「何してんのミカちゃん?!」   作:天ちゃん

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一応、ホラー⚠️注意⚠️でぇ!
上手くかけてる自信ないので、そこまで怖くないカモ……


「「ギャー?!」」「余裕じゃん☆」「一体何に怖がる必要が――」

 ――深夜十一時。

 トリニティの寮は寝静まり、廊下には誰の足音もない。部屋の照明を落として、テーブルの上には小さなキャンドルを一本。揺れる炎が薄闇の中にとろけるような柔らかい輪郭を描いている。

 今夜の茶葉は、『Céleste-Souverain(セレスト・スヴラン)』より、『ヴェール・ドゥ・ニュイ』。夜の帳をイメージした、深みのあるダージリンに白茶をブレンドした限定品。香りは深く、穏やかで、この深夜の静寂にこれ以上ないほど似合っている。

 私はソファに深く沈み込み、毛布を膝にかけて、極上の一口に向かって唇を寄せた。

 

 ……これだ。この、誰にも邪魔されない漆黒の静寂と、薫り高い夜の一杯こそが──

 

 ドガシャァン。

 

 ……馬鹿みたいな既視感。

 

「おっっったのしみ~!! エルちゃーん!! みんな来てるよ!!」

 

 玄関の扉が、喜びという名の暴力によって開け放たれた。

 ミカちゃんが、両手を高らかに上げながら突撃してくる。

 

「……ミカさん、ノックは?」

「ミカ、せめて夜くらいは静かにしてくれないか……」

「まあまあまあ! 細かいことは気にしない! ほら、今夜は四人でホラー映画鑑賞会だよ☆」

「なんで私の部屋で? なんで私が参加確定してるの?」

 

 すでに三者三様の面々が、私の部屋に堂々と上がり込んできている。これはもう……認めるしかない。私は深呼吸をして、ティーカップをテーブルに置いた。こぼさなかったことを自分で褒めてあげたい。

 

「エルさん。突然で申し訳ないのですが……ミカさんがどうしても、と言い張って聞かなかったもので。……その、手土産に良い茶葉を持参しましたので、許してもらえますか?」

 

 ナギちゃんが、申し訳なさそうに小さな缶を差し出してきた。

 視線がそちらへ吸い寄せられる。見覚えのある銘柄の刻印。……『Arch-Pelago(アーク・ペラゴ)』。ナギちゃんがいつも大事にしている、あの限定茶葉ではないか。

 

「……ナギちゃん。それ、使っていいの?」

「ええ。エルさんのご機嫌を取り戻すためなら」

「……いいでしょう。四人で飲みましょうか。文句があるとしたら全部ミカちゃんに転嫁するよ?」

「いつものことだから大丈夫~☆」

 

 ミカちゃんが笑顔で返す。いつものことって自覚があるんなら少しは直しなさいよ、と思いながら、私は仕方なく毛布をソファの端に追いやった。

 

 

 ◆ ◇ ◇ ◇

 

 

 エプロン代わりに羽織っていたカーディガンを脱いでソファに腰を落ち着けると、もう部屋はすっかりミカちゃんペースになっていた。リビングのテーブルにはポップコーンが山盛りで置かれ、ナギちゃんが手際よくティーセットを準備し、セイアさんは画面に映画のラインアップを呼び出している。……いつの間にスクリーンが接続されてたの。

 一体、ここは誰の部屋なのだろうか。なんか連れてこられた風の2人もノリノリで準備してるしさ。、

 

「今夜の演目はこれだよ!」

 

 ミカちゃんが、胸を張って宣言した。

 スクリーンに映し出されたタイトルは──『呪屋敷、七つの扉』。帯には「キヴォトス封切り最恐作品」「鑑賞後に一人でトイレに行けなくなる」「心臓が弱い方はご遠慮ください」とある。

 

「……ミカさん。これは、結構本格的なものですね」

「うん! すっごく怖いって評判なんだよ! 四人でキャーキャー言って楽しもうよ☆」

「ホラーか。私は些かこの類のジャンルには疎いのだが……」

「大丈夫だよ!セイアちゃんなら涼しい顔して『このくらいで驚くわけがない、ふっ』って言いそうじゃん☆」

「……私は喧嘩を売られたと受け取って構わないだろうか」

 

 ……とりあえず紅茶の準備を進めた。

 

「ナギちゃんは?」

「……わ、私も、そこまで苦手というわけでは」

 

 ナギちゃんの返事が、一拍だけ間があった。私はそれを聞きとがめたが、何も言わなかった。……まあ、後でわかることだし。

 

 四人でソファに並ぶ。左からナギちゃん、私、ミカちゃん、セイアさん。ナギちゃんが淹れてくれた『アーク・ペラゴ』の香りが部屋に満ちて、キャンドルの揺れる光の中、スクリーンの明かりが落ちた。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◇

 

 

 序盤は、まだ大丈夫だった。

 

 古い洋館が舞台の映画は、じわじわと不穏な空気を積み重ねる構成で、始まって最初の十分は、たいして何も起きなかった。廊下を歩く足音。閉じたはずの扉が開いている。鏡に映る影。……古典的だが丁寧な演出。

 

「ふーん、まあまあじゃない?」

 

 私は紅茶を啜りながら言った。

 ミカちゃんが「ねー、まだ序盤だよ! これからだよ!」とポップコーンを口へ放り込む。セイアさんが「音楽の使い方が巧みだ。緊張感を煽るタイミングが計算されている」と静かに分析する。

 ナギちゃんは……ティーカップを両手で包むように持ちながら、画面を見つめていた。

 

 中盤。洋館の地下へと向かう主人公の背後で、暗闇の中に何かが動いた。カメラが意地悪にゆっくりと移動して、壁の染みが浮かび上がる。

 最初はただの水漏れ跡だと思った染みが──画面が切り替わるたびに、少しずつ。少しずつ、輪郭を得ていく。腕の形。首の角度。そして、こちらを向いた、目のない顔。

 

「──っ」

 

 私の右隣で、小さな息をのむ音がした。

 ミカちゃんだった、わけではない。

 ナギちゃんが、ほんの少しだけ、私の左腕に触れていた。指先が、そっと。ごく自然な動作で。さも最初からそこにあったかのように。

 

「……ナギちゃん」

「……なんですか」

「手」

「……気のせいです」

「気のせいじゃないよ? 今触ってるよ?」

「気のせいです」

 

 断言した。声に一切の揺らぎがない。流石は桐藤ナギサ。顔色も変えないし声も変えない。ただ、指先だけが私の袖をほんの少しだけ掴んでいる。……かわいいな、とは絶対に言わないでおく。言ったら何かが終わりそうな気がするから。

 

「……まあ、気のせいでいいよ」

 

 私もそれ以上は言わなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◆ ◇

 

 

 映画の核心部が、静かに始まった。

 

 主人公がランタンを手に、屋敷の最奥に続く長い廊下を進んでいく。足音だけが響く。何もない。何もないはずなのに、カメラが映す廊下の先が、どうしても画面の端に向かうほど歪んで見える気がして。

 

「……あ」

 

 ミカちゃんが、ちょっと間抜けな声を上げた。

「エルちゃん、あの曲がり角。絶対何かいるやつじゃん」

「だね。定番の構図だよ」

「楽しみ~!」

 

 ミカちゃんのテンションが、上がっている。この状況でテンションが上がっている。曲がり角の先に何が待ち構えていようと、ミカちゃんはポップコーンを頬張りながら前のめりで見ていた。隣でセイアさんも、冷静な観察者の目で画面を追っている。

 

 主人公が曲がり角を曲がった、その瞬間。

 

 廊下の突き当たりに、女がいた。

 後ろ向きで、壁に顔を押しつけるように立っている。白いワンピース。肩まである黒い髪。微動だにしない。主人公がランタンを持つ手を上げると、その光が女の背中を照らし──

 

 ゆっくりと、首だけが、振り返った。

 

 通常の可動域を超えた角度で。骨が軋む音とともに。その顔が、画面いっぱいに迫ってきたとき。白塗りの肌に、縫い糸のように走る黒いヒビ。目は二つとも、眼球が裏返っている。そして、口が──ニィ、と横へ。横へ。耳の端まで、裂けていく。裂けた隙間から覗いたのは、鮮血に染まった、真っ赤な歯が何十本も並んだ暗い口腔。笑っているのか、叫んでいるのか、判別のつかない表情のまま、女がランタンの光の中へ一歩、踏み出してきた。

 

ドォォォン!!

 

 低い音響が、スクリーンから私の胸骨を直接叩いた。

 

「っ……!!」

 

 私の身体が、盛大に跳ね上がった。

 ソファの上で膝を立てて、気がつけば毛布を顔の前まで引き上げていた。心臓が耳の後ろで鳴っている。呼吸が浅い。……いや待って。フィクションでしょ。わかってる。わかってるけど。

 誰だ、音質のいいスピーカー使ってるヤツ。絶対許さん。許すまじ。

 

「……エルさん」

 

 静かな声が左から聞こえた。

 ナギちゃんが、画面を見たまま、淡々と言った。

 

「毛布を下げてください。顔が隠れていますよ」

「…………」

「エルさん」

「…………見てるよ」

「見ていません。毛布で塞がっています」

「私には心の目があるの。だから見える」

「顔を隠していますよね」

「……隠してないよ?」

 

 私は努めて平静を保いながら、毛布をゆっくりと下げた。平気。全然平気。あんな白塗りの女が裂けた口を開けてこちらへ歩いてくるようなシーンで動揺するほど私はやわではない。そういうことにしておく。

 

 右隣のミカちゃんを見た。

 ミカちゃんは、むしろ身を乗り出していた。「わー! すっごいCGだ! 口がそんなに裂けるの!?」と感心した声を出している。本当に楽しんでいる。心底、楽しんでいる。怖がる素振りが一切ない。

 

「……ミカちゃん、怖くないの?」

「ぜんぜん! なんか、ゲームみたいでかっこいいじゃん!」

「……そう」

 

 私はそれ以上何も言えなかった。ゲームみたいで、かっこいい。そう言える人種がいる。私とは住んでいる世界が違うのかもしれない。

 セイアさんはといえば、「演出が巧みだね。引き算の怖さをわかっている監督だ」と腕を組んで言った。落ち着いている。……ある意味ミカちゃんより怖い落ち着き方をしている気がしないでもないが。

 

 そして。私とナギちゃん。

 ナギちゃんが、さっきよりも少しだけ、私の腕に近い位置に座っていることに気づいた。ソファの上で、いつのまにか距離が詰まっている。

 

「……ナギちゃん、近くない?」

「……トリニティの淑女として、私はこの程度で動揺はしておりません」

「してないのはわかった。近くない?」

「……ソファが狭いのです」

「広いよ、このソファ」

「……気のせいです」

 

 また気のせいが出てきた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◆

 

 

 問題の場面は、その十分後にやってきた。

 主人公が地下室の扉をこじ開けた瞬間。

 ぶわっ、と画面いっぱいに広がったのは、暗い石造りの空間。天井から無数のロープが垂れ下がっている。いや、ロープじゃない。よく見ると、それは──手首だった。白い、細い手首。繋がった先に腕。腕の先に、天井に張り付くようにして逆さまになった人影が、ぎっしりと、天井を覆い尽くすほどに並んでいた。

 その一つが、主人公の懐中電灯の光に反応して、ゆっくりと顔を向けた。

 

 目が合った。

 

 画面の中の人影と、主人公の視線が交わる。それと同時に、全員の首がぐるりと一斉にこちらを向いて、天井を這いながら降りてきた。ずるり、ずるり、と。床に落ちるたびに関節が歪な方向へ折れ、それでも這い続ける。笑っているのか泣いているのかわからない口で、何かを呟きながら。

 

ドォォォォン!!!

 

「きゃあっ!!」

 

 私の口から、声が出た。

 素直に出た。自分でも驚くほど素直に、かなりの音量で出た。毛布が宙を舞った。気がついたらソファの上で膝を抱えていた。

 

「っ……ナ、ナギちゃん!!」

「……エルさん、落ち着いて」

 

 ナギちゃんの声が聞こえたので振り向いたら、ナギちゃんも毛布を両手でしっかりと抱えていた。その手が、わずかに白くなっていた。顔色は完璧に整っていたが、羽がバサバサと落ち着きなく揺れていた。

 

「……ナギちゃん、羽」

「……風が吹いているのです」

「窓、閉まってるよ?」

「……気の、せいです」

「気のせいが多いね今日」

 

 私たちは、申し合わせたわけでもないのに、ソファの上でぴったりと寄り添っていた。肩が触れ合う距離。ナギちゃんは「別に怖くはありません」と言いながら、私の袖をしっかりと掴んでいた。私も「大丈夫だよ別に」と言いながら、ナギちゃんの方へ体を傾けていた。

 

 右隣から、笑い声がした。

 

「あははっ! エルちゃん、めちゃくちゃ叫んだじゃん!!」

「叫ぶ?何が?」

「あと、ナギちゃんも羽バタバタしてる!」

「……していません」

「してるってば! ふわふわってなってるよ!!」

 

 ミカちゃんが、腹を抱えて笑っている。本当に楽しそうに。一切の恐怖がないまま、ただただ友人二人の反応を堪能している。セイアさんが「まあ、人それぞれ感受性は違うよ」と言いながら、微かに口元を緩めていた。

 

「……ミカちゃん。笑わないでくれる」

「だって! エルちゃんて結構怖がりなんだ~! 知らなかった!」

「怖がってないけどね。ちょっとびっくりしただけ!」

「同じじゃん!」

「違う! 驚き、と恐怖は、別の感情!」

 

 私の強弁を、ミカちゃんはまったく聞いていなかった。

 「ねえねえセイアちゃん、見て、エルちゃん顔が赤い!」と隣へ報告している。セイアさんが「ほんとうだ」と言った。私は体温が上がっただけだと主張した。だけど、誰も信じなかった。

 ナギちゃんが、私の耳元で静かに言った。

 

「……エルさん。私は別に、この映画を怖いとは思っていませんが」

「……うん」

「ただ、その……演出が、少し急に来るので、ビクッとしてしまうことはあります。その、反射的に」

「……音がずるいよね。ビビらせに来てるじゃん」

「……ええ。反射です。怖いわけでは」

「ないよね、全然」

「……全然」

 

 二人で同時に頷いた。

 それはもう、互いの言い訳を全力で肯定し合う、清々しいほど見苦しい連帯だった。

 

「なにを二人でこそこそしてるの?」

「「なんでもない」」

 

 ミカちゃんへの返答も、綺麗に揃った。

 その後、物語が最大の山場を迎えたのは、開始から一時間二十分が経った頃だった。

 

 屋敷の最上階。最後の扉の前に、主人公が立つ。

 ここまでの道のりで散々なものを見てきた主人公の息が荒い。私の息も、なんとなく荒い。ナギちゃんは完璧に表情を制御しているが、膝の上に置かれた手が微かに震えている。

 

 扉が、開く。

 

 部屋の中は、真っ暗だった。

 主人公がランタンを差し入れると、光の届く範囲が少しずつ広がっていく。何もない。床だけ。壁だけ。天井だけ。──本当に何もない、空っぽの部屋。

 

 主人公が一歩、踏み込む。

 

 ランタンの光が、部屋の中心まで届いた。

 その瞬間。

 

 主人公の背後で、扉が閉まった。

 

 鍵のかかる音。主人公が振り返る。扉は完璧に閉じている。引いても押しても、びくともしない。主人公が諦めて部屋の中を見回したとき──

 

 さっきまで何もなかったはずの壁に、女が立っていた。

 

 さっきの裂け口の女とは別の何かだった。

 全身が真っ白。白い肌、白いワンピース、白い髪。まるで輪郭だけで描いた絵のような存在感。顔の造作は、人間のものに近い。近いのだが──目だけが、ない。目があるべき場所に、ただ滑らかな肌が続いている。目なし。にもかかわらず、その顔がまっすぐ主人公を向いていた。

 

 女が、主人公の方へ歩き始めた。

 音もなく。足音もなく。ただ近づいてくる。

 主人公が後退する。壁に背中がぶつかる。女が手を伸ばす。細い、白い指が──主人公の手首を、つかんだ。

 

 そこへカメラが寄る。ぐん、と。

 女の顔が、画面いっぱいに迫ってくる。目のない顔が。

 そして、その口が──ゆっくりと、開いた。

 

 開いた口の中に、目があった。

 真っ黒な、ぎょろりとした目が二つ、のぞいていた。こちらを見ていた。

 口が、さらに開く。唇の端が裂けながら。顔の半分が口になりながら。その裂け目の奥の暗闇の中から、びっしりと生えた逆向きの歯が──

 

ドォォォォォン!!!!!

 

「ひっ──!!」

 

 私の悲鳴と、ナギちゃんの短い叫びが、完璧なハーモニーを奏でた。

 私はソファから半分ずり落ちた。ナギちゃんは毛布を頭まで引き被った。二人で全力でしがみついた。ナギちゃんの羽が今度こそ盛大にバサバサと羽ばたいて、部屋に風が起きた。

 

「ナ、ナギちゃん……!!」

「……エルさん……っ」

「口の中に目があるのおかしくない!? おかしいよね!?」

「……同意します……!! ……ありえない……!!」

 

 ナギちゃんが震える声で言った。完璧な自制心を持ちながら、震えていた。

 その右隣で。

 

「あははははっ!! 二人ともすごいっ!! エルちゃん半分落ちてるし、ナギちゃん頭まで毛布かぶってる!!」

 

 ミカちゃんが、お腹を抱えて転げ回っていた。

 涙目になるほど笑っている。今夜一番の大笑いをしている。怖いのかと思えばそういうことは全くなく、ただただ友人二人の阿鼻叫喚を心から楽しんでいた。

 

「……ミカちゃん」

 

 私は、ソファに戻りながら、低い声で言った。

 

「笑うのはわかった。笑うのはわかったけど、こっちに来て。隣に座りなさい」

「えっ? なんで?」

「少なくともミカちゃんがいれば襲われることはないから!!!」

 

 本音が出た。完璧に本音が出た。

 ミカちゃんが、一瞬きょとんとして、それからパァッと顔を輝かせた。

 

「エルちゃんが私に頼ってる!! やった!!」

「やったじゃないよ! 来なさいさっさと!」

「はーい☆」

 

 ミカちゃんが、笑顔で私に寄ってきた。逆側からナギちゃんがそっと寄ってくる。気づけば、三人がぴったりとくっついてソファに座っていた。両サイドの体温がじんわりと伝わってくる。ミカちゃんが温かくて、ナギちゃんが少しだけひんやりとしていた。

 

「……エルちゃんってさ」

 

 ミカちゃんが、穏やかな声で言った。さっきまでの笑い声とは違う、柔らかいトーン。

 

「普段はなんでもできそうに見えるのに、こういうとこは正直だよね」

「……うるさい」

「褒めてるんだよ?」

「どこが」

「ほんとのことを隠さないじゃん。隠せないとも言うかもだけど」

 

 私は黙った。

 ミカちゃんの言うことは、たまに的を得ていて、それが腹立たしい。

 映画はまだ続いていた。

 けれど、私はもう、あまり画面を見ていなかった。

 

 エンドロールが流れ始めた。

 

 主人公が屋敷から脱出し、夜明けの光の中へ駆け出すシーンで幕を閉じた映画のラストを、四人はそれぞれのペースで見届けた。ミカちゃんは「終わりか~、もっと見たかった!」と言い、セイアさんが「いい映画だったよ。構成が丁寧だった」と締めた。

 ナギちゃんは無言でティーカップを手に取り、残り少ない紅茶を一口含んだ。

 

「……ナギちゃん」

「なんですか」

「怖かった?」

「……怖くはありませんでした」

「頭まで毛布かぶってたよね」

「……防寒です」

 

 私は何も言わなかった。いい加減、ナギちゃんの「気のせい」「防寒」に反論するのが面倒になってきた。どっちでもいい。隣に座ってくれていたから、それで十分だった。

 

「エルちゃんは?」

「私も別に、怖くなかったよ」

「叫んでたじゃん」

「……びっくりしただけ」

「びっくりと怖いは違うもんね?」

 

 ミカちゃんが、さっきの私の言い訳を完璧に返してきた。私は閉口した。

 四人分のティーカップを片付けながら、私は窓の外を見た。深夜の静寂が戻ってきている。キャンドルはいつのまにか燃え尽きて、部屋はスクリーンの残光と廊下の灯りだけになっていた。

 時刻は一時を回っていた。

 

「帰り道、大丈夫?」

「……問題ありません」

「そう。……じゃあ、夜道気をつけてね」

「ええ。……その」

 

 ナギちゃんが、一瞬だけ迷うような間を置いた。

 

「……今夜は、こういう機会を設けてくれてありがとうございました、ミカさん」

「えっ!? ナギちゃんが私に直接お礼言ってくれた!!」

「……一度だけです。もう一度言わせたら怒りますよ」

「わかった! じゃあ大事にする!」

 

 ミカちゃんが無邪気に喜んだ。ナギちゃんは澄ました顔で毛布を畳んでいたが、その口元が少しだけ緩んでいた。……怖がりなのも、素直なのも、どこか似ているのかもしれないと、私はぼんやりと思った。

 

「エル、また誘っていいかい?」

 

 帰り際、セイアさんが言った。

 

「……次は予告なしはやめてほしいけど」

「善処しよう」

「善処、ね」

 

 苦笑いを返すと、セイアさんが薄く笑った。

 ナギちゃんが最後に「おやすみなさい、エルさん」と言った。私は「おやすみ」と返した。

 

 扉が閉まった。

 残ったのは、ミカちゃん一人。

 

「……で、ミカちゃんは? 帰らないの?」

「だって、エルちゃん一人にしたらトイレ行けなくなるでしょ?」

 

 ……は?

 

「……なんでそう思ったの?」

「だってそういう映画だって言ってたじゃん☆」

「……私は別に」

「エルちゃん」

「……」

「正直に言っていいよ?」

 

 沈黙が、少しだけ続いた。

 外で風が鳴った。廊下のどこかで、何かが軋む音がした。……たぶん、ただの建物の音だ。わかってる。わかってるけど。

 

「……今日は、泊まってもいいけど」

 

 私が言うと、ミカちゃんはにっこりと笑って「素直じゃないなぁ、エルちゃんは☆」と答えた。得意げではなく、からかいもせず、ただ純粋に嬉しそうに。

 

 私は毛布を引き寄せて、ソファに深く沈み込んだ。

 ミカちゃんが隣でポップコーンの空き袋をくしゃっと潰しながら、「次も一緒に見ようね」と言った。私は「続編なんてないよ」と答えた。ミカちゃんが「あるかもよ?」と言った。

 

「……あったとしても、呼ばないから」

「絶対呼ぶじゃん」

「呼ばない」

「呼ぶって」

 

 ミカちゃんが笑った。明るく、あっけらかんと。

 私も、こっそり笑った。誰にも見えないくらい、小さく。

 

 深夜の部屋に、静寂が戻ってきた。

 今度こそ、本物の静寂が。

 

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