それが、マゼンダ・トッド公がラクリモーサをひと目見て最初に下した結論だった。
帝国側整備区画の最奥。
無骨な支持架に固定された黒鉄の巨体は、
左腕を失い、
装甲を喪い、
それでもなお怪物の威容を保っていた。
全高十五メートル級の黒い戦車が、片腕のまま沈黙している。
その足元を人間たちが歩けば、まるで古い城壁の影を進いているようにしか見えない。
そこへ、やる気があるのかないのか判然としない足取りで、ひとりの男が入ってきた。
マゼンダ・トッド公。
ツァイス家の遠縁にあたるMHマイト。
無精ひげをうっすらと残し、服装もどこかだらしない。
だが、その目だけはラクリモーサを見上げた瞬間に変わった。
「……ゼルクか」
気安い声音だった。
「久しいな。ようやくファティマを娶ったんだって?
だったら連絡くらいくれてもよかったろう」
ゼルクは露骨に嫌そうな顔をした。
「祝いに来たわけじゃないでしょう。
ラクリモーサを見に来たなら、早く本題に入ってください」
「辛いなあ」
トッド公は肩をすくめた。
「せっかく久々に顔を見たってのに」
そう言いながら、もう足はラクリモーサの損傷部へ向かっている。
左腕基部の断面。
外装パージの痕。
バスターランチャー運用時の負荷記録。
アグヌスの旋風烈斬を受けた後のフレーム歪み。
軽口は、そこで終わった。
「……なるほど」
低い声。
「これは修理じゃない。改修だ」
その一言で、場の空気が決まる。
ボスヤスフォート、ビスマス公、コバルト、レオード、
ユリウス、ゼルク、ノクターン。
全員が、次に来るものを黙って待った。
トッド公はラクリモーサの胸部装甲を見上げたまま言う。
「左腕の話に飛びつきたくなるのはわかる。
だが、その前に土台だ」
彼は、機体中枢の図面を乱暴に卓へ広げた。
「この怪物、まだヴァレリウス公の時代の心臓で戦ってる。
設計思想に文句はない。むしろ見事だ。
だが――近代のエンジンはもっとパワーがある。
エネルギー変換効率もいい。応答も粘る」
レオードが記録板を確認しながら頷く。
「同出力帯でも、現行型の方が熱損失は小さい。
継戦性能も上がります」
「そういうことだ」
トッド公が指で図面を叩いた。
「古い怪物に、今の心臓を入れる。
まずはそこからだ」
ビスマス公が腕を組む。
「ヴァレリウス公の設計を壊す気か」
「壊さんさ」
トッド公はあっさり言った。
「骨はそのまま使う。
ただ、心臓だけは入れ替える。
昔の名馬に、今の肺を積むようなもんだ」
「乱暴な喩えですね」
コバルトが呆れたように言う。
「正確な喩えだよ」
トッド公は平然としていた。
「このまま左腕だけ戻しても、次にアグヌスを追い切れる保証はない。
心臓を強くする。そこから先で、どういう怪物に仕立てるかを決める」
ゼルクが低く問う。
「“どういう怪物”とは?」
「三案ある」
トッド公はそこで、ようやく皆を見た。
「表向きは修理でも、実態はリフォーム・プロジェクトだ。
承認をもらうぞ」
クラヴィスがいれば茶化しそうな言い方だったが、今この場では妙にしっくり来た。
最初に示されたのは、最も正道に見える案だった。
「改修案B」
トッド公が言う。
「左腕欠損部を覆うように、巨大なジェネレーター内蔵型シールドをマウントする。
機体の半身を隠すほどの要塞盾だ」
卓上の簡易立体図に、黒鉄のラクリモーサへ新たな左半身が重なる。
盾、と呼ぶにはあまりにも大きい。
それ自体がひとつの外壁のようだった。
「内部には大容量副電源を積む。
防御を上げながら、右腕の主兵装にも電力を回し続ける。
重装甲と大出力――ラクリモーサ本来の持ち味を、そのまま先鋭化する案だ」
ビスマス公が、少しだけ頷く。
「……筋は悪くない」
「でしょうとも」
トッド公が鼻で笑う。
「古い怪物を生かすなら、まずは長所を殺さないのが筋だ」
コバルトも腕を組んだまま言う。
「防御と継戦能力が上がるなら、ファティマ側の負担も読みやすい。
少なくとも、無茶はさせにくい形ね」
ノクターンは静かに図面を見ていた。
評価も否定もない。
ただ、その視線は詳細をすでに頭へ入れ始めているようだった。
トッド公は、そこで次の図面を出した。
「改修案A」
空気が少し変わる。
「失われた左腕を、元の重装甲で復元しない。
あえて装甲を廃した、剥き出しの新型左腕へ置き換える案だ」
図面のラクリモーサは、一気に異様になった。
右半身は黒鉄の重戦車。
左半身だけが、緻密な内部フレームをむき出しにした異形の腕を持つ。
「装甲がない分、排熱は圧倒的に良い。
その代わり、この腕には規格外の高出力を直結できる」
トッド公の指が、先端部の武装案を示す。
「パイルバンカーだ」
ユリウスが顔を上げた。
「……一撃必殺ですか」
「そうだ。
重いまま近づき、掴んだ瞬間に内側からぶち抜く。
ラクリモーサの左腕を、盾ではなく牙に変える案だ」
「危険すぎる」
ビスマス公が即座に言った。
「制御できるのか、そんなもの」
「ノクターンがいればな」
トッド公は当然のように返した。
「左右の出力バランスは最悪になる。
だが、だからこそファティマの演算で噛み合えば強い」
そこで初めて、ノクターンが小さく目を細めた。
「理論上は可能です」
「おい」
ゼルクが低く制する。
ノクターンは主を見た。
「ですが、常用には不向きです。
追うための数秒、あるいは決めるための一撃に限るべきでしょう」
トッド公が楽しそうに笑う。
「ほらな。
本人がそう言ってる」
ユリウスは、その図面から目を離せなかった。
美しいとは言いがたい。
むしろ、どこか血族的ですらある。
「……敵に近づきすぎです」
その一言には、嫌悪がはっきり滲んでいた。
「それはまだ序の口だ」
トッド公が軽く言って、三枚目の図面を出した。
「改修案C」
今度は、本当に場が冷えた。
「過去の戦闘で大破した、別系統の高機動MHの左腕を移植する。
左右でまるで違う出力系統と挙動を持たせる。
要は、ラクリモーサを半分だけ別物にする案だ」
図面上でさえ不気味だった。
黒い重戦車の左半身だけが、異質な意匠に染まっている。
「そんなの……」
ユリウスが明確に顔をしかめる。
「なりふり構わなすぎます。
それは設計じゃない、継ぎ接ぎだ」
「継ぎ接ぎだよ」
トッド公はあっさり認めた。
「でも戦場じゃ、継ぎ接ぎで生き残ることもある」
「私は反対です」
今度ははっきりと、ユリウスが言った。
「それは敵に近づきすぎる。
アグヌスと変わらない」
コバルトも渋い顔で頷く。
「少なくとも、今やる改修じゃないわね」
ビスマス公はもっと露骨だった。
「却下だ。
それは帝国の怪物ではなく、ただの壊れた怪物だ」
トッド公は肩をすくめる。
「ま、いまはな」
その“いまは”が妙に嫌だった。
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三案が出揃い、会議は一度、沈黙した。
ゼルクが先に口を開く。
「追いつくだけでは足りない」
全員の視線が集まる。
「追いついたあと、打ち負けない形が要る」
その言葉に、トッド公が少しだけ面白そうな顔をした。
ノクターンはすぐ横で、静かに補足する。
「必要なのは速さそのものではありません。
追い切るための数秒です」
「なら、表はBだな」
トッド公が言う。
「近代型エンジンへ換装。
その上で要塞盾を積む。
ラクリモーサの本質を残したまま、まずは一段引き上げる」
ボスヤスフォートが短く頷いた。
「採用する」
決裁は早かった。
「フレーム出力は近代型へ更新。
左腕はB案を基礎改修として通せ。
戦闘継続能力の底上げを優先する」
表向きの結論は、それで決まった。
ユリウスはほっと息をつく。
ビスマス公も、露骨に不満を見せることはしない。
コバルトは資料を閉じ、レオードは工程表の作成に入る。
だが、会議が終わり、皆が散り始めたあとだった。
ノクターンだけが、整備卓に残されていた別紙に気づく。
そこにはA案の設計図が、さらに細かく書き込まれている。
むき出しの左腕。
排熱優先。
極端な一撃への最適化。
そして、備考欄にだけ小さく――
「非常時のみ解放」
トッド公が、だるそうな顔のまま言った。
「見たか」
ノクターンは無言で視線を上げる。
「表はBでいい。
だが、いざという時のための牙は別に仕込んでおく。
あの白い機体を、本当に噛み切る気ならな」
「マスターは、このことを?」
「まだだ」
トッド公は肩をすくめた。
「知らない方が、使う時に迷いがないこともある」
ノクターンはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「承知しました」
その一言だけで十分だった。
ラクリモーサは、正道の改修を受ける。
だが、正道だけでは届かない時のために、もう一本の牙も隠される。
古い怪物は、まだ先へ進むつもりでいた。
整備区画の天井クレーンが低く唸る。
巨大な胸部装甲が開かれたラクリモーサの中枢へ、旧式の心臓部が静かに吊り上げられていく。
長く戦い続けた、古い時代の鼓動。
それが外される様を、ゼルクは無言で見上げていた。
そして、次に運ばれてくる。
近代型の新しい心臓。
高効率。
高出力。
現代の技術で鍛え上げられた、新しい中枢機関。
黒鉄の怪物の胸へ、それがゆっくりと降ろされていく。
誰も喋らない。
ただ、皆が見ていた。
古い怪物に、新しい心臓が入る瞬間を。
黒鉄は、まだ終わらない。