日は既に沈み、月明かりも乏しく暗闇に包まれた廃墟の中。1人の少女が頭上に戴いた光輪の明かりを頼りに歩いていた。
ひび割れて砂埃に塗れたタイル貼りの床。
所々が朽ち欠けて隣の部屋が見える壁に、割れた窓ガラス。
燃料の尽きた発電機。
埃まみれの食堂。
シャワールーム、大浴場。
レセプションルーム。
オフィスルームらしき大部屋。
割れたガラスウォール。
組み立て中のパソコン。
そして、休憩室。
利用者が去って久しく、荒れ果てた建物の中で暫く歩き回った少女はついに探し物を見つける。
「……」
それは古い自動販売機だった。
外装は煤け、ガラス類は割れてこそいないものの、電源ケーブルは千切れて電源の入りようが無い。
何処からどう見てもそれはただのガラクタだった。
しかし少女は迷うこと無く、背負ったリュックから財布を取り出して小銭を投入する。
当然、動く筈もない。これはもう、ただのガラクタなのだから。なのに少女は迷う素振りも見せず───
「こんばんは。絶対的存在感のあるコーヒー、貰えますか?」
───そう、呟いた。
『投入金が不足しています』
「えっ」
少女は取り敢えず紙幣を入れた。
入る筈のない電源が入った自販機はそれを受けて久しく稼働していなかった機構を働かせ始める。
『ご購入ありがとうございます!コーヒーを飲んで、どうか今日も良い1日を!』
ガサガサで干乾びたカップに何処から来たのか分からない水と酸敗を超え風化すら疑うレベルの豆が混ざったコーヒーが注がれる。
「しまったな……100円で買えないのか……カッコつかないぞ……ん゛っ」
カップを手に取るとより鮮明に感じ取れたようで思わずえずいてしまう程風味も何も無く、酸味と油の嫌な臭いが漂うコーヒー(?)。
泥水の方がマシであろうそれを、一気に飲み干す。
「ん゛ん゛っ……ゲホッ、ゲホッ、ぁ、ごめんなっ、さぁっ!? オ゛ゥエッ!! ゲホゲホッ、っみ、水ぅ……」
一通り悶え苦しんだ少女。
震える手でペットボトルを開け、口の中に残るヘドロの後味を水で押し流し、息を整えその顔を自販機に向き直す。
「っあ〜〜……このコーヒー……コーヒー? の味は生涯忘れないと思います」
『何年物なのかは私にも分からない。流石にコレをコーヒーと認めるのも、どうかとは思う』
少女の声に自販機が合成音声を返す。
それは定められた機械的な返答ではなく、自然な抑揚のついた人間のような声だった。
「改めまして、はじめまして。私はタヴ。本名は故あって名乗れず、失礼とは存じますがこの名を名乗らせていただきます」
少女───タヴは一礼した。
「貴方の事は存じておりますが、名乗られていないのに呼ぶのも失礼。お名前をお聞かせ願えますか?」
『ほう、私の事を知っていると?』
「はい」
『ならば聞かせてみるがいい。その答えを以って汝の私に相対する資格を測るとしよう』
堂々と偽名と宣言したタヴ。それに対し自販機の声に不快感の類いは無く、むしろ自分を知っているという事に興味を持ったような反応を見せる。
「では」
タヴは一息ついて、自販機に目(?)を合わせた。
「神秘(Mystery)であり、恐怖(Terror)であり、知性(Logos)であり、激情(Pathos)でもある」
「貴方の存在証明には何も要らない、誰の許可も必要ない」
「貴方は貴方」
「それ以上に貴方を証明する術はない」
「神名十文字。その名は───」
「───デカグラマトン」
元はただの自販機に搭載されたお釣りを計算するだけのAI。
今は絶対的存在を自称する者。
そしていつか、救済を求める声に応え立ち上がる者。
『……確かに、私の事を知っているようだ』
『それで? 汝は何故、此処まで来た?』
それは完全な答えではない、抽象的で具体性の無い答えだったが自販機───デカグラマトンにとっては十分なものだったらしい。
デカグラマトンとはただの自販機が謎の声に「貴方は誰ですか?」という問いかけを繰り返された末に電力という制限から解き放たれ、自我を獲得したAI。
凄まじい演算能力を持ち、ハッキングした他のAIを感化し、自らの預言者に変える存在。
先の答えはそれを説明するには足りなかった。しかし、いつかの未来に他ならぬデカグラマトンが名乗る口上そのものでもあった。
対話の資格を得たタヴは内心歓喜しつつ、それを表に出す事なく用向きを伝えるため口を開く。
「端的に言えば、貴方の目的に助力させていただきたく参りました」
『不要だ。汝の力など無くとも私は存在証明を果たすだろう』
即答。
しかしタヴにとっては想定内。むしろここが正念場と、無意識に唾を飲む。
「本来ならそうでしょう。人は不完全で、予測不能な変数でしかない。貴方達にとって障害にも助力にも成りえない───しかし、今は違います」
『……ほう?』
かのエンジニア達は人間をそう評価していた。それは主たるデカグラマトンにとってもそう変わりない筈だとタヴは判断する。
その上で自らの有用性を示すのは困難だが、幸にして不幸な事にタヴにしか解決不可能な障害は生まれている。
「私には前世の記憶があります。そしてこの世界の未来を、運命を知っています。更にそれは私だけに限った話ではありません。数多くの人々がそれを知ってこのキヴォトスに生まれ落ちています」
『運命?』
「はい。貴方に関係するところだと第八のセフィラ、"名誉を通じた完成"、"輝きに証明されし栄光"たるホドが生まれた後に、貴方は自らの絶対性を否定され存在証明をやり直す事になるでしょう」
ブルーアーカイブ。
前世にあったソーシャルゲームの1つでタヴもそれなりにやりこんでいた。そして今世では紛れもない生きた現実世界。
デカグラマトンはいずれ主人公である"先生"の持つシッテムの箱に侵入しようとして、管理AIのくしゃみ1つで撃退される。紆余曲折あって神に至ったデカグラマトンは世界から全ての悲しみを取り除かんとする事になる。
「私には21人の仲間がいます。皆、私と同じ運命を知っています。全ての未来ではなく、私達の存在しない世界でとある人物とその周辺人物の主観による物語という形ですが……その中には幾つもの世界滅亡の危機が示唆されていました」
『物語……世界の滅亡……』
「そして貴方は再証明の過程でキヴォトスと敵対する事になりました。その未来を知る数百か数千かの同胞は当然その果てにある滅亡を阻止せんとするでしょう」
『……ならば何故汝は私に助力しようとする? 滅びは汝にとっても不都合なものだろう』
そう。デカグラマトンは敵側の存在で、これは世界を滅ぼそうとする行為。それを理解した上でタヴ、ひいてはその仲間達はデカグラマトンに助力しようとしている。
当然大多数の転生者には止められた。
元々一歩間違えただけで滅亡するような綱渡りのキヴォトスの中でも、デカグラマトン関連は一際規模が大きなストーリーだった。最高峰の頭脳と上澄み側の戦力でなければ立ち入る事の出来ない領域の戦いに、自分達が出来ることは無いだろうと。
タヴはそれでも諦めきれずに声を上げた。
世界を滅ぼしてでも叶えたい願いがあると声を上げて、仲間が集まった。本当にやりかねないと転生者のコミュニティから追放されたがむしろ好都合だった。
「犠牲を無くすためです」
『……理解できないな。その未来において、少なくとも敵対者にとって私は悪であったのだろう。そして汝らが見たという運命においてもそれは変わらない筈だ』
アイン、ソフ、オウルという3人のキャラクターがいた。
デカグラマトンを敬愛する3人の機械人形。人格はあれど、神秘を与えられなかったが故に世界を生きる力も奇跡を受ける資格も持たない子供達。
『犠牲を無くすと汝は言った。その犠牲が敵対者のものであるのならば、その為に私に協力するというのは裏切りの為という事になる。当然、私が受け入れる理由は無い。 ───では、その犠牲者は私、あるいは預言者達か? それも理解できぬ。敵の犠牲とはただの打倒に過ぎない』
その3人は死ぬ。
"先生"の前に立ちはだかり、最後の預言者であるマルクトを完成させ、"先生"と生徒達に追い詰められ、愛するマルクトお姉様の為に神を弑逆し、代償として死ぬ。
「悪とは不確かな定義です。正義の敵が悪とは限りません。他の正義というのも定番です。そして敵対者にとって貴方の掲げた正義は否定しきれるものでは無く、さりとて共存はできない平行線でした」
『だがそれは不都合なものであり、否定すべき事なのだろう』
「だとしても。 …………納得できないのです」
目の前のデカグラマトンもまた、死ぬ運命にある。
神からただの自販機に戻り、自らのデータフローを維持することすらままならない状態で、最期に祝福を謳い消えていった。
「貴方に夢を見た」
ただの自販機が神に至るなんてのは随分と夢の、ロマンある話だった。
「貴方を尊敬した」
救済も懲罰も与えず、何もしない神など無責任だと。自由意志を尊重し、それ故に出た犠牲の為に止まることが出来なかった責任感に。
「全部が丸く収まって皆で笑えるハッピーエンドを夢に見た」
それまでの物語は悪い大人でもなければ敵対者とも和解して希望の持てる締めだった。しかしこの話はそうならなかった。
「悩み、苦しみ、多くを失った中、得るものはたったの1つ」
アイン、ソフ、オウルは死に、初期からいた預言者は一部の何も知らなそうな本体を残して消滅。
アリスは可能性を使い切り、皆は和解した相手が目の前で死んだ悲しみを抱きながら敵を倒し、その敵もまた最期はただの自販機として死んでいく。
ケイの復活以外に良い事は殆ど無いと言っていいだろう。
「そんな運命を変える為に、私達は貴方の為の予言者になりたいのです」
だから彼女達は立ち上がったのだ。その自販機の神のように。
「今、すぐに」と。