「何してんのミカちゃん?!」 作:天ちゃん
玄関。ガムテープで固定された花柄のシーツが、夜風に吹かれてパタパタと情けない音を立てている。防犯性? そんなの、この部屋にミカちゃんが突っ込んできた瞬間に塵とかしたよ。グッバイ私の安全……。
私は重い腰を上げ、ミカちゃんと入れ替わりで浴室へ向かった。泥と土の匂いを洗い流さないと、明日には私がタケノコに進化してしまいそうだったから。……なぁにを言ってんだか。
──数十分後。
浴室から出た私は、リビングの光景を見て、本日何度目か分からない深い溜息を吐いた。多分ため息だけで雲できそう。
「……ねぇ、ミカちゃん。それ、誰のパジャマかな?」
「エルちゃん!」
「だーれが使っていいなんて言ったかなぁ!?」
ソファでくつろぐミカちゃんは、私の一番フリルが大人しい、お気に入りのパジャマを身に纏っていた。……問題は、その着こなしだ。
「……うーん、これ、エルちゃんのパジャマだよね? ちょっとキツイっていうか……。特に、この、胸のあたりが……パツパツで苦しいかも☆」
わざとらしく、パジャマのボタンが悲鳴を上げ、生地の繊維がミリミリと断裂の危機を訴えている胸元を指さした。
「殺すぞ」
「えっ、怖い! 何!? 私、何か悪いこと言ったかなぁ!?」
「その喧嘩買うよ? 分からずに言ってるなら殴る。それに、全部ミカちゃんが
「なんか、言ってること以上に何かが籠ってる気がするんだけど?」
「何が? は? 何が?」
「……でもさ、どうせ明日の朝まで一緒にいるんだし、細かいことは気にしな──」
……。
今、さらっと聞き捨てならない単語が混ざった気がする。
「……ちょっと待って。明日の朝まで一緒にってなに?」
「そうだよ? だってドアもないし、エルちゃん一人じゃ危ないでしょ? だから私、今日はここに泊まってあげる!」
「無理!! 絶対に無理!! 帰れ!! 宿舎に帰れ! ドア壊しといてここにいられると思うな!! 断固拒否!」
「いいじゃん、エルちゃん! 幼なじみのよしみでしょ? 」
「私の安眠を一番妨げてる自覚を持て! 幼馴染だからこそミカちゃんのこと知ってんの!」
「えー、冷たいなぁ。……あ、もしかして、寝相が悪いことがばれると恥ずかしいとか?」
「……もういいや。あとで持って帰ってもらえば。……この山積みのタケノコとりあえず全部処理するのを手伝って。邪魔だから早くやろ」
「わーい! やった! 力仕事なら任せてよ!」
……嫌な予感しかしない。けれど、放っておけばこの八本の爆弾が明日には私の部屋を竹林に変えるだろう。……それでドアでも作ってやろうかとか思ったけど。
私は渋々キッチンに立ち、大きな鍋に水を張った。
「それで、何やってるの?」
「あく抜きー」
傍にトテトテ寄ってきて、肩から覗き込んでくる顔にデコピンをかまして、距離をとる。額を抑えながら文句を言っているが気にしないのがポイント。大事だよ。テスト出るよ。
「タケノコはあく抜きが命。米ぬかがあれば最高なんだけど。ないからお米の研ぎ汁を使ってやる。ミカちゃんはそこでタケノコの皮を剥いでて」
「はーい! 皮剥きだねっ! 任せて!」
バリィイイイイイッ!!!
……嫌な音がした。
振り返ると、そこには「皮」どころか、タケノコの本体まで粉々に粉砕したミカちゃんの姿があった。
「あ、あれ……? ちょっと力入れすぎちゃったかなぁ?」
「……私、皮剥いでって言ったよね? なんで粉々? 何があった?」
「これむ、難しいよぉ……」
涙目でうだうだ言ってるが、ただ破壊しただけである。流石はゴリラ。力が違うや。
「……! というか、 研ぎ汁よりこれで煮込めばアクがパァーッて落ちるんじゃない!?」
ミカちゃんがどこからか取り出したのは、強烈な塩素臭のする『業務用強力洗剤』だった。
「ちょいちょいちょい! 入れるな!! 毒!! それはタケノコを白くするんじゃなくて、私の人生を真っ白にするやつだわ!!」
「えー、でもこれ『頑固な汚れに』って書いてあるよ?」
「アクは頑固な汚れじゃないの! 旨味とエグみの境界線なの! ああもう! ミカちゃんは包丁も洗剤も持たないで! タケノコとにらめっこでもしてろ!!」
狭いキッチンで、命がけの調理実習が続く。
私が必死にタケノコを刻み、全く落ち着くことのないミカちゃんが「これならどう!?」と今度は重曹を振りかけようとする。奴のIQが極限まで
パサッ。
夜風ではない、誰かの手によって。玄関のシーツが、音もなくめくられた。
「……こんばんは、エルさん。…………そして、ミカさん」
そこに立っていたのは、見覚えしかない金髪の少女。
ティーパーティーのホストにして、私とミカちゃんの幼なじみ──桐藤ナギサこと「ナギちゃん」が、般若のような微笑を浮かべて立っていた。
ナギちゃんは、シーツ一枚の玄関とサイズ感の合わないパジャマで悶絶するミカちゃんと半狂乱の私をつめったい目で見つめている。やだ、止めて? 助けて?
「……エルさん。あなたの部屋には、ドアという概念が存在しないのですか?」
「……ナギちゃん。あったよ。その概念。壊されけど」
「……大方、またミカさんがなにかやらしたのでしょう?」
「さすナギ。やっぱわかってくれるのはナギちゃんだけよぉ。とほほ……」
「……全く。ミカさんは昔から。泥遊びをしては服を台無しにし、おままごとをしてはいつの間にか王国の存亡を賭けた政変劇に発展させる 。成長しても、その騒がしさだけは一向に衰えないようです」
……どのおままごとでも、王国滅亡の危機を引き起こす災害らしい。
完璧な気品を纏ったまま、呆れたように首を振った。その背中にある白い翼が、狭い玄関先で窮屈そうに揺れる。
キッチンから顔を覗かせたミカちゃんが、ナギちゃんの存在に気が付いた。
「あ、ナギちゃん! いらっしゃーい☆ ねえ! 見て見て、エルちゃんのパジャマ、借りちゃった! ちょっと胸のところがキツイんだけどねー」
「……ナギちゃん、早く持って帰ってくれない? 私このままだと右手がミカちゃんを貫きそう」
私は、手にした包丁をまな板に置き、天を仰いだ。玄関は布一枚の開放感。いつの間にかリビングへ移動したパジャマを破壊しかけている爆弾娘。……胃が痛いよ。
「それで? エルさん。なぜあなたは深夜に、薬品を手にタケノコと対峙しているのですか?」
ナギちゃんの冷徹な視線が、調理台の上の重曹と洗剤、そして無残に粉砕されたタケノコの残骸を射抜く 。
「対峙してない! あく抜き……しようとしてるの! この子が『アクは汚れだから洗剤でパァーッてなるよ!』とか言って、タケノコを化学洗浄しようとするから必死に守ってるだけ」
「何してるんですか……?」
「私が聞きたい。本当に……どうしてこんな地獄が形成されたのか、誰かに説明してほしい」
視界が滲む。あまりの不条理に、本気で涙が出てきそうだった。……いけない。気を確かに。
「ちょうどいいじゃん! ナギちゃんもタケパーしようよ!」
「まじ? 本気で言ってる?
「エルちゃん? それだと私が『ティーパーティー』じゃないし、土遊びする子どもって言ってるみたいだよ?」
うん。ミカちゃん大正解。しっかり私の言いたいことが分かってくれて嬉しいよ。……そのまま地平線の彼方まで反省してきてくれる?
「タケパー……とは? ……新しい軍事用語でしょうか?」
「何でもないですから! 概念ごと忘れてください! ほら、ナギちゃん、早くこの
必死にミカちゃんの背中を押して追い出そうとした、その時。
「エルちゃん?」
ミカちゃんが、鼓膜に直接響くような嫌な質感の小声で囁いてきた。
なんだ、この冷えた空気は……。まるで何か良くないことが起こるような。
「ここでナギちゃんをタケパーに誘ってくれたら、今度美味しいアールグレイ、プレゼントするよ?」
「そんなので釣られるわけないよ。大体、私だって相応のクレジットを積んで良いのを買ってるんだから。私がお気に入りの銘柄にどれだけ命を懸けてるか知ってるでしょ?」
「ふーん。じゃあ、これはいいんだ?」
ミカちゃんが、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらスマホの画面を突きつけてくる。
「これ、エルちゃんの大好きなブランドだよね?」
「……そうだけど? なにか? それが私の買収資金になるとでも──」
「これ、知らないの?」
画面に映し出されたのは、私の愛してやまない『
完全新作茶葉、『エトワール・ド・トリエテ』。
希少な白茶*1とキームン紅茶*2を黄金比*3でブレンド。年間に数百キロしか採れない「初搾り」の天然ベルガモット精油*4を贅沢に使用。青い矢車菊*5に加えて、銀色に輝く銀針(シルバーチップ)*6が星のように散りばめられていて──。
「なに……これ……。聞いてない。私の情報網には、こんな……」
「ははーん。だから、これが出た時に騒ぐかと思ってたら静かだったんだ? ほんとに知らなかったんだ? あのエルちゃんが? 自分の命より大事なブランドの、百年に一度の大ニュースを?」
ドクン、と心臓が跳ねた。
急激に冷や汗が噴き出し、指先の神経が痺れてくる。視界が歪む。脳が「手に入れろ」と、生存本能に近い命令を絶叫していた。
あ、あ。まずい。
「早く、買わないと。今すぐ予約……いや、私がこの数年で築き上げてきたコネを……」
「え? 何言ってるのさ、エルちゃん」
「もう、先行予約は終了してるよ☆」
「……は」
内臓が凍りつく感覚。
終わった。私の人生の唯一の輝きが、私の知らないところで灰になった。ここで、終わりだ。
「お二人は何を密談しているのですか? ──ああ、スヴランの新作ですか。それがどうかなさったのですか?」
「……いーや? 特に何もー? ただ、エルちゃんがすごく欲しそうにしてるなーって思っただけ☆」
ミカちゃんが、悪魔の誘惑を耳元でささやき直してくる。
「もし、ナギちゃんのことをタケパーに誘ってくれたら、私の予約枠、分けてあげなくも──」
「やります。やらせてください。お願いします。私めにできることであれば何なりと」
ミカちゃんの手を借りて立ち上がる。
「な、なんですか? 急に二人してこちらを向いて。……その、獲物を狙うような目は……」
「「ナギちゃん! タケパー!」」
「……タケパー?」
◆ ◇ ◇
「んー! 結構いけるじゃん!」
「タケノコうまっ……」
「中々ですね。このエグみ……いえ、滋味深い味わいは、私も初めてのもので」
三人でテーブルを囲んでタケノコを食べる。
バターの焦げた香りが食欲を刺すタケノコステーキ、出汁の染みたタケノコの煮物、そして強火で一気に仕上げた
「青椒肉絲美味いね」
「ん~! ね! 美味しい! エルちゃん料理上手ー!」
「タケノコ一品でここまで作れるのは流石に驚きですね」
「何言ってんのさ。ナギちゃん『は』手伝ってくれたじゃん」
「エルちゃん? なにさ。言いたいことがあるならはっきり言った方がいいよ?」
「なんで喧嘩してるんですか……」
サクッ、シャキッ、と。
小気味よい音が響くたびに、私の咀嚼筋がタケノコの強靭な繊維と格闘し、飲み込むたびに喉の奥が熱くなる。
うーん。顎がいたい……。
「絶対に三人で食べきれない量じゃん」
「……なぜ考えて作らなかったのですか。八本はどう考えても余るのでは?」
「そーいうナギちゃんもウキウキで作ってたじゃん? さっき『私に任せてください~!』とか言って、タケノコを微塵切りにしてたの誰よ」
「そんな声は出してません。馬鹿にしてます?」
「まさかー?」
ナギちゃんはアールグレイを飲んで誤魔化すように視線を逸らす。
気づけば、山積みのタケノコは平たい山になった。満腹感と、深夜特有の妙にハイな空気感が場を満たす。
よく、食べた。まじでお腹いっぱい。一生分のタケノコ食べたよ。……余りは冷蔵庫。明日クラスで配ろうかな……。
「……ふぅ。……少し、騒ぎすぎましたね。明日の公務に障ります」
時計の針が十一時を回った頃、ナギちゃんが名残惜しそうにティーカップを置いた。
彼女は優雅な所作で身支度を整え、ガムテープで補強された「元・玄関」の前で立ち止まる。
「ミカさん、あまり夜更かしをしてエルさんを困らせないように。……エルさん、今度お礼をさせて下さい。この前話していたアフタヌーンティーにでも一緒に行きましょう」
「ナギちゃん。私一生ついてく。大好き」
「……ふふっ。ありがとうございます。それでは、おやすみなさい、二人とも」
翼を翻し、ナギちゃんは夜の闇へと消えていった。
嵐が去った後のような静寂が、私の部屋にようやく戻ってくる。
「……さて。寝るよ、ミカちゃん。私はもう限界。一歩でも動いたら、足の指の骨がバラバラに砕けて散らばりそう」
「あはは! 大げさだよエルちゃん。夜はこれから! ほら、トランプあるよ!」
「明日ね。ほら、歯磨きよ~」
「えー? ……ぶぅ」
むくれてもダメだって。
ハリセンボンみたいなミカちゃんを引きずって、私たちは並んで洗面台に立ち、歯を磨く。
鏡越しに目が合う。私のパジャマはミカちゃんのせいでボタンが一個行方不明になり、裾には泥が跳ねている。……最悪だ。これも弁償ね。覚えとけ。
「……エルちゃん、今日はありがとね」
「……茶葉のためだから。別にミカちゃんのためじゃないし」
リビングに並べて敷いた二つの布団。
ミカちゃんは私の布団に潜り込もうとしたが、ショットガンの銃口を枕元に置くことでなんとか阻止した。
「おやすみ、ミカちゃん」
「おやすみ、エルちゃん! ……また明日も、遊ぼうね」
「無理。当分は自粛した行動を──」
「あーあ。紅ty──」
「遊ぼう。いくらでも遊ぼう。え? 何する? トランプ?」
「あははっ! エルちゃん慌てすぎたって~」
目を閉じると、微かに残るベルガモットの香りと、窓から入ってくる夜風が心地よかった。
……紅茶、楽しみだな~。
昂揚する気分を感じながら、私は泥のように深い眠りへと落ちていった。
言い忘れてたよ。
ミカちゃんとエルちゃん、二人合わせてミカエルコンビ。よろしくね。