闇は、静かだった。
静かであるがゆえに、その場に満ちる異様さは際立っていた。
無数の星々の歴史、その裏側に積み重なった怨嗟と欲望と殺意だけを煮詰めたような空間。
華美でも荘厳でもない。
ただ、支配者同士が会談するには、妙に似合いすぎる場所だった。
一方は、椅子に深く腰を下ろしていた。
足を組み、顎に手をやり、まるで世界そのものを退屈そうに眺めている男。
ボスヤスフォート。
星団の歴史を歪め、国家と戦乱を盤上の駒のごとく扱う怪物。
魔道帝国の首相にして、王を超える影。
穏やかな表情の裏に、冷えきった統治の意思を隠している。
その正面に立つのは、細身の青年。
人間の形をしてはいるが、その奥に宿るものはあまりにも人間離れしていた。
微笑んでいる。
だが、その笑みは友好でも余裕でもない。
獲物の急所を測る、解剖者の笑みだ。
シックス。
新しい血族の王。
人類を家畜と見なし、淘汰と競争による進化を絶対視する、絶対悪。
両者の間に置かれたテーブルには、茶も酒もなかった。
歓待など不要。
この場で交わされるのは、敬意ではなく、査定だけだ。
ややあって、先に口を開いたのはボスヤスフォートだった。
「……なるほど」
彼は薄く笑った。
「これが“新しい血族”の王か。
想像していたより、若いな」
シックスは肩をすくめた。
「年齢で器を測るのは、古い支配者の癖だよ。
もっとも、君ほど古いと、それも仕方ないかもしれないけれど」
挑発。
だが、ボスヤスフォートの表情は崩れない。
「口は回るようだ」
「君ほどではないさ。
僕は君みたいに、戦争を“必要なもの”と美化する趣味はない」
その瞬間、わずかに空気が変わった。
ボスヤスフォートは顎に添えていた指を下ろし、シックスを正面から見た。
「美化?」
「違うのかい?」
シックスは笑ったまま言った。
「永久平和は人から活力を奪う。
だから混乱が必要だ。戦争が必要だ。
平和を尊ばせるために、世界には不安が必要だ――」
彼はまるで、相手の思想そのものを舌先で転がすように、ゆっくりと続けた。
「実に面白い理屈だ。
家畜に鞭を入れ続けなければ、自分では走れなくなるとでも?」
「近いな」
ボスヤスフォートは否定しなかった。
「人は完成の中で腐る。
文明もまた同じだ。
繁栄が極まり、欠乏も危機も克服した時代、人は自ら立つ理由を失う」
「ファロスディー・カナーンのことを言っているのかな」
「知っているか」
「断片だけはね。
頂点を迎えた文明、失われた活力、完成ゆえの死。
実に滑稽だ。
だが、それを見た君の結論はもっと滑稽だよ」
シックスの目が細くなる。
「停滞を恐れるあまり、世界そのものを発熱状態に保とうとするなんて。
病を防ぐために、常に毒を流し続けるようなものだ」
ボスヤスフォートはむしろ、そこでわずかに愉快そうにした。
「毒が効くなら、それでよい」
「へえ」
「お前は違うのか?」
その問いに、シックスは即答した。
「違うね」
彼の声は柔らかい。
だが、その柔らかさの奥にあるものは、あまりにも冷酷だった。
「僕は人類のために毒を使うんじゃない。
人類そのものを選別するために使う。
弱いもの、鈍いもの、古いもの、停滞したもの――そういう不要物を削ぎ落とす。
僕の目的は“文明の維持”じゃない。
“種の更新”だ」
ボスヤスフォートの目に、初めて興味が宿った。
「ほう」
「君は国家に執着している。
秩序に執着している。
戦乱をさえ、支配の枠内に置こうとしている。
でも僕からすれば、それは甘い。
君は混乱を欲しながら、混乱そのものは恐れている」
「……」
「自分の制御できる地獄しか認めない。
それで本当に、新しい時代が生まれると思っているのかい?」
沈黙が落ちた。
ボスヤスフォートはすぐには答えなかった。
その代わり、視線だけでシックスを量っていた。
この若き怪物が、どこまで本気で、どこまで使え、どこから先が危険なのか。
やがて、静かに言う。
「なるほど。
お前は天災だな」
シックスは笑う。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「褒めてはいない」
ボスヤスフォートの声は、冷たい。
「お前は確かに強い。
人を煽り、競わせ、淘汰を促し、世界に圧をかける。
それは利用価値がある。
しかし、お前には決定的に欠けているものがある」
「何だい?」
「統治だ」
一拍。
「お前は壊す。選ぶ。削る。競わせる。
だが、その先に何を置く?
残った者たちに、いかなる秩序を与える?
どのような法で縛り、どのような理で世界を保つ?」
シックスは鼻で笑った。
「保つ必要があるのか?」
ボスヤスフォートの目がわずかに細くなる。
「……やはりな」
「君はそこを勘違いしている。
僕は王じゃない。
少なくとも、君みたいな意味での王ではない。
僕は種の上位者だ。
支配は手段であって目的じゃない。
人間社会を長持ちさせることになんて、興味はないよ」
その言葉に、ボスヤスフォートは背もたれに体を預けた。
ため息にも似た、ごく小さな吐息。
「ならば、お前は君主ではない」
「最初からそう言っている」
「災厄だ」
シックスの笑みが、少しだけ深くなる。
「君にとってはね」
「いいや、違う」
ボスヤスフォートはゆっくりと立ち上がった。
その動きには威圧も誇示もない。
それなのに、空間全体が彼を中心に再配置されるかのような錯覚があった。
これが、長く国家を、戦争を、文明を弄んできた者の重みか。
「お前は、あらゆる支配者にとっての災厄だ。
理想が違うからではない。
従属しないからだ」
シックスは黙って彼を見る。
「お前のような存在は、敵よりも厄介だ。
敵は打てばよい。
だが、お前は同じ方向を向いているようでいて、決して同じ旗の下には立たない」
ボスヤスフォートは一歩、前へ出た。
「競争を欲する。淘汰を欲する。緊張を欲する。
そこまでは似ている。
だが私は、世界を盤上に置く。
お前は盤そのものを叩き割る」
「盤にしがみつくから、そんな発想になるんだ」
「盤がなければ、駒は意味を持たん」
「なら、意味ごと淘汰されればいい」
空気が軋んだ。
殺気ではない。
もっと冷たく、もっと知的で、もっと悪質なもの。
互いが互いの思想を理解した上で、絶対に譲れない部分を見出した時にだけ生まれる、完全な拒絶。
ボスヤスフォートは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「面白い」
「そうかい?」
「お前のようなものは珍しい。
愚かな理想家でもなく、卑小な権力亡者でもなく、ただ選別そのものを愛している」
「愛してはいないさ。
当然のことをしているだけだ」
「その当然が、世界をどこまでも不安定にする」
「不安定で何が悪い?」
「不安定はよい」
ボスヤスフォートは言い切った。
「だが、制御されぬ不安定は、ただの浪費だ」
シックスはそこで初めて、少しだけ興味を示したように首を傾げた。
「浪費?」
「そうだ。
戦争には意味がなければならん。
混乱には方向がなければならん。
犠牲には帰結がなければならん。
私は、世界に緊張を与える。だが、それは世界を動かすためだ」
「君はずいぶん、自分を必要な悪だと思っているんだね」
「必要だ」
即答だった。
一片の躊躇もない。
その断定は傲慢というより、もはや信仰に近かった。
「私がいなければ、世界は眠る。
眠れば腐る。
腐れば死ぬ。
ならば、眠らせぬ者が必要だ」
シックスは、ふっと笑った。
「その役目を、自分にしかできないと?」
「少なくとも、お前にはできん」
「それは同意しよう」
シックスは一歩も引かないまま、しかし妙に素直に頷いた。
「僕は君みたいに、世界を飼育する趣味はない。
だが、君もまた僕にはなれない。
君は人間を嫌悪しながら、まだ人間社会という器に未練を持っている」
その言葉に、ボスヤスフォートの目がほんのわずかに険しくなる。
「未練だと?」
「そうだ。
君は文明を信じていない。人間を信じていない。平和も信じていない。
それなのに国家には執着する。
君は結局、“支配する対象”を必要としているんだ。
それがなくなるのが、怖いんだろう?」
ボスヤスフォートは答えない。
だが、その沈黙こそが、何より雄弁だった。
シックスは畳みかける。
「君は超帝国の失敗を知っている。
完成が死を招くと知っている。
だから完成させない。
安定させない。
平穏にさせない。
……でもそれは、世界を前へ進めるためじゃない。
君が“腐敗した静寂”を恐れているからだ」
ボスヤスフォートの口元から、笑みが消えた。
「恐怖を知らぬ者の言葉だな」
「いや、よく知っているよ」
シックスの目の奥で、ぞっとするほど暗い光が揺れた。
「だからこそ、断じられる。
君は恐れている。
停滞を。完成を。
そして何より、自分の役割が不要になる瞬間を」
その一言で、場の温度が確実に下がった。
長い沈黙。
やがて、ボスヤスフォートは小さく笑った。
怒りではない。
むしろ、獲物が思った以上に牙を持っていたと知った肉食獣の、乾いた納得。
「……面白い」
「またそれか」
「訂正しよう。
危険だ」
彼は、真っ直ぐシックスを見た。
「お前は思想の刃だ。
研ぎ澄まされすぎていて、柄がない。
誰にも握れんし、自分でも制御できん」
シックスもまた、その視線を受け止める。
「君は鞘だ。
中身が毒でも、形だけは美しく整える。
だが、鞘に納めた刃は、いつか錆びる」
「ならば試してみるか?」
ボスヤスフォートの声が、わずかに低くなる。
「私の秩序が、お前を檻に入れられるか。
あるいは、お前の淘汰が、私の世界を裂けるか」
シックスは、にたりと笑った。
その笑みは少年のように無邪気で、同時に深淵のように不気味だった。
「それは魅力的な提案だ。
でも今日はやめておこう。
君を壊すのは、もっと面白い局面の方がいい」
「賢明だな」
「そうかな。
君も本気で僕を消す気なら、今ここでやっているはずだ」
ボスヤスフォートは否定しない。
その代わり、静かに告げた。
「お前は使える。
だが、生かしておくには危険すぎる」
「君も同じだよ」
シックスは踵を返しかけて、ふと足を止めた。
「最後に一つ、聞いていいかな」
「何だ」
「君主としての器、というやつだ」
シックスは半身だけ振り向き、細い目で笑う。
「もし、僕のような悪が本当に世界に現れた時――
君はそれをどう扱う?」
ボスヤスフォートの答えは、一瞬だった。
「決まっている」
その声には迷いがなかった。
国家を潰し、文明を焼き、英雄を使い潰し、なお立ち続けてきた者だけが持つ、冷徹な確信。
「価値を見極め、利用し、主権を渡さず、
最後は必ず始末する」
シックスは、嬉しそうに笑った。
「満点だ」
「お前は?」
「僕かい?」
シックスは振り向かないまま答えた。
「君みたいな支配者は嫌いじゃない。
だからこそ、壊しがいがある」
そう言い残して、彼の気配が闇の中へ溶けるように消えていく。
ボスヤスフォートはしばらくその場に立ち尽くし、やがて誰に向けるでもなく、小さく呟いた。
「……やはり災厄か」
その声には、わずかな愉悦と、確かな警戒が混じっていた。
彼は理解していた。
あれは臣下にはならない。駒にもならない。
同じ理屈の言葉を使いながら、決して同じ世界には立たない怪物だ。
一方で、消えゆく闇の向こうでは、シックスもまた笑っていた。
「なるほどね。
やっぱり君は、世界を支配するには向いている」
そして、心から楽しそうに付け加える。
「でも、“新しい世界”には向いていない」
こうして会談は終わった。
和解も同盟もなく。
だが決裂でもない。
互いに結論は出した。
ボスヤスフォートにとってシックスは、
価値あるが、決して王座のそばに置けぬ災厄。
シックスにとってボスヤスフォートは、
有能ではあるが、古い世界に執着したままの管理者。
似ているからこそ、相容れない。
理解できるからこそ、許せない。
その二つの悪意は、握手の代わりに、
いつか必ず訪れる破局の予告だけを残して別れたのだった。