「……3組の連中、菌がうつるから近寄るなよ」
「おい、あいつら今日も『ノーマスク・テロ』やってるぜ。関わらない方がいい」
廊下を通るたび、隣のクラスの生徒たちが大げさに距離を取り、露骨な罵声を投げつけてくる。昨日までは「おはよう」と笑い合っていた友人が、今は腫れ物を見るような目で自分たちを指差している。
休み時間のトイレですら、3組の生徒が入ってくると他クラスの生徒が一斉に逃げ出していく。SNSのグループチャットには、素顔のまま校庭を歩く自分たちの盗撮画像が並び、「非国民」「テロリスト予備軍」という言葉が、匿名という安全圏から絶え間なく降り注いでいた。
教室内は、外からかかる巨大な圧力に耐えかねた、今にも破裂しそうな重苦しい沈黙に支配されていた。
「阿久津先生……もう無理です……」
最前列の里中が、机の上に置いた不織布のマスクを、指が白くなるほど強く握りしめたまま泣き崩れた。
「他のみんなの目が怖い。さっきも廊下で『バイキン』って言われた……。お母さんだって、近所の人に文句言われて『恥ずかしくて外を歩けない』って家で泣いてる。……先生の言うことが正しいのかもしれないけど、僕らだけ違うのは嫌だ! 独りになるのは嫌だよ!」
その悲痛な叫びに何人かの生徒が小さく肩を震わせ、隠し持っていたマスクへと手を伸ばしそうになった。
真矢は教壇からゆっくりと降り、静まり返った教室内を里中の席へと歩み寄った。コツ、コツ、と響く足音が、まるでカウントダウンのように生徒たちの心臓を叩く。真矢は里中の前に立つと、感情を削ぎ落とした声で告げた。
「他の人と違うのが嫌? ……イメージしなさい。その『みんなと同じでありたい』という幼稚な考えが、かつてこの国でどれほどの無実な人間を殺してきたのかを」
彼女は教壇へ戻ると、黒板に一際大きく、チョークの粉を撒き散らしながら書き記した。
【村八分】
「自分たちと違うルールで生きる者を、正義という名の下に叩き、排除することで安心を得ようとする……。里中さん、あなたたちが今受けているのは、正義の裁きではありません。自分一人の足で立つことができない、卑怯な家畜たちによる集団リンチです。そして里中さん、あなたもまた、そのリンチに加担しようとしている」
「僕が……加担してるなんて、そんなの嘘だ……!」
「いいえ。周りに合わせて、自分の意志ではなく恐怖に屈してマスクを顔に戻すことは、『自分もまた、他人を監視し、同調しない異端者を叩き潰す側に回ります』と宣言することと同じです。自分の魂を売り、卑怯な加害者の列に加わることで、束の間の安心を得ようとする……。それがあなたの考える『思いやり』ですか?」
その時、教室の扉が蹴破られるように開いた。
「阿久津先生! いい加減にしてください!」
入り口に立っていたのは、PTA役員の母親たちだった。全員がそろって隙間なくマスクを着用し、その瞳には「正しいことをしている」という狂信的な輝きが宿っている。
「うちの子に何を強要してるの! 3組だけクラス閉鎖にしろって、全校生徒の親から苦情が来てるのよ! この子たちの将来が壊れたらどうするの! 内申書に響いたらどう責任取るの!」
真矢は母親たちの金切り声を、氷のような冷徹な眼光で一瞬にして遮った。
「将来を壊しているのは、あなたたち親です。イメージしなさい。数年後、自分の意志を殺し、ただ周囲の顔色をうかがって怯えるだけの、空虚で抜け殻のようになった我が子の姿を。その時あなたは、『あの時はみんなそうしていたから仕方なかった』と、また卑怯な言い訳を繰り返すのでしょうね」
「な、なんて失礼な……! 私たちは子供たちの命を守るために……!」
「私は、この子たちに『孤独に耐える力』を教えている。他人に嫌われることを恐れ、正解を他人に委ねるような人間に、自分自身の人生を歩く資格はありません。自分の命すら他人に預けている人間に、誰かの命を守ることなどできるはずがない」
真矢は母親たちから視線を外し、再び生徒たちに向き直った。その声は、もはや警告ではなく、魂の選別を迫る断罪だった。
「いいですか。明日から、他人の視線に屈してマスクを着けた者は、即座にこの教室から追放します。自分の意志を持たない人間に、私の授業を受ける価値はありません。……一人になるのがそんなに怖いなら、一生誰かに首輪を繋がれ、檻の中で餌を待って生きていきなさい。そのまま思考を腐らせ果てるのが、あなたたちにはお似合いです」
母親たちの激しい抗議も、生徒たちの啜り泣きも、真矢は一切無視して教室を去った。
残された生徒たちは、真矢という「悪魔」と、「群衆」という、二つの巨大な圧力の間で、自分自身の魂をどちらに売るか、極限の選択を迫られていた。
(第4話へ続く)