八千代の時と三千万回の輪廻   作:渚 龍騎

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第十三話

 

 

 

 

 

 あまりにも壮大な話を終えて、意識が現実へと戻って来ると、彩葉は自分の家の玄関に立っていた。

 いったいどれだけの時間が経ったのか、時計を見ると針はまったく進んでいなかった。

 彩葉は自分の胸に手を当てて、その内側にあるであろう火種の感触をしっかりと受け止めた。

 

「よし」

 

 頬を叩き、彩葉は駆け出す。ひたすら走って、走って、走って、肺が苦しくなっても走った。

 学校に飛び込んで、人の影が少なくなった廊下を駆け抜けて、勢い良く職員室の扉を開く。そこにいた先生たちが一斉に彩葉の方へと視線を向けた。

 その中をずかずかと一瞬の躊躇いすらもなく進んで行って立花先生に突進。驚きで目をぱちくりさせている立花先生の手にあった進路希望調査票をひったくった。

 

「すみません!もうちょい悩みます!」

 

 「ご、ごゆっくり……」と引き気味の立花先生に見送られ、周りの先生たちから珍奇な目で見られながら職員室を出る。先生の目がなくなったと同時にマンションまで一気に走り出した。

 

 配信部屋に飛び込み、大量のエナジードリンクを放り投げてから、キーボードやヘッドフォンを引っ張りだす。もう二度と外に出ない勢いで扉を閉めてから、芦花と真実、そしてバイト先に連絡を入れた。

 

 すぐに返信は来た。

 『ちゃんとご飯食べること!』と芦花から告げられ、真実からは『今度返信来なかったら乗り込むから』と嬉しい脅しを受けた。

 バイト先のみおちゃんからは『私が全部穴を埋めます!』とフォローしてもらった。

 

 スマホに向かって深々と頭を下げながら、しっかりと感謝を述べる。そして改めてキーボードに向かい合って、ファイノンとかぐやの二人と向き合う。

 

 

 

 ────もっともっと、彩葉と歌いたかったよ。

 

 

 

 私もだよ。私だって、かぐやと歌いたかった。

 もっと歌って、もっと話して、もっと遊んで、もっと出かけて、もっともっともっと、もっと笑いたかった────もっと、かぐやと一緒にいたかった!

 

 

 

 ────僕は、みんなと一緒にいたい。

 

 

 

 私もです。私だって、ファイノンさんといたかった。無数の輪廻で何度忘れても、この気持ちだけは絶対に変わらない。輪廻の間に何があったのか分からないけど、それでもファイノンさんが私たちを想ってくれているその想いだけは分かる。

 

 かぐやへの想いを、ファイノンさんの想いを。

 二人ともっと一緒にいたかったこの万感の想いの全てを歌にする。そうすればきっと、かぐやにも、ファイノンさんにも届くはずだから。

 

 いいや、必ずこの全部を詰め込んだ曲を届けてやる。そう覚悟を叩き込んでキーボードに手を添え──着信が響き渡った。

 お母さんからだった。私は迷わず手に取った。

 その瞬間、私が『もしもし』と言うよりも先に、お母さんから「やっとではったね、この根性なしが」と開口一番に罵倒が豪速球で飛んで来た。

 

「私、何回電話したかね?甘ちゃんやから話すの怖いもんね?学校も連絡せずに、休んでらっしゃるそうで。大層なご身分やね。一人で生きてるつもりなんか?あんたが一つ滞らせるせいで────」

 

 息継ぎをしてるのかすら怪しいほどの止まらないお説教に、せっかくのやる気が削がれるようだった。

 反論も許さず、矢継ぎ早に追い詰めて、ひたすらに瑕疵を挙げ連ねる。これがお母さんのやり方だ。

 

 受け流せとお兄ちゃんからは助言されたけど、私にはできない。だから、私だけのやり方でやる。だが、今回はどう考えても私が悪いので、まずは「ごめんなさい」と謝罪から入った。

 

「反論を持たずに謝ったらあかんで。私は謝罪されて黙るやわな人間やない。それともサンドバックにしてええんか?」

 

 分かっている。こんな謝罪一つで母は揺るがない。そんなことは分かっている。だからこそ、私は息を吸って覚悟を決めると、心に決めた全部を言葉にして口を開いた。

 

 それからはお互いに引かない長い言い合いが始まった。全部言う。お母さんの言葉に怯みそうになっても、踏み込んでさらに距離を詰めて答えた。

 そしてどれだけ言い合ったのか、お母さんは急に「ええよ、やってみ」と淡々とそう言った。それから溜め息をした音が電話越しに聞こえて、お母さんは「ただ──」と言葉を続け、

 

「──好きなことをするには責任がつきまとう。向いてたかどうかなんて最後まで分からんし、最悪だれもおらんとこで死ぬことになる。それを忘れたらあかんよ」

 

 それだけを言い残して一方的に電話は切れた。

 時計を見上げると、一時間近くも経っていた。

 思考をずっと回していたのもあって、緊張の糸が切れる。疲労がドッと身体に流れ込んでソファに倒れ込んだ。

 それでも、先に口から漏れたのは「……言えた」のただ一言だけだった。

 

 そう、私はもうとっくに変わっていたんだ。

 感慨も湧かない。もうここに今までの弱い私はいない。私の中の一番はもう違う。

 

 それからは、睡眠と食事以外の全てをキーボードに注ぎ込んだ。

 この胸の想いを。今までの過去を、未来を。何もかもを音にして。太陽が昇り、月が夜空を照らし、それらが何度か繰り返した後に────運命を変える一曲が生まれた。

 

「…………できた」

 

 ファイノンさんは、私とかぐやの物語を最後まで語らなかった。かぐやがヤチヨであること自体は語っていたが、私がかぐやを失ってからどうするのかは教えてくれなかった。

 

 けれど、彼は優しい眼差しで言っていた──『相棒は、必ず最高の結末を彩ってくれる。だから、最後まで諦めないでくれ』と。

 私は出来たばかりの脈打っているこの曲を抱き締めて、ヤチヨにメールを送った。これからのことを含めて相談しなきゃいけない。

 

 時計を見れば、もう夜中だった。

 明日に備えて、私は僅かに伸びをしてから布団に潜る。曲を作っている時の胸の高鳴りが、未だに収まらない、こんなにも曲作りを楽しいと感じたのが、どこか懐かしかった。

 興奮は冷めなかったが、身体は限界だったらしくすぐに殺人級の睡魔が私の意識を闇に沈めた。

 

 目が覚めた時、もう既に昼過ぎだった。

 私はスマホを見て、眉を寄せる。ヤチヨからの返信がなく、不思議に思って電話を掛けたが繋がらなかった。

 

 私はメモ帳に記載されている住所を眺め、顔を上げるとすぐに制服に着替えて家を出た。

 

 電車を乗り継ぎ、とあるマンションの一室までやってきた。固く閉ざされた扉の前でスマコンを装着する。インターフォンを鳴らすと、扉の奥の静謐な空間に電子音が響き渡った。

 

 反応はなく、彩葉はもう一度ボタンを押した。

 数秒の静寂が訪れ、更にらもう一度ボタンに手を掛けた瞬間、カチャッと鍵の解錠音が聞こえた。

 息を呑み、ドアノブに手を掛けて扉を開く。電気もついていない暗い廊下を抜けると、パソコン機器が雑多に積まれた部屋があった。

 

 カーテンの隙間から差し込む陽の光と、パソコン機器の電源の光だけが部屋の中を淡く照らしていた。

 コードの山が部屋に広がり、その中央には水槽の中で様々な機器に繋がれたタケノコ──『もと光る竹』が沈んでおり、その横には数匹のウミウシが水槽の中でぼんやりと蠢いていた。

 

「…………ヤチヨ……?」

 

 部屋の主の名前を呼ぶ──だが、反応はない。

 彩葉はゆっくりと息を吐いてからツクヨミにログインする。思考と意識がスマコンの拡張現実機能と接続。いつも通って来ている宇宙を模したモーショングラフィックスを流星のように通り抜け、意識が戻って瞳を開くと、そこはヤチヨの私室へと繋がっていた。

 

 彩葉のアバターはバルコニーの方を向いており、振り返った先に広がっていた光景に目を見開いた。

 無数の灯籠や、部屋の奥に立ててあったはずの間仕切りが全て倒されていた。まるでこの部屋内だけに台風が起こったような荒れ具合で、彩葉は慌てて辺りを見渡す──部屋の隅で、膝を抱えて蹲っているヤチヨを見つけた。

 

「ヤチヨ──っ!」

 

 すぐに名前を呼んで駆け寄ると、ヤチヨはゆっくりと顔を上げて彩葉の顔を見つめた──「彩葉……?」と掠れた声で、涙で盛大に顔を汚しながら。

 

「ごめんっ、ヤチヨ……!」

 

 彩葉はヤチヨを強く抱き締めた。

 

 そうだ。そうだった。

 辛いのは、私だけじゃない。そんなこと、少し考えれば分かることだったのに、なんで気が付かなかったんだろう。ずっと自分だけだって驕っていた。

 

「いろは……?どうして……?」

 

「大丈夫だよ、ヤチヨ。もう、独りになんかさせないから」

 

 その言葉で、ヤチヨの防波堤は崩れ去り、嗚咽はやがて悲痛な叫びに変わった。

 私の胸の中に顔を埋め、ひたすらに現実の無情さを嘆いて泣き叫ぶ。私はただただヤチヨの溢れる感情を真っ直ぐに受け止めた。

 

 ヤチヨは八千年もファイノンさんと一緒にいた。

 途方もないほどの年月を、一緒に支え合って生きてきた。耐え切れないほどの苦痛をお互いに埋め合って、数え切れないほどの別れと困難を一緒に乗り越えて来たはずだ。

 

 そうだ。大丈夫なはずがない。

 家族を失う辛さは、私が一番よく分かっているのに、気づいてあげられなかった。

 だから、私はヤチヨが泣き止むまでずっと側にいた。今までの孤独を埋め尽くしてあげるように、震えるヤチヨを抱き締めたままその寂寥を受け止めた。

 

 温度なんてツクヨミでは感じられないはずなのに、胸の内が熱くて、震える手が熱くて、なによりもヤチヨの涙が一番熱かった。

 

 ずっと溜め込んでいた激情が箍を切ったように溢れだす。そのすべての吹き溜まりを、彩葉はただただ抱き締めて包み込んだ。

 やがてその滂沱と流していた涙が収まり始め、ヤチヨの泣き声が遠く彼方へと消えていく。それが鼻をすする音へと変わり、ヤチヨはゆっくりと離れた。

 

「ごめんね、彩葉」

 

「ううん、謝らないで。むしろ、謝らなきゃいけないのは私の方だから」

 

 そう言いながら、ヤチヨの目尻に溜まった涙を指で掬う。ヤチヨは困惑した表情を浮かべて、頬に添えられた彩葉の手に触れた。

 彩葉が身を乗り出して、腕をヤチヨの背中と後頭部へ回す。そのまま抱き寄せて、自身の胸にヤチヨの頭を置いた。

 

「ごめん、ヤチヨ。私、ずっと自分勝手だった」

 

 何もできないヤチヨに、彩葉は語りかけるように優しく言葉を紡ぐ。

 

「私は独りなんかじゃなかったんだ──ずっと、側にいてくれてたんだね、ヤチヨ」

 

 え、とヤチヨの口から困惑が漏れる。彩葉は彼女の肩を持ってゆっくりと身体を離し、真っ直ぐにその空のような瞳を見つめた。

 すっ、と息を吸って、彩葉は真剣な表情で告げた。

 

 

「──ファイノンさんを、救いに行こう」

 

 

 ぽかん、と口を開けて呆けるヤチヨに、彩葉は全てを話した。妖精のことや鉄墓のこと、とある銀河にいた英雄たちのこと、何もかもを全部話した。

 ヤチヨはただただ信じられない様子でありながらも、彩葉の言葉の全てをできる限り信じようと努力した。その結果────、

 

 

 

「──うん、分かった」

 

 

 

 あまりにもすんなりと受け入れたヤチヨに、彩葉は頬を掻きながら「まあ、信じられないよね……」と苦笑する。そして一拍の沈黙が空き、ヤチヨの言葉を理解した彩葉の脳がようやく驚愕した。

 

「──え、分かったの!?」

 

 ヤチヨは彩葉の驚愕に真剣な表情を浮かべながら、そこに信頼を滲ませて微笑んだ。

 

「彩葉のことだもん。ヤッチョは、彩葉のことを信じてるから」

 

 その声音には嘘も冗談も含まれていない、本気の感情が込められていた。

 胸に手を当てて微笑むヤチヨに、彩葉は呆れたような溜め息を漏らして「まったく……」と笑いながら腰に手を当てた。

 

「それで、これからどうすればいいの?」

 

 首を傾げるヤチヨ。彩葉は思考を切り替え、真剣な眼差しで彼女を見つめながら「まずは」と切り出し、

 

「この歌で、どこかにあるファイノンさんが残してくれた通り道を開く」

 

「卒業ライブの歌?完成したの?」

 

「うん。この歌でファイノンさんの記憶を刺激できるか分からないけど、ファイノンさんが大切にしてたのは確かだから」

 

 そう告げて、彩葉は立ち上がるとヤチヨに手を差し伸べる。その手を見て困惑しているヤチヨに向けて「その前に」と、彼女は微笑んだ。

 

「ヤチヨとファイノンさんのこと聞かせて。八千年、あったこと全部」

 

 きょとん、と音が鳴った気がした。

 突然として頼まれたその内容に、ヤチヨは僅かに目を見開く。揺れる瞳が真剣な表情の彩葉を映し出して、八千年間ずっと眠っていた彼女の顔が記憶の渦から鮮明に蘇った。

 

 

 ────ああ、そうだった。

 

 

 昔からずっと変わらない。

 彩葉は、彩葉なんだ。

 

 彩葉は落ちたままのヤチヨの手を無理やり取ると、腕を引いて立たせた。

 

「口頭でそれなりに聞いたし、ファイノンさんの記憶で少しだけ見たけど、やっぱりヤチヨ本人から聞かないと」

 

「もう、無茶言うねえ」

 

 ヤチヨはふと笑った。

 二人で正面を向いて座り直すと、ヤチヨは楽しそうに語り出す。月に帰ってからバリバリ社畜して、いざ地球に戻ろうとしたら大きな石にぶつかり、やっとこれたと思ったら縄文時代に飛ばされて────途方に暮れていたら、ファイノンと再会したあの長い旅路のこと。

 

「んじゃ、まずは縄文人と魚とった話から。よく覚えてるのが、ナガツノだっけかな。髭がめっちゃ長い海老がマジで貴重でね。カスライナが縄文人と一緒に海に潜って獲りに行ったんだけど、これがホント全然獲れなくて!」

 

 ころころと表情を変えて楽しげに語るヤチヨ。その姿は、今まで見たことがなかった。だからこそ、彩葉はこの目にその姿を焼き付けて、その声に耳を澄ませた。

 

「こんな小さい子が獲って来てるのに、カスライナはなーんも獲れなくて!なぜかタコに巻き付かれて出てきたの!あれはめっちゃ笑ったなあ」

 

 喋って、喋って、ただひたすらに思い出を語るヤチヨの記憶に耳を傾けて、丸二日が経った。

 そこで不意にFUSHIが『ネムッテ、ネムッテ』と機械じみた音声を発する。ヤチヨはそれを聞くと、糸が切れた人形のように倒れて眠りについた。

 

 ヤチヨには活動限界がある。充電やアップデート、記憶の整理の為に定期的にスリープ状態になる必要があった。

 彩葉は眠るヤチヨの側に腰を下ろして、彼女の無垢な顔を眺めながら頭を優しく撫で。そして机にいたFUSHIに視線を移した。

 

「FUSHI、ヤチヨが隠してる全部教えて」

 

 そう告げると、FUSHIは僅かに目を見開く。顔を伏せて、なにか言いづらいような表情を浮かべた。

 

「でも、ヤチヨが言わなかったなら、それは……」

 

「見せて。私、ヤチヨの全部を見なきゃ」

 

 彩葉の覚悟を表情から読み取ったFUSHIは、目に涙を浮かべながら長い長い沈黙を挟み、重々しく口を開いた。

 

「人の身体で耐えられるか分からない……」

 

 「問答無用」──彩葉は柔らかな笑みを滲ませながらも、真剣な眼差しのまま即答する。それを聞いたFUSHIは瞳を閉じて、しばし沈黙してから顔を上げた。

 

「分かった。行くぞぉ!!」

 

 FUSHIの瞳から真紅の光線が放たれ、辺りの景色が移り変わる。世界がバラバラと崩れ始め、彩葉の身体は八千年前の地球へと落ちていった。

 

 FUSHIの記録に刻まれたヤチヨ(かぐや)の記憶が、荒波となって一気に彩葉の脳髄に流れ込む。ファイノンと共に過ごした温かい記憶以外に、八千年の間に経験した出会いと別れの数々。絶望を押し殺して、何度も味わった悲哀を受け止めて、その過程で学んだ──作り笑い。

 

 何もかもを抱えて抑え込んだその全てを、彩葉は目を逸らさず真っ直ぐに、正面から受け止めた。

 

 かぐやがヤチヨになるまでの過程を。

 ファイノンと共に歩んだ八千年の旅路を。

 出会いも、別れも、期待も失望も、希望から絶望まで、なにもかもすべてを──この魂一つで、受け止める。

 

 もうこの手は、絶対に離さない。

 彩葉の覚悟は、八千年分の想いを包み込んだ。

 かぐやがヤチヨとなって、運命に導かれるままに流れて、また一つ年を過ぎる度に、不安が募っていく。

 

 彩葉が知っている無敵のかぐや姫も、彩葉が求めていたキラキラのお姫様も、もうここにはいない。だからこそ、この正体を知ってしまえば彩葉は幻滅してしまうのではないかと恐れた。

 

 怖くて、泣きたくて、信じたくなくて。

 現実と向き合うことすらできなくて、それでも彼だけが背中を支えてくれた。

 

 

『──大丈夫だよ、ヤチヨ』

 

 

 どんな時にも、カスライナが一緒にいた。

 たった独りの世界に、光を差し込んでくれた。

 

 だから前を向けた。

 彩葉との歌を。彩葉と歌ったあの曲を。

 私は、カスライナと歌い続けた。

 

 いずれ運命が巡るその時まで、わたしは私のまま歌い続ける。いつの日か、必ず出会えると分かってるから。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 目が覚めたきっかけは、自分の名前を呼ぶ声だった。ゆっくりと瞼を開くと、目の前には愛おしいヤチヨの姿があった。

 今にも泣きそうな表情で、ヤチヨは目尻に大粒の涙を浮かべながら彩葉の名前を呼んでいた。

 

「ヤチヨ……」

 

 起き上がると、ヤチヨは安堵の息を漏らしながら「馬鹿……壊れちゃうよ……」と声を震わせた。

 そんな悲しみでいっぱいになっているヤチヨを抱き締めて、優しく頭を撫でる。やっと追い付いた、と彩葉はヤチヨの耳元で囁いた。

 抱き締めた顔の横で、ヤチヨが首を振った。

 

「追い付いたのは、私の方……彩葉が、少しずつ彩葉になったんだってわかるのに、八千年もかかっちゃった……」

 

 訥々とそう語るヤチヨの身体を離す。正面から彼女の顔を見つめて、頬にそっと手を添えた。

 指でヤチヨの涙を拭いながら、彩葉は「私、成長したんだよ?」と語り始め、

 

「お母さんとだって話せたし、かぐやとファイノンさんがいなくても、できたんだよ……?」

 

 語りながら、彩葉の声が震え始める。知らずうちに溜まっていた感情が、箍を切ったように溢れ出す。涙が頬を伝って、彩葉は思わず願望を口にした────「二人といたい……」ただそれだけを。

 

 こんなことは生まれて初めてだった。

 生まれて初めて自分の気持ちを知った。

 かぐやと歌いたい。ファイノンさんと笑いたい。

 

 彩葉の願いを聞いたヤチヨも、涙を拭うことすら忘れてポツリと呟いていた。

 

「私も、またみんなで笑いたい……」

 

 彩葉とヤチヨは、同時に手を上げて二本の指を当てる。二人だけのハンドサイン。仲良しのやつ。指を絡めて、強く握って、二人は互いに真っ直ぐ見つめ合った。

 

 

 その瞬間────二人の胸の辺りが強く輝き出す。僅かに離れると、二人の中に託されていた半分同士の火種が、惹かれ合うように合わさった。

 

 

 驚いた表情で二人は見つめ合う。そして、その意味を悟って頷いた。

 彩葉が火種を両手ですくい上げる。二人は立ち上がって、火種を手に歩き出す。世界中の心拍が戻り、景色が移り変わった。

 

「犠牲の上での結末なんて、私たちはいらない」

 

「カスライナを、返して」

 

 この運命を定めた神に。この理不尽な運命に向かって、二人はそう言っていた。

 

 ────準備はできた。

 

 彩葉は、ヤチヨがヤチヨへと至った過去を知った。

 ヤチヨは、彩葉が彩葉へと至った苦渋を知った。

 

 二人は、いつだって側に彼がいたことを知った。

 

 迷いはない。なにも迷う必要なんてない。

 あの日、あの時、初めて彼と出会ったあの場所で。その場所こそが、彼の作り上げた通り道なのだと、火種が導いた。

 

 鳥居を見上げながら、火種に手をかざす。どうすればいいのかは分からないが、なぜか知っているように身体が動いていた。

 

 光の奔流が火種に注ぎ込まれ、それはやがて一つの本へと形を変えて開かれる。無数のページがパラパラと勝手にめくれ、眩い光が二人を包み込んだ。

 

 二人はお互いに視線を交え、微笑む。もう何も怖いものなんてない。みんなて手を取り合えば、どんな困難だって乗り越えられるから。

 

 彼女は言った──この物語に完璧な終止符を、と。

 ファイノンさんのいない結末なんて、有り得ない。ヤチヨの八千年の寂寥を支えてくれたのは紛れもない彼だ。

 本当に苦しかった時、ふと手を差し伸べてくれたのはいつだって彼だ。

 

「──行くよ、ヤチヨ」

 

「──うん。一緒に行こう、彩葉」

 

 頷いて、『永遠』に近いページがめくられ続ける本を見つめる。導かれるように、二人は深呼吸をしてから覚悟を決めた。

 その覚悟こそが、光となって煌々と輝き出す。そして同時に、二人は口を開いた。

 

 

 

「「──世界よ、まだ見ぬ結末を記せ!!」」

 

 

 

 視界が、真っ白な光に包まれる。辺りに散る記憶の残滓は、すべて彼との思い出だった。

 世界が巻き戻る。定められた運命を変える為に、刻み込まれた輪廻を終わらせる為に。二人の意思は、過去へと遡って行った。

 

 

 

 




もう終盤ですね。
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