「何してんのミカちゃん?!」   作:天ちゃん

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「映え!」「盛・り・す・ぎ!!」

 放課後の廊下は、解放感と帰宅ラッシュの足音が入り乱れ、ざわめいていた。

 私はその波に飲まれないよう、さっさと自室への帰路を確保しようとバッグに手を伸ばした。今日は早く帰れる。帰ってアールグレイを一杯、静かに飲む。それだけでいい。それだけが今の私には必要なのだ。

 鞄を閉め、肩にかけたその瞬間。

 

「エルちゃ~ん!」

 

 振り返るより先に、背中に衝撃。私の肩甲骨の間あたりに顔を埋めてくる桃色の影が、すでにそこにいた。廊下を通りかかった生徒たちが、一拍おいて視線を逸らす。そうだよ、見なくていい。これは日常だから。

 

「ちょっと! 離れて! 暑い! というか重い!」

「そんなことより聞いて!」

「『そんなことより』って何!? 私の大事な肋骨の話だよ!?」

 

 聞こえていない。聞こえているはずなのに、この人は都合よく聞こえないふりができる。才能だと思う。本当に。人類の損失だと思う。あー本当に本当に。

 

「あのね! 駅前に新しくできたクレープ屋さん、知ってる!? 『パール・シュクレ』!」

「知らない」

「SNSでめちゃくちゃバズってるんだよ! ほら、見て!」

 

 ミカちゃんが、ぐい、とスマホを私の顔に押し付けてくる。画面に映っていたのは、確かに、食欲をそそる色彩の写真だった。丁寧に盛り付けられたクレープ。光の当たり方まで計算されているような、そういう「映え」を目的に生まれてきたような、一枚だった。

 

「……綺麗だね」

「でしょ!? だから行こ!」

「行かない」

「え、なんで!?」

「今日は早く帰りたいの。紅茶を飲みたい。静かに。誰にも邪魔されずに。一人で」

「んー……でもさ、こういうの、一人で行きにくいんだよね。行列できてるし、写真頼むのも知らない人に頼むのも気まずいし……」

 

 ミカちゃんが、少しだけ声を落とした。

 いつもの勢いが一段階、静かになる瞬間。私はこれを知っている。知っているのに、毎回うまく対処できない。

 

「……一人だとちょっと、緊張するんだよね。こういうの」

 

 何なんだろうか。

 心の底から、ずるいと思う。この人は全力で暴走しながら、ここぞという時にだけこういう顔をする。こういう声を出す。幼馴染として十数年、その手口を知っていても、毎回まんまと引っかかる私もどうかしているけれど。

 

「……わかったよ。行くから、その顔やめて」

「えっ、ほんと!? やった!!」

 

 一秒で戻ってきた大声。緊張してたんじゃないの? まあ、もういいや。

 

「ただし条件がある。サクッと撮って、サクッと食べて、サクッと帰る。わかった?」

「わかった! 任せて!」

「……わかってくれてないだろうなぁ」

 

 私の呟きは、すでに廊下を駆け出していたミカちゃんには届かなかった。

 

 

 ◆ ◇ ◇

 

 

 駅前の大通りを抜けると、街の空気がすこし変わる。

 校舎周辺の凛とした気配が薄れ、代わりに商店のざわめきと、焼き菓子や揚げ物の匂いが混ざりあって、ゆるやかな夕方の気配が漂いはじめる。放課後の街は、どこか一日の終わりに向かって少しずつ急いでいるようで、それでいて妙に呑気でもあって、私はこの時間帯の空気が、嫌いじゃない。

 ミカちゃんは当然のように私の隣を歩いていた。というより、正確には歩いていなかった。ショーウィンドウを覗き込んでは「見て見て!」と立ち止まり、横断歩道を渡りながら空を見上げ、花屋の前で鉢植えの名前を読み上げ、そのたびに私の歩調が乱される。

 

「ミカちゃん、まっすぐ歩いて」

「だってこのお店、新しくできてない? 前はここ何だったっけ?」

「眼鏡屋さんだったよ。前も同じこと言ってたよ、先月」

「えっ、ほんと!? 記憶にないや☆」

 

 記憶にないのを誇らしそうに言わないでほしい。

 さらに数分ほど歩いたところで、ミカちゃんが足を止めた。今度は小さな雑貨屋の前だった。ウィンドウの中に、猫の形をした陶器の置物が並んでいる。

 

「ねえ、エルちゃん。あれ、ナギちゃんにぴったりじゃない? 今度のお誕生日プレゼントにどう?」

「……ナギちゃんの誕生日は当分先だよ」

「だから今のうちから考えとくの! 先見の明ってやつ?」

「それは良いんだけど、今日の目的を先に果たして」

「そうだった! クレープ!」

 

 こっちが言いたいことを先取りされた上に、なぜか私の方が急かされている。どういうことだろう。

 ミカちゃんが勢いよく歩き出したので、私もそれに続いた。彼女が先を行くと、不思議と人混みがすっと割れる。あの存在感は反則だと思う。

 

「あ! あそこじゃない!?」

 

 路地の入口で、ミカちゃんが指をさした。

 確かに、それらしい看板が見えた。淡いベージュを基調とした外観に、黒板に書かれたメニュー。看板には手書きで『ペルル・シュクレ』と書いてある。確かに、絵になる。日差しの角度も、外壁の色も、黒板のフォントも、全部が「映え」を意識して設計されているような、そういう種類の店だ。人気なのも頷けた。放課後の時間帯ということもあって、すでに十人ほどの行列ができていた。

 

「ほんとだ。人気あるね」

「ね! やっぱりバズってるだけあるよね! 早く並ぼ!」

 

 列に並びながら、私はメニューを眺めた。

 フレッシュイチゴ&カスタード……美味しそう。これにしようかな。シンプルで、品があって、写真にも撮りやすい。私の中では即決だった。どう考えてもこれが一番正解。映えも意識するならなおさら。

 問題は、隣で目を輝かせながらメニューを見上げているこの人だ。

 

「んーっ! どれも美味しそう! いちご、バナナ、マンゴー、チョコ、生クリーム、抹茶アイス……マシュマロもある! グミまで! え、砕いたクッキーも乗せられるの!?」

「好きなの選びなよ。折角だし」

「うんうん……」

 

 ミカちゃんが、一枚のメニューをじっくりと見つめた。それから、何かを思いついたような顔をした。

 あ、この顔。何かよくないことを思いついた時の顔だ。私は一万回くらい見たからわかる。目がキラキラしている時は大抵まずい。こういう時、私にとっていいことが起きたことはない。

 

「……ミ──」

「ねえ、店員さん!」

 

 止める間もなかった。

 

「全部乗せってできますか? トッピング、全種類!」

 

 店員さんが、穏やかな笑顔のまま、一瞬止まった。営業スマイルの奥で何かが揺らいだのを、私は見逃さなかった。

 

「……あの、一応できますが」

「じゃあそれで!」

「ちょっと待って!」

 

 私が割り込んだが、ミカちゃんはすでに「はい!」と元気よく注文を確定させていた。後ろの行列から、くすくすと笑い声が聞こえた気がした。聞こえなかったことにする。

 店員さんが、困ったような笑顔で「少々お時間いただきます」と言い、奥へと消えていく。その足取りが、少しだけ急いでいるように見えた。

 私は、ゆっくりとミカちゃんの方を向いた。

 

「……全部って、何種類あったか聞いた?」

「十四種類って言ってたね!」

「食べれるの? その量」

「でも全部食べたいじゃん! だって全部美味しそうなんだもん! エルちゃんも分けてあげるね!」

「要らない。私はイチゴとカスタードにする」

「えー! つまんない!」

「私はつまらなくない!」

 

 私は静かにシンプルなクレープを注文し、静かに怒りを腹の底に沈めた。深呼吸。アールグレイを思い浮かべる。ベルガモットの香り。今日帰ったら絶対に飲む。絶対に。生憎ここには売ってなかった。クソ。……おっと。失敬。

 待っている間、ミカちゃんは行列の間をそわそわと体重移動しながら「楽しみ~!」を三十秒おきに言っていた。後ろに並んでいた女の子たちが微笑ましそうにこちらを見ていたので、私は「友人です、すみません」という感情を目線で送ることしかできなかった。

 そして数分後。

 店員さんが、両手で恭しく差し出してきたものを見て、私はしばらく言葉を失った。

 

「……オーマイ……」

「わあ!!!」

 

 コーン状の生地の上に、ホイップクリームが土台を作り、その上に生クリームがドーム状に盛られ、イチゴ、バナナ、マンゴーが差し込まれ、砕いたクッキーが散らされ、マシュマロが詰め込まれ、チョコレートソースがかけられ、グミがあしらわれ、頂上には抹茶アイスが鎮座していた。

 全高、推定二十五センチ。重量、推定……考えたくない。

 これは、クレープではない。

 クレープという概念に、暴力で塗り替えを施した何かだ。食べ物というより、もはや構造物だ。建築基準法の管轄に入らないのかこれは。早めに取り締まったほうがいいよ、ヴァルキューレ?

 

「すごーい!! かわいい!! エルちゃん、撮って撮って!!」

 

 店員さんが、少し心配そうな顔で「……気をつけてお召し上がりください」と言い残して去っていった。その背中が若干、逃げ足に見えた。気のせいではないと思う。長年のキャリアで培った本能が、危険を察知したのだろう。

 私は自分のイチゴとカスタードのクレープを受け取った。きれいだ。シンプルで、美しくて、持ちやすくて、食べやすそうで、写真に撮りやすそうで、完璧だ。これが正解だ。これが正解だということは、隣の惨劇と比較すればより一層明白だった。

 スマホを渡された。

 

「ファインダー越しに見るよ?」

 

 のぞいた瞬間。

 すでに、頂上の抹茶アイスが数ミリ、傾いていた。

 

「……アイス傾いてるんだけど」

「え、どこ?」

「上の方。抹茶アイスが」

「気にしなくていいよ! 雰囲気! 光の感じで!」

「雰囲気でごまかせる傾きじゃないよ。……一回、まっすぐ持ち直して」

「こう?」

「それだと手が前に出すぎて顔が隠れてる」

「じゃあこう?」

「今度はクレープが傾いてる。……あ、待って、動かさないで、もうそこで──」

 

 ホイップの頂点が、ゆっくりと、ゆっくりと──

 ぽとり。

 マシュマロが、地面に着地した。

 

「あっ」

「……」

 

 私はスマホを下ろした。ミカちゃんは、地面のマシュマロを見下ろして「惜しかったねぇ」と言った。

 惜しいという問題ではないと思う。でも、もう何も言わなかった。言葉を選ぶ気力が、マシュマロと一緒に地面に落ちた気がした。

 

「このままじゃ全部落ちちゃうよ……」

「じゃあ! 食べながら撮ってもらう! その方が自然な感じで映えるよ!」

 

 ミカちゃんが、新しい戦略を立てた。立てるのが早い。この適応力をもう少し有益な方向に使えないものか。何度思ったことか。

 

「わかった。じゃあ構えるよ」

 

 私は自分のクレープを左手に持ち、スマホを右手に構えた。

 ミカちゃんが、一口目を食べようと、大きく口を開ける。カメラ越しに見ていると、確かに絵になる瞬間のような気がした。夕方の光の加減も悪くない。これは、いけるかもしれない。そう思った瞬間。

 

「ちょっと待って、指にチョコが」

「今じゃなくて撮った後でよくない?」

「でも垂れてきてる! 待って! ねえ、拭いていい? 撮って、撮ってから拭いたら──」

 

 チョコレートソースが、生地を伝って、ミカちゃんの指へ。指から手首へ。

 

「拭いて。今すぐ拭いて」

「だって写真!」

「写真より手首! 制服に垂れる前に!」

 

 ハンカチで応急処置をしている間に、ベストアングルの光は、消えた。あの角度の夕日はもう戻ってこない。永遠に。

 

 二口目。

 今度こそ、と私はシャッターを切ろうとした。ミカちゃんがバナナを一切れ噛んだ瞬間、バナナがすべった。ミカちゃんの制服の膝の上に、バナナが着地する。

 

「あ」

「……あー。どうすんのこれ」

「……バナナだ」

「見てわかる。……制服、大丈夫?」

「大丈夫! でも惜しかったね! 今のバナナいい感じだったのに!」

「いい感じじゃないよ。制服の上に落ちたんだよ」

 

 私はひっそりと、自分のイチゴクレープを一口食べた。

 ……美味しい。

 普通に、すごく美味しい。カスタードとイチゴのバランスが絶妙で、生地がもちっとしていて、これは来た価値があった。でも今はそれどころじゃないのが悲しい。美味しいのに、じっくり味わえないのが悲しい。

 

 三口目。

 抹茶アイスが、想定より早く溶け始めていた。緑色の液体が、クリームの山を伝って、じわじわと下降してくる。

 

「溶けてきてる」

「わかってる! 早く撮って!」

「撮ろうとしてるんだけど、アングルが……全体的にこっち側がもう流れてて、どこにピント合わせていいか──」

「ここ! このイチゴのところ!」

「そこ合わせると上の方がボケる!」

「ボケてもいい!」

「ボケたら意味ないじゃん!」

 

 撮れなかった。アイスは溶け続けた。

 四口目以降は、もはや記録する気力が私になくなっていたので、詳細な描写は省く。

 ただ、覚えているのは以下の通りだ。

 生クリームがミカちゃんの鼻の頭についた。本人は気づかなかった。気づかないまま三分が経過した。

 砕いたクッキーが、私の制服の袖に飛んできた。なぜ私のところに来た。物理法則に抗議したい。

 マンゴーが地面に落ちた。

「次こそ!」とミカちゃんが意気込んだ瞬間に風が吹いた。 チョコソースの第二波が、ミカちゃんの制服の前身頃を直撃した。

「あ」という声が、その都度聞こえた。私は、その都度、何も言わなかった。言えなかったとも言う。

 

 底が決壊したのは、残り三分の一というところだった。

 生地に重さが限界まで蓄積していたのか、静かに、しかし取り返しのつかない形で、中身がミカちゃんの手のひらの上に崩れ落ちた。どこかで誰かの「あっ……」という声が聞こえた。私たちの周囲の人たちが、ほんの少し静かになった。

 

「……あ」

 

 ミカちゃんが、自分の手のひらを見下ろした。

 私も、見た。

 クリームとフルーツとチョコソースと抹茶アイスの溶け残りが、ひとつの惑星のように、そこに存在していた。形容するなら……そう、戦闘後の跡地、みたいな。何かが確かにそこで起きたのだということは伝わってくるが、美しさの欠片もない。

 沈黙。

 夕暮れの空が街全体をオレンジに染め始めていた。隣の二人組が、きれいに撮れた写真を確認しながら笑い合っていた。斜め前の女子グループが、揃いのクレープを持って歓声を上げていた。みんなのクレープは、ちゃんとクレープだった。「映え」ていた。

 私は、スマホを握ったまま、ゆっくりと画面を確認した。

 

「……エルちゃん、何枚撮れた?」

「……十七枚」

「……全部、ブレてた?」

「……全部、ブレてた」

「……」

「……ごめん」

 

 涙が出た。

 笑えるはずなのに、笑えなかった。笑えるような、笑えないような、その境界線のど真ん中で、私の目から一滴が落ちた。どういう感情かは、自分でもよくわからない。悲しいわけじゃない。怒っているわけでもない。ただ、十七枚という数字と「全部ブレてた」という事実の組み合わせが、何かを直撃した。ただ、出てきてしまったものは仕方がない。

 

「……えっ、エルちゃん泣いてる!?」

「泣いてない」

「泣いてるじゃん!! ごめん!? 怒ってる!?」

「怒ってもない。……ただ、十七枚が全部ブレてたっていう事実が、なんか……もう……」

「……えーと」

 

 ミカちゃんが、手のひらの上の残骸を見つめた。それから、ためらいなくぺろりと食べた。

 

「ん! 美味しかった!!」

 

 私は天を仰いだ。夕暮れの空が広がっていた。オレンジと紫の境界線が、きれいだった。写真に撮ったらきれいだっただろう。でも今は関係ない。

 

「……エルちゃんのは美味しかった?」

「……美味しかったよ」

「じゃあいいじゃん!」

「よくないよ。全然よくない。でも……」

 

 でも、なんだろう。

 私はもう一度、自分の手の中に残っていたイチゴクレープの最後の一口を見た。食べた。美味しかった。生地の柔らかさと、カスタードの甘みが、口の中でふわっとほどけた。美味しかった。それだけは確かだった。

 

「……食べるの付き合ってあげたんだから、感謝してよね」

「してるよ! 大感謝! エルちゃんが来てくれて良かった! 一人だったら絶対もっと大変なことになってたと思う!」

「……それはそうだろうね」

 

 想像した。ミカちゃんが一人でここに来て、全部乗せを注文して、崩落して、手のひらの惑星を見下ろしている光景。確かに、私がいた方がマシだったかもしれない。せめて崩落の瞬間を目撃する人間がいた方が、まだマシな気がする。

 

「でも……ミカちゃんの制服、チョコと生クリームとアイスで取り返しのつかないことになってるけど、どうするの?」

 

 ミカちゃんが、自分の制服を見下ろした。まるで現代アートのような、多色使いの模様が完成していた。チョコの茶色、アイスの緑、生クリームの白。抽象表現主義、とでも言えば聞こえはいいかもしれない。

 

「……エルちゃんのせいにする!」

「は?」

「エルちゃんが転ばせたってことにする! それでナギちゃんに言いつける!」

「私のせいにしないでぇぇぇ!! というか、それは通用しないでしょ?! もっといい言い訳──」

 

 ミカちゃんが走り出した。

 私はバッグを掴んで、その後を追った。夕暮れの商店街を、なぜか私たちは全力疾走していた。すれ違う人たちが振り返った。知ったことじゃない。あの制服の惨状を作ったのは私じゃないから! という言い訳を、誰かに聞いてほしかった。

 

「待てミカちゃん!」

「やだー! エルちゃんの怖い顔怖いー!」

「怖くない! むしろ私が被害者なんだけど!!」

「えー! 一緒に楽しかったじゃん!」

「楽しくない! ……楽しくないよ!」

 

 ミカちゃんが、走りながら振り返って笑った。夕日が逆光になって、その表情がよく見えなかった。でも笑っているのはわかった。あの人はいつも笑っている。嬉しい時も、困った時も、私がどれだけ叫んでいても、笑っている。腹が立つのに、なんでこんなに。

 横断歩道の手前で、ミカちゃんが立ち止まった。信号が赤だった。私も追いつく。二人して、肩で息をしながら、信号を待った。

 

「……走んないでよ急に」

「だってエルちゃん追いかけてきたんだもん」

「追いかけなきゃいけない状況を作ったのは誰よ」

 

 信号が青になった。二人で渡った。隣を歩くミカちゃんの羽が、夕風に揺れていた。

 

「……ねえ、エルちゃん」

「なに」

「また来る? 次は……もうちょっと少ないトッピングにするから」

「……」

 

 少ない、という言葉の基準がこの人と私とでは根本的に違うということは、十数年の経験が証明している。それでも。

 

「……気が向いたらね」

「やった!」

「気が向いたらだからね?ほんとに」

「エルちゃんの『気が向いたら』は大体来るじゃん!」

 

 それは……否定できない。悔しいけど。

 商店街の端まで出ると、街の喧騒が少し遠くなった。校舎の方角へ続く道は、夕日で赤く染まっていた。私の影が長く伸びている。その隣に、もうひとつ、羽のある大きな影。

 私はポケットからスマホを取り出して、ギャラリーを開いた。

 十七枚。全部ブレていた。クレープの輪郭がぼやけて、光が滲んで、何を撮りたかったのかすら曖昧な写真が十七枚。

 それと、もう一枚。

 ミカちゃんの鼻の頭に生クリームがついていた時、気づかれないようにこっそり撮っておいた一枚。ピントはばっちり合っていた。構図も悪くなかった。ミカちゃんが全力でクレープと格闘している顔が、夕日の中で、なんというか、笑えるくらいに生き生きしていた。

 十八枚目だけが、今日唯一の、ちゃんと撮れた写真だった。

 

「……何見てるの?」

「別に」

「見せて!」

「……やだ」

「えー! ケチ!」

「ケチじゃない。……ナギちゃんには見せてあげるよ。この写真」

「なんでナギちゃんだけ!」

「私が見せたいから」

「ずるい!!」

 

 ミカちゃんが頬を膨らませた。チョコのシミが残ったままの制服で、頬を膨らませた。

 明日、ナギちゃんにこの話をしたら、絶対に笑ってくれる気がした。きっと呆れながら、でも最後にはふっと笑う、あの顔で。「ミカさんは本当に……」と言いながら、でも嫌いじゃなさそうな声で。

 それで、まあ、いいか。……よくはないけど。

 

 夕日の中、商店街の喧騒を背に、私たちは寮への道をゆっくり歩いた。隣のミカちゃんが、また何か見つけて「あ! 見て見て!」と叫ぶのが聞こえた。花屋の前だった。

 深呼吸。

 ……帰ったら、アールグレイ飲もう。

 

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