほんのりと光っていたからだ。
「 ……馬鹿! 離せよ! くそ、竹刀、なんで反応してるんだよ……それじゃ、まるで……」
「あの日、わたしが雷に撃たれなかったとしても、斉藤くんは死ぬ運命だったってこと……?」
三島さんが目を伏せて苦しそうに答えた。竹刀は光らなかった。横目でそれを見たウィズが、レオンを顎で指しながら口を開いた。
「こいつが運命操作したっていっても、せいぜい、元々あるものを少し曲げるくらいのことしかできないはずだ」
「――あの日、僕が雷に撃たれるはずだった」
確かめるように言ってみた。竹刀は光らなかった。三島さんは僕の顔を、真っ直ぐに見ながら言った。
「レオンはそれを少し曲げて……わたしに雷を落としたんだね」
竹刀の反応を見ながら、「そうなるな」とウィズは呟いた。
「ミシマアカリが先に死ななければ、あの夜、サイトウユウは海に入らなかった。だから、テラダショウゴは止めに行かない……つまり、死ななくて済んだ、という寸法だ」
正吾は竹刀を握りしめたまま、しゃがみこんだ。
「理屈は、分かった。だとしても、三島と……俺だけが、お前抜きで。納得できない。だって、お前は……三島も……」
正吾に歩み寄った僕は、少し息を吸ってからはっきりと喋った。
「もともとある、正しい運命に帰ってくだけだよ。それだけ。それに、
「……あれは! レオンを倒すのに、仕方なくそうしたんだろ! 『涯て』だって、悠がそうしなきゃ今頃……」
正吾は口ごもった。でも、もう逃げないんだ。
「レオンを刺した、スーベニア。これは、刺された人の一番のトラウマを喚起して心に固定するものなんだ。それを、たくさんの魂を食べたレオンに使った。だからたぶん、たくさんの魂が今も苛まれてる。使ったからには使った責任を取らなくちゃ」
「そんな、なんでお前だけが、全部……」
「選んだからだ、僕が。サンダルを捨てたらどうなるか。ウィズもやめろって言ってくれてた。でも、分かってて、それでも、選んだからだ」
竹刀は光らなかった。ぱちぱち、と疎らな拍手が聞こえる。三島さんだった。
「……いいね。そういうお話みたい」
微笑む三島さんの目は潤んでいるように見えた。正吾はゆっくりと立ち上がると、僕の耳に顔を近づけた。
「頼む……言え。三島に」
僕はゆっくりと頷いて、三島さんの耳元にしゃがんだ。
「三島さん。ずっと好きでした」
「わたしも。斉藤くんのこと……好きだったよ。ずっと」
翡翠色に淡く輝く三島さんは、ふわりと微笑んだ。決意に満ちた瞳から、流れ星みたいに涙が滑り落ちる。きれいだった。三島さんは僕の目を見つめたまま、震える手で僕の頬を撫でた。僕の頬も、濡れていた。視界の奥で、正吾が顔をぐちゃぐちゃにして泣いているのが見えた。僕たちはしばらく、言葉も交わさずにただ泣いた。
「……悪りぃけど。ミシマアカリの魂が……もうそろそろ限界だ。これ以上ここにいたら、砂になっちまう」
ウィズはフードを被り直した。三島さんも正吾も、身体の輝きが強まっている。
「斉藤くん、お願い」
僕は黙って頷くと、涙を拭って立てない三島さんを抱えた。河で背負った時よりもずっと、三島さんの身体は軽かった。落雷痕に覆われた痛々しい身体は、ほのかに暖かく、柔らかかった。
「ミシマアカリ。テラダショウゴ……泉へ。浸れば、レオンが干渉しなかった世界に戻れるだろう。記憶は……そのままで、いいな?」
二人は迷わずに頷いた。僕が広場の噴水だと思っていたのは、現世へと繋がる泉だった。翡翠色に輝くそれに、三島さんの身体をそっと浸す。
「斉藤くん、本当に、ずっと……ありがとう。斉藤くんが選んで進む道なら、わたし、ずっと応援するから——」
翡翠の光の中に、三島さんの身体が解けていく。軽くなって、やがて掴めなくなった。
「悠……じゃあな」
三島さんが消えたのを確認してから、僕の顔も見ずに短く呟くと、正吾は泉に飛び込んだ。
「二人とも……お前より随分物分りのいい人間だったな」
「三島さんも正吾も、僕よりずっと成績いいからね」
僕はウィズと軽口を叩き合いながら、博物館みたいな建物に向かい合った。
「……さあ、連れていくがいい」
ウィズは建物に向かって、手のひらを合わせたまま頭を下げる独特な礼をしてから、大きく息を吸い込んで、あの旋律を歌い始めた。空の彼方から、月光に反射して煌めく、星のような……砂が舞い踊り、僕たちに近づいてきた。迎え、ということか。『淵』へと続くだろうそれは長く大きな一本の道のように見えた。僕とウィズが虚ろな目のレオンを引き連れて舞う砂に足を踏み入れると、それは簡単に僕らを包んで、重力を奪った。街明かりがどんどん遠くなる。海の向こう側には朝日が控えているのが分かった。ウィズの歌に耳を傾けながら、潮風の匂いを肺に吸い込んだ。東浜津の町の匂いにとてもよく似ていた。