三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。 作:斉藤悠
millions of memories
砂に包まれたまま、一時間くらいの間に、幾つもの朝と夜を超えた。移動中、ノートになにか書き込んでみようかとも思った。でも、『戦えない場所で一万年なんて、俺は……まっぴらごめんだぜ』とつまらなさそうな返事を思い出してやめた。どうせ、時間はたっぷりあるんだし、やらなくちゃいけないこともたくさんある。うつろなレオンの横顔を見つめながら、うさぎの付箋を握りしめた。やがて、雲と雲の間に全てを吸い込んでしまうような円い闇が見えた。僕たちを先導する砂が吸い込まれていく。率直に、ブラックホールじゃん、と思っていると、隣からずっと聞こえていた歌が止んだ。
「この穴を潜れば……『淵』だ」
俺も来るのは初めてだがな、とウィズは付け足した。円い闇が近づいてくる。僕はノートと付箋をぎゅっと握りしめたまま、砂とともに闇の中に吸い込まれた。景色が暗転し、気づくと暖かな闇の中で浮いていた。見上げると月くらいのサイズの光の穴が、スポットライトのように僕たちを照らしていた。たぶん、あそこから落ちてきたんだろう。一緒に沈む砂は光を受けて雪みたいにきらめいていた。ふわり、と砂地に着地する。足の指で、冷たい砂を踏みしめる。なめらかで気持ちよかった。塔があった砂漠とは違って、肌寒い。海底にいるみたいだと思った。ローブを翻しながらウィズが舞い降りて、少し後にレオンが砂の上に崩れ落ちた。
「その状態のレオンがここで一万年を過ごして、意味、あるのかな」
「一万年以上かけてでも償わせるさ」
ウィズはレオンの隣で胡坐をかくと、足元の砂を一粒つまんで光に透かす。緑色の反射光に目を細めて、粒を投げた。
「これは後悔の念か。南」
「あのさ、試したいことがあって、」
「お前、この女の本でも書くつもりだろ」
ウィズは僕の顔も見ずに言い当てると、ため息をついた。
「やめとけ。危険すぎる。ミシマアカリとテラダショウゴがいたから、涯てではなんとかなったが……っておい、」
僕は羽根ペンを輝かせて、古い手帳のようなものを呼び出した。たぶん、これがレオンの魂の形代の本だ。ウィズは舌打ちをした。
「お前、正気かよ……」
「ここからなんだ。試したいのは」
僕は浮いていたレオンの本を掴むと、最初のページを開いてレオンの顔の前に置いた。
「ウィズが『読め』って命令したら、レオンはこれを読み上げるかな」
ウィズは立ち上がるとフードを取り僕を睨んだ。
「――『捕らえろ』」
僕は為す術もなく、砂の塊に首から下をぎっちり拘束される。
「どうする? ここでやり合うのか? 俺の声は土産モンじゃないから手錠は効かないし、記憶もないからピアスも効かない。妄想ノートが使えないお前が、いったいどうやって俺に勝つつもりだ? そこまでしてこのクソ女を正気に戻したいか?」
肺が圧されて、苦しい。でも。
「トラウマを思い起こさせて心に固定するピアスを、レオンに使った。レオンに食われた魂も、トラウマに苛まれてる」
「そいつらを助けたいってか? いい加減にしろよ! 涯てだけじゃなくここもむちゃくちゃにするつもりか!?」
「レオンには手錠をかける。どこまでがレオンのスーベニアの能力かは分からないけど……少なくとも、ウィズが声で先手はとれるはず」
僕は砂で固定された首を前に倒して、できる限り頭を下げた。
「自分の選択の責任を、取りたいんです」
「――『解放しろ』」
固定していた砂がほどけて、地面に叩きつけられる。ウィズの意図を理解した僕は、すぐに手錠をレオンにかけた。
「ウィズ、ありがとう……ごめん」
ウィズはそっぽを向いたまま、砂を操りレオンの首から下をがっちりと拘束した。
「『捕らえろ』……くそ、こんな……チッ……『読め』」
レオンはぴくり、と反応すると、表紙の裏に大きく書かれた一文を、平坦な声で読み上げ始めた。
「この世は舞台、人はみな、役者だ――」
「ふん……シェイクスピア、か。『続けろ』」
レオンが読み上げ始めたのは、セリフと、ト書き。劇の脚本のようだった。奴隷と姫が恋に落ちる話。町の人々が動物に変えられてしまう話。何作も、何作も。夢中になって聞いた。正直、僕の書いていた小説なんて比べ物にならないくらい、面白かった。ときどき、「ここでもうひと捻りいれる」など、アドバイスのようなコメントが読み上げられる。
「もしかして、これ、全部レオンが……?」
「『答えろ』」
ウィズが促すと、レオンは遠くを見つめながらかすれた声で、つぶやいた。
「書き……ました……」
「悔しいくらい、面白いよ」
返事はない。ウィズは『続きを読め』と命令した。平坦な読み上げが再開する。いくつかの戯曲が終わった後に、レオンは声を詰まらせ始めた。なんとなく、続きを読むことを拒んでいるように見えた。
「様子が変だな……『読め』」
ウィズに追加の命令を出されて、レオンは再び口を開いた。
「あの人には敵わない。どんな古典に当たって、構成を分析しても。脚本も、演出も、演技までも、一流以上の品質でこなす。まさに劇というものは、あの人のために存在するんだろう。私は、端役。あの人に照明を当て、舞台を飾り立てるための、端役」
ちくり、と胸が疼いた。僕とレオンは多分、似ていた。
「『あの人というのは誰だ?』」
「……劇団長……私はあの人が舞台の中央にいる限り……永遠に……」
レオンはまた何かを拒むように固まった。
「……『続きを読め』」
ウィズが促すと、レオンはまた読み上げはじめた。
「私の脚本は、悪くないって劇団長は言うけど、きっと下働きを失わないためのおべっか。このままじゃ、私はずっと下働きのまま。ひとつの劇に、脚本はひとつしかいらない。だから……」
ひと呼吸おいて、レオンは口を開いた。
「主役を奪うしかない。この手で」
ウィズは片方の眉を上げた。手帳のページの隅に、茶色い飛沫が付いていることに気がついた。
「劇団長を殺した。別の下働きに濡れ衣を着せて……上手く、やった。でも、スポットライトは私には当たらなかった。劇団長が死んでも、劇団長の脚本は大切に演じられた。私の脚本が、あるのに……」
レオンが機械的にページを捲ると、次のページは茶色く全体的に汚れていた。
「だから、全員、殺した。見てくれないなら、いらないから。でも、流行病で、動けなくなって……誰も、助けてくれないまま……どうして、主役は私なのに……」
それが最後の行だった。ウィズはため息を吐いて、僕を見た。
「で……何を書く、つもりだ」
僕はレオンの前から汚れた手帳を取ると、羽根ペンを金色に輝かせた。
「知ってること、分かったこと……全部だよ」
手帳の汚れたページに、僕は書き始めた。
「騙されて進んだ道で、すっかり頼もしくなりやがって」
「成長期だからね」
軽口を叩きながら、書いていく。案内人をしていたこと、魂を騙して『涯て』に乗り込もうとしていたこと、数々の魂を食べてスーベニアを使っていたこと、運命操作で僕が撃たれるはずだった雷を三島さんに落としたこと……書いているうちに涙が出てきたけど、僕は書き続けた。正吾のスーベニアを使って、ライを僕のスーベニアから消したこと、主役になりたくて結局なれなかったこと。最後に、面白い脚本を書くこと、と書いた。汚れた手帳は輝くと、レオンの中に吸い込まれていく。ウィズが警戒を始める。僕はレオンの死角でピアスを構えた。
「……ここは……」
レオンは首を動かして、辺りを見渡した。手帳に気が付くと、ガタガタと震え始めた。
「……何で、これ……どこまで、どこまで見たんデス!? ……嫌……思い出した、命令されて、これ全部読み上げて……」
レオンは大声で泣き始めた。
「レオンが書いた脚本、面白かったよ」
馬鹿、とウィズが慌てて遮ったのも気にせずに、僕はレオンに話しかけた。
「ハア……いいんデスよそんなおべっか」
「違うよ」
僕はレオンの前に歩み出た。金色の瞳に僕が映る。
「面白かったんだ。ほんとに……自分が書く小説の何倍も、何十倍も、面白かったんだ」
レオンは不快そうに顔を歪めて、目を逸らした。
「何なんデス? 倒して、過去を暴いて、楽しかったデスか? 勝って相手を憐れむのは楽しいデスか?」
言い終わらないうちに、ウィズが鼻で笑った。
「よく言うぜ。あんな行いをして、ありえない数の魂むちゃくちゃにしておいて」
「でも……面白かったんだ。だから、また、書こうよ」
レオンの瞳が、揺れた。と思ったがすぐに、いつもの調子に戻る。
「あらま~斉藤クンてば、レオンちゃんのこともう赦しちゃうんですかぁ? ワタシアナタの好きな子ぶっ殺しましたケド? 優しい♡」
「許すわけ、ないだろ……」
喉の奥から絞り出した答えに、ウィズもレオンも黙った。震える握りこぶしをもう片側の手で押さえて、深呼吸してから口を開く。
「レオンに食べられたとき、レオンの中にいた無数の魂。みんな助けたいんだ。僕のスーベニアで……その魂の形代の本に、ふさわしい続きを書けば助けられる。でも、続きは、レオンにしか、分からないんだ」
「ハア? ちょっと……何言ってるんです?」
戸惑うレオンに、僕は思い切り頭を下げた。
「力を貸してください……僕が、レオンに刺したあのピアスのスーベニアで、今もまだ、苦しんでるはずなんだ……」
「ンー残念ですケド、レオンちゃん、誰の魂がどうだったとかもう覚えてないんですよね~あれだけ数いますし」
僕は息を深く吸うと、レオンの前に輝く羽根ペンを突き出した。
帳簿。図鑑。教科書。巻物。メモ帳。ルーズリーフ。絵本。ファイル。和綴じの本。湧き出てくる、冊子。冊子。
「じゃあ、読めばいい。全部……読んで教えてよ」
「『案内人』のお前なら、あらゆる時代のあらゆる言語が分かるだろう?」
レオンは動かせる範囲で頭をぶんぶん振った。
「ハア!? 嫌ですよレオンちゃんこんな知らない人たちの知らない興味ない本! 何冊あるんですコレ!?」
僕はピアスを突き付けて、レオンに静かに叫んだ。
「興味ないなんて言うな!」
僕はテディベアの絵本を取り出して、開いて突き付けた。
「お前がこうしたんだろ! 全部! 一冊一冊と向き合えよ!」
この問答は一週間ぐらい続いた。レオンはずっと適当な嘘をついたり話をずらしたりしていた。でも、一週間ずっと、絵本を突き付け続けたら、ついにしぶしぶといった様子ですこしずつ読み上げはじめた。
「十匹のくまさんは、女の子と助け合いながら旅をつづけました。……これで、いいんです?」
「……ありがとう」
僕が礼を言うと、ウィズはレオンを警戒しつつ、口を開いた。
「でも……そんな内容でどうやって続きを書くつもりだ」
「……お母さんに、手を上げられていたんデスよ」
レオンがぽつり、と呟いた。
「読んでたら、思い出してきました。テディベアだけがお友達の、女の子」
「ねえ、覚えてること、聞かせて」
僕の言葉にうなずきもせずに、レオンは女の子の境遇や死因をぽつぽつと語り続けた。僕は羽根ペンを動かして、数日かけて必死に書き留めた。やがて絵本は金色に輝くとくるくると宙を舞い、一段大きな光を放った後に、薄汚れたテディベアを大切そうに抱く七歳くらいの女の子へと変化した。レオンが使っていた
「うれしい……くまさん、おとーさんのところ、いけるね……」
女の子の足には、金色の靴が光っていた。話しかける前に、女の子は上空の光の穴に吸い込まれていった。
「渡りの靴……そうか、解き放たれさえすれば、こいつの中に囚われている魂は『涯て』に行く資格を持っているのか」
「どういうこと?」
「お前が肋骨を越えた時に、履物が変わっただろう。あれは、『涯て』への通行証だ。お前は自分で分解したけどな」
レオンは僕を鼻で笑うと付け足した。
「レオンちゃんに食べられちゃって可哀想〜☆ 許してあげましょ〜ってコトでしょ」
「書いて助け出せば、みんな、『涯て』に送り出すことができる、のか」
レオンを中心に溢れ出た本の山を、僕たちは見渡した。
「あの……本気で言ってます? レオンちゃん相当数たべたべしましたよ? 普通に数百万は……」
「何万年、何億年かかってもいい。全部、読んで教えて。全部……書くから」
僕は雪の図鑑を手に取って、レオンに差し出した。レオンの金色の瞳は揺れて、やがて文字を追い始めた。