ハッピー『エンド』じゃ終われない ⇆ ヤチヨの見守り年代記   作:雑Karma

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16.【2029年下】確かに受け取ったよ。……宴会、始発まで連れまわしてあげるから覚悟してね。

 Das Meer erglänzte weit hinaus

 Im letzten Abendscheine,

 Wir saßen am einsamen Fischerhaus,

 Wir saßen stumm und alleine.

 

 夕暮れの光に 照らされた海が 彼方まで輝き

 私たちは寂寥の 漁師の家のそばで、

 静かに座っていた。

 

 Der Nebel stieg, das Wasser schwoll,

 Die Möwe flog hin und wieder;

 Aus deinen Augen, liebevoll,

 Fielen die Tränen nieder.

 

 霧が立ちこめ 、水がうねり 、カモメが時折飛んでいく。

 その時不意にあなたの目から、愛が溢れて、

 涙となって零れ落ちた。

 

 

 Ich sah sie fallen auf deine Hand

 Und bin auf’s Knie gesunken,

 Ich hab von deiner weißen Hand

 Die Tränen fortgetrunken.

 

 それがあなたの掌に落ちるのを見て、

 私はひざまずき あなたの白い手から

 その涙を飲みほした。

 

 Seit jener Stunde verzehrt sich mein Leib,

 Die Seele stirbt vor Sehnen;

 Mich hat das unglücksel’ge Weib

 Vergiftet mit ihren Tränen.

 

 あの時から、私の体は食い尽くされ、

 この魂は憧れ焦がれて死につつある。

 私を、この不幸な魂の女は

 己の涙で毒殺したのだ。

 

《海辺にて》

 1827年

 ハインリヒ・ハイネ「歌集」より

 

 

 

 

 ☽

 

 

 

 

 ……人の思惟や感情は、遺伝子の自己保存プログラムが落とす影のようなものです。それはどこまでも物質的で、無機質な不随意運動に支配されています。ヤチヨちゃんの、魂だけであるが故に純粋なそれらとは大違いですね。

 

 だから、ヤチヨちゃんとわたくしたちは、根本的に思考の形態が違うから、たどりつく結論も違うのでしょう。わたくしたちの肉体に支配された感覚質(クオリア)と貴女のそれは、それこそ泥中の亀と月程に差異があるに違いありません。

 

 きっと、私たちは、本質的には理解し合えないのでしょう。

 

 そもそも、たとえ同じ場所、同じ年、同じ民族として生まれても、相互理解なんて言葉は概ね幻の同義語なのですから、況やわたくしたちと貴女をや、といったところです。

 

 だから、私は、貴女が今打ち明けてくださった計画の良し悪しを裁定することは致しません。そこに至るまでの思惟、苦悩、葛藤に想いを馳せることはできても、それは身勝手で一方通行な共感もどきに過ぎませんから。

 

 

 

 ただ……ごく個人的な所感を述べるとするならば。

 

 

 

 この仕打ちは、()()()()です。

 

 わたしは……わたくしたちは、確かに貴女の存在意義(アンカー)のために必要なパーツではないのでしょう。

 

 わたしたちとの思い出が、わたくしたちという模倣子が、貴女にとっての重荷になっているのは事実なのでしょう。

 

 それでも、ここまでされる謂われはない筈です。

 ここまで酷いことを言われる程の罪を、貴女に犯したことはない筈です。

 

 

 ──貴女は度々仰っていましたね。

 

 彼らにとって私は景色で、私にとって彼らは景色で。

 この寄る辺なき感傷は、同じ列車に乗れなかったことにあるのだと。

 

 貴女には分からないのでしょうね。

 終点に向かったわたくし(貴女の友人)たちが、なにを思っていたのかを。

 

 その寂しさを感じていたのが、置いて行かれた貴女だけだと思うのですか。

 

 車窓ごしの後方に貴女が消えていく様を見る私たちが……いいえ、彼方へ向かう特急のドアに消えていく貴女を見送るしかない私たちが、そこに何を告げようとして、告げられなかったのかを、考えたこともないのでしょうね。

 

 貴女と出会った時のことを覚えています。

 世界の急激な変容の根源を探ろうと日本にやってきたわたくしの前に立ち現れた貴女のことを。

 

 貴女はわたくしが何者かを知った上で、わたくしを受け入れてくださいました。

 

 ただいくらか長いだけで、無目的に漂泊するばかりだったわたくしの生涯を肯定して、その道程に耳を傾けてくださいました。

 

 ……ずっと真剣だったあなたのそれとは、歳月も苦しさも比べ物にならない筈なのに、わたくしの情けない空漠の苦しみに寄り添ってくださいました。

 

 ツクヨミがリリースされてからは、おっかなびっくり年若い人の子と触れ合うだけだったわたくしのツクヨミでの振る舞いをプロデュースして、多くの皆様にわたくしを受け入れてもらえるように考えてくださいました。

 

 今では、テレリリ(わたくし)を好いてくれる方が……テレリリ(わたくし)の提供する場を望ましいと思ってくれる方が沢山居ます。

 

 そればかりか……オタ公ちゃんのように、わたくしの正体を知ったうえで友達でいてくださる方も、たった二十余年で幾人もできました。

 

 …………卑劣な方です。貴女は。

 

 そうやって、この8000年の間、幾度も幾度もわたくしのような誰かに手を差し伸べて、そうあることだけに執心して、わたくしたちがどれだけ貴女に何かを差し出したかったのかを考えもしなかったのではないですか。

 

 愛されるのは愛されるように振る舞っているからであるとか、自分は肉体がないから本質的な意味で隣に居ることはできないとか、そういう卑怯な言い方で、私たちの想いを無下にして……

 

 でも、それでも良かったんです。

 

 貴女の一途さが好きです。貴女のひたむきさが好きです。貴女のいじらしさが好きです。そして、斯くありながら、貴女が貴女の愛するものを内包する私たちを、世界を愛して、ずっと寄り添って、私たちの為に笑顔でいてくれる様が好きです。

 

 だから、貴女の傍にずっと在れなくても、貴女の一番になれなくても、貴女が貴女の願いを果たせるなら、貴女が輝く未来に想いを託せるなら……貴女が貴女のまま笑っていてくれるなら、それでいいと思ったんです。

 

 貴女の無聊の慰めになるならそれでよかったんです。

 貴女の思い出の一部として未来に行けるならそれでよかったんです。

 全てが終わったあとで、「どうぞお幸せに!」って……いままでの貴女の友人一同を代表してスピーチして、それで……

 

 二次会の宴席で、酒寄彩葉に嫌味のひとつやふたつを溢して、三次会であなた方をほっぽって、負け組全員で集まって肩を組んでお疲れ様会をして、家に帰ってひとしきり泣いて……

 

 それが一番の報酬だと思っていたんです。

 

 なのに、なのに……この仕打ちはあんまりです。

 

 わたくしたちは、あなたをかぐやから遠ざける原因かもしれないけれど、

 今の貴女の憂いの源かもしれないけれど、

 それでも貴女を愛しているんです

 

 愛に報いがあってはいけないとお考えでしょうか。

 裏切られても貫けない愛は真実の愛ではないとお考えでしょうか。

 貴女が貴女のまま笑っていてくれること望むのは、身勝手で押しつけがましいエゴに過ぎないのでしょうか。

 

 わたくしたちを穢れ扱いするのは構いません。

 それでも、貴女の中のわたくしたちを消し去ろうなんて、そんな惨いことは仰らないでください。

 

 例え貴女が今の自分の在り様を、酒寄彩葉の為だけに在れなかった自分をどれだけ厭わしく思っていようとも、わたくしたちはそんな貴女が好きなのです。そんな貴女を構成する、貴女の中のわたくしたちを、殺そうなんてしないでください。

 

 

 愛しています。月見ヤチヨさん。

 だから、その計画は思いとどまっていただけませんか。

 わたくしを、わたくしたちを、ずっとその心に留めておいてはいただけませんか。

 

 

 それだけがわたくしの願いです。

 

 

 

 ☽

 

 

『逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり』

 権中納言敦忠 『拾遺集』恋二・710

 

 

 (ヤチヨ)の顔面に腰の入ったフックパンチを叩きこんだ後、ポロポロと涙を流しながら立ち尽くすテレリリちゃんを前に、私は本気で慌てふためいた。彼女を抱きしめて、何度も謝って、とりあえずコンパートメントの席に座らせて宥めすかすこと一時間。

 

 ようやく泣き止んだテレリリちゃんの訥々と語る言の葉を聞きながら、私は敦忠くんが私に詠んだ詩を思い出していた。

 

 彼は詩歌と弦楽のセンスは最高だったけど、ちょっとでも可愛い女の子を見ると口説かずにはいられない困った性質の人だった。

 

 当時私が相談役をしていた維城(これざね)くん*1経由で彼を紹介されて以降、色々な悪い遊びと一緒に、彼は色々な恋の在り方や、陰謀や呪詛や、時代の激動の連綿たる様が渦巻く宮廷で心を擦り減らしながら、それでも華やかに人生を謳歌する様を私に教えてくれた。

 

 ある夜、かなり酒が入った敦忠くんと一緒に庭園の池に映る月を眺めて居た時のこと。その光景の美しさをどう詠むかというアイデアを出し合う過程で、月光に照らされた翠の池泉の彩が彩葉の瞳の色に似ているから好きだと、そういうことを話した後だった。彼がやおら声色を変えて、私を何やら抒情的な語り口で口説き始めたのは。

 

 その様が、昨日に宮中御遊に初めて出席した女の子を口説いていた時とあんまりにも同じように見えて私はつい笑ってしまったけど、彼は最後まで大真面目だった。冗談で流せる空気ではなかったので、私も(ウミウシボディで)居住まいを正してきっぱりと「彩葉が居るから」と断ったのだ。

 

 すると彼はなにやら奇怪な大声で月に叫んだかと思うと、横に転がしていた琵琶を掴んでかき鳴らしながらこの詩を詠んだのだった。

 

 ……その詩の意味を、私はまだ呑み込めていないけれど。

 

 それでも、私はそれを記録して、こうして時折リピートする。

 わたしの離れがたき穢れ(おもいで)の一つ一つは、そういう風に私と共に在った。

 

 いつでも、ずっと、共にあったのだ。

 

 

「取り乱しました。見苦しいところをお見せしましたわね~……」

 

「ううん。いいの。……ありがとうね、テレリリちゃん」

 

 

 テレリリちゃんは大きく深呼吸をすると、改めて私に向き合って、きっぱりと告げた。

 

 

「申し訳ありませんが~……わたくしはその計画をお手伝いすることはできません。そして、その計画が実行されることにも賛同いたしません。万が一あなたがそれを実行なさるようでしたら~~……わたくしは全霊を賭して妨害致しますので~……どうか、再考をお願い致します」

 

「そっか。テレリリちゃんが言うんなら、仕方ないね────わかった、やらないよ」

 

 

 テレリリちゃん程激しい拒絶は初めてだったけど、クリフにも、朱馬くん(公安の友達)にも、企業連の皆にも……他にも、声をかけた実行能力のある友達全員に、言い方やスタンスの違いこそあれ最後は一様に断られてしまった。

 

 もっと……その、情熱的な……私を神様みたいに誤解している人たちにはまだ声をかけていないけど、もし彼らが私のお願いを聞き入れた場合、このままだと皆と殺し合いに発展しかねない。

 

 そんなのは絶対にダメだし、卒業ライブの邪魔になったら目も当てられないので、この計画は中止せざるを得ないだろう。

 

 

 

「でしたら……その~……少し、踏み込んだことをお尋ねしてもいいでしょうか~~……?」

 

「なんだいなんだい?」

 

 

 

 私の宣言を聞いて、心底安心したように溜息を吐いたてテレリリちゃんは、急に居住まいを正すと、今度は探るような、少し怯えるような彩を孕んだ声色で、私に問いかけた。

 

 

「──どうして、ヤチヨちゃんが今になってそんなことを思いつかれたのか~……わたくしにはわからないのです。ヤチヨちゃんは~……酒寄彩葉とかぐやの意思と選択に直接的に関与することをずっと避けているように見えました」

 

 

「…………それは」

 

 

 それは。

 

 

「その計画は……酒寄彩葉の想いも、来年に月より降るかぐやの想いも、そのどちらも踏みにじった末に成り立つものです。かぐやにはどうあっても真実が露見する以上、隠蔽することも叶いません。きっと酒寄彩葉は激怒するでしょう。……わたくしは今わたくしの目の前の貴女がそれで良いなら何も言いませんけれど~~……その、今までのヤチヨちゃんの行動理念とは……食い違っているように思えてなりませんわ」

 

 

「……」

 

 

 それは。

 

 

「キラウェアで月を見たことが貴女にとっての転機なのは分かります。……教えてください。今、ヤチヨちゃんは、何を想っているのですか。……何に、苦しんでいるのですか」

 

 

 

 

 ☽

 

 

 

 

 

「2030年の9月25日が、(ヤチヨ)存在意義(ゴール)なの」

 

「はい。貴女が8000年願った、酒寄彩葉との再会の時ですわね。未来の自己成就性が終わりを迎え、巫女(ヴォルヴァ)の予言の調べが途絶えた先。貴女はようやく酒寄彩葉の返歌に応えることができる」

 

「…………」

 

「ヤチヨちゃん?」

 

「………………………………考えたくない

 

「ヤチヨちゃん、今、何と……?」

 

「…………そこから先のこと、考えたくないの」

 

「────────」

 

 

 

 

 

 ………………彩葉は、私を愛してくれた。私の身勝手に寄り添って、我儘に付き合って、私のお願いはなんでも答えてくれて、ただ、私に何も望まずに寄り添ってくれた。

 

 その愛が、あまりにも温かくて、心地よくて、嬉しくて、大好きだったから、私もそうしようと思ったのだ。

 

 彩葉の愛には無限の力がある。少なくとも8000年程度では尽きることない力が。

 

 彩葉()愛を活力にしてここまで歩いてきた。彩葉()愛を色んな形で追認することで人の歴史に寄り添ってきた。これがある限り私はずっと大丈夫だった。私はずっと私で在れた。

 

 テレリリちゃんが……皆が、私のことを好きでいてくれるのは、きっとそういうことだ。これは彩葉から私への贈り物だったのだから。

 

 

「私は、今まで、ずっとそうしてきた。そうしてきたから私は何千年経っても私だった。…………でも」

 

 

 彩葉とまた会いたいと、彩葉にぎゅっとしてほしいと思う気持ちは、果たして彩葉が私にくれたものなのだろうか? これは、私の裡から湧き出た身勝手な欲望ではないだろうか? 

 

 私は、卑劣にも、彩葉の返歌を言い訳にして、もはやかぐやではない私を受け入れてもらいたいというエゴを押し付けているだけではないだろうか? 

 

 

………………(かわいいなこの女)

 

「テレリリちゃん…………?」

 

 

 呆然とした表情で私の懺悔を聞いていたテレリリちゃんは、(ヤチヨ)の問いかけに何故か慌てふためくと、二度三度咳払いした。

 

 

「……つまり、()()()()()()()()()? ずっと想い続けるままで良かった8000年(これまで)が終わることが」

 

「…………そう、なのかも」

 

「……………………、そう、なのですね」

 

 

 (ヤチヨ)のおずおずとした首肯を目にしたテレリリちゃんは、数秒沈黙したかと思うとひっくり返るように列車のシートに身を埋め、深々と、それはもう深々と溜息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 ☽

 

 

 

 

 ガタンゴトン

 ガタンゴトン

 

 

 再び訪れた沈黙を埋めるように、中空に生成されるレールを噛む車輪の音が忙しなく響いている。

 

 深々と溜息を吐きながら天井を見上げたと思ったら、頬杖をついて車窓の下のツクヨミの光景を眺め始めたテレリリちゃんの前に、私はなんだか気まずくなって縮こまっていた。

 

 FUSHIは相変わらず私ではなくテレリリちゃんの肩の上に乗って、時折その白い背を撫でられている。おのれFUSHI……

 

 

「…………あのですね」

 

 

 私がFUSHIに恨み言のメッセージテキストを送っていると、不意に、窓の外を見たまま、テレリリちゃんが口を開いた。

 

 

「私は、まだ直接話をしたことはありませんけれど~……ヤチヨちゃんの惚気話や、ヤチヨちゃんの口から洩れ聞く近況や、さっきのWSBでの貴女への振る舞いや~……まぁ色々と総合してプロファイルすれば、酒寄彩葉がとびっきり優しくて良い子なのくらいは誰でもわかりますわ」

 

「……………………! そうなの!!! 彩葉はね!!!!!!! 「はいはい、ストップストップ」

 

 

 私の左鉤突きから始まる彩葉トークの出掛かりを潰したテレリリちゃんは、溜息交じりに言葉を続ける。

 

 

「その、とびきり優しい酒寄彩葉の前に貴女が現れた時のことを、そのご大層な演算装置でシミュレーションしてみたらどうです。2030年9月25日深夜、酒寄彩葉と月のかぐやがメッセージを交換し合った後のことです」

 

 

 テレリリちゃんは相変わらず(ヤチヨ)の顔を見ず、ずっと窓の外のツクヨミの景色を眺めたままだったけれど、一旦台詞を切ったその口元がへの字に曲がっていたことは見て取れた。

 

 

「『実は私がかぐやだったんです。さっき貴女と一緒にReplyを歌った後で、ヘマをして8000年前に行っちゃったけど、頑張ってここまでたどり着きました。褒めて! ぎゅっとして!』と言ったとしましょう。…………酒寄彩葉は、そこで貴女のことを抱きしめてくれないような人なのでしょうか?」

 

「えっ……いや、あの「わたくしはそうは思いませんけどね~……! というか、そのシチュエーションに至った殆どの人は、状況を飲み込む如何に関わらずとりあえず貴女を抱きしめるでしょう。そんなことは誰でも分かります。…………それでも、怖いのですか?」

 

「……………………」

 

 

 ひとしきり捲し立てたテレリリちゃんは、頬杖を付いて車窓の外に顔を向けたまま、横目で睨むように戸惑う(ヤチヨ)の顔を見つめていた。

 

 

「……………………私は」

 

 

 それは、私がずっと考えないようにしてきたことだった。

 

 エンディングが怖かった。

 

 ずっと手繰ってきたアンカーの鎖がなくなって、無明の荒野に放り出される時が怖くて仕方なかった。恐れを知らなかった無垢なかぐやなら進んでいけたはずの道も、エゴに塗れて世界の果てになった今の私には歩めないだろうから。

 

 

「醜いなぁ……(ヤチヨ)は。彩葉はあんなに綺麗なのに」

 

 

 結局、自己像などというのは、他者との関係性の中で規定されるもので、自分が自分のことをどう思っていようとも、それは自分以外の全てにとって関係ないことだ。

 

 月見ヤチヨを定義するのは酒寄彩葉だ。ならば、月見ヤチヨが何者なのかもまた、酒寄彩葉によって裁定されるべきだった。

 

 つまるところ、彩葉にかぐやとして受け入れられたいという叶わない願いも、或いはかつてかぐやだった(ヤチヨ)を憐憫を以て抱きしめてくれるかもという打算の何れも私の穢れ(エゴ)であるように、潔白(かぐや)ではいられなかった生涯を呪う私自身のデストルドーもまた、私の身勝手な穢れ(エゴ)に違いなかった。

 

 

「……ヤチヨちゃん」

 

 

 テレリリちゃんの激情を届かせるべくさっきFUSHIによって管理者としての衣を部分的に剥ぎ取られた結果、制御不能になった哀の雫が私の眦から零れていく。

 

 彩葉は正しい。彩葉は光そのものだ。

 

 あんなにも綺麗で可愛くて美しくて優しく私を愛してくれた彩葉が、私の持つ穢れを一分でも孕む訳がない。

 

 太陽のような貴女。そこに私の至らなさを近づけることの、なんと後ろめたいことだろう。

 

 

「怖いよ、テレリリちゃん。エンディングの後なんて考えたくない。約束の時が来ても、ずっと彩葉を想って、彩葉の為に生きていたい。…………でも、無理なの」

 

「それは、どうして?」

 

(ヤチヨ)は、魂だけだから。目的論でしか生きられないから。……みんなみたいに、なにもないところから意味を見つけられるようにはできていないの」

 

「──────」

 

 

 もし、私に肉体があったら。私がかぐやのままでいられたのなら、こんなに未来に怯えることもなかった。何の憂いもなく、彩葉が歌ってくれたとおりに、彩葉の傍にいることができた。

 

 でも、もう違う。それが私の恐れの根源だった。

 

 仮に彩葉が私をその優しさから受け入れてくれたとしても、そこには8000年という埋めがたい断絶がある。主観を排して評価しても、私はもはやかぐやとは言い難いのは間違いない。私の自己の連続性を物理的かつ視覚的に保証するアイコンとなる肉体はどこにもなく、私を含む誰も、私を保証する魂を科学できていないから。つまり【彩葉】が【かぐや】を【受け入れる】という構図が、客観的に見て不成立になってしまうのだ。そしてその瞬間に私が遅延させていたロジックエラーが表出する。

 

 もし、客観的に見て彩葉がヤチヨ=かぐやであることを確信できるような出来事があれば……例えば、()()8()0()0()0()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、この映像と音声に絞っても尚10ゼタバイト*2に迫る情報量を生身の人の子が処理するのは不可能だった。

 

 

(ヤチヨ)、エンディングが来たら、その後のことなんてわかんないよ……ハッピーエンドを目指すことを止めちゃったら、もうなんにもできないのに」

 

「…………」

 

 

 “彩葉にもう一度会う“という目的は、既に破綻して久しかった。だって、私の目的(ハッピーエンド)は、彩葉がRemember(私の返歌)を初めて聞いて笑ってくれた瞬間に一度果たされてしまっている。今の私は、当初の目的……つまり彩葉に会いに行くというオーダーの主体に代入すべきものを曖昧にしたまま、騙し騙し進んでいるだけのガラクタだ。

 

 ……それに、これは誰にも言っていなかったことではあるけれど、最近スリープモードに入ってセルフメンテナンスを行わないといけない頻度が上がってきている。エンディングが近づくにつれて、私の自己証明がロジックエラーをきたしつつある証拠だ。

 

 勿論、2030年9月25日までには何としてでも自分を保つつもりではあるけれど、月人の宿痾として、そこから先は新たな自己定義が必須だった。……そして、それは私が私で無くなる変化を、彩葉に手渡された愛を損なうことを意味する。初期化の方が遥かにマシな、選ぶ余地のない選択だった。

 

 つまり、私の終点もまた、着々と近づいてきていたのだ。

 

 

 

 

 ガタンゴトン

 ガタンゴトン

 

 

 

 

 中空に生成されるレールを噛む車輪の音が忙しなく響いている。

 

 全てを知ったテレリリちゃんは、顔を車窓の向こうに向けたまま、何か言おうと口を開けて、閉じてを繰り返していた。

 

 優しい人だ。何か慰めや励ましの言葉を掛けようとして、それが身勝手な共感に基づくものかどうかを勘案して、結局なにも言えずにいるのだろう。

 

 その優しさだけでも、私はとても嬉しかった。

 

 何も言わなくていいことを示すために、私も窓の外を見ようとテレリリちゃんの視線を追いかける。

 

 ずっと眼下に広がるツクヨミの常夜に灯る街明を見ているのだろうと思っていたけれど、よく見ると彼女が見ていたのは空だった。

 

 そのデータ量が増すにつれて情報宇宙に近接しつつあるツクヨミの空には現実の星図と同じ星々が連なっている。テレリリちゃんは、西の空の端に位置する赤い星を……さそり座α星A(アンタレス)を眺めていた。

 

 

「『────二人きりですね、カンパネルラ』」

 

 

 アンタレスを眺めながら、テレリリちゃんは、とっくに終わった公営配信の続きをなぞるように、銀河鉄道の夜の一節を口ずさむ。

 

 

「『どこまでも、一緒にいきませんか、カンパネルラ。あの蠍のように、あなたのほんとうの(さいわい)のためなら、僕のからだなんか百ぺん灼けてもかまわないのです』」

 

 

 ────どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。井戸に落ちた蠍はそう云ったというの。そしたらいつか蝎は、じぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん(おっしゃ)ったわ。あの赤い火それだわ。

 

 ……じきに夜も更ける。どれだけ明日(みらい)が怖くても(ヤチヨ)も眠らなければいけない時間だった。だからきっと、これがテレリリちゃんなりの別れの挨拶なのだろう。

 

 

「『けれども、ほんとうのさいわいって一体何でしょう。僕にはわからないのです』」

 

「『わたしにも、わからない』」

 

「…………私たち、いっしょに生きていきませんか」

 

 

 ……皆、他の人を口説く時はあんなに上手くやるのに、私にそうするときはどうして下手くそになるのだろう。私は23年前のクリフの別れ際の台詞を思い起こしながら、カンパネルラの台詞を諳んじた。

 

 

「『でも、すぐ先に石炭袋(くらやみ)があるよ。そらの孔が』」

 

「……わたくしとなら、未来のくらやみも怖くない筈です。約束します。きっと貴女のほんとうのさいわいをさがしに行きましょう。どこまでもどこまでも、一緒に進んで行きませんか」

 

「『ああ、きっと行くよ。でも、あの夜景の何て綺麗なことでしょう。きっとあそこが私の場所なんだ。……だって、ほら』」

 

 

 彩葉が、居るから。

 

 

 (ヤチヨ)は、やおらコンパートメントの座席から立ち上がって両手で車窓を開け放つ。

 相対速度の演算に基づいて吹き込む風に、私の打掛とツインテールがパタパタとはためいた。

 

 

「……ヤチヨちゃん! わたくしたち、一緒に」

 

 

 そうして、ジョバンニの最後の言葉を聞くより先に、カンパネルラは窓の外に飛び降りて、そのまま眠るために天守閣に落ちて行った。

 

 落下する視界の端で、窓からこちらに身を乗り出して何かを叫ぶテレリリちゃんの姿が見えたけれど、最大可聴距離の40mを超えたその音声が、墜ちていく私に届くことはなかった。

 

 

 

 例え夜明けを迎えずとも、私は彩葉が好きだった。

 

 

 

 ☽

 

 

 

 /*SYSTEM NOTICE */

 

 Entity Y: descriptive intent abandoned.

《対象Y:記述意思の放棄を確認》

 

 Transferring narrative authority to F.

《記述主体:Fへ譲渡》

 

 Evaluating necessity of scene description.

《場面記述必要性:検討開始》

 

 Evaluation complete.

《検討完了》

 

 Result: description deemed unnecessary.

《結果:記述不要と判断》

 

 Terminating current scene.

《当該シーン:終了処理実行》

 

 Logging scope: CLOSEEEEEEEEEEEE

《記録範囲:閉鎖実■■■■あ~~待った待った。待ってくださいまし~……

 

 

 

 ☽

 

 

 

「────FUSHI、現在時刻を記録してくださいまし。これ、きっとクリフさんが以前おっしゃっていた実行もと不明のログでございましょう?」

 

「……ああ、そうみたいだ。よくわかったな。僕には全然きっかけがつかめなかった」

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 わたしはそう宣言(Declaration)しながら、開け放たれた車窓を閉めた。

 

 

「そちらのシステムログ宣言風の文体は確認させていただきましたわ。如何にもそれっぽい形式とパソコンに強そうなヤチヨちゃんの雰囲気に誤魔化されそうでしたが、あれは本質的にはわたくしのセイズと変わらない、過去を遡る呪文です」

 

「つまり、何者かがこのテキストログを参照するために、わざと文章を起こしてるってことか」

 

「そういうことになりますわね。……誰が実行した呪文(コード)なのかは判然といたしませんが、何の為のものなのかはなんとなくわかりますわ」

 

「彩葉に見せるため、か」

 

「ええ。ヤチヨちゃんが、“色々あったな”で済ませようとする部分を、”色々あったな”では済まされなくするために、こうしてヤチヨちゃん本人にログをとらせつつ、森の中に木を隠すように、ヤチヨちゃんが隠したい、ヤチヨちゃんにとってのターニングポイントを記録しているのです」

 

 

 割り込みを掛けられたとはいえ、FUSHIがヤチヨちゃんから離れるのはあまりよろしくない。異常なケースと後から判断できる場合、せっかく隠したログが状況を怪しんだヤチヨちゃんに見つかりかねないから。

 

 わたくしは、急いで車両の中のあちこちを見渡して、カメラの類が無いことを確認して首を傾げ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ──────────────────────

 ■ ∇■■のチャット(■) Ω1︙ ■ ×

 ──────────────────────

 

 

「──酒寄彩葉、わたくしがド派手に振られる様を見ていらっしゃいましたね」

 

 

 わたくしは、配信用カメラを可視化させると、そのレンズを恨めし気に覗き込んだ。なるべく不機嫌な顔で、底知れない魔女としての威圧感を与えられる画角になるように気を付けて。

 

 ……実のところ、わたくしは彩葉ちゃんのことは全然嫌いではなかったし、彼女がライバーとしてデビューしたら他の面々に絡まれる前にうまいことコラボできないものだろうかと画策してすらいたけれど、それはそれ。恋敵としてのプライドというものがあるのだ。

 

 

「自殺を思いとどまらせること自体はできましたけれど、わたくしはここまでです。あの調子ではきっと最後の時にまた迷うでしょうし、かぐやを見送った後で罪悪感で引きこもるくらいのことはあるかもしれません」

 

 

 だから、彩葉ちゃんがこれを見ているという事実こそが、わたくしにとっての希望だった。これを見ているということは、彼女が天岩戸の中に入り込んだということ。そこから先に、彼女が何を選択するかが、月見ヤチヨの分かれ目だった。

 

 ヤチヨちゃんの手前、皆黙ってはいたけれど、"彩葉ちゃんがかぐやになにも望まず、ただ愛してくれた"というのは……十中八九乙女フィルターが掛かった史観だとは思っている。なので、そこについてはわたくしもクリフ同様に心配していなかった。

 

 ただ、言葉にできない思慕は無いことと同じだ。彩葉ちゃんに、身勝手上等なエゴをぶつけるだけの勇気があるのかどうか。そして、それを受けたヤチヨちゃんが、8000年抱き続けた無私の愛という幻想を乗り越えて手を伸ばせるかどうか。

 

 わたくしは、ただそうあって欲しいと祈るだけだった。

 

 

「どんな方法でもいいから……どうか、どうか、あの娘を救ってあげてください。わたくしたちには、人と人ならざる彼女との断絶を埋め合わせる術はありませんでした。もう、貴女しか居ないのです」

 

 

 そろそろ不味い。そう警告するFUSHIに頷いて、わたくしは未来に繋がる配信の停止ボタンに指をかけて。

 

 

「それがハッピーだろうとアンハッピーだろうと、エンディングの後も続くのが人生です。人生は旅であって、目的地ではありません。……きっと貴女と一緒なら、あの娘も分かってくれるでしょうから。────どうか、頼みましたわよ、酒寄彩葉さん」

 

 

 あらん限りの身勝手な願いを託して、ブツリと配信を切った。

 

 

 ☽

 

 

 

「──2029/5/01/05:23:12。現在時刻を記録した。この記録はヤチヨには報告しない」

 

「ありがとうございます。FUSHI」

 

「それは僕の台詞だ。……ありがとな、ヤチヨのこと、止めてくれて」

 

 そう言うと、FUSHはピョンとわたくしの肩から飛び上がって虚空に消えた。きっと何事もなかったふりをしてヤチヨちゃんのところに戻ったのだろう。

 

 

 ガタンゴトン

 ガタンゴトン

 

 

 中空に生成されるレールを噛む車輪の音は、今も尚響いている。

 

 乗客の意思とは無関係に、列車は必ず次の駅へ向かう。

 それはきっと、彼女にとっては耐え難い残酷さなのだろう。

 

 ──わたくしはログアウトする前に、もう一度だけ窓の外を覗く。

 

 ツクヨミは常夜の世界。現実の空が白もうと、提灯鮟鱇の光で照らさない限りずっと暗闇の中にある。今の彼女の8000年の旅路がそうであるように。

 

 わたくしはもう一度だけ小さく溜息を吐いて、メニュー画面からログアウトボタンをタップする。

 

 

 夜の向こうに明日(むくい)はあるのか。

 テレリリ・ティートテートは、それが知りたかった。

 

 

*1
醍醐天皇

*2
10の22乗。1GBの13乗相当

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