すっっっっっごい励みになります。
戦場を駆け抜ける真紅の流星が、山を砕き、地上を削り、激震を轟かせる。その圧倒的かつ、今まで見たことがなかった彼の必死な表情に、ファンも思わず息を呑んで言葉を失った。
一万を超えるファンの手を借り、禁じ手でもあるチートを使用してもなお──月人の猛攻を凌ぐには足りなかった。
だがそれでも、諦めなければ奇跡は起こると信じて、各々は諦めずに戦い続けていた。
「──行け彩葉!かぐやちゃんは任せろ!」
帝の叫びを聞き、彩葉は頷いてすぐに駆け出す。全てを投げ売る覚悟で助けに来てくれた兄を信じて、一気に大地を蹴り出した。
月人の軍勢を薙ぎ払い、帝が切り開いた道を突き進む。その背中を見つめていた帝はふと微笑みを溢し、二人の仲間に向けて声をかけた。
「雷、乃依、かぐや姫を死守するぞ」
すぐに返答が返ってきた。
「御意」
「は〜い」
二人の反応を聞いて笑う帝。三人はチートモードの使用を続けて駆け出した。
混戦に次ぐ混戦。月人の軍勢と一万を超えるファンのかぐや争奪戦は熾烈を極めていた。
リョウサン型の月人を切り裂きながら、蝟集する戦闘の合間を縫って駆け抜ける。大規模なかぐや争奪戦は、ファンにとっては数あるイベントの一つに過ぎないだろう。
だがこれは、かぐやの未来と地球の未来が掛かった一世一代の大勝負。
理性と感情が相克する中で、彩葉は唯一の希望に向かって駆け続けていた。
「バッドエンドになんか、させない──ッ!」
彩葉の意志が、さらに堅牢なものと化す。
異空間が縮んでいく。月人がこれ以上の戦力を送るつもりが無い。彩葉は最後の一蹴りで飛び上がって、異空間に向かって手を伸ばす。必ず帰って来ると約束した大切な人を、今度こそ救う為に────。
瞬間────ボサツ型の月人が放った光線に弾き飛ばされ、彩葉の体力は一瞬で削られてしまった。
運命を呪った。
神を恨んだ。
残機を消費して復活した彩葉は、再度すぐに駆け出したが、目の前の残酷な現実に全身の鳥肌が立った。
「はぁ、はぁ……はぁ……っ」
カラン、と握り締めていたブレードが落ちて、乾いた音が響き渡る。喉を焼くような痛みが呼吸の度に突き抜け、彩葉は膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えた。
異空間が閉じてしまった。
あれだけの大言壮語を吐いて、あれだけ彼を叱咤して。なにもできなかった。その光景が現実となって彩葉の感情を埋め尽くした。
振り返って、かぐやを見上げた。
絶望が込み上げ、彩葉は耐え切れずその場にへたり込んでしまう。かぐやの周りを無数の月人が囲っており、ファイノンを救えなかっただけでなく、かぐやを守ることすらもできなかったのだと思い知らされた。
「うそ……うそ、待って……ファイノンさん……っ」
助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。助けられなかった。
彼はいつだって私たちのことを考えてくれてた。
いつだって弱さを見せなかった。
いつだって自分を犠牲にしていた。
今度こそは私が助けるって。今度は私が手を差し伸べる番だって。彼は私を信じてくれていた。私たちの為に身を削ってくれていたから、もえそうならないようにしたかったのに──────、
────私が、背中を押した所為で彼は帰って来れなくなった。
ファイノンさんは、私たちを信じてくれていた。
必ず助けてくれるって。なのに私はその期待を裏切った。何千、何万、何億と計り知れないほどの年月の中で絶望した彼を、私は助けられなかった。
なにもない宇宙に放り出されて、彼は今もずっと私たちを待っている。なのに私は、私は、私は、私は。
────私が、
なんとか立ち上がろうとするが、もつれて倒れ込む。かぐやは月人に囲まれて、前に出て恭しく跪いた月人へなにかを言っていた。
その時のかぐやは、まるで旧知の友人を迎えるかのような笑顔を浮かべていた。
「かぐや……っ!」
数多の感情が渦となって彩葉の理性を掻き乱す。見上げた先で、かぐやは光の灯る雲に乗り、迎えに来た月人と共に空へと──月へと昇っていく。ぐちゃぐちゃにされた思考で、なんとか立ち上がった彩葉がかぐやに腕を伸ばした。
かぐやは満面の笑顔で、戦ってくれたファンたちを見下ろして胸を張って叫んだ。
「最高の卒業ライブでした!いっっっぱいお土産もらっちゃった!みんな、ありがとぉぉぉ!!」
えへへ、と笑ったかぐや。ファンたちはその様子を遠くで見守りながら、この戦いに負けたのだと理解して完全に諦めてしまっていた。
かぐやは身振り手振りで大きくさよならを告げ、
「名残惜しいけど、これでお終い。それから……」
現実で、私の肩に温もりが乗った。
全身がその温もりで包まれ、私は現実で隣を見つめる。かぐやが、涙で頬に軌跡を描きながら私を抱き締めていた。
「いろは」──名前を呼ばれた。
息が荒くなる。肩が大きく上下に動く。心臓が激しく脈打ち、早鐘を奏でていた。
たった一秒が、数分に感じるほどの沈黙が流れていき、かぐやは必死に涙声を堪えてこう言った。
「──────────大好きっ」
その一言が脳に跋扈する雑念を払い除け、彩葉は慌ててかぐやを抱き締めようと背中に腕を回した。
だが、勢い良く回されたその腕は空を切り、空中に残された服だけを引き寄せて自分の胸に抱き締めてしまった。
そこに残されたのは、かぐやの最後の温もりだけで。自分の身体を必死に抱き締めていても、その温もりはゆっくりと──最初からそこには存在していなかったように忘却の彼方へと消えてしまっていく。
「いや……っ、うそ……わたし、わたし……っ」
ファイノンさんを助けられなかった。
手を伸ばしても、それは届かなかった。
こんなにも自分がなにもできないと思わなかった。
自分の無力さを痛感して、現実の非常さに打ちのめされて、私はただ目の前の光景を見つめていることしかできなかった。
「ああ…………っ」
彩葉の慟哭だけが、虚しく響く。世界が歪み、景色が水面に映る幻影のように揺れて、地面に置かれていた自分の腕すらも霞んで見えた。
何度瞬きをしても視界は晴れない。まるで現実を受け入れまいと、瞳が拒絶しているかのようだった。
嗚咽が漏れ、吐き気が込み上げた。
地面に強く額を打ち付け、何もできなかった自分の無力さを何度も痛めつける。何度も、何度も。傷つかない自分をなんとかして傷つけようと、力を振り絞ったが、ツクヨミではそれができなかった。
「彩葉」
優しい声が、聞こえた。
その声は自分がよく知っている声で、何度も救ってくれた声で、今一番聞きたくない声だった。
顔を上げられない。後悔で地面に立てた指が震えて、現実で噛み締めた唇が切れて鉄の臭いが口の中に広がった。
「彩葉。顔、上げて」
頬に手を添えられる。首を振って拒否した。
それでも頬に柔らかな感触が当てられ、地面を掻き毟ろうとする指に指を絡められた。
「彩葉は、頑張ってくれたよ。私の無理も聞いてくれてさ」
首を振った。
全部、私が悪い。ファイノンさんが宇宙に投げ出されてしまったのも、かぐやが月へと帰ってしまったのも、全部は私が無力だったから。
合わせる顔がない。合わせられる顔なんてない。
それでも彼女は私の手を優しく取ってくれた。
謝らなきゃいけない。謝って許されることなんかじゃない。それでも言葉に出さなければ、私はこのまま死んでしまうから────。
「ごめ……ごめん、ヤチヨ……っ!」
やっとの想いで吐き出せたのは、嗚咽交じりの言葉にならない悲痛な叫びだった。
視界が滲み、その悲しみが大地に染みを広げる。後悔がいくばくも胸の内を染め上げていった。
そっと、柔らかな手の感触が頬に添えられ、優しい声音が降り注いだ。
「自分を責めないで?彩葉は、すっごい頑張ってくれたから。誰も悪くないよ」
なんで、なんでそんなことが言えるのか。
ヤチヨにとってカスライナという存在は、悠久のような時を一緒に過ごした大切な人であって、
そんなにも大切な存在が手の届かないところに行ってしまって────、
「なんでヤチヨはそんなに平然と──ッ!」
言い放ちながら顔を上げて、彩葉は言葉を呑んだ。
崩れた髪。未だ乾きを知らない涙が頬を辿り続け、鼻はすすっている所為なのか赤く染まっている。潤んだ瞳に彩葉を映して、それでもなおヤチヨは微笑んでいた。
「ヤチヨ……」
思わず彼女の名前を呟く事しかできなかった。
辛いのは、ヤチヨだって同じこと。それになんで気が付けなかったのだろうか。
辛くて、苦しくて、数多の苦慮に蝕まれながらも、作った笑顔の奥に閉じ込めてヤチヨはまた微笑んでいた。
「ごめんね彩葉……こんな辛いことさせて……」
ヤチヨはゆっくりと優しく彩葉を抱き締める。二人のその様子を、残された者たちはただただ眺めていることしかできなかった。
大切な人を一度に二人も失ったことで生まれた心の穴は、夜闇を穿つ月のようで、有り得ないほどの空虚さだけを残していた。
二人がしばらく抱き合ったまま『かぐや争奪戦』は終わりを迎え、一万を超えるファンたちはかぐやの卒業を噛み締めてログアウトしていく。周りの喧騒や、かぐやを惜しむ声が聞こえなくなった頃、彩葉とヤチヨはゆっくり離れた。
「彩葉……」
帝に名前を呼ばれて、彩葉は服で涙を拭ってから立ち上がる。その様子をヤチヨはただ無言で見上げることしかできなかった。
作り笑いを浮かべて振り返ると、そこには最後まで手を貸してくれていた友人と兄が立っている。全員が悲しみや同情に暮れた表情を浮かべいて、彩葉はなるべくその顔を見ないように顔を上げた。
「みんな、お疲れ様でした。本当にありがとう……先、帰るね。ごめん」
それだけを告げて、彩葉はヤチヨの手を取ってその場を離れた。
二人で来たのは、ツクヨミを一望できるヤチヨの私室だ。ヤチヨの手を握ったまま彩葉は呆然とツクヨミの景色を眺めていた。
「彩葉?」
「ごめん、今は……ちょっと二人でいたくて……」
何も言わずにヤチヨは頷いた。
ヤチヨの手を握る彩葉の手は、その静かな心を表すように未だ震えていた。
温もりの感じられないその手を、ヤチヨは強く握り返す。すると彩葉の震えが僅かに収まったような気がした。
暫くの沈黙の後で、彩葉はぼんやりと口を開く。
「ファイノンさんは…………私のこと、恨んでるかな……」
なにを根拠にそんなことを言っているのか、ヤチヨは慌てて彩葉の手を胸に当てて首を振った。
「絶対にない」
ヤチヨはきっぱりとそう断言する。八千年間ずっと一緒にいたヤチヨがそう言うのなら──いや、会って間もない私ですら、きっと彼は私たちの誰かを憎むなんてことはしないのだろうと思う。
だからこそだ。
誰も私を憎まず、誰も恨まないからこそ────、
「──私は私が憎いよ」
なにもできなかった自分が許せなかった。
弱い自分から逃げられないのも、変わったつもりでなにも変わってないのだ。この性根もなにもかも。
ぽつりと吐き出されたその言葉に、ヤチヨはただ彩葉の手を握り締めたまま目を伏せる。そしてゆっくり手を離すと、彼女は彩葉の背後から腕を回して優しく抱き締めた。
「ヤチヨ……?」
背中越しに感じる息遣い──肉体を持たないはずのヤチヨから感じられるその鼓動。抱き締められる温もりも感じられない中で、その脈動だけがヤチヨが今をまだ生きていることの証明だった。
ヤチヨは彩葉の背中に顔を埋め、額を押し当てながらくぐもった声で口を開いた。
「ほんとにごめんね、彩葉。無理なことばっかお願いして……私、ずっと彩葉に迷惑かけてばっか……」
ヤチヨの卑下を聞いた彩葉が、すぐに振り返って首を横に振った。そんなことない、と慌てて否定した。
彼女を宥めようと肩に手を置いて、すぐに手を引っ込めてしまう。ふるふると震える彼女の肩に驚き、そこから漏れる嗚咽を聞いて、彩葉はなんて声を掛けていいのか分からなかった。
「ごめん、彩葉……」
それだけを言い残して、ヤチヨの姿は光の粒子となって消えていく。彩葉はすぐに手を伸ばしたが、脳裏に彼女の涙が過ぎって、思わずその手を引っ込めてしまった。
たった独りになったその部屋は、風の音だけが吹き抜けるばかりで、談笑していたいつもの日常が過ぎ去って行った。
彩葉はそのままログアウトし、壁一面がグリーンバックの配信部屋へと意識が戻って来た。
「────」
そこには、いつも聞いていた快活が無かった。
痛いほどの静寂だけが劈き、彩葉の吐き捨てる呼吸だけが有り得ないほど響いていた。
あらゆるところにいた。
色んな場所にいた。
日常の一部になっていたはずの現実が消えた。
スマコンを瞳から抜き取って、彩葉は天井を見上げる。まだ見慣れない、真っ白で広い天井を見上げてから、長時間の緊張が身体から抜けて大きく息を吐いた。
床に散った服を拾い集めて、そこに残ったかぐやの香りが鼻をついた。
服を抱えて部屋を出る。リビングと配信部屋から漏れる明かりを頼りに悄然とした廊下を踏み締める。玄関を横目に、開いていた風呂場のドアを閉めた。
洗濯機にかぐやの服をいれてから、いつも彼女が料理をしていたキッチンへと吸い寄せられるように歩を進める。かつての記憶を頼りに流しの下の引き出しを順番に開けていった。
もしかしたら、またかぐやが無邪気に笑ってひょっこり現れるかもしれない。そんな淡い願いを抱きながらキッチンを抜けた。抜けてしまった。呼び止めてくれる声もなく、ただそこに残った思い出だけが跋扈して───、
────かぐやがいないという現実を、思い出に思い知らされた。
寂しくなんかなかったはずなのに。
独りは、とっくに慣れたはずなのに。
孤独が、こんなにも寂しくなってしまった。
脱ぎ散らかされた靴、部屋の中に収まらなくなった配信用のガラクタ、かぐやがいつも使っていた出刃包丁、冷蔵庫に貼られたレシピと注意書き、耳鳴りに変わった笑い声──ここにある全てに、かぐやが
「お金勝手に使うし、滅茶苦茶やるし、片付けないし。ずーっと、邪魔だったよ。本当、最悪だよ」
なんで、そんなことを言ったんだろう。
このやるせない気持ちのぶつけどころが分からなかった。
溢れるだけの想いを握り締めた時、ポケットのスマホから通知が鳴る。引き寄せられるようにスマホを手に取り、通知を見た──かぐやからの入金の報せだった。
そこにはメッセージが添えられており、彩葉は唇を噛み締めた──『使っちゃった分、返す!ご迷惑おかけしました』と。たった、それだけ。
リビングに膝からくずおれて、彩葉はもう──溢れる涙を堪えることができなかった。
どうしようもなく溢れる涙が床に波紋を広げる。通知の届いたスマホを胸に抱き締めながら、彩葉は精一杯の恨み言を、もう決して届かないかぐやに吐き捨てた。
「こんな大金、使えるかよ。馬鹿ヤロー……っ」
それから、どれだけの日が経ったのだろうか。
リビングで膝を抱えながら、彩葉は窓を叩き続けている篠突く雨音だけを聞いていた。
顔を上げる度に、部屋を歩く度に、息をする度に。なにをするにも、かぐやの残渣が延々と遍いていた。
思い出す度に胸が締め付けられる。嗄れていく思い出が、あまりにも苦しくて。彩葉はまた、膝を抱えながら一日を過ごした。
ずっと、過去を辿った。
目を閉じる度に、自分のではない記憶が延々と語りかける。彼がどんな想いでずっと孤独に戦い続けてきたのか。抱え込んだ寂寥が、背負い続けた苦痛が、津波となって襲いかかった。
明日は学校に行こう──そんな風に思って、洗濯機に入れる気にもなれなかった制服を床から拾い上げた時、ポケットから一つのキーホルダーが落ちた。
「あ……」
からん、と乾いた音が痛いほどの静寂に響く。見下ろして、彩葉は絶句する。脳裏に過ぎる彼の笑顔に胃が捻れるような痛みを覚え、すぐにトイレへと駆け込んでから便器に頭を突っ込んだ。
少女には、耐えられなかった。
助けると誓った相手を死なせてしまった罪悪感。〝死〟という永遠の離別。それを背負えるほど、少女の背中は大きくなかった。
たった一つのキーホルダーに記憶が呼び起こされて、彩葉はなにも残っていない胃の中のものを吐き出した。
数十分の間、嘔吐いて、嗚咽して。身体がようやく落ち着きを取り戻し、口の中が酸っぱくなった頃、その場に座り込んでからまた二時間ほど膝を抱えた。
ふらり、と立ち上がる。そして、落ちたキーホルダーを手に取って、彩葉は大きく息を吐いた。
「ファイノン、さん…………」
もう一人の、大切な人の名前を呟いた。
手に取ったキーホルダーには、軽いガラス板に描かれた可愛らしいヤチヨのイラストが描かれている。それは傷が入り、所々イラストが剥げていた。
彼が最も大切にしていた、覚悟の証。それはもう、消えてしまった彼の存在を表すかのように薄く消えかけていた。
手のひらに食い込むほど強く握り締める。彼の存在をその身に刻み込むように、胸にぎゅっと抱き締めながら、彩葉の心はゆっくりと絶望を蚕食させていた。
「ごめん、なさい…………」
次の日の朝──重い身体を起こして、彩葉は学校へと向かった。
数日の無断欠席によって飛び交っていた噂話をのらりくらりと躱していき、職員室の扉をノックする。短く息を吸ってから、
職員室の真ん中の辺りから、不思議そうに顔を出した立花先生を見つけた。
彩葉はすぐに歩み寄っていき、提出できていなかった進路希望調査表を提出した。
それをしばし見つめて、立花先生は顔を上げた。
「やっぱり法学部か」
「すみません、ちょっと色々あって」
立花先生は柔らかく微笑んでから、
「酒寄は今まで出来すぎだったから、むしろちょっと安心したよ」
立花先生は無断欠席について、なに一つ聞くこともなく、それでいて一言も責めることはなかった。
職員室を出てから、彩葉はすぐに芦花と真実のもとへと駆け足で向かい、二人に両手を合わせて勢い良く頭を下げた。
「連絡返せんくて、ごめん!」
なに一つとして言い訳ができない。というより、そんな言葉すらも二人に向けるには申し訳なかった。
彩葉は平謝りすることでしかできず、それを聞いていた真実は頬を膨らませ、芦花はそっぽを向いた。
「無視ひどー」
「家乗り込もうかと思ったよ」
冗談交じりに拗ねて見せる二人に、彩葉はなにも言い返せずさらに頭を下げた。
「すまん!すまん!」
芦花と真実は溜め息を漏らしてから微笑む。二人は互いに見合わせると、真実が「私たちはさ」と言ってから芦花が続けて──、
「──彩葉が生きてればいいから」
苦笑交じりに告げられたその言葉は、彩葉が生きていたことへの安堵が滲み出ていた。
二人の微笑みを腰を曲げたまま見上げ、彩葉には彼の優しい表情が思い浮かんだ。
『──僕はただ、みんなが笑顔で過ごしてくれるなら、それでいいんだ』
そう言った時の彼の表情は、あまりにも悲哀に満ちていて。それがなんでなのかずっと分からなかった。
だけど、ようやく分かった気がする。彼のその言葉は、本心であって本心でない。彼が語った〝みんなが笑顔で過ごしてくれるなら〟という言葉は正真正銘の本物だ。
だが、そこではない。
彼の語っている〝みんな〟の中には、ファイノン自身が含まれていない。だからこそ、彼がそれを語った時の表情には悲しみが滲んでいた。
きっと彼は、みんなと一緒に笑いたかったはずだ。
「彩葉?」
芦花の声で、彩葉の意識は現実に戻って来た。
首を振ってから、彩葉は「ううん、ごめん。本当にありがとうね」と初めての感謝を伝える。すると二人は安心したような表情を浮かべ、やつれた彩葉の姿を気にしていた真実が彼女の肩を掴んだ。
「よし、彩葉復活祝いでご飯行こっ!こんなにお肌もガサガサになっちゃって……ちゃんと食べるまで見届けるから」
「いいねー。早速今日……は真実が無理か。じゃあ、明日の晩メシかな」
驚くべき早さでスマホのカレンダーに記された予定を見て、即座にスケジュールを組む芦花。
二人のやり取りの早さには目を見張るものがあると、彩葉はこの流れに懐かしさすら感じていた。
「私、BAMBOO cafeのカボチャフェア行きたい!」
真実の提案に「いや、あれ彩葉のバ先じゃん。嫌でしょ?」と芦花が彩葉へ視線を向けた。だが、断る理由もない上に、バ先ならついでに休んでしまったことを店長たちに謝ることもできる。
「ううん、別にいいよ」
彩葉はスマホを取り出して、メッセージアプリを開くと一番上に出てきた人物をタップする。微笑みながらテンポ良くキーボードを叩いて────、
「じゃあ、ファイノンさんに言ってお……く……から…………」
────彩葉の指が止まった。
芦花と真実が目を見開いて、すぐ彩葉を抱き寄せる。二人の温もりを感じながら、彩葉は内側から込み上げて来る激情を抑えることができず、視界がぼやけて歪んでいく。
「彩葉っ!大丈夫、大丈夫だから……!」
「ご、ごめんね……!わ、私、気が利かなくて……」
遠退いていく意識を、二人が慌てて繋ぎ止める。そのおかげで、彩葉の溢れ出そうになる激情の吹き溜まりは、目尻から一粒だけ頬に軌跡を描いた。
二人の温もりに包まれながら、全てに気が付いた。
なぜ、ネットに発信する方法のないアルバイト先で行われるカボチャフェアのことを知っているのか。きっと一番にマンションを訪れて、反応もなく追い返され、二人は仕方なくアルバイト先に行ったんだろう。
彩葉は、二人を強く抱き返した。
「ごめん」と、たったその一言を添えて。二人は微笑みながら彩葉の背中を擦った。その度に彩葉は、途切れ途切れの謝罪を呟いていた。
「ほんとうに……ごめん、なさい……っ」
二人がどれだけ私のことを大切に想ってくれているのか。ずっと独りで生きてきたと自惚れて、あまりにも身勝手で、あまりにも傲慢だった。
あまりにも────バカだった。
私は、今になってようやく、どれだけの人に支えられて来たのかを知った。
これから先──私がどれだけ二人を大切に想っているのか、ずっと伝え続けるから。もう、二人を悲しませるなんてことはしないから。ずっとずっと、友達でいてね。
瞳を閉じれば、かぐやが笑っていた。
ファイノンが微笑んでいた。
私がどれだけ私を憎んで、恨んで、苦しめても、ファイノンさんはきっと、笑って許してくれるのだろう。それを分かっているからこそ、私は私が許されようと思っているのが許せない。
何年、何十年が経っても、私が私を許すことはないだろう。ファイノンさんへの無念を抱えて生きようなんて、消えないこの罪を一生抱えて生きようなんて、そんな綺麗事は言いたくない。
二人と離れて、学校が終わるまで、私はずっとこの終わりを受け入れられずにいた。
受け入れられなくて泣いた。
受け入れられたくなくて泣いた。
泣いて、泣き続けて、ようやく泣き止んだ。
かぐやと初めて会ったあの通り。ファイノンさんと歩いたバイト先までの道。二人に引きずられて入った喫茶店。記憶に残っている思い出を巡って私が辿り着いたのは、結局────ツクヨミだった。
私が初めてファイノンさんと出会ったあの鳥居。
それを見上げていたら、いつの間にか彼は横に立っていた。
また、いつもと変わりないあの微笑みでひょっこりと顔を出してくれるんじゃないかと、そんな淡い願いを抱きながら、私は鳥居に触れた。
普通の物語なら、私はかぐやのことを胸に刻み、ファイノンさんの死を乗り越えて前に進むのだろう。それか、ファイノンさんの死を背負って、一生罪に向き合いながら歩んでいく。私の物語は、これで終幕を迎える。
なにもできなかった無力さを噛み締めて、私はこの障害を後悔と共に過ごさなければならない。
いや、違う。
私は、こんな終わりを求めてたわけじゃない。
そんな風に終われるわけがない。
かぐやを守れなかった。
ファイノンさんを救えなかった。
それでもう終わり?そんなの絶対に違う。私は私の道を行くとか、前を向いて歩くとか、理不尽な運命に頷いて諦めるなんて、そんなの絶対に嫌だ。
彼はどうだった?
「いや、ファイノンさんは諦めなかった」
諦めなかったから、彼は三千万の輪廻を歩み続けることができた。
理不尽な運命に抗い続けて、ようやく掴んだのだ。
「きっとファイノンさんは、私に託したんだ」
彼から預かったキーホルダーを握り締め、彩葉はツクヨミからログアウトする。慣れない自宅、よそよそしく感じるこの部屋の空気を吸い込んで、彩葉は駆け足でローファーに足を突っ込んだ。
ファイノンさんの死を背負って生きる?
かぐやとの思い出を胸に前に進む?
何年、何十年経っても絶対に忘れないからって?
「──そんな風に終われるわけないっしょ!」
──この世界がどんなに優しくなくても、そんなの気にしない。
運命に抗い続けてきた救世主のように、私は私で歩く道を決める。そう覚悟を決めて家を飛び出した瞬間、意識の奥底に眠っていた
意識が帰還した時、そこは無数の隕石群が茫洋とする銀河の中だった。
首を巡らせて、どこを向いても視界に映るのは数多の星だけ。その中でも一際輝く光が道のように延びている。そして宇宙とは思えないほどの煌めきを放つ
あまりの美しさに目を奪われていると、何かが耳元を通り抜けていった。
導かれるように振り返って、その正体がどこからともなく空から舞い降りるようにして現れた。
「──ハーイ♪」
心地の良い声が鼓膜を叩き、目の前には見たこともない生き物が宙に浮かんでいた。
ウサギのように長い耳と、澄み渡った海をそのまま宝石に閉じ込めたような水色の大きな瞳。まるで妖精のような可愛らしい見た目の
小さな矮躯で、大きく手を振りながらウィンクをして────、
「──あたしに会いたかった?」
開口一番に、可憐な笑顔でそう言った。
さてさて、これからどうなっちゃうんでしょうね。