会議室の重苦しい空気を、レオードが珍しくわざとらしい声で切った。
「若いが腕は立つらしい。
しかも、どうやらまだ女学生だとか」
一瞬だけ、場の温度が妙な方向へ緩む。
「ほう?」
ビスマス公が、さっきまでの難しい顔のまま、しかし眼だけは少しだけ生き返らせた。
「女学生の探偵とは、なかなか面白いではないか」
クラヴィスが呆れたように鼻を鳴らす。
「現場検証でも頼みますか。
『この謎は、もう吾輩の舌の上だ』とか言ってくれるかもしれません」
「……スケベ爺」
コバルトが冷たく言った。
乾いた咳払いが一つ。
それだけで、ふざけた空気はきれいに霧散した。
そして残るのは、笑って済ませられない現実だけだった。
勝ったはずなのに、勝った気がしない。
その感触は、戦場から戻って半日以上が過ぎても薄れなかった。
研究施設の防衛は成った。
アグヌスは退いた。
血族は全面占拠に失敗した。
数字だけを並べれば、帝国側の勝利と呼べる。
だが、第三保管層から抜かれた断片のせいで、
戦果報告の文面そのものがどこか嘘くさくなる。
何を守ったのか。
何を奪われたのか。
その肝心な部分だけが、まだ曖昧なままだった。
首相府地下の会議室。
ボスヤスフォートは席に着かず、いつものように卓の端に立ったまま言う。
「続けろ」
ユリウスが記録板を開いた。
「抜き取られた断片の整理番号を再照合しました。
結論から言えば――ルシェミ主系統ではありません」
「だが、遺跡の外にあるものでもない」
レオードが引き取る。
「分類上は保留。
ただし“異物”ではない。
むしろ、遺跡の初期設計に最初から含まれていた別系列と見た方が自然です」
クラヴィスが眉を寄せた。
「つまり、こっちが勝手に“ルシェミ研究施設”だと思い込んでいただけか」
「少なくとも、その可能性は高い」
ユリウスの声は静かだった。
静かだが、その静けさの奥に悔しさがある。
「兄上のメモにも残っています。
“変性理論の本流にどうしても嵌まらない断片”
“古い鍵に似る”
“用途不明につき保留”
そういう記述ばかりです」
「シオンですら、意味づけきれなかった」
ゼルクが低く言う。
「ええ」
ユリウスは頷いた。
「兄上も、色眼鏡の外までは見切れなかった」
ボスヤスフォートがそこで口を開く。
「我々はルシェミを見ていたのではない」
全員の視線が集まる。
「ルシェミに見えるものだけを拾っていたのかもしれん」
その一言は重かった。
研究施設の幹部も、本部も、現場の研究者たちも、皆その前提で動いてきたのだ。
ビスマス公が、机上の断片写真を指先で叩く。
「焦点がずれておった、ということだな」
「ええ」
コバルトが苦い顔で続けた。
「見たいものだけを見ていた。
だから、そこにある価値そのものを“価値ではない”扱いして脇へやった」
クラヴィスが吐き捨てる。
「最悪だな。
奪われた後になって、ようやく見落としてたと気づくのか」
「だから再点検する」
ボスヤスフォートの声は揺れない。
「遺跡の本質が本当にルシェミだけなのか、再点検しろ」
その命令で、会議の向きが定まった。
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地下遺跡は、地上の損壊とは別の顔をしていた。
静かで、冷たく、古い。
研究施設としての灯りや通路は整備されているが、
その奥にある石と金属の気配は、いまだに“人の理解の外”の匂いを放っている。
現地へ降りたのは、
ユリウス、ノクターン、ビスマス公、コバルト、ゼルクの五人だった。
第三保管層の奥。
抜き取られた断片が収められていたスロットの前で、ユリウスが膝をつく。
「ここです」
保管槽そのものは小さい。
だが、周囲の刻印が妙だった。
ルシェミ系の変性式でよく見る流れとは、どうにも噛み合わない。
むしろ何かを“通す”か、“繋ぐ”ための形に見える。
コバルトが目を細める。
「式じゃない」
「認証に近いな」
ビスマス公が続けた。
「少なくとも、物質変性の主系列ではない。
扉か、回路か、あるいは――」
「鍵穴」
ユリウスが呟いた。
自分で口にしてから、その語が妙にしっくり来ることに、逆に薄ら寒さを覚える。
ノクターンが壁面の刻印へ指を滑らせるように視線を動かした。
「遺跡は一つの力だけのために作られていません」
その静かな言葉に、ゼルクが顔を向ける。
「どういう意味だ」
「層です」
ノクターンは振り返らない。
「変性理論の痕跡はたしかに強い。
ですが、その下に別の系統が埋まっている。
我々は、上に塗られた一色だけを主だと思っていた」
「ずれていたのか」
ゼルクの声に、誰もすぐには答えなかった。
やがてユリウスが、抜かれたスロットの周囲を見つめたまま言う。
「ええ。
焦点そのものが」
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戻った会議室で、方針はさらに現実的なものへ移っていく。
ルシェミ以外の系統を洗うこと。
保留資料の再分類。
血族の再侵攻に備えること。
そして、アグヌスへの対策を一段進めること。
ゼルクは前回の戦闘記録を見ながら、低く言った。
「あの白い機体は、次にもっと仕上がって来る」
「来るでしょうね」
クラヴィスが腕を組む。
「前回でもう十分速かった。
次はさらにやりにくくなる」
「どうしたって、こちらは重い」
ビスマス公の言葉は不満を隠さない。
ラクリモーサは重装甲の怪物だ。
それが美点であり、誇りでもある。
だがゼルクはそこで一歩踏み込んだ。
「なら、捨てればいい」
会議室が少しだけ静まる。
「何をだ」
「装甲だ」
ゼルクはラクリモーサの設計図を指した。
「いざという時に限ってでいい。
追撃に不要な外装、重量だけを食う増加防御層。
あれを戦闘中に切り離して軽装化する」
ビスマス公が露骨に眉をひそめた。
「馬鹿を言うな。
そんなもの、ラクリモーサの美点を捨てるようなものだ」
「重いままでは、あの白い機体を噛み切れない時がある」
ゼルクは引かない。
「前回はまだ追いきれた。
だが次はもっと速くなる。
その時、こちらがいつまでも“重い誇り”に縛られていたら、追いつけない」
ノクターンが静かに補足した。
「必要な時だけで構いません。
追うための数秒が欲しいのです」
コバルトが腕を組む。
「緊急外装排除、ね……」
レオードが記録を見ながら口を挟む。
「理論上は可能です。
ただし一度切れば防御力は大きく落ちる。
機体バランスも変わる。
戻せません」
「戻らない方がいい」
ゼルクは即答した。
「噛みつく時は、戻ることを考えるな」
その一言に、ノクターンだけがわずかに目を細めた。
賛同でも驚きでもない。
ただ、“今の主がどこを見ているか”を確かめた者の顔だった。
ボスヤスフォートは短く言う。
「採用だ」
ビスマス公が不満げに息をついたが、反論はしなかった。
わかっているのだ。
古き怪物もまた、生き残るためには鎧を脱ぐ必要がある時が来るのだと。
「次は追うな」
ボスヤスフォートが続ける。
「入ってきたところを噛め。
逃げようとしたら、そこで装甲を捨ててでも追え」
ゼルクは頷く。
「承知した」
ノクターンもまた、何も言わずにその横で立っている。
それだけで十分、主従だった。
会議の終わり際、誰かがまた私立探偵の話を持ち出しかけ、
コバルトに睨まれて黙った。
その小さなズレも含めて、
今日の会議は“焦点を合わせ直す”ためのものだったのだろう。
だが、合わせ直した先に見えるものが救いである保証はどこにもない。
血族は、すでに一歩先へ行っている。
シックスは、断片を“鍵”として扱い始めている。
こちらはまだ、その鍵穴の形をなぞっているだけだ。
会議室を出る時、ゼルクがふと立ち止まった。
「ノクターン」
「はい、マスター」
「次は、追いつく」
ノクターンは短く頷く。
「次は、見失いません」
重い機体。
速い敵。
ズレた焦点。
そして、まだ言葉になりきらない謎。
それでも、進むしかない。
焦点がずれていたなら、合わせ直せばいい。
その先で何を見てしまうのかは、まだ誰にもわからなかった。