神様に「リリカルなのは『みたいな』世界に転生したい」って要望したら「幼女戦記」の世界に入った話。 作:スレ主
「……警報だ。北西305、敵影三! 予備隊、上がれ!」
バウマン大尉の、掠れきった怒号が指揮所に響き渡る。
その声に応じるように、俺は机のマグカップを掴んだ。中身はコーヒーと呼ぶにはあまりに苦く、胃の腑を焼くような酸味が鼻を突く。だが今の俺たちにとって、これは神経を強引に繋ぎ止めるための「燃料」だった。
「……三十分ぶり、か。敵三機なら、正規軍の一個分隊に俺たち二個分隊を足して九。数で押し潰して短時間で終わらせろってことか」
俺は脳内の深層、意識のスイッチを乱暴に叩いた。
(――レイジングハート。覚醒レベルを最大。戦域情報の同期を完了させろ。五秒だ)
『Yes, my master. システム・オンライン。……アドレナリン及びノルアドレナリンの分泌を最適化します。心拍数上昇、注意してください』
脳内に直接、冷徹な術式が走る。
疲労を遮断し、強制的に闘争本能を呼び覚ます自己暗示だ。こめかみの奥で血管がドクドクと嫌な音を立てるが、これをやらなければ思考が深い霧の中に沈んでいく。
地上では、ノルデン魔導大隊の正規兵たちが、泥に塗れた防空壕の下で泥のように眠っている。彼らは最前線の防空網を死守する「壁」だ。敵の反応があれば即座に飛び上がり、一当てしては着陸してリソースを温存する。
だが、連日の激戦でその「壁」の強度は目に見えて落ちていた。
本来なら一個分隊で十分なはずの敵三機に対し、疲弊しきった彼らだけでは確実に仕留める保証がない。だからこそ、俺たち「予備隊」が駆り出され、九対三という圧倒的な戦力差を無理やり作り出す。
「……数的優位による短期決戦が一番のコスト削減なのは分かる。だが、そのために俺たちが三十分おきに叩き起こされるのは、どう計算しても割に合わないな、ヴィーシャ」
俺の隣で、同じように術式を編み終えたヴィーシャが、少しだけ伏せ目がちに、でも自分に言い聞かせるように呟いた。
「……行こう、デュオ。九人いればすぐに終わるはず。頑張って追い払って、一分でも早く戻って休もう?」
ヴィーシャは重い体を引きずるようにして、俺のわずか一歩先を歩き出す。
「……ああ。さっさと終わらせて、次が来るまで寝てやるよ」
予備隊という名称は、帝国軍の辞書では「最も酷使される調整弁」と定義されているに違いない。
空では既に、重い体を引きずるようにして緊急発進した正規兵たちが、散発的な銃火を交わし始めていた。
俺たちは、その「数」を完成させるための実弾として、泥濘を蹴って凍てつく冬の空へと舞い上がった。
冬のノルデンは、空ですら泥を孕んでいるように重い。
九対三という圧倒的な戦力差。計算上は、敵を包囲して数分で追い払えるはずの「作業」だ。だが、現実は計算式のようにはいかなかった。
「――味方が一機、急激に高度低下! 制御を失ってるみたい!」
耳をつんざくようなエーリャの叫びが、通信回線に叩きつけられた。
俺の視界の端、左翼を展開していた正規兵の一機が、ふらつきながら吸い込まれるように高度を落としていく。
連日の不眠と極限の魔力消費。蓄積した疲労が、ついにベテランの三半規管を焼き切ったらしい。失速に近い状態で墜ちていく彼の背後を、協商連合の魔導師が見逃すはずもなかった。
「獲物を見つけたって顔だな……」
敵の一機が、獲物を見つけた鷹のような軌道で急降下を開始する。無防備なベテラン兵の背後へ、死の爪を立てようと食らいつく。
「――私が拾う! デュオ、ラインを空けて!」
横を飛んでいたヴィーシャの声が響く。
次の瞬間、彼女の機動が「学生」の枠を完全に逸脱した。ライン戦線という地獄の底で叩き込まれた、重力を嘲笑うかのような強引な垂直降下。空気抵抗すら術式でねじ伏せ、彼女は墜ちていくベテラン兵の直下へと滑り込んだ。
ヴィーシャがその細い腕で巨漢のベテランを支え、強引に姿勢を制御する。だが、救助のために足を止めた彼女の背中には、依然として敵の銃口が向けられていた。
(――レイジングハート。最短経路を算出。射撃精度を最大に固定しろ)
『Yes, my master. シューティング・モード。ターゲット・ロック』
俺はヴィーシャの救出を完遂させるべく、加速術式を全開にした。
過重(G)が網膜を焼くが、無視する。敵の射線に割り込み、視界をレイジングハートの照準線で塗りつぶす。引き金を引く指に、一切の迷いはない。
空気を切り裂く魔導弾が、敵機の防護結界を激しく叩いた。
撃墜までは望まない。だが、これ以上の追撃を「割に合わない」と思わせるには十分な、精密かつ冷徹な一撃。敵は舌打ちが聞こえてきそうなほど不規則な機動で離脱していった。
「……悪い、助かった。予備隊の……」
ヴィーシャに抱えられ、どうにか空中に踏み止まったベテラン兵が、震える声で通信を入れてきた。
だが、その声は俺たちの顔を確認した瞬間に止まった。泥と硝煙に汚れながらも、必死に自分を支えている「学生」たちの横顔。
「……はは、情けないな。まさか、雛鳥たちに助けられるとは……」
自嘲気味に呟く彼の顔には、屈辱よりも、自らの限界を突きつけられたことへの深い疲労が滲んでいた。
そんな彼に対し、ヴィーシャは酷く穏やかな、それでいて凛とした声で言葉を返した。
「そんなこと言わないでください。……戦友を助けるのは、帝国航空魔導師の誉れですから」
泥だらけの顔で、ヴィーシャが柔らかく微笑む。
その言葉に、ベテラン兵は一瞬だけ目を見開き、やがて静かに、深く一度だけ頷いた。
「……すまん。……恩に着る」
彼は再び、震える手で魔導銃を握り直した。
だが、感動に浸る時間など、この空には一秒も用意されていない。
「休んでる暇なんてねえぞ! 北西、三〇二の防衛線付近に別の三機だ!」
ゲッツの、苛立ちを隠そうともしない怒鳴り声が割り込む。
エーリャが共有した観測データが、次なる「穴」を無慈悲に映し出す。今追い払った敵とは別の、しかし同じように薄汚れた魔導反応が三つ。
「あっちの防衛線、正規軍がもう限界みたい!
このままだと、防衛線ごと食い破られるよ……!」
悲鳴に近いエーリャの声に、俺は再び加速術式を再駆動させた。
熱を持った脳が、キリキリと音を立てて悲鳴を上げる。だが、強制分泌されたアドレナリンがその苦痛を麻痺させていく。
「ヴィーシャ、行くぞ。一当てして、また三十分稼ぐ」
「了解! ……頑張って追い払おう。そうすれば、次は本当に休めるかもしれないし」
ヴィーシャは自分に言い聞かせるように呟くと、再び空へと弾かれた。
敵は俺たちを殺しに来ているのではない。ただ、眠らせないように、休ませないように、一秒ずつ、確実に俺たちの精神を削り取りに来ているのだ。
俺たちは、また別の「穴」を埋めるために、重く淀んだ空気の中へ消えていった。
時計の針が午前零時を回った頃、ようやく戦域に不気味な静寂が訪れた。
延々と繰り返された三十分おきのスクランブル。通算で何度目かも数え切れない緊急発進の果てに、協商連合の反応がぷつりと途絶えたのだ。
「……一時間以上、反応なし。……少しだけ、休めそうです」
ヴィーシャの掠れた声が通信に乗った。それは安堵というより、張り詰めた糸が切れる直前の、悲鳴に近い響きだった。
俺たちが降り立った泥濘の陣地は、もはや軍の駐屯地というより、生ける屍の収容所だった。正規兵たちは防空壕の影で泥にまみれて横たわり、ある者は銃を抱いたまま、ある者は虚空を見つめたまま意識を失っている。
「……おい、起きろ。……寝るなら、せめて天幕に入れ」
ゲッツが、ぬかるみに倒れ込んだまま動かない味方の肩を蹴ったが、返事はない。蹴ったゲッツ自身も、足元がおぼつかず、そのまま正規兵の隣に崩れ落ちた。飛行服の中は冷たい汗と泥で不快極まりないはずだが、彼にはもう、それを気にする気力も、立ち上がる力も残っていないようだった。
「大丈夫だよ、デュオ……これくらい、平気。まだ、観測できるから」
エーリャはそう言って笑ってみせたが、その頬は土色に汚れ、いつもの余裕のある笑顔には程遠い。彼女は重い体を引きずるようにして俺の左隣に座り込むと、重力に逆らうのを止めたように、そのまま俺の肩に頭を預けてきた。
「エーリャ、これ飲んで。……少しは温まるから」
ヴィーシャが、どこからか調達してきた湯気の上がるマグカップを彼女の手に握らせる。貴重な温かい飲み物。エーリャはそれを両手で包み込むように受け取り、一口啜ると、ようやく人心地ついたように小さく息を吐いた。
「……ありがとう、ヴィーシャ。……温かい。……多分だけど、向こうも今は主力投入の準備をしてるんだと思うの」
エーリャはコーヒーの熱を指先に移しながら、俺の肩に重みを預けたまま呟いた。
「私たちの防衛線を一気に食い破るための、最大火力を練り上げてる。……この静けさは、そのための『待ち時間』だよ」
敵はあえてこの数時間の空白を作った。極限まで追い詰められた兵士に、中途半端な休息という名の「油断」を与え、張り詰めた神経をわざと弛緩させる。そうして最も意識が朦朧とする夜明け直前を狙って、全てを押し潰すつもりだ。
「……全くだ。連中の準備が整うまで、ここで大人しく首を洗って待ってろってか。冗談じゃねえな」
俺が毒突くと、いつの間にかヴィーシャが俺の右側に回り込み、吸い寄せられるように腰を下ろしていた。彼女もまた、限界に近い疲労を隠すことなく、エーリャとは反対側の肩にそっと頭を預けてくる。
「……そうだね。でも、やるしかないんだよね。ここで私たちが目を閉じたら、この陣地は一瞬で飲み込まれる。……ねえ、デュオ。朝が来たら、またみんなで本物のコーヒー、飲めるかな」
ヴィーシャの、消え入りそうな、けれど確かな意志を孕んだ言葉。
左右から伝わってくる、泥と硝煙の臭いに混じった、二人の体温。そんな光景を、隣で死に体になっていたゲッツが、片目だけを開けて忌々しげに睨みつけた。
「……おい。今後の方針を決めてる大事な時だってのに、お前ら何やってんだ。……地獄の淵で大真面目な顔してハーレム作ってんじゃねえよ、この野郎……」
「……英雄、色を好む、ですね」
さらに横で、同じように疲れ果てていたヨハンが、感情の消えた声でぼそりと付け加えた。その横ではミカが、もはや言葉を出す元気もないのか、無表情のまま黙って「うんうん」と深く頷いている。
本来なら、何か気の利いたリアクションを返すべきなのだろう。だが、今の俺にはそんな贅沢な情緒を動かすリソースは一ミリも残っていなかった。
「……悪いが、今は色気より睡魔だ。……とりあえず、休ませろ」
俺が掠れた声で吐き捨てると、ゲッツもヨハンも「……それもそうだな」と力なく頷き、毒気を抜かれたように脱力した。
「……いいか、全員。何かあったら俺が責任を持って叩き起こしてやる。……それまでは、死んだように寝ていい」
(――レイジングハート。索敵範囲を最大に。反応があれば脳を直接叩け。……一秒でも長く、こいつらを寝かせてやりたい)
『Yes, my master. ……バイタル管理及び索敵を継続。スリープ・モードへの移行を承認します』
俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、左右に預けられた二人の呼吸が深く、規則的なものに変わった。隣ではゲッツが、ミカとヨハンが、まるで電池が切れた人形のように泥の上に折り重なって眠りに落ちている。
俺自身もまた、脳内のスイッチをオフに切り替える。
その瞬間、世界から音が消え、俺たちは同時に意識を闇へと沈めた。
――そして、夜明け前の最も深い闇が訪れた時。
『――Warning. 敵影多数を確認。数が増加中……六、十二、二十四……魔導大隊規模の反応を検知。これまでの嫌がらせとは規模が異なります。Wake up, my master.』
脳内に響くレイジングハートの機械的な警告音が、脊髄を直接火に焚べるような激痛となって意識を再起動させた。
「――起きろ! 来やがったぞ!!」
俺は、肩に寄りかかっていたエーリャとヴィーシャを強引に揺さぶり起こし、隣で眠っていたゲッツを蹴り飛ばした。
強制的な覚醒に引き攣った悲鳴を上げる暇も与えない。
地平線の向こう、闇に溶けていた空が、無数の魔導反応によって塗りつぶされていく。協商連合が、俺たちの神経が完全に焼き切れるのを待って投入した、夜間主攻部隊だ。
「……来たか。期待通り、最悪のタイミングだ」
俺は震える指で、もはや熱を帯びた脳に強引に命令を下した。
痛覚を遮断し、恐怖を数値に変え、強制的に闘争本能を呼び覚ます。空は一瞬にして、無数の曳光弾と防護結界が火花を散らす地獄のイルミネーションに包まれた。
「正規軍の右翼が崩れる! ゲッツ、あそこの穴を塞ぐぞ!」
「死ぬ気でやるしかねえかよ……! 来やがれ、野郎ども!」
俺たちは、もはや「自分の身を守る」なんて概念をどこかのゴミ箱へ捨て、崩れかける味方の背後を埋めるために、闇の底へと飛び込んだ。
銃を放つたび、その反動が肩を叩き、痺れるような衝撃が意識を現実に引き戻してくれる。
闇を切り裂くマズルフラッシュ。防護結界に火花を散らす敵弾の雨。
数分前まで泥の中で意識を失っていたのが嘘のように、アドレナリンが強制的に神経を繋ぎ止めていた。だが、それは回復ではなく、ただの「前借り」だ。
「――北西の三番、抜かれた! 予備隊、カバーに入って!」
エーリャの悲鳴が、魔導反応のノイズ混じりに耳元で弾けた。
彼女もまた、俺の肩で眠っていた時の弱々しさは微塵も見せず、執念だけで演算宝珠を回し続けている。
「了解……! 予備隊、俺に続け!」
俺は加速術式を限界まで絞り出し、崩落しかかった防衛線の「穴」へと突っ込んだ。
視界の端で、正規兵の一機が火だるまになって墜ちていくのが見える。救う暇はない。今この瞬間も、協商連合の魔導大隊は、疲弊しきった俺たちの「壁」を、蟻の穴から崩すように食い破ろうとしていた。
「ハッ、一足先にヴァルハラへ行きやがって! 尻拭いはこっちの仕事かよ!」
ゲッツが悪態を吐きながら、墜落していく味方を一瞥し、半ば狂乱気味に引き金を引き絞る。
ヨハンとミカも、もはや言葉を交わす余裕すらなく、阿吽の呼吸でゲッツの左右を固め、精密な制圧射撃を叩き込んでいた。
「……デュオ、あそこ! 敵の第二波が高度を上げて回り込んでる!」
俺の背後、ピタリと位置を離さないヴィーシャが鋭く指摘する。
彼女の指摘通り、闇の向こうから回り込もうとする魔導反応が数多。
……連中、本当に休ませる気がないらしい。
(――レイジングハート。残弾数と魔力残量を照合。最短効率での殲滅ルートを算出)
『Yes, my master. ……Target lock-on. 物理弾装填完了。撃発準備』
熱を持った脳が、キリキリと音を立てて悲鳴を上げる。
だが、その苦痛すらも、今はレイジングハートの鳴らす冷徹なアラート音にかき消されていた。
「ヴィーシャ、撃ち漏らしは頼む。……一機も、この線を越えさせるな」
「了解……! 守り抜こう、デュオ!」
吐き気と戦いながら、俺たちは漆黒の空を舞う。
朝陽が昇れば、この悪夢も終わるのか。
それとも、この闇の先にさらなる地獄が待っているのか。
もはやそれを考える思考力すら、弾丸の一発一発と共に削り取られていった。
水平線の向こう、冷ややかな紺碧が白み始めた頃。
あれほど苛烈だった協商連合の魔導反応が、潮が引くように後退していった。
「……敵主力、反転……。後方へ下がっていきます……」
エーリャの震える声が通信に流れた。
俺たちは追撃する気力すらなく、ただ高度を維持するのが精一杯だった。眼下では、二日間にわたる激戦の傷跡が、朝露に濡れた泥濘の中に無数の亡骸を浮かび上がらせている。
ようやく、なんとか二日目を凌ぎきったのだ。
「……ハッ、死に損なったか。……あいつら、こっちを食い破るつもりで全力を出しやがったな。おかげで、向こうの大隊もボロボロのはずだ」
ゲッツが、銃身の熱で火傷した指を振りながら、呪詛を吐くように笑った。その隣で、ミカとヨハンも機体をふらつかせながら、力なく頷いている。
「……そうだね。あの大攻勢を凌いだんだ。……向こうも、立て直すには相当な時間がかかるはずだよ。……今日は、大きな動きはない……はず……」
ヴィーシャが、自分に言い聞かせるように呟いた。彼女のゴーグルの奥の瞳は、充血し、焦点も覚束ない。俺もまた、レイジングハートが弾き出す「自機魔力残量:20%」という数値を脳の隅で眺めながら、ようやく肺の奥に溜まった鉄錆の味を吐き出した。
だが、その安堵を打ち消すように、レイジングハートの冷徹な電子音が脳内に木霊した。
『――警告。正面より、多数の新たな魔導反応を検知』
「……え? ……そんな、嘘でしょ……?」
エーリャの声が、裏返って途切れる。彼女が映し出した観測ログには、今しがた後退していった大隊とは別の、魔力光も鮮やかな「完全無欠」の魔導反応が、地平線を埋め尽くすように展開していた。
「……馬鹿な。……新しい、魔導大隊だと……?」
ヨハンの絶望に満ちた声が響く。前方から現れたのは、損耗した残党ではない。昨日までの死闘など知らぬ顔で、磨き上げられた銃身を揃え、万全の態勢でこちらを見据える「おかわり」の増援部隊だった。
「……あ、はは……。……冗談、だろ。……まだ、隠し持ってやがったのかよ……」
ゲッツの笑い声は、もはや乾いた砂のように崩れていた。魔力は底が見え始め、弾薬も、精神の張力も、もう限界を超えている。
「……デュオ。……どうすれば……」
ヴィーシャの声が、震えている。
俺は答えを持たなかった。ただ、感覚の消えた指で、冷え切った銃の引き金に再び指をかけ――諦めたような、それでいてどこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「……『白銀』はノルデンで中隊相手に遅滞戦闘をやって、銀翼突撃章をもらったんだろ? なら、それを超えるには大隊相手じゃないとな」
冗談めかして、嗄れた喉から絞り出すように軽い口調で告げる。
その言葉に、隣を飛んでいたヴィーシャが弾かれたように顔を向け、通信機が壊れんばかりの勢いで割って入った。
「……何言ってるの、デュオ! そんなの、今のあなたの体でできるわけないでしょ! 無茶はやめて、お願いだから!」
悲鳴に近いヴィーシャの制止。幼馴染としての、剥き出しの感情が混じった叫びが耳の奥を叩く。それに続くように、エーリャもまた、絶望を噛み締めるような冷徹な声を通信に乗せた。
「……『白銀』は確かにここで銀翼突撃章をもらった。でも、あれは味方の増援を前提にした『遅滞戦闘』なのよ……? 増援も交代も来ないこんな場所で、大隊相手に時間を稼いだところで、何の意味もないわ……!」
エーリャの言う通りだ。だが、それでもやるしかない。
俺が覚悟を決めた瞬間、脳内でレイジングハートが物理的な重みを伴うような「現実」を突きつけてきた。
『現時点での戦闘継続による生存確率は――0.00%です。My master, 撤退を推奨します』
ゼロ。分かっていたことだが、はっきりと数値を告げられると、逆に笑うしかなかった。
逃げ場はない。魔力は底が見え始め、肺の中には硝煙と鉄錆の味しか残っていない。
絶望が、朝陽と共に俺たちを飲み込もうとした、その時だった。
「――どこか聞いたことがある声で随分と勇ましいことを言ってる奴がいると思ったら。……後方を希望しているオルカ候補生じゃないか?」
ノイズの混じる通信機から、凛とした、けれどどこか楽しげですらある、あの少女の声が響いた。
「デグレチャフ中尉……!? どうしてここに!?」
驚愕するヴィーシャを余所に、彼女――ターニャ・デグレチャフ中尉は、深いため息混じりの、酷く冷ややかな皮肉を通信に乗せた。
「軍大学の科目中に『ノルデン駐屯地への砲弾コンテナ直接空輸』だ。……貴重な魔導資源をただの運び屋として使い潰すとは、我が帝国の兵站管理能力には、ほとほと感心させられるよ。全く、不合理極まりない労働環境だとは思わないか?」
遥か後方の空、朝焼けの逆光を背負って飛来する影。
それは、地獄の淵で俺たちが待ち望んだ、たった一人の「英雄」と、彼女が率いる軍大学の学生たちだった。
「オルカ候補生。私達はこれから魔導大隊と戦闘するが、ついてくれば、銀翼は無理でも野戦航空戦技章くらいは推薦してやるが……どうする?」
傲岸不遜な誘い。死の淵でその言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に熱い何かが逆流した。
生存確率0.00%? 結構なことだ。この「化け物」の隣で踊るなら、それくらいのハンデがあった方が面白い。
「――そんな推薦じゃあ、お断りしますね、中尉。……俺が欲しいのは、あなたと同じバッジの色なんで」
通信越しに、不敵な笑みを投げ返す。
すると一瞬の間を置いて、デグレチャフ中尉の、冷酷でいて狂喜を孕んだ声が返ってきた。
「勇ましいことを……だとしたら、それなりの戦果を上げるべきだな」
俺は、焼き切れる寸前の魔力回路を強引に接続した。
「エーリャ、ゲッツ、お前らは下がってろ! ……ここは俺が――」
「待って、デュオ!!」
一人で行こうとする俺を遮るように、ヴィーシャが加速術式を強引に起動させ、俺の右横へと滑り込んできた。
「……一人で行かせたりしないわ。……あなたがどこへ行くとしても、私が隣にいるから」
ヴィーシャの瞳は、穏やかで、けれど決して揺るがない決意を宿していた。
彼女は俺の横に並ぶと、前方を進むデグレチャフ中尉の背中を見つめ、自分を鼓舞するように小さく息を吐く。
「さあ、行きましょう。……デグレチャフ中尉の背中を見失わないように、全力でついていかないとね!」
「ヴィーシャ……ああ、了解だ!」
俺は加速術式を爆発させた。
朝陽に照らされた戦場が、再び鮮血と硝煙の色に塗りつぶされていく。
更新しました、感想くれたら書くペースが上がります。