悪魔の教室2020   作:影の設計士

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第5話:巣立ち

阿久津真矢が去ってから、三日が経過した。

6年3組の教室には、何事もなかったかのように再びアクリル板が並べられ、教室の入口には消毒液のボトルが鎮座していた。校内放送では以前にも増して執拗に「ソーシャル・ディスタンス」と「徹底した消毒」の喧伝が繰り返されている。

学校側は、3組を阿久津という毒から浄化すべき対象として扱っていた。道徳の時間はすべて「社会のルールと連帯」を学ぶ特別講義に差し替えられた。

「……みんな、阿久津先生は心が病んでいたんだ。あんな極端な考えは忘れて、元の生活に戻ろう」

担任の寺尾は戸惑う子供たちの顔色をうかがうように、そして自分に言い聞かせるように繰り返した。

だが、生徒たちの目は死んでいなかった。

真矢が去り際に投げつけた最後の言葉――『一生、自分を騙し続けながら生きなさい』。

その冷徹な宣告が、アクリル板に反射する自分たちのマスクで覆われた惨めな姿を、鋭利な刃物のように抉り続けていたからだ。

                ♢

「……行くよ」

金曜日の放課後、進藤が里中に向かって短く、だが決然と告げた。

その土曜日。学校側が政府の緊急事態宣言の発令を理由に中止した修学旅行の代わりに、3組の有志二十名は、真矢がかつて授業の中で一度触れた、県境の深い山奥にあるキャンプ場へと向かった。親には「塾の合宿に行く」と嘘をつき、慣れない手つきで切符を買い、電車とバスを乗り継いで。

たどり着いたその場所には、彼らを遮る仕切りも、マスクの着用を強いる無機質な看板も、メディアに洗脳された大人たちの目もなかった。ただ、冷たく澄んだ空気と剥き出しの自然が広がっているだけだった。

「……空気が、痛いくらい美味しい」

里中がマスクを外し、生まれて初めて「空気の重み」を感じるように深く深呼吸をした。

彼らは自分たちで薪を拾い、火を起こし始めた。学校で教わるような過保護な実習ではない。湿った木は煙を上げ、容赦なく目や喉を刺激する。枝で指を切り、煙に巻かれ、服を泥だらけにしながら、彼らは必死に火をおこした。

「イメージしなさい。火の熱さを。水の冷たさを。……それが生きるということよ」

パチパチとはぜる炎の音の中に、真矢の声が混じって聞こえた気がした。

出来合いの弁当ではなく、自分たちで飯盒で炊いた芯のある飯を食べる。そこには、アクリル板越しには決して得られなかった、確かな生の感触があった。

だが、夕闇が森を包み始めた頃、数台の車のヘッドライトがキャンプ場の広場を乱暴に照らし出した。

スマートフォンのGPSや連絡網を駆使して追ってきた、校長と数人の保護者たちだった。

「お前たち! 何をしているんだ! 学校やご両親に内緒で、こんな場所に来て! 密になって!」

校長は車から飛び降りるなり、震える手で生徒たちの肩を掴もうとした。

「今すぐマスクを着けろ! 消毒をしろ! 責任問題になったらどうするんだ! 誰かが感染したら、街で白い目で見られるのは誰だと思ってるんだ!」

保護者たちもヒステリックに我が子に駆け寄る。

「なんて格好してるの! 早く除菌しなさい!」

「……校長先生」

進藤が校長の伸ばした手を静かに、だが鋼のような力強さで振り払った。

その顔にはかつて権威に怯えていた面影は微塵もなかった。煤で汚れ、むき出しになったその素顔には、力強い意志が宿っている。

「僕たちは、誰に命令されたわけでもなく、自分の考えでここに来ました。病気になるのが怖いからって、自分の心が腐っていくのを黙って見てるなんてもうできません。僕たちは、自分の顔で、自分の肺で、この空気を胸いっぱい吸いたいんです」

「洗脳されているんだ! あの阿久津という女に……!」

校長が絶叫する。

「いいえ」里中が続いた。

「阿久津先生は僕たちを洗脳なんてしていません。自分の頭で考えろと仰っただけです。……だから、ここに来るのを決めたのは、僕たち自身です。イメージしました。このままただ大人に従って、自分の心を殺して、嘘をつき続けて生きる自分の姿を。それは、生きているんじゃなくて、死んでいるのと同じでした」

大人たちは子供たちの迷いのない瞳に気圧され、言葉を失って立ち尽くした。

彼らが守ろうとしていた「安全」という名の束縛が、子供たちの「魂」をいかに殺していたか。その残酷な真実を、マスクを脱ぎ捨てた子供たちの素顔が月明かりの下で無言で告白していた。

その夜、焚き火を囲む生徒たちの輪を遠く離れた暗闇の木陰から見つめる一筋の影があった。

阿久津真矢。

彼女は生徒たちを助けることも褒めることもしない。ただ、自分の足で檻を壊し、外の世界へと羽ばたき始めた雛鳥たちの姿を、冷徹な、しかしどこか見届けるような眼差しで確認すると、音もなく闇の中へと消えていった。

(最終話 第6話へ続く)

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