「え……」
1ヶ月後、梛は警察大学校で教官科を終えた翌日の事だった。しばらくと言っても1週間程度は休暇になるらしく、ゆっくりしていたのだが寝起きにスマホを開いてSNSを見て驚いた。大変なことが起こっている。世界トレンド1位に躍り出たのは「聖園食品」の文字列。続いて爆発、脅迫文。物騒な文字列が並ぶ。梛は震える手でそれをタップした。トップに出てきたのはニュースサイトのアカウント。
【聖園食品の工場で爆発 本社には脅迫文も。被害者はゼロ。
本日11月1日7時半ごろ、京都市内にある聖園食品の人気菓子の工場兼直売店で爆発が発生。始業前ということもあり、被害者はゼロ。また、東京本社に社長宛で脅迫文が送られていたとの事です】
梛は急いで類に電話を掛ける。数コールして、類は出た。
「類くん!」
結局、呼び名は前に戻った、というよりは気分によって、父さんか類くんだった。
類は今京都にいたはずだった。類の父である創に代わって視察をしていたのだ。今年から本格的に継承に向けて動いていたのである。
「梛くん。俺は大丈夫。ただやっぱりこっちで対応があるからしばらく帰れないね」
「明日そっちに行く。調整してもらうよ」
「え?」
「異動先が京都警察学校に決まった。それでしばらくは職員寮に住む事になるけど、それの入居日を調整してもらう。出来なきゃホテルに泊まれば良いし。もちろんかなり離れてはいるけど前入りしたら会えるよ」
「わかった」
「それに、詳しい話を聞かせて。公安案件だし、わかることもあるかも」
「じゃあ、待ってる」
「うん」
電話を終えると再び、電話を掛ける。京都警察学校の学校長だ。簡単に良いよと言ってもらえたので急いで準備する。とはいえ全部持っていけないし持っていくつもりもない。とりあえず1番大きなスーツケースにスキンケアや私服を上下5セットとカーディガン、パーカーなど4枚や制服のダウン、冬制服、儀礼服を詰め始める。
あとの管理などは事前に類にお願いしていた。家事代行を頼むにしても、距離が離れていると怖いものがある。信頼出来る人に預けていないと、という事である。とはいえ最悪気にするべきは冷蔵庫の中身ぐらいなものだが、そもそも家を長期間開けていたので現在は飲み物ぐらいしか無いし、電気代をそこまで気にならないほど金はあった。
新幹線と大荷物エリア予約を完了して、一息つく。後は拳銃の所持許可証を手に警視庁に行くだけだった。
「あ、唯川さん、僕のベレッタ返してください。9ミリパラより45が良いんですよ。反動とか」
警視庁、刑事部捜査一課。休憩から戻ってきた瞠の目の前に居たのは梛だった。
「閑院さんに拳銃の得意不得意なんてあったんですね」
「やりやすいやりにくいぐらいはありますよ……ほら、さっさとやっちゃった方がいいので」
「……わかりました」
再登録自体は既に終わっていたが、まだ受け渡しが行われていなかった。
「それと、明日京都に発ちます」
「決まったんですね」
「はい」
「きょう、とですか」
京都。今朝、爆発事件が起きた。しかも日本最大手と言ってもいい食品会社の元本社がある直営店兼工場で。聖園食品の社長、聖園創は梛の元祖父である。
「父は、今京都にいるんです。祖父は、父を本格的に次期社長として育てる気のようで、それで京都に1週間程度の視察をとの事だったんです。それで、これに巻き込まれて……心配なので早めに向こうに行く事にしたんです」
「……動画は見たけど……」
翌日、11時。現場は大部分が焼失し、隣にも焼け移ったがとても運のいい事に被害者はゼロだったのは本当に良かった。この辺りが京都の中心部だというのもあってそもそも人は多く、野次馬が固まって混んでいた。
現場を見たいと頼み込んで問題にならないように調整したが、ポリステープの前で警備をしている警察官にまだ更新されておらず、警察庁のままの警察手帳を見せると一瞬びっくりしたような顔になったあと、素直に通された。
「それで、君が閑院君? 僕は京都府警捜査一課第一特殊犯捜査の主任の藤田といいます」
梛と同じぐらいの背丈で40代ごろの男が梛に話しかける。
「はい。閑院梛と申します。本日は本当にありがとうございます」
「いやいや、離縁したとはいえ、家族でしょう。心配すんのは当たり前ですよ。まぁ気になることがあったら何度も聞いてくれて構いませんので。田中係長には君に付き添ってくれ言われてますので。それで、わざわざこちらに?」
「ついで、ではありますが。今月からこちらの警察学校に異動になったんですよ。それで、着任日自体は1週間後なんですけど早めに」
「そうやったんですね。お帰りなさいませ」
京都ジョーク、と言ったところか。
現在国のものとなっている京都御苑にはもちろん旧閑院宮邸がある事に絡めたジョークである。
一応梛は皇族復帰について拒否したがかなり受け入れられていた。
「ふふ……ただいま戻りました」
「爆発物は……」
爆発の震源地に足を踏み入れる。元々はスタッフルームだったはずの場所だ。真っ黒に焦げていた。
「遠隔でスイッチ押したら爆発する、まぁ作ろ思ったら知識ある奴は作れる奴ですね。材料も簡単ではないですけどそういうとこに勤めてたら手に入るような、絶対手に入らんものでも無いし……それと改めてこちらが脅迫文の全文です」
藤田はタブレット端末の電源をつけ、画像を表示する。その画像はチャック袋に入った手紙だった。
【つぎは、東京だ。まずは1000万用意しろ】
その、パソコンで作られ、印刷されたために筆跡鑑定も出来ないものが聖園食品に届けられていた。
「やはり第二のミラクル・聖園事件の可能性は高そう」
「ええ、その可能性も視野に入れてますが……まだ何も」
ミラクル・聖園事件はMM事件とも呼ばれ、1987年にミラクル製菓に対して脅迫文が届いた事から始まる日本初の劇場型犯罪で、のちに模倣犯も複数出た。毒物を混入し、関西圏の食品会社を対象にした企業脅迫事件だったが、結局警察は犯人の1人も捕まえる事なく2003年に時効を迎えた。
「2003年は聖園食品の食中毒事件が起こった年です。当時は、それの再来かとは言われましたけど、結局上司に嫌気がさした単独犯だった、と結論づけられました。ただ、本当にそうだったら……?」
「こっちから警視庁に話つけてみます。まぁ、向こうも手ぇ回してるでしょうが」
藤田はタブレット端末を仕舞う。
「すみません、ちょっと出ます」
「どうぞ」
梛は電話に出る。
「枝野さん、どうかしましたか」
電話先の枝野という男は随分焦っていた。枝野はユグドラシルビルの社長である。現在、ユグドラシルビルは梛がオーナーとなっていた。公務員の副業規定は厳しいものだが認められた。
枝野も梛が幼い頃から知っている男ということと聖園の睨みは効いている事もあって信頼していた。
「きょ、脅迫文がうちにも届いたんです!」
「わかりました。それを写真に撮ってメールで送ってください。それと、聖園食品と警視庁にもそれを」
「承知しました。また追って連絡します」
「ユグドラシルビルにも脅迫文ねぇ……」
下京警察署は大忙しだった。最大手の食品会社が爆破されたともあれば当たり前の話かもしれないが。
急いでやってきた警視庁の人間も10名程度居て、その中には梛が数度話したこともある人間もいた。そのほかには京都府警本部の人、近隣の警察署や他府県警から来た人などで混み合っていた。
2003年聖園食品食中毒事件はまだしも、1987年のMM事件はもう40年以上前の話だ。当時を知るものはもう警察にはいない。
「それでこれが今んとこわかってることです」
捜査本部に招かれた梛に資料を見せる。
「それで、やはり我々は閑院さんにご協力頂こうと思ってるんです。閑院さんの今までのご経験からわかることがあればと思いまして……まぁもちろん忙しいのはわかっていますが……」
梛は薄い資料を手に取ると捲り脳に入れる。
「防犯カメラには映っていた、と」
聖園食品とユグドラシルビルには同じ男と見られる人が写っていた。
「はい。ただご覧の通りこの季節もあって割と厚着で帽子とマスクにサングラス……顔はよぉわかりませんSSBCの皆さんがアトアシマエアシを見つけんのはあと少し先ですねぇ」
梛はその画像を食い入るように見つめる。次のページを捲る。次はそれを拡大したものだった。
「映像、映像はありますか」
「え、ええ、どうぞ」
藤田に渡されたタブレットで何度か再生したのち、梛は呟く。
「死んだはずじゃ……」
「はい?」
死んだはず、その言葉に藤田は聞き返した。
「羽島枢はしますうは死んだはず、生きてるはずなんかない」
「羽島枢……? 閑院さんの元連絡相手の? あの事件で殺された?」
いろいろニュースや特集番組になっているので京都府警の刑事部の人間といえどある程度は知っていたのだ。
「この特徴的なジャケットは、羽島さんが冬の潜入時によく着ていたものです」
「いや、でもそれだけで羽島さんとはいえないんじゃ」
「周りから考えて映っている男の身長は170あるかないかだと推察出来ます。羽島の身長も170cm、それに、この癖は……」
この癖というのは踵でもう反対の踵を擦ることだった。靴の踵部分は確かに不自然に擦り切れていた。
「僕は、枢が亡くなったところは知らないんです。正確に覚えていない。それに最近までこの手で殺したと思っていましたし……」
「……」
「脳みその保護機能でしょうね。それにヴァルキリーの構成員を殺したのには変わりないので……」
「わかりました。羽島枢さんのご実家は……」
「北海道です。父親は道警。ただ、幹部ではありません」
「こちらで道警に話をつけてみます」
その後、枢の当時の上司にも防犯カメラの映像を見せたところ「確かに羽島の可能性が高い」との回答が得られた。
「死んだはずの人間が容疑者?」
警視庁、大会議室。聖園食品やユグドラシルの社員からの聞き取りやさらに防犯カメラの映像を回収する横で、京都に派遣する第二部隊を組んでいる中、新しい情報が先発隊から入ってくる。
瞠は殺人捜査だが駆り出されていた。
「ああ、京都府警はこの聖園とユグドラシルの前に現れた男を羽島枢だとみて捜査を進めるそうだ」
管理官は羽島枢の当時の照明写真や警察学校時代の写真をホワイトボードに貼る。若い、爽やかな笑顔の男性だ。
「しかし……」
瞠は管理官の発言に疑問を持つ。羽島枢はどの資料でも死んだと書かれている。確かに遺族に連絡をし、正式に葬儀を行ったのはここ3年の話だったが、それでも死亡診断書はある。
「すでに2人の警察官から羽島枢の可能性は高いと証言を得ている。彼は当時公安の作業員だった。ゼロからの命令を受けて行動していたから顔を知っている奴も少ない」
「それって……」
「1人は羽島枢の当時の上司であり、現警視庁公安部長の長崎と、当時の連絡役のゼロだった閑院だ。防犯カメラ映像から切り抜かれた静止画を見た閑院は、違和感を感じて映像を要求したそうだ。それで映像を見て確信したらしい、羽島枢だと」
捜査会議は、オンラインで下京警察署と繋げられて行われた。
「犯人は、閑院梛警部が所有している資産管理会社、ユグドラシルビルにも脅迫文を送っています。
内容は「君たちも一緒だ、次はお前ら」といったものです。ユグドラシルビルは主に都内の不動産、競走馬を所有しています。犯人は京都で起きた爆発の後、東京の聖園食品本社にも「次は東京だ」と送っていますので近々行動を起こすつもりでしょう。
ユグドラシルビルの主な所有不動産と最後の現役馬であるロサシレンティウムのこれからのスケジュール、そして引退馬の牧場のリストです」
警視庁側の1人がスクリーンに投影する。
誰でも聞いたことやみたことのある場所や建物がずらりと並ぶ。その中でもやはりロサシレンティウムは特に競馬に詳しくなくとも誰もが知るアイドルホースだった。
「今月ロサシレンティウムは東京競馬場で天皇賞秋に出場します」
ロサシレンティウム。青毛の牡馬で、現在42戦40勝。馬体は小さいが国内外を後方にいたかと思えばいつの間にか1番前を走っていることから着いた異名は
顔立ちも上品で、国内外で大人気の馬は天皇賞秋に出場する予定だった。そして、天皇賞秋は明日、11月3日開催だ。狙われる可能性は高い。