神様に「リリカルなのは『みたいな』世界に転生したい」って要望したら「幼女戦記」の世界に入った話。 作:スレ主
ノルデン駐屯地、後方医務室。
窓の外には、北方の短い秋が終わりを告げるような、冷たくも澄んだ10月の陽光が差し込んでいた。木々は色づき、冬の足音を予感させる乾いた風が建物を撫でている。
「――っ、はぁ……」
肺の奥に溜まっていた重い疲労を吐き出すように、デュオはゆっくりと目を開けた。
全身を支配しているのは、酷い貧血に似た目眩と、泥のように重い倦怠感だ。魔導師として限界まで術式を回し続けた代償だが、脳内に響く相棒の声が、その「底」は既に脱したことを告げていた。
『――Good morning, My Master。バイタルチェック完了。深刻な魔力欠乏状態からは脱し、現在は回復期に移行しています』
(……ああ。おはようレイジングハート)
内心で相棒に労いの言葉をかける。宝珠が限界を超えた際、RHが強制的に術式の負荷を分散させ、デュオの魔力回路が焼き切れるのを防いだのだ。魔力欠乏による立ち眩みはあるものの、RHという「核」さえあれば、魔導師としての感覚を完全に見失うことはない。
だが、それを知らない周囲にとって、今のデュオは「半身を失った英雄」に他ならなかった。
「……あ。起きたのね、デュオ!」
枕元で、弾かれたように立ち上がる影があった。
ヴィーシャだ。
その瞳には、三日間も眠り続けていた幼馴染への、並々ならぬ不安と安堵が入り混じっている。
「あ、ああ。……おはよう、ヴィーシャ。そんなに慌てなくても大丈夫だ。少し、頭が重いくらいで……」
「大丈夫なわけないでしょう! 倒れた時のあなたの顔、真っ白だったんだから……。ほら、まだ起きちゃダメ。お医者様が、無理な魔力運用の反動で貧血に似た状態にあるから、安静にって」
ヴィーシャは壊れ物を扱うような手つきで、デュオの肩をそっとベッドへ押し戻した。
「お腹空いてるでしょ? 食堂から栄養のあるスープをもらってきたの。はい、あーんして」
「いや、ヴィーシャ。手は動くし、自分で食べられるよ。……それから、その『あーん』は流石に――」
「ダメ。今のデュオは病人なんだから。……それに、演算宝珠がなくなって、色々と……その、感覚が違うんでしょう? 慣れるまでは、私が全部サポートするって決めたんだから」
彼女は、デュオの手を力強く、けれど温かく握りしめた。
魔導師が宝珠を失うという絶望。彼女はそれを自分のことのように背負い、彼を「守らなければならない存在」として定義してしまっていた。
(……RH、正直言って不自由はないんだが、彼女のこの勢い、どうにかできないか?)
『Master、現在の彼女の精神状態において「自力で可能である」という論理的説明は逆効果になる可能性が高いと推測します。ここは彼女の献身を「治療の一環」として受理し、大人しく甘えるのが最も合理的です』
(……お前、たまに冷徹だよな)
デュオは小さくため息をつき、差し出されたスプーンを受け入れた。
温かいスープの味が、喉を通って全身に染み渡る。
「……美味しいよ。ありがとう、ヴィーシャ」
「……えへへ、よかった。しっかり食べて体力を戻さなきゃね」
嬉しそうに微笑むヴィーシャの横顔を見ながら、デュオは改めて思う。
自分には、脳内に響くRHという絶対的な相棒がいる。
だが、それとは別に、最初からずっと隣にいて、こうして必死に自分を支えようとしてくれるヴィーシャという存在。その献身が、今はRHの冷静な分析よりも、ずっと深く胸に響いていた。
(……悪いな、ヴィーシャ。でも、ありがとう)
伝えるべき真実はまだ先のことになりそうだが、今は彼女の優しさに身を委ねるのも悪くない。
ヴィーシャが空になったスープの器を片付けようとした、その時だった。
「――おい、いつまで英雄気取りで寝てやがる?」
少し芝居がかった、けれど安堵を隠しきれない野太い声とともに、病室の扉が開いた。
入ってきたのは、ゲッツ、ヨハン、ミカの北方出身3人組。そして、その背後からひょっこりと顔を出した、エーリャだった。
「ゲッツ……お前ら、生きてたんだな」
デュオが少し上体を起こそうとすると、ゲッツが鼻で笑いながらそれを制した。
「そりゃあこっちの台詞だ。勝手に俺たちを現場に置いていきやがって。自分だけ軍大学の魔導大隊に混ざって、いい格好しやがってよ」
ゲッツはベッドの脇にどっしりと腰を下ろしたが、その瞳にはデュオへの複雑な色が滲んでいた。
「……戦闘が終わったらよ、セレブリャコーフに担がれて、意識不明のボロボロで帰ってきやがって。真っ白な顔して運ばれてくるお前を見た時は、マジで肝が冷えたぜ」
ゲッツの言葉に、背後にいたヨハンとミカが重苦しく頷く。
「……オルカ。あの後のバウマン大尉、見たか? 運び込まれたお前の掌の中で、完全に動かなくなった演算宝珠……。あの無機質な塊を、大尉はただ黙って、強く握りしめていたぞ」
ヨハンが絞り出すように言った。
魔導師として空を舞い、「銀翼」の英雄たちに引けを取らない戦果を挙げた。だがその代償として、デュオは自らの「翼」を文字通り使い潰した。目撃した戦友たちにとって、その沈黙した宝珠は、自分たちの命を買い戻した代価そのものに見えていた。
「……ただ、白銀に煽られて、好き勝手動いて、自分の限界が見定められなくて……勝手に壊しただけだよ」
デュオは視線を逸らし、淡々と、自分に言い聞かせるように言った。それが彼なりの、戦友たちに負い目を感じさせないための言葉であることを、その場にいる全員が察していた。
「……普通、好き勝手動いて、演算宝珠を壊すなんて聞いたことないわよ」
それまで一歩引いてやり取りを眺めていたエーリャが、呆れたように、けれど確かな温かさを孕んだ溜息をついた。彼女はヴィーシャの傍らに歩み寄ると、親友の肩を抱くようにしてデュオをニヤニヤと眺める。
「でも、感謝しているわ。……本当によかった。もしあなたが目覚めなかったら、隣の彼女、本当に衰弱して、可愛い幼馴染から未亡人になる勢いだったんだから。……ねぇ、ヴィーシャ?」
「え、エーリャ! もう、変なこと言わないでよっ」
ヴィーシャが顔を真っ赤にして抗議する。その様子を見て、病室には少しだけ柔らかな笑い声が漏れた。
そのまま、4人は「また後でな」と約束して部屋を去っていった。
「……信じられん。これほどの重症と魔力枯渇が、もう完治するとは。医学的には、君はまだベッドで呻いているはずなんだがね」
退院直前の最終診断。軍医官は手元のカルテとデュオを交互に見比べ、心底不思議そうに首を傾げた。その表情には、医者としてのプライドを少し傷つけられたような困惑すら混ざっている。
「あはは、そんなに驚かないでください。魔導士ですからね」
「……その魔導士でも、早すぎる回復なんだがな。君の体質なのか、それとも……」
軍医官がなおも解せないといった様子で唸る中、デュオの脳内に、聞き慣れた相棒の機械音声が響いた。
『当然の結果です、マスター。休眠中も私が体内で肉体回復の術式を常時展開していました。肉体の修復が早まれば、それだけ魔力の回復効率も向上しますから』
(……なるほどな。魔力の回復が、結果的に体力の回復にも繋がってるってわけか。――なあ、レイジングハート。感覚的にはその逆、つまり体力を戻すことが魔力の回復を助けてる気もするんだが、これって合ってるのか?)
『イエス、マスター。正解です。魔導師の肉体は魔力生成の器そのもの。器の損傷を優先して塞ぐことで、漏出を防ぎ、生成サイクルを正常化させています。相互補完による超回復、といったところでしょうか』
(相変わらず至れり尽くせりだな。助かるよ)
RHの合理的な解説に内心で納得しつつ、デュオはベッドから軽やかに飛び降りた。心配そうに隣で見守っていたヴィーシャに笑いかけ、自分の体の異常な数値を「魔導師の特権」という言葉一つで煙に巻く。
軍医官は呆れたように溜息をつくと、万年筆を動かしながらポツリと独り言を漏らした。
「……やれやれ。英雄と呼ばれるようなやつは、どこか造りが違うのかね」
そう言って、ようやく退院の許可証にサインを書き込んだ。
それから数時間後。一同を乗せた列車は、北方戦線の刺すような冷気とは無縁の、活気と喧騒に満ちた帝都中央駅へと滑り込んだ。
「帰ってきたなぁ、帝都! 煤けた空気がこんなに美味く感じるとは思わなかったぜ」
ホームに降り立つなり、ゲッツが大きく伸びをして叫ぶ。ヨハンとミカも、ようやく死地を脱した実感を噛みしめるように、行き交う人々や駅舎の壮麗な天井を見渡していた。だが、そんな帰還の余韻を切り裂くように、一人の伝令兵がまっすぐデュオの前で足を止めた。
「オルカ候補生ですね。参謀本部より命。貴殿はこれより直ちに、技術局――エレニウム工廠へ出頭してください」
「工廠へ直行? 宿舎に戻る前にですか?」
「はい。馬車は既に駅の外に用意してあります」
伝令の事務的な言葉に、デュオは小さく息を吐いた。身体は「治った」とはいえ、長旅の後の休息を奪われるのは流石に予想外だった。しかし、彼以上にこの不意打ちに反応したのは、隣にいたヴィーシャだった。
「待って、直行だなんて! デュオはついさっき退院したばかりなのよ!? せめて一晩宿舎で休ませてからでも遅くないはずだわ!」
ヴィーシャが伝令に詰め寄る。その剣幕に若い兵士がたじろぐが、彼女の勢いは止まらない。
「デュオ、やっぱり私がついていく! 帝都は人が多いんだから、病上がりの体で人混みに揉まれて倒れたらどうするの。それに、軍の馬車はガタガタ揺れるし、病み上がりの体にそんな衝撃、絶対によくないわ。私が横で支えてあげなきゃ……!」
「ヴィーシャ、落ち着けって。人混みで倒れる心配をされるような体じゃないって、さっき医者も言ってただろう。それに、俺たちはもうガキじゃないんだ」
デュオが困り顔でなだめるが、彼女には届かない。
「子供じゃないから言ってるの! デュオ、昔から一度集中すると周りが見えなくなるんだから。地元でおばさん――デュオのお母さんにも『あの子の無茶を止められるのはあなたしかいないんだから、よろしくね』って、昔から頼まれてるんだからね!」
「……母さんの話まで持ち出すなよ。もう十何年も前の話だろ、それ」
苦笑するデュオを余所に、ヴィーシャの過保護ムーブは加速する。今にも馬車の揺れを確認しに行きそうな勢いの彼女の首根っこを、溜息とともにひょいと掴み上げたのはエーリャだった。
「いい加減にしなさい、ヴィーシャ。あんたね、初めてのおつかいについていくお母さんじゃないんだから」
「お、お母さん!? エーリャ、私はただ、幼馴染として正当な権利を……!」
「はいはい、わかったから。その『正当な権利』の行使は宿舎に帰ってからにしなさい。ほら、行くわよ」
エーリャがまるで子猫でも運ぶように、強引にヴィーシャを後ろへ引き戻す。
「ああっ、離してエーリャ! デュオ! 絶対に、絶対に無理はしないでね! ちゃんと栄養のあるもの食べて、何かあったらすぐに連絡してよ――!」
エーリャにずるずると引きずられていくヴィーシャが、何度も振り返りながら叫ぶ。その必死すぎる姿に、ゲッツたちは「……あいつ、いまだに実家の母親から全権委任されてるつもりなのか?」「愛というより、もはや執念だな」と肩をすくめて苦笑いし、雑踏の中へと消えていった。
静かになったホームで、デュオは一人、苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「……さて。待たせているんだろう? 行こうか」
促されるまま、デュオは差し向けられた馬車へと乗り込んだ。行き先は、帝国の魔導技術の心臓部。狂気的な天才、シューゲル博士が主として君臨するエレニウム工廠である。
エレニウム工廠。帝都の一等地に構えられたその建物は、外観こそ重厚な石造りの官庁といった趣だが、一歩足を踏み入れれば、そこには歯車の噛み合う硬質な音と、肌を刺すような濃密な魔導波が充満していた。
案内された実験室の扉が開くと同時に、鼻を突くのは油と煤、そして過負荷で焼けた絶縁材の臭いだ。
「――来たか! 我が『九七式』を真に完成させるための、最後のピースが!」
部屋の中央、書類と機材の山に囲まれた男が跳ねるように振り返った。
アーデルハイト・フォン・シューゲル。血走った眼を爛々と輝かせ、数日間は鏡を見ていないであろうボサボサの髪を振り乱したその姿は、科学者というよりは預言者に近い。
「……初めまして、博士。参謀本部の命により出頭した、オルカ・デュオ候補生です」
「挨拶などよい! 君が持ち帰った、あの旧型演算宝珠の破損データ……先ほどまで精査させてもらったが、実に見事だ! 演算宝珠を物理的に、しかも内部から破砕させるなど、自爆でもさせない限りあり得ん。それを生存した状態で成し遂げるとは!」
シューゲルは、すでに工廠へ運び込まれ分析にかけられていた旧型宝珠の残骸データをモニターに映し出した。そこには演算宝珠内に残った、限界稼働時のログが異常な波形となって躍動している。
「見ろ、この美しき脈動を! これこそが、人間が神の領域に触れるための代償であり、奇跡の証明だ! 壊れたのではない、主の御言葉を全うし、昇天したのだよ!」
モニターに流れる過負荷の数値を「昇天」と呼び、恍惚とした表情を浮かべるシューゲル。だが、その狂信的な独白を、デュオの脳内に響く冷徹な電子音が真っ向から否定した。
『……マスター。当該機体の構造的欠陥、および物理的損壊を「神の奇跡」や「昇天」と定義する博士の推論を、私は断固として拒絶します』
(手厳しいな。初対面の挨拶としては、なかなか強烈なじいさんだけど)
『否定します。当該事象は、マスターの強靭な精神制御と、私の演算支援による論理的帰結です。神という非科学的、かつ実体の不明瞭な存在に全功績を帰属させるなど、私として到底容認できるものではありません』
RHの声には、どこか不機嫌そうな響きすら混ざっている。高度な自律意識を持つこの知性体にとって、自分たちの努力と論理を「奇跡」の一言で片付けられるのは、我慢ならない屈辱なのだろう。
そんな相棒の反応に内心で苦笑しながら、デュオは狂気と熱気に満ちた部屋を見渡した。
「それで、博士。その『奇跡』の果てに、俺に何を見せてくれるんですか?」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、シューゲルはニタリと唇を吊り上げ、作業台の上に置かれた重厚な布を取り払った。
「――最新鋭の福音だ。エレニウム九七式『突撃機動』演算宝珠、オルカ・デュオ特別仕様……!」
「『九七式改』にしてください」
「……あ?」
仰々しい二つ名とフルネームをぶち上げたシューゲルの言葉を、デュオは被せるように遮った。
「いや、その……『特別仕様』の、自分の名前が入っているのは、色々と気恥ずかしいというか。シンプルに、九七式『改』。それでお願いします、博士」
デュオの至極もっともな、しかしどこか所在なげな指摘に、シューゲルは一瞬だけ呆気に取られたように目をしばたたかせた。だが、すぐに「フン……」と鼻を鳴らし、狂信的な笑みを深める。
「名など器を指し示す記号に過ぎん。だが、中身はそうはいかんぞ。君の持ち帰ったあの異常な魔力圧力を受け止めるには、量産型九七式では器が小さすぎるのだ」
博士はモニターを操作し、ベースとなった演算宝珠の設計図を投影した。
「通常の九七式は、安定性と高効率を両立させた、いわば洗練された名馬だ。常用域での回転数はせいぜい八千といったところ。だが……」
『……マスター。設計図をスキャンしました。当該機体の安定性は認められますが、高効率という評価には疑問が残ります。私の基準では、標準以下のエネルギー変換効率です』
脳内で響くRHの容赦ない指摘に、デュオは顔に出そうになる苦笑いを必死に堪えた。目の前の博士は、自らの最高傑作を「洗練された名馬」と呼び、恍惚としているのだ。
「この『改』は違う! 内部回路の耐久性を限界まで高め、魔力圧力の許容幅を強制的に拡張した。例えるなら、一万二千回転まで回るように鍛え上げた、狂ったエンジンだ! 急激な魔力投入、異常な高出力……君が引き起こすあらゆる『理不尽』に、この器は耐えてみせるだろう!」
博士の指がキーを叩き、赤く塗りつぶされた「改」の設計図が重なる。そこにはもはや、量産型にあった理性的で安定した回路設計の面影はなかった。
『……解析完了。先ほどの安定性すら欠如し、さらに効率性は著しく低下。エネルギーのロスが熱量として外部に漏れ出しています。通常の魔導師であれば、この機体で空を飛ぶことすらおぼつかないでしょう。これを「調整」と呼ぶのは、言語体系への冒涜です』
(……辛辣だな。まあ、確かに扱いやすさはこれっぽっちもなさそうだけど)
RHの分析通り、モニター上の数値は「大食らいで暴れ馬」という、極端なピーキーさを示している。低速域の効率をドブに捨て、ただ「瞬間的な高圧」に耐えることだけを目的にした異形の演算宝珠。
「代償は燃費だ! 通常稼働ですら九五式以上の魔力をガブ飲みする大食らいに成り下がったが……主への祈り(魔力)が足りなければ、神の恩寵を授かる前に君の精神が干渉波で焼け付くことになるぞ!」
勝ち誇ったように言い放つシューゲル。だが、デュオの脳内ではRHの無機質な声が、これまでにないほど冷たく響き渡った。
『……マスター。訂正を。この宝珠の設計思想は最初から「代償が燃費」であり、設計の欠陥を言葉の綾で誤魔化しているに過ぎません。また、祈ることで飛べるのであれば、帝国臣民は全員が空を飛ぶことができます。博士の言う「恩寵」なるものの前に、博士自身の精神が過干渉を受け、深刻な認知の歪みを生じさせていると推定します』
(RH、流石にそれは……)
『論理的帰結です。マスター、速やかに当該人物との接触を断ち、精神科への受診を勧告することを強く推奨します』
相棒から「医学的に見て手遅れ」に近い宣告が下されたことで、デュオの内心は期待から一転、深い不安へと塗り替えられた。目の前で悦に入っている博士が、ただの「天才」ではなく「異常な設定を押し通す狂人」にしか見えなくなってきたのだ。
デュオは、モニター上で異常なほど高負荷な波形を刻み続ける九七式『改』を、壊れ物を扱うような、あるいは得体の知れない爆弾を眺めるような目で見つめた。
「……わかりました、博士。ひとまず……今日は試運転から始めさせてもらいます。壊さないように、慎重に扱いますから」
「壊すだと? 滅相もない! この福音を乗りこなせるのは君だけだと言っているのだ!」
高笑いする博士の横で、デュオは恐る恐る、作業台の上の『改』へと手を伸ばした。
効率と安定を捨て、ただ「破壊」を許容するためだけに磨かれた刃。レイジングハートにボロクソに叩かれた「歪な福音」を、デュオはかつてないほどの疑念と不安を抱きながら、静かに受け入れることになった。
(――このポンコツ宝珠がぁぁぁ!!)
帝都上空、高度八千。酸素すら薄い極寒の成層圏を切り裂いて響き渡ったのは、勇猛な軍人の咆哮ではなく、理不尽な現実に対するデュオの悲痛な絶叫だった。
胸元に鎮座する九七式『改』からは、「キィィィィン」と鼓膜を刺すような、高回転エンジン特有の金属的な魔力震動が鳴り止まない。ただ直線に加速するだけで、体内の魔力が目に見えて「溶けて」いくのがわかる。
『素晴らしい、オルカ候補生! その殺人的な加速、その暴力的な出力! それこそが主の突撃機動、福音の輝きだ!』
無線機から漏れ聞こえるシューゲル博士の歓喜の声が、今のデュオには呪詛にしか聞こえない。
(……ああ、クソッ! 起動した瞬間から、嫌な予感しかしなかったんだ!)
数分前、工廠の試験室内での感覚が脳裏にフラッシュバックする。
宝珠に精神を接続した瞬間、通常なら「静かな波紋」のように優しく広がるはずの同期感覚はどこにもなかった。代わりに襲ってきたのは、高圧電流で脳を直接焼かれるような、暴力的なまでの拒絶反応。その時点で、デュオの心は期待など一欠片もなく、底知れない不安に塗りつぶされていたのだ。
『マスター、機体制御を一時的に私が接収。不快なノイズをフィルタリングでねじ伏せます。……報告。私の効率的魔力運用を適用しても、消費効率は前回の宝珠よりさらに1.8倍増加しています。極めて非論理的な設計です』
脳内に響くRHの無機質な声は、かつてないほど「冷ややか」だった。
彼女は今、この機体システムという質の悪い欠陥品を、力技で「躾」直している最中なのだ。その手際に頼もしさを感じつつも、デュオはRHが放つ「ゴミコードを見るエンジニア」のような明確な嫌悪感に冷や汗をかく。
(1.8倍……。おい、それじゃ全力で戦ったら数分も持たないだろ!?)
『肯定します。例えるなら、最高のエコドライブシステムを、リッター0.5キロの戦車に搭載したようなものです。私の効率的運用が無駄に浪費されています。……不当なリソース消費です』
RHの毒舌を裏付けるように、視界の隅で警告ログが赤く点滅し続けている。
だが、その荒れ狂う魔力消費をRHがなんとかねじ伏せることで、ようやくまともな飛行が可能になった。これはもはや「優れた兵器」ではない。対象を粉砕するためだけに特化した、最大火力運用のための「一撃必殺の鈍器」だ。
「……ただ、とりあえずで高度八千まで来たのはとんでもない馬力だな。前の宝珠は高度六千で術式並行してるだけで、いっぱいいっぱいだったしな」
『しかしながら、継続性については強く疑問を持ちます。これならば安全な八千に5分滞在するよりも、相対的に不安全な六千に約10分展開した方が、戦術的に有効であると思われます』
RHの極めて現実的な指摘に、デュオは苦笑いを浮かべた。
「違いない。持久力ゼロの短距離ランナーじゃ、戦場じゃ使い捨てだ。……だが博士の野郎、これだけ食わせてまだ『祈りが足りん』なんて抜かしてたな。あいつの頭の中じゃ、これにさらに上乗せして魔力をぶち込む算段なんだろ?」
デュオは、激しい魔力震動を続ける『九七式改』を見下ろした。常用域を無視して限界まで跳ね上げられた魔力圧力の許容幅。これだけの「器」がありながら、自身の体内魔力だけでは数分で底を突く。この歪な空隙を埋めるための「正解」を、デュオとRHは既に知っている。
『……マスター。再確認します。博士が今回「九七式改」に設けた予備スロットおよび増幅回路の規格は、私たちが以前、武器科へ提言した「カートリッジシステム」の理論値と完全に一致しています』
「ああ、やっぱりそうか。あのクソじじい、俺たちの理論を勝手に『神の福音』の一部として組み込みやがったな」
デュオは納得した。自前の魔力が足りないなら、外から高圧の魔力を強引にブーストすればいい。それこそが、彼らが工廠の武器科に持ち込み、密かに試作させていた「高結晶化魔力」――すなわちカートリッジの真価だ。
『肯定します。高純度の魔力を物理的に圧縮封入した弾丸――これを一気に開放し、回路をオーバーフローさせることで、一時的に出力を限界以上に引き上げます。排熱と負荷は無視し、一撃にすべてを賭ける……私たちが提言した通り、極めて暴力的な運用方法です』
デュオの脳裏に、かつて画面越しに見た、あの「空を舞う魔導師」たちの戦いがフラッシュバックした。重厚なデバイスの排莢口から弾け飛ぶ、熱を帯びた黄金の薬莢。火薬の代わりに魔力を詰め込み、自身の限界を無理やり突破するための、あの咆哮のようなシステム。
「……なるほどな。さっき作った魔力を込めた弾薬(カートリッジ)と、自分の魔力を組み合わせる。そうすれば燃費問題を無視して、最大火力を叩き出せるってわけか」
『肯定。ただし、それは機械とマスターの魔力回路にも物理的に圧力がかかり、双方に致命的な負荷を与える「禁じ手」となります。……私たちが作り上げた理論ですが、この九七式改と合わさることで、それはもはや宝珠と使い手を焼き切るための炉心として機能するでしょう』
デュオは、希薄な空気の中で冷たく光る宝珠を指で弾いた。一撃必殺の鈍器に、さらなる火薬を詰め込む。その暴挙こそが、シューゲルが「神の奇跡」と呼び、RHが「不当なリソース消費」と吐き捨て、そしてデュオが自らの意志で手繰り寄せたシステムの正体だった。
「地獄への片道切符だな。……よし、やるか」
デュオは無線機のスイッチを入れ、工廠でモニターしているはずの狂気的な技術者へと呼びかけた。
「シューゲル博士、聞こえますか。……この『改』の本当の力、試したい。カートリッジを使っての試し撃ちを頼みます」
デュオの提案に、無線機から鼓膜を突き破らんばかりの哄笑が返ってきた。
『ハハハ! よいぞ、実によい! 魂の渇きを潤すのは、さらなる高圧の祈りのみ! 許可する。放て、オルカ候補生! 主の裁きをその手で形にするのだ!』
博士の許可と同時に、デュオはライフルのボルトハンドルを力強く引き、装填口を露出させた。金属の擦れる重厚な音と共に、剥き出しになった機関部へ、予め用意されていた高結晶化魔力を迷いなく叩き込む。
「カートリッジ!!」
『セット』
RHの短い声が響くと同時に、デュオはボルトを押し込み、ガシャン、ガシャンと力強い排莢動作を行って次弾の準備を整える。それと呼応するように、ライフルの銃口の先には幾何学的な紋様を刻んだ黄金の丸型魔術術式が二重に展開した。
『警告。カートリッジ・ロードを確認。すべての安全マージンを撤廃します。マスター、物理的な回路圧力に備えてください』
圧縮された魔力弾が内部で解放され、九七式『改』の駆動音は悲鳴に近い高音へと変貌した。デュオの視界には、限界値まで一気に跳ね上がった出力ゲージが真っ赤に点滅している。魔力回路には経験したことのない凄まじい圧力がかかるが、デュオは全身を強張らせ、その奔流を強引に制御下に置いた。
『ターゲット・セットアップ……チャージ・コンプリート』
RHの無機質な報告。照準が上方の空域へと固定され、光の密度が臨界点に達する。
『Setup... Divine... BUSTER!!』
RHの重厚なコール。次の瞬間、二重の術式を突き破るように、暴力的とも言える極大の光軸が放たれた。
「――っ、……!!」
デュオは襲い来る凄まじい反動に、岩のように動じず耐え抜いた。
放たれた極太のレーザーは、高度八千の希薄な大気を物理的に押し広げ、天を衝く一筋の巨大な光の刃となって、遥か彼方の空を真っ二つに切り裂いた。
通常の術式ではあり得ない衝撃波が周囲に波紋となって広がる。あまりの威力に、デュオの体は空中でありながら数十メートルも後方へ弾き飛ばされたが、彼は即座に姿勢を立て直し、空中で制動をかけた。
『ディスチャージ・コンプリート。目標座標の射撃を確認。マスター、魔力回路に高負荷による痺れを検知。宝珠本体も冷却のため、一時的なダウンタイムに入ります。』
光の尾が空に焼き付く中、デュオは激しい動悸と、痺れた魔力回路の感覚に顔をしかめながら、ゆっくりと身体の力を抜いた。全身の神経が震えているが、彼はそれを「戦うための代償」として静かに受け止める。
(これ一発で、俺の身体も魔力もボロボロだ。……だが、これなら届く)
だが、その直後。彼はふとした記憶を呼び覚まし、やりきれないような表情で空を見上げた。
(なあ、RH。こんなデタラメな衝撃と魔力圧を、平然と受け止めていた女の子がいたよな。……あの子、本当に大丈夫だったのか? ……本当は、俺が今感じてる以上のものを、ずっと一人で背負ってたんじゃないのか?)
たった一発。それも入念に調整を施した自分でさえ、魔力経路が焼き切れるような感覚を味わっている。その少女が何食わぬ顔で使いこなしていた力の重さを思い、デュオの胸には、一人の人間として彼女の身を案じる、締め付けられるような念が込み上げていた。
『……。』
(おい、RH……?)
『……申し訳ありません。その問いに対して、私が提示できる回答はありません。……あの時、無理をさせていたのは、私……私たちでもありますから』
無機質だったRHの声が、重く沈んだように聞こえた。デバイスもまた、かつての持ち主に強いた負荷の重さを、今のデュオのダメージを通して突きつけられているようだった。
(……だよな。悪かった、変なこと聞いて。……さあ、帰ろう。これ以上ここにいたら、今度は俺がボロ雑巾になっちまう)
デュオは、熱を帯びた九七式『改』を握りしめ、自分が手にしてしまった「毒」の味と、遠い空にいるはずの少女への祈りを抱えながら、静かに機首を翻した。
高度を下げながら呼吸を整えるデュオの耳に、受信機から割れんばかりの絶叫が飛び込んできた。
『素晴らしい! なんという輝きだ、オルカ候補生! これぞ神が望まれた鉄槌、天より降り注ぐ救済の光だ! さあ、休んでいる暇はない。今のデータを基に次なる祈りの出力を――』
「博士、落ち着いてください。……これ以上の連続試射は無理だ」
デュオの冷ややかな声が、シューゲルの狂乱をわずかに押しとどめる。
「今のカートリッジ運用は、乗り手も数発で自壊する。……この『改』はここ一番の決戦用だ。常用すれば、神の奇跡を見せる前に俺が燃え尽きる」
『……なんたる不信仰! 奇跡を出し惜しみするなど、神への冒涜だぞ!』
「実戦で使えなきゃ意味がない。──ですから、通常の九七式との併用試験も必要ですよね? 二個持ちでの同期運用ができるか、まずは俺が持ち帰って実戦環境でテストしてみます。……今日はもう限界なので、続きはまた後日ということで」
『……ぬ、ぬぅ。併用試験だと? 確かに、奇跡を多角的に観測するのは合理的ではあるが……ならば明日だ! 明日、エレニウム工廠に来い! さらに高圧の回路を用意して待っておるぞ!』
さらに拍車がかかった博士の誘いに対し、デュオはどこか他人事のような、すっとぼけた調子で返した。
「いえ、明日は講義がありますから。……学生の本分は勉強なんで。またお時間空いた時に行きますよ。その間の同期データは定期的に送っておきますから、解析よろしくお願いします。では」
『学生……? 貴公、今この瞬間に何を……待て! 待たぬかオルカ候補生! 祈りは! 祈りの続きはどうしたぁぁぁ!!』
博士が「学生」という言葉の不条理さに気づく前に、デュオは調整済みの予備の九七式を素早くひったくると、有無を言わさぬ速度で加速した。
「……RH、通信を遮断。最短ルートで離脱する」
『了解。博士の追跡通信を物理的にブロックします。……マスター、今の断り文句は少々無理があったのでは?』
「気にするな。……事実だろ」
背後から響く「待たぬかぁぁ!」という怒号を風の音でかき消し、デュオは帝都の夕闇へと逃げるように滑り込んだ。
胸元で重なり合う二つの宝珠。安定した出力を約束する「日常」の九七式と、命を削って極大の破壊を叩き出す「非日常」の九七式『改』
その歪な「二個持ち」のスタイルこそが、今の彼が辿り着いた、最も効率的で暴力的な解答だった。
デュオは、背後に残した「魔の工廠」の熱気を振り払い、冷たい夜気が流れ込み始めた空を、宿舎へ向かって真っ直ぐに突き進んでいった。
色々考えたら、ターニャの運用が正解だよね。
感想あると書くペース上がります。