三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。 作:斉藤悠
レオンが読んで思い出して、僕がそれを書き留めて、魂に靴を捧げる。そしてウィズが声で本を整理する。しばらく、そんな日々が一週間、一か月、やがて一年続いた。
「今日でピッタリ一年目〜……あにばーさりー……今日ぐらい寝ててもいーですヨネ? さすがのレオンちゃんも眼精疲労が……」
「馬鹿言え。疲労も空腹もないだろうがこのクソ女……『開け』」
砂に詰められたままげっそりしているレオンの前に、ウィズは悪態を吐きながら本を差し出す。
「げえ、辞書……辞書これ、全部ぅ……」
「食べたんでしょ、魂。利用してきたんでしょ、その持ち主を」
僕が促すといやいやレオンは読み上げ始めた。こんな感じで僕たちは、レオンの声を通じて様々な人生に触れ続けた。読んで、書いて、靴を仕立てて捧げる。
そして三年。もう何人見送ったかは既に分からなくなっている。血の混じった泥水を啜った人生、実父に毎夜犯されて殴られた人生、ドラッグに溺れ崩れた人生――書くには知らなければならない。書くには、向き合い、理解しなければならない。自分の人生が見知らぬ人の人生に侵されるような感覚にめまいがする。自分で選んだ道なのに、僕は羽根ペンを置いてこめかみを両手で覆い俯いた。
「だめだ。さすがに、休憩……限界だ……きつい」
「へえ。耐えられないか……お前が」
ウィズの揶揄う声に、付箋に戻りかけた羽根ペンを引っつかむ。
「そんなわけ、ない……書く」
五年。十年。ただ、書く。
「もう文字、読みたくないデス……」
「日本語以外は読めないんだ。頼むよ」
百年。千年。そして……一万年。まだ見果てぬ、本の山。
「これ、ほんとに終わるんデスか……?」
「終わる。最後まで書いて、最後の一人まで靴を渡すんだ」
僕は必死に筆を走らせた。だって、そうすることを選んだから。
「ずっと思ってたんですケド、斉藤クンって語彙力ないですヨネ」
「そりゃどうも。ネット小説くらいしかまともに読んだことないからね」
「ハア~……もうレオンちゃん我慢できな~い……ええとまず、ここの『すべからく』、『おしなべて』の間違いで……」
一万五千年あたりから、レオンは僕の書いている文章を添削し始めて、二万年あたりで一緒に書くようになった。そうして送った最後の一人の靴は、スケート靴だった。やり切った僕たちはぼんやりと月みたいな穴を見上げた。ウィズは静かに僕に向き直ると、口を開いた。
「分かってるだろうが、ここから始まりだぞ。一万年。今度は淵の砂を仕分けるんだ」
「もちろん」
僕は足元の砂粒を一つ、つまみ上げた。それは激しい怒りの念だった。教えられたわけでもないのに、この砂粒は東へ行くのだと頭に浮かび上がった。そっと東へ向かって粒を投げる。粒は暗闇に融けて消えた。
「書くより、簡単だ」
僕は笑うと、もう一粒つまんで光に透かした。
「レオンちゃんは読んで書いてた方がラクでしたけどね……」
「俺とお前は淵の後も償いが続くんだぞ。音を上げるな」
ウィズは砂粒を指から離した。声を使えば一瞬で済みそうだけど、それをしたら償いにならないんだろう。レオンはあきらめたのか、僕たちに倣って砂粒をつまみ始めた。誰も声を発さぬまま、何年も時が過ぎた。ときどき、砂が補充される。ウィズが言うには、他の魔法使いが弔った砂たちなんだそうだ。二年くらい経ったところでレオンがつまらないとぼやく。十年。百年。仕分け続けても減らない砂の山。
「賽の河原、みたいですねぇ……」
「僕、意外とこの仕事、嫌いじゃないかも」
「はあ……だから俺は肋骨じゃなくて淵を勧めたんだよ。確実だし、お前、向いてそうだったから」
ウィズの舌打ちが淵に響く。千年。三千年。レオンが文句を言わなくなった。五千年。
そして、ついに一万年。光の穴から、ゆっくりと金色に輝くものが降りてくる。靴だった。正吾からもらった、お下がりのスニーカー。
「サイトウユウ。これで……お前は涯てに戻る資格を手に入れた。さあ、行くがいい」
ローブを翻し、靴を履くように促すウィズに、僕は首を振った。
「待って。もう一つ。書きたいものがある」
僕は自分のノートを取り出した。ウィズは呆れてため息を吐いた。
「お前、どんだけ回り道したら気が済むんだよ」
「何百万の人たちの人生と、感情に触れて、レオンにも書き方を教えてもらって……今、すごく書きたいんだ。今の文章力で、構成力で、ライを書いてあげられたら……」
羽根ペンは見たことないくらい輝いていた。
「ライの物語を書き直す。面白くなるように、協力してよ」
レオンとウィズは頷いた。僕は靴を置いたまま、砂の上に足を組んでその上にノートを開いた。羽根ペンを動かそうとして、止まる。
「ライの設定。結局、雷を使って強いってことしか決めてなかったな」
今から設定練り直すか? 何万人もの人生を覗いてきたからか、ライがどんな種類の鎧を身に着けているのか、どんな風に暮らしを立てているのか、イメージできる気はしていた。でも、そうやって今設定を補強したライは、はたして、ずっと一緒に冒険してきたライと言えるんだろうか。書き起こして、今までの思い出を持てなかったら……ライは悲しむだろうなと思った。
「じゃあ、お前とその主人公が一緒に戦ってきたことを書くのはどうだ。塔をどう越えたのか、肋骨をどう越えたのか……」
「いいね。僕も、そうしたい」
ウィズに短く礼を言って、僕は書き始めた。
忘れもしない。
あの日は、期末テストの最終日だった――
「へ、ど、どこから書くつもりなんです? まさか斉藤クンの生前から……」
「ライに話してなかったんだ。僕がどうして死んだのか。ダサかったことも、弱かったことも、全部書くんだ」
言葉を失うレオンの後ろから、何も言わずにウィズが目で文字を追っている。僕はノートに目を戻すと、また羽根ペンを走らせた。僕が死に死後の世界で目が覚めるところで、レオンは目を見開いてずっとノートを覗き込んでいた。スーベニアを受け取り、塔を抜け、肋骨を越え……涯てで真実を突き付けられ、レオンに食われるところまで書くのに半年くらい掛かった。できるだけいい形で書きたくて、何度もレオンと推敲をして、ウィズに誤字脱字を教えてもらった。
「……このあたりで、返事が返ってくればよかったんだけど」
ライから、返事が来ることはなかった。いよいよ、ライが自ら雷を呼んで自分の身体を焼くシーンにさしかかる。これを書いたら、ライにもう一度あのダメージを与えることになってしまうのではないか。僕は一日中、迷った。けど、ライなら、書けって言うだろう。僕は覚悟を決めて続きを書き始めた。やがてノートの中でレオンは倒れ、僕たちが淵にたどり着き、どんな日々を送ってきたのか書いた。でも、ノートの罫線に、ライのセリフが浮かび上がってくることはなかった。
「もうすぐ今に追い付きますヨネ……? レオンちゃん、本当に取り返しのつかないコト、しちゃった……」
レオンはノートを覗き込んだまま震えていた。僕は何も言わずに、それを書き込んだ。ライからの返事がノートに浮かび上がることはなかった。
「本当に反省してるってんなら、俺を消したことに関しては……許してやってもいいぜ」
耳を疑った。ずっと僕がイメージしていた、ライの声だった。振り返った。合金の軽装鎧に片手剣。雷光のような金髪。スカイブルーの瞳。ライは僕より少し背が高かった。
「しっかしユウ、お前、話長すぎるぜ。一から十まで書き込みやがって……」
あくびをしながらライは頭をかいた。ウィズはすぐにライに近づいてじろじろ見まわした。そして、ひとしきりライの周りをぐるぐる歩き回ってから、信じられない、といった様子で振り返った。
「作りモンじゃない。本物の、魂だ」
僕はノートとライを交互に見た。
「でも、なんで、これ……どういうことなの?」
「俺もよく分かんねえけど、肋骨のミシマがもう一人の俺を具体化してたろ。あれと同じような感じなんじゃないのか」
ずっと何かを考え込んでいたレオンが、いきなり「ソレでーす!」と叫んだ。
「斉藤クンのスーベニアは、魂の形代を呼び出して、書き込むことにより様々なものを喚び出すのが本来の機能なのでは? 今までは描写の質が足りずに不完全な召喚をしていたから、ライサンの技だけが出力されてたんでしょうネ」
「僕がちゃんと書いたから、ライを完全に喚び出せたってこと……? そっか、思えば……」
僕は羽根ペンを、『続き待ってるね』と書かれたうさぎの付箋に戻して、手のひらに乗せた。
「スーベニアの、使い方。初めから三島さんが教えてくれてたんだ」
僕は申し訳なくなって、そっと付箋を両手で包んだ。ライはじっと僕を見てから、機敏な動きで剣をレオンの喉に突き立てた。
「ハア!? レオンちゃんもう何もしてませんよね!?」
「なあ、レオン。教えろ。ユウが生きてた世界に干渉する方法」
「『捕らえろ』!」
ウィズの一声で、ライを拘束せんと砂の塊が蠢く。鮮やかな身のこなしでライは砂から逃げ回りながら、叫んだ。
「ユウをあの日に生きたまま還してやりたいんだ!」
「待ってよ! そんなことしたら――」
盛大な舌打ちで、僕の言葉は遮られた。額に青筋を立てたウィズだった。
「させるかそんなこと! 世界の因果が滅茶苦茶になる! 形を得たからって好き勝手すんじゃねえ、空想の産物が!」
舞い上がる砂を吐き出しながらレオンが割り込む。
「というかもうできませんよ!? アレやるためにレオンちゃんどれだけ魂たべたべしたと思ってるンです!?」
「何でもやるっつってんだよ! お前がこうしたんだろ!? 協力しろよこのクソ女!」
ライがなにかしでかす前に、早く『涯て』に行くべきだ。そう思って金色のスニーカーに手を伸ばそうとしたら、もうライがひっつかんでいた。僕はライをなんとか捕まえた――衝撃。僕は砂の上に転がっていた。ライに殴られた。なんで、そう言おうとして顔を上げると、ライが僕の胸ぐらをつかんでいた。
「『涯て』なんか行くな!」
胸を何かで叩かれる。ノートだった。
「読ませろよ! ミシマに! 続き! 読ませるんだろ!」
「ライ。変えられないよ。読んだでしょ。あの日、僕が雷に撃たれるはずだった。それが正しい運命なんだ」
ライは僕を突き飛ばした。柔らかい砂を掴みながら振り返る。ライの瞳は煌々と光っていた。
「……決まってないだろ」
「だから、あの日僕が――」
「撃たれてその先! 撃たれて、死ぬかは、まだ決まってないだろ!」
「そんなの屁理屈だよ! そりゃ僕だって……今なら、東浜津に帰りたい。帰りたいけど、そのためにライが他の魂を苦しめるっていうのなら、僕は……」
迷ってから、僕は金色のピアスをライに見せつけた。ライは一瞬逡巡してから、剣を下ろした。
「気は済んだか? クソッ、最後まで手が焼ける奴らだな、ったく……」
ウィズは声の力でライが落としたスニーカーを回収すると、僕に差し出した。
「早く、行け。『涯て』で待ってりゃそのうち来るだろ、ミシマアカリも、テラダショウゴも」
僕は頷いて、金色のスニーカーを手に取った。辺りが、淡く翡翠色に輝き始める。『淵』の砂も僕が『涯て』に行くことを祝福してくれているのだろうか。そう思いながら、スニーカーを履こうとすると、肩を叩かれた。ひどく慌てた様子のウィズだった。
「前言撤回だ。履くな」
「ど、どういうこと?」
状況を掴み切れない僕は、ウィズの次の言葉を待った。
「こんなの初めてだ。色んな魂の、感情の集合体である『淵』がまさか……」
翡翠色の光は僕にまとわりついてくる。身体が自然と宙に浮いていく。
「ねえ、これ、何? 何が起こってるの?」
「お前を生き返らせたいらしい。いくつあるかわからん感情の塊が、全会一致で」
ウィズは頭を抱えて、左右に振った。
「こんなの、あり得ない。でも、『淵』全体がそう望んでいるのなら……」
「生き返るためのエネルギー、足りちゃいそうデスね。計算上は……」
レオンが苦笑いをしている横で、ライは大きく手を振っている。
「でもライは! ライはどうするの!?」
「分かんないけど、なんとかなるだろ!」
ライは快活に笑った。『戦えない場所で一万年なんて、俺はまっぴらごめんだぜ』って、書いてたくせに。
「ねえ、靴! ライが履いて!」
「馬鹿! お前のだろ!」
「海! 行くんでしょ!」
ライは驚いたように目を見開いて、スニーカーを見た。
「ねえ、履いて!」
僕は空に吸い込まれながら叫んだ。ライは雑にスニーカーに足を入れると、大声で叫んだ。
「お前、絶対、『涯て』に来いよ! 待ってるからな!」
「分かってる!」
出せる限りの大声を出したけど、遠ざかってもう豆粒みたいなサイズになったライに届いているかは分からなかった。