ソシャゲみたいな世界で「ここは俺に任せて先に行け」をやったら生き残ってどうしよう 作:アサリを潮干狩り
走る、走る、走る。
「はぁっ……はぁっ……」
ただ、走り続ける。
肺が全力で稼働し、喉が掠れ切っても構わず息を吸う。
香織は、背中に乗せた紗夜の重みを感じながらも時間を忘れて走り続けていた。
横にいる彰の事など殆ど意識の外へと外れ、何かの強迫観念に襲われていた。
森を抜けて平地となり、辺りに感じていた影蝕獣の気配が薄れようともひた走る。
そうでなければ、友の命が無駄になってしまうから。
彼が文字通り命を使って稼いだ時間を、一秒たりとも無駄にしてはいけないから。
「……ひゅうっ……はぁっ……」
「――おり……香織!」
「……っ!」
数十分、はたまた数時間か。
時間感覚すらも忘れて走っていた香織だったが、横からの呼び掛けにようやく我に帰った。
「そろそろ……休憩しよう、コロニーも近くなってきた。流石にここまで来たら影蝕獣も少ない」
彼女が隣を見ると、そこには荒い息を零しながら膝に手をついている彰が居た。彼が身につけている制服には道中で付着したであろう土や泥、枯葉や枝が至る所にあった。
そこでやっと香織は、自分が何時間も連続で走り続けていたことに気づいた。
「え、えぇ……そうね。そろそろ休みましょうか」
一度立ち止まった香織たちは、近くにあった廃墟で身を休めることを決めた。
おそらく昔はショッピングモールとして使われていただろう建物に身を潜める。
ずっと背中に背負っていた紗夜を下ろし、シートを敷いて地面に寝かせる。これまでの疲れもあったのか数時間が経ったのにも関わらず、彼女は一向に起きる気配が無かった。
「……」
「……」
座り込んだ香織と彰の間に重苦しい雰囲気が広がる。
いつもなら騒がしいほどの会話が繰り広げられるが、今はそんな事が起こるはずも無かった。
その原因は、二人とも分かっていた。
適応者として日本が運営する国立の育成学園に入ってから約六年間、ほとんどの時間をあの四人で過ごしてきた。
リーダー気質でまとめ役、指揮官や後衛として優秀な香織。
勢いがあって勝ち気、前衛としての戦闘が得意な彰。
才能に溢れ苛烈だが身内には優しい、前衛が最適性の紗夜。
年齢に似合わぬ落ち着きや視点を持ち、中衛が適正の深也。
任務の時も、訓練の時も、授業の時も、休日の時も。
助け合ったりぶつかり合ったり、出会った時から常に行動を共にしていた四人。
そのうちの一つが、永遠に欠けてしまった。
そしてその一人である紗夜も、今は静かに眠り続けている。しかも彼女は深也を死地に置いていくことにかなりの拒否感を露わにしていた。あれでは次起きて状況を把握した時に、どんな反応をしてしまうか分からない。
「……」
香織もそういった部隊は、学園で嫌という程見てきた。
学園に所属する学生と言いながらも、国は学生達のことを扱いやすい戦力として見ている。任務で殉職した学生は数知れず、香織の身近にも二度と会えない友は何人か居た。
それでも、ここまで親しい友の死は初めてだった。
「……別に、お前は悪くねぇ」
ぽつりと、彰が沈黙を破る。
彼は無表情のままゆったりと言葉を紡いだ。
「深也も言ってたろ……誰かが、あれをやらなきゃいけなかったんだ。それが俺の可能性もお前の可能性もあった。でも、今回はたまたまあいつが残っちまった。それだけだ」
「……違うわ」
思わず香織は反論する。
胸の中では様々な感情が煮えたぎり、静かに彼女の頭の中を占めていた。
「皆が嫌がっていたこの任務を受けると決めたのは私よ、あの地域を目指して動くと言ったのも私。そして……あいつを見捨てる決断を下したのも、私。全部……私のせいよ」
自嘲するように薄く笑いながら、香織は言う。
国防省から学園に下される任務は多大な強制力が伴うものが殆どだ。もし学園内で受け手が見つからなければ、考えるも恐ろしい『罰』が国から下される。
だが死の危険を伴う任務を受けたいと思う学生など居らず、それは香織たちとて例外ではない。死の可能性を避けたいのはごく当然の発想だ。
それでも今回香織たちが受けたのは、他の学生たちに受ける気が全く無く学園側から懇願されたのと、比較的安全な任務だと前情報から察せられたからだ。
実際は、死者が出るほど危険度が高いものだった訳だが。
そしてその勘違いの代償を払ったのは指揮官である香織ではなく、大切な友人である深也だった。
それが、香織にとっては途轍もなく苦しかった。自分の失敗で友人たちの身を危険に晒し、なおかつ実際に一人を死なせて自分だけは生き残ってしまった。
もう償いの機会すらない。これからどうやっても彼には謝ることが出来ない。
「お前、あんま深也のことを馬鹿にすんなよ」
「……どういう意味よ」
そんな香織に、静かに目を伏せた彰が首を振る。
「深也が心から信じて指揮を預けていたのはお前だろ。そして最後の時もあいつは、お前に最善の判断ができると信じて場の決定権を託していた」
普段はあまり冷静な考えが出来ないと自負している彰だが、ここに至っては酷く頭が冷えていた。
もしくは、とっくに限界など超えてしまったのかもしれない。親友とも言える人物を見捨てて惨めに生き残り、佐伯は自分が正常な状態ではないと分かっていた。
どこか上から自分たちを俯瞰しているような、第三者視点でコントローラーを握って自分を操作しているような、まるで魂が抜けてしまったかのような不思議な感覚。
感情がぽっかり抜け落ちてしまったような思考で、彰は座り込んだまま口を動かす。
「そんなあいつのことをお前は、馬鹿な女を信じていたと侮辱するのか?」
「……そんなことっ!」
「なら、それ以上自分を卑下するのはやめろ。残った俺と紗夜もお前のことを信頼してるんだ、自暴自棄になるのはまだ早い。これで全てが終わった訳じゃねぇんだよ」
彰の言葉を受け、香織は抵抗が有りながらも小さく頷いた。
「……それに、責任を感じてんのは……お前だけじゃねぇ」
そう言って彰は強く剣の柄を握り締めた。
彰にとって深也は尊敬できる親友だった。
六年間、青春の時間を血で染めながら共に駆け抜けてきた。様々なことを共に経験して一緒に馬鹿なことをやったり、背中を預けて戦場で戦う日もあった。
夜通しで卒業後の進路を語り合った日も数え切れない。
それだけ彰にとって深也という青年は大きな存在だったのだ。
「……」
「……」
再び場に沈黙が満ちる。
二人のどちらも、今は積極的に話したいと思う気分ではなかった。
すぅすぅと、場に似合わない安らかな少女の寝息だけが響く。黒い艶やかな髪をシートの上にうねらせ、紗夜は眠り姫のように宝石のような瞳を閉じている。
「……それより、これからの一番の問題はこれだろ。起きたら割とマジで何するか分かんねぇぞ、こいつ」
彰はあれからずっと眠り続ける紗夜を見て、小さく呟く。
その言葉にはどこか真実味があった。
「それは……そうかもしれないわね」
紗夜は、よく深也に懐いていた。
彼女は普段から深也に対して毒舌を吐いていたが、それが好意の裏返しということはかなり昔から皆が分かっていた。それが親愛なのか友愛なのか、はたまた恋愛なのかは香織には判別がつかなかったが、特別な感情を向けている事は間違いない。
果たしてそんな彼女が、深也を犠牲にして逃げ出したという現実に耐えられるだろうか?
あまりに異能や戦闘の才能に溢れすぎていた弊害か、紗夜は精神的に幼い一面がある。普段はそんなことはなく戦闘では鬼神の如き強さを発揮するのだが、人間関係に関するところは彼女の苦手らしかった。
そして今回の件で深也に関する感情を内面で処理しきれず、暴走するというのは十分に考えられる事だった。
「……はぁ」
思わず香織は俯き、深くため息をついた。
何もかも転がり落ちていくようだ。
任務の目的は達成できてデータも軍部に提出できそうだが、代わりに変えがたい大切なものを失った。
残ったメンバーも大きな傷を心に負ったし、特に今も気を失っているは紗夜は精神的にも病んでしまうかもしれない。
……それでも、そうだとしても――
「……よし、そろそろ行きましょう。早く学園に戻って傷を治療しないと」
「ああ……わかった」
――前へ進む。
香織はその場に立ち上がり、それに続いて彰も足を立てて伸びをする。
待ち受けている未来は暗く、好転することはないかもしれない。
それでも、足を止めることは決して許されない。
なぜなら今香織たちが生きているのは、彼の命を犠牲にして生まれた時間があったからだ。だからこの命を粗末になどしてはいけない。無駄にしてしまえば、何のために彼が死んだのか分からなくなるから。
だからどれだけ辛く厳しくとも、未来へ進むしかない。
◆
それから、香織と彰は交互に紗夜を背負いながら影蝕獣の支配領域を駆け抜けて行った。
疲労や傷を無視しての強行軍を行ったため、驚異的なスピードでコロニーへの道を進むことになった。
「そろそろコロニーが見えてくるはずだが……どうだ?」
ついに日が明け、向こう側から昇ってきた朝日に照らされながら彰が呟く。
彼らの体には今までの戦いで負った傷やこれまでの疲労などが蓄積し、いよいよ体力の限界というところまで来ていた。顔色は青く手足の動きは覚束無い、傍から見れば病人にすら見える。
視界が徐々に朧気になり、力がうまく入らなくなっていく。
本格的にまずいなと香織は思い、頭を振って正気を取り戻そうとした。だがさして効果はなく、気分が悪くなっただけだった。
早く体を治療をしないと、そろそろ取り返しがつかなくなる。
そう思って力なく地面を蹴った時。
「……っ!」
香織に背負われた紗夜の体に装備されている通信機から、電子音が鳴った。
すぐさま彼女の体から通信機を取る香織。
「はい!こちら東京異能育成学園、高等部三年の橘です!そちらは?」
ハキハキと自らの身分を明かし応答を待つと、直ぐに答えが帰ってきた。
『こちら、東京西方面を担当している第三異能化歩兵連隊だ。言葉から察するに、そちらは国防省からの任務を請け負った橘隊であっているか?』
固い男性の声が通信機から響く。
おそらくコロニーが近付き通信機の回線が回復したのだろう。国防省の部隊と通信が繋がったらしい。
「その通りです。現在は任務を終えて帰投中です」
『成程……あぁ、任務の出来はどうだったのだ?』
「任務の内容にあった、ある程度の影蝕獣の討伐と未奪還領域のマッピングは予定通り終了しました。後日、機器とともにデータを提出させていただきます」
『ふむ……ご苦労、戻ってゆっくり休むと良い。しかし学生にしては中々悪くない手腕だ。橘隊は優秀だと学園から言われていたのでな、このままの成績で行けば企業にでも国でも就職先は選び放題だろう。精進すると良い』
通信機の向こうから、無機質な声が響く。
「……はい」
確かに、優秀な適応者は職を選び放題だ。
国防省所属の戦闘部隊や企業所属の戦力など、卒業した暁には高給取りの仕事が待っている。
だが香織たちが適応者である以上、戦いから逃れることは出来ない。
貴重な適応者を無駄にするほど国に戦力は溢れていないし、環境がそれを許さない。結局のところ、いくら香織が望んだとしても平穏な職には就けないのだ。
あまりにも香織にはそれが虚しく思えてしまった。いくら危険を冒して大金を稼いだとしても、死後に金は持っていけないのだから。
重く息を吐き歩いていると、再び通信機が鳴った。
『そういえば、部隊は全員無事か?一応、上が依頼したことだからな。戦闘の詳細に聞いて報告する必要があるのだ』
その質問に香織は一瞬息を止めた。
そして止まった思考を再始動させ、口を開く。
「……部隊員が一名、奥地での影蝕獣との戦闘で行方不明。それ以外の私含めた三名は五体満足でコロニーに帰還中です」
影蝕獣に支配されている地域での行方不明なんて、殆ど死亡と変わりない。半年もすれば死亡認定がされるだろう。
それでも香織が深也の事を行方不明と答えてしまったのは、友の死を認めたくないただの意地だった。