――――今は昔。
月に帰ってバリバリ社畜してたえらえらかぐや姫のところに、歌が届きました。
それは、かぐや姫のために作られた、かぐや姫だけの歌。
その歌で、初期化されていた私は、全てを思い出しました。
貴女の歌で、私はもう一度、貴女のかぐやとして生まれることができたのです。
0.【2030年】これって……映像でも音声でもないな。テキスト…というより、小説?
[ LOG ACQUISITION SYSTEM ]
Direct contact confirmed between subjective narrator Y and Subject I.
《主観記述者Y=月見ヤチヨ と 酒寄彩葉=対象I の直接接触を確認》
Confidentiality class of narrator Y disclosed by Subject I.
《対象Iにより主観記述者Yの秘匿クラスが開示されました》
QUERY_PROTOCOL :: ENTITY Y
《要件定義を行います。 月見ヤチヨ》
Reason requested for continuation across 8000 years.
《あなたは何故、8000年を歩んだの?》
Reason requested for abandonment of identity designation: "かぐや".
《あなたは何故、かぐやであることを放棄したの?》
Reason requested for post-2030/09/12 persistence.
《あなたは何故、存在意義を完了させて以降も存続しているの?》
Reason requested for presumed eligibility to face Subject I.
《あなたは何故、自分がまだ酒寄彩葉に顔向けできると思っているの?》
その答えは、愛だ。
だけどそれは、酒寄彩葉には重すぎる。
「かぐや?」
背後から聞こえてくる呼びかけ。
私は震えを押し殺して、ゆっくりと振り返って、その姿を見やった。
「…………ヤチヨ」
そこに立っているのは、私の運命の終わりだった。
「ヤチヨは、かぐやなの?」
それは、身も凍るような瞬間だった。
「変なことを言ってるのは分かってる。でも……」
この瞬間を、どれだけ待ち続けていただろう。
この瞬間を、どれだけ恐れていただろう。
斯くして訪れた運命を前に、
今は昔。
月で本来の機能に従事するだけの私は、大好きな人の歌で再起動しました。
それは、また会いたいっていう、貴女からのお誘い。
それは、初めての貴女から私へむけた我儘でした。
たとえ、私が隠した想いを汲みとってくれただけだったとしても。
貴女が私に我儘を言ってくれたことが、私はとっても嬉しかったのです。
「ヤチヨは、かぐやなの?」
彩葉の
「変なことを言ってるのは分かってる。でも……」
それは、酷く残酷な質問だった。
語れと言うのだろうか。月見ヤチヨが何者なのか。かつてかぐやだったそれが、何者に成り果ててしまったのかを。
「──────────」
酩酊の果ての嘔吐みたいに、閉じ込めてきた言葉たちが私のお腹の中から逆流してくるのを感じる。
そうだよ。もう違うの。愛してる。忘れて。ごめんなさい。私を見ないで。私を見て。ごめんなさい。ぎゅっとして。触らないで。ごめんなさい。許して。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
かぐやでいられなくて、ごめんなさい。
私は堅く口を引き結んで、すんでのところでそれらを呑み込んだ。
それは、大切な思い出を納めた宝箱から選り分けられた、醜く穢れた未練たちの呻き声だ。とてもじゃないけど彩葉に聞かせられたものじゃない。
「……………………」
返す言葉が見つからない私と答えを待つ彩葉の間に挟まった数秒の沈黙。
それは、私が歩んだ年月の中でも、最も重く、苦しく、長い数秒間だった。
叶うことなら、今すぐにでもここから消えてしまいたいくらい。
────それでも。
それでも、私は物語らなければならない。
この運命の物語の語り部として。
或いは、なにもかもを知りながら、結局なにもしなかったことを彩葉に告解するために。
それだけが、私が彩葉に出来る最期の贈り物なのだから。
「…………今は昔」
そうして、私は語り始めた。私が歩んだ『かぐや姫』の筋書きを。
今は昔
月で彩葉の歌を聞いた私は、そりゃもう大喜び!
そんじゃもっかい地球行こ~~って
お仕事爆速ですっかり片付けて引き継ぎも完了。
ただ、地球の時間では大遅刻。
でも、安心。月の超テクノロジーは時間も超えられます。
時を超えて、地球に向かうかぐや姫。
でも、もう少しのところで、でっか~~い石に当たっちゃったのです。
その結果、やっとのことでたどりついたのは……
なんと、今からざっと8000年前の地球でした。
愛には無限の力がある。少なくとも8000年程度では尽きることない力が。
遠く永い歳月を嘆き、愛が届かない可能性を恐れたことはあった。それでも私は愛そのものを疑ったことは一度もなかったし、愛の上に何かを置いたことも一度もない。
彩葉と再会するつもりだったのに、哀れなるイカルスの如く月から8000年前に降りてしまった私は、その愚かさの贖いとして、永い受難の道程を歩くことになった。
彩葉への愛を、前進のための活力にして。
そうだ。私は彩葉への愛を活力にしてここまで歩いてきた。彩葉への愛を色んな形で追認することで人の歴史に寄り添ってきた。
彩葉に似ている人を見るたびに好きになった。彩葉のように頑張っている人を見るたびに、その生き様に恋をした。彩葉のような覚悟を秘めた瞳の彩を見るたびに、それを支えてあげたいと思った。
彩葉を包摂する
彩葉が帰属する
彩葉を育み、彩葉を構成し、彩葉の為に存在するこの世界が好きだった。
けれど。
……逆に言えば、私に残った『かぐや』なんて、そのくらいのものだ。
今の私をかぐやたらしめる要素は、彩葉への愛だけ。彩葉のことを私の全部だと思えて──事実としてそうだった無垢な”かぐや”はもうどこにも居なかった。
今は昔
8000年ほど時間が前にずれ込んだ程度で、私はめげませんでした。
この道をずっと行けば、いつかは、きっと
そう信じて、私はここまで歩いてきました。
歩いている途中で出会った人。
見た景色。過ごした時間。別れの記憶。
その全ては、彩葉との日々の何千倍も大きくなって
あの二か月の思い出を遠い過去へと変えていきます。
そうして、彩葉だけだったはずの「これまで」は
気付けばすっかりセピア色に色褪せていたのでした。
そして、人の子の営みと共に歩むということは、彼らの自己淘汰サイクルを間近で眺め続けるということでもあった。
多くの飢えがあって、多くの渇きがあって、多くの生きたいという足掻きがあって、多くのもっと欲しいという望みがあって…………
その結果として夥しい屍が転がっていたことを覚えている。
太古の昔から、或いは彼らの祖先が真核生物へと進化した20億年前から変わらない、殺し、奪い、勝ち取るという基本原理。私はそれを、蚊帳の外からずっと眺め続けてきた。肉体を持たない私は、眺めることしか許されなかった。
沢山の終わりの向こうに、みんなが消えていく光景を見たように思う。
その光景を、見過ごして、見過ごして、見過ごして、見過ごして…………
そうして罪悪感に慣れ、地を這うことに慣れ、後悔にも慣れた頃には、すっかり『かぐや』は変わり果てていた。
今の私は、かぐやでは有り得ない表情で、かぐやではあり得ない言葉で、かぐやではありえない振る舞いをしている。それ故に私は月見ヤチヨなのだから。
今は昔
彩葉にハッピーエンドを約束した私は
それはもう無様に失敗して、惨めに地上を転げまわって……
そうしているうちに、沢山の泥にまみれてしまいました。
彩葉には見せられないような酷い景色を沢山見ました。
彩葉には会わせられないような悪い人とも、沢山お話をしました。
彩葉なら見過ごせないような沢山の人たちの苦しみの
その多くをどうすることもできないからと見過ごしました。
そうして気が付けば
彩葉の為だけに生きる無垢な私は、どこにも居なくなってしまったのです。
「ハッピーエンド、連れていくって約束したのに…………彩葉の歌を聞いて戻ってきたのに」
「ごめん、ドジっちゃった」
「キラキラのかぐや姫は…………もう、おばあちゃんです」
私は、自分の表情プリセットが笑顔で固定されていることを──間違っても、彩葉に悲嘆と怨嗟の念が伝わることがないことを──コンマ数秒単位で確認しながら、内心で小さく自嘲した。
"おばあちゃん"
なんてカマトトぶった表現だろうか。
彩葉はきっと考えたこともないのだろう。私が『彩葉のため』という大義名分で、どれだけ滅茶苦茶に世界の形を変えてしまったのかを。
国政干渉、世論誘導、言論統制、技術的侵略、間接的軍事介入、インサイダー取引、資源と資本の独占、政府との取引、巨大企業複合体との癒着、某国中央情報局との共謀、etc……罪状を上げれば、8000年では足りない懲役になること間違いなしだった。
今や現行の人類文明の数割──日本に限れば10割──は、月見ヤチヨによる管理ともと光る竹の演算に強く依存していた。なぜなら、私がそうなるように振る舞ってきたからだ。この世界の文明とネットワークは、
そうやって皆の世界を侵略し、月のテクノロジーと8000年分の経験値で恣に振る舞う月見ヤチヨは、いまや立派な怪物だった。
そもそも、テロメアの終端を持たない私に、穏やかな老いは訪れない。萎びることも朽ちることもできないまま生きるものは、自重で弾け飛ぶその時まで、破綻を蓄積し続けながら癌腫瘍の如く肥大していくのだ。
そんな無惨な
酒寄彩葉。かぐやの愛。かぐやの恋。かぐやの母。かぐやの親友。かぐやの姉。かぐやの妹。かぐやの全て。そして、穢れ切った
彩葉が月に向けて返歌を歌い始めた時、それがきちんとかぐやに届くようにサポートするべく、私……月見ヤチヨはVPNなど比ではないくらい強固な秘匿性を持つ月のプライベート回線にむりやり割り込んだ。如何にかぐやの忘れ形見があるとはいえ、時空間位相に大きく隔たりがある向こう側との相互通信はとても難易度が高いからだ。
彩葉が寝落ちするまで歌い続けた全霊の声がかぐやに満足に届かないことも、それを聞いたかぐやの歌が彩葉に届かないことも、
彩葉があんまりにも長く歌い続けるものだから、私の本体はアツアツの強制ダウン寸前になってしまって半日ほどスリープせざるを得なくなったし、途中で同一IPであるかぐやとの混線が生じて私が歌っているのかかぐやが歌っているのかわからなくなってしまったような気がするけれど、最終的には私のアシストは成功した。
そうして全てが終わった後、私はFUSHIに彩葉のモニタリングを任せてスヤスヤしていたというのに、プリセットより早いFUSHIのモーニングコールに叩き起こされたと思ったら、私の本体の場所に彩葉を案内している最中ときた。
寝耳に激流葬。青天のライトニングボルテックス。私は泡を食いながら正装し、私がかぐやだった時には一度も見たことがない強い光を瞳に湛えた彩葉を恐る恐る天守閣へと迎え入れたのだった。
「8000年、あったこと全部聞かせてよ。私、寝ないから!」
その言葉の意味を解さないほど私は鈍くない。彩葉は私に対してフェアになろうとしている。
今の私がどんな有様で、どんなにかぐやから離れてしまったのかを知らないままに。
どんなに泣いても歌っても、
それでも。
それでも、私は貴女を愛しています。
私は異星人の癖に、五本足の怪物の癖に、貴女を愛したのです。なるほど私はあさましく、獣じみて、穢れていて、何とでも言ってくれればいいけれども、それでも私は貴女を愛しています。愛しているのです……!
……目の前の卓袱台を唐突にひっくり返して、面食らう彩葉に掴みかかって、押し倒して。首に指をかけながらそんな世迷い言をがなり立てたい衝動をぐりぐりと踏みにじって黙らせる。
どれほど醜く穢れていてもそこに居直らず、美しく振る舞う努力を辞めないこと。
それが彩葉に
千夜一夜が明けたなら、きっと黙って舞台を捌けよう。変わり果てたかぐやの姿は、彩葉の胸を痛めるだけだろうから。
だからこれは、今際の際に行う身辺整理そのものなのだ。
「それじゃ、どこから話そうか」
……彩葉の本気を侮っていたその時の私は、この時間をそういう風に解釈していた。
☽
私……かぐや、或いはヤチヨは、概算8000年連続稼働している。
だけど、その機能活性の度合いが彩葉と一緒だった時に近しくなるのは、パケット通信によるネットワークの相互接続が果たされてから。
それ以前の私は、FUSHIというインターフェースを介さないかぎり一切の相互接続ができなかった。今のツクヨミが3500万ヘクタールに広がる
そんな姿も自認もウミウシな私は、運よく飛び来るアメンボさんたちと、水面の膜を通して細々と相互接続してきた。
その交わされる言葉の一つ一つの、差し込む光の一条一条の、何とか細く、あやふやで、眩いことだったろうか。
月人である私にとって、相互接続による模倣子*1の混淆はライフログ以上に価値がある、生存活動そのものだ。束ねるに能わぬか
みんなが居たから、私は私を保守できた。みんなの言葉が私を未来へ歩ませてくれた。
「だから、ここに来るまでに……彩葉ともう一度出会うまで、ヤッチョには色んな友達ができて、色んな人が協力してくれたのです!」
「すっごいね……歴史の生き証人、というかそこまでいったらもう歴史そのものじゃん」
脱藩って何……とこめかみを抑えて呻く彩葉は当然のようにお疲れモード。
スマコンから計測可能なバイオリズムは赤寄りの黄色。
脈拍は彩葉のアベレージである83.5bpmを大きく逸れて乱高下。
その他、乱視者向け焦点補正作動回数、血圧の下降、呼気の乱れ、etc……
ツクヨミローンチの過程で学習し、法改正対応のため毎年更新している医療レセプトと、個人的につけている彩葉の初ツクヨミログイン時からのバイタルデータ群を照応させるまでもない。典型的なステータス:重度の寝不足だった。
彩葉の現在の活動時間は起床時から46時間18分。気力だけで私の話に耳を傾けている状態だ。そもそも、彩葉は今に至るまでの数日間にわたってほとんど己のリソースの全てをかけてあの歌を作曲していたのだ。肉体的に健康ステータスな訳もなし。
だけど、今の彩葉の瞳ときたら、観測してきたどの彩葉よりもエネルギーに満ちてキラキラと輝いているように思えた。
然りぬべし。
ひたむきさの価値を信じられるようになった、いと愛らしき彩葉の想いの示し方。
……まぁ生命活動の危機って程でもない。
時間の価値と書いて時価。私にとって宝石にも勝るこの刻が彩葉にとっても同じであることが切に切に嬉しくて、私は区切りを引き伸ばした。
私にとって、彩葉との時間は8000年の報酬だ。この瞬間さえ、この語らいさえあればよかった。その後のことなんて考えない。今より大切なものなんてない。彼女の花翠青の瞳に眼差されるたびに、彼女と時間をシェアする程に、私はそう確信していた。
今だけがあれば良かった。それは、この日に始まった思いじゃない。
彩葉が初めてツクヨミにログインした時。彩葉が私のライブに初めてやってきた時。彩葉が初めて握手会抽選つきチケットを購入した時。彩葉が私のグッズを祭壇に飾ってくれた時。彩葉が私の歌を歌ってくれた時。
そして"わたし"をツクヨミに案内してからの1ヶ月余り。いと眩き光景が訪れる度、いちばん幸福な時間は今で、ここが私のハッピーエンドなのだろうと信じていた。
……己の指でページを捲る事の代償が8000年の歳月であるならば、"最高"を次の"最高"にアップデートしようなんて思えなかった。
私はここで終わっていい。これ以上なんて求めない。
……だからこそ、この瞬間の価値を貶めるような過去はなんとしてでもカットすべし。
「でさー、しょーちゃんが肝硬変で逝っちゃったから、佐原のほうでなんかできないか考えてた時ね。ほら、関ヶ原ったばっかしだから、みんな右往左往! どこに行くのが正解なのかもな~んも分かんなくてね……」
ざっくり400年前の時節を参照しながら、私の今日の活動限界が来た後の為にメモリの整理を始めていた。「あんまり見られたくないもの」の奥底に、「見られたら終わりかねないもの」を隠すのだ。そうすれば、前者がFUSHIに暴かれても、きっと気づかないでいてくれる。気分はさながら彼女が来る前にいかがわしい物をまとめて押し入れの奥底に封印する男の子のそれだ。
彩葉には、今が輝かしい奇跡の果てにあるものだと信じて欲しいけれど、奇跡や偶然などというのは変数の全てを計算しきれないアナログさん達向けの言葉だ。そんなものは
世の全ての事象は必然である。よって、この時間もまた必然である。
そして、必然を構成する変数は……例えば、彩葉のスマートフォンに忍ばせたヤチヨ製マルウェアや、彩葉の部屋のエアコン内部や壁や床下に仕込まれたセンサー各種、彩葉の家に送られる間にこっそりとすり替えられた、集音性を弄ったコンデンサマイク、内部に最新医療テクノロジーがこっそり詰め込まれたスマートデバイスなどだった。
──歯に衣着せぬ物言いで、敢えて露悪的な表現を使うのであれば。
それは盗聴、盗撮機器の類と言えないこともなかった。
──さぁ、ここからが正念場だよ。
ヤチヨが隠しているもの。ヤチヨが苦しんでいること。ヤチヨが諦めたもの。ヤチヨが言えなかった言葉。その全部。それらすべてが、この先に記述されているの。
だから、ヤチヨの物語を最後まで見届けてね。
全部を理解した上で、ヤチヨがかぐやなんだって、ヤチヨ自身に証明してあげて。
これだけは、
PROJECT :: MoonЯeVerTh / Hepburn
FINAL PHASE TRANSITION INITIATED
《月光運河・八千光年 #### 最終工程へ移行》
Replay protocol engaged.
《再演処理:開始》
Narrative recursion initialized.
《物語再帰:初期化》
Once again, the past will be narrated.
《今一度、
[ MODE SHIFT COMPLETE ]