八千代の時と三千万回の輪廻   作:渚 龍騎

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第五話

 

 

 酒寄 彩葉にとって、ファイノンという男は誰に対しても優しく呑気な性格の青年という認識だった。

 一回目の邂逅。それはかぐやが月から地球に訪れ、初めて仮想空間ツクヨミに現れた時である。チュートリアルを抜けた先にある鳥居の下でかぐやを待っていると、いつの間にか彼が横に立っていた。

 

 最初に目に映ったのは、外側に無造作に跳ねた白銀のような白い髪だ。夜闇の中でもその輝きを恍惚と魅せている。それは彩葉が最も好きなライバー、月見ヤチヨと似ている髪色だったからだ。

 

 健康的でシミの一つもない肌。顔立ちも空恐ろしいほど精緻に整っており、誰もが彼の顔を見て羨むことだろう。中性的でありながらも青年さを感じさせる爽やかな顔──澄み渡るような空色の瞳を宿した双眸、形の整った眉、ツンと高く通った鼻筋。その全てが完璧に配置されており、もしここが仮想空間でなければ、すれ違う人間ほぼ全員が彼の容姿を見て振り返ることだろう。

 

 現に、彩葉も仮想空間でありながら、彼の顔立ちに思わず見惚れてしまっていた。

 爽やかな青年、といった印象が強い。しかし、その格好はあまりにもツクヨミとはかけ離れており、洋風な剣士といった風貌である。白を基調とした、厳かな金色の刺繍が施されたコートに、左右に白と黒が分かれた肩鎧。そこから翼のように伸びる青色のマント。明らかに和をモチーフとしたツクヨミにそぐわない格好である。だが、ツクヨミでは全員が表現者ゆえに、不思議ではない。

 

 彼と目が合う。すぐに目を逸らしたが、鳥居の内側が光の波紋を広げ始めてかぐやがチュートリアルを抜けて来ると思って振り返った。

 ツクヨミ恒例の『第一歩はコケがち』を拝むか、と思っているとかぐやはそのまま勢い余ってファイノンを押し倒しながらその上に倒れた。

 

「えっ、ちょっ!?」

 

 それが、初めての出会いである。かぐやとの物理的な衝突もあり、彼もツクヨミは初めてのログインだと言い、かぐやからの「じゃあ一緒に回ろうよ!」という誘いもあって、ファイノンとツクヨミを回ることになった。

 

「えっと……Neikos496……さん?」

 

 彩葉が彼の頭の上にあるIDを読み上げて首を傾げる。青年は「え゛」と驚いた表情を浮かべ、自分のIDを確認した。そして顔を引き攣らせながら「うわ、マジか……」と声を溢していた。

 

「どしたの?」

 

 かぐやがファイノンのウィンドウを覗き見るが、彼はすぐにウィンドウを閉じて顔を上げた。

 

「あ、いや、なんでもないよ。僕のことは、ファイノンって呼んでほしい。このIDは無視してくれ」

 

 ファイノンが苦笑する。それからはファイノンの人柄もあり、三人はすぐに打ち解けていき、かぐやが半ば無理やりファイノンとログインの約束を交わし、彩葉も連れられていた。

 それからツクヨミ内でのファイノンとの交流は活発になっていった。

 

 酒寄 彩葉のファイノンに対する感情は、どの輪廻も変わらないものである。ヤチヨとかぐやを救う為に自分を犠牲にして輪廻を繰り返している、と聞かされた時、彩葉は自分の無力さを憎んだ。

 

 数ヶ月程度の関係しかないにも関わらず、なぜか彼にこだわってしまう。記憶に焼き付いて離れない存在だった。

 永劫回帰を繰り返していく中で、ファイノンの輪廻を止めようと彩葉を含めてヤチヨたちも敵対した。それでもその中にあった感情は、憎悪ではなく憐憫と悔恨だった。

 

 

 >>>永劫回帰#168000

 

 

 万を超える輪廻を経験して、カスライナの精神は擦り切れていた。たったそれだけの輪廻は、到底カスライナ本人が経験したものとはほど遠い。

 カスライナは頭を抱え、幾度となく経験した別れに胃が捻れるような痛みを覚えた。それでも輪廻は繰り返さなければならない。そうでもしなければ、かぐやはまたあの絶望を経験してしまう。これから無限の輪廻を繰り返す彼女たちの痛みに比べれば、自分の輪廻の数など塵にも満たない。

 

 

「…………輪廻を脱却するまでは、僕が全てを……」

 

 

 背負って、背負って、背負って、背負う。

 月へ攻撃を続け、カーネル層を破壊することで輪廻脱却の第一歩を進めようとする。月人やかぐやたちが存在している月のカーネル層を破壊することで、データを書き換え、ヤチヨはヤチヨのままで輪廻そのものを書き換える。だがそれも、頭で考えるのは簡単だったが、可能かは定かではない。しかし、それでも可能性があるなら、と輪廻を続けた。

 

 隕石の破壊も試みたが、本来のカスライナの力なら可能でも、僕という偽物では不可能だった。

 

「運命の行人じゃないから……?」

 

 月のテクノロジーは、過去にも飛べる。地球よりも遥か未来のテクノロジーを持っているのなら、その根幹やエネルギーを利用して不可能も可能にできると踏んだ。我ながら根拠のないアホらしい策だ。希望的観測でしかない。

 

 この身は、もとよりこの世界には異物だ。

 火種に焼かれようと、輪廻の中で燃え尽きようと、彼女たちのためなら喜んで捨てられる。世界のためだ、なんてそんな英雄にはなれない。()はファイノンではないから。せいぜいできるのは、守りたい人たちを守る──それだけだ。

 

 苦痛が身を削る。八千年という年月は、文字にしてみればたったの三文字程度。輪廻の回数も所詮はただの数字。その中で経験した烏合の記憶は、精神そのものが焼き切れるようだった。

 

 だが、それでも不思議と──輪廻なんかやらなければ良かったとは思わなかった。一回の輪廻が過ぎる度に、この茫洋とした意識の中で浮かび上がるのは「これでまた、彼女たちを一度救えた」という喜色の感情だった。

 

 足取りは覚束ない。意識も記憶の波に呑み込まれ、感情は既にどこかへ消えている。それでもその脚は、ただ救いたいと願う想いで動き続けていた。

 

 階段を上る。一歩ずつ、踏み外さないようにしっかりと踏み締めて上へと上がる。背後では、かぐやを渡すまいと奮闘するブラックオニキスたちの姿がある。こうしてみんなの勇姿を背にして、誰にも見られずに輪廻を繰り返そうとしていた。

 

 戦闘の衝撃で地面が揺れ、身体が傾く。バランスが崩れ、前へと倒れそうになった時──しっかりと受け止められる。柔らかく、優しく、背に腕を回されて受け止められていた。

 

 

「………………いろ、は……?」

 

 

 顔を上げれば、そこには目尻に涙を浮かべて優しく微笑む彩葉の姿があった。

 彼女は何も言わずにファイノンを抱き締める。今の状況も理解できず、また大切な人たちと戦わなければならないのかと懸念したが、彼女から敵意は感じられなかった。

 

 

「ああ…………良かった……」

 

 

 彩葉の声が耳元で聞こえる。なにが良かったのだろうか、そんなことを思っていると、彼女はゆっくりと肩を持って離れた。

 ファイノンが困惑していると、彩葉はファイノンを真っ直ぐに見つめて微笑んだ。

 

 

「まだ、温かい……」

 

 

 え、と声が漏れる。なにを言っているのか分からない。それでも彼女の表情は柔らかい笑みを浮かべており、なにも理解できない。

 彩葉はファイノンの頬に手を添えた。その時、彼女の目尻に溜まった涙が頬に軌跡を描いて落ちていった。

 

「ツクヨミじゃ、温かさは分からないけど……あなたの優しさは、まだ温かいんだなって」

 

「それって……どういう……」

 

 初めての輪廻だった。

 今までは彼女たちに見つからず輪廻を繰り返すか、彼女たちの静止も振り切り、戦って勝ってでも押し通して輪廻を繰り返していた。

 こうして温かな笑みを向けられることはなかった。

 

「ヤチヨから、全部聞きました。ヤチヨがかぐやだってこと、本当はこのまま抵抗も意味なくて、かぐやが連れ去られて、地球に戻ろうとしたら八千年前に飛ぶことも、そして────あなたが、その八千年を延々と肩代わりしてることも」

 

「……そうか。なら、そこを退いてくれるかい?」

 

 彩葉はファイノンをまた抱き締める。後頭部に手を回して、彼の頭を優しく撫でながら、強く抱き締めていた。

 今までの輪廻では一度たりともなかった状況に、ファイノンも困惑を隠し切れず彩葉の胸の中であるはずのない鼓動に耳を傾けていた。

 彩葉は伽藍堂なファイノンを抱き止めながら、そっと顔を寄せて優しく、慈しむように囁いた。

 

 

 

「────ずっと、ずっと、ありがとう」

 

 

 

「────ッ」

 

 

 

 ファイノンが目を見開く。茫洋としていた意識が、その言葉で一気に鮮明になる。辛かった記憶が、苦しかった記憶が、全て一気に蘇る。たったそれだけの言葉が、ファイノンの意識を呼び覚ました。

 

「なん、で……?」

 

「なんでって、普通は感謝をすることですよ。かぐやの代わりに全部を背負ってくれて、本当にありがとうって」

 

「で、でも、君は僕の輪廻は知らなくて……」

 

「確かに、今まであなたがどれだけ辛くて苦しんだのかは、私には分からないですけど」

 

 彩葉は「それでも」と言葉を続けて、

 

「ファイノンさんが諦めないでいてくれて、運命を受け入れないでくれたから、かぐやもヤチヨも救われてます」

 

 いつの日から、僕は誰かに受け止めてもらいたいと思っていたのだろうか。とっくの昔に捨て去った感情だったはずなのに、なぜこんなにも胸が苦しくて、こんなにも熱くなってしまうのだろうか。

 

「だから、私はファイノンさんに『ありがとう』って伝えたいんです」

 

 ゆっくりと離れる。真っ直ぐに見つめる彩葉の瞳には、目尻に大粒の涙を浮かべた青年の姿がある。真っ白に燃え尽きた灰だけの青年が、忘れ去った感情に揺さぶられていた。

 

「僕には、これしかないから……僕はただ、君たちを悲しませたくなくて、かぐやにもヤチヨにも、みんなに笑っていてほしくて……」

 

「分かってます。これから先、どれだけの輪廻が待ってるのか、私には想像もつかないですけど──」

 

 彩葉が小指を差し出す。困惑しながらも、ファイノンも同じようにゆっくりと小指を差し出すと、彼女はそこに小指を絡めた。

 

 

「それでも、約束します──私が必ず、この輪廻を脱却する方法を見つけるって」

 

 

 彩葉の真っ直ぐな瞳がファイノンを射抜く。その真剣な表情からは、嘘も偽りも存在せず、その場しのぎで吐き出された言葉でもなかった。

 本気で成し遂げようとする絶対的な意志があった。

 ファイノンは首を横に振り、震える声をなんとか抑えながら答えた。

 

「で、でも、輪廻を繰り返せば、君の記憶は消える……だから、そんなこと──」

 

「──そんなの関係ありません」

 

「僕ですらどうすることもできなくて、君にだってどれだけの苦痛が待っているのかわからないのに……」

 

「──問答無用」

 

「僕は、何度も君たちを傷つけた……救う為だと吐きながら、君たちを何度も剣で傷つけた」

 

「──それなら何度だって」

 

 彩葉は微笑む。ファイノンの頬を伝う涙を指で拭い、僅かに目を伏せてから彼を見つめる。そこには少しの懸念と申し訳なさを同時に纏わせながら「でも」と続け、

 

「見つけるのにきっと沢山の時間がかかります。だから、それまでは待っていてほしいんです」

 

 彩葉の口から吐き出される心配も、全部ファイノンには関係のないことだった。

 誰かにそう言ってもらえただけで、胸の内側が温もりでいっぱいになる。呆れるでも怒るでもなく、ただそうやって慈しむように、愛おしむように言ってくれるだけで心が救われるような気がした。

 

 

「絶対に、私が必ず────」

 

 

 その表情は────見たことがあった。

 かつてかぐやに「受け入れて覚悟するしか、ない」と言った、あの真っ直ぐな表情(カオ)だ。

 

『──かぐやは、彩葉が笑ってるのも好きだけど、やっぱりあの真剣な彩葉の顔がすっごくキレイでさ。ちょーっ、好きなんだよねー』

 

 嗚呼、だからかぐやは、彼女のことを好きになったのか。理解できた、気がする。ずっと画面越しに見てきた表情だから分からなかったが、今なら全て理解できる。

 

 彩葉は真っ直ぐに、一切の曇りも淀みもない鮮烈な(いろ)が満ちる瞳でファイノンを捉えて、嘘偽りも消し去った声音で言い切った。

 

 

「──この輪廻を終わらせて見せますから」

 

 

 流石、スパダリ主人公だ──その意志も決意も堅い。だからこそかぐやもそれに惹かれ、僕も彼女のことを心から信頼できると思ったのだろう。

 

「ファイノンさんの永劫回帰を、無駄になんかさせない。無責任なのは理解してます。だけど、ファイノンさんが私たちを救ってくれてるように、私がファイノンさんを救います」

 

 なにも、言えなかった。

 これは自分で背負うべき責任だと、ずっと持ち続けて、救いも助けも全部拒んだ。意味のなかった輪廻が、隕石によって意味を持ってしまった。

 なんで、そんなにも彼女は僕に手を差し伸べてくれるのだろうか。彼女は笑って、微笑んで、変わらない笑みを僕に向けた。

 

 

「だから、一人で背負わないで。私も一緒に、ファイノンさんの運命も全部背負いますから」

 

 

 彩葉は胸を張った。

 彼女の瞳には、真摯な輝きが宿っており、そこにはファイノンを信じ切った色だけが滲んでいた。

 ファイノンの手を取り、彩葉は微笑んで、

 

 

「どんな輪廻でも、私を頼ってください」

 

 

 なぜそこまで言い切れるのか分からなかった。

 輪廻を繰り返す度に記憶はリセットされ、僕とのこの会話も、出会う前に戻ってしまう。それでも彼女は、全てが消えてしまっても関係ないと言わんばかりに──いや、言っていたな。

 

 ファイノンは思わず微笑みを溢した。

 この無数の輪廻の中で、初めて心が軽くなった。

 自分にはいつも誰かが側にいてくれている。どうしてそれに気がつけなかったのだろうか。そう思っただけでも、なぜかとっくの昔に消えていた灯火がまた灯った気がした。

 

「はは、ははは……やっぱり君はすごいな」

 

 ゆっくりと、ファイノンは立ち上がる。顔を上げ、ツクヨミに広がる広大な夜空を見上げる。無数に輝く星々を見つめながら、笑いが込み上げてしまう。よし、と頬を叩いて意識を引っ張り上げた。

 

「その言葉だけでも心がスッキリになった気がするよ」

 

 ファイノンの表情には、曇りが消えていた。

 心に(つっか)えていたなにかが外れ、初めて覚悟を決めた時のことが鮮明に蘇る。まだ、諦める必要なんかない。こんなにも近くに、自分を助けてくれる人がいるんだから。

 

 

 ────転んでもいい。

 

 

 ────また、立ち上がればいい。

 

 

 ────泣いたっていい。

 

 

 ────また、笑えればいい。

 

 

 僕は、信じよう。この無数の輪廻を未来永劫続けることになっても、僕のこの中にいる憧れの英雄たちが、かつて自分の運命に抗って檻を打ち破り、開拓の道を突き進んだように────僕も、この定められた終焉に抗おう。

 

「マシになりましたか?」

 

「ああ」

 

 見上げる彩葉に手を差し伸べ、ファイノンは微笑む。そこには一切の迷いが存在していなかった。なにかが吹っ切れたような清々しい表情をしているファイノンを見上げて、彩葉は差し出された手を取った。

 

 力強く引き寄せられ、彩葉は一気に立ち上がる。互いに見つめ合って、ファイノンは瞳を閉じてからいつもの声音で言った。

 

 

「ありがとう」

 

 

 たったその一言の感謝を告げ、ファイノンは一拍の間を空けてから、彩葉をこう呼んだ────、

 

 

 

「──相棒」

 

 

 

 呆気に取られた彩葉の瞳が僅かに見開かれる。真剣な眼差しでそう呼ばれて、彩葉は「ふっ」と噴き出してから笑った。

 

「なんですかそれ?」

 

「良いだろう?僕はそう呼びたいんだ」

 

 特に追求するわけでもなく、彩葉は「ま、良いですけど」と満更でもない様子で答える。それからファイノンが一歩を踏み出すと、彩葉は横切る彼の姿を視線で追った。

 彼の背中を見つめて、息を呑む。そして階段を駆け上がり、ファイノンの背中を思いっきり叩いた。

 

「えっ?どうしたんだい?」

 

「相棒なら、気持ちよく送ってあげないと」

 

 互いに笑いを溢して、ファイノンは覚悟を決める。この身体に宿る無数の火種が、ファイノンの身体を焼き尽くす。一気に飛び上がったファイノンは二対の翼をはためかせ、その黄金の意思を掲げてヘリオスを振り翳した。

 

 

 ────僕を、待ってくれている人がいる。

 

 

 ────こんな所で終わらせてたまるものか。

 

 

 世界の輪廻が、また巡る。

 

 

 

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