「最後はこいつにするか」
そう言って、連れてこられた場所は、さっき格闘ゲームで対戦したアーケードゲームコーナーの一角だった。
「うわっ……懐っつ……」
「俺も最後に触ったのは相当前だな」
ゼビウスは、ざっと50年近く前に発売されたアーケード縦シューティングゲームだ。
自動難易度調整システム。隠れキャラクター。対空・対地兵器の撃ち分け。作りこまれた奥行きのある世界観と、それを反映した敵ユニットの行動パターン。
当時においては群を抜いて画期的な仕掛けが施されたこのゲームは、後の全てのSTGのアーキタイプになるに留まらず、ビデオゲームという観念の文化的地位を、ただの遊技機から文学や音楽のように、クリエイターの表現型としてメッセージを伝え得るものへ……つまり、芸術の一種になり得る可能性のあるものへと引き上げた、エポックメイキングな作品である。
────というのを、ヤチヨのレトロゲー解説配信で知ったのはプレイしてた当時からは随分後のことだ。
「レバーでやったことないな、これ」
「俺もだ。つーかなんでこんなレトロ筐体のラインナップが豊富なんだよここは……」
私たちはそれ以上何を言うこともなく、肩を寄せ合って筐体前の一人掛けの椅子に無理やり座った。
私たち兄妹がアーケードアーカイブス経由で発見したこのタイトルをプレイしていた理由は、そんな歴史的価値へのリスペクトなんて高尚なものじゃない。
単に、残機一つを失うたびに1Pと2Pを入れ替えるプレイヤー交代システムがあったからだ。
それを使って残機一回ごとに交代しながら、スコアがカンストするまでに、どっちが長く生き残れるか、どっちがボスを多く倒せるのかを競う、曖昧な対戦形式で遊んでいたことをよく覚えている。
「カンストまでやる?」
「時間がちょっと怪しいが……まぁ一旦目指すか、上限」
「ん。それなら稼ぎ行動解禁、バグ利用ありで。罰ゲームは?」
「いつもので行くぞ」
「……りょーかい」
そうして、何故かキャッシュレス決済すら受け付けない筐体にコインを数枚投入すると、私たちはゲームをスタートさせた。
このゲームを選んだ時点で、この時間が何を意味するのかは理解している。
何故ならゼビウスは、主にお母さんとの衝突で傷ついた妹のメンタルをケアするための、「キョーダイ会議」におけるコミュニケーションツールだったからだ。
「1P貰うぞ」
「総攻撃バグ使うんだから、エネミーテーブル調整ミスんないでね」
緑色の大地に点在する地上エネミーが、次々と対地攻撃に撃ち抜かれていく光景を眺めながら、私は測り切れない自分の内心を読解しようと試みた。
したくもない和解ならしなくていいと、そんな解決は求めないと言われてから、私の心はずっと乱れたままだ。
何を話せばいいんだろう。どう振る舞えばいいんだろう。彼は、私に何を求めてるんだろう。
難易度テーブルが最大値に上昇してプレイヤー交代が発生するまでの時間、私はそうやって、出るはずのない答えをぼんやりと探し続けていた。
☾
「おっと……」
「あ、落ちた……それじゃ、交代だね」
彼がレバーから手を離し、私はその代わりに右手を伸ばす。画面の中央に現れた二機目のソルバルウが、何事もなかったように緑色の大地の上を飛び始めた。
「今テーブル76だったでしょ。エリアもまだ8だし……わざと落ちた?」
「さぁな。レバーでやるのは初めてだって言ったろ」
「ふーん……」
一瞬だけ画面から目を離し、疑わしげに横を睨んでみても、彼は肩を竦めるばかりだった。
ゼビウスには、プレイヤーの腕前に応じて敵の攻撃を変化させる自動難易度調整システムが搭載されている。
具体的には、スコアや撃墜数、ミスの回数、地上レーダー基地の破壊状況なんかに応じて内部数値が増減し、それによって空中敵の出現テーブルが変化する仕組みだ。
ただし、単純に数値が高ければ高いほど難しくなるというわけでもない。敵の出現パターンには周期性があり、特定の数値を境にかえって対処しやすい編隊が現れることもある。
そして、本来の出現テーブルが想定しているのは0から127までの数値だ。
128以上になれば所定の処理によって数値を巻き戻す仕組みなのだけれど、その計算には穴があって、特定の条件を揃えると本来参照されないはずの領域へアクセスできてしまう。
今回使おうとしているバグは、その仕様の隙を突いたものだ。このバグによって画面上に大量の敵が同時湧きすることを利用してスコアを荒稼ぎするのがファンコミュニティで「総攻撃バグ」と呼ばれるテクニックだった。
画面を埋め尽くすエネミーから繰り出される凄まじい物量攻撃を掻い潜らなければならない代わりに、これを繰り返すだけで一気にスコアカンストまでの時間を短縮できるという、正にハイリスクハイリターンな裏技である。
そのために彼はわざわざゾルバクを撃ち残し、敵機の出現順を調整しながら、内部数値を通常の範囲外まで引き上げていた。だけど、ミスをすればその数値は引き下げられてしまう。
そもそも、このゲームは全16エリアを突破してもエンディングにはならず、7エリアに戻って再び同じマップを周回する仕組みだ。
そうやって何周も何周も繰り返しながら、スコアの上限に到達するまで生き残るのが、私たちのいつもの遊び方だった。
だからいくらブランクがあるって言っても、まだ先の長いこの段階で彼があんな初歩的なミスをするとは考えにくかったのだけど……
……まぁ、そもそも何年も触っていなかったゲームだし、本人の言う通りレバー操作に戸惑っただけなのかもしれない。
「……ま、いっか」
私はそれ以上追及せず、2Pサイドのレバーを操作する。
幸いまだ細かい調整が効く範囲だ。私がリカバーすればこの周でもバグを再現することは十分可能である。
そう意気込んでボタンを細かく叩き始めた矢先────
「で、質問は?」
「……あ」
そうだった。
幼い頃、私がこのゲームで残機を落とすたびに、彼は何かしらの質問をしてきた。
失敗したら、質問に答える。そういう形式の罰ゲームだ。
『今日は何があったん?』とか、『何がそんなに嫌だったんだ?』とか。
私が答えたがらなければ、さして気にする様子もなく次の質問を考え、答え始めれば適当に相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。
そのうち、質問されなくても自分から話し始めるようになって。
そうやって何度も何度も繰り返した、二人きりのキョーダイ会議。
……でも、そうか。
今は、私が質問する番なのか。
「……なんか、変な感じ」
「何が?」
「いや……私から質問するのって、あんまり覚えがないなって」
「そりゃそうだ。あん時のお前、俺に聞きたいことなんて特になかったろ」
「……それは、そう」
少なくとも、当時の私はそうだった。
お母さんに言われたこと。お母さんに言い返せなかったこと。お母さんに理解してもらえなかったこと。
私の中には、そうやって吐き出したいことばかりが溜まっていて……だから、彼はいつも聞いてくれた。
けれど、今は違う。
私は彼に聞きたいことがある。
他者になってしまった彼。得体のしれないものへと変わった彼ともう一度向き合うなら、知らなければいけないことが幾つもあった。
「なんでもいいぞ。昔からそういうルールだろ」
「……答えたくない質問だったら?」
「別に答えねぇよ。お前だってそうしてたろ」
「そりゃそうだけど……」
「その代わり、嘘はつかねぇ。そういうルールだろ」
「…………」
そう言って、彼は画面に向き直った。
私も、操作に意識を戻す。
ソルバルウは何事もなく飛び続けている。地上物を破壊して、敵機を撃ち落として、危なげなく前へ進んでいく。頭の中では、何を聞くべきなのかという問いだけが、いつまでも堂々巡りを繰り返していた。
……でも、そうじゃない。
何を聞くべきなのか、ではなくて、私が、何を聞きたいのか。そういうものを、求められているんじゃなかったか。
「……ねぇ」
「ぁん?」
私は、画面から目を離さないまま口を開いた。
コミュニケーションの基本は、相手に興味を持つことだ。
逆に言えば、彼に興味を示さないことこそが、私の拒絶の条件だった。
聞きたかったこと。だけど、切断を維持する為に興味を示さないでいたこと。
私はそれを、ようやく言葉にしようとしている。殺したはずの言葉を。
「……どうして」
「…………」
それは、終わった過去への今更の追想だ。ハンプティは元には戻らないし、肩を並べて遊んだあの日は、私たちの選択によって途絶した。
それでも、私たちはこうして肩を並べて不格好にあの日を再演している。
…………だから、もし、仮に、今日があの日の続きなのだとしたら。本当は今日に続くことはなかった、あの日をたずねよう。多分明日に続かない、今日を話そう。未来になれなかった夜たちの話を。
画面から目を離さずに、それでも私の声に耳をそばだてている彼。
そんな彼に向けて、私も画面から目を離さないまま、単調なゼビウスのBGMにかき消されない程度のボソボソとした声量で言葉を切り出した。
「お兄ちゃんは、どうして────
Q.どうして急に家を出て東京に行ったの?
…………そうだな。
結論から言うと、一緒にプロゲーマーとして旗揚げしようって約束してた友達の家庭環境がヤバかったからだ。
そ、駒沢兄弟な。
詳細はさすがに伏せるけど、まぁ一言で言うと親が終わっててな。
前々からその気配は濃厚だったんだが、上の方が中学を卒業して義務教育課程が終わった段階で爆発した。
凄かったよ。ボイチャ越しにも色々聞こえてきてな。誰が聞いても、このままだと流石に人死が出かねないって雰囲気だと思ったんじゃねーかな、あれは。
そっからはもう必死だったよ。
教育委員会、区役所、児相、あと弁護士……片っ端から電話しまくって、訪ねまくって、色々なところを巻き込んで、どうにか引き剥がしたはいいものの、あいつらの住む家が無くなっちまってな。
それに、引き剥がしたからって親の方が塀の中に入った訳じゃないから、已然として危険な状況だったんだ。
不思議か……? まぁ、アレだよ。虐待ってのは無関心や敵意から来るものだけじゃないってことだ。手強かったぜ、実際。なんだったら今でも偶に警備の人から報告が来るし。
んで、元々高校卒業か大学卒業のタイミングで上京する将来設計ではあったんだが、それを前倒しにしてアイツらに居住環境を提供する必要があって……ってな流れだ。
法務関係は母さんに協力してもらって、家は俺の実績に前から声をかけてくれてたプロゲーマー事務所に頼んで、収益は大会賞金と実績を元手に始めた配信業で賄って……そんでようやく軌道に乗ってきたタイミングで、ヤチヨちゃんからオファーされて今に至るってワケ。
……俺には頼れる相手が複数いたし、問題に対処する知識にアクセスする手段もあった。だけど、当時あの2人が頼れる相手は俺を除いて誰もいなかった。だから、俺がやるしかなかった。
────おっと、そこで尻込みするなよ、彩葉。
ありきたりな文句だけど、何かを選ぶってことは何かを捨てるってことだ。俺はアイツらを選んで、お前を捨てた。これは揺るぎない事実だ。
お前が言うように、事態がマージナル過ぎて細かいところまで頭が回らなかったかもしれないけど、まぁ言い訳としちゃあ程度が低いわな。
逆の立場なら、母さんと二人暮しなんて俺でも願い下げだ。ましてや俺よりもずっと折り合い悪かった彩葉にとっては尚の事だろ。そんなんいちいち考えるまでもない。
俺は、お前を、見捨てたんだ。
道徳的残余ってやつだよ。複数の道徳的義務が衝突して、そのうちのひとつを選ばなければならない時、例えそれがやむを得ない選択だったとしても選ばなかった義務への責任は残余する。そして、それを『仕方なかった』で済ませるほど恥知らずになるくらいだったら俺は首括った方が幾らかマシだと思ってる。
つまり、倫理学的見地から見ればお前の怒りは当然のもので、それを抑制しようとする行為は非合理だ。お前は間違っちゃいない。だから譲るべきじゃない。そういう理屈だよ。
いいか、彩葉。
お前が思っているよりも遥かに、俺がやったことはお前自身にとって残酷な行為だ。許すとか許されないとか、そういう段階には無いんだよ、もう。
だから俺に必要なのはお前に許されることじゃなくて、俺が俺を許すための贖いだ。
この時間も、お前に許される為に設けたわけじゃない。今のお前がどんな奴なのか、面と向かって確認したかっただけだ。正直ジャブのつもりだったから、一回目の誘いを受けてくれるとは思わなかったぜ。びっくりしたし、一瞬夢を見そうになった。まぁ、今日初めて「お兄ちゃん」って呼ばれた瞬間に所詮夢だって気づいた訳だが。
……俺は、何かしらの償いがしたいと思っている。
だけど、お前が助けを必要としていなくても、俺が何かを与えようとしたらどうなる? あるいはお前が俺と距離を置きたいって望んだとき、俺はそれを受け入れられるか?
お前に対する責任を果たすことと、俺自身の罪悪感を解消することは同じじゃあないんだ。
そこにミスマッチが発生した時、その結果はロクなものにならねぇ。俺は、お前が本当に必要としてるものが何で、そこに俺が手助けできる余地があるのかどうかを知る必要がある。
最終的には、お前が幸せでいてくれればそれが俺のゴールってことになるかな。これは、そのための時間だと思ってくれ。
……しかし、恐っそろしい話だよな。よく真っ当に生きてこれたな、お前。
そういう意味でも、俺はヤチヨちゃんには足向けて寝れんわけだ。
Q.どうしてお父さんの葬式の時泣かなかったの?
先に言っとくが、俺は年齢の分だけお前よりも父さんと付き合いが長い。思い出の数もまた然り、だ。そこは勘違いするなよ。
その上で、の話なんだがな。
父さんは、酒寄朝久は……いつどっかに消えちまっても不思議じゃない雰囲気があったんだよな。
……ああ、誤解しないで欲しいんだが、交通事故はカバーストーリーなんかじゃないぞ。ただの不幸な偶然だ。
だけど、その手の偶然を呼び寄せても不思議じゃない感じはしてたんだよな。所謂死の気配ってやつ?
あの人は……ずっと何かに追い詰められてた。というか自分で自分を追い詰めることに余念がない人だったよ。
目の下の隈が消えたことはなかったし、内省的で、自罰的な言動をよくしてた。別に、だれもあの人を責めちゃいないし、プロのピアニストとしての実績も十分にあったのにな。
ガキのころはそういうもんだと思ってたけど、今なら分かる。あの人の優しさは、一切の攻撃性を自分に向けてるからなんだろうな。そういう意味でも、お前と父さんはよく似てる。
……結局、父さんは母さんと同じだったんじゃねぇかな。どれほどちゃんとした里親に引き取られようと一度孤児だった事実は消えないし、そのことを覚えている限り、寄る辺の無きが故の欠落ってやつに苦しみ続けるのさ。
知っての通り、母さんも親に捨てられたクチだ。二人がお互いの欠落の相似に惹かれ合ったんだとしたら、そうやってできた家庭が同種の歪を抱えるのもまたありきたりな話だ。
今だから言えるけど、たとえ父さんが生きてても、その後の酒寄家の家庭環境が健全なもので在り続けられられたかどうかは……っと悪い。言い過ぎたか。
別に父さんや母さんを悪く言うつもりはないんだ。事実として、家庭環境に著しく難があった過去を持つ人間は、大人になった後でその問題を再生産しやすいってデータの話だよ。
虐待やネグレクトを行った事実がある家庭のうち、その両親が過去に虐待やネグレクトを行使されていた割合は、そうでない家庭の約3倍あるんだとさ。被虐待側が虐待を自覚しないケースは多いし、自覚してても認めないケースはもっと多いから、実際はこの数値よりも大きくなるはずだ。
つまり、たとえ家族の誰も悪くなかったとしても、俺もお前も被害者ってことだ。勿論母さんも父さんも被害者だ。そして常に被害者は加害者に転じ得る。
"
幸福な家庭で育たなかった人間は、幸福な家庭で育った人間の真似をしても上手くいかないんだ。
……セクハラなのを承知で言うが、彩葉も結婚願望が芽生えた時は気を付けろよ。自分の非健常性を自覚してないと、そうしないように振る舞うことはできないからな。幸せになれないなんて言ってる訳じゃないぞ。幸せになる手順が、普通の人とは違うって話。
これは遺伝性の疾患みたいなもんだ。環境要因でこそあるが、親から子へ継がれるって意味では限りなく遺伝子に近しい模倣子だな、ヤチヨちゃん風に言うなら。だから、そういうもんだと思って腹くくるしかない。
話が横に逸れたな。
俺の話だけすると、父さんの訃報を聞いた時、最初は滅茶苦茶驚いたけど……正直、腑に落ちたというか、納得しちゃったんだよ。それが葬儀の場で俺が落ち着いてた理由かな。
……ま、どうあれ男は人前では泣けないもんだけどな。
どうでもいいけど、7歳の娘の質問に「あんたにはまだわからん」は正直終わってるよな。横で聞いててドン引きしたわ。
一応フォローを試みると、喪主ってのは死ぬほど忙しい上に事前準備なんてできないもんだから、実際の葬儀のタイミングで涙なんて出す余裕ないもんらしいぜ。……いずれにせよ、アフターフォローなしなのが笑えるな。
まぁなんも面白くないが。
Q.お母さんのこと、どう思ってる?
曖昧な質問だな……
まぁ、なんというか、個性的な人だよな。遠目で見る分には面白いんじゃねぇの? 知らんけど。
……
…………わーったよ。真面目に答える。
公人としてはともかく、
これは滅茶苦茶炎上しそうな話題だからオフレコなんだが……彩葉なら分かるだろ。世の中才能と運で決まる。
母さんは社会的に成功する才能に満ちていたけど、子育ての才能がカスだった上に運悪くパートナーを喪ったので、そっち方面では失敗しましたとさ。
こう考えるとシンプルだろ。
この場合の子育ての才能ってのは、自分では手に余るって判断した時にじいちゃんとかに子供を預ける選択肢をとれるかどうかってのも含む話だ。
或いは、全寮制の学校に早い段階で突っ込むのもアリだな。顔を合わせないことが一番の解決法だ。あん時の彩葉は七歳で、もう小学校に入ってからちょっと厳しかったけど……それでも環境を変えてやるべきだったと思うぜ。結果論だけどな。
なんでも一人でこなしてきたあの人にとって、自分にとって大事な部分を他人に差し出す選択肢なんてとれる筈なかったわけだけど……それでも、そうするべきだった。
人間、不得手なことはするもんじゃない。できないときはできるやつに任せるに限る。それでも無理にやろうとするから、最悪な結果を招くってわけ。
……お前なら分かるだろ、彩葉。
さっきと同じことを言うけど、人生ってゲームは総合力勝負だ。「これさえあれば他はなくてもいい」みたいな安易な攻略法は存在しねぇ。
「お金がなくても夢さえあれば」「夢がなくても元気があれば」「元気がなくても生きていれば」……よくある文句だけど、聞いてて馬鹿らしいって思うタイプだろ、彩葉は。
俺もそう思う。多分そのうち「生きてなくても」とか言い出すぜ。案外もう生命保険の広告のキャッチコピーとかに載ってたりして。
でも、んな訳ねーんだよな。元気で健康にこしたことはないし、その上で鍛えておいた方が良い。才能はあった方が良いし、努力もしといた方が良い。資産は多いほど安心だけど、稼ぐ方法も覚えとくべきだ。受ける教育水準は高ければ高い方が良いし、思慮深ければ尚良い。人付き合いが良い方が人脈に恵まれるし、顔が良ければ倍でドンだ。競い合える相手が居れば成長できるし、目標があれば足取りも早くなる。
こういうアチーブメントを埋めれば埋めるほど、幸せになれる確率は高くなる訳だ。逆に言えば、このどれかひとつに注力しても幸せを取りこぼしちまうことはままある。どれもこれも役に立つ場面はケースバイケースだし、それが足を引っ張ることだってなくは無い。
俺たちみたいな人種は、総合力に恵まれてるからこそ、どれか一つを当てにしたりできない。慎重に、まんべんなく伸ばしていくことが一番安全なプレイスタイルだって身に染みてるからな。
……そんなドン引きした顔すんなよ。わーってるって。こんなん人前で口にした日にゃ大炎上だ。何度も言うけど、こんなの配信とかじゃ絶対言わねーかんな。お前だから言ってるんだ。
その上で、なんだが……どれだけ他人がうらやむ資質に満ちてても、それが一つ欠けてるだけで人生駄目になっちまうってモンがある。
「これさえあれば大丈夫」の逆。これがなかったら他の全部があっても相当厳しいってやつがな。幸せになれるかどうかは運で、そのパーセンテージを引き上げるのが資質なら、これは持ってるだけで幸せに泥を塗るクソギミックだ。
母さんにせよ、父さんにせよ、お前にせよ……そして俺も、俺たち家族は皆そうなんだよ。
だから、「沢山持ってて恵まれてるから幸福だ」って理屈も成立しねぇんだ。能力の持ち合わせが多いと幸せになりやすいってだけで、必ず幸せになれる訳じゃない。
だから俺はその手の能力至上主義は嫌いなんだ。憎んでるって言ってもいい。さっきとは真逆のことをいうようだけどな。
だってそうだろ?
もしアチーブメントのコンプ率が高いやつが確定でハッピーだってんなら、俺たち家族全員の人生には一切のケチがつかない筈だからな。お前も、苦しいことなんてなんにもないはずだ。
だから、そういうのは持ってねぇやつの僻みか、スキルアップ講習の宣伝だ。真に受けるようなモンじゃない。
他人の言葉で自分の内心を測るなよ。自分が今幸福なのかどうかは、自分で決めるんだ。
Q.今、苦しいの?
苦しいさ。
正直言って泣きそうだね。
……俺は、家を出てった時と比べて格段に成長して、強くなった。
金、地位、名誉、人脈、なんでもありだ。妹の1人や2人養ったところで懐は毛ほども痛まないし、仮にお前に敵がいれば、大抵のやつならやっつけられる自信があるぜ。
「世界の全部を敵に回しても」とはいかないが、国家権力を絡めなけりゃ世界の1000分の1くらいまでが相手なら勝算がある計算かな。それより多いとなるとヤチヨちゃんに頼らなきゃだが……そういう人脈も自力に数えていいんなら、世界の100分の1くらいにはワンチャン勝てるかもだ。
俺は成長した。俺は強い。もう、誰かを助けるために他の誰かを捨ててた頃の俺じゃない筈だ。
……それでも、実の妹はそんな乾いた眼で俺を見てるし、俺をお兄ちゃんって呼ぶ声は演技臭い。お前、俺との関係を処理すべき人間関係の問題のひとつにカテゴライズしてるって顔してるぜ。無難に受け答えて、終わったら二度と連絡も取らなそうな感じの顔。
その調子だと、今後何があっても俺を頼っちゃくれないだろ。それは拒絶と同じだ。むしろこっちが頭を下げる動機がなくなった分、前より深い断絶かもな。
そうなっちまえば、終わりだ。俺が今まで築き上げた力は、結局肝心な場面でクソの役に立たなかったってワケ。笑えるだろ。
結局、俺はあの日から何にも成長できてないってことだ。少なくとも、お前の前では。
だから能力主義なんてクソ喰らえだっつってんだよ。まだ足りないってのか? インフィニティガントレットでも持ってなきゃ誰かを助ける資格がないって? そんな訳あるかよ。
ま、敗色濃厚だろうと、そこで投げたらゲームセットだ。だから俺は今こうやって壁際で粘ってる。お前にとって、他者以外の何かであるためにな。
……人生、こんな事ばっかりで参っちまうぜ、実際。
勝てども勝てども苦しい戦いばっかりだ。イージーゲームってのがどこにあるのか、誰か教えて欲しいもんだね。
Q.家を出てから今までも、苦しいこと、沢山あったの?
…………まぁ、それなりには、な。
取り立てるほど不幸じゃないにせよ、路銀程度には支払ったと思うぜ。色々なモンをな。
連続する単調なBGMを聞きながら、私は彼の言葉の意味を考えていた。
バグを利用したスコア稼ぎは順調で、画面に表示されない隠しキャラクターも撃ち漏らしていない、滞りのないゲーム進行。
物量攻撃の回避と撃ち漏らしリスクを天秤にかける場面以外で残機を失ってはいないし、マスクデータである難易度テーブルの管理も完璧だ。
だけど、画面の上とは裏腹に、彼の回答の一つ一つがさらなる疑問を生み出して、それに対する私の理解はまったく追いついていなかった。
何かを得るために、或いは進むために、何かを支払い、失ったのだと彼は言う。代価として彼が何を差し出してきたのかは、私なんかには想像もつかないことだった。
だけど、何かを失ったことへの痛みや苦しみや空漠には共感できる。それはいつも私と共に在ったものだから。その意味で、眩しくて遠いヤチヨとかぐやに比べて、彼はずっと私に近しいように思えた。
彼は私の実の兄だ。
私と同じ家で育って、私と同じものを失って、私と同じように家を出た。
私と同じように多くの人より優れている彼は、私と同じように澱を胸に抱えているのだと言う。
私たちはよく似ている。私たちはそっくりだ。
…………なんて。
(そんなこと、ある訳ない)
だって私は、今日彼と話す前から帝アキラのことはよく知っている。
黒鬼のことは身内贔屓でこっそり応援していたし、たまにライブも見に行っていた。配信で見る帝アキラの笑顔。自信と自己愛に満ち溢れた振る舞い。そしてライブでのパフォーマンスを、私はずっと見てきたのだ。
だからこそ、私と彼が同じだとは、私にはまったく思えなかった。
────だって、もし彼が私と同じくらやみを抱えているのなら、なんで。
Q.それじゃあ、さ
────なんで、皆の前で、あんなに楽しそうに笑って歌えるの?」
歌は、音楽は、嘘をつかない。
だから、彼のさっきの告白が真実だというのなら、彼のどこかに穢れを音楽から隔離する方法論があるはずだった。
「────成程な。それが、今の彩葉の悩みってワケだ」
「うん」
コラボライブまであと少し。
かぐやとヤチヨと一緒に舞台に立つために、二人を穢さないために、私はそのやり方を知りたかった。
「教えて、お兄ちゃん。苦しいことを抱えたままで、どうやって舞台に立てばいいの?」
心の中の澱と穢れ。
それを一時だけでも……できれば永遠に捨て去る方法を、私は知りたくてたまらなかった。
感想、誤字報告、ここすき、高評価、いつも本当にありがとうございます。
続きとなる下も、明日か明後日には投稿予定です。
二部が想定より長くなったのと、コラボライブ終了後から本格的に2042年の話をする都合、あと2~3話で二部を終わらせて、完結編となる三部を開始する予定です。
つきましては、二部と三部のインタールードに、とっ散らかった設定や時系列やメタ構造について、酒寄教授に解説してもらう回を予定しています。
そこで、皆様にもしこの作品に対する質問等があれば、感想やメッセージを送信などで質問を送っていただければ、その中で答えられるものを酒寄教授に解説していただく予定です。(ハーメルンの規約に触れないかどうか調べましたが、多分大丈夫そうだったため実行します)
匿名のまま質問したい方の為にGoogleフォームを開設しましたので、そちらに送っていただいても構いません。一応TwitterのDMも開放しておくので、一対一でやりとりを完結させたい場合はそちらに質問を送っていただいても構いません。
必ずしも回答は約束できませんが、作品内でできる回答は作品内で、そうでない回答は感想やメッセージ、DMへの返信という形で可能な限り対応する所存です(レスポンススピードが遅くなる可能性はありますが、そこはご容赦ください)。また、質問を作品内で直接引用されたくない場合は、その旨記載していただけると助かります。
これによって、実際に読んでくださっている皆様にとって不明瞭な部分が作劇上の都合で意図的に伏せている部分なのか、それとも単に説明不足が由来なのか作者側では分からないという切実な問題をある程度解決したいと思っています。
また、今となっては初期のプロットの原型が残っていないため、ここいらで整理しないとマズいという恥ずかしい都合でもあります。
ここまで読んでくださっている皆様の為にも、きちんと完結まで書ききるつもりではありますので、作者およびこの作品の今後を助けると思って、些細なものでも構いませんので、質問を送っていただければ幸いです。
ここまで長々書いておいてなんですが、態々したい質問がない場合は無理に送っていただかなくても大丈夫です。これは強要する物ではなく、作者や作品に協力したいというもの好きな方に向けたレスキューコールに過ぎません。
ただ、読んでくださっているだけで作者としては嬉しいので、質問でなくても感想であったり、評価点だったりと、楽しんでくれた証を送っていただけるだけで作者にとっては凄くモチベーションになります。
当作品に限らず、読んでいる小説やイラスト、動画などに、一言でもいいので感想や応援を送れば、そのひとつひとつがクリエイターにとっての宝物になると思います。
長くなりましたが、引き続き「ハッピー『エンド』じゃ終われない」を楽しんでいただければ幸いです。