人の営みより古く、
石と金属の継ぎ目に潜み、
近づく者を見ている小さな守護者。
名をスプリガン。
それが本当かどうか、ゼルクは知らない。
だが、もし本当にいるのだとしたら――
重戦車めいたMHが遺跡に銃口を向ける時、
その妖精はいったい何を思うのだろうか。
会議室の空気は、答えを出した瞬間に冷えた。
ユリウスが並べた断片資料。
レオードが再照合した整理系統。
ビスマス公とコバルトが拾った構造上の違和感。
それらはもう、ルシェミという一つの色では括れなかった。
「命令の流れがある」
ボスヤスフォートが、抜き取られた断片の写しを見たまま言った。
「変性ではない。
物質へ触るための配列ではなく、意志へ触るための並びだ」
誰も口を挟まない。
「認証、接続、命令、支配……」
低く言葉を置き、そしてボスヤスフォートは断じた。
「……ハイブレン・コントロールだ」
その瞬間、会議室の全員が息を止めた。
ユリウスの片眼鏡の奥で目が見開き、
レオードが記録板を持つ手をわずかに強ばらせる。
クラヴィスは眉間に深い皺を刻み、
コバルトは露骨に顔色を変えた。
ビスマス公だけが、眼を細くしたまま低く吐息を漏らす。
「禁断の、支配者の力……」
「そうだ」
ボスヤスフォートの返答は一拍も遅れない。
「失われたダイバー・フォースのうち、生物・人心の支配に関わる系統。
断片だろうと欠片だろうと、残して良い類のものではない」
ユリウスが絞り出すように言った。
「では、血族が奪ったのは……」
「鍵だ」
ボスヤスフォートは短く言った。
「まだ扉そのものではない。
だが、扉へ届く鍵としては十分すぎる」
沈黙は長く続かなかった。
「処分しろ」
その一言に、今度こそ場が凍った。
「……は?」
誰の声だったかも曖昧なまま、ボスヤスフォートは続ける。
「遺跡は廃棄だ。
発掘した資材、得られたデータ、書類――すべて消せ。焼却処分にしろ」
「いま、なんと?」
レオードが聞き返す。
ユリウスも、クラヴィスも、ゼルクも、誰一人として即座に飲み込めなかった。
ボスヤスフォートの声だけが、さらに冷たくなる。
「急ぎ、あの遺跡を消滅させろ。跡形もなく、だ。
必要ならバスター砲で周辺一帯ごと焼き払うことも許可する」
「お待ちください!」
ゼルクが半歩前へ出た。
自分でも、反射に近い動きだったと思う。
「まだ施設側の回収が――人員の整理も、周辺住民の避難さえ終わっていない!
そんなことをすれば、周辺一帯の自然環境への影響も――」
「だからだ」
ボスヤスフォートは、そこで初めてまっすぐゼルクを見た。
「まだ何かある。
だからこそ、焼くのだ」
「しかし――」
「あれは研究すべき対象ではない。封印すべきものだからだ」
その一言は、否定の余地を与えなかった。
「残せば、次に奪われる。
奪われれば、今度は研究施設ひとつでは済まん。
都市の秩序も、人の意志も、何もかもが“誰かの命令ひとつ”で塗り替えられる」
会議室にいた全員が、それぞれ別の意味で青ざめていた。
コバルトが、かすかに唇を噛む。
「そこまで危険なの……?」
ボスヤスフォートは一切揺らがない。
「危険だ。
だから、私が命じる」
ユリウスが言葉を探す。
「ですが……兄上が見ていたものまで、まとめて灰にするのですか」
「シオンの見ていたものが、
すでにハイブレン・コントロールの影に触れていたなら、なおさらだ」
クラヴィスが低く唸る。
「焼けば片はつく。
だが、それは“守る”じゃない。“消す”だ」
「構わん」
ボスヤスフォートは即答した。
「今は消すべきだ。
あれは灰にすべき扉だ」
それが、この会議の結論になった。
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ラクリモーサへのバスターランチャー装備は、作業というより儀式に近かった。
古き怪物の背へ、さらに巨大な砲を接続する。
本来、正面戦闘で振り回す類の装備ではない。
遺跡ごと、地形ごと、意味そのものを消し飛ばすための兵器だ。
整備区画の灯りの下で、ゼルクは無言のまま黒鉄の機体を見上げていた。
ノクターンは半歩後ろに立ち、静かに各種接続値を確認している。
「バスターランチャー、固定完了」
整備士の声が響く。
「転移座標も登録済み。
現地到着後、即照準可能です」
ゼルクは頷いたが、返事はしなかった。
ノクターンが低く言う。
「マスター」
「なんだ」
「今度は守るためではありません」
その言葉が、思いのほか深く刺さった。
「失わせるための出撃です」
ゼルクはしばらく黙っていた。
やがて低く返す。
「わかっている」
「本当に?」
問いではなく、確認だった。
ゼルクはラクリモーサの胸部装甲へ視線を落とす。
前回、アグヌスの斬撃を受けた傷はまだ浅く残っている。
白い六枚羽。
ルカ。
カメオ。
あの遺跡。
あの場所で戦った者たちの顔。
「……わかっている」
もう一度言う。
今度は少しだけ、自分に言い聞かせるように。
ノクターンはそれ以上踏み込まなかった。
ただ、命令に対して迷いのない者の静けさだけを、その場に置いた。
転移後の遺跡は、前よりもさらに静かに見えた。
研究施設としての灯りは最低限に絞られ、主要人員は退避済み。
風が抜ける。
木々の緑が、夜気の中でかすかに揺れる。
遠くで川が鳴っている。
小鳥の声が、まだ完全に暗くなる前の森の端で細く響いた。
ラクリモーサは、その静かな場所に重く降り立った。
背に負ったバスターランチャーが、低い唸りを上げ始める。
エネルギー充填音。
魔導圧上昇。
照準補正。
本来なら、それだけを聞いていればいい。
だが、集中しようとするほど、別の音が浮かび上がってくる。
風が木々を撫でる音。
川のせせらぎ。
小鳥の声。
草を駆ける小さな獣の気配。
そして、あの夜ここで見た研究施設の人々の顔。
資料を抱えて走った者。
負傷者を運んだ者。
恐怖を押し殺して持ち場に残っていた守備隊の眼。
「マスター」
ノクターンの声がコクピットに静かに落ちる。
「照準、固定完了。
バスター砲、発射可能です」
ゼルクはトリガーに指をかけた。
引けば終わる。
いや、終わらせるためにここへ来た。
それが任務だ。
それが命令だ。
だが、引けない。
たったそれだけの動作が、どうしてこうも重いのか。
風が吹く。
木の葉が擦れる。
小鳥がまた鳴く。
遠くの水音が、やけに澄んで聞こえた。
「マスター」
ノクターンがもう一度呼ぶ。
「命令は明確です」
ゼルクは歯を食いしばる。
守るために剣を振るうことと、失わせるために引き金を引くことは、同じ戦いではなかった。
その時だった。
遠方。
山の稜線の向こうに、ひと筋の白が走る。
最初は光に見えた。
次の瞬間、それが形を持つ。
白銀。
細身。
六枚の羽。
「……アグヌス」
ゼルクが呟く。
ノクターンの声が少しだけ低くなる。
「来ます」
白い天使めいた機影が、風を切ってこちらへ向かってくる。
遺跡を焼き払う黒き重戦車へ、真っ直ぐに。
はるか別の場所で、シックスはその報告を受けて薄く笑った。
「ようやくそこまで辿り着いたか」
遺跡の真相。
灰にすべき扉。
破壊命令。
そして、その阻止に向かう白い機体。
ルカが止められようが、止められまいが、大局においてはもうどちらでも良かった。
白い花は、咲いても散っても役には立つ。
「行かせろ」
シックスはただ、それだけを言った。
そして、遺跡の上空を裂いて、
6枚の羽を持つ熾天使(セラフ)は来た。遺跡を守るために。