「何してんのミカちゃん?!」   作:天ちゃん

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「ロールケーキッ!」「「……マジ?」」

 前回のお花見から数日が経った。

 

 桜のほうは、もうすっかり葉桜になっている。あの日の薄紅色の記憶と、私の胃袋に永遠に刻み込まれた「あれ」の記憶だけが、くっきりと残っていた。

 あれ、というのは。ミカちゃんが満面の笑みで差し出してきた、あの物体(ロシアンクッキー)のことである。もはやクッキーと呼ぶにはクッキーに失礼だと思う。クッキーの形をした何か。

 あれをお菓子と呼んでいいのか。キヴォトスの法律に問いたい。

 

 ──というわけで、本日の議題はこれだ。

 

「二度と、あんなものを世に出さないために!」

 

 会場は私の部屋。今はリビングに集まっている。

 ナギちゃんが両手を組み、静かにそう宣言した。私は厳粛なる顔で頷いていた。ミカちゃんだけが、キョトンとした顔で首を傾げていた。

 

「えー。私のお菓子、そんなにダメだった? なんか、お花見のときみんな喜んで食べてたじゃん」

「あれが喜んでいるように見えたなら一度……定期的に眼科に行きましょう。連れていきますから」

「…………」

 

 ナギちゃんの圧が、静かに、しかし確実に部屋の酸素を減らしていく。私はこっそり視線を逸らした。あの日の記憶は今でも夢に出てくる。夢でよかった。

 

「今日は私が主導で、三人でお菓子作りをします。ミカさんは私の指示を聞いて、それ以外のことはしないでください」

「えーっと、できるだけ頑張るね!」

 

 元気よく返事をするミカちゃん。その目がキラキラしていることは、今後の不安を多分に孕んでいるのだが、ナギちゃんはそこまで深読みする間もなく「では、キッチンへ」と立ち上がった。

 私もエプロンを手に取り、肩にかけながら、ミカちゃんをちらりと見る。

 

「全力で頑張ってね、是非とも。私たちの命に関わるからさ」

「えー? エルちゃん大袈裟だよー! そんなことするわけないじゃーん。もう、すぐそういうこと言うんだから!」

「言いたくなる理由は自分の胸に手を当てて考えてね」

「……ふーん?」

 

 にっこりと笑顔のまま傾げるその首が、何故こんなにも不安を煽るのか。私は溜息をひとつ吐いてキッチンへ向かった。

 

 

 ◆ ◇ ◇

 

 

 今日作るのはロールケーキ、とのことだった。

 ナギちゃんが材料を並べる。薄力粉、砂糖、卵、生クリーム。それから、バニラエッセンスとジャム。シンプルな構成だ。難しいところは特にない。要するに、普通にやれば普通に美味しいものが完成する。

 問題は、普通にやれない人間が三人のうち何人いるかだ。

 

「では手順を説明します。まずスポンジ生地を作ります。卵を卵黄と卵白に分けて、それぞれ泡立ててください。ミカさん、卵黄と卵白、分けられますか?」

「任せて!」

 

 力強い返事。ナギちゃんと私は、それぞれ自分の担当分の卵に取り掛かった。

 私は卵黄に砂糖を加えてハンドミキサーを回す。白っぽくもったりしてくるまで混ぜればいい。単純作業は嫌いじゃない。むしろ好きだ。何も考えなくていいから。アールグレイでも飲みながらやりたいところだが、今は我慢する。

 ふと、右横の住人の動きが気になったので、目を向ける。──すぐに前を向いた。

 

「……ねえ、ナギちゃん」

「なんですか、エルさん」

「ミカちゃん今、卵を……割り方が……」

「……見ないでおきましょう」

 

 二人で示し合わせるように正面を向いた。右から、鈍い音と、何かが飛び散る音が聞こえた気がした。……が、私たちは見なかった。見ていない。なんの音もしなかった。

 

「できたよ! ぜんぶ混ざった!」

「……卵黄と卵白を分けてから混ぜてほしかったんですが」

「え? 分けてから混ぜるの? 最初から一緒に混ぜたほうが早くない?」

「……ミカさん。もう一度卵を持ってきますので、今度は私の言う通りにやってください」

 

 ナギちゃんの声が、穏やかなままで微妙に低くなった。私は卵黄を泡立てながら「これはひどい」と心の中だけで呟いた。声に出したら何かが崩れそうだったので。

 結局、ミカちゃんの卵の分離作業はナギちゃんが横でつきっきりで監修することになった。私は粛々と薄力粉をふるい、メレンゲと卵黄生地を折りたたむように混ぜる。さくっと軽くなっていく生地の感触が、何となく気持ちいい。

 

「エルさんは手際がいいですね」

「たまにお菓子作るからね。紅茶のお供に」

「……なるほど」

 

 ナギちゃんがしみじみとした声で言った。その声には、複雑な感情が三層くらい重なっていた気がしたが、深掘りしなかった。

 天板にオーブンシートを敷いて、生地を流し込む。スパチュラで均一に広げると、わりとうまくできた気がする。ナギちゃんも同じ作業をしていて、そちらもきれいに仕上がっている。

 ミカちゃんの天板は……その、まあ、均一、ではなかった。なみなみとした起伏があり、端のほうが妙に厚く、中央がくぼんでいた。地形図みたいだった。

 

「……山脈を作ってるわけじゃないよね?」

「え? いや、ちゃんと広げたよ? どうして均一にならないんだろー?」

「スパチュラの角度と力加減の問題かと。ミカさん、少し引き」

「でも、ここもこっちも直したいんだよね。ちょっと待って、もうちょっとこう……」

「……ミカさん」

「あ、でもここが盛り上がってきちゃった。えー? なんで?」

「…………」

 

 ナギちゃんが静かに目を閉じた。深呼吸をしている。私は見守ることしかできなかった。見守るしかできない。それが、私にできる唯一の親切心だった。

 三枚の天板がオーブンに入り、タイマーがセットされた。待機時間が発生した。

 ミカちゃんはすかさず「エルちゃん、なんか飲み物ちょうだい! 喉渇いた!」と言った。

 

「自分で注いできなよ」

「えー? 冷蔵庫どこ?」

「今立ってるとこの三歩後ろ」

「わぁ! ほんとだー! エルちゃんって冷蔵庫の位置まで把握してるんだね、すごーい!」

「私よりも、自分が三歩後ろも見えないことに驚いてほしかったかなぁ……」

 

 ナギちゃんが小さく「ふふ」と笑った。私も笑った。ミカちゃんは冷蔵庫を開けて紅茶を見つけ、「あ、紅茶!」と無邪気に喜んでいた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 オーブンが鳴いた。

 

 三枚のスポンジが焼き上がる。私のとナギちゃんのは、均一にふっくらとして、表面が薄い黄金色になっていた。良い感じだった。思わず「おっ」と声が出てしまった。中々に良い出来だった。最近の中でも良い感じではないだろうか。

 こういう時、たまたまだったとしても嬉しい。というか、たまたま上手くいくから嬉しいのかもしれないが。

 ミカちゃんのは、焼く前の地形図状態がそのまま固まっていた。山と谷が忠実に再現されていた。しかも、端の厚い部分は少し焦げていた。

 

「おー! なんかできた感じがする!」

「……感じがするだけで、色々なところがね、こう……芸術的というか」

「エルちゃん、何か言った?」

「言ってないっすよ」

 

 私は死んだ魚のような目をしながら、スポンジを冷ます作業に入った。ナギちゃんが粛々と生クリームの泡立てを始める。

 

「ミカさん。生クリームを泡立ててください。七分立てで止めてください。硬くなりすぎないように」

「しちぶ……うん! 任せてっ!」

 

 ミカちゃんがハンドミキサーを手に取る。私の隣で、ナギちゃんが慎重に泡立てていた。私のほうは、スポンジを触って冷め具合を確認しながらナギちゃんの手元を参考にする。

 いつもは特に気にせず、固まってくるまで混ぜては適当なタイミングでやめていたけど……なるほど。七分立てというのはこのくらいか。とろりとした重みがあって、すくうと形を保ちながらゆっくり落ちる感じ。

 

「……ミカちゃん、それ多分もう八分立てになってる」

「え? まだ途中だよ?」

「スピード上げすぎ。もう止めて」

「でも、もっとふわふわにしたほうがおいしそうじゃない?」

「ふわふわにしたいなら九分立てどころかバターになる手前まで行くよ、そのまま続けたら」

「えー? バターになるの? ホントに?」

「なるよ。やりすぎると分離してモソモソになる。止めてって言ってるのに」

 

 時すでに遅し、というか。

 ミカちゃんのクリームは、七分立てどころか、明らかに硬くなりすぎていた。スプーンで触れるとブツリと切れるような感触がある。絞り袋に入れたとしても、多分ゴツゴツした山を作るだけだろう。

 

「……まあ、塗れないことはないよ」

「大丈夫ですか?」

「……塗るだけなら。ロールするときに割れなければ」

「割れるんですか?」

「硬くなりすぎてると割れることがあるけど……ミカちゃんのスポンジ、端が焦げてるしね」

 

 私とナギちゃんは無言で目を合わせた。まあ、やってみよう、という合意だった。

 スポンジにクリームを塗る。私のとナギちゃんのは、さくさくと進んだ。クリームが均一に広がる気持ちよさ。均一に塗れると、何となく達成感がある。意外とこういう細かい作業、好きかもしれない。

 ミカちゃんのは、スポンジの凹凸にクリームが入り込んで、局地的にすごいことになっていた。谷の部分にクリームが溜まり、山の部分はほぼ露出したままだ。いびつ、というレベルを超えていた。

 

「なんかさ、これ……土台が問題なんじゃない?」

「スポンジのことは言わないでよ、精一杯やったんだから!」

「精一杯の結果がこれ……?」

「もう、エルちゃんいじわる!」

 

 いじわるじゃないよ、ただの現実確認だよ。そう言いたいのをぐっと飲み込んで、私はミカちゃんのスポンジを端から端まで観察した。

 

「……ナギちゃん、ここ、少し手伝っていい?」

「はい、お願いします」

 

 二人がかりで、なんとかクリームをそれっぽく整えていく。凹凸を均すようにヘラを動かし、足りない部分には少し補填する。……ちょっとはマシになった気がする。気がするだけかもしれない。

 巻く段階に入った私は、ラップを使いながら丁寧に芯を作ってくるくると巻いた。今のところ割れずに進められている。最後には、特に問題なく均一な筒型になった。良かった。

 ナギちゃんのも美しく仕上がっている。流石~。一口食べたい気持ちをぐっと抑えて、ミカちゃんの方を見れば。

 ミカちゃんのは、「巻くよー!」と元気よく宣言するやいなや、豪快に端から押しつぶすようにやり始めた。

 

「ちょっ、待って待って! ゆっくり! ゆっくりやって!」

「こう?」

「もっとゆっくり! 芯を作りながら!」

「芯って?」

「端からくるくると……そう、そのまま……待って、そっちに押しすぎ……あっ」

 

 ぐしゃ、という音がした。

 ミカちゃんのロールケーキは、力加減を誤ったため、中央部分が一部崩壊していた。スポンジが割れ、クリームがはみ出している。しかも表面がでこぼこしており、どこから見ても商品としての体裁をなしていなかった。色も、端が焦げていたせいで部分的に褐色になっており、全体的に薄暗い雰囲気を醸し出していた。

 

「できたー!」

 

 ミカちゃんが満足そうに言った。

 私とナギちゃんは、そのロールケーキ(と呼んでいいのかはこれまた検討の余地あり)を無言で見つめた。

 

「……うん」

「……そうですね」

 

 言葉にならなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◆

 

 

 完成品を皿に並べると、そのコントラストが眩しかった。

 私のは、割とちゃんとしたロールケーキだった。断面を切れば、クリームの白と生地の黄色のグラデーションが見えるだろうという確信があった。ナギちゃんのはもっと完璧で、表面も滑らかで、どこかのお店に出せそうなレベルだった。

 ミカちゃんのは……その、ロールケーキに分類はできた。一応。筒の形は保っている。クリームが全体的にはみ出しているし、端は焦げているし、途中で断面が崩れ、表面はでこぼこ、色もまだらだが。一応。

 

「じゃあ食べよう!」

 

 ミカちゃんが無邪気に言った。私とナギちゃんはほぼ同時に返事をした。

 まず私のを切り分ける。断面は、想像通りにきれいだった。クリームも均一で、スポンジもふんわりしている。口に入れると、バニラの香りとほんのりした甘みが広がった。美味しい。普通に美味しい。よし。

 

「エルさんの、おいしいです」

「でしょ。ナギちゃんの当然美味しいやつ」

「当然、ということはないですが」

「おいし〜! エルちゃんすごーい!」

 

 ミカちゃんがぱっと顔を輝かせる。まあ、褒められると嬉しいのは事実だ。私は内心少し得意げになりながら、ナギちゃんのを一口もらった。……やっぱりナギちゃんのが一番うまかった。悔しいとは思わないけど素直に美味しかった。

 

「では。ミカさんのも……」

 

 三人で、ミカちゃんのロールケーキを見つめた。

 ミカちゃんが「はい!」と言ってナイフで切り分けた。断面が……まあ、その、崩れているのは仕方ないとして。切り分けた一切れを皿に乗せ、三人で囲む。

 沈黙が流れた。

 私がまず、フォークを手に取った。ナギちゃんも、少し間を置いてから。ミカちゃんは「早く食べてよ~!」とそわそわしていた。覚悟を――!

 勇気の一口。

 …………。

 

「……え」

 

 私の声が、思ったより素直に出た。

 甘い。ちゃんと甘い。スポンジは確かに端が少し焦げているが、その焦げがむしろキャラメルみたいな風味を加えていて、悪くない。クリームは硬めになりすぎていたはずだが、それが逆にくどくなく、さっぱりした口当たりになっていた。凹凸のせいでクリームの量にムラがあるため、一口ごとに甘さの強弱があって、これはこれで……飽きない。

 

「……え?」

 

 私は自分の口の中の感覚と、皿の上の物体を交互に確認した。この見た目のものがこの味を出してくるとは。

 

「おいしい?」

 

 ミカちゃんが、待ちきれないように前のめりになっている。

 私はナギちゃんを見た。ナギちゃんも私を見ていた。

 

「……どうですか、エルさん」

「……普通においしい」

「そうですか」

「それどころか、なんか……いける」

「そうですか」

「意外と、好きかもしれない、この感じ」

「そうですか」

 

 ナギちゃんの声が完全に感情を排していた。私も、正直なところ、口では認めているのに心のどこかが全力で抵抗していた。あれだけ見た目がアレで、工程もアレで、それで美味しいとは何事か。道理が通らない。キヴォトスの物理法則を見直してほしい。

 

「え~!! やった! おいしかった!? ほら! 私のお菓子ちゃんと食べられるもん!」

「待って。食べられるとおいしいは違うよ、一応」

「でもおいしいって言ったじゃん!」

「言ったけど! 言ったけどさ!」

「エルちゃんって素直じゃないよね~」

「そういう問題じゃない! あの工程で! この見た目で! なんで美味しくなってんの!? どういうこと!?」

「エルさん、落ち着いて」

「ナギちゃんだって納得してないでしょ! 顔に出てるよ?!」

 

 ナギちゃんは、一秒ほど沈黙した後、静かに口を開いた。

 

「……確かに。見た目と工程を鑑みると、この結果には若干、釈然としない部分が」

「そうだよ! そこだよ!」

「でも美味しいものは美味しい、ということも」

「それはそうなんだけど!」

 

 私とナギちゃんがそれぞれもどかしさをぶつけ合っているのを、ミカちゃんは腕を組んで「やっぱり私のが一番だよね!」とどや顔で締めくくった。

 違う。そういう話じゃない。全然そういう話じゃない。

 でも、反論しようとすると、私の口の中にまだ残っているあの味が邪魔をする。

 

「……もう一個、ちょうだい」

「えっ? もう一個?!」

「確認のため。再検証のため。決してうまいと思ったわけじゃないから。あくまで検証」

「はーい☆ いっぱい食べてね!」

 

 ミカちゃんが嬉しそうに切り分けるのを見ながら、私は静かに、しかし確かに、敗北感のようなものを感じていた。

 ナギちゃんもそっと手を伸ばして「……私も、もう一切れ、確認が必要です」と呟いた。

 私たちの料理教室は、こうして──誰も言葉にしたくない形の「ミカちゃんも勝利」とともに幕を閉じた。

 窓の外では、葉桜がさらさらと揺れていた。

 

「ぜったいに認めない」と心の中で呟いたが、それが届く相手はいなかった。何故なら当の本人は、私のティーカップに勝手に手を伸ばして、「エルちゃんのお茶も美味しい! 合う!」とにこにこしていたからだ。

 

「……それ、私のカップ」

「一口だけ!」

「一口って言いながら全部飲もうとしてるじゃん!!」

 

 本日のツッコミ、多分十七回目くらいだった。

 ミカちゃんがいると私の優雅なティータイムがいつまでも訪れないことを再認識させられた。

 

 後日。

 

「これが……? あのミカが作ったロールケーキ……?」

 

 セイアさんもしばらく放心していたのは、別のお話。

 




本日の紅茶
Céleste-Souverain(セレスト・スヴラン)』・『オーラ・デムロード』
珍しい緑茶ベースのアールグレイ。キレのある若草の香りと、目が覚めるようなフレッシュレモンの皮、そして微かなペパーミントが配合されています。非常に透明感のある、淡いエメラルドグリーンの水色が特徴。

三話で朝に飲んでいたのと同じアールグレイでしてよ。
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