ボスヤスフォート vs シックス   作:ギアっちょ

6 / 27
欠けた接続

一方その頃、首相府の地下書庫では、ボスヤスフォートが数枚の人事記録を無言で見下ろしていた。

 

クラヴィス・ヴェルナー。

ユリウス・ハルトマン。

ゼルク。

未契約騎士一覧。

潜在適性者名簿。

離反危険度再評価表。

騎士家系ごとの保有MHと、現在の接続状況。

 

どの紙片にも、共通して欠けているものがあった。

 

埋まるべきところに、接続がない。

 

剣はある。

血はある。

才もある。

機体もある。

 

だが最後の一つがない。

 

ファティマ。

役割。

指名。

唯一として選ばれる感覚。

 

その欠損を、これまで国家は「不運」や「個々の事情」として処理してきた。

騎士制度とはそういうものだと。

適性とはそういうものだと。

選ばれぬ者は選ばれぬなりに役目を得て働け、と。

 

だが、その放置された空白こそが、シックスの餌になっていた。

 

ボスヤスフォートは一枚の紙を抜き取る。

 

そこには、ゼルクの名とともに、家伝MHラクリモーサの登録番号が記されていた。

別の束には、クラヴィスの名。

その横に、暁星機動団次官、即応案件投入率、上層部評価、離反危険度――低。

低、ではある。

だがゼロではない。

 

彼は紙束を机上へ置いた。

 

「……遅いが、遅すぎるほどでもないか」

 

側近が控えたまま問う。

 

「命令を」

 

ボスヤスフォートは別の紙片を引き抜いた。

記されている名は、ビスマス・ガレナ。

 

「車を回せ」

 

「はい」

 

「今夜は工房へ行く」

 

側近が一瞬だけ目を見開く。

首相自ら動くには、あまりに地味で、あまりに異質な行き先だったからだ。

 

だがボスヤスフォートはもう次の書類を見ていなかった。

視線はもっと先――国家のほころびの、その継ぎ目へ向いていた。

 

帝都外縁、旧市街のさらに奥。

人の流れから外れた石畳の坂を下りきった先に、その工房はあった。

 

外見だけ見れば、半ば放棄された古い研究施設にしか見えない。

石造りの壁には幾度も補修の跡があり、煤けた排気塔が夜空に突き刺さっている。

扉は重く、看板もない。

だが、低く唸る機関音と、薄く漏れる魔導光だけが、そこがまだ死んでいないことを示していた。

 

案内もなく入った首相一行を迎えたのは、薬品とも金属ともつかぬ匂いだった。

 

中は広い。

清潔ではある。

だが新しくはない。

 

古い調整槽。

傷だらけの記録机。

金属棚に並ぶガラス瓶。

後付けで繋ぎ足された最新式の演算端末。

古風な医療器具と、今の星団では滅多に見ない旧式の精神測定機が、同じ部屋に雑然と並んでいる。

 

研究所というより、何代も手術と改造を重ねてきた執刀室だった。

 

その奥、長机を囲んで三人のマイトがいた。

 

一人は年嵩の男。

灰色がかった長髪を無造作に後ろで束ね、重い外套の下に古びた作業着を着ている。

顔は険しく、目だけが異様に澄んでいた。

ビスマス・ガレナ。通称、ビスマス公。

 

一人は中立的な笑みを浮かべた長身の男。

痩せぎすで、目元だけが妙に生き生きとしている。

ルチル・アゲート。

 

そしてもう一人。

端正な家柄を思わせる立ち姿の女。

背筋を伸ばし、夜会にでも出るように整った衣装を纏いながら、その目には露骨な警戒が宿っていた。

コバルト・ガーネット。

 

三人は、首相の来訪に驚いた顔をしたわけではなかった。

むしろ、「やっと来たか」と言わんばかりに静かにこちらを見た。

 

最初に口を開いたのはビスマス公だった。

 

「首相自ら、こんな古びた工房へ何の用です」

 

彼は椅子に座ったまま言う。

 

「ファティマを鑑賞しに来た顔ではない」

 

ボスヤスフォートは一歩も引かない。

 

「鑑賞には来ていない」

 

工房の奥まで視線を走らせてから、短く答える。

 

「欠けた接続を埋めに来た」

 

ルチルが小さく笑った。

コバルトは表情を硬くしたまま、何も言わない。

ビスマス公だけが、わずかに眉を上げる。

 

「ようやくですか」

 

その声には歓迎よりも皮肉が多かった。

 

「騎士の飢えが病になると、やっと理解したらしい」

 

「理解はしていた」

 

ボスヤスフォートは平然と言う。

 

「放置していた。

そのツケを払いに来た」

 

沈黙が落ちた。

 

ビスマス公はそこで椅子から立ち上がり、ゆっくりと首相の前まで歩み寄る。

老いを感じさせる動作ではない。

むしろ蓄積された時間そのものが歩いてくるような、重たい足取りだった。

 

「で、何を望む」

 

「未契約騎士への候補再選定。潜在適性者の洗い直し。

そして、必要なら制度外接続の検討」

 

コバルトの眉が鋭く跳ねる。

 

「制度外……?」

 

ビスマス公は半眼のまま続きを促した。

 

「それとも、もっと下品な話ですか」

 

ボスヤスフォートは答える。

 

「両方だ」

 

そして一歩、踏み込む。

 

「選定をやり直す。

足りなければ、結ばせる」

 

工房の空気が変わった。

 

ルチルだけが興味深そうに目を細め、コバルトは露骨に息を呑む。

ビスマス公はしばらく黙っていたが、やがて低く繰り返した。

 

「……結ばせる?」

 

「ファティマが選ぶのを待たん」

 

ボスヤスフォートの声は冷たい。

 

「必要な騎士に、必要な接続を与える。

意志が障害なら、越える」

 

コバルトが堪えきれず前に出た。

 

「それは星団法の否定です」

 

「承知の上だ」

 

「法だけではありません!」

 

彼女の声が強くなる。

 

「マイトが編み上げた精神設計そのものへの冒涜です。

ファティマは自らマスターを選ぶ。

その自由と選択を守るために、我々はダムゲート・コントロールを設計しているのです」

 

ボスヤスフォートはコバルトを見た。

 

「ならば、その設計が今の現実に追いついていない」

 

「何ですって」

 

「選ばぬ自由の結果として、飢えた騎士が病原体に食われるのなら、設計思想の方を疑え」

 

コバルトの顔色が変わる。

だがそれ以上に、ビスマス公の目が少しだけ鋭くなった。

 

「……具体的には?」

 

首相は答えた。

 

「必要ならば、私のハイブレン・コントロールで上書きする」

 

それは、工房の空気を一瞬で凍らせる言葉だった。

 

ルチルは初めてはっきりと笑い、コバルトは一歩後退る。

ビスマス公だけが沈黙したまま、首相をまっすぐ見返している。

 

「ダムゲートを飛び越えて、強制接続する気か」

 

「そうだ」

 

「それは調整ではない」

 

ビスマス公の声が低くなる。

 

「蹂躙だ」

 

「蹂躙で結構」

 

ボスヤスフォートは言い切った。

 

「飢えた人材をシックスにくれてやる方が、高尚だとでも言うか」

 

コバルトが険しく返す。

 

「ファティマは部品ではありません」

 

「だろうな」

 

「ならば!」

 

「だが今は、芸術品として棚に飾っておけるほど帝国は静かではない」

 

その声には一切の熱がなかった。

それがなおさら、言葉を重くした。

 

ルチルが愉快そうに指を鳴らす。

 

「私は嫌いじゃありませんよ、その割り切り。

芸術で飢えは埋まりません。

動くものを増やす方が先でしょう」

 

「黙りなさい、ルチル」

 

コバルトが鋭く言う。

 

「あなたはいつもそうやって、魂を計測値へ落とし込もうとする」

 

「だって実際、動くか動かないかは大事でしょう?」

 

「だからといって!」

 

ルチルとコバルトの応酬を、ビスマス公は片手で制した。

 

「ファティマは、こちらにとっては子であり作品です。

少なくとも、数合わせの接続部品ではない」

 

「知っている」

 

ボスヤスフォートは即答した。

 

「だが私は、子の幸福を守りに来たのではない。

国家の縫合に来た」

 

その一言に、ルチルの笑みが深くなる。

コバルトは露骨に顔をしかめ、ビスマス公は目を閉じた。

 

ややあって、彼はため息のように言う。

 

「できるかできないかで言えば、できるでしょうな」

 

コバルトが振り向く。

 

「ビスマス公!」

 

「だが、やるべきかどうかで言えば、反吐が出る」

 

それは首相への反論であり、同時に認識の共有でもあった。

 

ビスマス公はゆっくりと長机へ戻り、そこに散らばる記録板の一枚を持ち上げる。

 

「私は今のファティマ育成論に、とうに行き詰まりを感じています。

相性、選定、精神安定、自由選択。

理想としては美しい。

だがその理想の外側で、接続を持てぬ騎士が腐り、使われすぎたファティマが摩耗し、挙げ句に病原体がそこへ入り込む」

 

彼は首相を見た。

 

「あなたはそこへ、乱暴すぎる外科手術を持ち込もうとしている」

 

「正確には、遅すぎた手術だ」

 

ボスヤスフォートの返答は短かった。

 

「私はずっと、傷口を見ながら包帯だけを替えていた。

その間に病が入った」

 

その言葉に、工房の空気がわずかに沈む。

ビスマス公は首相の顔を見つめたまま、しばらく黙った。

 

そして、低く言う。

 

「具体名は」

 

「未契約騎士の洗い直しをしている」

 

「その中で、本命にしたい人材は?」

 

ボスヤスフォートは答えなかった。

だが視線だけが、机上の記録板のある一点へ落ちる。

 

ビスマス公はそれを見て、ほんの少しだけ口元を歪めた。

 

「……なるほど」

 

コバルトが訝しげに言う。

 

「誰です」

 

首相は黙ったままだった。

代わりにビスマス公が、まるで名を出したくないものを無理に口へ乗せるように言う。

 

「ツァイス家の男ですな」

 

コバルトの目が細くなる。

ルチルは「ああ」と短く笑った。

 

「ラクリモーサ」

 

「そうだ」

 

ビスマス公は頷く。

 

「機体だけが長く眠り、騎士だけが年を取り、接続だけが来なかった」

 

ボスヤスフォートはそこで初めて明言した。

 

「ゼルクだ」

 

名前が落ちる。

 

コバルトは複雑な表情になった。

 

「……腕は本物ですが、今さらです」

 

「今さらだからだ」

 

首相は冷たく返した。

 

「今さら届かなかった者ほど、病に食われる」

 

ビスマス公が、ゆっくりと別の記録板へ手を伸ばした。

 

「ちょうど一体、戻ってきた個体があります」

 

その瞬間、ルチルが笑みを引っ込める。

コバルトは唇を結ぶ。

 

ボスヤスフォートは黙っている。

 

ビスマス公は記録板を持ったまま、しばらく何も言わなかった。

その沈黙だけで、安易に名を出したくないことが伝わってくる。

 

「ノクターン」

 

低い声だった。

 

工房の古い壁に吸われるように、その名が落ちる。

 

「前のマスターを戦で喪い、現在は再調整中。

……もっとも、欠員の穴埋めに回してよい代物ではありません」

 

ボスヤスフォートの目がわずかに細くなった。

 

「なぜだ」

 

「優秀だからです」

 

ビスマス公は平然と答える。

 

「優秀すぎる。

夜戦に出せば、必ず働く。

殺すべき標的を見失わず、連携の遅れも許さず、主が迷えば先に夜を読んでしまう。

だから何人もの騎士があれを求め、何人もの騎士があれと夜へ出た」

 

彼はそこで一度言葉を切った。

 

「そして、何人もの騎士が戻らなかった」

 

ルチルが小さく肩をすくめる。

 

「高性能機というのは、だいたいそういうものですよ」

 

「軽く言うな」

 

ビスマス公の一喝で、ルチルもさすがに黙る。

 

「ノクターンは壊れていない。

ただ、夜に使われすぎただけです」

 

その言葉には、ファティママイトとしての冷静さと、作り手としての重さが両方あった。

 

ボスヤスフォートは記録板を見ず、工房のさらに奥――幾重にも扉の閉ざされた調整区画の暗がりへ視線を向けた。

 

そこに姿は見えない。

だが、確かに気配がある。

 

静かで、冷たく、どこか物悲しい。

まるで夜そのものが、呼吸を止めて沈んでいるような気配だった。

 

「……ノクターンか」

 

彼は短く呟く。

 

ビスマス公がその横顔を見た。

 

「言っておきますが、あれを雑に回す気なら私は降ります」

 

「雑には回さん」

 

「強制接続を口にしておいて、よく言う」

 

「強制する場合でも、相手は選ぶ」

 

コバルトが眉をひそめる。

 

「それでも選ぶ自由はない」

 

「自由を守って国家が裂けるなら、その自由は今は贅沢だ」

 

またしても冷酷な断定。

だが首相はそこで、初めてほんのわずかに言葉を和らげた。

 

「……ただし、私は壊れた接続を欲しているのではない。

放置された欠損同士を、ようやく接ぎ直したいだけだ」

 

ビスマス公は首相をじっと見つめた。

長い沈黙が流れる。

 

やがて彼は、記録板を机上へ戻す。

 

「接ぎ直せるかどうかは、まだわかりません」

 

「だろうな」

 

「ノクターンが頷く保証もない。

ツァイス家の男が受け取る保証もない」

 

「それでも、名を知るだけで十分だ」

 

ボスヤスフォートは答えた。

 

「次に切る札としてはな」

 

ルチルが、口元に指を当てながら楽しそうに言う。

 

「ずいぶん人間らしいですね、首相閣下。

希望のある札を探すなんて」

 

「違う」

 

ボスヤスフォートは彼女を見ずに言う。

 

「希望ではない。

先回りだ」

 

その言葉に、コバルトは小さく息を吐いた。

ビスマス公は何も言わない。

だが、その沈黙は拒絶だけではなかった。

 

工房の奥、閉ざされた調整区画の向こうで、誰かが静かに目を開けた気配がした。

 

夜を連れてくる名を持つファティマ。

まだ自分の次の主を知らない、静かな夜。

 

ボスヤスフォートはその姿を見ないまま踵を返す。

 

「名簿を寄越せ」

 

「どの範囲まで」

 

「未契約騎士。

潜在適性者。

再調整可能個体。

それと――」

 

彼はわずかに振り向いた。

 

「飢えたまま放置すれば、病に食われる人材の一覧をだ」

 

ビスマス公の口元が、ほんの少しだけ歪んだ。

それは笑いではない。

だが、ようやく話が始まると知った技術者の顔だった。

 

「……遅いですよ、ディス・ヒフツェン」

 

そこで初めて、首相の長い名が出た。

ただの敬称ではない。

“帝位を自称する怪物”への呼びかけとして。

 

ボスヤスフォートは立ち止まりもしない。

 

「承知している」

 

短く答える。

 

「だから、今から縫う」

 

その背が工房の暗がりへ消えていく。

 

残されたマイトたちは、それぞれ違う顔で沈黙した。

反発。

興味。

不快。

理解。

どれ一つ同じではない。

 

だがただ一つ、共通していたことがある。

 

帝国はもう、病を見ているだけの段階では終わらない。

次からは、病が食う前に、欠けた接続を塞ぎに来る。

 

その最初の名として、夜のファティマはすでに選ばれていた。

 

ノクターン。

 

だがまだ、ゼルクとは会わない。

 

夜はまだ工房の奥に沈み、

涙の機体もまた、どこか別の格納庫で眠ったままだった。

 

二つの欠損が接続されるには、もう少しだけ時間がいる。

そして、その時間こそが、次の戦いの猶予でもあった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。