ハッピー『エンド』じゃ終われない   作:雑Karma

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42.【2030年8月27日18時32分】ラウンドⅠ武蔵村山店にて・下

 

 

恒久的な欠落を、愛してこその幸福だ

 

 

 


 

 

 まず、俺はヤチヨちゃんみたいにマルチなクリエイターじゃないし、作曲もしない。だから答えられるのはパフォーマーとして……つまり広義における表現者としての視点からの回答だ。そこは良いな?

 

 よし……ちょっと待ってくれよ。ここ数年で一番緊張してるんだ。上手く回答を整理する時間が欲しい。

 

 ……

 

 ……そもそも、彩葉は舞台に立つって行為は…………つまり、自己表現って行為の本質はなんだと思う?

 

 ツクヨミってプラットフォームそれ自体が万人にとっての自己表現の場として用意されたもんだから、その回答も千差万別ならぬ八百万だが……

 

 仮に一意に定めようとするなら、どういう回答になるか、考えたことあるか?

 

 

 俺はな…………

 

 

 自己表現ってのは、自分の中の何かを誰かに見せたり聞かせたりする形式に変換することで"意味を与える"ものだと思ってる。

 

 

 歌も、ダンスも、全部そうだ。自分の内側にだけある曖昧な何かを、誰かに見聞きしてもらえるように形と意味を加工してアウトプットする。それが自己表現ってやつだ。俺の中ではな。

 

 ああ、勘違いすんなよ。別に、誰かに見せられる形にしなきゃ価値がないとまでは言わねぇよ。

 

 何かを創ることそれ自体が凄いことだと思うぜ。別に誰かに褒めてもらわなくたっていいし、評価されたり、理解されたりする必要もない。誰にも聞かせない歌だって、誰にも見せない絵だって、そこに生まれたってだけで輝いてる。

 

 かぐやちゃんなんか、正にそれそのものって感じだよな。

 

 ただ生きて、そこにいることが最高で、楽しくて仕方ないし、そんな自分のあり方を自分で強く肯定してる。だからその楽しさを皆でシェアして、もっと楽しいことを探しに行こう。そんで落ち込んでる連中……特に彩葉を、そういう場所に連れてこう。そういう創造性のカタチだな。

 

 ……ぁん?

 

 見りゃわかんだろそんなこと。かぐやちゃん、ほぼお前に向けたメッセージしか言ってないぞ。配信でも。

 

 いやぁ、参るね、あれは。

 あそこまで衒いなく、飾らない愛を表現できるのはマジの才能だよ。だからありのままで輝いてるんだろうな、あの娘は。

 

 俺はそういうトコにやられたクチでね。

 

 何も無くさずに、何も損なわずに、ただ正しく愛されて育ったんだなって雰囲気に満ち満ちてるのがいいんだよな、かぐやちゃんは。あれは俺たちじゃ持てない強さだ。憧れるね。

 

 分かるか? 愛されて育ったやつの強さは、自分自身を肯定できることだ。まず自己否定から入る俺たちにとってラスボス並みの強敵として立ちはだかる自分自身ってやつを味方につけてるんだ。強いに決まってるんだよな。そんなの。

 

 …………かぐやちゃんを見てると思うよ。

 

 生きてることとか、愛とか、創造とか、そういうものはただあるだけで美しいんだってな。

 

 自分を誇れるやつはキラキラしてるし、自分を愛するように他人を愛して、肯定することができる。だからあの子は誰にとっても輝いて見えるのさ。

 

 ここまでは、彩葉ともコンセンサスが取れそうじゃないか?

 

 彩葉も、かぐやちゃんのそういうとこが好きなんだろ?

 

 

 …………ああ、そうだろうな。

 

 分かるよ。俺たちは同じだからな。

 

 

 前置きが長くなったけど、ここでようやく彩葉の悩みの話になる訳だな。

 

 

 かぐやちゃんみたいにはなれない。

 

 それでも、あの子と並んで舞台に立って、自分を表現しないといけない。

 

 くらやみを持たないことがあの子の魅力なら、それを損なわずにあの子の隣で演奏する為にはどんな魔法が必要なのか。

 

 

 こんな感じか。

 

 え、ヤチヨちゃんも?

 いや、ヤチヨちゃんは別にいいだろ。寧ろ俺たちとヤチヨちゃんは…………

 

 ……………………いや、一旦ヤチヨちゃんの話は止そうぜ。色んな意味でイレギュラーだしな、あの人は。

 

 ともかく、俺たちみたいなタイプとかぐやちゃんは根本的に違うってお前の理解の話だ。

 

 その認識は間違ってないと思うぜ。俺たちは、かぐやちゃんみたいには生きられない。

 

 さっきの話を蒸し返すけど、もう無くしたもんは戻ってこないし、今さら何も知らなかった頃の自分に戻れる訳でもないからな。

 

 生と創造はただあるがままで美しいものだ。

 

 逆に言えば、苦しいことや悲しいことは、くすんでいて、醜くて、見れたもんじゃないってことだ。少なくとも、体験した当事者にとってはな。

 

 家族と死別した過去になんか立派な意味があるとは思えんし、母親に虐待された事実を美化するのはキツいだろ。

 

 思い出すだけで暗い気持ちになるし、もう戻れない昔のことを懐古すると今とのギャップで死にたくなる。普通に育った奴らにとってなんでもないような話題で気持ちがささくれ立つし、そういう自分の弱さと対面する度に自分自身のしょーもなさに吐き気がする。

 

 まぁとてもじゃないが面白いもんじゃないわな。いや、そういうのを面白がるコンテンツ自体はあるが……少なくとも、そういう自分自身を肯定して、愛するなんてのは無理な話だ。

 

 ……じゃあ、かぐやちゃんみたいに欠けたもののない強さと正反対の位置にある俺たちみたいなやつらは、舞台に立つ資格はないと思うか?

 

 

 俺はな、逆だと思うぜ。

 

 

 俺たちみたいな、自分自身を肯定できない奴らにこそ必要なものが、自己表現なんだってな。

 

 

 意味わかんねぇって顔してるな。

 

 

 例えば……そうだな。

 

 父さんのソロコンサート、覚えてるだろ。

 

 なんでここで父さんが出てくんのかって?

 

 そりゃ、まず間違いなく、父さんは俺と同じタイプの表現者だからだ。

 

 

 父さんは……酒寄朝久は、孤児だ。小さい頃に事故で親を亡くしてる。俺たちと同じようにな。

 

 

 例え爺ちゃんみたいにちゃんとした人に引き取られても、喪失の傷がなくなる訳じゃない。むしろ、多分あの人はずっと苦しんでたって話はさっきした通りだ。

 

 それでも、彩葉は父さんの音楽にそういう翳りを感じたことはあったか?

 

 娘に聞かせるためだけの音楽じゃない。自分自身を表現するためのソロコンサートの場で、自分自身から逃げられない場所で、そういうもんを演奏に乗せてたか?

 

 

 …………

 

 ああ、そうだよな。俺もそう思う。

 

 

 そんなことは全くなかった。単にそういう曲調を好んでたからって理由だけじゃ説明がつかないくらい、あの人の演奏は…………チープな表現になることを恐れずに言えば、自由で、優しい演奏だった。

 

 ヤチヨちゃんがよく言ってるように、音楽は嘘をつかない。それが自己表現の場であるなら尚更だ。

 

 それなら、俺と同じように、そしてお前と同じように、澱と穢れを抱えてるはずの父さんが、どうしてそうでない自分を演奏できたと思う?

 

 

 俺が思うに、だ。

 

 

 それは音楽を通して、自分の中の暗いものを昇華してるからだ。

 

 何故って……そりゃ、俺たちBLACK onyxがそうだからだ。

 

 さっき言ったろ。俺たちみたいな奴らは、幸せになる為の方法論が普通の奴と違うってな。

 

 ただ生きてるだけで苦しい時、直視に耐えない現実の前にいる時、喪失に打ちひしがれてる時、どうやったらそこから立ち直ればいいと思う?

 

 理解のある彼女や彼くんが居れば無かったことにできると思うか? それが違うってことは今のお前が良くわかってるだろ。

 

 時間が癒してくれるのを待てばいいと思うか? 普通の奴らが人生を謳歌してるはずの青春時代を心の傷のリハビリテーションに全部突っ込んで、何十年か後にようやく癒えたらオールオッケーってか。

 

 後は……真っ当に幸せな人間とか、社会とかに当たり散らして見るとか? 弱音を吐いて、泣くだけ泣いて、希死念慮のひとつでもぶちまければ楽になれると思うか?

 

 もしかしたらそういう選択肢の中に正解があったのかも知んねぇけど、少なくとも俺たちにとってはどれもしっくり来なかった。

 

 だからこその自己表現なんだよ。

 

 辛かったこととか、苦しかったこととか、喪くしてしまったものとか……そして何より、それを抱えて苦しんでる自分自身を、少しでも肯定的な何かに翻案するんだ。

 

 誤魔化す訳でも、嘘を吐く訳でもない。苦しかったことを苦しかったままで、それよりも美しい何かに加工して……昇華する。

 

 そうやってできた自分自身を、自分以外の誰かに肯定してもらうことで……初めて自分の中の苦しみと、それに苦しむ自分自身を肯定して、赦せるようになる。

 

 父さんの立場になって考えてみろよ。

 

 俺たちが、父さんの音楽を、自由で優しい雰囲気の音楽だったって思えていることが、少しでも父さんの救いになってたって思えないか?

 

 だから俺たちは、苦しいから歌って、悲しいから踊って、不幸だから演じるんだ。

 

 

 滅茶苦茶抽象的な回答で悪いな。でも、これが俺の考えだ。

 

 

 つまり、俺が言いたかったのはな…………

 

 

 かぐやちゃんのありのままの輝きの横に並ぶ資格を手に入れるにはどうすればいいのかって話じゃなくて、かぐやちゃんの横にいる為にこそ、お前は音楽で自己表現する必要があるってことだ。隣に居るだけの価値があるかどうかじゃない。隣に居る価値があるってことを、自分自身に証明していくためにな。

 

 そうやって出来上がった自己表現が、受け手にどんな風に解釈されるかまでは分からないけど……ほんの少しでも多くの誰かが肯定的に受け止めてくれれば、それが自分自身を受け入れるきっかけになる。

 

 生きてることとか、愛とか、創造とか。そういうものはただあるだけで輝いてて、綺麗で、美しい。

 

 逆に言えば、苦しいこととか、悲しいこととか、喪失とか。そういうのは表現によって加工することで、初めて昇華されるんだからな。

 

 


 

Q.それは、何に? 

 

 

 知るかよそんなこと。

 少なくとも、何らかの価値に、だ。

 


 

 

 俺の用意できる回答はこんなもんだな。

 

 かなり説教臭くなっちまったけど、そこは許してくれよ。こういう抽象性が高い話をわかりやすくすんの、あんまり得意じゃねぇんだよな。

 

 こういうのはテテテさんとか……それこそヤチヨちゃんの得意分野じゃねーか? お悩み相談の女王だろ、ヤチヨちゃんは。

 

 ここしばらく大分ヤチヨちゃんとじっくり話してるらしいじゃん? 俺を頼ってくれんのは嬉しいけど、ヤチヨちゃんにも相談しとけよ? 絶対あっちのが言語化上手いだろうからな。ヤチヨちゃんの作家性自体が父さんみたいなタイプのアーティストLv8000みたいなところあるし。

 

 いや、優しさとか癒しとかって意味じゃなくってな…………

 

 俺たち黒鬼含め、ヤチヨフォロワーのクリエイターなんてみんなそんなもんだと思ってるんだが、わかんねーかな。

 

 いや、ヤチヨちゃんとの付き合いの長さでマウント取ってる訳じゃねーよ。全世界のヤチヨフォロワーにマウントを取ってる立場なのはお前だろうが。ファーストシングルのBPMの話とか、過去配信のコメントへのリアクションの話とか…………「何のこと?」って、お前、お前────

 

 

待てよ……やっぱりそういうことなのか……? 

 

 

 …………そもそも彩葉、お前ヤチヨちゃんの作家性のどんなとこが好きな訳?

 

 

 うわっ急に早口になるな! 近いんだよ! あと急にうるせぇ! 怖い怖い怖い!

 

 

 分かった分かった、聞いてやるから閉店までにしとけよ! あとレバーから手ぇ離すな! もうちょいでスコアカンストなんだからゲームに集中しろ!銀河の成り立ちから話す必要はねぇよ!

 

 クソッ……古生代のインターネットミームにJKの語彙が浸食されている……! ヤチヨちゃんの深夜配信の罪深さを感じずにはいられないぜ…………

 

 

 

 

 

 ☾

 

 

 

 

 そうして、久しぶりのゼビウスはお店の閉店時間が近づいたことでお開きになった。

 

 

「行けなかったね。一千万点」

 

「彩葉が途中で限界ヤチヨオタクにシフトしたからだろ……」

 

「結局今日のスコアってどっちが勝ち越し?」

 

「ゼビウスを無効試合にするならトータルで俺の勝ちかな。なんかくれよ、景品」

 

「……この塩飴いっこあげる。かぐやが持たせてくれたやつ」

 

 

 店員さんからの再三に渡る圧力に屈した私たちは、泣く泣くゼビウスの筐体前を退いて、そのままラウⅠを退店することと相成った。

 

 時刻は午前0時を回っていた。自動ドアを潜って、夏の夜特有の熱を持った重い空気と、さっきまで居た店内の涼しい空気のギャップに眉を顰めながら、何をするでもなく二人してお店の横にある駐車場に屯する。

 

 

「終電、流石にもうねぇよな」

 

「ウチ泊ってく?」

 

「他所の家の団欒に混ざる気はねぇよ。タクシー拾って帰るわ」

 

「そ……よかった。社交辞令だったから。もし頷かれたらどうしようかと思った」

 

「最悪だなお前」

 

 

 くだらない冗談で小突きあって、ケタケタと笑い合う私たち。

 

 それは今日初めて顔を合わせた時と同じだったけど……そこには、義務感や気遣いの類は一切必要なかった。少なくとも、私には、彼に対してそういう配慮をしようという気は失せていた。

 

 

「ねぇ」

 

「ぁん?」

 

「さっきの相談の話だけど……結局、全然答えになってなくない?」

 

「……バレたか」

 

 

 苦しくても前に進む為に、表現によって苦しみを昇華すること。それが自己表現であり、アートなのだと彼は言った。だからこそ、酒寄彩葉は自己表現をするべきなのだと。

 

 

「言ってること、全部そのまま鵜呑みにはできないけど、言いたいことは何となくわかったよ。でも……どうやったら昇華できるのかは説明してくれないわけ?」

 

「そりゃ、抱えてるもんは人それぞれだからな。どういう形にするべきなのかは、それを持ってる当人にしかわかんねぇだろ」

 

「言うだけ言っといて最後はそれかよ……無責任なヤツ」

 

「なんとでも言え。でも、そうだな強いて言えば──────」

 

 

 その時、道路を挟んで向かいに一台の無人タクシーが停まったのを、私たちは見た。

 

 その後部座席のドアが開くや否や、小柄な人影が飛び出してくる。頭から腰まで伸びた蜂蜜色の髪が街灯の光を反射して、キラキラと輝く様。それを見て、私は知らず微笑んでいた。

 

 

「強いていてば、あの子に聞いてみればいいと思うぜ。『私のどんなところが好き?』ってな」

 

「……マジで言ってる?」

 

「大真面目だよ。一番身近で、一番大切な他者に、自分を肯定するためのヒントを貰えばいい。案外全然予想してなかった方向から来るモンだぜ。そしてそれが、お前自身が見つけてやれなかった自分の価値のピースになるんだ」

 

 

 呆れ交じりの私のツッコミに真顔で答える彼に小さく溜息を吐いてから、私はキョロキョロと周囲を見渡すハニーゴールドの小柄な影に……私を迎えにきたかぐやに向かって手を振った。

 

 

「あ、居た! 彩葉──────────ー!」

 

「夜中にデカい声出さんでいい!」

 

 

 

 私は道路越しのこちらに向かってブンブンと手を振り返しながらぴょんぴょんと飛び跳ねて叫ぶかぐやを身振り手振りでクールダウンさせてから、その光景を目を細めて眺めている真横の人物を一瞥した。

 

 

「それじゃ、私あのタクシーで帰るから」

 

「おう。じゃあな」

 

「うん…………それと、ね」

 

 

 かぐやと何か話すつもりはないのだろう。壁に付けていた背を離して、駅の方に向かって歩き始めようとした彼に向けて、私は聞こえるかどうかわからない声で切り出した。

 

 

「何?」

 

「あの日のこと」

 

 

 私のその言葉を受けて、彼はこちらに背を向けたままピタリと静止した。

 道路を走り抜ける車の音や、通り抜けていく歩行者の音、閉店間際の店内の賑やかな音が、私たち二人から遠ざかっていく。

 

 

「私ね、置いていかれて、寂しかったよ」

 

「…………」

 

 

 私を置いて家を出たことを、許さなくていいし、許されようと思ってないと彼は言っていた。もうそんな段階じゃないのだと。

 

 だけど、それは自分を許さないで欲しいという自罰的な願望の押し付けなんだろうな、というのも何となく理解できた。

 

 

「見捨てられたんだって思った。仲がよかったと思ってたのは私だけで、実際はなんにも話さずにお別れしちゃえる程度のものだったんだって」

 

「……………………」

 

 

 許されざる行いは罰されるべきだ。それが自分のことならば、特に。

 

 私ならそう思うだろうから、今こうして私に背を向けて俯く彼も同じはずだ。だって、私がそうであるように、彼もお父さんの子供だから。

 

 

「一人でいるの、辛かったよ。もし家に貴方が居ればって何度も思った。そう思うたびに、捨てられたことを思い出して辛くなって……だから、貴方には二度と何も期待しないことにしてたの」

 

「…………………………」

 

 

 彼は背を向けたまま、黙って俯いている。

 謝るのは許されたいという気持ちの表れって言ったのは、お母さんだったか。

 

 だから、こうして私の剥き出しの思いを突き付けられたら謝れないのだろう。許されたくないと思っているのだから。

 

 

「ヤチヨと出会えなければ、一人きりの私はきっとどこかで自殺してた。私が苦しかったのは、私が辛かったのは、その何割かは貴方の選択の結果だと思う。場合によっては、命の責任も」

 

「…………………………………………」

 

 

 その気持ちは分かるけど、それは彼の望みであって私の望みじゃない。許すかどうかとか、恨んでいるかどうかとか、そういうのは、全部自分で決めるべきだった。

 

 きっと、そうやって自分自身と向き合わない限り、自己表現なんてできっこないのだから。

 

 

「彩葉、俺は」「────でも、もういいの。今は、どうでも」

 

 

 彼が、何かを言う前に、私は被せるようにして今の私の結論をぶっちゃけた。

 

 どうせ経済支援とかそういう話を切り出そうとしているのが手に取るように分かった。

 

 不可逆の喪失に人が報いられるものはお金だけ。それが欠落に対しての人の抗いであり、唯一の祈りである……というのも、お母さんの言葉だった。

 

 そして私はそうは思わない。今は、もう。

 

 

「そやから、そんなシケた面ぶら下げんでもいいよ。もうそんな重大なことやあらへんから……さっ!」

 

 

私は硬直する彼の後ろ姿に飛びつくように近づいて…………その尻に、渾身の回し蹴りを放った。

 

 

「…………うぉあああああぁあ!?」

 

 

 悲鳴を上げながら派手に吹っ飛びつつ、身に染み付いた動作で素早く受け身をとって転がるその姿を見て、私はケタケタと笑って見せる。

 

 

「てめぇ急になにしやがる!」

 

「隙見せたアンタが悪いんとちゃう?」

 

 

 私は笑い半分に彼に近づいて立ち上がらせて、服に着いた埃を乱暴に叩いて落とした。突然の凶行に、通行人がぎょっとした眼差しを向けてくる。だけど、今この瞬間はそれも殆ど気にならなかった。

 

 

「もう重大なことやあらへんのに、そないな面されても私が気ぃ悪くなるだけや。そやから、これで手打ちにしたる。もうこの件はこれでおしまい」

 

「お前さっきあんだけ辛かった言っとったのに、なんで急にそないな────」

 

 

 これだけ派手に暴行を加えられておいて、殊勝にもまだそんなしおらしい台詞を吐ける彼の口の前に人差し指を立てて黙らせる。

 

 怪訝な顔で台詞を切った彼に向かって、私はそのまま親指で道路の向こうを示して見せた。今の私にとっての、理由の全てがある場所を。

 

 

「…………ああ、そういう」

 

 

 私たちの目線の先では、私が中々信号を渡ってあっちに行かないことに業を煮やしたかぐやが、地団駄を踏んで何かを捲し立てていた。浮気がどうとか、フシダラがどうこうとか。そういう感じの内容を。あの子にとっては、常人ならば受け身を取れずに顔面がズタズタになりそうな乱暴も愛情表現の一種と映るらしかった。

 

 ……いや、だから浮気ってなんだ浮気って。ここ最近やたらと言われるようになった覚えのない罵倒に首を捻りながら、私はすぐそっちに行くから待ってろって旨のジェスチャーを送る。実際、彼に言えることなんてこのくらいのものなのだ。

 

 

「今更そんなことを考えてれないくらい、大事なモンができたから、か」

 

「うん」

 

 

 少しだけ気恥ずかしい結論だけど、それが今の私の飾らない本音で、飾る余地のない自分自身だった。

 

 あの子と出会えたからって、今までの全てがチャラになるわけじゃない。私が彼方を悲しむ理由も、私が此方を嫌いな理由も、私が貴方を許せない理由も、私の一部になって胸の中に在り続けて、なくなったりはしなかった。

 

 だけど、それでも。

 

 

「あの子と会えた今は、苦しいだけじゃなかったって思えるの……この気持ちなら、きっと音楽にできると思う。それが昇華ってやつなんでしょ?」

 

「……ああ、そうだ。きっとな」

 

 

 それでも、と思えることが、私に必要なことなんだって。

 それが、今日教わったことだった。

 

 

「相談、乗ってくれてありがとうね、お兄ちゃん」

 

「…………今更気にすんな。いつもやってたことだろ」

 

 

 ヤチヨが教えてくれたこと。かぐやが教えてくれたこと。お兄ちゃんに教わったこと。私が舞台の上に立つ為に必要なものは、きっとこれで十分だと思えた。

 

 

「じゃあ、またね、お兄ちゃん」

 

 

 それだけ告げて、私はかぐやが待つ向かいの道へ行く為に、横断歩道に向かって歩き出す。

 

 

「ああ、またな」

 

 

 それ以上特に何もなく、本日のキョーダイ会議は終了したのだった。

 

 

 


 

 

 

 二人がじゃれ合いながら無人タクシーに乗り込む光景を最後まで見守ってから、俺は小さく息を吐いて…………誰も居ない場所に向かって口を開いた。

 

 

「────彩葉が言う月見ヤチヨの楽曲評は、世間のそれとかなり違ったんだよな」

 

 

 今の時代、突然虚空に向かって何かを話し始める奴がいても誰も気にしない。単にスマートデバイス越しに通話してるんだろうと思うだけだ。

 

 

「タイアップとか他コンポーザーからの楽曲提供は別だが、月見ヤチヨは基本的には自分のことを歌いがちなタイプのアーティストだ。自分のこれまでの苦しみを、別のカタチに昇華して、歌にする。コンポーザーに限らず、少なからぬアーティストはヤチヨちゃんのそういう仄暗さと同居した優しさと強さに惹かれて、真似をするわけだ」

 

 

 私の過去の轍を見るあなた。

 ここで会うのは偶然じゃないよ。

 

 そういうメッセージに救われた人は多いし、俺にとっても、そういう苦しみへの共感が少なからず前に進むための活力になっていた。

 

 

 ……そういう歌が、ヤチヨちゃんが『自分』を歌うときのテーマだった。

 

 

「だけど、彩葉にとっては違うみたいだった。月見ヤチヨが与えてくれるのは、赦しだけだって。神様の愛みたいに、普遍的なものとして自分に届くメッセージだってな。"これ私の歌だ……"ってやつ?」

 

 

 勿論、創造物をどういう風に解釈するかの主体は常に受け手側にある。同じものを受け取ったとて、同じフィーリングまでもを受け取ることは在り得ない。むしろ、その奥深さ故の解釈の揺らぎの振れ幅もまた、月見ヤチヨの魅力の一つだ。

 

 普通なら気にするようなことじゃない。普通なら。

 

 

「明後日……いや、もう明日か。29日の夜のコラボライブ目前スペシャル配信があるだろ。俺たち黒鬼もヤチヨちゃんも出るやつ。あれの後で、ちょっと時間空けといてくれ。聞きたいことがある。コラボライブ後でも良かったんだけど、さっき気が変わったんでな」

 

 

 例え酒寄彩葉という少女が、音楽に含有する創り手のメッセージの込め方や紐解き方に造詣が深かったとしても……気にするようなことじゃない。

 

 普通なら。

 

 

「…………頼むぜ、ヤチヨちゃん。どうせ聞いてるんだろ、今も」

 

 

 その言葉のきっかり5秒の後、シルバーフレームのスマートウォッチが振動する。見れば、予定がぎっちり詰まったスケジューラーに、新しい予定がひとりでに書きこまれたことを通知するものだった。

 

 

 ……自分で嗾けておいてアレだけど、プライバシーもクソもあったもんじゃねぇな。

 

 

 そう苦笑して、今度こそ俺はタクシーを捕まえるために歩き出す。

 

 コラボライブまであと二日。

 その先に待ち受ける何かへの奇妙な予感と胸騒ぎが、俺を今日の遊びの誘いへと突き動かしていた。

 

 

「……そういや、もうすぐ新月か」

 

 

 道すがらネオンに照らされた夜空を仰いでも、か細い有明月の姿はどこにも見当たらなかった。それも当然だ。明るいからこそ、隠れてしまうものはある。月見ヤチヨがそうであるように。

 

 だとしても、酒寄朝日は真相を知る必要がある。

 妹にとってそれがどんな意味を持つにせよ、今度こそ傍にいてやるために。

 

 

 

 夜の向こうに何があるのか。

 俺はそれが知りたかった。

 

 




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