もうひとつ、感想ここすき評価お気に入り、本当にありがとうございます。日々励みにしておりますので、今後ともよろしくお願いします。
眼差したことで穿たれ、固定された空の孔から、私はかぐやを、月の全体像を視認すべく目を凝らす。
そして。
それと、目線が増えた分だけ結果が揺らぐ。それ以上の解像度で因果を観測してもトラブルが増えるだけだからやめた方がいいよ。ほら、その証拠に────
──かぐやが、貴女を見てる。
☽
「お疲れ様、ヤチヨ」
「ご機嫌麗しゅうクイーン。成果はあったかね?」
観測の結果と、そこから導き出される結論にウンウン唸りながら現れた
「わかったことは幾つか。増えた謎も幾つか。トータルでギリプラスって感じかな~~。少なくとも、メンテ時間を延長する必要はなかりけりって感じ? にしても……つっっっかれたぁ~~……パンケーキ食べてから彩葉を布団にして寝たい……」
「……もはや取り繕う余裕もないか。最後のは聞かなかったことにしてやる。それで、何が分かったんだ?」
FUSHIは私と繋がっているけど、その本質は人間産の機械言語でアルゴリズムを編まれたデジタルペット犬Dogeだ。どれだけその機能を拡張させたところで月に属するものではなく、それ故に私が今しがた得たデータを解析するすべを持たない。だから、こうして私に尋ねる他ないのだ。
結果から言えば、私は月人と私自身に対する理解を多く得ることができた。
今までこんなことも知らずに[知らずにというか、より高位の私にアクセス権限を取り上げられたまま]なんとなくで分かったつもりになっていたことが恐ろしい。分からなかったことは分かったけれど、何故そうなっているのか[現時点では]わからないからだ。しかしそのことは一旦置いておく[ように設定した。これはまだ知るべきことではないからだ。私がまだ人間ではなく、その意味に気付かないまま幻想を持ったままでなければたどり着けない場所があるからだ。そして、この[]で括ったテキストログを17歳時点の彩葉が読み込めないよう暗号化する]ことにする。大事なのは、得られた結論について整理することだ。
「待ちたまえお二方。そもそも、君たちは何を調べようとしていたんだ? 私は断片的な理解しかできていない。上に提出する報告書の作成時間短縮のために、まずそこから聞かせて欲しい 」
どうやってこの認識を言語ベースに翻案したものかと悩みながら口を開こうとしたものの、クリフの静止に私とFUSHIは顔を見合わせた。
……あまりにも自明のものだと思って「
「……皆、ちょっと
言われてみれば、その言葉はあまりに端的過ぎた。……焦っていたせいで今の今まで気づかなかったけど。
つまり、皆は私の訴えの意味や、私が協力に際して提示したリターン、私に売れる恩のスケールよりも、切羽詰まった私の感情面に強くコミットして協力を約束したことになるのだ。
「月上に佳人有り。絶世に而て獨り立つ。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の國を傾く。 寧ぞ傾城と傾國を知らずや。佳人を再び得るは難し。つまりそういうことだよ、我らがクイーン」
「私、キュートなだけの
悪女認定されてしまった。思えば遠くまで来たものである。今の私への皆からのプロポーズを、彩葉は止めてくれるだろうか。
あの時の彩葉、カッコよかったな……
彩葉が私の為に戦ってくれている時の病みつきになりそうな多幸感を、今でも強く覚えている。
約束、契約、自己保存の延長。その何れでもない純粋な愛を他者に対して示威する行為は、彩葉から
──そして、それこそが8000年間私が私として存在し続ける理由でもあったのだ。
「
「何となく、自分の成り立ちの根本に疑念が生じたが故の行いだとは理解しているのだが……。それで、何故自己診断によるリカバリを試みるでもなく、ハワイの天文台まで飛ぶことになる?」
それが何故天体観測になるのかが分からないのだとクリフは言う。それはこの件に……私の一時的不在に伴う世界的な各種システムダウンと日本の国防能力の低下に合意し、それのカバーに協力ないし傍観してくれた皆の総意でもあるのだろう。
「そうだねぇ……」
説明義務があるのは当然なのだけれど、これは極めて観念的な話なので、噛み砕いて説明するのには工夫が要る。
行動理念に染み付いた配信者的なコミュニケーションスキルを頼り、私はどうにか万人にウケそうな内容に私の恐れを翻案しようと試みた。
スターリンクを経由して皆に聞き馴染みのあるフリーBGMをダウンロードして再生……するためのシステムを立ち上げるのは量子固定観測とその解析に特化させた今のカリカリチューンタケノコでは難しいので(不可逆の変化ではないが、戻すのに時間が必要)、私はよりシンプルな方法として、シンセサイザー型のミュージックツールをその場で作成し、目の前に浮かべた。
「(FUSHI、彼女は何をしているんだ……?)」
「(ヤチヨはインターネットになりすぎたせいで、インプレッションが低くなるタイプの表現系を視覚効果で補正しようとするアルゴリズムが染み付いているんだ。深く考えなくていい)」
ヒソヒソと話すクリフとFUSHIを尻目に、その場で作成したサムネイル用フォントを自分の背後に大きく並べて表示してから、私はほのぼのとしたワルツを演奏するべくキーボードに指を滑らせた。たとえローカル環境でしか自身を動かせない今であっても、このくらいの手品はできるのだ。
「やおよろ~ゆっくりヤッチョだよ~」
「ゆっくりFUSHIだぜ。今日は月見ヤチヨと皆の違いについて解説していくぜ。ヤッチョは月見ヤチヨの事は知ってるか?」
「…………」
クリフの無言のツッコミにFUSHIが答えることはない。なぜなら、FUSHIは目の前に現れた裏面に『台本』と書かれたARスクリーンを読み始めたからだ。
「流石にその人のことは私でも知ってるわ! ユーザー数8000万人のツクヨミの管理人で、チャンネル登録者数7億人のトップオブトップライバーね!」
私が相手ならTED形式の方が早くないか……? そもそもその生首アバターまで再現する必要はあるのか……? というクリフの声は黙殺する。ああいうのはインターネットが低いのだ。
「そうだ。ヤッチョはよく知ってるな。だけど、それは月見ヤチヨの表層的な部分に過ぎない。月見ヤチヨは8000年前に月からやってきた電子精神体なんだ」
「へ~~~! 全然しらなかったわ! FUSHIは何でも知ってるわね! その、電子……精神体? って、どういう存在なの? 生命体じゃないの?」
「いい質問だな。今日は人間を含む物質界で活動する生命と、月見ヤチヨを含む月……正確には、情報宇宙における月座標に広がるフォトニックネットワーク内部で活動する存在の違いについて解説していくぜ」
私とFUSHIの後ろに表示したARスクリーンに表示される素朴なイラスト素材を用いた映像資料と字幕(装着しているスマコンの言語設定を参照する多言語対応)に目を白黒させているクリフを尻目に、私と私がその場で書き上げる台本を読むFUSHIの古式ゆかしい解説動画風解説が始まった。
☽
「この話をするためには、先に"生命"の定義が何かについて説明する必要がある。ヤッチョ、生命の定義ってなんだと思う?」
「え~っと……それも聞いたことがあるわ! 確か……」
──「生命の定義」と一言で言っても、それはどのような学問的立場から言及されるかで変化する。つまり、結論から言えば人間はそれに対する統一的な見解を未だに持っていないのだ。なので、私は最もポピュラーかつシンプルな、生命の三つの定義をスクリーンに表示した。
「ひとつづつ、ヤッチョにもわかるように簡潔に説明していくぞ。 1.外界と自分を区別する壁。生命は外界と自分を区別する「境界」を持つんだ。細胞膜のような構造によって内外を分け、内部環境を一定に保つ機能がある」
もっとも、私が2030年9月25日以降も自己保存を行う意味はないのだけれど。
「2.外部から物質を取り込み、分解、合成してエネルギーを生み出すことで自己の活動を維持する「代謝」機能。食事、光合成、呼吸と、取り込んだものから化学反応でエネルギーを取り出す機構の総称だな」
何かがなくなるのは、決まって向こうの
「3.自分と同じ性質を持つ個体を生み出す能力だ。キャッチーさで繁殖と言ったけど、正確には自己増殖の方が近しい言葉だな。遺伝情報を受け継ぎ、種としての存続を可能にする機構だ」
彩葉との間に何かを残せたら、生きていたことになるだろうかと思ったものだ。
「ふ~ん……なんか、言われてみればって感じだね。確かに生き物を構成する大事な要素だとは思うけど……もっと他にないの?」
「あるぞ。記述的には組織化、成長、適用、刺激にさっきの三要素をちょっといいかえたものを含む三つを加えた7要素が主とされるし、物理学的にはダーウィン的進化論を実行可能な自立した化学系を指し、生体系理論的には熱力学的作業サイクルが完了可能な複合エージェントを指し、法科学的には……」
「ちょっとFUSHI! 多いし長いしよくわかんないよ! 難しいことばっかり言わないで、もっとヤッチョにも分かるように簡潔に纏めて!」
「(……その台本、彼女が書いているんだよな?)」
「(いちいち気にしなくていいぞクリフ。そういうテンプレートなんだ)……そうだな。厳密な定義はまだ議論の中にあるが、"区切られた内側でエネルギーを使いながら、自分のコピーを作れるもの"というのが既存生命を定義する上でのもっとも端的な説明だと僕は考えている」
私はFUSHIが持つ台本に「ここはゆっくり」「ここはトーンを大きくして!」「ここはあえて早口で」などと適宜指示を追加していく。ここまでの説明は余興のようなものだ。ここからが本番である。私は静止画だけでなく動画なども準備する過程で、私自身の考えやスタンスについても整理していった。
「よくわかったわ! ……それで、この説明が最初に言ってた月見ヤチヨと何の関係があるの?」
「ああ、実は……月見ヤチヨは、さっき上げた三要素のうちのどれも満たしていないんだ」
「ええっ!? そうなの!?」
……自分で台本を読ませておいてなんだけど、なんかイラっとしたな。ごめんねFUSHI。
「ああ。ヤチヨは
「え、それってどういうこと?」
「たとえば、そうだな……ここに"ヤチヨ"って文字を書く」
「うん。……FUSHI、字あんまり上手じゃないね」
「しょうがないだろ手がないんだから……とにかく、ここに"ヤチヨ"と書いてある。この三文字のカタカナは合計10バイトに満たない情報だが、それが情報であるという点において本質的にはヤチヨと変わらないんだ。ここに0を25桁増やすとヤチヨの現在のデータ量に近くなるな。だが、普通の生命はそれを表す電子情報の桁数がいくつ増えようと生命足り得ない」
「確かに……そういわれてみると分かりやすいかも! ……じゃあ、月見ヤチヨ以外の月の人も皆この三文字の延長線上に居るってこと?」
「そういうことだ。そして次に、この文字の中に情報を足してみよう。そうだな……書き直すのも面倒だから……ヤッチョ、この文字列の中に適当な記号を挿入してくれ」
「は~~い!」
ヤ/チ/ヨ
「できたよFUSHI! なんだか検索除けみたいだね! SNSで見たことある!」
「やめてやれかわいそうだろ……まぁ、検索除けというのは言い得て妙だな。ヤッチョ、この文字列は読めるか?」
「うん、ヤ、チ、ヨって読めるよ。サジェストには引っ掛かりにくくなる場合もあるけど、見ればヤチヨだって分かるね」
「そう。そこも物理生命との大きな違いだ。この光景を人間に例えると、体を均等に三分割されていることになる。当然生命活動なんて続けられるはずもないが、この検索除けヤチヨは情報として"生きて"いる。これが境界の有無の視覚化だな。情報だけの存在に境界はないとは言わないが……少なくとも身体が三分割された程度ではその継続になんら支障はない。これがネットワーク上にさえ広がれば、どこでも彼らは"自分"になれる」
「じゃあ、分裂したらどうなるの? こうして……こんな感じに!」
ヤチヨヤチヨヤチヨヤチヨ
ヤチヨヤチヨヤチヨヤチヨ
ヤチヨヤチヨヤチヨヤチヨ
ヤチヨヤチヨヤチヨヤチヨ
「それは分裂じゃなくて“並列化”だな。なにせ三文字の構成事態は崩れていない。それでもヤチヨという情報を読み取ることに何ら支障はないし……こうしても」
ヤチヨヤチヨ ヤチヨヤチヨ
ヤチヨヤチヨ ヤチヨヤチヨ
ヤチヨヤチヨ ヤチヨヤチヨ
ヤチヨヤチヨ ヤチヨヤチヨ
「……ヤチヨだねぇ。少なくとも情報として死んだって感じはないかも」
「そういうことだ。ただ、これが再現なく広がっていったとき、どこまでが自分かを定義するのは極めて困難だ。この無数の「チ」の一つが「千」になったりしても、それを自分と定義できるのかどうかは曖昧になる」
「じゃあ代謝は? 文字だって何かを食べたくなることがあったりしないの?」
「そうだな……ではこれを見てくれ」
八
千
代
「おお~達筆。FUSHI、これは何?」
「これは古今和歌集という、ざっくり1100年前の歌集の冊子の画像だ。日本の国歌の元になった一節の"八千代"の部分だな。ヤッチョ、これは何と読める?」
「ヤチヨ、だね」
「その通りだ。これは1100年間変わらず同じ文字情報であり続けているわけだが……同じ文字情報であるために…つまり餓死しないために、何か食べたり、排泄したりする必要があった思うか?」
「文字なんだから餓死なんてするわけないじゃん! ……あ~~そういうことなんだ」
「そうだ。例えば世界が……この文字列で言うならこの本が焼かれればこの八千代は参照不可能になるが、それは"削除"であって所与のものとしての死とは程遠く、そういった外的な要因抜きでこの文字が自身を損なうことはない。その存在の維持のために何かを取り込んで変換する必要性がないなら、代謝しているとは言えないんだ」
「ふ~ん……とりあえず、FUSHIが電子
「なんだ、ヤッチョ。疑問があるなら質問していいぞ」
「ありがとう。でもさ、人間さん一人一人に生きている意味があるみたいに、月見ヤチヨさんにだって存在する意味はあるんじゃないの? それがあるんだったら、生きてるって言えるんじゃないかな! だってヤチヨさんが酒寄彩葉ちゃんのために"生きている"のは有名な話でしょ? この文字だって、ヤチヨって情報を伝達する目的を1100年果たせているから"生きている"情報なわけじゃん!」
「アリストテレスからサルトルまで続く由緒正しい
途中から突っ込みをやめて学生のように手帳にメモを取りながら話を聞いていたクリフは、何かを閃いたようにポンと手を打った。
「ちょっとそこ~~! 教養をひけらかしてわかった風なこと言わない! インプレ下がっちゃうでしょ! ──でも、そうだね。クリフの認識は合ってるよ。哲学的視座で
「……なぁヤチヨ、僕もうゆっくり解説形式やめていいか? リアクション役から与えられた台本で知識人ぶるのって結構辛いんだが」
「ええ~? まだやりた~~~い……なんて、冗談だよFUSHI。付き合ってくれてありがとね」
FUSHIの嘆願を受け、私はスクリーンに浮かべたゆっくりヤッチョとゆっくりFISHI(ちょっと胴が短い以外区別がつかない)を消したのだった。
☽
「ヘイFUSHI! 命の理由は何?」
「そんなものは無い」
「命の意味は?」
「そんなものは無い」
「命の動機は?」
「そんなものは無い」
「それはどうして?」
「個体としての命は個別の現象だ。それは偶発的に発生し、偶発的に存続する。純粋な物理現象に形而上のものが絡む余地はない」
私たちは気を取り直して、得た情報の共有と整理を続ける。
……やっぱり私がメインで話す方がやりやすい。次にゆっくり解説をやるときは巫女役と魔女役は逆にしよう。
「う~~ん……ロマンのない話! ……でも、そういうことなんだよね。生命には……人の子には、生きている理由や意味や動機はないの。勿論、それは後からいくらでも見出したり、あったことにしたりすることはできるけど、逆にそれがなければ生まれちゃいけないなんてことは絶対にない。貴方たちは理由や意味や動機なんかなくても自由に生きていられて、だからこそそれを決断によって自分に課すことが尊いことなんだよね。そう、まるで……」
「酒寄彩葉のように、か」
私がうっとりと、夢見るようにそれを口ごもった瞬間、クリフがその言葉を引き取った。
「~~~~~~ッ! 分かってんね~~クリフ! ヤッチョの喜ばせ方ってやつをさぁ!」
ゴロゴロと虚空を転がりながら顔を抑えて身もだえる私を見ながら、男友達二人は仲よさそうに話していた。
「ああこの馬鹿、彩葉の話題でヤチヨを調子づかせるな!
「22年前はまさしく
私は一通り悶えて落ち着いた後にクリフに向き直る。
そういえば、たしかに私の正体を明かして以降はこういうことがちょくちょくあったことを記録している。クリフはオタ公ちゃんとは別種の聞き上手で、私に気持ちよく語らせるのがとにかく上手かった。これが工作員流話術ということなのかもしれない。
「え~っと、なんだっけ。そう月人がそうじゃないって話だよね」
月には味も、温度もない。そこに居る存在の全てが、同じタスクを繰り返している。
余分なものが存在しないのは、今までの話を踏まえればある種当然のことだとわかると思う。
「これは因果が逆なんだよね。つまり、彼らは存在し続けるために同じタスクを自身に課し続けないといけないし、そこに余分なタスクに目移りする余地が生まれるとその存在意義も薄れていくの。だって、肉体のない彼らは目的以外に自分を定義できるものがないから」
「人間の自我や自意識という枠組みがどれだけその意識の外側の不随意運動に支配されているかということを考えると、その純粋さや一途さがある意味羨ましくはあるがね」
肉体を持つ人の子は、自分を定義するためのパーツを多く備えている。
他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった時の記憶、未来の予感、そしてツクヨミをはじめとする、皆が接続可能な膨大な情報やネットの広がり。
それら全てが皆の一部であり、皆という意識そのものを生み出し、皆はそれを増やしたり減らしたり振り回されたりしながら
「……とすると、そうか。君が8000年の間、片時も酒寄彩葉のことを忘れず、2030年を目指すことができたのは」
「うん、そういうことだよ。彩葉の歌を聞いたとき、
「……それは」
目移り
──だから、歩みの時間が長かったことは、
それが、今回の観測で得た私に対する結論だった。
「……私は、君がそのことをしきりに気にし、後ろめたがる意味を正確に理解していなかった。酒寄彩葉に与えられた模倣子が自己の構成要素の全てだった貴女にとって、それを自身の存在意義と定義して尚私のような他者と相互接続し、模倣子を混淆させることの意味を」
「…………」
クリフは私の懺悔を聞くと、堪えられないとばかりの苦し気な表情で立ち上がり、数歩後退った。その顔は、自分の犯した過ちに崩れ落ちる罪人のそれだ。ふらふらと後退しながらその身を戦慄かせる彼の雰囲気は、年相応に老け込んだように錯覚させる弱弱しさがあった。
「教えてくれ
「違う! 違う!! 違うの!!! 私が、私が悪くって……!」
「────お前らいい加減にしろ!!!!!!!」
いつもは渋みのある余裕を湛えた相好を蒼白に変え、今にも懐の銃を取り出して自分の頭を吹き飛ばしそうな勢いのクリフと、そこに具体的な否定の理由を告げられずに頭を振る私。そんな阿鼻叫喚の惨状を、FUSHIは一喝してみせた。
「落ち着け。お互いを使ってリストカットするな。思春期の恋愛模様じゃないんだぞ。……ヤチヨ、まだ2030年の7月でも、まして9月でもないんだ。アンカーを手繰るだけの作業なんだろ? あとちょっとでそれを手放すな」
「クリフもクリフだ。ヤチヨのヒステリーに共鳴するな。今のヤチヨは彩葉と接続できてないから情緒が不安定なんだ。それにお前妻子が居るんだろ。 未練ったらしいぞ色男。お前の恋は、もう終わってるんだよ」
「……ゴミン」「……すまなかった。見苦しいところを見せたな、友よ」
私たちはお互いに大きく深呼吸すると、再び向き直った。
「……ごめん。話を続けるね」「ああ、何度も話の腰を折って悪かった」
何の話だっけ、そう。かぐや、かぐやの話を……
「ヤチヨ、さっきの話の疑問点なんだが……じゃあ、何故かぐやは
そうなのだ。それもまた、私がこの観測を通して知りたいことだった。
私はFUSHIの的確な援護射撃に感謝しつつ、かぐやについてわかったことを話し始めた。
☽
同じタスクを、永遠にこなし続けているか確認すること。
それ以外の要素が、自己消滅を招きかねないバグを発生させる余地がないか確認すること。
何も起こっていないことを、これから先も何も起こる余地がないことを確認すること。
──それが彩葉によって「かぐや」という名を授かったモジュールの持つ存在意義だった。
「
「そうでなければ全体を監視し、デバッグやリカバリやデリートを実行できないという訳だ。しかし、何故それがおてんば姫に変身するんだ?」
「あっっっっったりまえでしょ。だって、これって毎日毎日
「何かが起きるかもと思わせながら何も起こさせないことを実行し続ける……たしかに、そういう風に説明されるとやりがい搾取にも程があるな。私なら待遇改善を求めてストを起こすか仕事を辞めるが……ああ、だから逃げたのか」
…………そうなんだよね。普通はそう思うよね。ヤッチョもそう思ってました。さっきまでは。
「ううん、違うの。そういう観測によって発生する問題は、
突如口ごもった私を怪訝そうな顔で見るFUSHIとクリフの視線から逃げるように身をよじりながら、私は先ほどのやらかしをぼそぼそと打ち明けんとする。
「さっきね……私が観測の為に穿孔した穴からさ……」
「孔から……?」
私はさらに身体をよじり、もはや真後ろを向きながらぶっちゃけた。
「かぐやがね……
「──ばっっっっっっっっっっっっっっ……」
っかじゃねーの!?!?!?!?!? という叱責を予期して身を縮こまらせた私だったが、それが飛んでくることはなかった。私が恐る恐るFUSHIとクリフの方を見ると、お叱りの前に自分の言葉を飲み込んだらしいFUSHIとクリフはなにやら納得顔で頷いていた。
「一瞬タイムパラドックスやらで何もかも台無しになる可能性に震えたが……これも必然の因果なのか?」
「そう考えるのが自然だろうな。月世界のかぐやが好き勝手に動いているように見える人間の個体識別ができるとも思えない。だけど分割化と階層化された多層ネットワークの観測になれているかぐやなら、この世界のネットワークの意味論的中心に位置するものを注視するはずだ」
「……つまり、さっきの観測の瞬間にかぐやが酒寄彩葉の住まう居宅の電柱近くで自分の肉体をコンバートするところまでは確定した訳か。ドミノ倒しのように美しい因果だな。宇宙検閲官の存在を疑うよ」
──どうやら、わたしはファインプレーをしたらしかった。流石は私、選ばれしもの。私が願うことならすべてが現実になるのだろう。
「なにやら調子に乗った空気を出しているみたいだが…………そういう大事なことは一番初めに言え!!!!!」
「はい……」
やはり、FUSHIの叱責からは逃れられなかったらしい。悲しい因果であった。グスン……
☽
「……で?」
「でって……何?」
私はいまだにプンスコ起こるFUSHIを宥めながら、その発話の意味を推測せんと試みた。
これは、いわゆる「私が何で怒ってるのか分かる?」というやつだろうか……?
「おそらくだが、貴女が最初に言っていたマイナスの部分……つまり、分からなくなったことの話だろう。それは私も気になっている。というか、いままでの話を総合すると、一つ巨大な謎が浮上することになるが、それのことだな?」
私の恋愛系お悩み相談でも高頻度であがりがちな、自分の怒りを利用して試し行為を行わんとする恐ろしき乙女の修正が私に降りかかるときがきたのかと戦々恐々としていたが、どうやら違ったらしくて私はほっとした。しかし、そのせいで嫌なことを……脇道故にあまり考えないようにしていたことを議題に上げざるを得なくなってしまった。
私は自分の肩を抱き震えるエモートで自分の心境を表現する。
「うん、それのことだよ。正直めっちゃくちゃに怖いんだよね。多分私の
──肉体を持たない電子の精神体にとって、
つまり、彼らが
一体誰が、どのような目的で彼らを作ったのだろうか。
「……」
「……」
「……」
私たちは一様に黙りこくった。なぜならば、情報宇宙に――別位相の月に干渉可能で、尚且つあれほどのテクノロジーの生みの親である以上、それは私たちの人知が及ばない存在である可能性が極めて高いからだ。
「……神の実在を信じるか否かの話をしても仕方ない。この件は一旦忘れよう」
「……うん、そうだね! それがいいと思う!」
「今回ばかりは僕も同意しよう。どうにもならないことに思いを巡らせても仕方ない」
そうして、一抹の……しかし巨大な不安を残したまま、今回の月面調査は終了と相成った。
☽
部下からなにやら報告があったと言って衛星電話を持って離席したクリフを置いて、私とFUSHIは今後のスケジュールについて相談していた。
「ヤチヨ、この後はどうする?」
「ひとまず観測の為に書き換えたもと光る竹の内部構成とTMTの管制システムを元の状態に戻したら爆速撤収かな。彩葉の為にも、これ以上ツクヨミをメンテ状態にしておけないから」
「了解した。ヤチヨ、メンテが定刻通りに終わることを告知して……ああ、今はできないのか。次はもう少し冗長性のあるやり方で自己改造してくれよ。数世代目の携帯端末のデフォルトアプリケーションでもできそうな基本通信機能全般すらオミットするのはやりすぎだ」
「初めての試みだったから、ちょっとでも成功の確率を上げておきたかったんだよね~~……でも、おかげで成果は上々だったでしょ?」
一通りの作業が終了し、緊張からの解放によって弛緩した空気の中で和やかな談笑タイムに突入している私とFUSHI。
──コラボライブが終わった後、彩葉に
その時、バタバタと血相を変えて走ってきたクリフが発した言葉を聞いた瞬間から、しばらくの間私の記録は朧気になる。なので、ここから先の記述は私の主観を欠いたものになる可能性があることを許してほしい。
「緊急事態だ。酒寄家の隣家に住む私の部下から報告が──」
「──収音マイクなど使っていない。それは貴女の領分だ。落ち着いてくれ。そうではなく、隣家なら意識しなくてもわかるレベルの怒鳴り声と破壊音が──」
「────ガラスの破砕音も──大丈夫だ。落ち着いてくれ。収まった後に酒寄彩葉の部屋の電気が付いて消えた。シルエットも確認している。彼女に物理的な傷はそうあるまい。だが……」
「今回貴女がスタンドアローンになる間、こちらで貴女から預からせていただいていた閲覧権限で確認した画面のスクリーンショットが部下から届いた。──いいか、落ち着いて、貴女が、確認してくれ」
────ヤチヨ、ごめん。もう無理かも。辛いよ。お願い。助けて。