八千代の時と三千万回の輪廻   作:渚 龍騎

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第十話

 

 

 

「記憶の方は大丈夫かい?」

 

 

 決戦前夜のツクヨミで、作戦会議を終えて周りが去っていく中で残った彩葉とファイノン。

 ヤチヨの私室にあるバルコニーから見下ろせる景観を見つめながら、ファイノンは彩葉に向けて心配の声をかけた。

 

「あんまり理解はしてないですけど、ファイノンさんの予想では、私にも輪廻の記憶があるってことですよね?」

 

「推測の域を出ないけどね」

 

 出会って以降も、彩葉は度々襲い来る記憶の渦に悩まされていた。

 起こる出来事の全てにデジャヴを感じ、身体が反射的に動くこともあった。

 

「でも、確かに『こんなこと前もあったな』って思うこともありました」

 

「たとえば?」

 

 うーん、と記憶を巡らせてから彩葉は部屋を見渡し、ヤチヨの姿を思い浮かべた。

 

「ヤチヨがかぐやだってことですかね。知ってたわけじゃないんですけど、不思議と驚かなかったっていうか……」

 

「ごめん、僕の所為だ」

 

「なんでファイノンさんが謝るんですか。ファイノンさんは、私たちの為に輪廻を繰り返してるんですから、謝らないでください」

 

 謝るのは寧ろこっちです、と目を伏せるファイノンに対して首を横に振った。

 世界が滅亡せず、こうして楽しい日々(いま)を過ごせているのは、紛れもないファイノンのおかげだ。

 

「私がファイノンさんの立場だったら、きっと同じ選択をしたと思います」

 

「君はいつも優しいね」

 

 その言葉に僕は救われてる、とファイノンは微笑む。彼とのやり取りも、まだ出会ってから一ヶ月だというのに、ずっと一緒にいたように会話ができていた。

 不思議な感覚だが、もしも本当に輪廻の記憶が残っているなら、どの輪廻の自分もファイノンを信じていたのだろう。

 

「あ、そうだ。記憶で一つ思い出したんですけど」

 

 数秒の沈黙の後で、彩葉はそう切り出した。

 ツクヨミの景観から視線を彩葉へと向けて、ファイノンは笑みのまま首を傾げた。

 

「ずっと、誰かと話していたような気がするんです」

 

「誰か?」

 

「はい。ぼんやりしてて曖昧ですけど、なんか……温かくて、話しやすかったような……ずっと、っていうか、何回もっていう方が合ってる気がします」

 

 彩葉は必死に思い出そうとするが、その記憶にはモヤがかかっていてボヤけている。だがそれでも、誰か同じ相手にずっとなにかを語っていたような気がしていた。

 

「そうだったんだね。これは僕の予想でしかないんだけど、相棒は記憶の星神(アイオーン)と繋がっているんじゃないかって思っているんだ」

 

「あいおーんって、ファイノンさんが言ってた神様ですか?」

 

 ああ、とファイノンは頷くが、彩葉はどこか引っ掛かったような表情を浮かべており、腕を組みながら絞り出すような声を漏らした。

 

「うーん、そんな神様?には見えなかった気がするんですよね」

 

「記憶が曖昧だからじゃないかい?」

 

「いや、それだけは覚えてるんです。姿は覚えてないですけど、神秘的だとかそんなんじゃなくて、もっとこう……」

 

 なんとも言い表せない感覚に、彩葉はむず痒い感情を募らせるが、やはり思い出せない所為で全ては徒労に終わってしまった。

 彩葉は諦めて溜め息をつく。だがそこで「あっ」となにかを思い出したような声を上げ、感じたことを口に出した。

 

()()()()()()がしたんですよね」

 

「イグサ?」

 

 はい、と彩葉は頷くがそれ以上の情報は思い出せない。しかし、そのイグサの香りだけはなんとなく覚えていた。

 実家が京都だった故だろうか。畳の匂いは嫌でも慣れ親しんでいる。それとはまた少し違うのだが、それでも()()()では同じような香りがした──気がする。

 

「なるほど……それがなにを表すのか分からないけど、それでも情報は多いことに越したことはないからね」

 

「そうですね。これ以上なにか思い出せそうにありまし、明日の動きでも確認しますか?」

 

 ファイノンの頷きを見て、二人は明日の決戦に向けて再確認をした。

 フレイムスティーラーが現れるのは、月人が現れる前か月人との戦闘中。そこは輪廻によって都度変わる。だが、今回はフレイムスティーラーとの初戦でツクヨミの深層データに封じ込めた。それにより、現れるのは月人出現の前──かぐやのライブが始まる前だ。

 

 これはファイノンが何度も輪廻を繰り返したことで分かったことだ。

 バックアップに封じ込めるのは無駄である。それはフレイムスティーラーがバックアップに関する権限を持っているからだ。

 

 月人が現れる前なら、フレイムスティーラーを何とかした後でかぐやを守るのに専念できる。だが、それでも懸念は多い。そこで今回のライブではファン参加型のイベントを作り『月人からかぐやを守る』為に、ファンにも戦ってもらうことにした。

 

 そうすれば、フレイムスティーラーとの戦闘が長引いたりしてもかぐやがその間に月人に連れて行かれることもない。これは無数の輪廻の中で見つけ出した一つの手だった。

 

「あと厄介なのは、フレイムスティーラーが使う倒した相手をバックアップに保存する、飛ばす能力ですね」

 

「うん、これに関してはヤチヨとFUSHIに頼んだ。FUSHIが直接フレイムスティーラーに接触すれば、権限を剥奪できるらしいからね」

 

 ただでさえ強力な力を持っているフレイムスティーラー。奴に一度でも倒されてしまえば、残機が残っていようと関係なくバックアップに保存されてしまう。あまりにも初見殺しな能力だ。その能力を消せるだけでも有利になる。

 

 そこから更に、ファイノンには目的があった。

 フレイムスティーラーとファイノンのアカウントは同アカウントに当たる。一つのアカウントで二つのアバターを操作してることになっている。本来は不可能なことだが、フレイムスティーラーが権限を持っている故にそれを可能にしていた。

 

 権限を奪い、フレイムスティーラーとファイノンを統合する。そうすれば、フレイムスティーラーのデータ──火種を受け継ぐこともできるかもしれない。

 

「必ず、輪廻を終わらせてみんなでハッピーエンドを迎えよう」

 

「はい。これはきっと、今までにないロマンチックな物語になりますよ」

 

「ははっ、そうだと良いね」

 

 二人はそう言い、決戦に向けて覚悟を決めた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 キンッ、と甲高い音が響き渡り、弾かれたヘリオスが宙を舞う。突き出された大剣に腹部を穿かれ、喀血する。黄金の鮮血が大剣を伝い、フレイムスティーラーの襤褸を染め上げていた。

 

 大剣が引き抜かれる寸前──ファイノンはフレイムスティーラーの襤褸を掴んで強く引き寄せた。

 

「──ヤチヨッ!!」

 

 名を叫ぶと、二人に影が重なる。空を見上げると、天高くに飛び上がっていたヤチヨが宙を舞うヘリオスを掴んで勢い良く振り下ろしていた。

 

「──うけたま!」

 

 フレイムスティーラーがファイノンから大剣を引き抜いて蹴り飛ばす。すぐさま振り向いて、ヤチヨが振り下ろしたヘリオスを受け止めた。

 火花が散り、鍔迫り合いが発生。しかしそれは、ひと呼吸の時間しか保たず、ヤチヨは一息で切り飛ばされた。

 

 だが、足止めは一瞬でだけでいい。

 がら空きになったフレイムスティーラーの背後から現れた彩葉が、ヤチヨの傘をフレイムスティーラーに突き刺す。瞬間、服の影から現れたFUSHIが頭に噛み付いた。

 

『──行くぞぉッ!!』

 

 FUSHIが叫び声を上げると、瞳が赤く輝き出してフレイムスティーラーの姿にノイズが走る。その刹那、フレイムスティーラーの動きがカクつき、滑らかな挙動が不安定に引っ掛かり始めた。

 

『──権限剥奪!』

 

 フレイムスティーラーが持っている人間をツクヨミのバックアップデータに保存する権限を剥奪。同時にアバターの所有権をファイノンへと譲渡する。その瞬間、数多の記憶が濁流となってファイノンの脳へと流れ込んだ。

 

「ぐっ──!」

 

 その場に蹲り、膨大な記憶と火種の量にファイノンの脳が焼き切れ、鉄の匂いが鼻孔をくすぐる。視界が滲み出し、黄金の鮮血が鼻や眼から溢れ出した。

 

「カスライナ!!」

 

 ヤチヨが慌てて駆け寄り、ファイノンの背中に腕を回す。彼はフレイムスティーラーに蓄積した記憶の全てを瞬時に体験し、そこで経験した全ての激痛や苦痛を一気に感じていた。

 

「ファイノンさん!」

 

 駆け寄って来た彩葉がファイノンの状態を見て絶句する。彼の姿はひと目見ただけでも異常なものだった。

 鼻や眼から溢れ出す黄金の鮮血だけでなく、彼の身体が燃え朽ちていく薪のように崩れようとしていた。

 ヤチヨがファイノンを抱き締め、大粒の涙を何度も流しながら彩葉を見上げた。

 

「彩葉っ、どうしよう……!このままじゃカスライナが……っ!」

 

 涙声で必死に訴えるヤチヨを見つめて、彩葉は懸命に思考を巡らせる。だが、どうするべきなのかまったく分からない。

 

 ファイノンの作戦では、月人が現れた異空間を通り抜けて現実へと飛び立ち、隕石と因果を破壊。その間、彩葉たちは月人の進行を退け、異空間を閉じさせないようにする。しかし今のファイノンの状態では、立ち上がることさえもままならない。

 

「この記憶って、私にも共有できる?」

 

「えっ、FUSHIならできると思うけど……彩葉、何するつもり……?」

 

 ヤチヨの困惑を横目に、彩葉はその場で座ると、朽ちていくファイノンの頬に手を伸ばす。ゆっくりと深呼吸をしてから、覚悟を決めて真っ直ぐにFUSHIを見つめた。

 

「FUSHI、ファイノンさんの中にある記憶とか全部を私にも分けて」

 

「────ッ!?」

 

 彩葉の言葉を聞いてすかさずヤチヨが止めに入り、彼女の肩を強く掴んで自分に向き合わせた。

 

「何考えてるの!?そんなことしたら、彩葉だってどうなるか分からない!下手したら死んじゃうかもしれないんだよ!?」

 

「──問答無用!」

 

 彩葉は真剣な双眸で言い放つと、ゆっくりと目を閉じてから顔を上げる。ヤチヨの手を取り、今度は優しく、なおかつ穏やかに微笑んだ。

 

「ファイノンさんは何度だって私たちのこと助けてくれた、そうでしょ?」

 

 三千万を超える果てしない輪廻で、ファイノンはいつだってヤチヨたちの為に戦い続けた。

 たった独りで。何度も躓きながら、それでも尚みんなと一緒にハッピーエンドを迎えたいからと足掻き続けた。

 だから、と彩葉は胸に手を当てて炯眼の眼差しで言葉を紡いだ。

 

「──今度は、私がファイノンさんを助ける番!」

 

 「やって!FUSHI!」──逡巡を押し切って告げれば、FUSHIは目に涙を浮かべてから頷く。覚悟を決めたその瞬間、ヤチヨの手が肩に置かれて振り向いた。

 

「私もやる」

 

「ヤチヨ、いいの?」

 

 ヤチヨは笑って「ヤッチョを誰だと思ってるの?」と子供っぽく悪戯な笑みで彩葉を捉える。困惑している彼女を見つめながら、腰に手を当てて胸を張った。

 

「カスライナと誰よりも長くいたのは私だよ?それに、彩葉もカスライナもすぐ無茶なことするから、ヤッチョが見張ってないとねっ」

 

 可愛らしくウィンクをしたヤチヨの姿を見て、彩葉も思わず笑いを溢す。お互いに絡めた手を強く握り締めて、彩葉とヤチヨは初めてツクヨミに二人でログインした時の頃のように「せーのっ」と同時に瞳を閉じた。

 

 その瞬間────後悔した。

 無数の悔恨と苦衷(くちゅう)、その身で味わった苦痛の全てが津波となって襲い来る。厭な汗が滲み、呼吸が荒くなっては動悸が始まった。

 

 ファイノンが今まで経験した記憶、彼が受け止めようとしているフレイムスティーラーの記憶。その全てに弾かれそうになりながらも、必死に喰らいつき、目を逸らさず魂で受け止めた。

 

 ────僕は、みんなと一緒にいたい。

 

 3355万335回の輪廻で、ファイノンを突き動かしていた核はその純粋な願いだった。

 八千年という途方もない年月を、三千万という果てしない回数も繰り返す。その過程で幾多の憮然を経験して、死にたくなるほどの痛みの中で焦燥しながらも耐え続けた。

 

 カスライナは徹頭徹尾──『救世主』だった。

 誰かの為に戦い、誰かの為に立ち上がり、ただ大切な人の笑顔が見たいと決して曲げない矜持を掲げた。

 何度も壁にぶち当たり、何度も挫折して、それでもなお未来を歩む為に顔を上げた。

 

 彼は言う──僕は決して救世主には成れない、と。

 

 そんなわけあるものか。

 誰かの為に命を投げ売って、自分の全てを犠牲にする。その姿は、英雄という他ない。

 

 膨大な記憶の波を受け止めていると、突然世界が真っ白に染まり、その中で()()の姿が映り込む。イグサの香りが鼻孔をくすぐり、目の前の誰かは悠然と歩み寄り、彩葉に向けて手を差し伸べた。

 

 直後に記憶から弾き飛ばされ、彩葉とヤチヨは地面を転がりながらツクヨミへと意識が帰還した。

 呼吸がままならない。喘息のような感覚と共に身体が重い。あの膨大な記憶の一部を経験した脳が危険信号を発している。肩を大きく上下させながらも、身体にムチを打って必死に起き上がった。

 

「ヤチヨ……っ!」

 

 倒れ伏せるヤチヨに視線を向けると、彼女も苦痛の表情を浮かべながら必死に立ち上がろうとしている。名前を呼んでも、ヤチヨはそれにすら気付いていない様子で、自分の心配よりもファイノンの方へと身体を引き摺っていた。

 

 ヤチヨのもとへ駆け寄り、手を貸して二人で並んで立ち上がる。「ありがとう彩葉」と告げられた感謝に笑顔で頷き、二人は手を取り合ってファイノンのもとへと歩み寄った、

 

「ふたり、とも……っ」

 

 ファイノンが目を覚まし、喀血しながら立ち上がろうとする。彼はボロボロと崩れ落ちて行く身体を起こして、二人はつれながらも駆け寄った。

 

「ファイノンさん大丈夫ですか!?」

 

「ああ。僕はなんとか……二人は?」

 

「私たちも大丈夫だよ」

 

 ヤチヨが目を潤ませて微笑む。肩を大きく上下させ、息を荒くしながらファイノンは「ごめん」と謝罪の言葉を口にする。だが、彩葉は彼に肩を貸しながら首を振った。

 

「謝るのは、寧ろ私の方です。すいません──ずっと、独りで背負わせてしまって……」

 

「まだ、記憶の断片しか見れてないけど……こんなことさせて、本当にごめんね」

 

 二人は僅かに目を伏せる。握り締めた拳に力が入り、自分がなにもできなかった事実があまりにも悔しかった。だが彼は今にも泣き出しそうな表情で首を振った。

 

「二人が謝る必要なんてないよ……」

 

 三千万の輪廻を経験したファイノンとフレイムスティーラー。二人の混じり合う記憶は、あまりにも壮絶で、胸が締め付けられた。

 ほんの一部の記憶を見ただけで、彩葉とヤチヨは胃が捻れるような吐き気を覚えた。

 

 フレイムスティーラーとファイノンが経験した数多の絶望と寂寥。

 フレイムスティーラーは、未来を諦めてツクヨミに留まることを決めた。だがそのおかげで、ファイノンは未来を諦めないと決心した。

 

 そしてなによりも──ファイノンが記憶の奥底に隠していた記憶を知り、彩葉とヤチヨはそれを信じ難くも真実だと理解して受け止めた。

 だが、今はその時ではない。

 ヤチヨもそれは理解しているようで、身体が崩壊しつつあるカスライナを抱き留めていた。

 

「ファイノンさん、これからどうするんですか?」

 

 額から滲む汗を拭う力すら残っていないファイノンは、ヤチヨと彩葉の肩を借りながら立ち上がる。崩れる自分の手を見下ろし、自身の中に存在する無数の火種の感触を確かに感じていた。

 

「フレイムスティーラーとの同期は成功した、はず。今の僕の中には、計り知れない量の火種がある。これだけの力があれば、隕石は破壊できるはずさ」

 

 ファイノンの中に存在している一京を超える火種。その膨大な力は、ファイノンのアバターに蓄積できるデータ量を遥かに超えている。その為、今もファイノンの身体は耐え切れず徐々に崩壊しつつあった。

 

「急がないと、僕の身体が保たない……」

 

 それはアバターだけに収まる話ではない。

 ファイノン──カスライナは元よりデータの生命。

 現実で行動していたカスライナの肉体もデータであり、ツクヨミのアバターと変わりない。

 

 八千年前に飛んだかぐや──FUSHIの身体に意識を同期したことや、新たな輪廻で登場したファイノンに記憶を同期するのも、それよりも前に肉体を作って輪廻脱却に向けて準備をしたのも、全てはデータの生命だからこそできたことだ。

 

「もうすぐ、かぐやの卒業ライブが始まる。月人が出てきたら、僕はその異空間から現実の世界に行って隕石を破壊する」

 

「それまでの間、ファンの人たちと私たちで月人からかぐやを守って、異空間からファイノンさんが帰って来れるまでの時間を稼ぐ」

 

「ヤッチョは、カスライナから預かった輪廻の記録を異空間に流し込んで、異空間の処理能力を少しでも遅らせる」

 

 一万を超えるファンたちが、かぐやが立っているステージの前で月人が現れるのを待っている。数秒後、夜空に無数の光が現れて集束すると、あるはずのない月がツクヨミの空に顕現した。

 

 それは淡く輝きながら揺らめき、やがて怪しげな炎の渦となって月とツクヨミの世界を繋げる。光り輝くその異空間から、月光菩薩を模した姿の月人が現れた。

 

「ヤチヨ」

 

 曲のイントロが始まり、美しい音色が耳鳴りを書き換えていく中で、ファイノンはヤチヨの名前を呼ぶ。運命が決まる局面に息を呑んでいたヤチヨは、ファイノンの音に掻き消されてしまいそうなほどの訥々とした声に耳を澄ませた。

 

「なに?」

 

 できる限り笑顔で、できる限りの全てを応えようとファイノンを見つめる。彼は息を荒くしながらも、いつもと変わらない微笑みをヤチヨに向けて口を開いた。

 

「FUSHIに僕の記憶も共有したから、それを見て──いつの日か僕のことを思い出してほしい」

 

 きょとん、と音が鳴った気がした。

 え──そんな声にならない声が喉の奥から漏れ、間の抜けた表情でファイノンを見る。なにを言っているの、そんな疑問が過ぎった。

 

 呆気に取られた脳が、ようやく本来の思考速度を取り戻して、覚束ない足取りでファイノンに近寄る。そして彼の胸ぐらを掴み、精一杯の力で引き寄せた。

 

「な、なに言ってるの……?」

 

 ようやく絞り出せた唯一の言葉。震える声が、かぐやの歌とファンのたちの歓声に掻き消されてしまう。だがそれでも、ファイノンの耳にはしっかりと届いていた──届いていた上で、ファイノンは「ごめん」という謝罪以外の言葉は口にしなかった。

 

「な、なんでそんなことを言うの……?」

 

 胸ぐらを掴むヤチヨの腕を優しく取って、ファイノンは目を伏せる。その彼の意図を悟ったヤチヨの瞳が潤み、視線を落として、力強く拳を握って震わせた。

 

 「なんで、なんで……なんでそんな……」と同じ言葉を口の中で呟き、それはやがて感情の渦となって溢れ出す。抑え切れない激情が箍を切り、震える声となって────、

 

 

 

「もう会えないみたいな言い方するの……?」

 

 

 

 ようやく疑問を吐き出せた。

 対して、ファイノンは口を閉じたままなにも言わない。縋るようにファイノンの胸元を掴むヤチヨが、涙を滂沱と流しながら「なんで……?ねえ、なんで……!?」と同じ言葉を繰り返していた。

 

 分かっているからこそ、分かりたくなかった。

 理解したくなかった。

 理解してしまった自分が憎かった。

 なんで理解してしまったんだろう、と後悔が心に劈く。何度も何度も、ファイノンの胸元を強く掴んで前後に振った。

 

「ヤチヨ」

 

 ファイノンが名前を呼ぶ。だが、ヤチヨは聞きたくないとファイノンの胸に顔を埋めながら、拳で彼を何度も叩く。離したくない──離してしまったら、行かせてしまったら、彼が遠くに行ってしまうと悟った。

 

 もう会えないんだと、分かってしまった。

 そんなの嫌だ。イヤだ。いやだ。

 なんで、なんで分からなかったんだろう。いや、ちがう。分かっていたはずなのに、分かろうとしなかった。

 

「イヤだ……!そんなの絶対にイヤだよっ!」

 

 彼は最初から自分を犠牲にしていた。きっとその信念は、最後まで貫き通すのだと。だから、最後はこうなると、簡単に分かったはずなのに。理解したくなかったから、ずっと目を逸らし続けていた。

 

「なんで……ずっと、ずっと一緒にいたのに……」

 

 違う。一緒にいられなかった。

 ずっと一緒にいたのは、私だけで。

 カスライナはもう──私の手が届かないほど遠くにいってしまった。

 

「ヤチヨ、聞いて」

 

 ファイノンの優しげな声が、ヤチヨの鼓膜を叩く。彼の胸に顔を埋めた状態で、ヤチヨは嗚咽を漏らしながら耳を傾けた。

 ここで首を振ったら、もう二度とカスライナの顔を見れないと思った。

 

「ごめん、心配させて。大丈夫、僕は必ず戻ってくるから」

 

 「約束する」──そう言ったファイノンは、ゆっくりとヤチヨの肩を持って離す。それから小指を立てて、微笑みながらそれを差し出した。

 

「ほんとに……?」

 

「もちろんだよ」

 

 ヤチヨはファイノンの言葉を訝しみながら小指を差し出す。胡乱な思いのまま二人の小指が重なり、お互いに絡め合う。弱々しく絡めただけのファイノンに対して、ヤチヨはできる限りの力で強く小指を離さなかった。

 

 数秒、歯止めが効かないヤチヨの涙を人差し指で拭って、小指を離す。名残惜しく残ったヤチヨの小指が、ファイノンから離れていき、ヤチヨは俯いた。

 そんな彼女の頭を優しく撫で、透き通るような綺麗な白髪が指に溶けていく。

 

「相棒」

 

 向き直ったファイノンが彩葉へと視線を移し、突然呼ばれた彩葉が一歩だけ前に出た。

 ファイノンはポケットから一つのキーホルダーを取り出す。目の前にそれを差し出されて、彩葉は掬うように両手を出した。

 キーホルダーが手のひらの上に落とされ、彩葉はその正体に目を見開いて驚いた。

 

「えっ、これ……」

 

 それはファイノンがずっと大切にしていた物──ヤチヨが初めてグッズを出した時の限定版のキーホルダーだった。

 彩葉はそんな貴重品とも家宝ともいえるグッズを渡されて、困惑しながら何度もキーホルダーとファイノンを交互に見た。

 

「これは君が持っていてくれ」

 

「ど、どうしてですか……?」

 

「それは僕が大切な人から貰った大切な物だ」

 

 ファイノンは背を向けた。

 その背中はあまりにも切なくて、粛々としていた。

 彼は空を見上げて、ゆっくりと振り返りながら続けた。

 

「これから宇宙に行くんだからね。壊れたら大変だ。ヤチヨに怒られてしまう」

 

 ヤチヨを見つめて、瞳を閉じた。

 

「だから、相棒が持っていてくれ。それは僕が戻って来た時に返してくれるかい?」

 

 ファイノンの悄然とした表情に息を呑む。受け取ったキーホルダーを強く握り締め、胸に抱えながら彩葉はせめてもの言葉を考えて発した。

 

「戻って来なかったら、私のグッズにしちゃいますから」

 

 せめて笑顔で。

 ファイノンは、戻るつもりがないのだろうか。こんなことをされたら、そう思ってしまう。だが、彼の瞳の奥にある意志は、必ず帰って来ようとしていた。

 信じて。信じて、送り出す。それが彼にとって、せめてもの支えになれば良いと思ったから。

 

「それは大変だ。必ず取り返さないとだね」

 

 ファイノンはそう言って笑った。

 そこで、ヤチヨが「カスライナ」と彼の名前を呼びながら、胸に手を当てて一歩前に出た。

 

「帰って来なかったら、無理やりにでも連れ戻すから。そしたら、反省文八千枚ねっ!」

 

 ヤチヨの薫陶を受けて、ファイノンは笑って頷く。

 

「必ず帰るよ」

 

 二人に背を向けて、ファイノンは呼吸を整える。全身を蝕む苦痛に歯を食いしばり、今にも朽ちようとする身体にムチを打って駆け出した。

 炯眼が月人の通って来た異空間を射抜く。大地を蹴って空へと飛び出し、黄金の烈日がツクヨミを照らし尽くした。

 

 ツクヨミの夜空に昇った太陽を見上げ、その美しい輝きに人々が感嘆の声を漏らす。瞬間、ツクヨミの処理速度を凌駕する膨大なデータによって、ツクヨミ内の動きが停止した。

 

 烈日は翼を広げ、たった独りで一気に飛び立つ。振り返ってる隙もなく、カスライナは一直線に光の尾を引いて月人の異空間に猛進。そして仮想空間を突き抜け、空間そのものを切り裂き、現実の自分の身体と同期──そのまま空へと飛び上がった。

 

 その瞬間、ツクヨミは心拍を取り戻した。

 誰もがカスライナが残した軌跡を見つめ、彩葉はかぐやの護衛と異空間を閉じさせない為に駆け出す。ヤチヨは異空間を少しでも長く展開させる為に、ツクヨミの管理人としての権限を使用──異空間にFUSHIがカスライナから預かった膨大な記録を流し込んだ。

 

 ツクヨミでそれぞれ想いを持つ者たちが奮闘する中、カスライナは大気圏を超えて宇宙空間へと飛び出す。無数の星々が煌めき、振り返れば、蒼い地球が燦然と輝いていた。

 

 カスライナは歳月の権能を使用──そして現れた超巨大な暗黒。目を見張るほどの巨躯を掲げた隕石がカスライナの視界を覆い尽くした。

 

「──ここで、この永きに渡る輪廻を終わらせる」

 

 覚悟が火を灯す。精悍な眼差しが、運命を覆す為に眼光を滾らせた。

 無数の火種を焼べ、自らの肉体を薪とする。さらには黄金の鮮血を以て焼き入れると、カスライナは右腕を掲げた。

 

「星々を焼き尽くす────」

 

 無限の暗黒が遍く宇宙に終焉が慄く。赤黒いポリゴンがカスライナに収斂(しゅうれん)していき、カスライナの双眸が隕石を捉えた。

 無数の想いが胸中に跋扈して、ヤチヨたちの想いを慮る。ここで自分を犠牲にするつもりはない。

 

 

 ────僕には、帰る場所がある。

 

 

 右腕に集束する終焉を握り締め、巨大な隕石を赤黒いポリゴンが大きく包み込む。カスライナは大きく目を見開き、そして腹の底から叫んだ。

 

 

「──曙光をもたらそうッ!!」

 

 

 星々すらも焼き尽くさんばかりの爆発が、呻りを上げた後に吹き荒れる。風すらない冷たい宇宙に広がる終焉の如き大爆発。耳を聾する爆音や、吹き抜ける膨大なエネルギーを前にしても、カスライナは微動だにせずその有様を見届けていた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 呼吸もままならない。全身を蝕む激痛に顔を歪めながら、隕石の破壊を見届ける。数秒か、それよりも短い時間が流れ、その竜巻のようなエネルギーの嵐が収まった時──カスライナは目を見開いた。

 

「くっ……これでも、破壊できないのか……!」

 

 ────隕石は、破壊できていなかった。

 運命は覆せない、と世界が嘲笑う。

 諦めろ、と運命が囁いた。

 憮然と拳を握り締める。歯を食いしばり、カスライナは沸々と込み上げる怒りを──運命に対する憎悪を糧として、カスライナの身体が発火した。

 

「────ッ!!」

 

 火種が憎悪に呼応して、カスライナの身体に業火を灯す。怒号が轟き、無念の叫びが世界に劈く。業炎に身を包んだカスライナが、隕石に向かって闊歩していく。

 

 自らの身体が焼き尽くされるのも。

 自らが死へと突き進んでいても。

 全ては、数少ない大切な人たちの為に────。

 

 なりふり構わず突き進んでいき、カスライナは雄叫びをあげる。この永劫回帰で抱えた全ての想いをその大音声に込めて、カスライナは轟いた。

 かつては手が届かなかった。

 守りたくても守れなかった。

 ただ一緒に笑いたくて、笑っていたくて。

 伸ばし損ねた腕を伸ばし尽くして、その身に宿した業火を解き放つ。それは世界を切り裂き、彼の抱えた全ての想いを束ねて隕石へと突き進んで行った。

 

 三千万の想いが隕石と衝突。その瞬間、先程までとは比べ物にならないほどの大爆発が炸裂した。

 天を覆い尽くす爆炎は世界を焦がして、暗黒の宇宙に光が満ちた。

 隕石に亀裂が迸り、岩盤が内側から膨れ上がる。山脈のような外殻が砕け散り、空を埋め尽くすほどの大岩が炎を撒き散らしながら吹き飛んだ。

 

 

「……………………嗚呼…………これで……」

 

 その輪廻の終わりを見上げ、カスライナはゆっくりと墜ちていく。全ての力を使い果たした彼の身体は、灰となって溶ける。破壊された隕石を最後に見つめて、カスライナの脳裏にヤチヨの笑顔が映った。

 

 最初に感じたのは、安堵だった。

 ようやく終わった──その安堵が、永きに渡って張り詰めていたカスライナの胸の中に広がる。溜め息を溢して、流れに身を任せてそのまま瞳を閉じた。

 

 

 カスライナの背後に広がっていた異空間が、閉じていく。カスライナにはもう力は残っておらず、身体を動かすことが遥か遠くに感じられていた。

 

 

 そして異空間は────閉じた。

 誰かが飛び出して来ることもなく、墜ちていくカスライナの手を取る者もおらず、彼はただ宇宙に放り出されて、その身体は灰となった。

 無限に広がる宇宙に溶け、カスライナは永い夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 >>>

          

 

 




最終回ではないです。まだ続くよ。
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