井芹仁菜の兄になりました、助けてください   作:占地

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第四話で宗一郎が「音楽的素養がない」とかいっていましたが、完全に推敲ミスでした。音楽知識はあります。いまは消してます。申し訳ない。

ランキングにまたもや載っていました。本当にありがとうございます。


第六話 Mr. PIANO MAN(宗一郎視点)

 私の非公式な、しかし極めて計算された布教活動は、インターネットという広大な海において、じわじわとその波紋を広げつつある。

 

 現在のこの世界線において、仁菜さんたちが結成したバンドは、まだ産声を上げたばかりのひ弱な存在だ。知名度は皆無に等しく、そんな無名のスリーピースバンドだけを異常な熱量で連続して紹介し続ければ、情報の海に棲む目ざといユーザーたちから「もしかして身内のステマか?」「関係者のアカウントだろう」と勘繰られる危険性がある。

 

 

 そのため、私の運用するアカウントは、あくまで『古今東西の良質なインディーズ音楽をフラットな視点で発掘・紹介する、耳の肥えた音楽愛好家』という強固なカモフラージュを施してある。

 

 『今日のバンド』と題した連載ポストで、日々アルゴリズムの波に乗りやすいトレンドの楽曲や、実力派のマイナーバンドを緻密な分析とともに紹介する。そして、その数回に一回の絶妙な頻度で、我らが『新川崎(仮)』の名前を滑り込ませるのだ。

 

 彼女らを紹介する際、私は自身のタイピングする指先へ細心の注意を払った。特定の対象への熱狂的すぎる「贔屓」や「執着」が漏れ出さないように。

 

 しかし、仁菜さんのあの荒削りでいて魂を直接削り出すようなボーカルについて言及する時だけは、どうしても指の動きが制御を失いそうになった。本当ならば、文字数制限の許す限り「最高」「神」「世界一可愛い」と書き連ねて猫可愛がりしたいところだ(ステージ上の彼女は、威嚇する野良猫にも、飼い主に噛み付く狂犬にも見えて、非常に愛らしい)。だが、そこは限界オタクとしての衝動をしっかりと押さえ込んだ。

 

 推敲を重ねた結果、ギリギリで旧Tw◯tterの文字数制限になんとか収めたが、あやうくツリー投稿で長大な怪文書を垂れ流すところだった。危ない危ない。

 

 しかし、改めて聴き直すほどに、桃香さんの作る曲は並外れている。

 作中の情報によれば、彼女は以前の事務所から「古臭い」「時代遅れ」「これでは売れない」と否定されたらしいが、その評価は腑に落ちない。

 

 決して前向きとは言えない、むしろ鬱屈とした感情を吐き出すような歌詞。そこに息継ぎの隙間もないほど詰め込まれた膨大な文字数。そして、焦燥感を煽るようなギターリフで構築された世界観。

 

 前世での記憶によれば、トゲナシトゲアリの音楽的ルーツにはJ-POPのメロディアスさと、ボカロ文化の持つ高速で高密度な情報量が融合している、と。今の音楽シーンにおいて、それは時代遅れどころか、次世代のスタンダードになり得る爆発的なポテンシャルを秘めているようにしか思えない。

 

 まあ、私自身は音楽業界の流行り廃りの最前線にいるわけではないので、専門家気取りで強く断言することはできない。確かに前世でも、「めちゃくちゃ良い曲を書くのに、なぜか売れない」という不遇なバンドをいくつも見てきた。音楽のヒットには、実力だけでなく、残酷なほど「タイミング」や「運」が絡むからだ。

 

 前世の私は、そんな現実を前に「世の中そういうものだ」と自分を納得させるだけの傍観者だった。だが、この二度目の人生ではそうはいかない。私が原作に存在しないキャラに憑依して生きているという、この物理法則を無視した特大の奇跡がすでに起きているのだ。ならば、彼女たちの音楽が世界に見つかるという「奇跡」を信じない理由はない。

 

 さあ、彼女らの手助けをするために、次に何を仕掛けるべきか。

 私は、下北沢のアパートの無機質な部屋のど真ん中で、腕を組んで頭を捻っていた。相変わらずこの部屋には生活感と呼べるものが一切ない。余計なものがない分、思考をクリアに保つには最適な空間だった。必要最低限のモノしかない独房のような環境というのは、ミッションに集中する上でなんと素晴らしいのだろう。それ以外では、まあ、最悪だが。

 

 ベッドに腰掛け、スマホで動画投稿サイトのショート動画をスワイプしていく。

 ……そういえば、かつて海外で日本のシティポップが爆発的なブームを巻き起こしたことがあった。現代の音楽シーンにおいて、国内のパイだけを奪い合うのは非効率だ。最初から海外の音楽ファンやアニメファンに向けて、日本の良質なバンドカルチャーとして発信するというアプローチはどうだろうか。

 

 今の時代、音楽ジャンルの垣根や国境の壁は、偉大な先人たちの尽力によって限りなく薄くなっている。となれば、彼女たちの楽曲の歌詞を的確なニュアンスで英訳し、海外リスナー向けに英語での解説やレビューを併記した方が、アルゴリズムの波に乗りやすいはずだ。

 

 あとは……そうだ。楽曲のコード進行やメロディライン、歌唱法のテクニカルな解説動画を作るのはどうだろう?

 現世の私は、大学の音楽サークルで学生指揮者を任されるほどであり、前世の私も趣味程度に音楽を齧っていた。その二つの経験値が融合した結果、今の私の耳には、楽曲のすべてのパートが恐ろしいほどの解像度で分解されて聞こえてくる。

 

 前世の私は、みそっかす程度の曖昧な相対音感しか持ち合わせていなかったため、このような精度の高い相対音感は、間違いなく井芹宗一郎という男の超絶優秀な肉体と脳神経がもたらした恩恵だ。

 

 私はこの肉体のポテンシャルに完全におんぶに抱っこ状態である。できることなら、この体を所有している本来の宗一郎に深い感謝を捧げたいところだが、いかんせん彼と顔を合わせる機会がないため、それは叶わぬ願いとなっている。鏡を見ても私しかいない。本当に残念なことだ。もし話せるなら、仁菜さんの幼少期の可愛らしいエピソードの一つや二つ、聞き出したかったのに。

 

 ともかく、コード解説や楽曲分析の動画を作るとなれば、それを視覚的・聴覚的に示すための楽器が必要になる。

 パソコン上のDAWソフトとマウスの打ち込みだけで解説を作ることも可能だが、やはり直感的に音を出し、鍵盤の動きを見せた方が視聴者の説得力は増す。

 

 電子ピアノにするか、慣れてるし。

 アパートでの楽器演奏は騒音トラブルの元だが、電子ピアノならヘッドホン端子がある。打鍵のカタカタという物理音は多少響くかもしれないが、幸い楽器が禁止されているアパートではない。角部屋で隣はいなく、一階であるため下に響くことを考慮する必要もない。

 

 幸い、資金面での不安はない。塾講師のアルバイトはちょうど生徒の入れ替え時期だったため、記憶の欠落(憑依)による業務への悪影響は奇跡的になく、無事に復帰できている。ちなみに時給も良い。

 

 さらに最近では、時間が空いた時に単発の派遣バイトにも手を出している。交通量調査から倉庫内作業まで、様々な職種を体験できるのは社会科見学のようで案外楽しく、何より確実な現金収入になる。

 仁菜さんを影からプロデュースし、機材を揃え、ライブに通い詰めるためには、莫大な軍資金が必要なのだ。バイトをしないという選択肢は私にはない。

 

 

 今後のスケジュールを確認する。彼女たちの次のライブは、川崎の老舗ライブハウス『セルビアンナイト』での公演になるはずだ。

 

 そこに至るまでの、メンバー間の衝突や和解といった劇的なドラマ(経緯)も、ファンとしては非常にエモーショナルで喉から手が出るほど直接見たい場面なのだが、いかんせん現実世界での詳細な日程が判然としない。こればかりは、日々彼女たちの行動範囲を推測し、情報をチェックし続けるしかないだろう。

 

 ああ、でも本音を言えば、あの『登利亭』での熱い喧嘩シーン(飲み物の掛け合い)くらいは、遠くの席からこっそり眺めてみたかった気もする。

 

 いや、いけない。

 私はブルリと頭を振って、湧き上がるオタク特有の欲望を振り払った。欲をかいてはいけない。

 私がやるべきことは? ──遠くから見守ること。

 

 よし、方針は決まった。

 次のセルビアンナイトでのライブが無事に終わったタイミングを見計らって、本格的に音楽的アプローチからのレビュー動画と、海外向けの解説記事を投下しよう。そのための機材調達だ。

 

 さて、まずは電子ピアノを買いに行こうか。

 私は、ハンガーに掛けられた無地のパーカーを羽織ると、机の上に置かれた黒い革財布をしっかりと握りしめ、無機質な部屋を後にした。

 

 *

 

 凄まじい偶然。神はいたのだろう。川崎での居酒屋のバイト募集、たまたま行ったらそこはあの『登利亭』。そして、いた。新川崎(仮)である。神は評価してくれていたのだ、私の普段からの言動を!凄まじい偶然。いや、この世には確かに神が存在するらしい。

 

 ふぅ、落ち着け。深呼吸だ。今はアルバイト中であり、私情を優先すべきではない。私はプロの店員だ。

 しかし、仁菜さんとこんな至近距離で顔を合わせてしまって大丈夫だろうか? 今の私を見て、かつての「井芹宗一郎」だと気づかないだろうか?

 

 ……いや、大丈夫なはずだ。何しろ私は、すでに『容姿大改造計画』を完遂している。前髪はセンターパートに分けられ、服装も量産型の大学生そのもの。醸し出すオーラも丸くなっているはずだ。万が一気づかれても、「奇遇だね」と爽やかに笑い飛ばせば済む、はず。

 

 嬉しい半分、焦りと不安がまぜこぜになった心臓の音を隠し、私は極めて事務的な、しかしまっすぐな足取りで彼女たちの前に進み出た。

 

「いらっしゃいませ。カウンターへどうぞ」

 

 私は三人を素知らぬ顔で案内する。その際、桃香さんが「ん?」と小さく眉をひそめ、半信半疑といった様子で私の顔を下から覗き込んできた。心臓が跳ねたが、私は鉄の意志でポーカーフェイスを貫いた。

 

 接客業は楽しいが、大変だ。この井芹宗一郎の肉体は、少しでも油断すると地を這うような低い声になり、目つきが裏社会の人間のように鋭くなってしまう。そのため、口角をミリ単位で調整し、声のトーンを半音上げるというタスクに常に全力投球しなければならないのだ。でもこういう偶然があるからやめられない。

 

 無事に席へ案内し、頼まれた飲み物をちゃーんとテーブルへ配膳する。

 そして、ついにその時が来た。仁菜さんと桃香さんのバトルが開幕したのだ。

 すばるさんがゴングを鳴らす(文字通り)。いやはや、すばるさんはこのバンドの緩衝材として本当に必要な人材だなぁと、私は少し離れた場所から感心しながら眺めていた。

 

 仁菜さんは、自身の『ダイヤモンドダスト』への思いを訥々と、しかし熱を帯びた声で吐き出す。

 

 仁菜さんが好きだった『ダイヤモンドダスト』と、桃香さんの思う『ダイヤモンドダスト』はすれ違っている。いや、客観的に見れば本当はすれ違っていないはずなのだ。でも、約束を破ってしまったのは自分の方だと思っているから、そんな自分を嫌いそうになっているから、桃香さんは苦しい。

 

 それを、あの不器用な妹は、持ち前の直情的なエネルギーで無理やり日の元に引っ張り出そうとする。だから喧嘩は絶えないのだ。

 

「ねぇ、宗くん。あれ、ちょっと止めてきてもらえる?」

「……え?」

 

 背後から声をかけられ、私は我に返った。

 声をかけてきたのは、この登利亭の先輩店員であり、仁菜さんのアパートのお隣さんでもある芹沢さんだ。この人はめちゃくちゃ良い人で、数日バイトを一緒にしただけでもそれがよくわかる。

  

 うーむ、先輩からの指示とあれば断りづらい。それに、これ以上ヒートアップして他のお客様の迷惑になるのも店員としては防がねばならない。時給をもらっている以上しっかり働かなければいけない。原作を邪魔するのは忍びないがとりあえず行ってみるか。

 

「すみません、お客様。少々お声を……」

 

私が不承不承といった感じで、しかし極力穏やかな声で二人の間に割って入ろうとした、その瞬間だった。

 

 バシャリ、という冷たい音が響いた。

 本来なら仁菜さんに全弾命中するはずだったウーロン茶の飛沫が、まるで散弾銃のように散らばり、仁菜さんのちょうど横に立った私のエプロンと白シャツにも思い切り降り注いだのだ。

 

(……おかしい)

 

 冷たい液体が染み込んでいくのを感じながら、私は思考を高速回転させた。アニメの正史では、これは普通に全弾仁菜さんにかかっていたはずだ。なぜ私にまで被弾したのか。幸運の帳尻合わせだろうか。

 

 いや、これは仕方がない。歴史の特異点である私が、軽率にも「原作の尊い名シーン」に物理的に干渉しようとしたのだ。これは世界からの正当な罰、いわば時空の修正力によるペナルティである。甘んじて受け入れよう。

 

 すばるさんは、微動だにせずウーロン茶を浴びている私にいち早く気がついたようだ。

「ちょ、桃香さん……店員の人に……!」

「黙れ」

 

 しかし、桃香さんはすばるさんの呟きに気がつくことなく、完全に頭に血が上った状態で、そのまま仁菜さんへの言葉を続けようとする。

 私は己のシャツから滴る水滴を拭おうともせず、すごすごと引き下がった。

 

「……大丈夫」

「ええ」

 

 *

 

「……悪いな、恥ずかしいもの見せて」

「え?」

 

 すばるさんの物理的なツッコミによって一時休戦となり、嵐が過ぎ去ったあとのテーブル。私が汚れたテーブルを拭き、新しいおしぼりとタオルを三人分渡していると、不意に桃香さんに話しかけられた。

 彼女は少し気まずそうに視線を逸らしながら、カランと音を立てて氷の浮かんだグラスの表面を指でなぞっている。

 

「いや、あんた、あの時のやつだろ?」

「……ええ。気がついていたのですね」

 

 私は少し驚いた。ルーファ広場でのライブ後、ほんの一瞬言葉を交わしただけだったのに、顔を覚えられていたとは。バンドマンの記憶力というものだろうか。

 

「ファンの顔はな、なんとなく覚えてるんだ。……悪い、タメ口になったな」

「かまいません。同い年でしょう」

 

 私は、推しに敬語を使われたくないというオタク特有の矜持から、とっさに嘘をついた。

 現在の桃香さんは20歳だ。そしてこの井芹宗一郎の肉体は21歳である。私が一つ年上ということになるが、ファンとアーティストの間に余計な年齢の壁など不要だ。

 

 だが、その直後、桃香さんの目がスッと鋭くなった。

 

「……なんで知ってるんだ? 私の年齢」

 

 やばい。背筋に冷たい汗が流れた。

 桃香さんの現在の正確な年齢は、公に大々的に公開されていなかったかもしれない。私は脳内のデータベースを高速で検索し、最も論理的で不自然ではない言い訳を弾き出した。

 

「あなたは有名ですから」

 

 極めて冷静に、論理的に、私は顔色一つ変えずにそう答えた。

 ダイヤモンドダストの元メンバー。その事実をほのめかすことで、古参の音楽ファンであることをアピールする。これはあんまりしたくなかった。だって厄介ファンみたいじゃないか?桃香さんはその言葉にピクリと反応したが、それ以上は追及してこなかった。代わりに、獲物を値踏みするような探るような目で私を見上げてくる。

 

「なぁ。あのSNSのアカウント、お前か?」

 

 真っ直ぐな問いかけ。どうやら私の投稿は、本人の目にもしっかりと届いていたらしい。もはや誤魔化す意味はないだろう。

 私は濡れたタオルをトレイに乗せ、深く、恭しく頷いた。

 

「ええ」

「えっ、そうなんだ! もしかして、あなたが桃香さんの言ってたファンの人ですかー?」

 

 驚いたように、一段高い声で声を上げたのは、隣に座っていたすばるさんだった。

 

「新川崎の最初のライブの時の話なら、そうですね」

 

「わぁー、感想見ましたー! 嬉しかったです、また応援してくださいね!」

 

「ええ」

 

 私は平静を装いながら、静かに肯定した。

 背筋を伸ばし、愛想の良い笑顔を浮かべるすばるさん。だが、彼女の本来の性格を知っている身からしたら、営業スマイル全開でクネクネとご機嫌に喋る彼女の姿は、ひどく滑稽で笑いそうになってしまう。

 そんな「よそ行き」の顔を急に作り出したすばるさんを見て、先ほどまで感情を剥き出しにして殴り合っていた桃香さんも仁菜さんも、ドン引きというか、ヤバいやつを見るような目を向けていた。

 

「ちょっと! 二人にそんな目で見られる筋合いないんだけど! どう見ても、公の場で飲み物引っ掛け合うあんたたちの方がヤバいでしょ!」

 

 すばるさんが堪えきれずに素のトーンに戻って吠える。

 

「この店選んだのはすばるだろ」

 

「そうそう。だいたい、私たちが穏便に話し合えるわけないじゃん」

 

「だな」

 

「だから悪いのはすばるちゃん」

 

「だな」

 

「だな、じゃない! こっちは気遣ってやってんの! ちょっとは感謝しなよ!」

 

「別に頼んでないしー」

 

「こいつ……!」

 

 プツン、とすばるさんの額に青筋が浮かんだのが見えた。すばるさんが手元にあったオレンジジュースのグラスをガシッと掴んだので、私はプロの店員としての反射神経で、素早くその手首の少し上を軽く押さえて静止する。私は幾分か疲労が浮かんでいた。

 

「またやる気ですか?」

「うっ……! い、いやいや冗談ですってー。もー、そんなことしませんってば」

 

 すばるさんは引きつった笑いを浮かべてグラスから手を離した。

 まあ、ワガママな二人に振り回される彼女の気持ちは痛いほどわからなくもないが、また私のシャツにジュースを浴びせられて、店内が騒ぎになってはたまらない。

 

「派手にやったねー」

 

 そんな張り詰めた空気を読んでいるのかいないのか、ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべて、芹沢さんがジョッキを持ってやってきた。

 

「はい、生ね。お待たせ」

「ありがとうございます。……すみません、迷惑かけて」

 

 桃香さんがバツが悪そうにジョッキを受け取る。

 

「良いのいいの、仲直りできる喧嘩ならいくらでもやってちょうだい。うちは居酒屋なんだから」

 

「いや、ほんとすみません。……お前も、悪かったな。濡らしちまって」

 

 桃香さんが改めて、ウーロン茶のシミが広がった私のシャツを見て申し訳なさそうに言った。

 私はエプロンを軽く払い、首を横に振る。

 

「いえ。でも、その代わり」

 

「……その代わり?」

 

桃香さんが怪訝な顔をする。私は少し濡れた髪を払い、笑みを浮かべた。が表情筋が硬くなっているのを感じた。まずい、疲れが出ているな。

 

「たくさんお酒を飲んで、売り上げに貢献してください」

「……はっ。ああ、わかったよ。飲んでやる」

 

 桃香さんは一瞬きょとんとした後、ふっと口角を上げて笑い、ジョッキのビールを勢いよく煽った。その豪快な飲みっぷりに、隣のすばるさんが慌てて口を挟む。

 

「ちょっと、桃香さんほどほどにしてよ!? 酔っ払いの介抱とかめんどくさいんだからね!」

 

「うるせえ、飲むって決めたんだよ! すみませーん、唐揚げ追加で!」

 

「あーもう、知らないからね!」

 

 わちゃわちゃと再開された彼女たちの騒がしいやり取りを背に、私は静かに一礼してテーブルを離れた。あがる準備をしなければいけないし、何よりもう私の喉と表情筋は限界を迎えていた。

 

 ふと、仁菜さんと視線が交差した。彼女は私の濡れたシャツを見て、少しだけ申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。

 そしてためらいがちに声をかけてきた。

 

「あの、感想見ました……」

 

「はい」

 

「その、嬉しかったです。私の歌、褒めてくれてて」

 

「それは良かった」

 

「それで、えーっと、良かったら今度のライブのチケットもらってくれませんか?」

 

「……ええ、ありがたくいただきます。期待しています」

 

 私は浮ついた気持ちを抑えて、そして休みを求める体に鞭打って言葉を紡いだ。仁菜さんの背筋がピンと伸びたが、どうしたのだろうか急に?私は2500円支払い、無事チケットを入手した。チケットを見ないうちに2500円を用意し、「なんで値段知ってるんですか?」と聞かれた。ポカが多い!私はきっとアホだ。

 

 正体を隠したままというのをすっかり忘れて、彼女らとの交流のひと時を楽しんだ。

 

 




キャラが勝手に喋ってプロットが壊れつつある。
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