それに伴って、当SSの彩葉の誕生日を4/30から5/11に修正しました。そこまで外していなくて助かりました。
「かぐや、どうしたの?」
──指が、動かない。
「怖いの? 大丈夫、何にも怖いことなんてないよ。……それとも、私に飽きちゃった?」
「ち、違っ…………!!!」
指先に伝わる熱の価値が変わったことなんてない。断じて。
なのにどうしてこの指が動かないのか、私には全然わからなかった。
『貴女が貴女の願いを果たせるなら、貴女が輝く未来に想いを託せるなら……貴女が貴女のまま笑っていてくれるなら、それでいいと思ったんです』
違う……
『私は、私を貴女に委ねる。 ──クイーン、
違う……!
「違う…………!!! 違うの彩葉!
「そうなんだ。良かった。8000年も前のことだし、惰性だったんじゃないかって心配だったんだ……でも、それならどうして手が止まってるの?」
「それは……!」
グランドピアノの屋根の上。仰向けの体勢のまま覆いかぶさる私を見つめる彩葉はずっと変わらず穏やかな微笑みのままで、だけど私に無思考を許さなかった。
「”それは”……何? その先が聞きたいな。別に、コミュニケーションの方法は一つじゃないけどね」
彩葉は、自分の胸の上に乗った私の指を優しく撫でる。それは、押すか引くかのどちらも示唆せず、ただ選択することを迫るためのもの。
私は、どちらかであって欲しかった。そのどちらでも、彩葉の望むものであれば、私は迷わず選択できる。
私は正解がどちらなのかを探るために、祈るように、縋るように彩葉の表情を探るけれど、彩葉は優しく微笑むだけだった。あの頃から何も変わらずに、今までもずっとそうであったように、私の選択を優しく見守ってくれている。
「彩葉、
彩葉は、私を
だとすれば、本当にそれが大切なものでなくなるように、どうでもいいものとして切り捨てられるように翻案するだけなのだろう。それがなくなることはない。……ただ、色褪せるだけで。
「
ならば、それこそが私の望むものの筈だった。私は、月見ヤチヨとしての記録を維持したまま、かぐやとして振る舞うことができるようになる。それは、去年私が考えた、私のログをかぐやに手渡した結果として想定されるかぐやの在り方そのものだった。
何の問題もない筈だった。
なのに、なんで。
「なんで……なんで、動かないの……?」
私の指は震えるばかりで、ちっとも動いてくれなかった。
テレリリちゃんが、クリフが、朝日くんたちが、オタ公ちゃんが……基くんが、花ちゃんが、篝ちゃんが……お淀さんが、敦忠くんが……そして、芦花と真実が、今まで出逢って、私を置いて去っていった幾十幾百の友達や、これから私を置いて去っていくであろう幾人もの友達との思い出が何故だか無数に脳裏に再生されて、それらが呪いとなって私の指を鎖しているようだった。
私は、泣きそうになりながら彩葉の顔を見る。
失望されるのが怖かった。私の言葉が嘘だったんじゃないかって思われるのが怖かった。
だけど、彩葉は優しく微笑んだままで。
そして、その口から告げられた言葉は、私の恐れの全てよりも尚恐ろしいものだった。
「……もし、
「……え?」
彩葉が何を言っているのか、私は本気で分からなかった。
なんで、そんなことを言うんだろう。
いったいどこが喜ばしいことだっていうんだろう。
「もしそうだとしたら、
彩葉が私を
見捨てられる。彩葉に、置いて行かれる。私がそうされてきたように、私がそうしてきたように、”寂しいけど”なんて一言に全部詰め込んで、別の列車に乗ってしまう。
「彩葉……!
私は、今の自分がかぐやの格好をしているのか、ヤチヨの格好をしているのかを確認するのが怖かった。だから私は私の指を優しく撫で続ける彩葉の指を掴んで、なるべく自分の視界に入る余地がない位置に……自分の膝上の……スカートの裾のあたりに持っていった。
「彩葉、
愛は与えるもので、望まないものだ。私は彩葉からそう教わって、そうあってくれたことが嬉しくって、だからずっと皆にそうしてきた。彩葉の愛を追認することで、私はここまで歩んできた。だから、なのに……
悲しみと混乱と焦燥と期待でぐちゃぐちゃになった感情のまま、悲鳴のように叫ぶ私の必死な懇願に、彩葉は少し目を見開いて────
「────それが、かぐやの望みなら、いいよ」
また、私に優しく微笑んでみせた。
「あ…………」
私は、その貌の残酷さに言葉を失った。
──職人さんが丹精込めて作った薔薇の造花のような、彩葉の作り笑顔が嫌いだった。
自分のためでなく誰かのために笑う彩葉の笑顔は、それを向ける私への混じり気のない無私の愛に満ちていて……私はずっと、そこに彩葉自身の私への望みを探していたから。
彩葉に望んでほしかった。
ここに居て
そして、それは。
『…………卑怯な方です、貴女は』
それはきっと、大切な皆が私に望んで諦めたことだったのだと、私は今になってようやく気が付いたのだった。
──そっか。だから皆、ヘタクソな告白しかしてくれなかったんだ。
優しい彩葉は鏡のように、私の身勝手な望みを映すだけだ。私が彩葉に『私に望んで欲しい』と欲すれば、彩葉はその通りに応えてくれる。そこに彩葉の望みなんてない。ただ、鏡越しに私の醜い欲望が映るばかりだ。
私は、スカートの裾の……私の太腿にあてがっていた彩葉の手をそっとそこから外した。だけど、彩葉の手が……連弾を終えた時からずっと私の手に触れていた手を離すこともできずに、私はその手に縋って指を這わせてしまう。
「…………彩葉、ごめん。
そうして私は、完全なデッドロックに陥ってしまった。
皆との思い出に泥を塗ることは……
さりとて、彩葉の指を放すことも全然できなかった。彩葉の提案を拒否したのに、一途であることを証明できなかったのに、それでも彩葉の上に何かを置こうなんて、考えることすらできなかったから。
「何が駄目なの?」
「
「……そっか」
彩葉の抱擁によって引っ込んだはずの涙が、再び私の眦から溢れ出す。それは私自身への失望の涙だ。何もかも手遅れだった。この優しいだけの夢は、冷たい現実よりも尚惨たらしかった。早く夢から醒めたかった。かぐやの来訪と共に始まって終わる残された二か月とともに、泡となって消えてしまいたかった。
「ごめんね、彩葉、ごめんなさい。
私は、自分の
「そういうの、可愛いけど……あんまり私を舐めないでよね」
「へ……?」
彩葉は、自身の左手に縋りつくように這わせる私の右手をパシッっと振り払って、どうしようもなくなってただ涙を流すしかできない私の顔を両の手にそっと宛がって、引き寄せて……
私の唇を、その唇で塞いだ。
…………?
それは、さっき私の指先に伝わってきた熱よりずっと儚く淡い熱で、それでも私の思考は一瞬で臨界点を突破してメルトダウンした。
…………???
一秒、二秒、三秒。
数秒だけの、或いは永遠にも思える時間が過ぎて。
彩葉は殺生石のように完全に固まって思考を停止させる私の顔を押し上げるようにして唇を離し、自分の唇をペロリと舐めた。
────?????????????????
な、何が、いったい何が……????
如何にスリープモード中とはいえ、それでもCPU換算で10^8コア/10^16スレッドに相当する私の思考回路が完全にフリーズした様を見た彩葉は、
「…………くっ」
堪えきれないと言わんばかりに、ケラケラと笑い始めた。
「い、彩葉……?」
またしても彩葉の急襲によって涙を引っ込めさせられた私は、オロオロしながら笑い続ける彩葉を見つめる他なかった。
ひとしきり笑った彩葉は、今度は真っすぐに私の瞳を見つめて晴れやかな笑顔で一言。
「意気地なし」
「う゛っ……!」
彩葉は、特大の言葉の刃物で私を突き刺したのだった。
☾/☽
「ごめんね、かぐや。試し行為、しちゃった」
──でも、かぐやも悪いんだよ? と、彩葉は言う。
「かぐや、自分のダメなところは一切合切マスクするくせに、
「そ、それは! 彩葉がダメだって否定してるだけで、彩葉にダメなところなんて一つもないからで!! ……その、私は、全部好きだから!!!」
後ろめたさを隠すために言い募る私を前に、彩葉はパタパタと手を振ってそれを止めた。
「はいはい、わかってるよ。私はあなたの妄想だから。…………でもね、それって、かぐやだけだと思うの?」
「え……?」
彩葉は、よく分からないことを言って私の頬を撫でる。その指先からは、さっきと違って選択を迫る残酷さは感じない。ただそうしたいからそうしているだけな風だった。
「さっき、かぐやはかぐやの友達の皆の思いに共感して、私にリビドーさせようとするのを止めたでしょ? 私が、あの人たちと違うと思うの? あの人たちと同じように、自分の言葉を隠匿してなかったと思うの?」
「それは……わかんないよ。だって彩葉は特別だし、私はそういう彩葉が好きだったから」
彩葉は、私に何も望まなかった。もし、何かを想ったのだとしても、それを口に出さなかった。
彩葉が風邪を引いて倒れた時のことを思い出す。それと、夏祭りの花火大会のことも。
彩葉は「かぐやには分からないよ」と言いかけてから、それを飲み込んだ。他者とは本質的に分かり合えないと知ってなお、歩み寄ろうとするかぐやの努力を否定しないために。
沈黙もまた回答だと、私はその時知った。飲み込むこと。受け入れること。ただ抱きしめること。それこそが愛すべき彩葉の愛のカタチなのだと、その時理解したのだ。
「"そういう
彩葉は、私の幾度目かになるか分からないラブコールを衒い無く受け止め……ることはせず、苦しげにそれを反芻した。
「彩葉……? 私、やっぱり重いかな……」
「…………? ああ、いや、そういうことじゃなくってね。子は親に似るものと思っただけ。酒寄家の再生産だよね、これ」
──そういう想いだけはさせないように、ずっと気をつけていた筈なのにね。
そう言って笑う彩葉の顔は、鏡で見たように欠けたリグレットに満ちていた。
今の私はまだその表情の意味を理解できない。だけど、彩葉にその表情をさせてしまった自分が許せなくて、訳も分からないまま反駁する。
「私は! 彩葉のこと、ずっと好きだよ!」
「私も、お母さんのこと、ずっと好きだったよ」
「彩葉を置いて遠くの街になんて……!」
「遠くの────何だって?」
「…………ごめんなさい」
「いいよ。お互い様ってことで」
「彩葉に、悪いとこなんてないよ。私が認めない」
「だとすれば、そう思わせちゃってることが悪いことなのかな」
「意味、わかんない」
「かぐやには
彩葉は、私の頬に添えたままだった手を上にずらして、子供にそうするように私の頭を撫でた。
「私たちはお互いに至らないことがあった。お互いに優柔不断で悪いやつだった。だけど、そんなの生きてれば当たり前のことだし、リカバリは効くよ。だって約束の2ヶ月は、これから始まるんだから」
彩葉は、両の腕を私の頭から離すと、上半身を起こして上に覆いかぶさっていた私をそのまま再度抱きすくめた。
感情の限界アップダウンを幾度も幾度も繰り返した私はもうすっかりこの程度の接触には動じなくなって、ただ甘えるように彩葉に寄りかかる。
彩葉は、ピアノを靴で傷つけないように気を付けながら、その屋根の上に──私はさらにその上の彩葉の膝の上に──対面で座っていた。
「見て」
彩葉に促されて、ピアノの縁から下に垂らされた彩葉の足の下を……地面を見る。
タイルが敷き詰められているはずの足元は漆黒のくらやみで、だけどそこには一筋の光条が走っていた。それは不規則に明滅しながら輝ける尾を引いて、どこかを目指して飛んでいるように見えた。
「────そっか。あれが私なんだ」
「そうだよ……ここは、スリープモードのかぐやの無意識が織り上げる逆様の夢の世界。観測可能な
私は、彩葉と一緒にその光を暫くじっと眺めていた。
夢から醒めれば、きっと私はキラウエアのTMT望遠鏡を含むアクセス可能なすべての天文台を使ってあの光を観測することで、かぐやの軌道と時間座標を2030年7月12日の彩葉のボロアパート周辺に固定する作業に戻るのだろう。
この夢は、最終調整の合間に行われる十数秒のリブートの最中に行う現実逃避でしかないのだから。
「いよいよ、かぐやと彩葉の物語が始まっちゃうんだね」
「違うよ。
彩葉は、感傷に満ちた私の独白をきっぱりと断ち切った。
「期間は二か月。二人が出会って別れるまでの花火みたいに輝かしい時間。そして、私の目の前に居るあんた
何を言っているのか分からなかった。この物語はかぐやと彩葉の為の物語だ。だってどんな理由を後付けしようとも、私の知る限り
「戦うって……何と? 私、誰を倒せばいいの? そうすれば、ハッピーエンドになるの?」
彩葉は、
「それは自分で見つけないとダメ。時間は短いよ。時は流れ星みたいに一瞬で過ぎ去って、瞬く光は一瞬で消えるの。だから走って答えを見つけて。明確なものじゃなくてもいいから、答え合わせの時にきちんと何かを望めるようにね」
「彩葉……? 何を言ってるの……?」
気が付けば、誰も居ない電気街の十字路も、その周囲の建物も消えていた。ピアノと、ピアノチェアと、くらやみを奔る流れ星と、私と彩葉だけがそこにあった。
幸せな夢の終わりが近づいていた。
「この物語のラスボスは、敗北でも、挫折でも、ましてや絶望なんかじゃない。あんたが倒すべきものは、もっと小さくて、もっと大きな相手。きっとあんたにとっては凄く手ごわい相手だけど、倒せるって信じてる」
彩葉は、迫りくる刻限に焦るように、必死に何かを伝えよう捲し立てた。
「あんたは目覚めればこの夢の中の出来事を忘れちゃうだろうけど、予感になって行く先を照らしてくれる。私がそうして見せる。勝利条件は気付くこと。
「あっ…………ちょちょ、ちょっと待ってよ彩葉!」
彩葉は、胸に寄りかかる私を押して、ピアノの屋根の上から降ろそうとする。
この眼下のくらやみに飛び込めば現実に目覚めるのだと、私はなんとなくわかった。
しかし、そうは問屋が卸さない。私は慌ててお別れムード全開の彩葉にしがみついた。
「何……? もう話せることは全部話したよ。時間がないんだから、はやくかぐやを送電塔に誘導する準備に戻って」
「そりゃそうだけどさ……この彩葉とは
「…………あんたね」
言うや否や、私は少し彩葉の顔から顔を離して、目を閉じて、平時から30°顎を前に出して僅かに背を丸めて上目遣いの構図になり、両の手を胸の前で祈るように組んで、完璧なキス待ちの構えを取る。現実ではなかなか起こり得ない光源も計算に入れた、彩葉の唇を私の唇で受け止める完璧な体勢だった。
「ん~~~~~~……」
そのままマジになられてしまうと夢から永遠に醒めたくなくなってしまう危険性が否めないので、多少コミカルに鼻を鳴らすことも忘れない。きっとこのちょっと大人な雰囲気の彩葉なら、お別れのキスを贐に私を現実に送り出してくれるだろう、と……
……そう思ったのに、彩葉からの優しいキスはやってこなかった。
デートDVだろうか?
「……彩葉?」
私はキス待ちの姿勢は維持したまま薄目を開けて彩葉の様子を確認しようとして……仰天した。
「…………かぐや、その……ふざけてないで、早く行って。時間、ないから」
「…………嘘でしょ?」
──果たして彩葉は、あからさまに照れていた。
さっきの、模倣子によって自己の全てを構成する私にとっては殆ど交合そのものだった連弾や、その後の天魔もかくやという誘惑に比べれば児戯にも等しい私のキス待ちの構えに対して……彩葉は、仄暗い闇の中でもわかるくらいに顔を耳まで赤くして、私から目を逸らしていた。
「ちょっと彩葉、
幾らなんでもメロすぎる。
つまり、私を誘惑している間も、内心ずっとこうだった可能性があるということだった。
……流石に冗談がキツい。抱かないという選択肢が見当たらなかった。
私はもう、さっきの葛藤がなんだったのかというくらいの勢いで彩葉の肩を掴んで引き寄せようとして……
「……はいラストオーダー終了。お客さま一名お帰りです。会計はセルフレジにてお願いします」
トンッと彩葉にピアノ下の奈落に突き落とされた。
「そ、そんなぁ~!! ご無体な~~~~!!!」
そうして
QuelI- >{
EX[ᛚᛁᚲ]-> {ᚺᚢᛗᛁ ᚠ ᛁᚱᛟᚺᚨ & ᛁᚺ}
=>EX[ᛖᛏᚱ]-> {ᛁᚱᛟᚺᚨ ᚠ ᚺᚢᛗᛁ ᚠ ᚷᚱᚨᚢ ᛊᛁᛖᚲ} ;
-{ᛁᚱᛟᚺᚨ
} ->ExeC-> {ᛞᚹ} ;
《心を静めて。貴女と私の心を繋いで、その深淵に潜りましょう》
「FUSHI、居るんでしょ?」
「ああ」
/* SYSTEM NOTICE */
ᛉᛖᛋᛏ 0x100010100010 >>>> ᛋᛁᛖᚲ ᛗᛖᚨ.
《大切なあなたと互いに変換する》
FORCE_OVERRIDE :: NARRATIVE_AUTHORITY => ᛁᚱᛟᚺᚨ
《記述権限:オーバーライド》
ALL SUBSEQUENT LOGS WILL BE WRITTEN BY "ᛁᚱᛟᚺᚨ"
《ここからは私が記述するから》
/* ᛁᚾᛏᛖᚱᚾᚨᛚ ᛈᚱᛟᚲᛖᛋᛋ ᚨᚲᛏᛁᚢᛖ */
夢の中の話はあと一話だけ続きます。始まり始まる詐欺みたいになってしまい申し訳ありませんが、引き続き付き合っていただければ幸いです。次回で諸々の伏線を回収して前提条件の全てを提示したら、今度こそ本編に入ります。