「何してんのミカちゃん?!」 作:天ちゃん
トリニティ総合学園の喧騒を遠く離れ、特別に整えられた石畳の道を抜けた先。知る人ぞ知る隠れ家的な名店、ガーデン・アフタヌーンティー専門店「セイレーン」は、
降り注ぐ陽光は、まるで最高級のシルクを透かしたかのように柔らかく、空気中には手入れの行き届いたバラの芳香が、甘く、それでいて凛とした冷たさを伴って漂っている。
カチャリ、という硬質で澄んだ音。磁器が触れ合う音だ。
「……うーわ」
思わず漏れたのは、淑女らしからぬ、けれどこれ以上ないほど正直な感嘆だった。あまりの風景に語彙力が喪失した。そこには、日々の地獄──主に自室のドアを爆破されたり、深夜にタケノコと格闘したり、朝っぱらから質量で肋骨を軋ませたりする日常とは無縁の完成された静寂があった。
「驚きましたか、エルさん」
前を行くナギちゃんが、優雅に振り返り微笑む。彼女はエスコートするスタッフに目配せをし、二人は庭園の最奥、最も見晴らしの良い「特等席」へと導かれた。そこは、白亜のガゼボによって適度な日陰が作られ、心地よい風が吹き抜ける、まさに楽園の縮図のような場所だった。
「とーーても。驚きすぎて、開いた口が塞がらないよ」
「それは良かったです。折角の休日ですから、以前からエルさんが気になっていたとおっしゃっていたここを、予約してみたのですよ」
泣きそう。こんなにうれしいことがあるなんて私はついている。今まで頑張ってよかった~!
椅子に腰を下ろし、ナギちゃんが手際よくスタッフに指示を出すのを眺めながら、数日前の記憶を反芻していた。
◆ ◇ ◇ ◇
──それは、連日の
部屋に訪れたナギちゃんが、唐突に顔を上げ、
「エルさん。近頃のあなたは、少し……いえ、かなりミカさんに振り回されすぎているように見えます」
「……お互い様じゃない?」
もはや幽霊の囁きのような私の返答。ナギサは手元の資料を置き、真剣な面持ちで続けた。
「先日のミカさんの暴走を止めてくださったお礼、そして……あの、深夜の……「タケパー」?にて、美味しいお料理を振る舞っていただいた報償として。アフタヌーンティーの予約を取りました。二人で、心と体を休めましょう」
その瞬間、私の心のダムがぼっこぼこに決壊した。
「へ……へへっ……うっ……うっうっうっ!」
言葉にならない叫びを上げ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらナギちゃんに縋り付いた。流石の彼女も、若干……いや、かなり引き気味に「お、落ち着いてください……」と私を宥めるしかなかったけれど、そんなの知ったことじゃない。
さらに、昨夜の決戦も記憶に新しい。アフタヌーンティーのことについて、ついミカちゃんに漏らしてしまった。そしたら、信じられないほどの大声で床を転げまわっていた。
「えーーー!! ずるいずるいずるい! エルちゃんだけナギちゃんと美味しいもの食べるなんて、私、絶対許さないんだから! 私も行く! 三人で行こうよ、ね!?」
桃色の爆弾が部屋中を跳ね回り、いつものように勢いで押し通そうとするミカ。普段なら「もう、しょうがないなぁ……」と折れてやってもよかったのだが、今回のアフタヌーンティーだけは譲れなかった。
「だめーーー!!」
「えっ」
「今回は絶対だめ! ミカちゃんはティーパーティーの仕事でもしてなさいー! いい? これはナギちゃんと私の、大事な大事な精神再構築の時間なの! ……言うこと聞かなかったら、一週間タケノコ料理送りつけるよ?」
全力の否定と、タケノコ刑の宣告に、流石のミカも「……あ、はい。……行ってらっしゃい」と、珍しくシュンとして引き下がったのである。ふっ、私の勝ちだね。
◇ ◆ ◇ ◇
……そんな死闘の末に勝ち取った、平穏。
「エルさん? 紅茶の準備が整いましたよ」
「あ、ごめんナギちゃん。……あまりにここが平和すぎて。昨日の戦いが嘘みたいだよ……」
慎重にティーカップを手に取る。これでもマナーは完璧だ。一応、あのミカに淑女の作法を叩き込んだ自負がある。普段は滅多に気にすることがないが、今日くらいはきっちりしないと。
運ばれてきた三段式のティースタンドには、宝石のようなセイボリー*1とスイーツが並ぶ。
下段のキュウリのサンドイッチを一口。……シャキシャキだが、タケノコとは違う優しい触感。ウマい。続いて中段のスコーンを割り、たっぷりのクロテッドクリーム*2と苺ジャムを山盛りに載せる。うん、うまい。うま。美味すぎて馬になる。……。
「……美味しい。ねぇナギちゃん、世界ってこんなに優しかったっけ?」
「ふふ、そうですね。ミカさんという特異点を除けば、世界は概ねこの程度には穏やかですよ。……それ、エルさんはジャムを先に載せる派でしたね」
ナギサの指摘に、少し照れくさくなった。
「あはは、そうなんだよね。友達だとデヴォン式*3が多いんだけど……私は、この苺の果肉感を先に舌で感じたいっていうか。……紅茶と合わせるならこっちの方がいいかなーって」
「私も実は、今日のようなプライベートな場ではエルさんと同じコンウォール式*4を好むのです。こちらの方がクリームがジャムの酸味を優しく包み込んでくれる気がして」
「えっ、ホント!? ナギちゃんも? あぁ……なんだか、すごく安心した。この話をするといつも友達と戦いになりかけるからさ……」
二人で顔を見合わせ、悪戯っぽい笑みを交わす。
こうしてナギちゃんとゆっくり話すのは久しぶりかもしれない。ティーパーティーのホストとなったナギちゃんは忙しく、こういった時間をとれていなかった。私も、あまり邪魔しちゃいけないと思って誘うことも少なかった。
だからこそ、こうやってのんびりできるのが嬉しかった。
ナギちゃんが次に勧めてくれたのは、ナギちゃんが普段好んでいる『
「これ……もしかして、春にしか手に入らないヴィンテージ?」
「ええ。私のオススメです。昔、お茶会で提供したとき、気に入っていたようなので……どうですか、香りは?」
エルは目を閉じ、湯気と共に立ち上る複雑で高貴な香りを胸一杯に吸い込んだ。
「……最高だね。華やかなのに、後味がすごく端正で……。ナギちゃんって、本当に私の好みを完璧に把握してるよね。なんだか、見透かされてるみたいで少し悔しいかも」
「幼なじみですから。エルさんが本当は
ナギちゃんの言葉は、熱い紅茶よりも深く、心に染み渡った。おっと、目から紅茶が。フキフキ。
日頃、ミカちゃんの無尽蔵なエネルギーを受け止め、振り回されてきた。そんな私を、ナギちゃんだけはこうして言葉にせずとも汲み取り、最上の形で報いてくれた。
「……ナギちゃんこそ。いつもホスト役に徹して、自分の楽しみを後回しにしてるでしょ。今日くらいは、二人でお喋りしよ。最近見つけた、絶対にナギちゃんが好きそうなアンティークのティーカップの話があるんだ」
「おや。それは興味深いですね。……ええ、喜んで。今日は日が落ちるまで楽しみましょう!」
二人の間にある空気は、春の午後の陽だまりのように柔らかく解けていく。
スコーンを一口食べ、お気に入りの紅茶で流し込み、他愛もないお菓子の新作や、趣味の雑貨について語り合う。
そんな、普通の子なら当たり前に持っているはずの時間が、今の私には砂漠で見つけたオアシスみたいに眩しくて、泣きたくなるほど尊かった。
「……美味しい」
「ええ。この瞬間のために、私たちは日々、あの……その、賑やかな日常を生き抜いているのですよ」
二人で顔を見合わせて小さく笑った。
今の私なら、たとえ明日ミカちゃんが天井から降ってきても、笑顔でティーカップを差し出せる気がする。……まぁ、その後にショットガンの安全装置は外すけどね。
◇ ◇ ◆ ◇
だが。
そんな平和な聖域の結界は、庭園の端にある巨大な植え込みの影から、静かに、かつ執念深く狙われていた。
「……ちょっとセイアちゃん、動かないでよ! メニューで見えないじゃん!」
「ミカ……。君というやつは……。この私が、なぜ休日にわざわざ偽名を使い、このようなおよそ洗練とは程遠い付け髭とサングラスの変装をしてまで、ティータイムを過ごさなくてはいけないのだ……」
天坂エルの席から数歩離れた、死角となるテラスの隅。そこには、不自然なほど襟を立てたトレンチコートを纏い、メニュー表の陰から小型双眼鏡を覗かせる聖園ミカと、その対面で死んだような目をしている強制的に連れてこられた百合園セイアの姿があった。ミカの変装は、明らかにサイズが合っていないサングラスと、季節外れの夏っぽい麦わら帽子。周囲の優雅な淑女たちの中で、そこだけが異様な「不審者オーラ」を放っている。
「だって! エルちゃんとナギちゃんが、二人っきりで内緒でお茶してるんだよ!? 絶対、私の悪口言ってるもん! 『ミカちゃんって本当にゴリラよねー』とか、『昨日のドアの修理代、ミカちゃんの貯金から引いとく?』とか!」
「……事実を言われているだけではないか。それに、ドアに関しては君のすべきことをナギサに押し付けたのだから、文句を言われて当然だろう。それよりも、その落ち着きのない羽をどうにかしたまえ。ウェイターが困惑している」
セイアは、目の前に並べられた豪華なアフタヌーンティー・セットに目を落とした。本来なら至福の時であるはずのティータイム。だが、対面で「ぐぬぬ……」と唸りながら双眼鏡を構え、落ち着きなく椅子をガタガタさせている桃色の暴走機関車を前に、セイアの胃はキリキリと悲鳴を上げていた。
……ああ、そうか。ナギサとエルは、毎日このような……「いつ爆発するか分からない爆弾」の信管を素手で弄るような日々を過ごしているのか……。
これまでどこか他人事のように眺めていた二人の苦労。それが今、生理的な胃痛となってセイアを襲う。
君たちが今日、この平和を求めてここへ逃げ込んだ理由が、今なら痛いほどに理解できるよ……。すまないナギサ、エル。私が連れてきたこの爆弾は、今にも導火線に火がつきそうだ。
そんなセイアの心労など露知らず、ミカは双眼鏡を覗いたまま、手探りでスコーンを掴み、口へ放り込んだ。
「もぐもぐ……ふんふん、あっちのスコーンの方が美味しそうじゃない? ずるいー、エルちゃんばっかり……。あ! 今ナギちゃんと目が合った!? え、バレた!?」
「落ち着け。サングラス越しに目が合うはずがないだろう。……ミカ、紅茶を飲むなら双眼鏡を置くんだ。ソーサーを叩きつける音がうるさいよ」
「だって気になるんだもん! エルちゃん、あんなに幸せそうな顔して……。私といる時は、いつも『帰れ!』とか『殺すぞ』とか、あんなに元気に叫んでくれるのに!」
「それは君が彼女の安寧を、徹底的に破壊しているからだろう……」
ミカは「ぐぬう……」と呟きながらも、紅茶を一気に煽り、再び双眼鏡を構える。その動きはまるで獲物を狙う猛禽類のようでありながら、食べているお菓子はしっかりと減っているという、器用かつ落ち着きのないものだった。
セイアの警告も虚しく、ミカは嫉妬と好奇心の混ざった感情を抑えきれず、さらに身を乗り出していく。
「あー! 見てセイアちゃん! ナギちゃんがエルちゃんの髪に触れようとしてる! それは私の専用席なのにー! ちょっと、今すぐあそこに突撃してくる!」
「やめたまえ! ……くっ、誰か。誰か私に胃薬を……」
セイアは震える手で自分のカップを握りしめた。 この偵察という名の地獄が、一刻も早く、穏便に終わること。 そして、ナギサとエルが少しでも長く、この
一方、そんな背後からの桃色の執念や胃痛の呻きなど露知らず。
エルとナギサは、外界のすべてを遮断したかのような、完璧にのほほんとした時間を享受していた。
◇ ◇ ◇ ◆
足元に、一羽の小さな小鳥が舞い降りる。
ティーソーサーに残ったパン屑を少しだけ差し出すと、鳥は警戒心もなく指先に止まった。
「ナギちゃんみてぇ~。この子、めっちゃかわいい~!」
「まぁ……本当ですね……。ふわふわしてますね……」
そっと指先で鳥の柔らかな羽に触れる。その瞬間、先日のタケノコ掘りで土にまみれ、ミカちゃんの質量で軋んでいた心から、泥のような疲れが消えた。かつてないほど心が軽い。今なら空を飛べそう。羽はないけど。
最高級の紅茶、甘いお菓子、そして何より、お互いに同じ悩みを抱えた友との穏やかな会話。
「幸せ……。ナギちゃん、私、もうこのままこの鳥さんと一緒に森の賢者になりたい……」
「それは困ります。あなたがいないと、誰が彼女の世話をするのですか?」
「元から世話をしたいなんて思ってないけど。……でも、今日だけは忘れていいよね」
――二人は、離れた席でミカが「あー! 今触った! エルちゃんが鳥さんに浮気したー!」と悶絶し、セイアが「頼むから黙ってくれ……」と顔を覆っていることなど、微塵も気づかずに微笑み合っていた。そうして、平穏なひと時を過ごした。
茶会が終わる頃。
席を立つナギちゃんの顔からは、いつもの苦労人特有の深いクマが消え失せ、憑き物が落ちたような清々しさが宿っていた。かく言う私も、全身から疲れが抜けきったように感じる。
「ありがとう、ナギちゃん。……本当に、生き返ったよ」
「いいえ。また明日から、嵐が吹き荒れるのでしょう? 英気は養っておくに越したことはありませんから」
ナギちゃんの優雅な微笑みに、苦笑いがこらえられない。そのまま、ナギちゃんと共に『セイレーン』を後にする。
出口で、不自然にトレンチコートの襟を立てた二人組とすれ違った気がしたが、あまりの気分の良さに、すぐに忘れてしまったが。
──そうして。
ナギちゃんと別れ、私は一人寮へと歩いていた。
いやぁ。なんと素晴らしい時間だっただろうか。定期的にナギちゃんとのお茶会を開いたほうがいいだろう。……週一。いや、週三くらいで開こう。そうしよう。
「……あ、お帰り、エルちゃん」
寮の部屋の前。そこには、地べたに座り込み、頬をこれでもかと膨らませたミカちゃんが待ち構えていた。
私が近づくやいなや、彼女はロケットみたいな勢いで立ち上がると、ビシッと私に指を突きつけてくる。
「遅いよエルちゃん! 私を置いてナギちゃんとあんなに楽しそうにするなんて! スコーン食べてたでしょ! 鳥さんと遊んでたでしょ! 私なんて、今日一日中、セイアちゃんの難しいお話を聞かされて耳がタケノコになりそうだったんだからね! もぉぉぉ、信じられない! エルちゃんのいじわる! ゴリラ! 浮気者ー!!」
……耳がタケノコって何。というか、ついてきてたのかい。
いつもの私なら、ここで「誰がゴリラだ!」「勝手についてくんな!」って腹部に一発ぶち込んでいただろう。もしかしたら、そのままショットガンの銃口を押し当てていたかもしれない。
けれど、今の私は違う。
「……ふふっ。ごめんね、ミカちゃん。寂しかった?」
「……えっ」
いつもより数段高い聖母のような微笑みが自然に出た。私は怒り狂うミカちゃんの頭を優しく撫でて、そのままふわりと抱きしめる。あぁ、ミカちゃんってこんなにふわふわしてたんだね。いつもは「重い!」とか「どけ!」とかしか思ってなかったけど。
「お土産に、ミカちゃんの好きなロールケーキ買ってきたよ。一緒に食べよっか」
「あ……う、うん。…………えっ、怒らないの?銃、撃たないの?」
「私はそんなことしないよ~。ミカちゃんと、もっと仲良くしたいなってって思ってるよ?」
私の言葉に、ミカちゃんの方が「……え、エルちゃんが壊れちゃった!? 怖い! 逆に怖いよ!」と戦慄してる。失礼な。でも、そんな彼女の怯えすら今の私には微笑ましく見えて、私は大人しくなった彼女を促して部屋に入った。
明日また、ドアが爆破されるかもしれない。
けれど、今の私には、それを笑って受け流すだけの、確かな活力が満ちていた。