神様に「リリカルなのは『みたいな』世界に転生したい」って要望したら「幼女戦記」の世界に入った話。 作:スレ主
sideエーリャ
夜明け前、午前四時。
軍大学校の寄宿舎を支配する重苦しい静寂を、時計の針が刻む微かな音だけが削り取っていく。
エレナ・ミュラー……エーリャは、アラームが鳴るよりも数分早く、滑り落ちるように意識を覚醒させた。
隣のベッドからは、同室のヴィーシャの規則正しい寝息が聞こえてくる。
エーリャは、寝返りの音一つ立てずにシーツを跳ね上げると、冷え切った床に足を下ろした。軍支給の寝衣のまま机に向かい、ランプの芯を極限まで絞って点火する。
広がる最小限の光輪の中に、彼女の白く細い指先と、すでに「二つの顔」を持つ書類たちが浮かび上がった。
「……はぁ。なんで私が、朝っぱらから二重にレポートなんて書かなきゃいけないのかしら」
彼女は小さく、誰にも聞こえない音量で毒づいた。
エリートの階段を上るための「表向き」の課題。戦時特例で詰め込まれた膨大な講義内容、戦略論、連日の泥にまみれる実技演習。それだけでも普通の学生なら発狂ものだというのに、彼女にはもう一つの、より「本質的」で逃げ場のないノルマが課せられている。
「『情報部の幹部を目指すなら、現場の指揮と情報の秘匿観測、これくらい同時並行でこなせて当然だろう?』……ですって。あの上官、後方のふかふかな椅子に座ってよく言うわよね、本当に」
「真の目的」などという格好のいいものではない。
これは単なる、組織が彼女に課した、あまりに重すぎる「適性試験」の延長線上にある。
クラスメイトと笑い合い、共に汗を流しながら、その裏では彼らの言葉の端々に滲む思想の偏り、潜在的なスパイ容疑、さらには言動による情報の流出リスク。そのすべてを思考と思想の記録として網羅し、数値化して「上」へ送る。
彼女は凝り固まった肩を回してほぐすと、疲労を押し隠し、迷いのない筆致でペン先を走らせた。
【極秘:将校課程候補生 最終査定報告書】
■ 全体概況
共通教育開始より五ヶ月経過。候補生の八割は帝國軍の標準的エリートの範疇にあり、現時点で脱落の兆候はない。ハンス・フォン・ハルムを筆頭とする東方組は、実技演習における良好な競争原理として機能している。
■ 重点観測対象
1. ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ
【特質】
「白銀」の元部下として、次世代のエースを担う資質は十分にある。また、その忠誠の対象が帝國そのものか、あるいは「白銀」個人に向けられたものか、現時点では判別不能。引き続き「親友」として内面を精密に観測する。
【懸念事項】
ライン戦線の生き残りとはいえ、軍人としてのキャリアは浅く、精神面に幼さが残る。組織の論理よりも感情や個人への帰依を優先するリスクを考慮し、配置には慎重を期すべきである。
【評価】
極めて高い実戦適応能力を有するが、現時点では独立した指揮官というより、強力な「個」に随伴することで最大効率を発揮する従属型エース。彼女の「幼さ」を制御し、帝國への忠誠にすり替えるか、あるいは特定の「個」を制御下に置くことで彼女を間接的に御する運用が望ましい。
2. オルカ・デュオ
【特質】
本対象は次世代の「エース・オブ・エース」に該当する。
圧倒的な戦闘能力のみならず、極限状態における不屈の精神、高度な戦況判断能力は既に完成の域にある。また、鉄道科や兵器科へ及ぼしている様々な技術的知見は、軍の機構そのものを変質させ得る影響力を有する。
【懸念事項】
最大の不明点は、本人が折に触れて口にする「将来は安全な後方に行きたい」という発言である。周囲はこれを「次世代エースによる不敵なジョーク」と解釈しているが、本観測員は、これが単なる冗談か、あるいは深刻な本音(任務忌避)か、現時点では判断を保留する。
【評価】
理由の如何を問わず、本対象の能力は最前線において代替不能である。この「安寧への執着」が、今後の人事配置における最大の不確定要素となり得る。
「……ふぅ。よし、残りの人のレポートは、昨日の訓練記録から流し込んで終わりね」
書き終えたエーリャは、報告書を特殊な溶剤で封印すると、大きく伸びをした。
パキパキと鳴る関節の音が、静かな室内で妙に大きく響く。
「……あーあ。デュオのやつ、あんなに死に物狂いで訓練しておいて本気で後方に行けると思ってるのかしら。そんなの、軍の上層部が許すわけないじゃない」
彼女は、隣のベッドで幸せそうに眠るヴィーシャの寝顔を横目に、ふっと「いつもの」柔らかな笑みを浮かべた。
任務としての観察。友人としての情愛。その境界線は、すでに彼女自身にも判別がつかないほど曖昧に溶け合っている。
「……ま、その『安全な後方』への椅子取りゲーム。私も負けるつもりはないんだけどね。さぁて、今日も元気に、楽しい二重生活を始めましょうか」
鏡の前で、早朝からの一仕事を終えた疲れを微塵も感じさせない「才色兼備の優等生」としての顔を丁寧に作り上げると、彼女は静かに部屋のドアへと手をかけた。
午前5時30分。
廊下へ出ると、勝手口から早朝の冷気に包まれたデュオが、ひどく面倒くさそうな顔で戻ってくるのが見えた。
シャツは汗を吸い、息は白い。だが、その表情には充実感も、高揚感もまるでない。
「……おはよ、デュオ。今朝は何キロ? 相変わらず、自分をいじめるのが好きねぇ」
わざと明るいトーンで声をかける。デュオは立ち止まり、深く、ひどく怠そうに息を吐き出した。
「……15キロ。あーあ、最悪だ。足は痛いし、腹は減るし。……本当なら、まだ布団の中で丸まってたいんだけどな」
「15キロも走っておいて、よくそんな泣き言が出るわね。それだけ走れれば、十分エリート様じゃない」
「……ただの健康維持だよ。体が資本だからな。……壊れて使い物にならなくなる方が、よっぽどゾッとする」
心底嫌そうに、でも義務感だけで自分を追い込んでいる。
「……ま、その『健康維持』の積み重ねがあの機動を支えてるってわけね。昨日の演習、ひとりで一個中隊を600秒も凌ぎ切るなんて。見学してたこっちの目が回りそうだったわよ。あんなの、まともな神経の人間がやる仕事じゃないわ」
呆れたような、それでいてどこか感心したような声を投げかける。エーリャは、昨日の中隊全体を翻弄した彼の精密な回避行動を思い返し、豊満な胸元を揺らして小さく笑った。
だが、デュオは充実感など微塵も感じさせない、ひどく億劫そうな溜息をついた。まるで、終わった宿題の文句を言う子供のような顔で答える。
「……あれは運が良かっただけだ。地形と相手の連携ミスが重なっただけ。……本当はあんなに動き回りたくなかったんだけどな。もし、そこにヴィーシャとエーリャがいたら、1000回やっても勝てなかったよ」
「あら、買いかぶりすぎじゃない? 」
エーリャは親しみやすい柔和な笑みを絶やさない。だが、その裏側では情報員としての「目」が、彼の一挙手一投足に強く引き寄せられていた。彼女は探るように言葉を重ねる。
「……じゃあ、もしあの中隊にヴィーシャだけが加わっていたらどうだったの? あの子もライン帰りだし、中尉も一目置いている精鋭でしょ? 彼女一人が混ざるだけでも、そんなに絶望的なのかしら」
デュオは立ち止まり、汗を拭うのも面倒そうに、どこか遠く……まるで脳内にある無数の戦場の残像を眺めているような目で、淡々と答えた。
「……ヴィーシャが指揮官か遊撃に回るなら、そうだな。500回に一回くらいは、運が良ければ勝てるかもしれない」
「う、うーん。まぁ、そうなのかな? 確かに彼女の魔導適性は異常だものね。ライン戦線の生き残りは伊達じゃないってことかしら」
納得したように頷き、自然に会話を合わせるエーリャ。しかし、彼女の視線はデュオの横顔に縫い付けられている。
(たまに確定的に物事を言うわよね、この男。まるで、その500回のシミュレーションを頭の中で既に終えてるみたいに。単なる予測じゃなくて、もっと確信めいた……そう、すでに見た結果をなぞっているような不思議な感覚。……ふふ、面白いじゃない)
「親しみやすい級友」という隠れ蓑の奥で、エーリャは言いようのない高揚感を感じていた。この男、単に腕が立つだけではない。その瞳は、他者が気づかない領域まで見えている。
彼女は、自分への評価を切り出すための「最適な間」を測りながら、静かに喉を鳴らした。
「じゃあ、私は? ヴィーシャより戦歴も魔導適性も控えめな、しがない後方志望の私があの中隊に混ざってたら?」
小悪魔のように首をかしげて、悪戯っぽく微笑みかける。あくまで世間話の延長として、軽い調子で。
だが、デュオは欠伸を噛み殺しながら、やはりなんでもないことのように答えた。
「エーリャだけなら、そうだな……。100回やって、2、3回は勝てるかな」
「……ヴィーシャとの差は10倍くらいかー。まぁ、妥当な評価かしらね」
さらりと受け流して見せたが、エーリャの内側では好奇心が跳ね上がっていた。確信を持って弾き出されるその数字の根拠を、もっと深く覗きたくなる。
「……厳密に言えば、もしエーリャが中隊の指揮官をやってるなら、最初の一回は俺が絶対に勝てる自信がある。でも、それ以降はどんどん厳しくなって……4回目くらいからは、もう何をやっても、何回やっても勝てる気がしないのが本音かな。それくらい、エーリャのことは高く評価してるよ」
言われたエーリャは、一瞬だけ困ったような、なんとも形容しがたい複雑な表情を浮かべた。それから、呆れたように唇を尖らせる。
「……ちょっと。最初の一回で絶対勝つなんて、実戦ならそれで終わりじゃない。それ以降なんて、この世には存在しないのよ?」
デュオは彼女の言葉に、乾いた笑いを小さく漏らした。その声色には、いつものダルそうな響きとは違う、どこか戦場の本質を見透かしたような思慮深い響きが乗っていた。
「……それもそうだな。でも、もし実戦だったら……俺は何を差し置いても、絶対にエーリャを落とすことだけに集中するよ」
「……あら、ずいぶんと熱い告白ね」
エーリャは一歩踏み込み、小悪魔のような笑みを浮かべて彼の目を覗き込んだ。
「確かにデュオは格好いいし、私も嫌いじゃないけど……。でも、そんなに計算高いと私のことまで掌の上で転がしちゃいそうだし、そもそも最初の一回で私を落とすなんて怖すぎます。あと色々と別の理由があって後が怖いから、ごめんなさい」
「……告白する前に振られたんだけど」
デュオの軽いツッコミに、エーリャは「ふふっ」と満足げに笑って話題を切り替えた。
「さて、そろそろ汗が冷えちゃうわね。次期エース様に風邪でも引かれたら、クラス全体の士気に関わっちゃうわ。ほら、早く着替えてきなさいな」
「……ああ、そうするよ」
デュオがだるそうに去っていくのを見送り、エーリャは薄暗い廊下で独り、ふーっと息を吐いた。
(……最初の一回は、絶対に勝つ。でも、4回目以降はもう勝てない、か)
先ほどまでの「演技」が剥がれ、少しだけ素顔のエーリャが顔を出す。次期エースオブエースのデュオに、そこまで高く評価された。
「……あんな風に真っ直ぐ評価されちゃうと、調子狂っちゃうじゃない。……それに、私の可愛い親友を泣かせるような真似をしたら、私だって怒るんだから」
情報員としての鋭い眼光を、いつもの親しみやすい笑顔の奥に仕舞い込み、彼女は「表の朝」を迎えるために、軽やかな足取りで自室へと戻っていった。
sideヴィーシャ
午前0600。
軍大学校に響き渡る高らかな起床ラッパの音よりも先に、柔らかい手のひらが私の肩を揺らした。
「ヴィーシャ、朝よ。起きなさい?」
「……う、ん……。おはよう、エーリャ……」
ゆっくりと目を開けると、そこにはもう軍服を完璧に着こなしたエーリャが、いつもの穏やかな笑顔で立っていた。この寄宿舎に来てからずっと、彼女の寝癖がついた姿なんて見たことがない気がする。私よりずっと早く起きて、身だしなみを整えて……本当に、同じ学生とは思えないくらいしっかりしてるなぁ。
「もう。昨日の演習で疲れてるのはわかるけど、遅刻したら教官が怖いわよ?」
「……ふわぁ……。そうだね。エーリャはいつも早起きだね。尊敬しちゃう……」
私は少し乱れた髪をかき上げながら、ベッドから這い出した。冷え切った部屋の空気でようやく意識がはっきりしてくると、エーリャが淹れてくれた温かいお茶の良い香りが鼻をくすぐる。
食堂に移動してからも、私の頭はまだ半分ほど夢の中にあった。今日の朝食は、少し硬めのパンと温かいスープ。私はそれを幸せそうに頬張りながら、隣で優雅にナイフを動かすエーリャを眺める。
「……あ、そういえば。さっき廊下で、デュオに会わなかった? 走ってきたみたいで、すごく疲れた顔をしてたけど」
エーリャがパンを千切りながら、さらりと口にした。
「えっ、デュオに? ……ううん、私は会わなかったよ。また朝から走ってたんだね。……ふふ、デュオらしいなぁ」
「相変わらず泣き言を言ってたわよ。あんなに動けるのに、変なやつよね。……そうそう、昨日の中隊にもし私とヴィーシャが混ざってたら、1000回やっても勝てないなんて言ってたわ」
「えぇっ、1000回!? ……ふふ、大げさだなぁ、デュオは」
私は思わず吹き出しそうになって、スープをこぼさないように慌てて飲み込んだ。
「あんなに強いのに、どうして私たちをそんなに高く評価してくれるのかな。……でも、そんな風に言ってもらえるのは、なんだか嬉しいね」
「そうね。……お世辞にしては、随分と具体的な数字だったけれど」
エーリャは穏やかに微笑みながら、紅茶を一口啜った。その表情はいつも通り優雅で、まるで朝の挨拶でも交わすような自然な仕草に見えた。私はそんな彼女の横顔を眺めながら、やっぱりエーリャと一緒にいれば、どんな厳しい戦場でも心強いだろうな、なんて呑気なことを考えていた。
二人の会話は、朝の食堂の喧騒に溶けていく。
食事を終えた後、軽く体を解すために中庭へ出ると、早朝の澄んだ空気が心地よかった。私は大きく背伸びをして、しなやかな体をぐーっと反らせる。
「……んんーーっ! よし、今日も一日頑張ろう、エーリャ!」
「ええ、そうね。……まずは午前中の戦略各論、居眠りしないように気をつけなきゃ」
元気いっぱいに笑う私に、エーリャも柔らかく微笑み返してくれる。
いつも通りの、平和で信頼に満ちた一日の始まり。頼りになる親友が隣にいてくれるだけで、今日も一日、厳しい訓練を乗り越えられる気がした。
sideデュオ
午後の演習場、上空。
薄くたなびく硝煙の匂いの中、俺は飛行高度を維持しながら手元の魔導銃の残弾を確認する。
「……あーあ、やっぱりこうなるか。ちょっと経験不足かな」
宝珠からは、ヴィーシャの焦ったような声が聞こえてくる。
『あ、あの! 第三小隊はそのまま右翼へ……いえ、やっぱり一度下がって合流してください! それから、エーリャは……ええと、中央の支援をお願い!』
支離滅裂、とまではいかない。だが、一手一手に迷いがある。
彼女は現場での勘や戦闘力はピカイチだが、いざ「指揮官」として駒を動かす立場になると、持ち前の優しさが災いして判断がワンテンポ遅れる。そのわずかなズレが、戦場では致命的な綻びになる。
俺の意識下では、脳内演算システムが淡々と、だがどこか慈しみを感じさせるような解析結果を弾き出し続けていた。
『(対象:セレブリャコーフの指揮能力は、現時点では発展途上。戦術的判断の遅滞は否めませんが、それは単に実戦経験と訓練の不足によるものです。彼女の持つ直感力と状況把握の鋭さは、指揮官としての資質を十分に秘めています)』
あんまり甘いことは言いたくないんだけどな、と脳内だけで毒づく。
そもそも、この『促進将校課程』で本来の指揮官教育を短縮している今の状況じゃ、戦術と指揮を習熟しづらいのも無理はない。俺だって、午前の退屈な座学中に並列思考でレイジングハートが提示する仮想敵との戦闘訓練を繰り返して、ようやく形にしてるっていうのに。……というか、そうやって人の倍の密度で常にやっておかないと、同期の化け物どもにすぐぶち抜かれるからな。
隣では、エーリャが涼しい顔で魔導弾を装填していた。彼女はヴィーシャの不慣れな指示を完璧に汲み取り、最低限の動きで最大効率の支援を行っている。
『ヴィーシャ、落ち着いて。一度深呼吸して、マップを広域で捉え直して。私たちはまだ崩れてないわ』
エーリャの落ち着いたフォローが入る。「は、はいっ!」と短く答え、必死に盤面を立て直そうともがくヴィーシャ。
(……一応、ここからまだ立て直せるパターンは俺の中にあるんだけど、これ合ってるか?)
俺が指揮官なら、右翼を囮に使いつつ中央を強行突破する。脳内演算は、即座に回答を返してきた。
『(現在の盤面におけるその戦術の成功率は80%。合格基準を満たしています。ですが、私ならさらに、予備兵力を左翼の森林地帯へ潜伏させ、中央突破と同時に敵本陣の背後を突かせます。これにより成功率は95%まで向上します)』
「……へぇ、なるほどな。……ま、合格点はもらえたわけだ」
感心する俺に、脳内の声が冷徹に、だがどこか説教じみたトーンで続く。
『(マスター、合格点で満足しないでください。最適解が存在する以上、それ以下を選択することは戦術的怠慢です。常に100%に近い勝利を追求すべきです)』
「……おいおい。ヴィーシャにはあんなに優しいのに、俺には随分と厳しくないか?」
『(彼女には可能性があります。貴方には……今、出力すべき結果があります)』
「はいはい、了解だよ」
皮肉な返答を飲み込み、俺は宝珠を叩いてヴィーシャへ通信を繋ぐ。
「ヴィーシャ、敵がこっちに向かってくるぞ。……どうする? 俺が前に出て叩き落とそうか?」
一瞬の沈黙。宝珠の向こうで彼女が必死に思考を巡らせているのが伝わってくる。
『……っ、ううん。今はまだ無理をしないで! デュオ、そのまま牽制を続けて。……右翼と合流した中央の組、そのまま遅滞戦闘に移行! 敵をじわじわ引きつけて、時間を稼ぎます!』
「了解」
俺は空中で機体を翻し、敵の機先を削ぐために位置を変える。網膜に投影される戦術データを横目に、俺は今日もまた、どっと疲れそうな訓練の続きへと加速した。
それからの演習は、泥沼の消耗戦へと突入した。
ヴィーシャが選択した遅滞戦闘は、時間を稼ぐという意味では正解だった。だが、優勢な敵を相手に防衛線を維持し続けるには、それ相応のコストがかかる。
「……残り二発か。笑えない冗談だな」
手元の魔導銃に装填されたマガジンは、非情にも残弾の枯渇を告げていた。それは俺だけでなく、右翼と合流した中央の面々も同じだった。弾薬が尽きれば、空中で優位を保つことすら難しい。残された選択肢は、無様に尻をまくって撤退するか、あるいは──。
「ヴィーシャ、弾が切れた。……やるしかないよね?」
通信越しに、彼女の覚悟を決めたような短い返事が聞こえる。
『……はい。全小隊、着剣! 突撃します!』
ここからは戦術もクソもない。俺は模擬用の銃剣を固定し、先陣を切って敵陣へと突っ込んだ。
まずは一人。加速の勢いを乗せた一撃で撃墜判定を奪う。そのまま反転し、動揺した二人目を突き、さらに三人目の姿勢を崩して味方の追撃ルートをこじ開けた。
俺が無理やり風穴を開けたことで、膠着していた戦場は一気に乱戦へと塗り替えられる。
だが、そこまでだった。
数分後、演習終了を告げる無機質なブザーが鳴り響く。
結果は、俺たちの中隊の勝利。……とはいえ、敵を殲滅したわけじゃない。終了間際の乱戦でわずかに生存人数が上回っていたという、時間切れによる判定勝ち。薄氷を踏むような、危うい勝利だ。
着陸して息を切らす俺たちの前に現れた教官の顔に、称賛の色はなかった。
「……結果だけ見れば勝利だが、内容はお粗末だな。一人の突出した武勇に頼らざるを得なかった時点で、部隊運用としては失敗だ。セレブリャコーフ候補生、貴様にはまだまだ叩き込むべき訓練が山ほどあるようだな」
重い溜息をつく教官の言葉が、砂塵の舞う演習場に響く。隣で肩を落とすヴィーシャと、そんな彼女を励ますように寄り添うエーリャ。そして、ただただ疲労感に顔を歪める俺。
「……はぁ。こりゃ、また放課後に居残り訓練だな」
定時で終わらないのが将校課程の常とはいえ、あまりの過密スケジュールに溜息が出る。俺の独り言に呼応するように、脳内のシステムは慈悲もなく、今日のミスを補うための「放課後特別メニュー」を網膜に羅列し始めていた。
sideレイジングハート
夕闇に染まり始めた演習場の片隅。模擬弾の火線が止み、居残り訓練の最後の一撃が的に吸い込まれるのを見届けて、三人はようやく機動宝珠の出力を絞った。
居残りの内容は、デュオとエーリャがそれぞれ一人で一個小隊を演じ、仮想敵としてのデコイを戦域にばら撒き続けるというものだ。ヴィーシャは自分を翻弄しにかかる二人の「デコイ」を捌きながら、同時に彼らを「味方の小隊」として指揮し、遅滞戦闘を完遂させなければならない。エーリャとデュオは敵を作り出しながら味方として動くという、脳が焼き切れるような高負荷の訓練だ。
「……ふぅ、デュオ、エーリャ、付き合ってくれてありがとう」
着陸し、ヴィーシャが額の汗を拭いながら申し訳なさそうに微笑む。その隣では、エーリャが宝珠を抑え、荒い息をついていた。
「いいのよ……でも、流石に堪えたわ。デュオ、あなた動きすぎ。一人で一個小隊分のデコイを維持しながら並走してたから、もう思考回路はパンク寸前だし、魔力も底をつきそうよ……」
「悪いな。けど、おかげで良い練習になっただろ。エーリャがあれだけ精密にデコイを操ってくれたから助かった。あんな芸当、エーリャじゃなきゃ到底無理だ。普通の人ならまともに動かすことすらできないはずだからな」
「……ちょっと、それを言うならデュオ、あなただって平然とやってたじゃないの。もう、化け物じみた動きはやめてよね」
エーリャが呆れたように、けれどどこか誇らしげに肩をすくめる。デュオは小さく笑い、視線をヴィーシャへと向けた。
「それにヴィーシャ、最後によくあのタイミングで突っ込んだな。あそこまで追い詰められた状況で、混乱せずに俺たちをちゃんと動かせてた。それは素直にすごいと思うよ」
二人の重い荷物をまとめて肩にかけ直しながら、デュオは労うように言葉を投げる。
「……あそこは、二人が道を作ってくれたから行けたんだよ。次はもっと早く、みんなを信じて決断できるように頑張るね」
三人の影が長く伸び、連れ立って歩く足音が静まり返った演習場に響く。
その背中を、デュオの内側でレイジングハートは静かに見守っていた。
網膜に投影されていた「放課後特別メニュー」の全行程完了の文字が、静かに消えていく。
『(対象:セレブリャコーフ候補生、戦術的遅滞の反省点を克服。対象:エレナ候補生、高機動戦闘における随伴能力をさらに強化。……あるいは、マスター)』
レイジングハートの深層演算回路は、今日の彼らの動きを数万回に及ぶシミュレーションデータと照合し続けていた。そこにあるのは、冷徹な効率性だけではない。
『(マスター。貴方の提示する成長速度は、当初の予測数値を大幅に上回っています。原因を照合……。おそらくは「信頼」という不確定要素が、各個の限界値を引き上げているものと推測されます。不完全な個が、互いの欠けた部分を埋め合うことで生じる予測不能な力……)』
それは、単なる数値や理屈を超えた、運命すらもねじ伏せうる「純粋な力」そのものだった。
『(知性が道を照らし、優しさが絆を繋ぎ……あるいは果てなき研鑽が、その未来を支えている)』
西の空、わずかに残る夕紅れが三人の影を長く引き伸ばしていく。
明日もまた、過酷な訓練と、終わりのない研鑽の日々が待っている。だが、レイジングハートは確信していた。この不器用で、けれど真っ直ぐな三人の歩みが止まることはないと。
『(Good luck, My Master. 貴方たちの歩む先に、最適解以上の光があらんことを)』
デュオの意識の深奥で、論理の波が静かに凪いでいく。その静寂の中で、レイジングハートはただ、彼と共に夜の訪れを告げる一番星を見上げていた。
感想あるとモチベ続いて書けます。