ボスヤスフォート vs シックス   作:ギアっちょ

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先に拾う

首相府の会議室に、資料の紙擦れだけが鳴っていた。

 

ボスヤスフォートは長机の端に立ったまま、中央演算局から上がってきた新しい名簿を眺めている。

前話で洗い出された「同型の傷を持つ者」――接続を失った者、評価を落とした者、使われながら本命から外された者、そして制度の外へ零れかけている有力人材。

 

その一枚を、彼は机へ置いた。

 

「次を拾う」

 

短い言葉だった。

 

だが、その場にいた者には十分だった。

前回ルカ・アルノを半歩遅れで掴み損ねたあと、この首相が本気で方針を変えたことは、もう誰の目にも明らかだった。

 

レオードが記録板を開く。

 

「候補は複数あります。

騎士、ダイバー、未契約者、研究職。

その中で現時点でもっとも血族に食われる危険が高いと思われるのは――」

 

別の紙が卓上へ滑った。

 

シオン・ハルトマン

 

ユリウスの視線が、ほんのわずかに止まる。

 

ボスヤスフォートはそれを見たが、何も言わない。

代わりにレオードが続ける。

 

「ダイバーの家系に生まれた若手研究職。

パラ・サイマルに秀で、超帝国遺産復旧案件に従事。

ただし過去の事故・失策処理を機に中央から外され、現在は山間の地方研究施設へ。

業務自体は重要ですが、本人への情報開示は限定的。

人事評価には“対人折衝不全”“協調性欠如”“配置維持困難”との記録が残っています」

 

クラヴィスが鼻を鳴らした。

 

「要するに、使えるが扱いづらい」

 

「正確には」

 

レオードが淡々と言う。

 

「使えるからこそ、目立たない場所へ押し込まれた可能性が高い」

 

ボスヤスフォートが口を開く。

 

「パラ・サイマルに優れた研究職。

しかも、超帝国遺産に触れている」

 

その声は低い。

 

「血族が放っておく理由がない」

 

会議室が静まる。

 

ユリウスが一度だけ資料を見下ろし、それから言った。

 

「……兄です」

 

「知っている」

 

ボスヤスフォートは即答した。

 

「だからお前も行く」

 

そこへ、クラヴィスが少しだけ眉を寄せる。

 

「“も”?」

 

ボスヤスフォートは視線を上げた。

 

「クラヴィス、お前もだ」

 

「俺が?」

 

「お前が行け」

 

その言い方が、命令としてあまりに迷いがなかったので、クラヴィスは返す言葉を一瞬失った。

 

「どうして俺を」

 

「必要だと言われながら、本命から外される人間の顔を、お前が一番よく知っているからだ」

 

一拍の沈黙。

 

ユリウスの目がわずかに伏せられる。

クラヴィスのこめかみがぴくりと動いた。

 

傷口を、言い訳なしで指で押された。

だがボスヤスフォートは、そのまま続ける。

 

「今回は説得ではない。

保護だ。

脅すな。

恩を売るな。

“帝国はまだお前を見ている”と、事実だけを持っていけ」

 

クラヴィスはしばらく黙っていた。

それから低く言う。

 

「……拾え、と」

 

「そうだ」

 

「拾って、どうする」

 

「働かせる」

 

あまりにもボスヤスフォートらしい返答だった。

 

「だが今までのように、便利な場所へ押し込んで都合よく使うつもりはない。

必要な場所に置き、必要な情報を渡し、必要な接続を与える。

少なくとも、“何のためにここにいるのかも知らされず腐る”状況は終わりだ」

 

レオードが補足する。

 

「対象施設は農業施設に偽装されています。

表向きは食料生産と魔導土壌試験。

地下に超帝国遺跡が埋没し、現在も発掘と復旧が継続中。

現場人員は段階的に情報を遮断されており、全体像を把握している者はごく一部です」

 

「……なるほどな」

 

クラヴィスが呟く。

 

「重要だと言われながら、重要性そのものは教えられない。

それで腐るなという方が無理か」

 

「だから先に拾う」

 

ボスヤスフォートは言った。

 

「ルカと同じ轍は踏まん」

 

その一言で、会議は終わった。

 

山間へ向かう車中、しばらく二人は何も話さなかった。

 

クラヴィスは窓の外を流れる灰色の峰々を見ている。

ユリウスは膝の上の記録板を閉じたまま、必要以上の説明をしようとしない。

 

やがてクラヴィスが、前を見たまま言う。

 

「兄、だったな」

 

「はい」

 

「似ているのか」

 

「……どうでしょう」

 

ユリウスは少し考えてから答えた。

 

「能力の向く先は、むしろ私より尖っています。

人に興味がない。

正確には、人と関わる優先順位が極端に低い。

昔から、“誰かと喋っている時間があるなら仕事したい”と言う人でした」

 

クラヴィスは少しだけ口元を歪めた。

 

「嫌われそうだな」

 

「嫌われるというより、疎まれる方でしょう。

感情を拾わないので」

 

「お前は?」

 

ユリウスは答えなかった。

少し遅れて、淡々と返す。

 

「兄ですから」

 

それだけで十分だった。

 

研究施設は、山肌に沿うように広がっていた。

 

一見すると、大型の農業試験施設にしか見えない。

傾斜地を均した温室群。

水路。

土壌改良塔。

搬入車両の格納庫。

周囲に張られた金網と、妙に整いすぎた作業道。

 

重要そうには見えない。

だが重要でない施設が、こんな山奥にこれほどの予算で作られるはずもなかった。

 

「偽装としては上出来です」

 

ユリウスが短く言う。

 

クラヴィスは施設全体を見回し、鼻を鳴らす。

 

「“大事なものほど目立たなく隠す”か。

性格が悪い」

 

「その意見には同意します」

 

入口で身分確認を済ませ、二人は内部へ通された。

地上棟は本当に農業研究施設の顔をしている。

土壌試験槽、育成棚、栽培記録。

だが案内された先は、さらに奥だった。

 

一つ下る。

もう一つ下る。

 

厚い隔壁の向こう、地下区画。

 

空気の匂いが変わる。

土と石と、古い金属。

地上の人工的な清潔さとは別の、もっと深い時代の匂いだった。

 

そこに、シオン・ハルトマンはいた。

 

片眼鏡をかけた痩せた男。

年齢はユリウスより上だが、やつれて見えるぶん、逆に若さも残っている。

髪は整えているのに、寝不足のせいで前髪の影が目元へ落ちていた。

作業衣は清潔だが、袖口だけが紙と石粉で白くなっている。

机の上には複数の断片資料、復元ログ、超帝国文字の写し、魔導演算式の途中式。

 

彼は顔を上げるなり、歓迎の色を一切見せなかった。

 

「わざわざ中央から?」

 

低い声だった。

 

「……失敗者の顔でも見に来ましたか」

 

ユリウスが一歩出る。

 

「兄上」

 

「その呼び方をするのは家族だけだ。

ここではやめてくれ」

 

「では、シオン」

 

「それも今さらだな」

 

刺がある。

だが感情的というより、最初から誰に対してもこうなのだろうという種類の刺だった。

 

クラヴィスはその横顔を見て、少しだけ理解する。

たしかに人事が嫌がりそうな人間だ。

 

シオンは二人を値踏みしたあと、クラヴィスへ視線を止めた。

 

「あなたは」

 

「クラヴィス・ヴェルナー」

 

「……なるほど」

 

片眼鏡の位置を指で直しながら、シオンは淡々と言う。

 

「暁星機動団の次官殿が、こんな農業施設まで。

ますます“ただの顔見学”ではなさそうですね」

 

「顔見学なら、もっと愛想のいい相手を選ぶ」

 

クラヴィスが返す。

シオンの目が、わずかにだけ細くなった。

 

「そうでしょうね」

 

その返しに、ユリウスが少しだけ肩の力を抜いた。

最初の衝突は、最悪の方向には転がっていない。

 

シオンは机上の資料をまとめるでもなく、そのまま言う。

 

「用件を。

私は忙しい」

 

「見ればわかる」

 

クラヴィスが周囲の資料を見る。

写し、復元式、地下遺構の断面図、用途不明の古代演算配列。

 

「大層な仕事らしいな」

 

「大層だと聞いています」

 

「お前自身は知らんのか」

 

「大枠は」

 

シオンは無表情のまま言う。

 

「超帝国時代の遺産復旧。

その中でもダイバーフォース関連の断片解析。

ただし詳細は段階遮断。

私の権限ではここまで」

 

「重要だと言われて、実際には何を掘らされているかも全部は知らされないわけか」

 

「そうです」

 

「気に食わないか」

 

少しだけ間があった。

 

シオンは初めて、真正面からクラヴィスを見た。

 

「重要な仕事だとは思います」

 

その声音は冷静だった。

 

「ここで行っている復旧が、今後の技術体系を根本から変える可能性も理解している。

地下に眠っているのが、ただの農具や建築様式の記録ではないこともわかる」

 

片眼鏡の奥の目が、わずかに曇る。

 

「ですが、何のためにここに居るのかと問われれば、正直に言って答えに困る。

必要だから置かれたのか。

中央で使いづらいから押し込まれたのか。

重要だから隔離されたのか。

面倒だから外されたのか。

……その区別が、あまりに曖昧です」

 

クラヴィスは何も言わない。

ユリウスが一歩だけ近づいた。

 

「兄上は必要だからここにいる」

 

シオンは鼻で笑う。

 

「弟から聞くには、便利な言い回しだ」

 

「事実です」

 

「なら、なぜ私は“何を復旧しているか”の全容すら知らされない」

 

その問いには、少しだけ熱が混じっていた。

怒鳴りはしない。

だが、冷えていた声の底だけが熱い。

 

「私の仕事は重要だ、と皆言う。

それは便利な部品に向ける言葉としては、たしかにちょうどいい」

 

クラヴィスがそこで口を開いた。

 

「必要だと言われながら、本命から外されるのが一番腐る」

 

地下室が静まる。

 

シオンの目が、初めてはっきりと揺れた。

ユリウスも、わずかに視線を横へ動かす。

 

クラヴィスは壁にもたれず、腕も組まない。

ただまっすぐ立ったまま続ける。

 

「役に立つ。

使える。

優秀だ。

だが最後に“お前ではない”と言われる。

そのまま必要な場所へ押し込まれる。

必要だという評価が、選ばれない理由と同じ顔をしてくる」

 

シオンは黙っていた。

 

クラヴィスの声もまた、低い。

 

「ボスヤスフォートは、それを知った上で俺を寄越した」

 

その名が出た瞬間、シオンの片眼鏡がわずかに光る。

 

「首相が?」

 

「ああ」

 

「監察ですか」

 

「違う」

 

クラヴィスは短く切る。

 

「拾いに来た」

 

一拍。

 

シオンが、ほんの少しだけ眉をひそめる。

 

「……拾う?」

 

「帝国は、お前をまだ見ている」

 

それは、ボスヤスフォートに命じられた通りの言葉だった。

だが今ここでは、命令文句ではなく、クラヴィス自身の温度を帯びていた。

 

「中央から外したことを正しいとは言わん。

情報の渡し方も、扱いも、雑だった。

だが、捨てたつもりもない」

 

ユリウスが続ける。

 

「兄上に関して、中央側の再評価が動いています」

 

「今さら?」

 

「今だからです」

 

シオンの口元が少しだけ歪む。

 

「都合のいい時だけ“今だから”か」

 

「そうだ」

 

クラヴィスが言った。

 

「都合が悪いから今さら来た。

それでいい。

今さらでも来た方が、来ないよりはましだ」

 

シオンはしばらく何も言わなかった。

机上の復元ログへ視線を落とし、指先で紙端を整える。

癖のような動きだった。

 

やがて彼は低く言う。

 

「……私は、ここでやるべき仕事がある」

 

「知っている」

 

ユリウスが答える。

 

「だから連れ戻しに来たわけではありません」

 

「では何を」

 

「保護です」

 

その一語に、シオンの目が細くなる。

 

「大げさだ」

 

「そうでもない」

 

クラヴィスが地下室の天井を見上げた。

 

「超帝国遺産。

ダイバーフォース関連。

お前の頭の中に溜まり始めている断片。

それを欲しがる連中は、帝国の外にもいる」

 

シオンは何も返さない。

返さないが、その沈黙自体が、すでに理解している者のそれだった。

 

ユリウスが言う。

 

「兄上、ここは目立たない」

 

「偽装施設だからな」

 

「だからこそ、誰かに“目を付けられた後”は脆い」

 

シオンの指先が止まる。

 

「……何かあるのか」

 

クラヴィスとユリウスは、一瞬だけ視線を交わした。

ここで全部は言えない。

だが、何も言わなければ遅い。

 

クラヴィスが選んだ。

 

「新しい血族だ」

 

その名が地下室の空気を変えた。

 

シオンが初めて、はっきりと不快そうな顔をした。

 

「噂は聞いています」

 

「噂で済む段階を過ぎた」

 

「私に?」

 

「お前だからだ」

 

クラヴィスの声に迷いはない。

 

「使える。

しかも、自分が使われることにまだ納得していない。

そういう人材を、あいつらは嗅ぎつける」

 

シオンの沈黙は長かった。

 

やがて、かすかに笑う。

自嘲に近い笑いだった。

 

「……皮肉ですね」

 

「何がだ」

 

「中央に疎まれて、地方へ押し込まれた。

そのうえ今度は、外から狙われる価値があると言われる」

 

クラヴィスは少しだけ口元を動かす。

 

「腐るには十分だな」

 

「ええ」

 

「だから先に来た」

 

その一言に、シオンの片眼鏡の奥が揺れた。

今度は、さっきとは違う揺れ方だった。

 

ユリウスが静かに言う。

 

「兄上」

 

「何だ」

 

「兄上は昔から、人と話すのが下手でした」

 

「知っている」

 

「ですが、能力まで否定されたことは一度もない」

 

シオンは何も言わない。

 

「今回は、そのことを伝えに来ました」

 

地下区画の機関音が、低く鳴る。

地上では風が温室の壁を撫でているのだろう。

この施設は一見のどかだ。

だが地下に眠っているものも、そこへ集まる人材も、少しでも綻べば十分に危うい。

 

シオンは椅子へ深く座り直した。

 

「……一晩くれますか」

 

クラヴィスは即答しなかった。

代わりにユリウスを見る。

ユリウスは小さく頷く。

 

「一晩」

 

クラヴィスが言う。

 

「ただし、その間に施設警備は増やす。

不快でも我慢しろ」

 

シオンが目を上げる。

 

「もうそこまで」

 

「遅いくらいだ」

 

クラヴィスはそう言って、初めて少しだけ表情を緩めた。

 

「ボスヤスフォートは、遅れた後の顔をもう知っている」

 

その言い方に、シオンは問い返さなかった。

代わりに、机上の断片資料をまとめ始める。

 

「わかりました」

 

それは承諾ではない。

だが拒絶でもなかった。

 

二人が地下区画を出る時、地上の空気は少しだけ冷えていた。

 

農業施設めいた温室群の向こうに、山の稜線が曇って見える。

偽装の下に遺跡。

のどかな顔の下に危険。

ここもまた、名簿の外へ零れかけた場所なのだろう。

 

戻りの通路で、クラヴィスが歩きながら言った。

 

「兄だったな」

 

「はい」

 

「お前より面倒だ」

 

ユリウスは少しだけ口元を緩める。

 

「昔からです」

 

「だが、お前よりわかりやすい」

 

「そうですか」

 

「“必要だが本命じゃない”と言われ続けた顔をしていた」

 

ユリウスはそこで少しだけ黙った。

やがて静かに返す。

 

「……あなたが言うと、重みがありますね」

 

クラヴィスは鼻で笑った。

 

「嫌味か」

 

「事実です」

 

短いやり取りだった。

だが前よりも、言葉が少しだけまっすぐ通る。

 

その頃、施設のさらに外れ。

温室棟の影から、誰かが地下区画の出入口を見ていた。

 

ほんの一瞬。

人影はすぐに山肌の色へ溶ける。

風かもしれないし、気のせいかもしれない。

だが、そういうものが現れる時期に、もう入っている。

 

クラヴィスは振り返らなかった。

ユリウスもまた気づかなかった。

 

ただ、ボスヤスフォートが言った通りだった。

 

先に拾う。

先に手を打つ。

でなければ、名簿の外へ零れた傷は、こちらが掴む前に食われる。

 

今回の一手は、ぎりぎりで間に合ったのか。

それとも、もう半歩遅れているのか。

 

答えは、次の夜が知っている。

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