「唯川さんはどうして帝都大法卒というブランドを捨てれたんですか?」
ふいに声に出た疑問だった。帝都大は日本最高峰の大学だ。キャリア組として警察庁に入る事だって出来たはずだった。それなのに、なぜ。
「単純です。現場にずっと居たかった。それだけですよ。それと遅く来た反抗期、というやつです」
「僕だったら手放せません。実際、啓央にしがみついて準キャリアですし」
「いいと思いますよ。やりがいだけじゃ生きていけませんから」
「でも結局、僕がここに居るのはやりがいなんですよね。警察官としての。色々怪我も障害も残ったのに、意地で復職したのはやりがいですよ」
さして署までは遠くはない。その後数分の沈黙があったが直ぐに車は麻布署の駐車場に停められた。
結果わかったことは確かに飛び降りた彼女の名前は盗まれたと見られる期間に薬品庫に入室記録があったということと、彼女のスマホからは何かを取引した痕跡が残っていたことだった。
「まだ確定ではないですが彼女が盗み出した可能性はかなり高いですね」
「ですねぇ」
会議室に通されて見せてもらった資料の中には昨日目にした名前があった。
「久しぶりだな。唯川、元気してるか?」
会議室に入って来たのは50代くらいの大柄の男だった。背は195もある唯川さんよりは低そうだが細マッチョの唯川さんと比べて横にも大きいので170後半でかなりの痩せ型の俺にしたら威圧感はかなりあった。
「誰ですか?」
コソコソ小さい声で隣にいる唯川さんに聞いた。
「西尾勇気警部、刑事課長です。私が捜査一課に来る前は麻布署にいたので」
なるほど、元上司というわけだ。
「今はなんの事件追ってんだ?あんま無茶すんなよ」
色々な人から無茶するなだとか暴れ馬だとか、あぁコイツかみたいな顔をされる隣のコイツはマジ何をどれだけやらかしているのか。
西尾警部はどっかりと目の前のパイプ椅子に座った。
「あ、僕は
「コイツ、ちゃんとやれてる?暴れてない?」
「今のところは......」
「それで、刺殺ではなく毒殺を疑って捜査中というわけか」
「ええ」
「盗み出したであろう、女性のスマホには取引と見られる履歴が残っていたのでその取引相手を今は追跡してもらっているところです。
彼女の取引相手の特定は直ぐに終わった。そういう裏取引というものに慣れていなく、特段詳しいというわけでない、一般人だったからだった。
「やはり、ですか」
貰ってきた資料に書かれたその名前は想像した通りだった。
若葉澪。第一発見者のホテリエの男だった。
「それで?これからそのまま話を聞きに行くのですか?」
2人がいるのは事件が起きたスイートルーム。現場捜査はし尽くされ、特殊清掃が入る寸前の事だった。捜査状況や成果は逐一報告しているからもうすぐ捜査一課が令状を持って犯人を捕まえに来るだろう。
「ああ、はい.......」
梛はどこか上の空だった。
「結局、負のスパイラルって事ですかね。そこまでして最悪死刑が下る犯罪などクズに復讐したいからと犯さなくていいのに。全員、まだ若いじゃないですか」
瞠は何も言えなかった。責められているようで胸がズキズキと痛む。いや、責められているのは事実か。彼がどこまであの真実を知っていようと罪を知っていて告発しないのは同様に罪なのだから。
「帰りましょうか。唯川さん」
梛の顔は一転して爽やかだった。しかし瞠は恐ろしかった。
「え、ええ」
「飲みに行きませんか?」
「すみませんね。少々用事が」
「わかりました。じゃあまた今度。警視庁までは運転お願いしますね。唯川さん」
「わかりました」
「瞠、奴はどうだ?」
警察庁、次長室に夕陽が差し込む。
「流石に“あの”唯川だとは気づいていましたよ。まだ両親のことについて聞けるような間柄ではありませんのでこれ以上は」
「そうか。まぁいい。俺はしばらくすれば長官だ。奴は準キャリアで普通に過ごしていればキャリアを傷つける事などない。バレなければ、なぁ」
「ええ」
瞠はずっと苦しそうな表情をしていた。
「これからも監視を頼むぞ」
「はい。お父様」
父である
父は唯川グループの会社に入ることは選ばなかった。瞠と同じ帝都大学の法学部に入学した後は警察庁に入った。
瞠も父と同じ道を進むはずだった。父のことは心から尊敬出来なかったが、警察官という職業は憧れだったから。
しかし、瞠は国家公務員試験の直前で受けるのをやめて、警視庁に入った。その理由は1番仲の良い友人だった春樹にすら話さなかった。
荷物をまとめて外に出た頃にはもう外は真っ暗だった。
「ただの自殺じゃないっすか?」
ブルーシートの下には東京湾で見つかった水死体。一応中を見るが水死体にしては状態がいい方で見つかるまでが短かったのは幸いだが新人刑事の原田幸にとっては十分インパクトがあり、正直胃酸が出かかっていた。
「まぁこれが死体の胸ポケットから見つかったんだから仕方ねぇよ」
春樹はチャック付きポリ袋に入った証拠品、警察手帳を出す。
「そうですよねぇ」
「再会がこれとはな......」
「えっ生田班長......?」
「伏見さんですか。ええ、覚えていますよ。捜査2課に配属になったとは聞きましたが。いかんせん1課だけでもかなりの人数。他の課となると会う回数は殆どないですね。私から話せることは無いですよ。春樹」
急に捜一に呼び出された瞠は少々機嫌が悪かった。捜一時代ほどでは無いが相変わらず激務だ。いくら父親が警察庁次長でも。しかしあまり仲が良く無いという噂や前妻の子という事実がある以上他の警察官僚の娘息子よりは扱いは雑だ。ノンキャリアなのもある。公安部にツテがないのも、芺威は結構嫌われているのも。
とにかく、瞠は疲労していた。慣れない部署で、嫌いな父の命令で何があったのかよくわからないが警察官としてやっていけるのか不安になるトラウマ症状持ちを監視する事になったが瞠は捜査のために嘘をついて監視の目を潜り抜けたことは数あれど、自分が監視する側は慣れない。
瞠は疲れていた。結局資料とブルーライトに埋もれ報告書を完成させて気づいたら朝だった。仮眠室に行こうとしたところで春樹からの呼び出しが掛かったのだった。
「伏見さんがどうかされたのですか?」
最悪の想像で瞠の顔は曇る。
「今朝東京湾で水死体で見つかった。幸い発見までが短くてな、顔と一致して伏見だとわかった」
「私にこの話をするということはヴァルキリーが関わっていると?」
「ああ、伏見は最近偽装通貨を使った詐欺事件を追っていてな。目をつけていた建物がヴァルキリーの拠点の一つだった所みたいだ」
「それで単独行動して東京湾に沈められたと?」
「......ああ、うちはそう睨んでいる」
「わかりました。ところで春樹、なぜ貴方は私達に協力してくれるのです?手柄を奪われるとか考えないのですか?」
「犯人が捕まればそれでいい。だろ?」
瞠は微笑んで立ち上がる。
「わかりました。聖園さんにも伝えておきます。私はもう眠いので一旦寝るので2時間はかけてこないでくださいね」
キッと睨みつけ、釘を刺して瞠は部屋を出て行った。
「水死体ですか......」
「はい。その見つかった警察官は捜査2課の刑事でして。最近、通貨偽造を使った詐欺事件を追っていた所、その組織の拠点がヴァルキリーの拠点の一つだった所のようで。それで元構成員の関与を疑って春樹が私に相談を。私達の同期なのですが。残念です」
「それで、その拠点というのは?」
「旧深山運送の第3倉庫です」
そう言った途端梛の顔が曇る。
「1年半前の......」
「そうですね。1年半前の事件現場でした」
「でも、もうヴァルキリーは関係、ないというかヴァルキリーの元構成員なら関わりたくもないと思います」
「どうしてそう言い切れるのですか」
梛は口籠る。あれ、を言いたくはないからだった。どうせバレるとしても今は嫌だった。
「そりゃ、失態を犯した場所ですよ?貴方なら仲間が捕まった場所で犯罪、やりますか?」
「いいえ」
梛のスマホに着信が入った。誰からかは分からないが、偉い人らしい。
「それでは、今から伺います。課長」
「お呼び出しですか?」
「はい。警察庁に行ってきます。すぐ戻ると思いますので帰ってきたらすぐ出れるようにお願いします」
「わかりました」
「何か、ございましたか?課長」
「課長はやめてくれ。もう君の課長じゃないよ」
「では、橘さん。急に呼び出したのには何か訳が?」
梛は、怖かった。目の前にいる元上司という存在が。何を言われるかということが。
「心配しているだけだよ。聖園くん。君は随分頑張り屋さんだからね」
「心配?人殺しのことが?分かってるのに名乗り出れない人殺しのどこに心配する要素があるんですか!?」
怖かった。梛はこの1年半ずっと奥底で恐怖を抱いていた。
「君のせいじゃない。それに君は生きようと、羽島くんを助けようとしただけだ」
「自分で、この手で、僕は、殺したんです。撃ったんです。生きようとした?助けようとしただけ?羽島さんまで撃った、それが事実だ。なんで僕は許されているんですか?拘置所に居ないんですか?僕は......」
梛は床に崩れてしまった。涙が溢れていた。
「君はゼロとしての責務は果たしたよ」
現場までの車の中、その言葉が梛の中でぐるぐるしていた。
「聖園さん......何かございましたか?」
「いえ、大丈夫です。偉い人と会ったので疲れてるだけで」
「へぇどなたですか?次長?」
「貴方の父親とは会ってません。課長です。課長。警察庁時代の」
「そうですか。いい人なんですか?」
梛は少し考えたあと、こう言った。
「いい人ですよ。本当に」
「唯川さん、これも良いですか?」
「良いですよ」
休憩と食料補給のために入ったコンビニで奢ってくれるという瞠に甘えて梛はバナナクレープをカゴに入れた。
とりあえず昼ごはんを確保出来た2人は、再び現場へと車を進めた。
高速に乗った直後、入電した。
道路上で事故ったまでは良いものの、殴り合いの喧嘩に発展しているそうだ。
しかもこの先100mとかなり近い。
「行きますか」
「はい」
梛は窓を開けてパトランプを屋根に設置し、マイクを手に取る。
「現場に急行します。道を開けてください。パトカーが通ります。道を開けてください」
サイレンと共にその現場へと着いた。
数台が玉突きを起こした挙句数人がかなりのヒートアップをしているようで、通行できなくなっており後ろの車は困っていた。
「警察です。警察ですよ。ほら落ち着いて。落ち着かなきゃ何も解決しませんから」
主に喧嘩をしている2人とも体格が良く、177cmでかなりの細身の梛を無視して取っ組み合っていた。
「ダメですよ。こんなところで喧嘩しちゃ」
しかし、195cm細マッチョの瞠を前にして、萎縮したのか2人とも相手の体から手を離した。
話を聞けばまず危険運転の車を避けようとして隣車線にの車にぶつかり、運転手同士で喧嘩が始まりその後喧嘩を諌めようと入っていったが流れ弾で殴られたことにイラついて殴り返したことで数人での殴り合いになったらしい。その後数台が玉突き。大事故すぎる。
「バカなの」
梛はついそう口に出してしまった。
梛は左腕の腕時計を見る。スクエア型で形見の超がつく高級腕時計。
時間がない。まぁ自分たちはとりあえず来ただけであって。交通専務に引き継ぐだけなのだけど。
交通専務はその後すぐ到着したは良いものの、自走できない車ばっかりで道を塞ぐように事故ってしまっているためにレッカーに時間がかかる。それが計5台分。
まさかの足止めにため息しか出ない2人だった。
とりあえず自走出来た1台だけ自走で路肩に止め、1車線で通行は再開された。
「お疲れ様でした!捜査頑張って下さい!」
交通専務に見送られ、再び車に乗り込むと1時間半弱遅れて現場へと目指した。
と思ったらまた入電する。まぁこの東京という都市は人が多い分犯罪も多いのだが続け様は疲れた。
〈警視庁から各局。旧深山運送第3倉庫にて立て籠り事案発生。急行せよ〉
「ここって」
「はい。見つかった場所から100mも離れてませんよ。しかもヴァルキリー関連の事件現場でもある。これは……」
「行くしかないですねー」
深山運送第3倉庫、か。梛は考えた。唯川の同期の捜査2課の刑事がヴァルキリー関連で殺されたのであれば、この立てこもりもヴァルキリーの元構成員が関わっている。そしてまた様々な違法品の取引の噂が回って来ている。警察への恨みとヴァルキリーという組織の立て直しを図っているのかもしれない。
四方八方からけたたましいサイレンとパトランプと共に何台もの警察車両がやってくる。
騒ぎを聞きつけて駆けつけた野次馬をかき分けてポリステープを潜る。
「てめぇらか。ヴァルキリー専門係ってのは。って、お前捜一の暴れ馬!なんで公安側にいるんだよ」
satの隊長、土井剛がやってくる。
その後ろから若い隊員が小走りでやって来た。
「隊長!その人たちですか?あれ……?聖園?聖園だよな!お前ゼロになったんじゃないのか?」
ゼロに配属されると色々消されたり不自然になるため同期は勘づくやつもそれなりにいる。
「覚えてるか?龍山だよ、龍山優希」
「知り合いか?」
「はい!聖園は頭はもちろんですけど拳銃の腕が特に良かったんですよ。2回目の練習で全部真ん中に当ててるんですよ!?それなのにすぐ消えて連絡取れないから引き抜き準キャリアで警察庁、ゼロ行ったんじゃないかって。顔出してるってことは何があったかは知らないけど生きてるなら良かったよー」
「へぇ、貴方も最初はノンキャリで行こうとしてたんですね。あんなこと言ってたのに」
瞠の脳内に梛が言った「帝都大ブランドをなぜ捨てれた」という言葉が駆け巡る。
捨てようとしたじゃないか。一度は啓央ボーイというブランドを。
「結局捨てれずに国家公務員なんですからいいでしょ。それで、状況は?」
咳払いをし、情報提供を急かす梛。
「犯人は不明だが5人以上はいる。人質はそこらを歩いていた一般市民。動機は警察への恨みだろうな。ヴァルキリー上級幹部全員の解放を望んでいる。さもないと東京中を爆破する。だとさ」
「上級幹部は1人残して全員既に死んでる」
「はぁ?」
梛の衝撃的な発言に驚きを隠せない。
「5年前2人死亡、1年半前に4人死亡。1年前に2人死亡。ボスは昨日自死した。」
皆、5年前と1年前の話はよく知っていた。しかし、1年半前同じこの場所で起きた事件の際捕まった4人の話は一度も聞いたことがなかった。
「残った1人も他が死んだことを知ってぜーんぶ情報吐いて司法取引済み。運が良ければ一生の監視付きだけど20年で出てこれると思う。ここで戻ったとてアイツが奴らに協力するとは思えない」
「なんで、そこまで」
「1年半前の事件、被害者の警察官は僕で捕まったとされた4人の幹部と2人の下っ端全員撃ち殺したから」
「は、はぁ!?撃ち殺した!?」
ありえない話についていけない。
「すべて正当防衛で片付いてしまった」
「じゃあその怪我って……」
優希は梛の全身を見る。
「うん。色がほとんどわからなくなったのは殴られて神経がおかしくなったせい。足が悪いのは撃たれたせい。でも、撃っちゃダメだった。殺しちゃダメだった。すう、枢まで殺した。許されちゃ行けないのに、あの人は……僕が、僕が……」
ああ、そうか。そうなのか。瞠は納得が行った。梛が血を見て取り乱したのは地獄絵図であろう1年半前のこの場所とあの血まみれのスイートルームが重なったから。
こいつがゼロだったから、危険分子だからあの人は俺に監視を頼んだのだと。