三島さんが死んだ。あの日僕が雷に撃たれるはずだったのに。   作:斉藤悠

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逃避行

 

 口の中が砂利ついてむせる。腕に着いた砂の粒を払う。強い光と息もできないような風が収まったことに気づいて、僕はゆっくりと顔を上げた。

 

「どこだ、今度は……」

 

 初めは大きな門だと思った。砂か、石で出来ていそうなことしか分からない。歪な幾何学模様が不規則に外壁に施されている。模様は上へ上へと続いていて……やがて、天を突く塔であることに気づかされる。立ち上がって、頭が背中に着くくらい見上げても、先端がみえない。雲ひとつない抜けるような青空の中、太陽から僕を隠すようにそびえていた。塔の周りには草一本生えていない。砂以外の何も見えず、ただただ地平線が広がっていた。

 

「……入るしかない、よな……」

 

 突然、背後からクックック、と押し殺した笑い声が聞こえて、僕は驚いて振り返った。さっきまで誰もいなかったのに、黒と紫のローブを頭から纏った人物が立っていた。フードの下から三日月のようにつり上がった口が見えている。

 

「海には迷わず飛び込めるくせにな」

 

 あの、ざらついた声だ。レオンといた建物が崩れた時に聞こえた、あの声だ。この人も、僕の生前を知ってるんだ。僕は動けなかった。これが、魔法使い? 僕はもう食われるのか? 僕はノートを握りしめた。

 

「今から死ぬみたいな顔しやがって……もう死んでんだよお前」

「あなたが、魔法使い……ですか?」

 

 男はフードを捲った。紫のくせ毛の隙間から蛇のような鋭い眼光が僕をじっと見ていた。

 

「こっちじゃそう呼ぶやつもいる。俺はウィズだ」

 

 魔法使い――ウィズは、僕を頭からつま先までジロジロと見たあと、ノートを見つめてまた口角を上げた。

 

「で、お前のお土産は……その妄想ノートか、はは。期待できそうだ、他のやつの土産モンはぬいぐるみとかただのカバンとか、分かりやすくてつまんねえモンばっかり」

「僕のこと、食べないんですか?」

 

 ウィズから笑顔が一瞬消え、今度は獰猛な笑顔で僕を見ずに呟いた。

 

「……ツギハギの女だな。巣穴ぶっ壊してやったのにゴキブリみてえに次から次に湧きやがって……あーあ、くだらねえ……まあ、面白いから今はいい事にしといてやるよ」

 

 怖い。逃げ出したい。僕はウィズに気付かれないよう少しずつ後退して、手探りで塔の扉の取っ手のような窪みに手を掛けた。石でできているのか、ひんやりしている。くそ、押しても引いても開かない。

 

「サイトウユウ、お前、逃げるときだけは迷わないな」

 

 ウィズは呆れたように呟いた。

 

「……ただ、逃げる場所選びのセンスが壊滅的だな……『開け』」

 

 ウィズの『開け』という言葉が強く空間に響いた。塔の扉が勢いよく開かれ、僕はあっけなく吹き飛ばされる。

 

「ほら、早く逃げ込めよ。逃げたかったんだろ? 行けよ」

 ウィズは砂の上でうずくまる僕を見て笑っている。情けないけど、レオンといたあの建物を一声で壊すことができるような存在と相対するのは……僕には無理だった。『スーベニア』であるはずのノートの使い方も分からないし。僕は立ち上がると、逃げるように塔の中に入った。

 

 塔の中は壁に大きな絵画が何枚も、斜めになったり逆さになったり、めちゃくちゃに飾られていた。

 

「これ、全部、三島さんだ……」

 

 三島さんが本を読んでいるところ、日傘を差して暑そうにしているところ。美術の教科書にあった、なんだっけ、ベラスケスみたいな、写実的な筆致で描かれていた。綺麗だった。僕は数分見とれたあと、我に返ってもう一度辺りを見渡した。外壁を巻くように階段が続いている。案内人のレオンは『試練苦難の雨あられを越える』ことが、三島さんのいる『涯て』への道だと言っていた。昇るしかないだろう。ウィズが『逃げる場所選びのセンスが壊滅的』と言っていたことが引っかかりながらも階段を進む。

 一階が大きな一つの部屋だったのに対して二階は、階段を上がってすぐ幅2mくらいの真っ白な廊下になっていた。迷路みたいだ。窓はなく、天井に丸い光が等間隔に浮いていた。曲がりくねった道にはときどき扉があったが、罠でも仕掛けてありそうで開ける気にはならない。このまま階段を探して昇り進むだけでいいなら、それが何階であろうとも何とかなる気さえしていた。

 

「『探せ』」

 

 ざらついてよく響く、ウィズの声だ。チャギ、チャギ、と金属がぶつかる音がする。それは足音のようで……だんだんこちらに近づいてくることに僕は気づいた。もしかして、探しているのは……

 曲がり角から、首のない大きな西洋鎧が現れた。剣を携えているのが見えて、僕は咄嗟に走り出した。

 

「――『襲え』」

 

 西洋鎧は走り出した。ガシャンガシャンと大きな音がすぐに近づいてくる。足の速さには少し自信があったのに。僕は曲がり角を上手く使ってなんとか撒こうと必死だった。人間の速さじゃないだろ、これ。5メートルくらいはあったはずの距離はすぐに詰められる。剣の切っ先が肩を掠めた。死ぬ。いや死んでるけど。ヤバい。

 目に付いたドアを開け入ろうとする。視界の端に剣が見えて思わずしゃがむ――剣は扉を破壊し、壁にくい込んでいた。鎧は剣を抜こうとしている。

 僕はまた走り出した。階段を駆け上る。三階も迷路が続いている。ガチャン、ガチャン……と聞きたくない鎧の音が聞こえる。動く首なしの鎧は各階にいるのか。走り回ってるだけじゃ無理だ。僕は白いドアを音を立てないようにそっと開けて入った。掃除用具入れくらいのスペースは扉を閉めると真っ暗で、僕は壁を手で触りながら三角座りした。

 ガチャン、ガチャン。鎧の音が近づいてくる。僕は僅かな望みを持って、『スーベニア』――小説のノートを手探りで開いてみた。何も起こらない。息を殺して鎧が通り過ぎることをただただ祈る。

 

 ……ガチャン、ガチャン。

 ガチャン、ガチャン。

 ガチャン、ガチャン……

 

 行った……みたいだ。ノートが手汗で湿気る。僕は音を立てないように小さく息をついた。目の前の危機が去ると、アドレナリンが切れたのか、剣が掠めた肩がヒリヒリ痛い。三島さん、おれなら平気だよ。心の中で虚しく言ってみたけど、いつの間にか足が震えていた。

 

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