ボスヤスフォート vs シックス   作:ギアっちょ

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霧の中の幻影

ラクリモーサが山を越える時、その巨体は夜明けの薄い光さえ押し潰すように見えた。

 

古い。

重い。

そして、うるさいほどに生きている。

 

関節の駆動音、装甲板の微かな擦れ、背部の重量バランサーが吐く低い唸り。

どれも現代の洗練されたMHのそれとは違う。

速さで黙らせるのではなく、

質量と存在そのもので周囲へ「ここにいる」と言い張る機体だ。

 

そのコクピットの中で、ゼルクは前方の地形図と、

ノクターンから上がってくる各種感応情報を並べていた。

 

研究施設を襲った白いMH――アグヌス。

残された踏み跡、離脱角度、霧の流れ、外周センサーの残留記録。

それらを辿った先が、この山越えの先に広がる低湿地帯だった。

 

「追跡線は、ここで一度消えています」

 

ノクターンの声は相変わらず静かだ。

だが、静かなだけに、その一言には余計な感情が混ざらない。

 

ゼルクは前方を睨んだ。

 

山を抜けた先に、平野がある。

平野といっても乾いた大地ではない。

浅い水場と柔らかい土が広がる、風の止まる盆地じみた土地だ。

気温差が出れば霧が溜まる。

軽量高機動機が身を隠すには、ひどく都合がいい。

 

「誘っているな」

 

低く呟く。

 

「ええ」

 

ノクターンは否定しない。

 

「ですが、追わなければシオンの痕跡もまた薄れます」

 

「わかっている」

 

ラクリモーサの視界端に、同行している補助車両の影が小さく残る。

後方には地上部隊。

さらに後ろには、ビスマス公とコバルトを乗せた支援車両も控えている。

 

だが、この霧地帯に入ってしまえば、

最終的に頼れるのはこの機体と、このファティマだけだ。

 

ノクターンが続ける。

 

「マスター」

 

その呼び方にも、ゼルクはもういちいち反応しなくなっていた。

それが自然になってしまったこと自体、少し前の自分なら信じなかっただろう。

 

「なんだ」

 

「まずは落ち着いてください。

MHの巨体が動けば、風が乱れます。

私が、その気圧の変化とMHのエンジン音を読みます。

マスターは落ち着いて対処を」

 

ゼルクは短く息を吐いた。

 

「了解した」

 

それだけで充分だった。

 

ラクリモーサが平野へ踏み込む。

 

ぬかるみが重い脚を受け止め、次の一歩を返す。

そのたび、浅い水面が割れ、霧が細かく散ってはまた集まる。

少し進んだだけで視界は白に喰われた。

前方だけではない。上下左右、全部が少しずつ曖昧になっていく。

 

「……妙だな」

 

ゼルクが言う。

 

「濃すぎる」

 

「自然の霧だけではありません」

 

ノクターンの応答は早い。

 

「熱源攪乱。

気流の撹拌。

意図的に“溜めて”います」

 

「血族の仕事か」

 

「ええ。

そして、この濃さなら――」

 

ノクターンが言い終えるより先に、ラクリモーサの外殻が低く軋んだ。

 

来る。

 

ゼルクが反射的に構えを上げた、その瞬間だった。

 

突如、霧の奥でエンジン音が裂けた。

 

真正面ではない。

左。

いや、違う。

右からも。

上からも。

まるで同時に複数のMHが回り込んできたみたいに、音だけが何重にも走る。

 

「来ます!!」

 

ノクターンの声が鋭くなる。

 

次の瞬間、霧の中に五つの影が立った。

 

白い。

細い。

翼じみたものを背負っている。

一つではない。二つでもない。

五つ。

 

「パラレルアタックか……!」

 

ゼルクの歯が食いしばられる。

 

霧を裂く五影。

どれも本物に見える。

どれも今にも斬り込んできそうな気配を持つ。

 

そしてその五つの影が、一斉に刃を振るった。

 

空気が裂ける。

 

真空斬り。

MHの膂力と加速が生む、実体を持たない斬撃――ソニックブレード。

 

ゼルクはラクリモーサの左腕を上げた。

受けるのではない。

逸らす。

重装甲と質量を使って、真正面からではなく、角度だけを殺す。

 

真空が装甲を削り、火花が白い霧の中へ散る。

二撃、三撃、四撃。

最後の一撃だけが、少し深い。

 

「くっ――!」

 

だが落ちない。

ラクリモーサは踏みとどまった。

 

その直後、霧の向こうから笑うような声が響いた。

 

「ほう、今の一撃で落ちないとは流石だねぇゼルク『先輩』ッツ」

 

軽い。

だが軽いだけではない。

聞き間違えるはずのない癖が、その語尾に残る。

 

ゼルクの目が細くなる。

 

「今の太刀筋……」

 

さらに、次の一歩。

 

影の一つが霧の中で大きくずれ、足運びだけが一瞬だけ見えた。

踏み込みの前に半拍、重心を外へ逃がし、そこから内へ巻き込むように入る。

あの崩し。

あの足さばき。

生身でも使っていた、あの癖。

 

「……やはりおまえか、ルカ」

 

霧の向こうで、白い影の一つがわずかに止まる。

 

「気づくか」

 

ルカの声は、今度は少しだけ低かった。

 

「流石だね、先輩」

 

その言い方に、昔の温度がほんのわずかだけ残っている。

だから余計に、今この場で敵として立っている事実が嫌だった。

 

ゼルクは返す。

 

「相変わらず、足が騒がしい」

 

「そっちは相変わらず、重いくせにしぶてえな」

 

言葉を交わした、その次の瞬間にはもう影が動く。

 

五つの白影が再び散った。

今度は左右だけでなく、高さも変えてくる。

六枚のバインダーが霧を切るたび、一瞬だけ本物より多く見える。

五影ではない。

七つにも、八つにも見える。

視界が役に立たない。

 

「マスター、追わないで」

 

ノクターンが言う。

 

「影は霧を裂く。

本命だけが風を押してきます」

 

「どれだ」

 

「三つ目……いえ、右上」

 

ゼルクは指示通りに機体を捻る。

次の瞬間、右上から白い刃が滑り込んだ。

今度は真空ではない。

実剣だ。

 

ラクリモーサの肩装甲が弾ける。

だがゼルクはそのまま体重をかけ、剣の軌道へ己の刃を差し込んだ。

 

金属音。

 

霧の中、白銀と黒鉄が一瞬だけ噛み合う。

 

近い。

 

相手の機体が見えた。

白い。

細い。

背には六枚の翼。

胸部から首筋、肩へかけて、赤い脈みたいなラインがうっすら走っている。

 

そして、そのすぐ後ろから、もう一つの声が響いた。

 

「……ゼルク坊っちゃん。私です」

 

ゼルクの呼吸が、一瞬だけ止まる。

 

カメオ。

 

あの呼び方。

あの距離の取り方。

昔の家の中で聞いた声と、今の戦場で聞く声は同じはずなのに、まるで違うものに聞こえた。

 

「カメオ……おまえまで」

 

「ええ」

 

声は柔らかい。

柔らかいが、それだけだ。

そこに戻る場所はもうない。

 

「いろいろありましたの」

 

その一言だけで充分だった。

今ここで、それ以上を語る気はないという意思表示でもある。

 

白い影が再び離れる。

そして今度は完全に、ルカが前へ出た。

 

「先輩」

 

軽い呼び方。

だが刃は軽くない。

 

「ここで引いてくれりゃ、俺も助かるんだけどな」

 

冗談みたいな口調だった。

けれどゼルクには、その奥にほんのわずかな本音があるのがわかってしまう。

 

「ふざけるな」

 

「だろうな」

 

ルカは笑った。

その笑い方が、昔と少しだけ似ているから、余計に腹が立つ。

 

次の瞬間、アグヌスがまた霧に溶けた。

 

今度のパラレルアタックはさっきより深い。

五つの影が円を描くようにラクリモーサの周囲を走り、

霧そのものを削って白い壁を作る。

 

「マスター、左!」

 

ノクターンの声。

ゼルクが受ける。

受けた直後、右下。

さらに正面。

本命はどれだ。

 

「足運びが変わった……!」

 

ゼルクが唸る。

 

「変えてるんだよ!」

 

霧のどこかでルカが答える。

 

「先輩に見切られたままで終わるわけにはいかない!」

 

その声は、たしかに本気だった。

 

だが本気であることと、殺し切ることは違う。

ゼルクは打ち合いながら、どこかで感じていた。

ルカは攻めてくる。

容赦も薄い。

なのに、決定的に首を取りに来る詰めだけが、妙に荒い。

 

「……まだ迷っているな」

 

「うるさいッツ!」

 

霧の奥で白い影が跳ねた。

同時にアグヌスの装甲を這う赤い脈が、さっきより濃くなる。

 

コクピットの内側で、カメオが短く息を呑んだ。

 

「ルカ」

 

「まだ行ける」

 

「行けても、この子が保たないわ」

 

アグヌスの膝関節が一瞬だけ鈍る。

すぐにルカが補うが、その半拍の乱れはゼルクにも伝わった。

 

「今だ」

 

ラクリモーサが前へ出る。

重い。

だが重いからこそ、一度距離を詰めた時の圧が違う。

 

アグヌスが後退する。

ルカの舌打ちが聞こえる。

 

「くそ……パラレルアタックを多用しすぎたか」

 

「マスター!」

 

今度の“マスター”はノクターンではない。

カメオの声だ。

 

「この子の関節がもう持たない!」

 

「ちっ……!」

 

ルカは一瞬だけ迷い、それから吐き捨てるように言う。

 

「ここは引くぞ、カメオ。未調整とは聞いていたが、これ程とはな……」

 

ゼルクは逃がさない。

ラクリモーサの巨体がさらに踏み込む。

 

「逃がすか!」

 

その瞬間だった。

 

霧が、別の意味で割れた。

 

白い機体でも、黒鉄の重機でもない。

もっと軽く、もっと人間そのものの形で、そこに立っている影がある。

 

「ここは見逃してもらおう」

 

柔らかな声。

薄い笑み。

 

シックスだった。

 

ラクリモーサの視界に、たった一人の人影として現れたというのに、

その存在だけで場の空気が一気に戦闘から交渉へ引きずり下ろされる。

 

ゼルクが低く唸る。

 

「……シックス」

 

「やあ」

 

まるで旧知の相手にでも会ったような気軽さで、シックスは片手を上げる。

 

「いい再会だったね。

先輩と後輩。

旧い家のファティマ。

主従の巡り合わせとしては、なかなか趣がある」

 

「ふざけるな」

 

「ふざけてはいないよ」

 

シックスは笑みを崩さない。

 

「ただ、ここで続けるのは賢くない」

 

その声が少しだけ低くなる。

 

「こちらには、シオンがいる。

 意味は……

 わかる・・・ね?」

 

霧の中が、しんと静まった。

 

ノクターンの気配が鋭くなる。

ゼルクの握る操縦桿に、力が入る。

追えば届くかもしれない。

だが、その瞬間に向こうが何をするかは読めない。

 

ルカもカメオも、もう半歩退いている。

アグヌスの六枚羽は閉じかけていた。

逃走準備だ。

その間にシックスが盤面を握り直した。

 

ゼルクは歯を食いしばる。

 

「卑怯者が」

 

「ありがとう」

 

シックスはあっさり言う。

 

「正面から褒められるより、その方がうれしい」

 

そして、ほんの少しだけ目を細める。

 

「今回はここまでだ」

 

その声音には余裕しかない。

 

「だが次に会う時、おまえたちの前に立つのは“完全に調整されたアグヌス”だ」

 

その一言に、ゼルクの表情が変わる。

ノクターンもまた、黙ったまま白い機体を見る。

 

完全に調整されたアグヌス。

それはつまり、今見せられた未完成の脅威が、次はもっと鋭くなるということだ。

 

「……楽しみにしているよ」

 

シックスが言い終わる頃には、アグヌスはもう霧の向こうへ下がり始めていた。

 

カメオの声が最後に一度だけ、風に乗る。

 

「ごきげんよう、ゼルク坊っちゃん」

 

それが別れの言葉ではないことくらい、誰にでもわかる。

 

ゼルクは追わない。

追えないのではない。

追って、シオンに何か起きた時の“次”をまだ持っていないからだ。

 

霧の中で、白い影が消える。

シックスもまた、最初からそこにいなかったみたいに薄くなる。

 

残されたのは、裂けた地面と、削られた装甲と、切り損ねた再会だけだ。

 

しばらくして、ノクターンが静かに言った。

 

「……追えました」

 

ゼルクが振り向く。

 

「何?」

 

「完全ではありません。

ですが、アグヌスの離脱軌道と、シックスの立ち位置、

その両方から読めることがあります」

 

ノクターンの声は落ち着いていた。

戦いのあとでこそ、彼女は静けさを取り戻す。

 

「向こうもまた、完全には余裕がありません。

シオンを使うつもりはある。

ですが、まだ使い方を決めきれていない」

 

ゼルクはゆっくりと息を吐いた。

 

「……そうか」

 

「はい」

 

「なら、次がある」

 

「ええ」

 

ノクターンは迷わず頷く。

 

霧はまだ深い。

平野はまだ敵のものだ。

だが、その奥で何が動いているかだけは、少しずつ見え始めている。

 

ラクリモーサが向きを変える。

重い巨体が泥を踏み、再び山へ向かう。

 

背後ではもう、霧の中の幻影は消えていた。

だが幻影であるからこそ、本物より深く胸に残る。

 

先輩と後輩。

家のファティマ。

主従。

そして、まだ切れきらない過去。

 

次に会う時、それが何を断つのか。

 

答えはまだ出ていない。

だが少なくとも、今夜の戦場で一つだけ確かなことがあった。

 

避けられない。

 

もう、誰も。

その戦いからは逃れられない。

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