三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。 作:斉藤悠
しばらくの間、僕は前後左右が分からない暗闇の中にいた。だんだんと潮風の匂いが近づいてくる。まとわりついていた翡翠色の光は、僕を撫でるようにして去った。
「ハア~座標も時間もテキトーに返してくれちゃって☆ 『淵』の皆サン、下手くそですネ♡」
芝居がかった声に振り返ると、一メートル横に浮いていたレオンがウインクした。
「今更、アナタに何かする気なんてありませんよ。ただ、自分が手掛けた脚本はちゃんと客席に届けたいってだけデス」
レオンは息を深く吸い込むと、ステッキをかざした。
「ノウハウはありますから。支払いはツケで! いいでしょう? わる~い魔法使いサン?」
レオンの呼びかけに反対側を向くと、深くフードを被ったウィズが舌打ちした。
「――『曲がれ』!」
次の瞬間、僕の横に稲光が走った。レオンが大きく口を開いて笑った。
「あ~あウィズサンてば、お節介ですねぇ♡」
「ああクソ、これでこの女と魂擦り切れるまであの場所かよ! ちくしょう、せめて、二度と面見せんなよ、ガキ……」
「ううん、待ってるよ。いろいろやり終わったら、『涯て』でずっと。ありがとう。二人とも!」
二人の身体が透け始めて、やがて見えなくなった。身体に、冷たさと浮力を感じる。シュワシュワと泡が僕の身体を包んでいるのが見えた。海だった。体が海に洗われていく。ラムネ瓶の中のビー玉みたいになった僕は、意を決して海面から顔を出した。
「斉藤くん……!?」
薄ピンクの晴雨兼用の日傘を差した、三島さんが覗き込んでいた。
「三島さん、ただいま!」
「斉藤くん、ほ、ほんもの……?」
堤防を登ってずぶぬれのまま、舌をべっと出した。
「にせものだよ」
三島さんは少し目を見開いてから、片手で口を押えてくすくす笑った。
「もう斉藤くん、何言ってるの!」
三島さんが差し出した傘に、僕は短くお礼を言って入った。
「三島!」
雨の中カッパも着ずに立ちこぎで突進してくる自転車が見えた。たぶん、正吾も記憶を持ってこの日に戻ってきたんだ。
「正吾! ただいま!」
「悠!? お前、生きて……」
自転車が倒れるのもお構いなしに、正吾は駆け寄ってきた。
「二人を見送った後、いろいろあったんだ。書くから、読んでほしいんだ。ライに……読ませろって言われたんだ」
三島さんは力強く頷くと、微笑んだ。
「続き、待ってるから。書いて」
僕はエナメルバッグを拾い上げてから、頷いた。雨は嘘みたいに止んで、水平線の上には雲の切れ間から青空が出ている。真夏のじりじりとした日差しの下、僕たちはしばらく黙って海を眺めていた。穏やかで、陽の光に照らされてキラキラした太平洋は、とても綺麗だった。
それから、僕たちは誰も欠けることなく、あの日の続きを生き始めた。相変わらず、家での母さんの当たりはキツいままだし、まだ学校で殴られるままだけど、構わなかった。
「悠君、こっち。配送の支度おねがいね」
「分かりました!」
乾物屋でバイトを始めた僕は、今日も配送する干物の準備をしていた。
「斉藤君、いつも偉いわね。学校終わって、すぐバイトなんて」
穏やかに話しかけてきたのは、三島さんのお母さんだった。僕は段ボールにひとしきり商品を詰め込みながら、答えた。
「学校出たら、東京……行きたいんで。それに、いつまでもあの家にいられませんし……あ、サバですか?」
「さすが。よく分かったわね」
「三島さん、好きだって言ってましたから」
レジに移動して、手早く会計をする。三島さんのお母さんはいつになく嬉しそうだった。
バイトを終えて家に帰った僕は、新しいノートに向き合っていた。
「……書けた」
十数万字に及ぶ小説となったそれは、一度書いたものだからか、数週間くらいで出来上がってしまった。僕はそっとエナメルバッグにノートを収めると、代わりに、あの小説ノートを取り出した。スーベニアでもなくなったそれは、ライの物語が宙ぶらりんのまま止まっている。こっちでも、ライを海に連れてくんだ。僕は小説ノートを開くと、続きを書き始めた。