ハッピー『エンド』じゃ終われない   作:雑Karma

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タイトルとあらすじを二部を踏まえた内容に変更しました。
改めてよろしくお願いします。


【断章Ⅳ】 夢主ちゃんがいろPに失恋する話

「う~~ん……サビまではイイ感じな気がするんだけども……」

 

 

 私は橋の欄干によりかかりながら、目の前に浮かべた窓とにらめっこしていた。

 

 そこに表示されているのはDAW(作曲ツール)のアレンジメント・ビュー*1

 

 私は今まさに作曲活動の真っ最中だった。

 

 

『YACHIYO CUPっていうのを開催するよ!』

 

 

 先日のヤチヨの定例ミニライブで突然告知されたビッグイベントに触発された私は、今まで細々と趣味で続けていた趣味の作曲アカウントを突貫工事でイベント参加者スタイルにリニューアルして、アカウント名もきちんとしたものに変えて、作りかけだった曲を新規ユーザー獲得のためのベストシングルにすべく試行錯誤していた。

 

 

「でもな~~……」

 

 

 波形は正直だ。

 

 モニターの中で整然と並んだクリップたちは、今の私が何を考えているのかを隠してくれない。Ableton Live*2のアレンジメントビューは、作曲者の脳味噌をそのまま可視化する装置だ。少なくとも私にはそう見える。

 

 八小節。イントロはできている。

 

 十六小節。Aメロも悪くない。

 

 三十二小節。サビも、それなりではあった。

 

 問題はその先だ。

 

 再生ボタンを押す。Analogで作ったパッドが空間を満たし、Serumのリードが旋律をなぞる。ピアノがコードを補強し、キックとベースが土台を支える。

 

 音は鳴っている。確かに鳴っている。それは今のトレンドに則ったいかにも打ち込みっぽいコード進行で、それらしいメロディーを奏でている。

 

 だけど、『楽曲』になっているとは言い難かった。

 

 

「煮詰まってるな……」

 

 

 こういう時はなにをやっても駄目だ。私は頭を振って、リフレッシュするために意識を作曲スペースから周囲の喧騒へと引き剥がした。

 

 目の前に広がるのは、月光に照らされたサンゴ礁めいて煌びやかなツクヨミの第一層。二つの橋が上下で交差する、京都の名所を模した、通称『五条橋』。

 

 ここは、昔ヤチヨさんが配信で取り上げてからずっと新人の売り出しの場所として有名で……ヤチヨCUPが始まったここ数日の間は、これを機に自分を売り出そうとする活き良い新人ライバーたちと、新たなスターの誕生を垣間見んと集うユーザーでいつも以上に賑わっている。

 

 ツクヨミのユーザーは皆目が肥えているから、有望な新人が居ればすぐに話題になるし、そういう新人をピックアップすることに生きがいを見出すオタ公さんみたいな人も多い。

 

 強い星の輝きを見たのなら、ここに足繁く通うユーザーたちなら必ず話題にする。

 

 そうして耳を澄ましてみれば……

 

 

「なぁ、かぐやちゃんの橋上ライブ、生で見れたってマ?」

 

「あたりまえ。サインももらったし。ツーショもしてもらった」

 

「俺がお前に紹介してやったんだが!? くぅ~~許せね~~~~!!」

 

 

 ほら、やっぱり。

 

 

「かぐやちゃん、ライブにしても企画にしても全部突発でやるからスケジュール全然読めないかんね。愛と徳ふじゅ~の貯蓄が問われるってワケ。思いついた順にやってくって感じが"良さ"だよね~……」

 

「そうなんだよな……新人特有の方向性の模索ってより、性格が新人がやるべきこととマッチしてるっていうか……って、だから何でオメーが俺より分り手面してんだよ!」

 

 

 元々私がここに来たのは、一昨日くらいから……或いは、ヤチヨCUPの開催が宣言された直後から話題に上がっていた活きのいい素敵な新人『かぐや』ちゃんから、作曲のエネルギーとインスピレーションをもらおうと目論んだからだった。

 

 

「一日二日の違いでイキんなつーの。ツーショの分だけわかり度が違うんだよねやっぱ……でも、今日は居ないか。なんか別企画の準備中なんかな? SNSでなんか告知してる?」

 

「いや~……各種全部通知来るようにしてるけどどこにも……あ、今なんか上がった!」

 

「どれどれ……お~~パエリアだ。美味そう。かぐやちゃんみたいな娘が料理上手なのも良さだよねぇ……」

 

 

 かぐやちゃん。

 

 有望株の発掘を趣味にしている人。そうでなくても、多少アンテナの高い人ならすでに名前を知っている新人ライバー。

 

 すっごいクオリティの自己紹介を兼ねたリリックのオリジナル曲と、素敵な振り付けのダンス。新人デビューに際して必要な要件を十二分に満たした武器を引っ提げてツクヨミの海原に飛び込んだかぐやちゃん。

 

 彼女はその鮮烈でキュートな振る舞いで、月見ヤチヨという大堡礁が作り出す絢爛極まるサンゴ礁に慣らされたせいで目がでっぷりと肥えたツクヨミユーザーを魅了していた。

 

 

 ヤチヨCUP開催宣言と、間髪入れずに行われた黒鬼の面々による参加宣言。その観客のボルテージが最高に高まったタイミングで、それを引き裂くように重ねられたもう一つの宣言に、何かの予感を感じた人はそれなりに居た。

 

 かくいう私もその一人だ。

 

 だから、あのステージで告げられた「かぐや」という名前を、次の日にそれとなく調べてみて。

 

 とんでもない不協和音と、味のあるタッチのイラストと、その直後に一瞬だけ映ったとんでもない美貌の金髪の女の子の顔バレというジェットストリームアタックによって宇宙を垣間見た猫の顔にさせられて。

 

 その情報を頭が処理しきる前、初動画公開から数時間と間を置かずに始まった第二回配信。いったい何を見ることになるのかと戦々恐々としていたら、髪色と同じハニーゴールドのロップイヤーのウサギ耳と鮮やかな橙のオフショル和装というツクヨミのドレスコードに則ったスキンと、初配信で一瞬だけ映ったリアルの顔とほとんど変わらない、人智を超えた可愛さの顔配信用live2Dを備えて現れた。

 

 さらには最初の聞いているだけで発狂しそうになる不協和音のジングルはなんだったのかというくらいきちんとした、オリジナル音源のジングルが後ろでなっているときたものだ。

 

 本当になんだったんだ初配信。

 

 

「『いろPのリクエスト! 今、魚介がアツい! 一緒に明日のスープの仕込みも頑張るぞい!』……こりゃしばらくはお料理タイムみあるな」

 

「これ以上の更新はしばらくなさそうだね。お料理風景も配信してくれないかな~~……目論見消えちゃったけど、これからどうする?」

 

「せやな……かぐやちゃんほどのビッグスターは出ないだろうけど、新人の売り出しタイムなのは変わらんべ。地上の星を探しに行こうぜ。運が良ければイベント終わってから古参面できるかもしれん」

 

「たまたまかぐやちゃんの初ファーストライブ見れたからって第二のオタ公ちゃん気取りやめてね。そもそもアンタが見に行ったのもオタ公ちゃんの投稿に飛んでったからでしょうが……ま、いいけど。……それじゃ、橋の周り巡ってみよっか」

 

 

 残念なことに今日のこの時間は居なさそうだったので、「もしかしたら来てくれないかな」という期待と、「今更いつもの作業スペースに行くのもなぁ」というものぐささからここに居座っているというのが私の現状だった。

 

 

 再びウィンドウに目を戻せば、変わらない問題たちが整列していた。

 

 音作りが悪い訳じゃない。そんなものは優秀なプラグインを入れて不要な帯域を処理するだけでそれなりのものは出来上がる。

 

 

「結局、どこに行きたいのか分かんないのが問題なんだよな……」

 

 

 この曲は、湯船に浸かっている時に振ってきた天啓じみたメロディを勢いで急いで打ち込んだものだった。そこにコードを付けて、ドラムとベースを乗せてそれっぽい骨組みを創っただけ。

 

 だから出発点(スタート)だけがあって目的地(ゴール)がない。

「なんか良いな」という感覚だけがあって、そこから先が思いつかない。

 

 

「こりゃお蔵入りコースな可能性あるな……一から作り直すとヤチヨCUP中には間に合わんし、どうにか形にしたいけど」

 

 

 いい加減悩むことにも飽きて、ログアウトして寝ようかなと思った矢先のことだった。

 

 

「……なんか違うんだよな」

 

 

 意識が外向きになった瞬間、その独白を聞き取ることができたのは、奇跡だった。

 

 

「生演奏前提だと、もうちょいコンパクトに盛り上がる音を足さないとサマにならないっつーか……」

 

「……え?」

 

 

 私が寄りかかる五条橋の赤い欄干。その50cmほど横。そこには、おそらくプライベート表示にしたウィンドウをさっきまでの私と同じように睨みながら、水色のショルダーキーボードを抱いてなにやら呟いている女の子が居た。

 

 

「そもそも、エイブルトンのDAW触るの自体数年ぶりなんだが? バージョンアップしすぎてUIが訳わからん。クリップどうやってループするの……?」

 

 

 間違いない。私と同じ作曲家(コンポーザー)。しかも、多分使っているソフトまで同じだ。

 

 天啓その2、到来だった。

 コンポーザーはこういうチャンスを逃さない。

 

 

「あ、あの……! つかってるDAW、Ableton Liveだよね……!?」

 

「──へ? は、はい。そうですけど……」

 

 

 彼女はきっと、作曲に行き詰まって沼にズブズブ沈みつつある私にヤチヨ様が垂らしてくださった蜘蛛の糸に違いない! 

 

 煮詰まり切ってテンションがおかしくなっていた私は、その時はそう確信していた。

 

 

「私! 丁度今そのソフトで作曲してて!! 何かの縁ですし、分からないことがあったらお教えしましょうか……!?」

 

「え、えええっ? ……いや、私は…………はい、ご迷惑じゃなければ、是非……」

 

 

 やった! 

 

 私は内心でガッツポーズして、目の前で私の勢いに押されて思わず頷いてしまったという風の彼女……狐耳に水色のパーカーの上から紺色のミニスカ着物を纏って、アクセントに大きなベルトでそれらを纏めた、かなりのオシャレさんなコーデの女の子……プレイヤーネーム:いろちゃんをナンパすることに成功したのだった。

 

 

 

 ■

 

 

 

「……なるほど。あの、今の部分、もう一回聞かせてもらっていいですか?」

「うん、お願い……共同編集モードにするから、いろちゃんが好きに弄っていいよ」

「いいんですか?」

「勿論! ……でも、全消しは流石に勘弁ね」

 

 

『お教えしましょうか』なんて。

 偉そうな口を利いた私だけど、いろちゃんは単にバージョンアップで変更されたUIの配置に戸惑っていただけで、編曲のアイデア自体はもう頭の中にあったみたいで。

 

 

『それじゃ、こんなもんでいっか。────うん、良い感じ』

 

 

 見せてもらった画面の中で、いろちゃんが望む機能が割り振られたボタンの位置を私が教えてあげると、ちゃちゃっと凄い速度でタスクを完了させてしまった。

 

 

『楽曲自体は自作のがあったんですけど、こういう路上ライブみたいなシチュエーションで流すことを想定してなくって……だから、どんな音を足し引きすればいいのか検証したかったんです』

 

 

 いろちゃんはそう語りながら、純粋培養のDTMer(デスクトップミュージック以外で作曲できないし演奏も怪しい)の私とは明らかに違う、ピアノ経験者っぽい柔らかかな手首の動きと指先の強弱(ヴェロシティ)でさらっと修正箇所らしきメロディを奏でてみせた。

 

 ギブアンドテイクで手伝う代わりに作曲のアイデアを貰おうとした私はタジタジになってしまったけど、そんな雰囲気を素早く察知して、『作曲自体が久しぶりなので、もしよかったら先輩の作品から色々学ばせてもらってもいいですか……?』と、完璧な造形の笑顔と一緒にこちらに花を持たせてくれる始末だ。

 

 

 画面をチラ見した限り、素人っぽさのまるでないこなれたクリップの連なり。問題を解決してからの編曲スピードの速さ。明らかにピアノ経験者で、多分そっちもかなりの腕前。

 

 リアルではしがない学生だという自己紹介が私に敬語を外させるためのウソじゃなければ、いろちゃんは十中八九音大生か、音大志望のいいとこのお嬢さんだった。五歳の時から家庭教師にピアノを習って、コンクールで取ったトロフィーをいくつも部屋に飾ってるタイプ。

 

 木っ端コンポーザーの私との基礎の音楽Lvの違いを言動の端々からも感じて、いろちゃんの学生申告と一貫してこちらを立てる振る舞いがなければ多分年下だと察しても私の敬語は抜けなかったに違いない。

 

 

「うん……なるほど、なるほど」

 

 

 そうして私のAメロからサビまでで構成されたトラックを一周聴き終えたいろちゃんは、『素人目線からの印象なので、間違ってたら全然怒って欲しいんですが……』という前置きの後で、私の目を見て一言。

 

 

「この曲、ゴールを考えてませんよね?」

 

 

 ……心臓が止まりそうになった。

 

 私はまだいろちゃんに何も説明していない。これがどんな経緯で作られて、私が何に悩んでいるのかを、何も。

 

 

「なんで分かるの……?」

 

「私も、そうやってゴールが分からないまま……ずっと結論にたどり着けない曲を一つ、抱えてるからです」

 

 

 その洞察力に驚いて、理由を語るときのいろちゃんの語気と表情に混じった翳りに気付けなかったのは、不幸なのか幸いなのか。

 

 私が気分を害したりしていないかどうかを確認したらしいいろちゃんは、再び私の画面に目をやった。

 

 

「サビまでは作れてるんです。感情があるから」

「感情」

「はい。でもその先がない。つまり感情の行き先がないんです」

 

 

 名のあるコンポーザーへのインタビューとかでよく見る、特有の世界観を前提にした表現。抽象的だけど、意味は理解できた。

 

 

「たとえば……失恋の曲なら、最終的に忘れるのか、諦めるのか、執着するのかがあるじゃないですか。ほら、ヤチヨの──」

 

 

 重度の月見ヤチヨフォロワーを自称するいろちゃんは、ヤチヨさんがアルバムをリリースする時に必ず一曲入れる、穏やかな失恋や悲恋をテーマにした楽曲群……通称メリバ枠の曲名をいくつか具体例として挙げた。

 

 

「──みたいな感じで。……でもこの曲にはまだ結論がないんです」

 

 

 結論。

 

 重い言葉だ。

 

 私は(ミクロ)な問題を解いていくことで曲を完成させようとしていたけれど、いろちゃんは物語(マクロ)の問題として考えていて……

 

 私には、たぶんその方が正しいように思えた。

 

 

「……じゃあ、いろちゃんはどうすればいいと思う?」

 

「……そうですね」

 

 

 もはや完全に師に教えを乞う弟子の気分になった私は、先輩と後輩という形式をかなぐり捨てていろちゃんに助けを請うた。

 

 あってないようなものだったプライドを海の藻屑に変え、縋るような情けない表情でいろちゃんを見つめる私を見て、いろちゃんは少し黙ってから口を開いた。

 

 

「──もう一回、聴かせてください」

 

 

 楽曲が再生される。

 

 今度のいろちゃんは目を閉じていた。

 

 波形もトラックも見ずに、ただ音楽だけを聴く。Aメロからサビまでの再生が終わり、Aメロに戻って曲がループする。

 

 私はそれを黙って見守った。気分は教授に論文の第一稿を査読される学生のそれだ。

 

 ループを四回程繰り返した後で、いろちゃんは目を開いて停止ボタンを押した。

 

 

「この曲……」

 

 

 その綺麗なエメラルドグリーンの瞳で画面を眼差して、彼女は静かに言った。

 

 

「ずっと上を向いてますね」

「上?」

「はい」

「どういう意味ですか」

「分からないです」

 

 

 即答である。

 

 

「でも、そう聴こえるんです」

 

 

 名のあるアーティスト気質のコンポーザーによくある、特有の世界観を前提にした論理の飛躍。それは説明にはなっていないけれど、そういうのは往々にして本質をついているものだ。

 

 

「上を向いている曲なら」

 

 

 いろちゃんは私が指を置いていたMIDIキーボードの上に、私の手に自分の手を重ねるようにして指を置いた。

 

 

(……あ)

 

 

 彼女のエメラルドグリーンの瞳が、真剣な表情で画面を覗く様を、私は見た。

 

 ツクヨミには匂いがない筈なのに、私の鼻先を翳めるようにして揺れるボブカットの毛先から、フローラルな香りがした。

 

 ツクヨミには温度もない筈なのに、私の指の上からキーを叩いて音を入力する彼女の指先から仄かなあたたかさを感覚した。

 

 

(ちょっと待って……私、()()()()()じゃない筈なんだけど……!?)

 

 

 突如としてBPMが跳ね上がった心臓のビートに凄まじい戸惑いを覚えて、それが何なのかを定義することから全力で逃げようとした矢先。

 

 

「こんな感じでどうでしょうか」

 

「え……?」

 

 

 しばらくかかると思っていたいろちゃんの仕事は、3分もせずに終わっていた。

 

 私が画面を見ると、そこにはたった四小節分だけ、メロディが追加されていた。

 

 

「これです」

「それだけ?」

「それだけです」

 

 

 私は、さっき自分の胸中に湧いた何かを誤魔化すように、慌ててその部分の少し前から曲を再生してみた。

 

 サビ。そして彼女が入力した部分。

 

 その瞬間、私は思わず息を止めた。

 

 それは技術的には大したことをしていなかったし、難しいフレーズでもなかった。

 

 派手な転調もなければ、超絶技巧もでもない。

 

 だけど、それまで横方向に進んでいた曲が、そこを境に縦方向へ飛び上がった感じがあった。

 

 私を閉じ込めていた天井が消えて、視界が開けて、重力が弱まるような四小節。

 

 

「……どうやって」

 

 

 コンポーザーとしての才能の違いとか、今までの音楽経験の差とか、そういう想像が頭からすっぽ抜けて、私は思わずいろちゃんに質問した。

 

 

「どうやって思いついたの?」

 

「思いついたんじゃなくて、元から曲の中にあったものを偶々見つけたんです」

 

 

 いろちゃんは、お母さんみたいな包容力を感じる優しい微笑みを浮かべながら、画面を指さした。

 

 

「この曲がうらやましいです。行くべき場所がきちんとあって、そこに行きたがってる感じがするから」

 

 

 それは、いわゆるマスターピースというヤツだった。

 

 いろちゃんが加えた四小節によって、私はあんなに迷っていたこの曲のラスサビからアウトロまでの完成図の明確なイメージができるようになっていた。

 

 

「素敵ですね、この曲」

 

 

 私は曲の完成が見えたことへの驚きと喜びと同じくらい、いろちゃんのお母さんみたいに優し気で、どこか届かないものを見るみたいな淡い笑顔が強く印象に残ったのだった。

 

 

 

 ■

 

 

 

「この曲が完成したら、クレジットにいろちゃんの名前、乗せてもいい?」

 

「え……っ? 4小節だけですよ、私の仕事」

 

「量より質だよ質! いろちゃんが居なかったら絶対この曲は完成しなかったんだから、せめて『あなたのおかげです』って標だけでも残させて!」

 

 

 それからいろちゃんとの押し問答の末、なんとか動画の目立たない部分にだけ名前を乗せることを彼女は許してくれた。

 

 この曲がヒットしたときにもっとお礼をしたいからという名目で、半ば勢いで押す形でフレンド申請と連絡先の交換に成功。やったぜ。

 

 普段の数倍の社交性を発揮する私自身に驚きながら、ヤチヨCUPでのお互いの健闘を祈り合う。

 

 そして。

 

 もう時間だからといういろちゃんに、ありがとうとまた会おうねの握手をして……

 

 彼女のログアウト間際に、一つだけ気になっていたことを聞いてみた。

 

 

 ──聞いてしまった。

 

 

「こんなに凄いいろちゃんでもさ、今回の私と同じ風にゴール未定で塩漬けにしてる曲があるんだよね。──それってどんな曲なの?」

 

 

 ──私は、興味本位でその質問をしたことを、今でもずっと後悔している。

 

 

「あの曲は……父との合作()()()曲です。私、全然ダメで、何回もチャレンジしたのに、全然出口がわかりませんでした」

 

 

 だから、貴女の曲がうらやましかったんです。出口を見つけてあげられたから。

 

 

 そう言って微笑むいろちゃんの表情の……今にも泡になって消えてしまいそうな儚さに、私は言葉を失って。

 

 あれから随分経った今でも……もうその必要が無くなった今でも、あの儚さに手向けるべき言葉を、私は持たないままだった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 それからひと月と待たず、私はいろちゃんが誰の曲を編曲していたのかを知ることになる。

 

 その一か月後には、いろちゃんの寂しげな笑顔の真意も知った。きっともう、彼女があんな寂しい顔をすることはもうないだろうということも。

 

 いろちゃんの手助けで完成した曲は私が上げた楽曲の中でも最大の再生数を記録して、いろちゃんがコンポーザーいろPとして知られるようになってから、再生数はその100倍になった。

 

 ありがたいことに私の人気は続いている、今でも。

 

 私はいろちゃん……酒寄彩葉ちゃんとは今もよく連絡を取るし、たまにご飯も食べに行ったり、合作で曲を作るくらいには仲がいいけれど……それでも私の心は十年以上前の、あの橋の上で見た儚い笑顔に取り憑かれていた。かぐやが持って行ってしまったあの笑顔に。

 

 

 これは、始まる前に終わった、名前のない想いを懐古する話だ。

 

 

 私は10年前からずっと、いろP推しのかぐやアンチである。

 

*1
音楽制作ソフト「Ableton Live」に搭載されている、時間軸(タイムライン)に沿って楽曲を構築・編集するための画面のこと

*2
ドイツのAbleton社が開発している音楽制作・パフォーマンス用ソフトウェア(DAW)。作曲やレコーディングの他、直感的なライブパフォーマンスやDJプレイにも使用できるため、多くの音楽シーンでクリエイターに愛用されているツールのひとつ




いいね、感想、ここすき、高評価、いつも本当にありがとうございます。
この話は当初のプロットからすっとあったものの一つなので、ここまでたどり着けて嬉しいです。
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