真球状の不思議な空間。建物と建物の隙間に空いた奇妙な孔の中。
私は柳の幹に腰を下ろして、天から差し込む月の光を受けながら、かぐやのギターと
かぐやは技巧派っぽい演奏をしない。かぐやの学習速度なら多分もうできるはずだけど、速弾きとか、複雑なボイシングとか、そういうものを使わない。
だけど、かぐやがコードを鳴らすたびに、その音の向こう側に景色が見えた。
歌声が天井へ昇っていく。柳が揺れて、空の孔から差し込む月光が枝葉を透かす。
猫が喉を鳴らすみたいに低い歌声。それは、普段のかぐやが私の前では出すことのないトーンだ。
D→Bm→G→D/F#
どこまでもシンプルで、どこにでも行けそうな進行。
でも同時に、どこにも辿り着けない気もする進行だった。
──MoonRiver──
確か、
この曲をかぐやに送った人がどういう意図だったのかは分からないし、これを選んだかぐやがどういう気持ちなのかも分からない。
ただひとつ確かなのは、この歌はかぐやと私をどこかに連れて行く歌ではないってことだ。
鈍い私でも、ここまでくれば『いろPに向かって歌う』ってかぐやの言葉が、勢いの放言な訳じゃなさそうなことくらいは察せる。
今日のかぐやは、言葉にならない何かを言葉にしないことで、私に非言語の想いを伝えようとしているんだと思う。
英語の歌は意味が圧縮されていることが多くて、文脈を踏まえない限りセンテンスそれ自体から意味の全てを読み取ることはできない。
だけど、この歌が前へ進む歌じゃない、ずっと遠くを見つめる歌だということは分かる。もしかしたら、かぐやが時折月を見つめるとき、こんな心境なのかも知れない。
それは、とても綺麗な感情の彩で……如何にもかぐやには似合っていなかった。
────きっとこの時間は今日限りで、もう二度と訪れるものじゃない。
理屈を抜かしてそういう雰囲気を確信した私は、かぐやが伝えようとする言葉未満の情感の意味を読み取ろうと、目を閉じてその調べに耳を澄ませた。
歌が終わって、ゆったりと胸の奥を振動させるようなハミングに合わせた、昔の曲らしい素朴なコードが真横から聞こえてくる。
そこから読み取れるものは……不安、孤独、暗闇、惜別、それから、もしかしたら希望?
その矛盾には憶えがあった。それは、私のものだ。たとえどんなに気が沈んでヘンになっていたとしても、無垢なかぐやが歌えるものじゃない。
どうして、かぐやが"それ"を?
私は思わず調べからかぐやの想いを読み取るのを中断して目を開き、隣のかぐやの顔を見て……少し息を呑んだ。
かぐやの視線は、ギターもスコアも、そして真横でそれを聞き入る私も映してはいなくって、ここではない、どこか遠くを見ているようだった。
懐かしむような、愛おしむような、遠くを想うセピア色の幸福の彩。
………………かぐやらしく、ない。
それに、ここには私しか居ないのに、私を見ないなんてどういう了見だ。そう思ったと同時、私の胸中から急激にムカつきが沸き上がった。
私はそれに身を任せて、なんで自分がそう思っているのかもよく分からないままに鍵盤に再び指をかけて……ショルダーキーボードの内臓エフェクターをピアノからエレキギターに変更した。
────彩葉?
かぐやが探るような流し目で私を見るけど、私は何も返さない。トン、トン、トンと指先でリズムをとって、かぐやの低いハミングの息継ぎのタイミング、その隙間に肩をねじ込むようにして、私は音を割り込ませた。音量もその瞬間だけ設定できる最大まで上げた。威嚇の為だ。私は今、怒っている。
「い、彩葉……!?」
ギャイィィィィン!!!
この11曲を通して出来上がった、しっとりした雰囲気を叩き壊すための雷鳴じみたチョーキング音。突然の強襲に目を白黒させるかぐや。知ったことか。
私はムカつきの赴くままに、今までキーボードとしてしか使っていなかったショルダーキーボード、SHS-500に搭載されたJAM機能*1 のBackingモード*2を起動。関連アプリケーションや接続したDAWなんかもフル活用して、この曲を私の世界に塗り替えようとする。かぐやらしい彩に満ちた世界に。
「いろは、いろは、いきなり激しすぎだよ……! もうちょっと優しく──「黙って」
私はぴしゃりとかぐやを一喝すると、エフェクトセレクターをガチャガチャいじって残響音を足し、マスターボリュームのつまみを調整して音圧を増やして……かぐやのハミングのパートを発声練習がてらに自分で歌い始める。
「────♪」
真横のかぐやが口元を両手で抑えて目を丸くしているけど、気にしない。こっちはイライラしていてそれどころではないのだ。
……よし。上手く声も出せてる。一応音楽の授業とか声楽部のコーラスの助っ人とかに出ても恥ずかしくない程度の喉は保ってるつもりではあるので、かぐやには及ばずともこの瞬間にかぎってはそこまで聞き苦しくない歌声のはず。
私はスマコンの視線入力機能で連動アプリを操作し、JAM演奏キーの割り当てとオンオフを細かく切り替えながらかぐやから主旋律を完全に乗っ取った。
隣のかぐやをちらりと見ると、顔を耳まで真っ赤にして口を両手で抑え、身を僅かにくねらせながら、茫洋とした表情で私の指先を見ていた。…………どういう反応?
歌っている間は喋れないし、演奏しているので腕も使えない。
私は唯一自由なつま先でかぐやの靴先をつついて、『アンタが伴奏して』と急かした。ぼさっとするな。
私は初めて見る表情のかぐやが慌てて伴奏用のコードを弾き始めたのを確認してから、かぐやの代わりに歌を歌い始めた。
私はわざと大きく、朗々とした響きになるようにお腹から発声しながらショルダーキーボードをMIDIと接続し、連動アプリ経由でパーカッションのエフェクトも引っ張ってくる。
足先の動きにJAM機能でシンバルとスネアドラムが小さめに鳴るように設定したことで、アコースティックギターの弾き語りがよく映えるしんみりした
これでいい。この賑やかさが、私の思うかぐやらしさだ。
私は半ばヤケになったような調子で勢いに任せて歌いながら、腰を掛けていた柳の幹を跨ぐようにして90°向きを変え、真横のかぐやを正面から見据える。
相変わらず耳まで真っ赤にして、目じりにうっすらと涙すら浮かべながらわたわたと伴奏するかぐやの瞳をまっすぐ見据えると、奇妙な興奮が……嗜虐心に近しい何かが湧いてきて、私は口角が軽く吊り上がった。
自分が作ろうとしていた物語に真横から追突されたかぐやが抱いている感情の彩は、困惑だろうか。怒りだろうか。私はそれが知りたくて、かぐやの表情をもっと深く覗き込む。
首の向きだけで自分の方向に向き直った私を見たかぐやは……本当に珍しいことに、私の目を正面から見ようとせずに、相変わらず頬を軽く赤らめながら視線を彷徨わせていた。
この期に及んで、往生際の悪いことだ。
「あっ……!」
私は挙動不審なかぐやの顔に自分の顔を近づけて、ゴチンと額と額を突き合わせた。これで視線に逃げ場はない。
賑やかなジャズを半ば無理やり一緒に奏でながら、私はかぐやの琥珀色の瞳を至近距離から見つめる。
ここはツクヨミだ。突き合わせた額と額からお互いの温度が伝導することは無いけれど、この視線と歌と旋律があれば十分だった。
私の、突き動かされる私自身ですらよくわからず、まだうまく言語化できないかぐやへの情動がうまく伝わることを願いながら、私はかぐやと一緒に曲の〆にとりかかかった。
E♭→D。物語を優しく終わせるためのコード進行に、大量の、私が思う《かぐやらしさ》が詰まった装飾音とエフェクトを添えて……
最後に迷う様にかぐやのストロークが止まって……私はかぐやのギターのサウンドホールの上に指を充てて無理やり音を鳴らして。
そうして、この不思議な時間を締めくくる最後のセッションを、衝動に任せて終わらせたのだった。
「
「?」
終わりの余韻の響きに紛れるように囁かれたかぐやの言葉だけは、上手く聞き取ることができなかった。
☾
「…………そ、それじゃ、今日は終わりにしよっか! もう一時間以上経ってるし、多分真実も編集そろそろ終わる頃だから」
全部が終わってから、自分が何をやっていたのか、どうしてあんなことをしてしまったのかわからず、無性に恥ずかしくなって俯いて沈黙する私。
そのとなりでしばらく同じように黙って俯いてもじもじしていたかぐやは、だしぬけにそんなことを言って、柳の樹の幹からストンと地面に降りた。
「結構
私はかぐやの目の前に右手の二本の指を……ピースサインを突き出した。
『なかよしのやつ』とかぐやが呼ぶハンドサイン。一緒にライブをやったあとはこれをやることを、かぐやのせいで半ば習慣化されたものだ。
「……………………彩葉、それ」
「終わったらこれ毎回やるっていったの、かぐやでしょ。……やんないの?」
「えっ…………? いや、あの~~……うん! そうだよね!!!」
私の言葉を受けて、かぐやは恐る恐る左手のでピースサインを作って……何秒か待ってもそこで止まったままだったので、面倒くさくなった私は無理やりそこに自分の指を重ねた。
お互いの指先をくっつけてから絡み合い、キツネを作ってキスをするハンドサイン。
指を絡めるところの後で、キツネを作ってくれないかぐやの指を、自分で作ったキツネの口でかぐやの手に噛みつくようにしてむりやり形を整えさせて、その先端に私のものを押し当てた。
「
「どうしたの、かぐや」
かぐやは、暫し自分の指を呆然と見つめて固まっていた。……変なかぐや。今日のかぐやは最初から最後までずっと変だ。だけど私もここにきてから今この瞬間までずっと変だ。この場所にはそういう魔力があるのかもしれない。
私は改めてこの真球状の不思議な空間を眺めていると、かぐやは石化から回復したのか、ふらふらしながら私に背を向けた。
「…………じゃあね、彩葉。勉強、がんばって。多分19時ごろにはかぐやは帰るから、食べたいごはんのリクエスト、メッセ送っといてね」
「えっ……わかった。じゃあ、夜にね」
そうして、私とかぐやは互いにその場からログアウトした。
かぐやはかぐやがいった通りに19時過ぎに帰ってきた。真実とのコラボ収録であったことを心底楽しそうに話すかぐやはいつものかぐやで、その数時間前にあった出来事は無かったように振る舞っている。
私もかぐやに負けないくらい勢い任せで変な行動ばっかりしちゃったから、そのことに言及されたくなくって、あの場所であったことはなかったこととして振る舞った。
そうして、ヤチヨCUP二週間目の土曜日の夜は過ぎて行った。
あの時のかぐやからはいいインスピレーションを貰えた。これを育てて、素敵な曲にできたらいいなと思う。
太陽の日差しを水晶に閉じ込めたような……だけど、それだけではない、遠くを想う彼女のための曲を。
☾
☾
左の指先が、痛い。
私は、彩葉に押し倒されて好き勝手された驚愕の数分の甘美な記憶を幾度となくリピートしながら、自分の左手を……あんまりにも背徳的な行為の咎に苛まれる指先を摩った。
彩葉に無理やり『された』時から、左の指先がジクジクと熱を持っている感覚が消えてくれなかった。
肉体的な感覚の全てを8000年前に無くしてしまった私に、"痛み"の
だからこれは幻肢痛だ。失われた
「いつまでその姿でいるつもりだ?」
「あ……FUSHI」
天守閣に飛んで長い間、ぼんやりと自分の左手を見ていた私に、見かねたFUSHIが声をかけた。私は慌てて自分のスキン設定をデフォルトに切り替える。
ハニーブロンドの髪と同色の
「満足したか、ヤチヨ」
「…………うん。満足した」
もう最期が近いから、FUSHIの小言も控え目だ。私は彩葉に甘やかに蹂躙される記憶から自分を切り替えるために、少し前に届いた帝アキラ君からのメッセージを再度確認する。
時候の挨拶や細々とした業務報告を抜かして要約すると、それはこのヤチヨCUPを一番盛り上げるためのイベントの企画書だった。
つまり、新進気鋭にしてこのイベント最大注目を集める『かぐや・いろP』と、目下順当な優勝候補であるブラックオニキスのコラボ企画だ。
私はその企画書に了承の旨と、イベントをより盛り上げるためのいくつか提案、そして真摯にイベント運営に貢献する彼らへの感謝の念を添えたメッセージを送った。
このコラボ企画は、中長期的な視点とイベント全体の盛り上がりを考えればメリットはあるものの、短期的な彼らのメリット……つまり、優勝の足掛かりになるものはない、イベント貢献の為だけのものだ。
その
彼からの返事はすぐに帰ってきた。
細々とした打ち合わせと、イベント実行タイミングの相談ミーティングの日取りまでスムーズに決めていく。お互いに手慣れたものだ。
『ヤチヨちゃん、これどこまでが仕込み?』
『俺の妹についてどこまで知ってる?』
……彼が打ち込んでから送信取り消ししたメッセージを確認して、私は小さく微笑んだ。
物語はそろそろ中盤だ。
楽しい遊びの時間も間もなく終わる。
左手の指先を苛む熱から目を背けながら、私はもう一度だけ小さく口ずさんだ。
ふたりの虹が消え、また夢を待ち、狂おしくも老いていく。
月の河と、私。
今回のセットリスト
1.snowsmile 2.ガラスのくつ 3.fly me to the moon 4.テノヒラ5.一千光年 6.agony 7.冒険彗星 8.二人のアカボシ 9.トリノコシティ 10.The music of the Night 11.Moonriver
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