神様に「リリカルなのは『みたいな』世界に転生したい」って要望したら「幼女戦記」の世界に入った話。 作:スレ主
ダキア戦という華々しい勝利から、一月も経たぬうちであった。
再編と訓練、そして連携強化に充てられるはずだった時間は、無慈悲な転属命令によって奪い去られた。
「第二〇三遊撃魔導大隊、北方ノルデン戦線へ即時展開せよ」
デグレチャフ少佐は、この拙速な投入に強く難色を示した。
「練度不足のまま投入すれば、大隊は数回の戦闘で摩耗し、戦略的価値を失う」
それは指揮官として極めて真っ当な具申であったが、参謀本部の回答は冷徹だった。
帝国に、もはや「待つ」という贅沢は許されていない。
使える手駒は、それが未完成であろうとも盤面に叩きつけ、磨き上げる。……そんな、余裕を失った執念が、この人事には透けて見えていた。
任務は「即応軍としてのノルデン地域制圧、および北方軍の援護」。
だが、現地の状況は書面上の勇ましい言葉とは裏腹に、冬の足音と共に戦闘の兆しを見せ始めていた。
ノルデン戦線・クラグガナ集積地防空戦
「大隊長ッ!」
ゲッツの叫びとほぼ同時に、眼前の大隊長が激しく火花を散らした。
執拗な魔弾の斉射。
防壁を貫かれ、吹き飛ばされた大隊長は、黒煙を吹きながら雪原へと高度を落としていく。
不時着か、墜落か。それを確かめる余裕すら、今の空にはない。
だが、ノイズまみれの無線から、苦渋に満ちた、しかし力強い声が響いた。
『――ぬかった……! すまんゲッツ、後は任せる。……貴官が、ヴァイパーを率いろ』
「大隊長!? クソッ……了解! 無理はしないでくださいよ!」
通信が途切れる。ゲッツは溢れそうになる動揺を怒号で抑え込み、演算宝珠を叩き起こした。
「――こちらゲッツ! 大隊長は存命だ。第2中隊、不時着地点へメディックの道を作れ! 残りは俺に続け、これより本機が指揮を執る!」
北方軍の命綱であるクラグガナ集積地を狙い、協商連合が執拗に波状攻撃を仕掛けてくる。
今日、これで4度目だ。
「ゲッツ、嫌な予感がするぞ」
ヨハンの声が、通信機越しに低く響いた。
「敵の演算パターンがいつもの連中と違う。協商連合の型じゃない、もっと洗練された……アルビオンの新型か、あるいは国籍不明の『義勇兵』だ。出力も精度も、今まで相手にしてきた連中とは別物だぞ」
「……多すぎる」
ミカが短く、鋭く吐き捨てた。小柄な体を加速させ、敵の隙を突く。
「前も横も、敵だらけだ。……今すぐ引かないと、全員まとめて飲み込まれる」
ゲッツは奥歯を噛み締め、司令部への通信を開いた。
「CP、こちらゲッツ! 大隊はボロボロだ、これ以上の迎撃は無理だ! 即時後退の許可をくれ! 大隊長を後送する時間だけでもいい!」
だが、返ってきたのは現場を凍りつかせる、無機質な事務連絡だった。
『――そちらへ向かう敵の魔導反応がさらに膨れ上がった。魔導2個中隊規模の増援だ。連中、予備戦力をすべてそちらへ投入したらしい』
「2個中隊……!? 冗談じゃねぇ、どこにそんな数が残ってやがった!」
ゲッツの顔から血の気が引いた。
ただでさえ未知の高性能宝珠に押されている今の状況に、それだけの戦力が加われば、もはや「戦闘」ではない。一方的な「屠殺」が始まる。
そこへ、ミカが上空を指差して宣告した。
「……ゲッツ。2時の方向、高度9500。爆撃機の編隊だ。20機はいる」
「9500だと……?」
ゲッツは天を仰いだ。
すでに地表付近での激戦で、自分たちの宝珠は熱を持ち、魔力も底を突きかけている。
一方で、目の前には増援を含めた敵魔導師の大群が殺到してきているのだ。
「CP! 爆撃機を確認! 高度9500だぞ! ただちに迎撃部隊を出せ、俺たちじゃ届かねぇ!」
『……そちらで迎撃は可能か?』
「できるわけねぇだろ! 目の前に敵の魔導師がうじゃうじゃいるんだぞ! 尻を撃たれながら、空を見上げて爆撃機を狙えってのか!」
高度差による魔力消費、そして眼前の敵への対処。
空を見上げる余裕など、物理的にも戦術的にも存在しない。
『集積地を爆撃されるわけにはいかない。そこには2ヶ月分の食糧と弾薬があるのだ。……死守せよ』
通信が切れる。冷たい沈黙だけが残った。
理解した。
自分たちは、この物資を守るための「使い捨ての盾」に選ばれたのだ。
雪原に不時着した大隊長。背後に眠る北方軍全体の命。
そして、自分たち40人の命。
「(……ちっ。大隊長、先にヴァルハラで酒の準備でもしておきますから!!)」
ゲッツは、死を覚悟した男の歪な笑みを浮かべた。
「野郎ども、最後の仕事だ。……ヴァルハラ行きだぞ。CP、こちらヴァイパー大隊。我々は帝国の勝利のた――」
『――、……何? 了解。ヴァイパー大隊、ただちに後退せよ!』
不意に、CPの通信兵の声が裏返った。背後で激しい怒鳴り声や喧騒が聞こえる。
『援軍だ! 本部から直轄部隊が割り込んだ! ――「白銀」が率いる第203航空魔導大隊、現在そちらの頭上を通過中! 繰り返す、速やかに空域を明け渡せ!』
「白銀……!? つーことは、デュオたちか!」
ゲッツが顔を上げた、その瞬間だった。
高度9500の空域が、一瞬、真昼のような白に染まった。
成層圏を真っ二つに裂くような青白い雷光が、先頭の爆撃機を瞬時に蒸発させた。
爆音すら届かない高空で、火球が次々と弾ける。
雲を割り、垂直落下に近いスピードで降りてくる影。
その中の1人、ひときわ鮮烈な光跡を曳く影から懐かしい声が聞こえる。
「よぉ、久しぶりだな三人とも。――死ぬにはまだ早いぜ」
かつて、将校課程で共に汗を流した、あのデュオの声だ。
以前よりも遥かに深く、冷徹な戦気を帯びている。
『ここからは俺たちが引き受ける。重傷の大隊長を連れて、さっさと後ろに下がってな。……あとは「白銀」にお任せだ』
急降下するデュオが、愛銃を鮮やかに操るのが見えた。
カートリッジを叩き込み、引き金が引かれる。ガシャンという硬質な金属音と共に、二つの薬莢が勢いよく空中に弾け飛んだ。
それを置き去りにするように、銃口から光の奔流が放たれる。
薙ぎ払う一撃。包囲していた敵魔導師たちは、悲鳴を上げる暇もなく空間ごと消滅した。
「……相変わらず、無茶苦茶な降り方しやがって」
ゲッツは引きつった笑いを浮かべた。
隣でヨハンが深く息を吐き、ミカが短く「……遅い」と毒づく。
その頭上を、白銀率いる第203航空魔導大隊が、地獄を塗りつぶす圧倒的な力で駆け抜けていった。
sideデュオ
「……っ、ハァッ、ハァ……!」
肺の奥が焼けるように熱い。
高度3800での戦闘を終えた直後、垂直に近い角度で高度を上げ、青い空へと突き進んでいた。
それに反比例して演算宝珠の残量計が急速に削られていく。
『Master、魔力残量が50%を割り込みます。このまま上昇を継続すれば、交戦時のリソースが不足します』
脳内に響くレイジングハートの冷静な警告。
分かってはいるが、この97式改の燃費の悪さは尋常じゃない。
俺は左手で予備のカートリッジを二発、銃身のシリンダーへ叩き込んだ。
「自分の魔力を空にするわけにはいかねぇ。こいつを回して高度を買うぞ!」
『了解。カートリッジ二発消費。魔力を推進術式へ直結。……Master、警告します。短時間での外部魔力による強制加速は、魔力回路および演算コアに多大な負荷を与えます。連続使用は避けてください』
「――分かってるよ!!」
ガッシャン!! ガッシャン!!
重厚な金属音が頭蓋を叩く。
排莢口から弾け飛んだ二つの真鍮薬莢が、熱を帯びたまま俺の視界を掠め、凍てつく空へと舞い上がった。
直後、内臓を押し潰すような凄まじいGと共に、爆発的な外部魔力が俺を成層圏の縁へと押し上げる。
回路が熱を持ち、神経が軋むような感覚を気合でねじ伏せながら、俺は一気に高度8000の主戦域へと躍り出た。
「……ピクシー大隊! ヴァイパー大隊を追撃中であった敵前衛と交戦入ります!」
雲海を突き抜けた瞬間、ヴィーシャの報告が耳に飛び込んできた。
俺は大隊の最後尾に滑り込み、荒い息を整えながら愛銃を肩に据える。
「了解。――ヴィーシャ、さっきの大隊にゲッツたちがいたぜ。帰ったら挨拶に行かないとな」
「……えっ!? デュオ、もう戻ってきたの!?」
無線越しに、ヴィーシャが素っ頓狂な声を上げた。
無理もない。さっきまで数千メートル下にいた反応が、瞬きする間に戻ってきたんだ。
隣を飛ぶ隊員たちも、俺の上昇軌跡を見て信じられないといった様子で固まっている。
「……おい、嘘だろ。デュオ少尉か?」
「高度差4000を直登してきたっていうのか……?」
「隊長が怪物なのは知ってるが……あの人も大概、正気じゃねえよ……」
回線越しに漏れる戦慄。
だが、それを切り裂く冷徹な声が全員の背筋を伸ばした。
「お喋りしている余裕などないぞ。総員、エンゲージ!」
少佐の号令だ。一瞬で思考から余計な雑念が消え、視界が戦場へと最適化される。
『警告』
脳内に、レイジングハートの鋭いアラートが走る。
『フランソワ共和国航空魔導部隊を検知。演算パターン照合……統制射撃ドクトリンと判定。一斉掃射まで3、2……』
「前方、フランソワ共和国の統制射撃が来るぞ!!」
俺が叫ぶのと同時に、視界が敵の魔弾で埋め尽くされた。
絶望的な密度だが、レイジングハートの演算は既にその「先」を捉えている。
「(抜ける……!)」
『最適回避ルートを算出。0.5秒後に反撃を開始します、Master』
光の網の目を縫うように、俺は空を踊った。
背後で空気が焼ける音がし、熱波が防御術式を叩くが、本体へは掠りもしない。
「外れだ!」
俺は、一斉掃射を回避されて呆然としている敵の先頭へと、吸い込まれるように銃口を固定した。
「悪いが、こっちは同期との飲み会がかかってるんだ。――落ちろ!」
引き金を絞る。
放たれた一撃は、統制を失ったフランソワの編隊を真っ向から貫き、北国の空に朱い火花を散らした。
だが、感傷に浸る暇はない。
今回のノルデン戦線は、逃げ惑うダキア軍を一方的に蹂躙した時とはわけが違う。
空を舞い、統制された動きを見せる航空魔導部隊が相手だ。
俺たち203航空魔導大隊は、第1から第3中隊を横一線の「横隊」へと展開し、正面から敵主力を釘付けにしている。
その隙に、俺たちが所属する「第4中隊(本部中隊)」がさらに上空へ、あるいは後方へと回り込む。
大隊長、デグレチャフ少佐を中央に据え、俺とヴィーシャがその左右を固める。
少佐の盾となり、あるいは少佐が撃ち漏らした獲物を仕留める――それが今の俺たちの役目だ。
静まり返った高度8000の冷気の中、ヴィーシャが鋭く、観測宝珠の数値を読み上げた。
「観測術式に感あり、約20キロ前方です!」
その報告に、少佐が獲物を見つけた猛禽のような目で、遠方の空を射抜いた。
「覗き見している者がいるようだな。破廉恥極まる。第4中隊、私を援護しろ。変態共にお仕置きをしてやる」
少佐が胸元のエレニウム95式に指をかける。
その瞬間、周囲の空間が歪むほどの、重苦しく膨大な魔力の奔流が溢れ出した。
俺の97式改でもここまでのプレッシャーは出せない。
大気が震え、皮膚がピリピリと逆立つ。
少佐は静かに瞳を閉じ、いつものように――皮肉のような「祈り」を口にし始めた。
「――朝日のごとく御光をもて、暗きを照らし今ぞ生まれし主をたたえよ」
収束する黄金の輝きが銃身を包み込み、物理的な質量すら持ち始めている。
「(なんだかなぁ……長距離射撃はロマンあるし、俺の推しの十八番なんだけど。こんな戦争状態じゃなければ楽しんで見れたのになぁ……。この北方の戦線が落ち着いたら、2期もっかい見直そう……なのは、やっぱり最高だよな……)」
『Master、戦闘に集中してください』
レイジングハートの嗜めるような声が脳内に響き、俺は思考の海から引き戻される。
視線を約20キロ先、少佐が狙いを定めた一点へと固定した。
次の瞬間、空間そのものを切り裂くような轟音と共に黄金の光が走り、遥か彼方の空に、不自然な黒い煙が立ち上った。
「観測波消滅を確認、敵観測部隊排除完了! お見事です少佐!!」
ヴィーシャの歓喜に満ちた声が回線に弾ける。俺もすぐに観測計を見やり、敵側の動揺を数値として拾い上げた。
「敵、通信量激増。敵魔導部隊からコールを複数確認しています……少佐、おそらく当たりです。今の地点、敵の戦闘指揮所だった可能性が高いですね」
「よし、では本格的に仕掛けるとしよう。第4中隊、敵の後方を占位し、味方と挟撃だ。なお、帰還後の祝賀会は一番成績の悪い中隊長の奢りとする。25年ものを発注した、破産したくなければ奮闘するように」
少佐の非情な、それでいてどこか愉快そうな命令が全軍に飛ぶ。極寒の空の下で、各中隊長たちが顔を青くしているのが目に浮かぶようだ。
「相変わらずワイン好きは変わらないのですね、少佐」
つい、そんな言葉が口を突いて出た。すると、隣を飛んでいたヴィーシャが、目を見開いて通信機に割り込んできた。
「……えっ、デュオ!? 少佐に飲ませたの!?」
「いや飲ませてはいない。この前デートの指南の時にお礼でワインを使った料理を作ったんだけど、ボトル一本なんて全部は使いきれないだろ? ……まぁ、どう処理したのかは想像に任せるよ」
「……むぅ、私も一緒に飲むから! デュオだけずるい!」
ヴィーシャの頬が膨らむのが見えるようだ。俺は苦笑交じりに首を振った。
「え? ヴィーシャはまだ未成年だろ?」
「デュオだってまだ未成年でしょ!! 年齢変わらないじゃない!」
「いや、俺は一応、料理に使ったからセーフだ」
「そんなの屁理屈よ!」
そんな俺たちのやり取りに、ついに本物の冷気が割り込んだ。
「お喋りしている余裕などないぞ、まったく……。オルカ少尉、今の無駄な通信で士気に関わった罰だ。祝賀会は調理係を命ずる」
「……了解であります」
冷徹な少佐の声に、デュオは肩をすくめて愛銃を握り直した。
不機嫌な「魔王」を満足させる献立を考えるのは、向かってくるフランソワ軍を相手にするより数倍難易度が高そうであった。
ーーこの日、レガドニア協商連合軍ノルデン反攻軍団、及びフランソワ共和国と連合王国の混成義勇軍は、その大半の戦力と司令部を喪失。
協商連合は北方ノルデンから完全に撤退した。
後に「ノルデンの惨劇」として語り継がれるこの戦いは、帝国軍第203航空魔導大隊という、既存の戦術概念を塗り替える死神たちの蹂躙によって終止符を打たれたのである。
ノルデンの冷たい風を遮る石造りの食堂は、勝利の熱気と料理の香気、そして男たちの怒号に近い歓声で満ちていた。
だが、その中心にある厨房の光景は、もはや戦場以上の緊張感に包まれている。
「おい、ジャガイモの火が甘い! ……そっちは卵液を流し込め。余熱を計算しろと言っただろ!」
指揮を執る彼の手元は、熟練の料理人のそれであった。
片方のコンロでは、巨大な鉄板いっぱいに広げられた「スパニッシュオムレツ」を魔法のような手際で整形し、もう片方のオーブンでは、メインディッシュである肉料理の「アロゼ」を同時並行で行っている。
「……信じられるか? 魔導師ってのは、空の上だけじゃなくコンロの前でも化け物なのかよ」
「あんな繊細な火加減、演算宝珠でも使って管理してんのか……?」
調理補助に駆り出されたヴァイパー大隊が呆然とその背中を見つめている。
彼らにとっての軍食は単なる燃料だが、デュオにとっては死活問題だった。
「(……まったく。こっちの世界の飯は、素材がいいのに調理が淡白すぎるんだ。前世の日本人の記憶があるせいか……この雑な味だけは、一人の人間として、どうしても妥協できないんだよな)」
彼を突き動かしているのは、もはや義務感ではなく純粋な食への執念だ。
洗練された味を知る魂が、この世界の「ただ焼いただけ」の料理を許さないのだ。
「……よし、オムレツ上がりだ! 次、肉を出すぞ。……だから、25年もののボルドーに合わせるなら、もっと繊細な塩加減が必要なんだって。この肉、誰が焼いた? 焼きすぎだ、少佐の胃袋を怒らせたいのか!」
そんな忙しない厨房のカウンターに、煤けた顔を拭いもせず、ニヤニヤと笑う男たちが身を乗り出してきた。
ヴァイパー大隊に所属するデュオの同期――ゲッツ、ヨハン、ミカだ。
「おいおいデュオ、相変わらず手際いいじゃん。指揮官殿の右腕になったかと思えば、今度は専属のシェフかよ?」
ゲッツが親しげに肩を叩き、焼き上がったばかりのオムレツをつまみ食いしようとして、デュオにトングで手を叩かれる。
「ゲッツ、お前は黙ってろ。……こっちは少佐に『無駄な通信をした罰』で調理係をやらされてるんだよ」
「まあまあ、そう言うな。でもマジで助かったぜ、デュオ」
ヨハンが真剣な顔でグラスを掲げた。
「あのタイミングでお前が上から降ってこなきゃ、今頃俺たちはノルデンの雪の下だった。……にしても、この肉、本当に軍の配給か? 柔らかすぎだろ」
「だろうな。こっちは魔力回路を焼き切る勢いで高度稼いで戻ってきたんだ、これくらいの役得はあってもいいだろ」
デュオが苦笑しながらソースを回しかけていると、ミカが隣で無言のまま、すっと空の皿を差し出してきた。
「……ん」
「……分かってるよ。ほら、多めに盛ってやるからあっちで食え」
ミカは短く「……感謝する」とだけ囁くと、満足げに喉を鳴らし、山盛りの肉を手に喧騒の中へと消えていった。
同期たちの騒がしいやり取りを背に、デュオは完成した一皿と、深紫の液体が満たされたグラスをトレイに乗せて、少佐の席へと向かった。
「お待たせしました、少佐。本日のメイン……それから、お飲み物は……最高級の『ぶどうジュース』です」
デュオが慇懃にグラスを差し出すと、ターニャはそれを手に取り、光に透かして優雅に揺らした。
「よろしい。私は法を遵守する模範的な軍人だ。未成年である以上、これが『ぶどうジュース』であることは必然と言えるな。……たとえ、成分の一部が自然発酵していたとしても、建前上はジュースだ。諸君、異論はないな?」
「もちろんであります。少佐が召し上がっているのは、どこからどう見ても健全な飲料です」
デュオが真顔で答えると、ターニャは、噛み締めることすら惜しむような動作で肉を口に運んだ。
ナイフが吸い込まれるように通るその肉は、筋一つない極上の部位だ。
芳醇なボルドーのソースが肉の脂の甘みを引き立て、噛み締めるたびに重厚な旨味が口腔いっぱいに広がる。
「…………っ」
普段、参謀本部の食堂で心を擦り減らしている彼女にとって、それは震えるほどの充足感だった。
「……素晴らしい。オルカ少尉、これは……あぁ、言葉にするのが野暮に思えるほどだ。この絶妙な火入れ、そして素材の良さを完全に引き出したソース。泥水のような食事に耐えてきた身としては、これこそが今日という一日を戦い抜いた、何よりの報酬だよ」
ターニャが満足げに、そしてどこか陶酔したように目を細める。
そして手元のグラスを静かに掲げた。
彼女は、その深紫の液体を一口、舌の上で転がすようにして丁寧に、噛み締めるように飲み込む。
芳醇な果実の甘みと、微かに鼻に抜ける発酵の香りが、肉の脂を鮮やかに洗い流し、至福の余韻をさらに深く刻み込んでいく。
「……ふぅ。素晴らしい『ジュース』だ」
恍惚とさえ言えるその表情。
普段の鉄面皮からは想像もつかないほど、彼女の魂は、目の前の一皿と一杯によって完全に癒やされていた。
その隣では顔を林檎のように真っ赤にしたヴィーシャが、デュオに空のグラスを差し出していた。
「あ、デュオ! 私にも『ジュース』おかわり。これ、すっごく美味しいよ」
ヴィーシャは幼馴染のデュオにだけ見せる、屈託のない笑顔を浮かべた。
「……って、ヴィーシャ。もう空にしたのか? お前、初めてだって言ってただろ」
「うん、でも全然平気。ねぇデュオ、やっぱり少佐と二人でこんなの食べてたなんて、ずるいよ。私だってデュオのご飯、ずっと食べたかったんだから」
「わかった、わかったから。……あんまり飲みすぎるなよ」
「もー、大丈夫だってば! ……でもデュオ、もう一杯だけ!」
顔を赤くしながらも、全く乱れる様子のないヴィーシャ。
その底知れない「ジュース」の処理能力に、デュオは戦慄すら覚える。
そんな二人のやり取りを見て、ヴァイパー大隊の連中が「ヒュー!」と指笛を鳴らした。
「203の副官二人はデキてるのか!?」
「よーし、今日はデュオの奢りだ! どんどん持ってこい!」
「誰が奢るか! 順番に並べ!」
怒鳴り散らしながらも、デュオは再びフライパンを握る。
硝煙の匂いが消えた一夜。
帝国最強の大隊と、彼らに命を救われた魔導師たちが、一時の平和を胃袋に詰め込む。
次の日
昨夜の狂騒が嘘のように静まり返った食堂で、後片付けをしながら大きな欠伸を漏らした。
「――はい、デュオ。淹れたて」
横から差し出された湯気の立つカップ。
受け取ると、ヴィーシャが眠たそうな、けれど満足げな顔で隣に並んだ。
「……助かる、ヴィーシャ。北方司令部も、あんなに盛大な宴会を開いてくれるとはな」
「ふふ、本当ね。乾パンだけが軍隊生活じゃないって思い出せたわ」
ヴィーシャは楽しげに笑う。
デュオはその無邪気な笑顔を見ながら、昨夜の豪華な食卓の「対価」を思い出していた。
先のクラグガナ防衛戦。
二〇三大隊が援軍として介入したことで、敵軍は壊滅状態に追い込まれ、ノルデン北方からの完全撤退を余儀なくされた。
だが、いざ蓋を開けてみれば、戦果のほとんどは大隊が稼いだものだ。
後詰に回っていた北方軍には世間に誇れるほどのスコアがなく、このままでは彼らの面目が立たない。
結果、少佐の判断でスコアは北方に譲渡された。
新聞や世間では「北方軍が敵を追い払った」ことになっているが、実態は二〇三大隊の戦果を買い叩いたようなものだ。
昨夜の宴は、そのメンツを守ってもらった北方司令部からの、精一杯の「裏の謝礼」だった。
(ま、こいつらが何も知らずに美味いもん食えたなら、それでいいか……)
事情を知るのはデグレチャフ少佐と各中隊長、そして調整に関わった自分だけだ。
泥臭い政治の裏側を、彼女に教える必要もないだろう。
「ま、兵隊の胃袋を掴むのは基本だしな。……ヴィーシャ、顔がまだ赤いぞ。本当に大丈夫か?」
「もー、それは寒さのせい! それに、デュオの方こそ、あんまり無理しちゃダメだよ?」
ヴィーシャは一歩歩み寄ると、少し背伸びをしてデュオの顔を覗き込んだ。
ふわりと、昨夜の「ジュース」の名残か、それとも彼女自身の体温か、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「……寒いんだから、ちゃんと暖かくして寝てね。お腹出して寝て風邪なんて引いたら、私、絶対笑っちゃうから。――いい?」
そう言って彼女は、小首を傾げてデュオの瞳をじっと見つめた。
いたずらっ子のような、それでいて心から案じているような、真っ直ぐな視線。
デュオはわずかに面食らい、視線を泳がせながらコーヒーを呷った。
「……わかってるよ。お前こそ、二日酔いで遅刻するなよ」
「失礼ね、あれはジュースだって言ったでしょ!」
ヴィーシャは頬を膨らませると、最後にもう一度だけ楽しげに笑い、軽やかな足取りで去っていく。
パタパタと響く足音。
デュオはその背中を見送りながら、熱を持った耳たぶを無造作に掻いた。
「……さて」
脳裏をよぎるのは、帝都にいた時、参謀本部のルーデルドルフ閣下と交わした会話だ。
あの日、自分が閣下へ提示した「答え」がどう転ぶかは別の話だ。結局のところ、上が下した決定に従うのが兵士の義務だ。
「どっちに転ぼうが、死ぬ気で働くしかないしな」
デュオは最後の一皿を棚に戻し、宴の片付けを終えると、冷え切った食堂を後にした。
sideデグレチャフ
北方軍司令部の一角に設けられた応接室。
そこに漂うのは、帝都の参謀本部を思わせる、洗練されてはいるが重苦しい空気だった。
「ようこそノルデンへ。いや、おかえりと言うべきか。歓迎しよう、少佐」
待ち構えていたルーデルドルフ閣下の声は、戦場の喧騒を忘れさせるほどに落ち着いていた。
「はっ! 懐かしの戦場へ帰ってまいりました。閣下、以後よろしくご指導願います」
私が背筋を伸ばして敬礼を捧げると、閣下は相好を崩し、その大きな手で私の肩を促した。
そのまま、部屋に備え付けられた分厚いソファに半ば強引に座らされる。
(……やれやれ。見た目が幼女であるという事実は、時としてこうした過剰な配慮を招く。だが、今はその厚意に甘えておこう。相手はあのルーデルドルフ閣下なのだから)
「さて。早速だが、クラグガナ防衛戦は見事なものだったと言わせてくれ」
「光栄であります、閣下」
「無理を言ってゼートゥーアから借りた甲斐があった。あやつのところが嫌になったら、いつでもこちらへ来い」
閣下は冗談めかして笑う。
その言葉の裏にある、参謀本部内の二大巨頭による盤石な協力関係。
私は内心で、彼らの期待という名の重圧に背筋を凍らせた。
(……恐るべき協調体制だ。両雄のメンツを潰さぬよう、使い潰される覚悟で期待に応えねばならん。だが、合理的判断を下すこの御方たちの下であれば、無駄死にだけは避けられるはずだ)
「では、仕事の話に入ろう。貴様の部隊は敵陣地襲撃の経験はあるか?」
「基幹要員数名のみがラインで経験しております。ダキアでは対地襲撃が主でしたので、正面からの陣地攻略に関しては十分とは言えません」
私の率直な回答に、閣下は深く頷いた。
「ある程度懸念通りか。だが、少なくとも貴様はどうすれば良いか、その手法は知っているのだな?」
「はい、閣下」
「よろしい。ダキアでの功績、特に首都への直接強襲。あれは魔導科学の格差があったとはいえ、実に見事なものだった。あの迅速な決断と遂行力こそが、今のノルデンには必要なのだ」
閣下の言葉には熱がこもっていた。ダキアという「成功例」を評価しつつ、次なる作戦を見据えている。
「はい閣下、しかしながら、ダキアの成功をそのまま基準にするのは危険かと存じます。通常の国家であれば魔導観測網に阻まれ、首都への強襲など夢のまた夢。確実性を期すのであれば、既存の常識を覆す手段が必要かと」
「その通りだ。だからこそ、我々はそれを掻い潜るための『魔導士空挺空輸作戦』を本案とする。ノルデンにおいてもだ」
空挺空輸――。先のクラグガナ防衛戦で、我々が敵の背後を突くために用いた戦術だ。
それを、この広大なノルデン戦線全体において、主戦術として組み込むというのか。
(……なるほど。既存の、そして冬場に麻痺しがちな兵站線に頼らず、一気に要所を叩く。理には適っている。だが、それには……)
「はい閣下、しかしながら、その作戦を確実に遂行するためには、入念な準備が必要かと存じます」
「理解が早くて助かる、少佐。その通りだ、入念な準備が必要だろう」
ルーデルドルフ閣下は、獲物を罠にかける猟師のような静かな笑みを浮かべた。
「……ゆえに、しばらくは訓練に専念してくれ。どちらに転んでも対応できるように、な」
その瞬間、私の胸の中で快哉の叫びが上がった。
(入念な準備! この極寒の時期に『訓練に専念せよ』という指示……! 閣下、なんと賢明な!)
私の脳内では、自身の生存本能に基づいた「合理主義」が全速力で結論を叩き出していた。
この氷点下のノルデンで、今すぐ泥沼の進軍を開始するなど狂気の沙汰だ。
閣下が口にした「準備」とは、すなわち冬を回避し、雪解けとともに万全の体制で敵を圧砕するための「猶予」に他ならない。
(越冬こそが、この地獄を避ける唯一の合理解! やはり参謀本部の狙いは、冬季の停滞と、来春の決戦にあるのだ!)
「……心得ました! 閣下のご期待に沿えるよう、完璧な準備を整えます!」
私はビシりと、心からの敬愛を込めて敬礼した。
冬は越せると確信して。
sideルーデルドルフ
応接室の空気は、合意形成を経てわずかに緩んでいた。
だが、私にはまだこの幼き少佐に果たしてもらわねばならぬ役割がある。
「その前に少佐、一つ頼みがある」
「はい、閣下」
居住まいを正す彼女を見つめながら、私は思考を巡らせる。
北方司令部から上がってきた作戦立案は組織としての矜持を感じさせるものだった。
「無理を承知の冬季案」と「盤石を期す春季案」。どちらも物量を背景とした、あまりに真っ当な軍隊の論理だ。
実際、ゼートゥーアと私が出した当初の結論も、春まで待つという「確実な勝利」であった。
だが、若き少尉が提示した視点は、我々軍人のそれとは決定的に異なっていた。
彼は地図の上の協商連合を指差し、我々軍人という人種には見えぬ「王国の毒」を冷徹に語ってみせた。
「閣下、春まで待てば兵站は整いますが、それは同時にアルビオンという名の怪物が、この戦場を彼らの『商売場』に作り変える時間を与えることになります」
我々軍人は、敵を叩き潰し、勝利すれば戦争は終わるものと考える。
だが、少尉が危惧するのはその先の未来だ。
たとえ春に協商連合を屈服させたとしても、王国の介入によって終わりのない紛争地へと変貌してしまえば、帝国は未来永劫、その泥沼で貴重な国力を擦り減らし続けることになるだろう。
「奴らの介入が本格化する前に、盤面そのものを一刀のもとに切り落とす。……これこそが、王国の干渉を物理的に排除する唯一の手段です」
冬の極限環境を逆手に取り、王国の鼻先が届く前に一刀を叩き込む。
それは軍事的な合理性を超え、帝国の未来を泥沼から救い出すための、あまりに苛烈な提案だった。
悩み抜いた末、一度は「春」へ傾きかけた天秤を、あの少尉が無理やり「冬」へと引き戻したのだ。
私個人としては、すでに答えは出ている。
あのプランこそが、帝国が進むべき唯一の細い糸だ。
だが、北方の連中が練り上げた作戦を頭ごなしに否定し、中央の案を強権的にねじ込めば、組織として不必要な摩擦と反発を生む。
だからこそ、彼女が必要なのだ。
デグレチャフ少佐――彼女の研ぎ澄まされた頭脳ならば、北方司令部が提示した物量戦の致命的な穴を確実に突き、参謀本部が立案する作戦の番犬となってくれるだろう。
彼女がその苛烈な正論で既存の作戦をすべて更地にした後、参謀本部の案を救いとして飲ませるための道標に。
すべてはあの執務室で見つけた「答え」に従うまでのことだ。
「今回の作戦会議に私と同行して、参謀本部の作戦案を北方司令部に提案したいが……」
ちらりと少佐の顔を窺う。一瞬、彼女の眉間に微かな翳りが差したが、すぐにその瞳には明晰な理解の光が宿る。
「はっ、閣下。私が嫌われ役となり、参謀本部の作戦を自然に提案できる形を取れば良いのですね」
「……察しが良くて助かる」
実に優秀だ。
私は満足げに頷き、彼女を伴って応接室を出た。
重厚な絨毯が敷かれた廊下を、軍靴の音だけが規則正しく刻む。
先を行く私の半歩後ろを、少佐は微動だにせず、凛とした佇まいでついてくる。
その小さな背中に、これから北方軍の将星たちを論理の刃で切り裂く「狂犬」としての役割を負わせ、我々は戦術会議室の重い扉へとたどり着いた。
会議室の重い扉が開くと、そこには北方司令部の将校たちが居並んでいた。
広げられた地図。
そこに置かれた駒の動きは、伝統的かつ堅実な冬季攻勢案を示していた。
「――現状、敵の防衛線には疲弊が見られる。兵站の維持には細心の注意を払う必要があるが、予備役の投入と輸送網の再編により、冬季攻勢は十分に持続可能である。これが我々、北方司令部の導き出した結論だ」
その言葉は、軍令としては極めて理に適ったものだ。
彼女は私に一瞥をくれる。
私は沈黙を守り、わずかに顎を引いて「許し」を与えた。
「……発言を許可願います」
彼女が静かに立ち上がった。
「確かに計算上は持続可能でしょう。ですが、その『細心の注意』が現場で一度でも綻べば、待っているのは戦略的な自殺に他なりません。故に、消耗を回避し、出血は極力抑える事が望ましいと判断いたします」
凛とした声が室内に響く。
だが、並み居る参謀将校たちからは、即座に不快感の入り混じった反論が飛んだ。
「なんと消極的な。我が軍の方が優勢なのだぞ、少佐」
「臆病風を吹かし、撤退でもしようと言うかね」
嘲笑を含んだ視線を受け流し、彼女は表情一つ変えずに言葉を継いだ。
「撤退ではありません、後退です。戦略的な後退をさせる事で、兵站は距離の暴威による負荷から解放され、春季以降の攻勢計画を容易たらしめると信じます」
「……確かに」
「しかし、春だと?」
場に困惑が広がる。私はそのタイミングを逃さず、重々しく口を開いた。
「ふむ。デグレチャフ少佐の提言はなかなか斬新な表現だな」
私の言葉に、将校たちの視線が集中する。
(周りを見る限り、明らかに冬攻めが北方の総意だ。しかし、嫌われ役を引き受けると言っても、ここまで極端に振り切るか。……だが、効果は絶大だな)
私はあえて無表情を保ったまま、問いを投げかけた。
「兵站についての北方方面軍の見解は?」
「……越冬準備は完了しております。しかし、人員という面ではラインに引き抜かれており、人員不足の面があることも否定できません」
(その舵取りをしたのは参謀本部だ。これで私が、なぜ足りないのかと問うのはお門違いというものか)
私は再び、少佐へと視線を向けた。
「デグレチャフ少佐、貴官は越冬を、つまり春季攻勢を想定しているのだな」
「はい。現状では物資の補給は維持できても、その兵站線自体を維持し続ける余力がありません。無益な冬季進軍で物資と兵員を浪費し、敵を喜ばせる義理はありません」
「見てきたような断言だな。どうなのだ、兵站参謀」
司令官に促され、一人の兵站参謀が不本意そうに、しかし事実を隠しきれぬ様子で立ち上がった。
「はっ、不本意ながら、申し上げ難いのですが……少佐の言は的を射ているかと。ご存じの様に先の戦闘で、帝国軍は北方ノルデンを完全に手中に収めました。ですが同時に、防衛すべき側面は増え、補給線は悲鳴をあげております」
「補給があっても、今度は補給線か!」
「なんとかならんのかね、それは」
「お言葉ですが、どうにもなりません。実際的な問題でしょう」
彼女のその一言は、追い詰められた兵站参謀に止めを刺すものだった。
卓上の沈黙を観察する。
北方方面軍は日々、各方面から「いつまで長引かせるつもりか」という圧力を受け続けている。
協商連合と同程度と目されていたダキア大公国が、わずか一ヶ月足らずで崩壊したのだ。
帝国内部では「なぜ北方はいつまでもダラダラと戦争を続けているのか」という疑念すら生じている。
そこにきて、彼女の「春まで待て、さらには後退もしろ」という提言だ。
本来なら、北方司令部の面々が激昂して然るべき暴論。
だが、彼らがかろうじて理性を保っているのは、提案者が十一歳の小柄な少女だからだろう。
これほどの実績を持つ「幼女」を相手に、いい大人が怒鳴り散らすのは、軍人としての、あるいは一人の男としてのプライドが許さないのだ。
沈黙を破ったのは、北方軍参謀長のシュライゼ中将だった。
「デグレチャフ少佐、それでは時間を失い年を越してしまう。こちらとて長期戦は望ましくない。物資の消費もだが、これ以上部隊を拘束されるわけにもいかんのだ」
シュライゼ中将は重々しく告げた後、私を鋭く睨み据えた。
(……なるほど。「子供に言いたいことを言わせて、参謀本部は一体何を考えているのだ」という睨みか。逸っているのは現場ではなく、指揮官レベルのようだ。……まずいな、もうよせ、デグレチャフ)
私は視線だけで、彼女にこれ以上の追及を控えるよう促した。
デグレチャフもまた、視線だけでその意図を拾い上げる。
しかし、シュライゼ中将の言葉は止まらない。
「春だなんだとずるずると長引かせ、国力を消耗するより、一刀のもとに解決すべきだ」
「兵站線が耐えきれません」
私の制止を無視したわけではないだろうが、事実の指摘だけは譲らなかった。
「攻勢に出たところで、冬の進軍速度など知れています。程なく攻勢限界に直面するのは火を見るより明らかです」
「短期攻勢であれば、十分に賄える! 前線への供給に必要な物資は、ほぼ集積を完了しているのだ! 五週間分だぞ!」
ついにシュライゼ中将が怒声を上げた。静かな会議室に、中将の激昂が響き渡る。
だが、デグレチャフは眉一つ動かさず、淡々と、しかし決定的な拒絶を返した。
「反対です。敵の抵抗は頑強であり、到底短期間に打破し得るとは思えません。何より、前線付近の軽便鉄道から二十キロ以上離れた場合、兵站線はほぼ人力で維持せざるを得ない。これで冬季進軍など、無理です」
そこで彼女は、わずかに首を傾げた。その仕草は、純真な子供のようでもあり、猛毒を孕んだ皮肉屋のようでもあった。
「……現場をご存じない? ああ、それは失礼いたしました。温かな部屋、柔らかな椅子、良い葉巻。……全く、羨ましい限りであります」
その一言が放たれた瞬間、数人の参謀将校が椅子を蹴るような勢いで立ち上がった。
会議室の空気は、もはや怒気で発火せんばかりだ。
(……なるほど、レルゲン中佐の胃痛の原因はこういうわけか。これは劇薬どころではないな)
私は内心で、帝都の同僚の苦労に思いを馳せた。
しかし、北方参謀長のシュライゼ中将は、先ほどまでの怒声を抑え、努めて冷静に言葉を紡ぎ始める。
「……一理あるが、敵の抵抗もすでに限界を超えている。先だって、倍以上の敵を撃破し、協商連合恐るるに足らずと実証したのは貴官ではないか、デグレチャフ少佐」
「買いかぶりです。友軍の奮戦により損耗し、突出した敵部隊を……辛うじて撃退したにすぎません」
その回答はあまりに苛烈だった。
クラグガナ防衛戦における北方軍のスコアは、実質的にゼロに近い。
それを二〇三大隊がすべて肩代わりし、政治的なスコアの移動を行うことで、北方軍のメンツを辛うじて保ってやったのだ。
彼女は今、「貸しがあることを忘れるな」と、沈黙の重圧をもって北方軍を脅迫していた。
シュライゼ中将が、苦々しい顔で若い魔導参謀たちに視線を走らせる。
「そうは言うが少佐、我々の共闘と貴官の奮戦が、大きな戦果を出したのは事実だろう。今一度手を取り合い、この局面に向かおうではないか」
「貴官が撃破したのは、敵が有する実質的に唯一の魔導コマンドの中核だ。大黒柱をへし折ったも同然ではないか?」
北方軍がこれほどまでに冬季攻勢を推すのは、二〇三大隊という『駒』の卓越した戦力を過信しているからか。
自軍の魔導大隊が手も足も出なかった難敵を壊滅させた実績が、彼らの背中を押してしまっている。
ここで沈黙を守っていた北方軍司令官、ウラーゲリ上級大将が口を開いた。
「デグレチャフ少佐の慎重な意見は歓迎するが、貴官とその魔導大隊の戦力ならば、冬季進軍にも大いに期待できようというものだ」
(司令官自らが、一介の少佐にここまで言葉を尽くして配慮を見せるとはな。もはや『北方の意を汲んでくれ』という懇願に近い。……もう十分だぞ、少佐)
「過分な評価に、申し上げる言葉もありません」
デグレチャフが頭を下げ、会議室の緊張がふっと緩んだ。
誰もが、彼女が折れたのだと錯覚した。だが、彼女の舌鋒は止まらない。
「ですが小官の見たところ、協商連合のコマンド部隊は本質的に歩兵と魔導部隊の混合であります。先の戦闘による撃破のみをもって、活動が低迷するとは考えられません」
「……どういう意味なのかな? デグレチャフ少佐」
私の問いに、彼女は迷いなく答えた。
「はっ。確かに局地的な小競り合いには勝利いたしました。ですが、その敵とて友軍が奮闘し、疲労・孤立していたに過ぎません。申し上げた通り、本質的には連戦で弱体化していた残敵の撃退に過ぎないのです」
「……実に謙虚だな」
「はい、いいえ中将閣下。小官は事実に基づいた回答を行っております」
視線は強く、冬季攻勢は確実に破綻するという意志が痛いほど伝わってくる。
だが、これは北方軍の目には『参謀本部の意向』ではなく、彼女個人の『頑固なまでの慎重論』としか映るまい。
血気盛んな将校が立ち上がろうとするのを、シュライゼ中将が手で制した。
「そこまでにしよう。少佐の意見はわかった。貴官が軍に対して誠実であり、冬季進軍を危惧する点も傾聴に値する。だが、現状では早期解決こそが喫緊の課題だ」
「小官の義務として、断固とした異議を申し立てます」
彼女はまだ冷めやらぬコーヒーの香りを一度だけ嗅ぎ、ひと口飲んでから、致命的な一撃を放った。
「西方では友軍が汚泥を啜り、泥濘に突き落とされ、飢え苦しんでおりました。……ああ、旨い。良い豆を使っている北方は、随分と恵まれておりますなぁ。もちろん、皆様の友軍を思うお気持ちは、我々と何ら変わらないと信じておりますが」
その瞬間、シュライゼ中将の顔が怒りで赤黒く染まり、彼は激しく机を叩いて立ち上がった。
「少佐……!! そこまで言うなら、貴官はさっさと西方に帰れ! 臆病者は北方には無用だ!!」
中将の怒声は会議室の壁を震わせ、並み居る将校たちも息を呑んだ。
だが、その嵐の只中にあって、彼女は氷のような冷静さを保ったまま、静かに問いを返した。
「――それが、北方方面軍の総意でありましょうか?」
「くどい!!」
その怒声を聞くと、デグレチャフ少佐は席を降り、鮮やかな敬礼をして堂々と退室していった。
静まり返る会議室。
(……ふぅ。随分と強烈な嫌われ役だったが、おかげで北方軍が二〇三大隊をどれほど高く評価しているかは、嫌というほど明確になった)
私は、重苦しい空気を切り裂くように、穏やかな声を響かせた。
「……さて。うちの若いのを随分と評価いただけているようですな。参謀本部としても誇らしい限りです。その上でなのですが――」
私は立ち上がり、地図の中央へと歩み寄った。
「彼女……第203遊撃航空魔導大隊を要とする、新たな冬季攻勢案を立案いたします。航空魔導士による空挺作戦。これならば、先ほど少佐が指摘した兵站の問題は、あらかた解決するのです。どうか裁可を」
「冬の勝利」への確固たる道筋がここにはある。
会議の展開、色んな視点のパターンを作ってみましたが、中々しっくりこず遅れてしまいました。
デート回はそのうち外伝考えてます。
感想あると書くペースが上がります。