「フレイムスティーラー……なんで、こいつが……」
ここにいるんだ、と最後の言葉を飲み込んで黒衣の剣士を見上げると、ファイノンは眉間にシワを寄せる。フレイムスティーラーは、大剣の切っ先を彩葉、真実、ファイノンへと向けて、感情の読めない仮面の奥からでも明らかな敵意を蔓延らせていた。
フレイムスティーラーの正体は、本来であれば永劫回帰を繰り返していたカスライナ本人である。無数の永劫回帰と、無数の火種を宿していたカスライナは人間性と理性が擦り切れ、このままではいずれ輪廻を繰り返せなくなると懸念した。
そこで行ったのが「次の輪廻のカスライナに自分を殺させ、火種と記憶を受け継がせる」という交代制のような方法であり、その末に生まれたのがフレイムスティーラーだ。
だからこそ、今ここでフレイムスティーラーが現れるのはおかしな話であり、明らかに矛盾している。意味不明な眼前の光景に、ファイノンも困惑を隠し切れていなかった。
「──ファイノンさん!」
彩葉の声で意識が戻り、眼前を睨むとフレイムスティーラーが真正面から猛進していた。すぐに大剣──ヘリオスを振り払い、フレイムスティーラーとの大剣が衝突。甲高い音が響き渡り、火花を散らしながら鍔迫り合いが発生した。
「なんで、お前がここに──ッ!」
全力で力を込め、一気に弾き飛ばすと大地を踏み締めて跳躍。空中で静止したフレイムスティーラーに突進し、そのまま二人の激しい攻防が繰り広げられ、剣戟が大気を切り裂いた。
フレイムスティーラーに蹴り飛ばされ、ファイノンは態勢を崩して大地に叩きつけられる。地面を転がり、飛び退くように起き上がった瞬間──眼前に漆黒が迫っていた。
フレイムスティーラーが大剣を振り下ろした刹那、間を割って彩葉と真実が飛び込み、フレイムスティーラーの大剣を武器で受け止める。逡巡を押し切り、彩葉の横から抜き出たファイノンがフレイムスティーラーを蹴り飛ばした。
「──ファイノンさん!」
彩葉からブレードの片方を投げ渡され、吹き飛んだフレイムスティーラーに全力で投げ飛ばす。フレイムスティーラーは右腕の鎧でブレードを弾き、空中で揺らめきながらファイノンへと突っ込む。だが、明後日の方向へと飛んで行ったブレードを彩葉がワイヤーで引き寄せて背後からフレイムスティーラーを切り裂いた。
態勢を崩して蹌踉めくフレイムスティーラーに向かって飛び込むファイノンは、ヘリオスを力強く握り締めて渾身の勢いで振り抜いた。
だが、直前のところで背後に飛び退いていたフレイムスティーラーに致命傷を与えることはできず、ファイノンを蹴り飛ばす。そして真実の方へと向き直り、一気に突き進んだ瞬間──フレイムスティーラーが何かに弾かれ、吹き飛ばされた。
「これ以上のおいたはダメだよ〜」
ヤチヨが指を振るい、フレイムスティーラーが吹き飛ばされる。やがてその身体にノイズが走り、フレイムスティーラーはファイノンへと突っ込むが、それよりも先にその身体がポリゴンとなって消えた。
「ヤチヨ、これはどういうことだろう……」
「うーん、システムを掻い潜って乱入なんて、普通はできないんだけど……」
ヤチヨはその白魚のようなしなやかな人差し指を顎に当てて首を傾げる。状況をまったく呑み込めていない彩葉と真実は、緊張が解けてその場にぐったりとくずおれた。
「ファイノンさん、なんかアイツのこと知ってる感じでしたけど……」
ファイノンは暫く沈黙して、顎に手を置く。思考を巡らせてから、それでも大量の情報量を処理できず、ファイノンは「分からない」と疑問の答えを得ることができなかった。
「真実、相棒、さっきはありがとう。二人のおかげだ」
プロゲーマーやフレイムスティーラーとの戦闘の感謝を告げて、ファイノンは背を向ける。この埋め合わせは必ずするから、とそれだけを言い残してからファイノンはそのままKASSENを去り、横にいたヤチヨも彩葉たちへ柔らかく微笑んだ。
「あのまっくろくろすけは強制ログアウトさせたから、安心してねっ。あとは、ヤッチョにお任せあれ〜」
彩葉たちの疑問に答えるわけでもなく、ヤチヨも姿を消して二人は互いに見合わせる。さっきまでの争いによる慌ただしい雰囲気は消え、残された二人は少しの沈黙の後に、彩葉が先に切り出した。
「帰ろっか」
「うん、そうしよ」
◆◆◆◆
「カスライナ」
ヤチヨが私室に戻ると、ファイノンは既にバルコニーからツクヨミの光景を見下ろしていた。
額に手を当て、唇を噛み締めながらフレイムスティーラーの姿を思い浮かべる。唇からは「なんで……なんで、あいつが……」と不透明な声が漏れており、ヤチヨは彼の肩に手を置く。そこでようやく彼女の姿に気が付いたファイノンが顔を上げた。
「大丈夫?」
「あ、ああ……ごめん……」
「カスライナ、あの真っ黒に見覚えがあるの?」
ヤチヨの疑問は最もである。知らないのであればここまで取り乱すことはなく、さっきから含みのある言動をしているファイノンが、黒衣の剣士についてなにか知っているのではないかと思うだろう。
ファイノンは目を逸らしてから、ヤチヨを見つめる。眉を寄せて、ヤチヨから床へと視線が落ちた。
「フレイムスティーラー……」
「なんか、おっかない名前だね」
ああ、とファイノンは肯定してバルコニーの柵に体重を預ける。脳裏に過ぎるフレイムスティーラーの壮絶な過去や結末を知っているからこそ、ファイノンは両手で顔を覆った。
「かつて、無名の英雄は銀河全体に被害をもたらす怪物の誕生を阻止するために永劫回帰を続けていた」
夜空を見上げて突然それを語り出したファイノン。ヤチヨは彼の横に並んで、柵にもたれかかる。彼の横顔を見上げると、彼は夜空の星々をその瞳に淡く映して悲しげな表情を滲ませていた。
ヤチヨは声をかけようとして言葉を喉の奥に引っ込め、ファイノンがそのままいつかの物語を紡ぐ。
「終わることのない輪廻の中で、仲間を殺して火種を回収し続け、その身を憎しみの炎で焼きながら、いつか来る英雄を待った」
だけど、とファイノンは続け────、
「火種を身に宿し、輪廻を続ける度に理性と人間性は擦り切れていき、このままでは輪廻が続けられないと悟った英雄は決意した────」
来るかも分からぬ英雄が来るのを待ち続け、自分が自分で無くなる感覚に堪えながらも希望を捨てなかった。灰になった心身が塵芥と化して、自分では輪廻が続けられないと悟っても、英雄は
「──新たな輪廻で生まれた自分に、己を殺させて記憶と火種を受け継がせる」
ファイノンから告げられた、どこかの英雄の決断を聞かされて、ヤチヨは何も言わずにファイノンの言葉を待つ。絶望の暗黒に呑まれても、全てを投げ出さずに未来を掴もうと輪廻を繰り返した。
「──そして新たに火種を受け継いだ英雄は、フレイムスティーラーとなって輪廻を繰り返す」
殺して、殺され、殺して、殺され、その終わることのない輪廻に呑まれると理解していながら、受け継いだ無名の英雄たちは、例外なくその使命を受け入れ、全てを受け継ぎ、次の自分に託した。
ファイノンの語った物語を理解して、ヤチヨは僅かに目を見開く。「え、それって……」と纏まらない思考の中でようやく吐き出せた言葉を、なんとかファイノンへの疑問として繋げた。
「あの黒いのは、カスライナってこと……?」
恐る恐る投げた疑問を、ヤチヨは吐き出してからそうであって欲しくないと願う。ファイノンがゆっくりとヤチヨのほうへと向き直り、首を横に振った。
ヤチヨは胸をほっと撫で下ろして安堵の息を吐いた。
「分からないけど、僕はそんなことしてないよ。自分を自分に殺させるなんてこと、それを知ったら、きっと僕は逃げてしまうから」
三千万を超える輪廻の中で、未来を知ってもなお自分を犠牲にする道を選んだ英雄には成れない。そんなことを知ってしまえば、
「だからこそ、フレイムスティーラーがいったいなんなのか分からないんだ」
それに、と言葉を続けてからファイノンはさっきのフレイムスティーラーとの戦闘を思い出す。八千年を十万回以上繰り返した中でも、戦闘技術を磨くことだけは怠らなかった。ほとんどウミウシで過ごしていたのもあり、大体が想像の中での鍛錬になるが、戦闘の腕前だけはかなり自信がついている。それを踏まえた上で────、
「フレイムスティーラーは、僕より強い」
「カスライナより……?」
ファイノンは目を伏せてから「僕の中にある火種の話、覚えているかい?」とヤチヨに問いかける。それは数千年ほど前に、カスライナの力の根源やタイムスリップの話をする時についでに話したことだ。
ヤチヨは「うん」と頷いて口を開いた。
「色んな力が宿ってる核みたいなものだよね」
オンパロスにおいて、火種はかなり重要な概念だ。
十二の神──タイタンが宿している神権。その火種を受け継ぐことで、その者は強力な力を得て半神となる。かつて本物のファイノンは三千万の永劫回帰で火種を回収し続け、再創世を防ぐことで宇宙に被害をもたらす化物の誕生を阻止していた。
その果てで宿した火種の数は────、
「──四億。僕のこの身体の中には、四億を超える火種がある」
想像を絶していた火種の数に、ヤチヨは絶句して言葉もでなかった。
そんな彼女の頭を優しく撫でながら、ファイノンは優しげな笑みで安心させるように言った。
「本来なら、四億もの火種を宿していたら正気じゃいられない。だけど、今の僕がこうして立っていられるのは、火種を宿している身体が
現実のファイノンの身体には、火種の存在が感じられなかった。いつの輪廻だったか、現実でカスライナへと変身しようと試したが一切ダメだった。
「アバターだからこそ、僕はまだ輪廻を繰り返しても理性を失ったりしてない」
だけど──そこまで吐いて、ファイノンは顔を伏せる。フレイムスティーラーに傷をつけ、触れた際に感じた同じ火種の感覚。あれは間違いなく、ファイノンでありカスライナである。
一拍、その間を空けてから彼は口を開いた。
「あいつの身体からは、僕のとは比較にならないほどの膨大な量の火種を感じた」
え、とヤチヨの唇から声が漏れる。困惑するのも無理はない。四億の火種の力は、解放すればツクヨミの処理能力でさえもバグを引き起こす上に、月人の軍勢を容易く蹴散らすほどの力がある。それだけ代償が伴うものの、その力はまさに『壊滅』だ。
「なんでそれだけの火種を抱えているのか、あいつの正体がなんなのかは検討もつかない。それにあいつのIDが疑問だ」
「Neikos496……これ、カスライナがツクヨミに初めて来た時のIDだよね?」
それは、オンパロスという巨大な実験場において、
いつも輪廻を繰り返してから、まず最初にしているのはIDの変更だ。ファイノンはファイノンである。それ以外の何者でもない。
「たまたまってわけでもないだろうし、カスライナには何も心当たりはないの?」
うーん、とファイノンは腕を組む。不思議に感じるのは、なぜ
「一個だけ、心当たりじゃないけど……」
ファイノンは顔を上げ、ゆっくりとその漠然とした思い当たりを訥々と口に出す。
「僕が永劫回帰を始める前──僕はヤチヨと初対面だったのに、ヤチヨは
「あー……最初は話が噛み合わなかったもんね」
まだ永劫回帰を始めていないのにも関わらず、ヤチヨはファイノンの存在を知っていた。それどころか、八千年を共に過ごしたと声高らかに言っていたのだ。
存在しない八千年の思い出を語られ、初めて来たファイノンの頭には困惑に次ぐ困惑が湧き出ていた。なぜ輪廻を繰り返していないのに、ファイノンという存在を知っていたのかずっと疑問だった。
「だから、もしかしたらあのフレイムスティーラーが、最初の輪廻を始めたファイノンの可能性があるかもしれない」
かといって、僕とヤチヨの思い出が消えたわけではない。実際に初めて永劫回帰をした時、僕は回帰に失敗してかぐやと共に八千年を過ごした。それとヤチヨの記憶にある八千年の中身に相違はなかった。
「でも、どうして急に出てきたんだろうね?」
「分からない。この16万8001回の輪廻で、フレイムスティーラーが出たことなんて一度もなかった」
ファイノンが輪廻の回数を呟いた瞬間、ヤチヨの表情が僅かに暗く淀む。それを一瞥して、彼女の頭を優しく撫でながら気休め程度の安心を与える。柔らかな感触に頭を撫でられて、ヤチヨはほんの少しだけ口元を緩めた。
「フレイムスティーラーの目的も不明だからね。これからも注意をしないとだ」
フレイムスティーラーの登場は、明らかなイレギュラーだ。もし正体が僕だったとして、なぜ邪魔をしようとしていたのか分からない。仮設が正しかったとしても、なぜ今なのか、数多の疑問が残ってしまう。
なにかがあってフレイムスティーラーが回帰に失敗。輪廻開始時の僕と記憶が同期されず、僕は永劫回帰を開始。
僕の永劫回帰は、月人のテクノロジーと『歳月』の火種を利用することで可能になる。かぐやが月に帰るタイミングで、八千年前に戻り、かぐやの意識にファイノンの存在を埋め込み、八千年を肩代わりする。それを何度も繰り返す。このやり方では、決して未来に進めない。
「いつも心配をかけてごめん、ヤチヨ」
ヤチヨの頭を、ゆっくりと優しく撫でる。こてん、と首を傾げて見上げるヤチヨの表情を見て、胸が締め付けられる。八千年、ただずっと一緒に過ごした──雨の日も、風の日も、誰かと出会って、その誰かと別れて、失う悲しみも、進めない苦しみも、全部、ぜんぶ、一緒に抱えて空を見上げた。
「なにを言っても、カスライナはやめないんでしょ?」
言葉を返さず、頷きで答える。何者でもなかった
「前回の輪廻で、新たに収穫を得た。だから、もっと頑張って見るよ」
そう告げたファイノンの表情は、どこか穏やかだった。
かつて輪廻の果てで染まっていた闇は薄っすらと消え、疲労こそ残ってはいるものの活路を見出したようなスッキリした表情を浮かべていた。
ヤチヨはファイノンの表情を見上げてから、ゆっくりとその身を抱き締める。いつの日か、この感じられない温もりも、その感触もふっと消えてしまいそうで、ヤチヨは彼の胸に顔を埋めながら強く抱き締めながら呟く。
「もう、いっぱい頑張ってるのに……?」
「君の努力に比べたら、なんてことない。僕はただ、同じことを繰り返しているだけさ」
ファイノンはうそぶく。抱き締められながら、少し視線を落として、既に拾い切れなくなった自分の手のひらを見る。開いたり閉じたりしながら、前回の輪廻で彩葉から告げられた言葉を噛み締めた。
「それに、相棒がいる」
「彩葉のこと?」
ファイノンが言った『相棒』が誰であるかを理解して、ヤチヨは笑いを溢しながら「確かに」と呟く。その瞳には、彩葉に対する多大な信頼を感じられる。ファイノンもヤチヨも、彩葉には何度も救われた。だからこそ、お互いにその信頼を理解できた。
「相棒は僕に言ってくれたんだ──運命を一緒に背負うって。だから僕は信じる。君が彼女を信じていたのだから、僕も信じる」
本物のカスライナは、ずっと独りで戦った。
僕は恵まれている。仲間を殺す必要もなく、宇宙全体の命運もかかっていない。ただ八千年を過ごして、隕石を破壊する方法を見つけるだけだ。
それに、こうして一緒に考えてくれる皆がいる。それだけでも心強い。まだ希望がある。
「さて、それじゃあ
ヤチヨに手を差し出す。十万を超える輪廻の中で、それは初めての行動だった。
今まで何一つとして手を貸してほしいなどと言わなかったファイノンの行動に、ヤチヨは呆気に取られた表情を浮かべる。ようやく目の前で起こる行動を理解して、ヤチヨには思わず笑った。
「──イヤだよ」
きょとん、と音が鳴った気がした。
ファイノンはぽかんと口を開けて固まり、ヤチヨは目を閉じながら「なんで、今さら当然みたいな顔してるの?」と嫌味を含めた物言いで告げる。彼は言葉に詰まり、何も言えずにいると、ヤチヨは片目を開けて彼の表情を伺ってから笑いを溢した。
「えへへ、ウソだよっ。騙された?」
さらに、ぽかんと音が鳴る。ヤチヨは腰を曲げ、前屈みになってファイノンを上目遣いで見つめる。そっと腕を伸ばし、ファイノンの額にデコピンを放った。
痛みと衝撃で僅かに頭を揺らしたファイノンが、額に手を当ててから呆気に取られる。イタズラに微笑むヤチヨのおかげで、この沈んだ空気感も一気に明るく染まった気がした。
「やっぱり、君には敵わないな」
ファイノンがそう呟くと、ヤチヨはゆっくりと手を差し伸べる。「いつでも頼ってね」と首をこてんと傾ける。その柔らかい微笑みが、どれだけ嬉しかったか。ファイノンは心が温まるのを感じながら、その手を強く握り締めた。
何度も心に刻んだ歌声が、戦場を照らす。かぐやを連れ戻しに来た月人が空間を縫って無数に現れ、彩葉たちは戦闘態勢に入った。
ヤチヨから伝えられたかぐやと月見ヤチヨの真実、ファイノンは永遠とくり返される輪廻を破壊するために自ら輪廻を肩代わりしていること。そして、その輪廻を脱却しなければ世界は終焉へと向かうことも。
「──みんな、行くよ」
彩葉の合図を受け、櫓に乗った乃依が弓に番えた矢を引き絞る。放たれた矢は流星のように夜空を切り裂き、地面に突き刺さった──瞬間、閃光が瞬き、息をつく間もなく大地を月人もろとも凍らせ、巨大な結晶を生み出す。その一撃が、戦闘の狼煙となり、全員が一気に駆け出した。
「カスライナ」
懸命に戦うみんなを一瞥してから、ヤチヨは彼の背中を見つめる。本当の名前を呼べば、彼はゆっくりと深呼吸を繰り返してから振り返った。
ヤチヨは息を呑み、問いかけた。
「これから、どうするつもりなの?」
彼は激戦が繰り広げられる戦場を見下ろす。
「フレイムスティーラーを待つ」
淡々と答えたファイノンの瞳には、今もかぐやを守ろうとする彩葉の真っ直ぐな表情を映し出していた。
フレイムスティーラーの目的が分からない以上、こっちからどう手を打つべきか見定めるべきだ。
カスライナの力を長時間発動し続けるのは、輪廻を繰り返すのにも支障をきたす。かぐやが歌を歌い終わるまでは、月人も彩葉たちと戦い続ける。永劫回帰の邪魔をすることが目的なら、この戦いで必ず現れるだろう。
「ヤチヨは、このままここで待っ────」
──て、最後の言葉を紡ぎながら振り返った瞬間、ヤチヨの胸から大剣が突き出る。その光景を一瞬で脳が理解し、全身の身の毛がよだつ。ファイノンが鬼の形相を浮かべながら逡巡を押し切って飛び出すと同時に、ヤチヨの背後から大剣を抜いたフレイムスティーラーが突っ込んできた。
くずおれるヤチヨを抱き留めようとするが、フレイムスティーラーが彼女の前に踏み出て大剣を振り払う。ファイノンは屈んで回避し、そのまま握り締めた大剣に怒りを込めて全力で横一閃に振り払った。
大剣を受け止め切れずに吹き飛ばされたフレイムスティーラーは、手すりを粉砕しながら転がり落ちる。ファイノンはすぐさま振り返って倒れたヤチヨのもとへ駆け寄り、彼女を抱き上げた。
「かぐやっ!かぐや!」
ヤチヨは苦悶の表情を浮かべたままゆっくりと瞳を開く。その額には汗が滲んでおり、ファイノンは心配げな眼差しを向けながら優しく包み込んだ──しかし、彼女の体温はまるで感じられない。
ファイノンの腕の中で、ヤチヨは柔らかく微笑んで「大丈夫だよ」と起き上がる。だがその表情はどこか苦痛を帯びており、動きもフラついているように見えた。
「ヤッチョは電子の歌姫だから、永久不滅のフォーエバーだよ?」
そう言って、ヤチヨは穿かれた自分の胸に手を当てる。仮想空間ツクヨミに〝死〟という概念は存在しない。なぜなら、この世界はかぐや自身の想いが詰め込まれているからだ──誰もが好きなことをして、殺し合うこともなく、孤独にもならない、いつでも返事をもらえる場所。それがツクヨミだ。
だが、すぐに元に戻るはずのヤチヨの胸の傷は一向に治る気配がなく、その異変にヤチヨ自身がいち早く気がついた。
「あ、あれ……?」
「か、かぐや……その手は……」
ヤチヨが腕をかざすと、その腕にノイズが走り、見えるはずのない奥の夜空が透けて見える。刺し貫かれた胸からポリゴンが徐々にヤチヨの身体を浸食し始めていた。
「えっ、なんで?身体を更新できない……!」
驚愕して慌てふためくヤチヨが、ウィンドウを開いて何度も傷の再生を試みる。新たにデータ体を用意するが、それも無駄に終わる。解決案をいくつも思い浮かべながら行動に移している間にも、ヤチヨの身体は透けて消えつつあった。
「ど、どうしようカスライナ……わ、わたし、このまま死んじゃうのかな……?」
万策尽きたといった様子で、ヤチヨが悲しみに染まった表情をファイノンに向ける。声が震え、肩に伝播して、狼狽が身体の動きを支配する。震える手で、ファイノンの服を強く掴んだ。
「かぐやっ!大丈夫、大丈夫だ──!」
そんな、頼りにもならない言葉しか吐けなかった。
ヤチヨがすがりつくようにファイノンの胸に顔を埋める。ゆっくりと見上げたその表情は、今までの彼女からは見たことのなかった恐怖に埋め尽くされた顔だった。
「わたし、死にたくないよ……っ」
「死なない!君は死んだりなんかしない!僕が、必ず君を助けるって──」
ファイノンは咄嗟にヤチヨを抱き締める。瞬間、柔らかな感触も、確かな重みも、すべてが消え去って腕が空を切る。光の粒子が無数の塵となって、淡く照らす光の中へと溶けていく。今、一秒前まで確かにあった存在の完全な消失──肺が、空気を取り込まない。
「はぁっ、はぁっ、はぁ──ッ!!」
世界が暗転する。かぐやと過ごした全ての記憶が走馬灯のように駆け巡る。楽しかったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、苦しかったことも、前を向けずに俯いていたことも、この先の暗闇に光を見出だせずにいたことも、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部────!!!!
──カスライナ?ちょーカッコイイ名前じゃん!
初めて、全てを話したときだって。
──カスライナが守ってくれるもん、なにも怖くなんかないよ?
向けられる眼差しが、とても眩しくて。
──ヤチヨになっても、カスライナはずっと変わらず側にいてくれる。だから私は、ここまで来れた。
君のその言葉が、ずっと胸を締め付けて。
──カスライナ、笑って!
二人で語った、あの憧れも。二人で見つけあった、あの解決案も。笑って、喧嘩して、泣いて、それでもまた笑いあって。ずっと側には、かぐやがいてくれた。かぐやのあの笑顔が、ずっと嬉しくて。笑ってくれたとき、こんなにも心が軽くなるんだって────
これが仮初の身体でも、
唇を、噛み締めた。
現実でもきっとそうしているのだろう。咥内に鉄の味が蚕食していき、爪が手のひらを切り裂くほど強く拳を握り締めた。
背後で、誰かが床に降り立った。
その者はなにも言わず、ゆっくりと、かつ淡々とその歩みを進める。一歩ずつ確実に、なにもよりも大切な人を殺した張本人が大剣を振り払い、黒衣が風に吹かれてなびいた。
「…………え……」
ファイノンの喉から、風にも掻き消されてしまいそうな声が漏れる。それは一秒にも満たない言葉でありながら、憤怒と憎悪で震えていた。
息を吸い、ありったけの臓腑を震わせ────、
「お前が、何者だろうと……」
背後に、処刑人が立つ。
「──もう、関係ない」
大剣を振り上げ、無防備にも背を向けて俯くファイノンへと無慈悲に振り下ろす。一切の躊躇いもなく墜ちる大剣の重みが空気を切り裂き、ファイノンの首を切り落とす直前──ファイノンの身体が、黄金の炎に包み込まれ、その内側に眠る全ての火種が闇夜を照らし尽くした。
大爆発──その焔は天を焼き、黄金の極光が戦場をも染め上げる。月人との激しい戦闘を繰り広げていた彩葉やブラックオニキスの面々も、なにが起こったのか理解できずに爆心地を見上げた。
闇夜に染まる黒煙の中から、黒衣の剣士が飛び立つ。感情の見えない仮面の奥の瞳が、巻き上がる粉塵を見つめた。
フレイムスティーラーの周りに無数の漆黒の渦が現れ、それは形を形成していき、やがてフレイムスティーラーとなって壊れた容器と化した。
大剣の切っ先を粉塵の奥へと向け、無数の壊れた容器が一気に突き進む。その瞬間、超巨大な大剣が顕現──容器もろともツクヨミの夜空を切り裂いた。
「────ッ!」
無数の分身が一振りで振り払われ、四億の火種の力を解放したカスライナが粉塵の中から猛進。大剣を叩きつけ、フレイムスティーラーも応戦する。カスライナの勢いを大剣で受け止めて押し殺し、ギリギリと鍔迫り合いが発生した。
「お前は必ず倒す──今ッ!此処でッ!!」
カスライナは憎悪の限りを感情に乗せ、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。そこには憤怒だけでなく、なにもできなかった自分への恨みすら存在しており、カスライナは自分のあまりの無能さに苛立っていた。
輪廻を繰り返すのだから、どうせまた会える。
輪廻を始めれば、また彼女の笑顔が見られる。
輪廻の果てでは、彼女はこの輪廻を知らない。
全部を噛み殺す。そんなこと関係ない、重要なのは、目の前で彼女が殺された──今、目の前で。データとしての完全な消去。
カスライナは吼え猛る。怒りの限りを叫び、全身全霊で目の前の処刑人をただ殺すことを決めた──初めての感情だ。これを、ファイノンは三千万回以上も蓄え、育て、募らせていたのか。ようやく理解した。
「────僕は、この壊滅を以て終焉を齎すッ!」