「何してんのミカちゃん?!」 作:天ちゃん
朝から私を悩ませたのは、謎の襲撃……ではなく、圧倒的な重量だった。
みしり、と肋骨が悲鳴を上げる。内臓が押しつぶされ、肺の中の酸素が強制的に絞り出される感覚。あ、これ、まずい。このままだと私の死因は幼なじみの質量による圧死になってしまう。重い……。
「……起きて。ミカちゃん、起きて……っ。私、死んじゃうから。物理的に……!」
「んぅ……おっはよー、エルちゃんー」
私の必死の訴えに、ようやく桃色の
天使のような微笑みを浮かべながら、彼女は、昨日ボタンが一個弾け飛んだ私のパジャマをその暴力的な曲線でパツパツに弾ませる。そして、おはようの挨拶代わりにとばかりに、再び私の腹部へダイブを敢行した。
「ぐえっ!? ……ダイブするのやめろや……っ!!」
「えー?」
聞こえてないふりをするな。そのキラキラした瞳の奥で、絶対に楽しんでるでしょ。私は半ば魂が口から出かかった状態で、朝日を浴びている室内を見渡す。
「お。エルちゃんの髪の毛はっけーん!」
「そりゃあるに決まってるでしょ……」
「これ何色? 白? ──でも、光に当たると水色みたいになるよー」
「私も何色か詳しくわかんないけど……まあ綺麗だから特に気にしてない」
「ねー! なんかそんな感じですっごく綺麗! 後でブラッシングしてあげるよ!」
「……まじ? それは助かる~。じゃあ、代わりに朝食作ってくるね」
「そこは私もブラッシングしてほしかったけど……まあいっか。ありがと!」
こんな感じで、たまに大人しくなることもある。彼女は気分屋なんです。
明るい室内で、朝から虚しくたなびく花柄のシーツを睨みつけた。
「ねえ。私のドア、今日中に直る見込みはあるのかな?」
「えー? 大丈夫だよ! 私が『えいっ!』ってやれ新しいの付ければ、すぐ終わるって!」
「……絶対そういうのできないでしょ。ドアが耐えられないって」
「エルちゃん朝からひっどーい。……鉄ドアとかにすれば余裕だってー。ちょっと重いかもだけど」
「二度と建築に関わらないで。お願いだから。私の部屋を要塞にする気? いずれ全部鉄になるってこと?」
「私が全部壊す前提ってことかな? むぅ……そんなことしないよ!」
はいはいそうですね~、と適当に流しながら布団を畳んだ。ミカちゃんは布団で丸まっている間に朝の支度を進める。
まあまあ広い割には、そこまでものを置いていない部屋を歩く。置くものがないんだ。キッチンの引き出しには大量のアールグレイが入っているけど。顔を洗ってスキンケアをしながら朝食の準備をする。朝のおすすめはホットの『オーラ・デムロード』。勿論これも『
陶磁器のポットを温め、沸騰直前のお湯を注ぐ。立ち上るベルガモットの香りが、さっきから感じる
朝食は昨夜の残りの「タケノコづくし」を無理やり胃に流し込んだ。シャキシャキとした食感はもはや拷問に近い。私の顎は昨日からずっと限界なんだ。もう三年くらいはタケノコ食べなくていいよ。……まだ余ってるけど。
さらに追い打ちをかけるように、ミカちゃんにブラッシングをしてもらっている私は、昨日のことを思い出して絶望に直面した。
「……ねえミカちゃん。見て、私のローファー。昨日の山登りで、綺麗な白が見る影もなく泥まみれなんだけど」
「あはは、ほんとだ! 泥の靴なんて、エルちゃんらしくないね☆」
「誰のせいだと思ってんのよ。……これ、放課後に新しいの買ってよね。もちろん、ミカちゃんの奢りで」
仕方ないので、予備で取っておいてあった黒のローファーを履くことにした。
各々長時間の準備を済ませて、ドアのない部屋を出る。朝の陽ざしを浴びながら校舎に向かう。
授業中、隣の席で「午後は何のアフタヌーンティーにする?」と能天気なメモを回してくるミカちゃんへ危うく飛んでいきそうな拳を抑えながら、私は午後の平穏を祈っていた。
午前中の講義は、案の定、地獄だった。 隣の席でミカちゃんが「ねえねえ、タケノコ掘り楽しかったね☆」と筆談を回してくるのを無視し続け、私はひたすらノートに「口を閉じろ」「ドアの修理費」「ナギちゃんに言いつける」と書き連ねた。
――そして、放課後。
非常に退屈な授業を終えた。ほんでもって、ミカちゃんは……完全に失念していたようで、迎えに来た役員たちによって強制連行されていった。私はようやく自分の
シーツの玄関をくぐり、荷物をソファーに放り投げる。そのまま一直線でキッチンまで向かい、
これだ。この、優雅で誰にも邪魔されない──
プルルルル
私のスマホが、空気を読まずに震えだした。……誰よ。今、茶葉が踊りだしたところなんだけど? 画面に表示された名前は、「ナギサ」。
いつもなら喜々として応答ボタンを押していただろうが、……今日に限っては嫌な予感しかしない。数コール見送った後、仕方ないので腹をくくって応答した。
『──エルさん! 至急、ティーパーティーの茶会会場まで来てください!』
「ナギちゃん? どうしたの、そんな必死な声出して。……まさか、ミカちゃんが?」
『そうです! ミカさんが……ミカさんが「エルちゃんもティーパーティーに入れる! 四人でティーパーティーだよぉ!」と言って話を聞かず、今、議事堂の柱を一本引き抜こうとしています!』
「…………」
電話を切った。
ああ、きっと疲れているのだ。私はミカちゃんのせいで疲れてる。今日は早めに寝ようかな──
プルルルル
「はい?」
『なんで切るんですか?! 一大事ですよ?!』
「ナギちゃん。私はどうやら疲れでゴリラの神話を聞くようになったみたい」
『その気持ちはわかります。私にもわかるのでどうか早く…… 「もぉぉぉ!」──バゴオオン! ……あ』
「……」
『私や他の役員ではもう止められませんでした。彼女を正気に戻せるのは、幼なじみのあなただけです。建物が壊れていない奇跡が起こってるうちに、早く来てくれませんかね……?』
「ごめんねナギちゃん……」
『お互い様というか……いえ、後のことはこちらで話しましょうか』
通話終了。……あぁ、もう。甘いバニラの香りが漂う紅茶を恨めしく見つめ──そして、覚悟を決めてショットガンを掴んだ。
◆ ◇ ◇
向かう先は、トリニティの権威の象徴、そして今まさに「物理的に」崩壊しようとしているティーパーティーの会場。 私が向かうまでに崩壊しなければいいのだけど。……私が行っても崩壊が防げるわけではないけど。
走って到着したのはティーパーティーの茶会会場。そこは本来、トリニティで最も気高く、静寂が約束された聖域のはずだった。だが、私が駆けつけた先に広がっていたのは、物理的な意味での「崩壊」の直前だった。
「やだやだ! こんな堅苦しいお茶会やだぁ! エルちゃんがいないとつまんないよぉぉお!!」
咆哮と共に、ミカちゃんが装飾豊かな柱に手をかけている。その柱は、思い切り窪みができていた。その横のナギちゃんは、色の悪い幽霊のような表情で自分の胃を押さえていた。私も胃が痛いよ。
「……ミカさん。お願いですから、この時間くらいは落ち着いてください……っ。建物が……予算が死んでしまいます……!」
「やれやれ。普段から落ち着きのない君だが、近頃はさらに淑女としての疑いが深まっているよ……」
ナギちゃん以外のもう1つのどこか超越的な響きを持つ声が聞こえてくる。ティーパーティーの三人目こと、百合園セイア様。彼女もまた、こめかみを押さえながら深い溜息を吐き出していた。 私は、柱を今にも引き抜きそうなミカちゃんを一瞥し、極めて自然な動作で用意されていた空席に腰を下ろした。
「セイア様、ご無沙汰しております。ナギちゃん──ナギサさん」
「あぁ……エルさん。 来てくれたのですね……。あと、口調はいつも通りで大丈夫ですので」
「……ホントに? じゃあ、お言葉に甘えて」
ナギちゃんが震える手で紅茶を淹れてくれた。目の前おかれたそれを一口啜る。うん。美味しい。おいしいけど……。涙が止まらないのはなっぜだろうか。
背後ではミカちゃんが暴れ続けている。マグロかな?
「ちょっとぉ! エルちゃん無視しないでよぉ!!」
と叫んでいるが、私の耳には聞こえてこない。ええ、聞こえてきません。なにしろ、ここには三人しかいないのですから。
「……ふぅ、やっぱりナギちゃんの淹れる紅茶は、雑音が混ざっていても格別だね」
「君も大変なようだ、エル。この『桃色の災厄』の隣人で居続けるというのは、もはや1つの拷問に近い」
セイア様の言葉に深く頷きながら、私は優雅にスコーンに手を伸ばす。うま。ティーパーティーの三分の二が理解してくれて嬉しいです。 すると、自分の存在を無視され続けたことにキレたミカちゃんが、ついに銃に手をかけた。
「もういいもん! エルちゃんが構ってくれないなら、この会場ごとドカーンって──」
──ガッ!
「ダメに決まってるでしょ貸しなさい」
「あぅっ!?」
引き金に指がかかるより早く、私は席を立ってミカちゃんの腕を捻り上げ、その愛銃を奪い取った。
そのまま彼女の頭を軽く小突いて、私は再び席に戻る。
「う、うわぁぁぁん! エルちゃんのいじわるぅぅ! 人でなしぃ! 泥棒ぉ!!」
「……ミカちゃん。貴方は、自分の立場を何だと思ってるのさ」
床に突っ伏して泣き喚き始めたミカちゃんを放置して、私はナギちゃんたちとの会話を再開した。
周囲の役員たちが何やらざわついている。ちょっと適当にあしらいすぎただろうか。……別にいっか。ナギちゃんとセイアさんに何も言われなければ大丈夫でしょ。
しばらくして泣き疲れたのか、ミカちゃんが腫れ物のようにポツンと床に座り込んで円を書いていたので、私は溜息をついて隣に椅子を用意した。……私ってばなんて優しいのかなー。
「ほら。いつまで床に座ってんの。……座りなよ」
「エルちゃん……」
大人しく椅子に腰掛けたミカちゃんの顔を覗き込み、私は静かに諭す。
「ミカちゃん? ティーパーティーが大変で堅苦しいのはわかるけど、多少は頑張らないと。仮にもリーダーなんだし」
「……だってぇ……」
「別にお茶会なんていつでもできるし、少しくらいは我慢しなさいや。折角、三人揃ってお茶できる機会を捨てちゃいかんでしょ」
「…………それは、そうかも」
シュン、と小さくなったミカちゃん。
その様子を、ナギちゃんとセイア様が、まるで伝説の猛獣使いを見るような目で見つめていた。
「……凄まじいですね。あのミカさんを、言葉1つでここまで制御するとは……」
「エル。君、いっそのことティーパーティーの『行政官』にでもなったらどうだい? 君がいれば、ナギサの胃の寿命が数十年は延びるのだけど」
ナギちゃんとセイア様の、本気のスカウトの眼差し。 私は即座に、全力で首を横に振った。
「まじで無理。絶対嫌。ミカちゃんの子守り役で入れってことでしょ? ナギちゃんの前に私の胃が吹き飛ぶって。私の優雅なトリニティライフとは程遠くなっちゃうって」
私の悲痛な叫びは、結局、ミカちゃんが再び「わーい! エルちゃんが行政官になったら毎日一緒だね☆」と抱きついてきた衝撃で、粉々に砕け散るのだった。
◇ ◆ ◇
「とにかく、入ることはないんで。それだけはお願いします。あとミカちゃん、抱きつかないで。暑苦しいし、せっかくナギちゃんが淹れてくれた紅茶をこぼしたら、私の部屋出禁にするから」
「えぇーっ! そんなのひどいよエルちゃん! 私と銃、どっちが大事なのさー!」
「紅茶」
即答すると、ミカちゃんは「あぅぅ……」と再び椅子の隅で小さくなった。そんな私たちのやり取りを、セイア様は面白そうに眺め、ナギちゃんは深い溜息をつきながら冷めた紅茶を口に運んだ。何見てんだ。
その時、一人の生徒が姿を現した。
「失礼します、ナギサ様。先日お話ししていた件の報告に参りました──って、わわっ!?」
入ってきたのは、どこか安心感を与える、柔らかな雰囲気の少女だった。かわいい。
だが、彼女は一歩踏み出した瞬間に固まった。無理もない。そこには「何かがぶつかったような跡がある柱」「ショットガンを傍らに置き、ミカの銃を没収して平然とスコーンを食べる
「あ、ヒフミさん。ちょうど良かったです」
ナギちゃんが今日一番の穏やかな笑みを浮かべた。
阿慈谷ヒフミさん。話には聞いていた、ナギちゃんのお友達らしい。……あぁ、なんて真面目そうな子。そして、なんて大変そうなオーラ。このカオスなティーパーティーに報告に来るなんて、彼女もまた、私とは別の意味で苦労している側に違いない。私もお友達になれないかな……。是非とも日々の大変エピソードをお互いに話し合いたい。つまり、愚痴でも言い合わない?
「……ヒフミさん、ですよね?」
「えっ、あ、はい! あの、どなた様でしょうか……?」
「私は天坂エル。ティーパーティーとは関係ないんだけど……よろしくね」
「えっと、よろしくお願いいたします。──エル先輩」
困ったように笑う彼女を見て、私は直感した。この子は癒やしだ、と。見ろこの笑顔。可愛いにもほどがある。
その後、なし崩し的にヒフミちゃんも席につき、奇妙な五人体制でお茶会を続行することになった。そして、話題はようやくまともな方向へ進みだす。
「そういえばヒフミちゃん、駅前に新しくできた『モモコンフィチュール』の新作、もう食べた? スグリ*1の酸味が効いてて、紅茶……特にアールグレイにすごく合うんだけど」
「あ、はい! 先日並んで買いました! あのサクサクのパイ生地、絶品ですよね。ナギサ様にも差し上げようと思ってたんです」
「……おや。それは楽しみですね、ヒフミさん」
ナギちゃんが、今日一番の(ミカちゃんに向けたものとは比較にならない)柔らかな笑みを浮かべる。
さらに話題は、淑女の永遠の課題である美容へと移ったと思えば、羽や髪の手入れの話へ。ミカちゃんの羽は、その暴君ぶりとは裏腹に意外とふわふわで柔らかく、逆にナギちゃんの羽は、管理が行き届いたシルクのような艶がある。ヒフミちゃんとセイアさん、私には羽はないので、手入れはわからなかった。だけど、髪は皆長く、全員手入れの大変さについて語っていた。そんな中、ヒフミちゃんは私の方を向いた。
「エルさんの髪、本当に綺麗ですね……! 光が透けると、宝石みたいにキラキラしてて……」
「ありがとう、ヒフミちゃん。でも、ブラッシングをサボるとすぐ絡まって、ただの針金になっちゃうんだよね。維持するのも一苦労なの……」
「確かに、エルの髪は綺麗だね。プラチナシルバーに……スカイブルーが入っているのか?随分と珍しい髪色だけど、それは地毛かい?」
「そうなんですよ。セイアさんも艶がありますけど、何かオイルとかを?」
「そうだね。ナギサにおすすめされたものを使っているのだが、中々に良くて気に入っているよ」
「あ! 私もナギちゃんとおそろの使ってるよ! 同じ!」
「それはよかったです。また良ければ差し上げますよ」
「それは流石に申し訳ない。次は自分で──」
「ホント! わーい! やった!」
「「……はぁ」」
「え? なんでセイアちゃんとエルちゃん頭抱えてるの? 頭痛?」
「「誰のせいで」」
「あはは……仲がよくて羨ましいですね」
「ヒフミさん……この状況だと煽っているように聞こえてしまいますよ……」
「え、えぇ?!」
ヒフミちゃんの驚きように、皆が頬を緩めた。つられてヒフミちゃんも笑い始めた。……あぁ、これだ。こういう、中身のない、でも平和な会話がしたかった。ここに『
時計の針が夕刻を指した頃、私は名残惜しさを感じつつも席を立った。
「……悪いけど、私は一足先に失礼しようかと。これ以上ここにいると、本当に行政官のハンコを押されそうなのでね」
「冗談ではありませんのに……」
「ああ。いつでも歓迎しよう。またおいで、エル」
「……ははっ。……ミカちゃんはあの柱どうにかしてね。それが無理なら、ナギちゃんの手伝いしてから帰ってね?」
「え」
ナギちゃんの未練がましい声を背に、私はヒフミさんに小さく手を振って議事堂を後にした。
◇ ◇ ◆
夕焼けに染まる廊下を抜け、私は自分の寮の前に辿り着いた。
あぁ、疲れた。やっと帰ってこれた。……結局ドアはいつ治るのかな。
そう思って顔を上げた瞬間、私は足を止めた。
「…………は?」
そこに、シーツはなかった。なんならガムテープの跡すらない。代わりに鎮座していたのは、昨日までそこにあったものと寸分違わぬ、新品のドアだった。
──怖い。
いつのまにか治っていたドア。もしかしたら、ミカちゃんが昼間に修理を依頼していたのかもしれない。これで、私のプライバシーは復元された! よっしゃ! これこそがティーパーティー。これこそが、トリニティを統べる権力の正体。私一人の生活なんて、彼女たちの指先1つで書き換えられてしまう。そう、どんなにわがままで脳が筋肉でできていてもそれは可能だった。
私は震える手でノブを回し、部屋に入った。
部屋に上がり、バッグをソファーに投げる。その足でいつものようにキッチンへと向かった。そして。キッチンのテーブルの上には、数時間前に淹れたまま放置された、私の『ルヒュージュ・ド・ランジュ』が残っていた。
……冷え切っている。
最高級のバニラの香りは消え失せ、品質は見る影もなく下がり、ただの苦くて黒い液体に成り果てていた。
「…………っ」
扉は元通りになった。けれど、私の一人ティータイムは、消え去ってしまった。私はキッチンで、崩れ落ちるように膝をついた。
冷えた紅茶は……普通に美味しかった。