「ノノミちゃん、シロコちゃん、ホシノちゃんどこにいるか知ってる?」
「え~っと、モアレちゃん。……ホシノちゃん、じゃなくてホシノ『先輩』ですよ? めっ、です」
「あはは…。ごめんね、つい」
そう、優しく私を窘めてくるのは、同級生のノノミちゃん。
「……ん、モアレ、学習しない。ホシノ先輩はちゃん付けで呼ぶのをやめてと言っていた。強いものには従うべき」
「そうだね……シロコちゃんの言うとおりだよ」
「あと、モアレは私よりも弱い。私のことも先輩って呼ぶべき」
「あはは…。えっと、ホシノ先輩はどこにいるかな」
「ホシノ先輩ならいつものソファでお昼寝してましたから、用があるなら後の方がいいですよ」「ん、私も昨日のリベンジをしたいけど、ノノミに止められた。先輩が起きるの待ってる。順番は守るべき」
「そっか……じゃあ、また後にするね」
私は同級生に恵まれたと思う。
数こそ二人しかいないけれど、その柔和な性格で対策委員会をまとめてくれているノノミちゃんと、力こそ全てだと思っているシロコちゃん。素性も知れず、唐突にアビドスにやってきた私を、彼女たちは対策委員会の一員として受け入れてくれている。
__ただ、そこにあるのは仲間としての友愛ではなく、哀れな子どもに対する憐憫かもしれないけれど。
「うへ、みんな集まってどうしたの~?」
唐突に背後から、どこか気の抜けた声が聞こえてきた。
「あ、ホシノ先輩、勝負しよ」
「え~、おじさん。起きたばっかだからシロコちゃんと今戦ったら負けちゃうかもな~」
「シロコちゃん、万全じゃないホシノ先輩なら倒せるかもしれないですね~☆」
「ん、万全じゃないホシノ先輩に勝っても意味がない。今はやめておく」
声の正体はこの高校の唯一の2年生、小鳥遊ホシノちゃん。私の“記憶”にある鋭利な印象をもっていた彼女とは異なる、ふわっとしたその空気には、未だに慣れない。
そのホシノちゃんとノノミちゃんによって、例のごとく丸め込まれているシロコちゃんを見ていると、不意に彼女と目が合った。
「そういえば、モアレも先輩になにか用があると言っていた。私の勝負は後にするから、先に済ませるといい」
「...うへ、用って何かな。モアレちゃん?」
シロコちゃんに促され、ホシノちゃんが首を傾げる。3人の視線が、一斉に私に集まった。
どうにも、注目されると居心地が悪い。
しかも、話そうと思っていた内容は、他の2人がいる場所で口にできるようなことではなかった。
残念だけど、後で改めて話すことにしよう──そう決めて、お茶を濁すための言葉を口にしかけた、その時だった。
「……ユメ先輩のことかな?」
唐突に、その名前がホシノちゃんの口から転がり出た。
私は大きく目を見開く。予想外だった。まさか、彼女の方からそれに触れてくるなんて。
ノノミちゃんも驚いた顔をしている。
シロコちゃんだけは、「誰だっけ?」と小首を傾げていたけれど。
「図星みたいだね。でも、おじさんも先輩とそんなに長くいたわけじゃないから、先輩のことそんなに詳しくないんだ。……だから、ごめんね?」
ホシノちゃんは、ひどく柔らかく、そして痛々しいものを見るような目で微笑んでいた。
その笑顔のまま、彼女は完璧な“守りの姿勢”を取っている。
「っ!?……。はい……」
既に今の彼女には、言葉の刃を差し込む隙すらない。
気の抜けた声を出しながらも、自分が絶対に傷つかず、かつ相手にもそれ以上踏み込ませない最適なラインを瞬時に計算し、立ち回っている。
その徹底した防衛本能は、あの時のホシノちゃんのままだ。
「用が済んだなら、おじさんはもう一眠りしてこようかな。シロコちゃんもごめんね、勝負はまたの機会ということで~」
「ん、先輩が寝てる間に特訓する。覚悟してて」
「……シロコちゃんは元気だねぇ」
あくびをしながら仮眠スペースに向かうホシノ先輩の背中を、私はやるせなく見送ることしかできなかった。彼女が去った部室には、重苦しい静寂だけが残る。
「……モアレちゃん」
静寂を破ったのは、ノノミちゃんだった。
いつもの柔和な雰囲気であったが、その優しい瞳には明確な『警告』が灯っていた。
「ホシノ先輩の前で、その、あまりユメ先輩のお話はしないほうがいいですよ。……先輩にとってそれは、とてもデリケートなことですから」
ノノミちゃんに悪気がないことは分かっている。彼女はただ、傷ついたホシノ先輩を、そして「私」を、これ以上傷つけ合わせないために守ろうとしてくれているのだ。
その優しさが、じわじわと私の心を締め付ける。
「……。うん。ごめんなさい」
誰も間違っていない。誰も悪くない。けれど、まだ諦めるわけにはいかない。
ホシノちゃんの強固な『死の確信』というログを書き換える。
──それが眠り続ける彼女を目覚めさせる唯一の方法だから。
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「モアレちゃんか...」
黄昏時にならないと陽が差し込まない、日中は薄暗いお昼寝用のお部屋。
横になりながら、私はぽつりと、そう独り言ちた。
正直言うとさっきまで横になっていたから、今はさほど眠くない。
ただ__あそこに居続けるのは、少しだけ、息苦しかった。
アビドスにふらりと現れた、身寄りのない謎の少女。
ノノミちゃんの提案で、今は対策委員会に居着いている彼女。
悪い子じゃないのは何となくだけどわかる。わかっているのだが、彼女が時折口にする名前__
「...ユメ先輩」
さっきは咄嗟に「よく知らない」なんて言って突き放してしまったけど、もちろんそんなわけない。
一緒にいた時間こそ1年に満たなかった。けれど、私の人生で最も密に関わって、私のモノクロだった世界に色を差してくれた人。バカでお節介だけど、誰よりも優しい、私の先輩。
でも、私が、私のせいで先輩は...。
「うへ、こんなところかわいい後輩たちには見せられないなぁ...」
誰もいない薄暗い部屋で、自嘲気味に笑ってみる。
ようやく自然になりかけていた「おじさん」の仮面は私が思っていたほど丈夫ではなかったようだ。
先輩のことを考えるといつでもあの時の ”熱気” と ”光景” が蘇る。
あの日、私が先輩と喧嘩なんてしなければ__。
あの時、私に先輩を守り切る力があれば__。
あそこで、私もそうなっていれば__。
__いけない。
先輩がそうなってしまったのは私のせい。だから、私が先輩の分まで頑張るとあの日に決めた。
これは私の罪に対する罰だ。楽になりたいなんて、思うことすら許されないはずなのに。
__だけど...。
「___ユメ先輩。会いたいです...」
こぼれた涙が枕に落ちると同時に私の意識は深い暗闇へと沈んでいった。
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「__ここは...?」
気が付くと、私は毎日アビドス高校へと向かうその通学路にいた。
嫌に青い、青すぎる空。それを見上げた途端、私の心臓がどくりと大きな音を上げた。
__ああ、あの日の夢だ。
ノノミちゃんがアビドスに来てくれて、先輩がいなくなって希望を失ってしまった私のそばにいてくれた。そして、しばらくして行き倒れていたシロコちゃんを拾って。
新しい後輩たちの存在によって、私が少しづつ「おじさん」を演じ始め、ようやく前を向きかけていた__2年生になってすぐの、あの日の記憶。
現から夢に逃げてきた私を待ち伏せていたようだ。
あの日は、特に何の変哲もない、ただ空が酷く青い、晴天の日だった。
「...見つけた、ホシノちゃん」
そう名前を呼ばれた刹那、私は全く動くことができなかった。
だって、その呼び方も、その優しすぎる語調も、あまりにあの人に__。ユメ先輩に似ていたから。
意を決して、一拍遅れて振り返る。けれど、そこに立っていたのは、先輩ではない、見知らぬ一人の少女だった。
あの時の私はどんな顔をしていたのだろうか。
たぶん、驚愕と期待と落胆とが入り混じった何とも言えない顔になっていたんじゃないかな。
「__うへ。えーっと、どちら様かな?おじさん最近歳で忘れっぽくてさ。どこかで会ったことあるかな?」
とりあえず、いつもの調子で取り繕って、相手の出方を伺ってみる。
するとその少女は、何かとてつもない勘違いでもしていたかのように、ひどく困惑した様子で私を見つめた。目の前で起きている現実が信じられないとでも言うような、そんな沈黙。
けれど少女は、無理やり振り払うようにして、強く自分を律するように言葉を絞り出した。
「ホシノちゃん。ついてきてほしいところがあるの」
何とも唐突で脈絡のない、でもあの時の私は警戒しつつもついていくことを選んでしまった。
今思えば、少女からわずかに感じる先輩の気配に、どこか期待していたのかもしれない。
少女にいずこかへ導かれる道中、私は当然の疑問を口にした。一体どこへ向かうのか、と。
少女曰く、あってほしい人がいるということだった。
しばらく歩くと、住宅街の大部分が砂に埋もれてしまっているエリアに差し掛かった。
このエリアは半年ほど前から急速に砂の堆積が酷くなり、今ではほとんど無人になってしまったゴーストタウン。私はここ数ヶ月の間、この場所を無意識的に避けていた。
__だって、ここは。
「つきました」
少女が淡々と告げたその場所で、私の目に飛び込んできたのは__
かつて、幾度も通った、あの "家"。
そして、砂を被った、『梔子』の表札だった。
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「__なんでここ...」
喉の奥から乾いた声が漏れ出た。
名も知らぬ少女から微かに感じた、先輩の気配。
もちろん、連れていかれる場所がここではない、などと呆けていたわけではなかった。
ここに導かれる可能性だって、十分に理解していたはずだった。
でも、いざこの ”家” を前にした瞬間、心の準備が絶望的なまでに出来ていなかったことを、
身をもって理解した。
「この扉の先に、ホシノちゃんに会ってほしい人がいるの」
この "家" で会ってほしい人。そんなの、私には世界でたった一人しか心当たりがなかった。
私は確認という体で震える声で_
「__ぁってほしい人って、誰?」
「梔子ユメ、半年前までホシノちゃんと一緒に活動してた女の子だよ」
その刹那、私の身体は雷に打たれたような衝撃に襲われた。
意味が分からない。思考がまとまらない。
だって先輩はあの時__。
あの後、あの近辺をどれだけくまなく、血を吐く思いで捜索したと思ってるんだ。
瞬間移動でもしていない限り、ここにいるはずがない。__あり得ない。
「...うへ、えっと、先輩はしばらく遠くの場所に行くって聞いてたんだけどな」
微かに残った理性で、いつもの「おじさん」の言葉でごまかした。
すると、少女は大きく目を見開いた。そして一拍置いた後、今思いついたかのように、
「あ!えーと、予定が変わって戻ってきたんです!」
__嘘だ。
目の前の少女は明らかな嘘をついた。回答としては赤点もいいところだ。
少女が嘘をついたという事実は、私を冷静にさせるには十分だった。
直感で目の前の少女に悪意はないと判断していたけれど、どうやら私の直感はこの半年で鈍ってしまったらしい。
「__ねぇ、何が目的?」
私は「仮面」を外し、かつての冷徹な眼差しで少女を射抜いた。
「ユメ先輩がしばらく遠くの場所に行くっていうのはおじさんの嘘。そしてあなたも今、嘘をついた」
険しい表情で問い詰めると、少女は目に見えて慌てた様子で、「ごめんなさい!」と勢いよく頭を下げて見せた。けれど、その後に続いた少女の言葉は、謝罪よりもずっと必死で、狂気じみた熱を帯びていた。
「私がホシノちゃんに合わせて正しくないことを言ったのはその通りだけど、でも、この中にユメ先輩がいるのは本当なの!」
叫ぶと同時に、少女は勢いよく玄関のドアを開け放った。
__しかし。
2人の目に飛び込んできたのは、静まり返った、ただ荒れ果てているだけの暗い玄関だった。
人の気配などどこにもない。あるのは、主を失ったただの冷たい廃屋。
「なんで...?」
ぽつり、と掠れた声を漏らし、少女はがっくりと膝を落とした。
まるでそれは処理がうまくいかずエラーを吐いてフリーズした演算機のようだった。
この子に私を貶める意図はやっぱり見えない。私の勘はここまで鈍ったのだろうか。それとも__。
「...もう、やめようよ」
私は呆然と暗い廃屋を見つめる少女を見て、理解した。この子は、ある意味私と同じなのだ。
先輩がいなくなったという現実が、どうしても受け入れられなかったんだ。
そして、心を壊してしまった。だから、都合のいい幻想を追ってアビドスを彷徨っていた。
可哀そうな被害者。
そして、その原因を作ったのは__。
「__私のせい、か」
これまでにない罪悪感がその小さな体躯を襲い、脳をぐちゃぐちゃにしようとした、その時だった。
「__ホシノ先輩!!」
張り詰めた結界を破るように、悲痛な叫び声が住宅街に、よく、響いた。
声の主は、ひどく息を切らせたノノミちゃんだった。
「ノノミ...ちゃん。わ、わたし__」
「大丈夫です。帰りましょう?私たちのアビドスに」
私が言葉を紡ぐより早く、ノノミちゃんは私の身体を固く抱きしめてそう優しく諭した。
ノノミちゃんの100%優しい、母親のような温かい抱擁。
その優しさが、罪悪感で壊れそうになっていた私を現実につなぎとめた。
__そして同時に、その絶対的な優しさが。
膝を突いたまま動かないモアレちゃんの放った『梔子ユメの生存』を、心を壊した憐れな少女の妄言として、優しく、だが冷酷に打ち消していった。